2020/4/13, Mon.

 立ち停まると俄に夜になった。黒い雲が低く垂れて、細い雨が落ちてきた。それほどのぼった覚えもないのに、駅前の街の灯が足下の遠くに霞んで見える。もう片側を見あげれば、かなり建て込んでいたはずの高台が暗く繁る山に還り、木の間から灯がちらちらと顫えてのぞく。風も渡るようでその山の上のほうからなにやら、何人もの低く笑うとも咽び泣くともつかぬざわめきが伝わり、風の音か耳のせいかと目をやれば、繁みの間に落葉樹の大木が、先端を断たれて捩れた枯枝をわなわなと、天へ摑みかからんばかりに伸べる。その影があたりの暗さの中で白く浮き立ち、すでに火に炙られて立ち枯れた樹の、最後の悶えの、過ぎ去らぬ跡に見えてきた。頭上の雲は黒さにあまり赤味を帯びて感じられ、今日は十万人もの人間が一夜の内に焼き殺された、三月十日だった、と思い出した。
 しかし同じ三月十日でも、あの本所深川方面の大空襲は九日の夜半から十日の未明にかけてのことである。十日のこの時刻には見渡すかぎり無惨な焼跡が、おそらく至るところに遺体を隠したまま、これだけは平生に変わらず、夜へ沈んでいく頃になる。都内の遠い空まで赤く染まったほどの大炎上だったので、今頃は煤煙まじりの雨が降っていたかもしれない。あれ以来、当地の凄惨なありさまは日を追って、私の住まう西南部まで噂となって伝わり、それにつれて人の了見も変わり、隣組一致団結して防空にあたるなどいう考えも失せて、とにかく命あっての物種、危険がすこしでも迫ったら取り敢えず家を捨てて逃げることだとささやきあうようになり、その間に道路端の家屋の取り壊わしもすすみ、五月二十四日の未明に私の住まう一帯も炎上した時には、人の逃げ足もよほど速くなった。しかし私のところでは女子供三人、家に被弾を見るまで防空壕の底にうずくまっていたので、壕を飛び出して坂道を駆け下る時には、両側の家々は火を内にふくんで、白煙の立ちこめる路上には人影も見えず、大通りへ走り抜けたのは、あたりが一斉に炎上する直前の、間一髪の差であったようだ。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、181~182; 「孤帆一片」)



  • 二時二五分まで多大なる寝坊をぶちかます。昨晩は結局、三時半就床の目標を果たせずに終わった。
  • 午前中から灰色の雨降り。午前どころか、どうも前夜から降っていたようだ。結構な勢いで、激しいと言っても良いが、風はないらしい。
  • Fried Pride『Heat Wave』。Tuck & Patti型のデュオ。Shihoのボーカルは粘りが強く、暑苦しく押しつけがましいようで正直全然好きではないが、"Hush-A-Bye"だけは何故かわからないけれど嵌まっているような気がした。横田明紀男のギターは素晴らしい。ただ、時々添えられている付加的な打ちこみの類は一部半端で余計に感じられた。"Come Together"に入っていたものとか、安っぽくて格好悪い。こちらとしてはデュオでずっと通してくれた方が良かった。
  • "Howard Jacobson: rereading If This Is a Man by Primo Levi"(2013/4/5)(https://www.theguardian.com/books/2013/apr/05/rereading-if-this-is-man)を読む。何故かやたらと時間が掛かってしまった。「選別」を免れた信仰篤き(religious)老人Kuhnが神に感謝の祈りを捧げるのを目にしてレーヴィは憤慨し、彼の無自覚を詰って次の一節を書いている。"what has happened today is an abomination, which no propitiatory power, no pardon, no expiation by the guilty, which nothing at all in the power of man can ever clean again … If I was God, I would spit at Kuhn's prayer." その引用文に続けて評者が加えているのが、"It is a bitterly ironic thought, God spitting at a devotee's prayers, as though in such a place, where such crimes have been committed, it is a blasphemy to be religious. A blasphemy, too, even to think of pardon or expiation."というコメントだが、敬虔に宗教的であるということが、それこそがまさしく冒瀆と化してしまうという、この収容所特有のまったき逆説はやはり印象的だった。
  • 思ったのだが、やはりその日の自らの具体的な体験から出発してものを考えることが肝要だろう。形而下の環境と関係なく深遠な主題を容易に考え巡らし、さしたる苦労もせずに観念的な思考を展開させることのできる人間もきっといるのだろうが、自分は多分そういうタイプではない。何かのきっかけと言うか、足場となるべき参照点がやはり必要だ。月並みな言い方で定式化するならば、考えるべき事柄は常に目の前にあるということだろう。とは言え、「具体的な体験」のなかには当然ながら、書物やその他のメディアから取得した間接的な次元の情報も含まれる。そのような参照点、ある種の躓きの石と言うか、生活平面のなかにわずか迫り出した出っ張りのようなものを見つけることが肝心だ。そのために、一日のなかで折に触れてその日の記憶を振り返り、精査すること。精神の手指によって、人生の表面に刻まれた肌理の模様をなぞり、そこにある差異の手触りをまさぐること。つまりは反省ということだ――この「反省」に道徳的な意味合いは、第一義的にはまったく含まれていないが。反省をほとんど恒常的な認識機構、絶えることのない精神の労働と言うか、むしろ主体の存在様式として確立すること。これもまた一つの生の技法、Art of Livingというわけだろう。
  • アイロン掛け、のち、夕食の支度。ほうれん草を茹でるとともに、玉ねぎ・椎茸・卵を具とした味噌汁を作る。茹で上がったほうれん草は、両手で水気を絞り出して切り分けておく。
  • (……)
  • 今日は気温が下がったためか鼻水の分泌が盛んである。たびたび鼻を啜らねばならないし、くしゃみも結構よく湧いてくる。
  • 運動をした。左右の開脚、首から肩に掛けての柔軟、合蹠及び前屈。このあたりは毎日の習慣として確立するべきだろう。それ以上の負荷を掛けたトレーニングは、柔軟の習慣ができあがり根づいてからで良い。とにかく毎日わずかであっても身体を動かし、筋肉を温め和らげるという行為を生活に組みこむこと。
  • dbClifford『Recyclable』。おそらく名作と言ってしまって良いのだろうと思う。これほど洗練され入念に行き届いたポップ・ミュージックを生み出した才能が、それに見合った正当な評価を受けられないこの世界とは一体何なのか? 勿論、馬糞以下の碌でもない代物に決まっている。
  • 夕食時、夕刊。米国の死者数が二万人を越えたと。世界全体では一一万四〇〇〇人、感染者数は一八〇万人以上。ボリス・ジョンソンは回復したらしく、しばらくは別邸で休養だと言う。
  • テレビ。日本のことが大好きな外国人をこの国に招待する番組。折り紙が好きだというグアテマラの人が、布施何とか言う折り紙作家のもとを訪ねていた。紙を折って拵えたとはとても信じられないほどに複雑精緻な造型の作品を色々作っている女性なのだが、グアテマラの人が、独創的なアイディアを思いつくきっかけは何ですかと訊いたのに対して、折り紙が正方形であるという考えをやめたことかなと作家は答えていた。四角形ではなくて、何形という範疇にも当てはまらないような特殊な形の紙を使って作品を折り成すのだと言う。確かにそんな発想はなかったな、と思った。
  • Diana Krall『Live In Paris』。Diana Krall(vo / p)、Anthony Wilson(g)、John Clayton(b)、Jeff Hamilton(ds)、Alan Broadbent(music direction / conducting on 2,6)、John Pisano(ag on 4,6,9)、Paulinho da Costa(perc on 4,6,7,9)、Michael Brecker(ts on 12)、Rob Mounsey(key on 12)、Christian McBride(b on 12)、Lewis Nash(ds on 12)、Luis Quintero(perc on 12)。二〇〇一年一一月二九日から一二日二日に掛けて、パリのOlympia、すなわちオランピア劇場で録音。Tommy LiPumaプロデュース、録音及びミキシングはAl Schmitt、マスタリングはDoug Sax。Diana Krallを熱心に聞いてきたわけでないが、このライブ盤は結構好きだ。温くなくて、気持ちよく聞けると思う。リズムがJohn ClaytonとJeff Hamiltonなのでそれも道理だろう。ギターのAnthony Wilsonも良いし、Krall自身のピアノも悪くない。
  • ついでにDiana Krallの近年の作品について調べてみたのだが、最新作はTony Bennettと一緒に作った二〇一八年の『Love Is Here To Stay』のようだ。これはBill Charlap Trioをバックに据えたもので、リズムはPeter WashingtonとKenny Washington。まあ安定のコンビといったところだろう。その前は二〇一七年の『Turn Up The Quiet』で、ウィキペディアの情報を見てみると、参加ミュージシャンにJohn Clayton、Jeff Hamilton、Stefon Harris、Russell Malone、Christian McBride、Marc Ribot、Karriem Riggins、Anthony Wilsonなどといった名前が連なっていて、結構気にならないでもない。Stefon HarrisとかMarc Ribotとか、ちょっと驚く。さらにその前はDavid Fosterプロデュースの『Wallflower』(二〇一五年)で、こちらはChristian McBride、Karriem Riggins、Dean Parks、Nathan East、Jim Keltnerなどが参加しているが、David Fosterや後者三人の名前からすると、フュージョンあるいはスムース・ジャズ的な匂いがいくらか漂ってきそうな気配だ。さらに遡ると、Marc Ribotは二〇一二年の『Glad Rag Doll』に既に参加している。と言うかこのアルバムはプロデュースがT Bone Burnettで、演奏もしているらしいからやはりちょっと驚く。この人は確かBob Dylanをサポートしていたギターだろう。
  • Duke Ellington & John Coltrane』。Duke Ellington(p)、John Coltrane(ts / ss on 3)、Jimmy Garrison(b on 2,3,6)、Aaron Bell(b on 1,4,5,7)、Elvin Jones(ds on 1-3,6)、Sam Woodyard(ds on 4,5,7)。録音は一九六二年九月二六日、Van Gelder Studio。開幕、"In A Sentimental Mood"の初っ端から、Elvin Jones以外の何者でもないドラムの音が耳に入ってきて笑う。
  • 『Elis Regina In London』。一九六九年五月六日及び八日に録音。素晴らしい。最高。至宝。
  • Esperanza Spalding『Emily's D+Evolution』。Esperanza Spalding(vo / b / p on 10,12 / bass synth on 12)、Matthew Stevens(g)、Karriem Riggins(ds on 2-5,7,8,10 / perc on 9)、Justin Tyson(ds on 1,6,11,12)、Corey King(synth on 6 / tb on 8 / key on 12)などの演奏。SpaldingとTony Viscontiによる共同プロデュース。録音月日ははっきりしないようだが、リリースは二〇一六年三月四日、Concord Recordsから。さすがにかなり尖った音になっている。
  • もう少し堂々と、悠然としたような物腰や声色を身につけたいとは思う。やはり世間というものにさほど揉まれてこなかった人間なので、どうもふとした瞬間に、まあ何と言うか、未熟さのようなものが滲み出る気がする。と言って、そこまで幼稚な歳の取り方をしてきたわけでもないとは思うが。
  • 日記は三月三〇日分に相変わらずかかずらう。二時間以上掛かっている。文を書くという行為はまったくもって骨が折れる。端的な苦労だ。二時前に至ってようやく仕上がったのだが、結局三時間以上も注いだわけで、これでは阿呆ではないか? まあ結構力を籠められたとは思うけれど――充実感はわりあいにあると言えばある。風邪を引いたかのように鼻水とくしゃみがやたらと湧くので難儀した。
  • 蓮實重彦『小説論=批評論』(青土社、一九八八年)の読書は、一九七四年に「日本読書新聞」上で連載された文芸時評に入っている。そこでは戸井田道三という人の「高野・吉野紀行」がそれなりに評価されている。初めて知る名前だが、民俗学的な評論や能や狂言についての文章を主に書いた人らしく、『戸井田道三の本』という筑摩書房が出したシリーズ四巻は今福龍太によって編纂されているようだ。また、宮原昭夫という名前も初見。「どっこいしょ・えいじゃー」について蓮實は、「これは、変身すべきものが不在の変身譚であり、日常と夢とがともに曖昧についえさる現代の幻想小説である。鳥類や小動物に喰い荒された比喩の領域の向う岸に、言葉そのものの幻想性を投影してみせた宮原昭夫の文章体験には、批評へと人を馳りたてる何かが確かに装塡されているように思う」(193)と評を述べている。この人は一九三二年生まれの作家で、七二年に芥川賞を受けたらしい。ウィキペディアの記事によれば、村田沙耶香を育てたとかいう話だ。
  • 時評ではまた、柄谷行人を手厳しく批判している。「よりよいこと[﹅6]を書こうとしてありうべき「文学」を夢想し薄められた言葉の酷しさに浸りきっているのが、柄谷行人森鷗外論「歴史と自然」(「新潮」)であろう」(196)と言うのだが、要は、柄谷は自分で気づかないうちにカミュやマルローやロラン・バルトの言っていることを貧しく反復しているに過ぎない、という趣旨のようだ。のちには何度か濃密な対談を交わしている両者なのだが――もっとも、多分九〇年代の半ばあたりから二人は言わば「決別」したようだし、『ユリイカ』の蓮實重彦特集号(二〇一七年一〇月臨時増刊号)冒頭のインタビュー(聞き手・構成=入江哲朗)では、「特に柄谷さんとは、何度も対談しましたけれども、大筋では合意しえても肝心な点で話が通じたと思ったことは一度もなかった」(16)と蓮實から見た両者の関係が振り返られている。
  • ついでに同インタビューを瞥見していて目に留まった発言を引いておこうと思うが、まず一つには、「これはわたくし自身の当時の違和感でもあるのですが、あのころの批評家たち、すなわち柄谷さんや、ひとつ下の世代の渡部直己さんなんかも、みなさん批評家がいちばん偉いと信じていた。ただ、わたくしはそんなことを信じてはいなかった。あの「近代日本の批評」でも、批評史のようなものはわたくしも論じましたけれども、批評家が小説家よりも偉いと思ったり言ったりしたことは一度もありません。ですが討議のなかでは、たとえば川端康成が非常に低い地位に置かれている。たしかに川端には優れていないところもあるけれども、どれほど下手な作家であっても、やはり批評家よりは偉いはずではないかという気持ちを、わたくしは最後まで捨てきれませんでした」(29)というスタンスが興味深い。
  • また、「(……)デリダはどう見ても、文学とは無縁の人じゃないですか。デリダに文学が読めるとはとても思えない。そしてわたくしは、文学とは無縁だからデリダは偉いという立場には決して立ちません。文学がわからないことはやはりデリダの弱みであり、にもかかわらず人びとは、あまりに簡単にその弱みを見逃してしまい、デリダを都合良く自分の立場のほうへ引き寄せている。それはいくらなんでも話が違うだろう、というのが、わたくしの言いたいことです」(30)ともある。
  • さらに、「わたしくも、ブランショが偉いということがどうしてもわからない。『カフカ論』のようなモノグラフィーは別ですが、時評家としての彼が何らかの作品を論じているとき、こいつ絶対に原典のテクストを読んでいないぞ、このテクストをめぐる批評だけを読んで書いているぞというのが見え見えなのです。わたくしはデリダが嫌いとは絶対に言いませんけれど、はっきり言ってブランショは嫌いです」(31)と率直に語っているのには笑う。
  • ほか、「表象というのは、それ自体としては絶対的な悪なのです。なぜなら、あたかも善であるかのような思考を周囲に煽りたてるからです。しかしながら、それが悪だからという理由で悪について語ることをやめてしまうと、人間は表象からも言葉からも遠ざけられてしまう。ゆえに、我々は表象からは逃れられないということをまずは認めなくてはなりません。ただし、表象だけに乗っかって仕事をする人たちには、やはり疑いの目を向けるべきでしょう。表象は表象でしかない一方で、言葉は言葉でしかないわけではありません。言葉とは何かというのは大いなる謎なのです。ただ、表象というものを言葉から類推することはできる。ですから表象のほうが簡単だと言えますし、表象にのみ寄りかかっている人びとは、「悪」というよりは愚かだということになるでしょう。もちろん、おっしゃるように映画は表象のメディアですから、愚かなものでしかありません。その愚かさをどこまで貫きとおせるかということこそが問題なのだと思います」(35)という発言など。それに続く「では「表象文化論」は……?」という入江の質問に対しては、「「表象文化論」という言葉は、それ自体としては何ら積極的なものを担っておりません。すなわち、あくまでも「表象文化論」という言葉が問題なのであって、この言葉が示す意味内容などどこにも存在しない。存在しないからこそ面白いんじゃないでしょうか?(笑)」と煙に巻くように応じていて、これにも笑う。
  • 『小説論=批評論』の時評に戻ると、「ユリイカ」の大江健三郎特集に触れて、「「批評」が「作品」より何層倍か貧しいという事態は、唯一の現実たる「作品」から目をそらせる読み手が、作者の内面[﹅2]だの思想[﹅2]だのと戯れながら、「作品」に遅れて進む不幸を、願ってもない「批評家」の特権と思い違えてしまう点に由来している」(201)と書かれているのだが、ここに記された「唯一の現実たる「作品」」という言葉など、言うまでもなく、『「ボヴァリー夫人」論』において提示された「テクスト的な現実」の概念と四〇年の時を越えて遠く響き交わすもので、蓮實重彦という批評家は本当に、その根幹的な部分ではほとんど頑迷とも言うべき一貫性でもって変わっていないのだなと思う。
  • それと同じ月の文章のなかでは、青木八束という人も相当好意的に評価されている。「津和子淹留」という作品が、「まやかしの平和が支配する言語領域に、ひときわ異形の相貌におさまった刺激的な作品がある」(202)と取り上げられ、「その滑稽で真摯な、また弾みながらも断絶する苛だたしい言葉の相貌ゆえに、「作家」と「作品」が、「読者」と「文学」が奇妙に行き違ってしまうが故に、この上なく刺激的なのだ」(203)と称賛されたのち、「「津和子淹留」は積極的に曖昧な負の傑作である」と結語されているのだ。青木八束というのも初めて見る名前だったが、この人は田村孟[つとむ]という映画監督もしくは脚本家と同一人物で、大島渚作品の脚本を書いたりしていたらしい。
  • 続いて出てきた初見の名前は古山高麗雄で、この人も芥川賞作家だ(一九七〇年受賞)。ウィキペディアによれば、「『季刊藝術』誌では、音楽を担当する遠山一行、文学を担当する江藤淳、美術を担当する高階秀爾と共に、編集長として同人を組んだ」と言う。中上健次とも交流があったようで、彼が芥川賞を獲ったあとに文壇バーの会合で乾杯の音頭を取ったとかいう話だ。その古山高麗雄の「夫婦半生」について蓮實は、「その描写の妙に居心持の悪いありさまによって「季語的修辞学」を超え、いかにも捉えどころのない相貌をかたちづくって読者をまどわす」(206)と述べ、「この作品は、おそらく、ここ数年来発表された日本小説の中でもとりわけ難解な[﹅3]小説であり、しかもその難解さが作者の途方もない杜撰さからくるものなのか、緻密な計算からくるものなのか見当もつかない」と興味深い評価を記し、「この小説は、物語と語る行為の相互逸脱ぶりからして、かりにたやすく作家の意図が理解できても、「作品」の相貌をくまなく触知しつくすことは不可能だという意味で、「日本的な、情緒的な」雪の光景にもかかわらず、どこかボルヘス的な時間錯誤の旅へと人を誘いもする」(206~207)とさえ分析している。