2020/4/27, Mon.

 でも退院したあと、僕はほとんど眠れなくなってしまったんだ。三週間のあいだ、僕は夜眠ることをやめてしまった。というのは、眠りにつくのがすごく怖かったからだ。眠ると、必ず夢を見た。必ず見る。それもいつも同じ夢だ。誰かがやってきて、大きなハンマーで僕の頭をがつんと叩く。そんな夢だ。
 でもその夢はとても不思議なんだ。最初そのハンマーはすごく硬くて、痛かった。しかし毎日毎日それがだんだん柔らかくなっていくんだね。少しずつその衝撃は弱くなっていく。そして最後の頃には、叩かれても、まるで枕で打たれたような感じしかしなくなっていた。
 (村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫、一九九九年、329; マイケル・ケネディー; 当時六三歳; アイルランド人の元騎手)



  • 一時過ぎまで寝過ごしたため、肉体が重く固い。鈍重に凝[こご]っている。
  • 大雨である。午後の早い段階で室内は既にかなり暗く、そう遠くもなさそうな空間で巨大な雷も頻々と落ちる。英語では雷に対してrollという語を合わせるわけだが、聞けばなるほど確かに、オリュンポスの神々でも乗っていそうな伝説上の車輪じみた甚大な衝撃が、例えば山の樹々などを巻きこんで進路を遮るものどもすべてを薙ぎ倒しながら転がってくる、そんな風な響きだ。
  • Sさんのブログを、大変久しぶりのことで正式に読む。一応たびたび覗いて瞥見はしているわけだが、正式な読書の時間として触れたということだ。信じがたいことに、昨年の一二月二九日の記事までしか読んでいなかった。四か月も放置してしまったのだ。
  • 肉体がひどく凝り軋んで難儀に苦しんだので、ベッドに転がり脹脛をひたすら揉みほぐしながら長く書見する。そのおかげで、夜には身体はだいぶ軽くなった。シェイクスピア/野島秀勝訳『ハムレット』(岩波文庫、二〇〇二年)は読了。しかしメモはまだ取り切れていない。取り切れていないうちにシェイクスピア安西徹雄訳『十二夜』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)を続けて読みだしたところ、この喜劇がとても面白い。飲んだくれと小間使いのやりとりとか道化の台詞とか軽妙なことこの上なく、とても小気味良くて笑ってしまう。シェイクスピアの筆さばき、跳ね回り躍動するその言葉の軽やかなひょうきんぶりは、かなり冴えているように感じられる。構造と言うか、言語の意味論的推移の仕方としては今でも充分通用するコントになっていて、おそらく現代の漫才師などにとっても学べることは多々あるのではないか。翻訳文もその軽快さを活かし尊重したものと思われて巧みに簡易であり、片仮名の擬態語が多く使われている点や、小文字の片仮名が用いられている点など、軽すぎると難じる向きがあっても不思議ではないが、こちらとしては上手く嵌まっているように思う。「覚悟ってほどじゃねェけど、二道かけてりゃ、ま、いずれ、何とかなるさ」(34)に見られる「じゃねェけど」とか、こちらはこういう書き方を一度もしたことがないと思うので、新鮮に響き、何となく羨ましいと言うか自分でも使ってみたくなる。
  • Christian McBride『Conversations With Christian』。二〇一一年一一月八日リリース、Mack Avenueから。McBrideが一曲ごとに違うゲストを招いて共演したデュオアルバム。大変充実していて良い。McBrideが弾いていながら充実していないことってあまりない気がするが。聞きやすく馴染みやすい音楽でもある。
  • ようやっと書抜きをすることができた。 J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』(法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年)である。しかし途中ですぐに億劫になってしまい、やめようかとも思ったのだが、代わりにひとまず別の本をやるかというわけで、三島由紀夫『中世・剣』(講談社文芸文庫、一九九八年)の書抜きもした。
  • 「常徳院殿足利義尚は長享三年三月廿六日享年廿五歳にして近江国鈎里[まがりのさと]の陣中に薨じた」(8)――「薨[こう]ずる」の読みがわからなかった。

 文正元年(1466年)9月、[伊勢]貞親は義視に謀反の疑いありと義政に讒言し義視の排除を図った。しかし義視が細川勝元の邸宅に駆け込み救援を求めると、勝元は山名宗全と結託して義政に抗議し、これにより貞親は失脚し京を去った(文正の政変)。これにより義視の将軍就任も間近と思われたが、やがて宗全は幕政を牛耳ることを目論み、畠山氏の家督をめぐって畠山政長と争っていた畠山義就を味方に引き入れ義就に上洛を促した。義就と宗全は御霊合戦で政長を破ったが、政長に肩入れしていた勝元が反撃を開始し応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発した。陣を構えた場所から細川方を「東軍」、山名方を「西軍」と呼ぶ。勝元の要請に応じ義政は東軍に将軍旗を与え、西軍を賊軍とした。これにより東軍は正当性の面で優位に立ったが、大内政弘が入京すると西軍は形勢を盛り返し戦局は膠着状態となった。

  • 長享・延徳の乱の発生及び各地で起こった一揆への対応について。

 応仁の乱後、下克上の風潮によって幕府の権威は大きく衰退してしまった。義尚は将軍権力の確立に努め、長享元年(1487年)9月12日、公家や寺社などの所領を押領した近江守護の六角高頼を討伐するため、諸大名や奉公衆約2万もの軍勢を率いて近江へ出陣した(長享・延徳の乱)。高頼は観音寺城を捨てて甲賀郡へ逃走したが、各所でゲリラ戦を展開して抵抗したため、義尚は死去するまでの1年5ヶ月もの間、近江鈎(まがり・滋賀県栗東市)への長期在陣を余儀なくされた(鈎の陣)。そのため、鈎の陣所は実質的に将軍御所として機能し、京都から公家や武家らが訪問するなど、華やかな儀礼も行われた。(……)
 長享2年(1488年)[3]、改名して義煕と称する。同年には、加賀一向一揆によって加賀国守護の富樫政親が討ち取られた。政親は長享・延徳の乱では、幕府軍に従軍していたこともあり、義尚は蓮如一揆に加わった者を破門するよう命じるが、細川政元にいさめられ、蓮如一揆を叱責することで思いとどまった。文明17年(1485年)に京がある山城国で起きた山城国一揆についても、ただちに武力鎮圧しようとはせず、むしろ一定の権限を認めた。

  • 「人物・逸話」の項目には、「美しい顔立ちから「緑髪将軍」と称された」とある。「緑髪[りょくはつ]」という語をそこで初めて知ったのだが、Weblio辞書のページに載っている「実用日本語表現辞典」によれば、「艶々としたうつくしい黒髪を指す語。「りょくはつ」と読まれる。「みどり」の語には「みずみずしさ」や「つややかさ」などの意味合いが込められることも多い」とのこと。
  • 「義尚の訃に接して廿日の後、義政の前へ出た霊海はこの人の悲しみがより遥かな場所から来ているのを知った。臆せずに禅師は云う。「恐れながら義政公には未だ度脱召されぬそうな」」(8)――「度脱」がわからなかった。コトバンク・「精選版 日本国語大辞典」曰く、「仏語。煩悩の迷いを脱して、悟りの彼岸に到ること」。霊海に応じる義政の返し、「其許は月に向って星の言葉を使うておる。月には月の言葉で話すものではあるまいか」の「其許」も初見だったが、「そこもと」と読むようだ。武士が使う二人称だと言い、「そなた」と大体同じニュアンスらしい。
  • 「当時の京師[けいし]にただようたきらびやかな頽唐の薫について、語り得る人がどこにあろう。美のいかなる片鱗も予兆以外のものではなく、(洵[まこと]に予兆が美の凡てであった、)西空に立つ夕栄えの美しさが少しでも甚だしいと、人々はこれを仰ぐや畏怖悚懼[しょうく]して祈るのだった」(8~9)――「京師」が初見。「《「京」は大、「師」は衆で、多くの人たちの集まる所の意》みやこ。帝都」(https://kotobank.jp/word/京師-488591)とのこと。Wikipediaには「東アジアなど漢字文化圏で帝王の都のこと」とあり、朝鮮やベトナムに対しても使われたようだ。「頽唐」は「頽廃」と同じような意味だろうとはわかるものの、これも初見ではある。「唐」の字には、むなしいとか、空っぽ、中身がない、無内容、というような意味が含まれているらしい。「悚懼」も初見。おそれおののくこと。「悚」なんていう字は普通にものを読んでいても目にしたことがない。「懼」の方はまだ見かける。と言うか、森鴎外の『高瀬舟』に「疑懼」という語が出てきたのを覚えているのだが、この小説は中学校の二年生だか三年生だかで扱う話で、塾で読んで教えたので記憶に残っているのだ。
  • 「雨降る日は屋根漏る雨滴をながめて禅師はすごした。おそらく霊海は大閻浮提[だいえんぶだい]が一滴一滴融落してゆく物音をきいたのだ」(9)――「閻浮提」に初めて触れる。勿論仏語。「Jambu-dvīpa」なるサンスクリット語の音写と言う。「古代インドの宇宙説において世界の中心とされている須弥山 (しゅみせん) の南方に位する大陸で,四大洲の一つ。(……)インドの地形に基づいて考えられたが,のちにはこの人間界全体をさすようになった」(https://kotobank.jp/word/閻浮提-38362)旨で、「ジャンブ樹jambuすなわちフトモモの木rose-apple treeの繁茂する島(ドゥビーパdvpa)の意」ともある。
  • 「――そこには蒼ざめた美しい少人がすわっていた。そして禅師を一ㇳ目みると嗚咽して顔を得あげなかった。「御身は死ぬ覚悟とみゆる」 菊若をいたく駭[おどろ]かせつつ、莞爾として霊海は云った」――「少人」は衆道・男色における弟分のことで、「若衆」とおおよそ同義のようだ。「得あげなかった」も、普通はと言うか、いま使うとしたら「上げ得なかった」と言うだろう。この位置に置かれる「え」はおそらく古文由来の用法である。昔の文学ではそこそこ使われたようで、「得上げず」で検索すると徳田秋声とか国木田独歩とかの文が出てくる。「莞爾」は石原莞爾の名前でお馴染みだが、意味をあまり正確に知らなかったので調べてみると、にっこりと微笑む様子とのこと。
  • 手の爪が伸びていて、指先に引っかかる固い感触がとても鬱陶しかったので処理をした。かたわらBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を流したのだが、"Alice In Wonderland (take 1)"はまったく最高である。この世界の歴史における最高の音楽の一つだ。死ぬまで聞ける。それから日記を書いている最中にも"All of You (take 1)"が流れ出して、意識をそちらに持っていかれたので目をつぶって耳を傾けたところ、この演奏の推進性と言うのか、平たく言って音楽の流れ方、その堅固さ定かさ、あるいはドライブ感、そういったものはやはりとてつもない。これ以上なく、〈前に進んでいる〉という感覚。三者が一所に集中し一つの塊となって前進するのではなく、てんでばらばら勝手にやりつつある種不統合なままにと言うか、「混沌」という語をやはり使うべきなのか、とは言え融合的に混ざりきることはなく、一つの形一つの模様を形成しないまま、ひどく強力な勢いで一瞬ごとに眼前の時空を呑みこむようにして推し進んでいく、そんな印象がある。


・作文
 14:22 - 14:28 = 6分(27日; 詩)
 26:23 - 26:46 = 23分(27日)
 26:59 - 28:09 = 1時間10分(27日; 7日)
 計: 1時間39分

・読書
 14:36 - 14:57 = 21分(日記; ブログ)
 14:59 - 15:18 = 19分(ブログ)
 15:56 - 17:26 = 1時間30分(シェイクスピア: 310 - 388)
 17:41 - 20:08 = 2時間27分(シェイクスピアハムレット』: 388 - 414, 131 - 204 / シェイクスピア十二夜』: 9 - 56)
 24:44 - 26:21 = 1時間37分(ヒリス・ミラー、書抜き; 三島、書抜き)
 28:14 - 28:47 = 33分(シェイクスピア十二夜』: 56 - 78 / シェイクスピアハムレット』: 204 - 219)
 計: 6時間47分

・音楽