2020/4/7, Tue.

 やはり時計だった。机に寄って手探りにスタンドをつけ、正面の壁ぎわに置かれた小さな時計を取って、たまたま傍にあった分厚い文庫本の上に移すと、音はさっぱり止んだ。いまどきの軽便な時計だが、だいぶくたびれてきているので、秒針の運びが滑らかならず、チクタクという刻みを思わせる。耳にはよく近づけなければ聞こえぬその音が、すぐ下の抽斗が共鳴函となって増幅され、机から壁の内へ響いて、窓のほうから滴ってきたものと見える。それではなぜいつもいつも聞こえるというものではないのか、聞こえていてもなぜいつか止むのか、そこが訝しいところだが、おそらく天象、温度や湿度や気圧の、微妙な程合いによるのではないか、と考えた。寝床から起きあがると音は遠くなり、聞き取れぬほどになるのは、人体も空間の内の空間であり、そのちょっとした立居によって、部屋全体の、共鳴の調律みたいなものが崩れるのだろう。真っ昼間に身体の内まで時を刻む音が、あやしんで身を乗り出したとたんに止んだのも、机にかかる体重のわずかな変化のせいかもしれない。どうとでも取れる。とにかく時計を柔らかな物の上に置けば済むことで、これで眠りの妨げのひとつは解消されたのだから、由来はどうでもよろしい。
 それにしても、時計を本の上へ移したとたんに、まるで十年ぶりの静まりが夜の部屋を占めたように感じられた。この時計を机の正面に置くようになってからたしかに十何年、あるいはそれ以上の年月が経っている。その間、机も抽斗も部屋の空間も変わりがないので、秒を刻む音は毎日毎夜、四六時中、聞こえぬにせよ、耳から脳へ、脳から心臓まで伝わって、かすかに共振させていたはずである。初めのうちは時計も人もまだよほど壮健で、秒針の刻みも滑らかならば耳の神経も太くて、どうということもなかったのが、どちらも老いてくたびれてくるにつれて、時を受け止めて送るはずの時計が時に追い立てられ喘ぐようになり、時を押し返すはずの人の耳はどうかすると時に押し入られるままになり、両者[ふたり]して、せめて時の切迫を紛らわすために、雫の滴るような音を響かせあっていたのかもしれない。
 しかし軒も廂もある昔の家屋なら雨垂れの音は、聞いているとやるせない気持になることもあり、家の老朽を感じさせられもしたが、濡れた土や草木の匂いも漂って、道を行く人の足音もやわらかに伝わり、心を遠くへ、睡気へ誘う長閑さがあったのにひきかえ、コンクリートで固められて四角四面に剝き出しの空間に、どこからとも知れず滴る雫の音は、無機質であるばかりか、長閑のようで刻々と切迫して、長閑さの内にひそむ切迫そのもの、まともに耳をやっていたら、気の振れるほどのものではないか。知らずとは言いながら、よくも長年にわたって堪えたものだ。音の出所に思い至らなかったとは、迂闊なことだった。あるいは堪えられる限界まで来ていたのかもしれない。とにかく始末はついた。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、92~93; 「時の刻み」)



  • 昼寝の愉悦に堕罪してしまった。物凄く気持ちが良く、まさしく脳髄が痺れるような快楽である。まだ明るいうちに睡魔の誘惑に溺れるという怠惰は、何故あんなにも甘美なのか? 反して、毎日やって来る夜の眠りというもの、言わばメインであるはずの習慣的睡眠などは、ただただ退屈なだけだ。極めてつまらない。それは正しく、他人によって無理矢理に課せられた義務の持つ退屈さである。そのつまらなさを僅かなりとも紛らせ退けようとするから、寝床にあって詩句などを思い巡らしたりもするわけだ。
  • Mads Vinding Trio『Six Hands Three Minds One Heart』。開幕曲 "I Hear A Rhapsody"からして既に素晴らしく、充溢する力が籠っている。これはじっくりと腰を据えて聞くに値する演奏だ。メンバーはMads Vinding(b)、Carsten Dahl(p)、Alex Riel(ds)で、録音は一九九九年六月一七日、コペンハーゲンのJazz Houseにて。
  • Dee Dee Bridgewater『Live At Yoshi's』。高揚的な熱に満たされた、とても素晴らしいジャズボーカルのライブ。演者はDee Dee Bridgewater(vo)、Thierry Eliez(p / key)、Thomas Bramerie(b)、Ali Muhammed Jackson(ds)。一九九八年四月二五日から二八日にかけて録音、場所はカリフォルニア・オークランドのYoshi's Jazz Club。このクラブはYoshie Akibaという留学日本人が友人と連れ立って始めたとかいう話だ。Jack London Squareという広場に位置しているようなのだが、多分この付近にジャック・ロンドンが住んでいたのだろう。
  • そう言えば、ジャズに関連する事柄だと、Wallace RoneyとEllis Marsalisが新型コロナウイルスに起因する病で亡くなったらしい。数日前に新聞に訃報が載っていた。Ellis Marsalisはもう相当な歳だったはずなので、失礼ながらまあわからないでもないけれど、Wallace Roneyの方はまだそこまで高齢ではなかったと思う。あとはBill Withersも亡くなったらしいが、これはコロナウイルスが原因ではないようだ。
  • 夕食に、猪の肉をプレートで焼いて食らう。父親が床屋で貰ってきたものである。床屋の知人に猟友会の会長だかがいるらしく、分けてもらったのだがとても食べきれないからとお裾分けをしてくれた次第だ。電気プレートに乗せて火を通しているあいだ、肉の繊維内部からワインじみた色合いの血が滲[にじ]み出てきて、野性味があると言えばそうかもしれない。焼き上がったものを食べてみれば、不味くはないが身は結構固いし、びっくりするほどに美味いものでもない。母親がしてくれた下拵えもだいぶ大変だったようだ。居間には臭気が染みついただろう。
  • 緊急事態宣言が発令されたようだ。夕食のあいだ、テレビが首相の発表を流していたのだが、肉をじゅうじゅう焼く音で全然聞こえなかった。
  • ベッドで本を読もうとするものの、倦怠感に刺されて半ば眠ってしまう。しばらく意識を緩めて休んだあと、一一時半頃から書見に励んだ。最近は寝床に転がって安逸を貪りながら読むのが気に入りである。そうしていると必ず眠ってしまうからと、いつからか読書は椅子の上でする習慣に決めていたのだが、やはり臥位の方がよほど楽だ。眠ってしまったならば、それはそれで仕方がない。それにしても、日中よりも深更を越えて夜の底に入りこんでからの方が自分はだいぶ元気な気がするのだが、そのあたりやはり吸血鬼の種の末裔であるらしい。
  • 読んでいるのは講談社文芸文庫三島由紀夫『中世・剣』である。「中世」以外の作は記憶も印象もまったく残っていなかったのだが、改めて接してみると所によっては結構面白く、なかなか悪くない。やはり昔の作家なので――「剣」以外は戦後すぐの作品である――言葉選びの観点からして学べると言うか、物珍しく感じられて自分にも取り入れたいという意味で興味を覚える箇所がたくさんある。三島由紀夫こと平岡公威は一九二五年生まれ、ということはほとんど昭和とともに生まれ落ちたわけだ。ウィキペディアを見てみたところ、誕生日が一月一四日で驚いたのだが、これはこちらの生誕日と同じ数字である。『中世・剣』に収録された作品たちは、「剣」を除いては二五歳までに書かれ、「中世」などは早くも二〇歳で書かれているわけだが、何だかんだ言ってもそれはやはり凄いものだ。
  • Makoto Ozone Trio『My Witch's Blue』を流す。小曽根真Christian McBride、Jeff "Tain" Wattsのピアノトリオ。言うまでもなく強力無比。録音は二〇一二年五月一九日から二一日に掛けて。
  • 職場からメールが届いた。緊急事態宣言の発令を受けて、明日から五月六日まで休講だと言う。この一か月のあいだに本を読みまくりたい。
  • 日記は三月二四日分に取り組んだのだが、全然進まなかった。どうでも良いような細部に無闇にこだわってしまい、推敲して二項目足すだけで二時間ほど掛かっている。やばくない? もう少し気楽に、力を抜いて緩く書かなければ立ち行かないのは明白なのだが。
  • 四時には床に就きたかったが、今日は無理だと諦めた。どうあっても、寝る前に、僅かであっても本は読みたい。