2020/3/14, Sat.

 だがヒトラーヴェルサイユ条約の単なる見直しを望んでいたわけではない。次の戦争はたんに一九一八年に失った領土を奪還するための戦いではなく、「イデオロギーの戦い、つまり、民族と人種の戦い」になるはずだった。ポーランドを攻撃する目的は、ダンツィヒを奪還し、ポーランド回廊を廃し、上シュレジェン東部を取り戻すことではなく、ポーランドという国そのものを消滅させることにあった。[一九三九年]三月二五日に陸軍司令官ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュに宛てた命令のなかで、ヒトラーは「ポーランドは粉砕され、数十年間は政治的要素とみなす必要がなくなるだろう」と述べている。五月二三日にヒトラーは、「ポーランド人」を標的に選んだのはしかるべき理由があるのだと将軍たちに述べている。

 ポーランドはかならずわれわれの敵側につくだろう。友好条約があっても、ポーランドはつねに隙あらばわれわれに対抗しようと機会を窺ってきた。ダンツィヒなど問題ではない。われわれにとっての問題とは、生存圏を東方に拡張し、食糧が確実に供給できるようにすることなのだ。

 ヒトラーはこの政策が非常に危険視されることは十分承知していた。しかし、ポーランド猛攻で第二次世界大戦に突入するわずか二週間前の八月一七日に、彼は軍幹部に次のように注意を喚起している。「政治でも軍事でも危険なくして成功はない」。この頃には、ヒトラーは完全に自分が天才だと信じきっており、将軍たちは反論できる立場にはなかった。さらに、彼はポーランドとの戦争がそのまま終息し、西欧列強が介入することはないと確信していた(「私がミュンヘンで会ったお歴々には、また世界戦をやろうなどという気はないだろう」)。
 数ヵ月の交渉の末、八月二三日に締結された独ソ不可侵条約は世界に衝撃を与えた。この条約は、反ボルシェヴィキがナチズムの使命だと信じる人々にとっては承服しかねるものだっただろうが、ポーランドに限定した戦争の勝率がこれで高まるような気もした。ヒトラーポーランドを意のままにすると思われ、将軍たちは総統の拡張政策に国防軍が使われるに任せ、ヒトラーの戦争はもういつでも始められる状態になった。
 周知のとおり、事態はヒトラーが信じたようには進まなかった。一九三九年九月三日、英仏がドイツに宣戦布告。ナチ・ドイツはポーランドとの限定的な戦争どころか、ヨーロッパを巻き込む大きな戦いを引き起こした。この点でナチの独裁者は計算を誤った。しかし別の意味では彼が絶対的に正しいことが証明されたと言える。一九三九年九月一日午前四時四五分にナチ・ドイツが開始した戦争は、ヒトラーが予測したとおり、またたく間に「イデオロギーの戦い[……]、つまり民族と人種の戦い」になったからだ。
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、117~119)



  • 午後二時に至るまで実にだらだらと真空的な睡眠空間のなかに浸っていたわけだが、目覚めて身体を起こすと雪が降っていたので驚いた。
  • 今日は両親とも休日で、新しく買い替えた母親の車を引き取りに行ったり買い物に行ったりしていたようだ。
  • 六時頃に夕食を作ろうと階上に行くと、父親が母親と共に台所に立って玉ねぎやひき肉などの炒め物を調理していた。こちらは既に茹でてあった野良坊菜を何束かに分けて取り上げては両手でぎゅっと圧縮して水気を絞り、切り分けてプラスチックパックに収めたあと、瓶詰めの滑茸と一緒に和えて搔き混ぜた。ほか、胡瓜や大根や玉ねぎや人参を器具を用いてスライスし、生サラダを拵える。父親は炒め物のほかに、大きな鯖を一口大にぶつ切りにしてフライパンで焼いていた。
  • 米国では新型コロナウイルスの感染拡大を受けて非常事態宣言が出されたとのこと。五〇〇億ドル(五兆四〇〇〇億円ほど)の資金を費やして対処に当たると言う。
  • 明日、立川の喫茶店にでも入ってそれぞれの作業を共に進める会をやらないかとTDから誘われたので、了承する。こちらもいい加減に日記をどうにかしなければならないので、つい怠けてしまいがちな自室に籠っているよりも、外出した方が進むかもしれないという期待がある。一一時半に集合ということになったが、果たして間に合うように起床できるかどうかは定かでない。


・作文
 22:28 - 22:44 = 16分(14日)
 22:44 - 22:48 = 4分(2月24日)
 計: 20分

・読書
 16:01 - 17:51 = 1時間50分(アガンベン
 18:19 - 20:42 = (1時間30分引いて)53分(アガンベン
 28:15 - 28:53 = 38分(アガンベン
 計: 3時間21分

・睡眠
 5:10 - 14:00 = 8時間50分

・音楽