2020/4/1, Wed.

 三月の末に花盛りの日和もあり、あるかなきか風に花のちらほらと散る日もあったが、四月に改まったその日から、昼には花曇りと見えたのが夜から冷えて、翌日にも寒気が残り、それからは花寒[はなざむ]と言うには肌寒い曇天が続いた。寒気のために花の持ちはよくなったようなものの、風が吹けばやはり散りかかる花は春の日に照るでもなく、落花の舞いやら花吹雪やらのはなやぎを見せるでもなく、色褪せてさびれていく頃に、週末を迎えた。その日も曇って午後には雨もよいになり、夜半に思い出したように、月が雲間から花の木末にのぞいた。陰暦きさらぎの望の夜にあたるらしい。こんな寒々しい月と花のもとでは、老残の身のあやうさを感じさせられるばかりで、死にたくもない。翌日、遅れた花見の日曜の午前は雨となった。
 それからが天気はいよいよ清明ならず、曇りがち雨がちの日が続いて、気温もあがらず、冬のような日もはさまる。気流も乱れているようで、一日の内にも空模様が定まらない。たまに晴れた日もわずかな間に曇り、風は冷たくなり、やがて雨になる。ついさっきまで白く濁った空から初夏の陽ざしが降りていたのが、搔き曇るともなく暗くなり、雷が鳴り、季節に早い夕立かと思えばそれきり曇天のままに滞る。一日雲に低く覆われた末に、暮れ方に西の空が割れて、飛沫[しぶき]でもあげそうに沸き返る乱雲の間へ太陽が血のように紅く燃えて落ちかかるのを、今夜は慎しめと叫ばんばかりの狂い方ではないか、と沈みきるまで眺めるうちに、残照の射し返す空から、風も吹かず、大粒の雨が落ちてくる。
 低気圧がしきりに、日替りか半日替りに、通り過ぎる。北と南の洋上に低気圧が同時にすすむ日もあり、空の動きは複雑になる。上空には雲が張って動きも見えないのに、東のほうの空に黒い雲が南から北へ走る。終日終夜空を見あげているわけでない。相も変わらず仕事に追われて日の移りも忘れるほどなのに、身体のほうはひとりでに、空の明るんだり翳ったり、大気の重くなったり軽くなったりに、反応しているらしい。老体は日常の暮らしに、まだ不自由というほどでもないと踏んでいても、空の乱れの影響を心身に受けることでは、すでに寝たきりの病人とさほどの隔たりもない。今日はさすがに春めいた一日だったと宵の口までくつろいで、快癒感のようなものを覚えながら、夜更けて机に向かううちに、頭が重たるくなり背もこわばるようで、気がついてみれば、膝から腰が冷えこんでいる。昼は暖くても夜から寒気の忍び寄ることが重なって、四月も下旬に入った。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、10~11; 「後の花」)



  • 五時間半程度の眠りで起床に成功する。上々だ。
  • 新型コロナウイルスの感染者は東京都で新たに七八人が見つかり、全国では二〇〇〇人を超えたと言う。
  • Viberに投稿された(……)さんからのメッセージを母親が見せてくる。モスクワでも厳しい外出禁止令が発されたと言い、その内容がまとめられていたが、自宅周辺一〇〇メートルの範囲内でのペットの散歩などは許されているらしい。
  • 起床時から何だか肩周りの関節が痛み、頭もちょっと軋むような感じがして、あるいは新型コロナウイルスにでも掛かったかとちょっと思ったのだったが、段々軽くなってきたようだ。多分支障ないだろう。
  • 細かな雨降りの天候。今日は三時から二コマの勤務なので、二時二〇分過ぎの電車で向かう。
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  • 帰宅後にTwitterを覗いていると、(……)書店が閉店するという報せに遭遇した。驚愕せざるを得ない。あれほど素晴らしい品揃えの本屋が閉じなくてはならないとは、この世界は一体どうなっているのか?

 関東大震災が発生したのは1923年9月1日の昼前。東京と横浜の中心部がほぼ全焼し、約10万5000人という死者・行方不明者を出す惨事となった。突然の厄災に不安と怒りが渦巻くなかで、「朝鮮人が暴動を起こしている」「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が広まり、至るところで自警団などが朝鮮人を殺害した。「虐殺」と呼ばれるのは、無防備の相手を集団で取り囲み竹やりで刺す、火の中に投げ込むといった方法の残忍さのためだ。虐殺は1週間ほど続いた。
 この事態に対しては行政機関の責任が大きかった。警察は真っ先に流言を信じて人々に拡散させたし、戒厳令によって市街地に進出した軍隊の一部も、各地で朝鮮人を銃殺した。

 なるほど確かに、「朝鮮人暴動」を伝える当時の記事は無数に存在する。だがそれらは、震災直後の混乱期にあふれた流言記事として知られているものだ。当時、東京の新聞社のほとんどは焼失し、焼け残った在京紙と地方紙は被災者から聞き取った流言をそのまま書き飛ばしていたのである。その結果、朝鮮人関連以外でも、「伊豆大島沈没」「富士山爆発」「名古屋も壊滅」といった誤報が氾濫した。
 (……二段落省略……)
 実際には当時、殺人、放火、強盗、強姦の罪で起訴された朝鮮人は一人もいなかったし、武装蜂起やテロ、暴動の存在についても司法省や警視庁、神奈川県知事、陸軍の神奈川警備隊司令官などが否定している。朝鮮人の暴動をこの目で見たという証言も(震災直後の流言記事以外には)全く存在しない。