2020/5/15, Fri.

 暗くはあったが、カンポ・マルツィオの曲がり角で彼はすぐに彼女の姿を見分けることができた。動く影を見れば、それが彼女だとわかるほどになっていた。それは、振動もリズムも伴わない動きであり、やさしくなめらかに運ばれていくような歩き方だった。(……)
 (イタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』白水社、二〇〇二年、15)



  • 午後三時まで一〇時間にも及ぶ多大なる寝坊。仕方ない。そうしてしまったからには、それはそうしてしまったということでしかない。苛立ちはないし、焦りもない。生き急ぐのはやめだ。日記もだいぶ溜まってはいるが、この先ずっと記述が現在に追いつけなかったとしても仕方がない。そのままこちらが死んだとして、メモのままで、あるいは空白として残れば良いことだ。その日にできること、やりたいこと、やるべきこと、やらなければならないこと、それらの相互浸食的なアメーバ状の力場のなかに身を委ねれば良い。つまりは生きて死ぬということ。この前後には「ただ」も「だけ」もつける必要はない。生きて死ぬ、もうそれで良いだろう。急いだり焦ったりするのは面倒臭い。
  • 天気は白曇りで、そこまで蒸すでもなくて比較的過ごしやすい。
  • 「英語」と「記憶」の復読をすることができた。BGMはOscar Peterson, Joe Pass & Niels-Henning Ørsted Pedersen『The Trio』及びOve Ingemarsson『New Blues』。Oscar Petersonという人はそれはもう凄くて、明朗さの権化みたいなピアノだが、しかしその饒舌ぶりが極点で瞬間、かすかに苦いような嫌味に転じることもまったくないとは言い切れない。テクニカルな奏者なら誰にもつきまとうと思われる問題で、ギターだと例えばBireli Lagreneがより強くそういう傾向があるような気がする(とは言え、Lagreneの演奏はもう一〇年ほどは耳に入れていないはずなので、いま聞いたらどう感じるかわからない)。つまり途方もなく高度な名人の芸が、芸としてかえって品の良さの範疇を超脱してしまいかねないということで、しかしそうは言ってもPetersonはやはり聞いていて楽しいことには間違いないのだけれど。Ove Ingemarssonという人はスウェーデンのサックスで、音読するかたわらちょっと耳に入れた感じでは、ブロウのラインが単純に流麗で、よく整っていながら音質も骨太で力強く、かなり充実した方面の人なのではないか。
  • 夕食の準備。茄子と牛肉を炒めようと思っていたのだが、上がっていくと、茄子だけで焼いたと母親。フライパンの前に入れ替わって立つ。鍋では人参が湯搔かれており、牛肉は玉ねぎと炒めようと言って母親が野菜を切りはじめ、それをこちらがもう一つのフライパンで調理する。合間、母親の職場の話。例によって「クソガキ」のことで、その子は「猫がマーキングしたような」臭いがするのだと言う。だから親が多分、洗濯などもきちんとしていないのではないかと。また、今日はその子の誕生日で、皆でお祝いして所長がプレゼントを渡したところが、そうされても子供は何だかぽかんとしたような感じで、「ありがとう」という礼の言葉を口にしないのだと言う。母親にはそれが不思議だったらしく、その子の発言を促すような意味合いもあって、自分が代わりに「ありがとう」と口にしたのだが、そうしても子供は礼を言わない。やっぱり親が、いただきますとかごちそうさまとか、そういうのも言わないんだろうねと推測を述べるのでこちらも、そもそもそういう風に、誰かに何かをしてもらったりものを貰ったりして感謝を伝えるという経験がいままであまりなかったのではないかと憶測した。その子供は小学校三年生で弟も一緒に通っており、そちらは小二だと言っていたと思う。この兄弟はわりと問題児と言うか手が掛かるほうらしく、小三の兄はとにかくすぐに手が出て友だちを殴ったり蹴ったりするとかで、ADHDっていうやつかもしれないと母親は漏らす。ADHDと呼ばれる発達障害についてこちらは何も知らないので、その子がそういう風に鑑別されうるのか否かもわからないものの、自分の体験を思い起こして、まあでも小三くらいだったらわりと普通に殴ったりはするよ、俺もやったりやられたりしてたもん、とは言っておいた。実際、ちょうど小三か小四の頃だったと思うのだが、S.Tという近くの家の同級生とよく遊んでいたところ、そいつがそこそこ粗暴なやつだったので殴られたりとか肘打ちをされたりとかしてこちらは泣き、両親もしくは母親に訴えたと言うか、別に明確に訴え出たわけではないのだがたぶん帰ってきて消沈したような顔をしていたのだろう、何かの拍子にそれが明るみになってたしか親の前でも泣き、それでTの親に申し入れをしたのかどうだったか、それとも学校の担任のほうに伝えられたのだったか何だったか忘れたけれど、そういう出来事があったのを記憶している。ついでに言っておけばいくらか暴力を伴った同級生とのじゃれ合いというのは小五か小六くらいまでは続いたはずで、その頃クラスメイトになったK何とか言う女子(Yだったか?)とも、おそらく頻繁にではなかったと思うが、戦うことがあったような覚えもある。あと中学校に入って以降にこちらが働いた暴力の例としては、中二だったか中三の頃に、A.Sという同級生がおり、この男子とこちらは結構仲が良くて同じゲームをやったり――例として覚えているのは「ゲームボーイアドバンス」(当時の最新の携帯ゲーム機である)のソフト『マジカルバケーション』と『ロックマンエグゼ』で、とりわけ後者はだいぶ熱中していたようで、たぶん小六の年ではなかったかと思うけれど、A.Sとほか三人ほどと一緒に電車を乗り継いで幕張メッセまでイベントに出かけた記憶もあるのだが、アニメやゲーム方面のイベントなるものに参加したのはあれが最初で最後だ――相手の家によく遊びに行ったりもしていたのだが、そのA.Sがある日、こちらの筆箱を取って隠すか、あるいは仲間と協力してこちらに奪い返されないように確保してふざけたという出来事があって、一四、五歳になって多少の自我意識も芽生えていたこちらは、クラスメイトたちがその年齢に至ってもそのような幼稚な戯れをやめない事実に普段から軽蔑と嫌悪を感じており、また同時にそういう風に彼らを見下す自分はまだ充分に成熟していないのだと考えて自己嫌悪に陥るという、いかにも頭でっかちの中学生といった感じの自意識作用を働かせていたのだけれど、そういう屈託もあって件のA.Sに対してはそのとき思わず本気でぶち切れてしまい、彼の腹を殴ったり、その顔を窓ガラスにしたたか打ちつけたりして痛みを与えたのを覚えている。
  • 食事の支度を終えると夕刊を取りに外へ。すると道の向こうから二人の人間が歩いてきて、一人は女子、もう一人はその母親らしい。ポストから夕刊を取って紙面を見下ろしつつ戸口に戻ると一度なかに入ったのだけれど、その際、視界の端にちらりと見えた女子の姿がどうも(……)さんらしく認識されたので、もう一度扉を開けて出て、我が家の前を通りかかったところに、(……)さんじゃん、と笑って声を掛けた。こんにちはと挨拶し、犬を連れたお母さんの挨拶にも、いつもお世話になっておりますと応じる。いま休みなんですかと訊かれるので肯定すると疑問の素振りが返るので、まあ明日から、あの、対面授業って言うんですか、一応再開で、と言うとふたたび、えっと返る。いま、オンラインでやられてますかと訊けばそうだと言うので、明日から一応、希望した方のみで、まだ土曜日だけなんですけど、対面授業も再開するっていう、一応そういう方向になってますと説明した。そんなこと、全然聞いてなかったとお母さんは漏らすので、なので、もしよろしかったら……とこちらが続けかけたところに(……)さんが、いやいいですいいです、と大きな声で挟み入ってきたので笑い声を共有し、わかりましたと受けて別れた。
  • それで居間に戻って、(……)さんだったと母親に報告したのち緑茶を用意していると、インターフォンが鳴った。出たところが、しかし何の反応もない。何だろうと玄関に出て扉を開ければTさんが立っていたので、おばさんか、と笑いかけた。Cちゃん、いないの、と言うのでいますよと受けて母親を呼び、改めて見ればTさんは醤油のボトルを一つ持っていて、ほうれん草を貰ったからその礼だと言う。で、出てきた母親はおばさんに、いまお父さんの帰りが早くて、休みの日も多くて、ほら、いま流行ってるでしょ、ウイルスが、それで休みが続くこともあってね、だから夕飯の支度を早くしなきゃならなくて、とどうでも良いことを話す。これは愚痴に当たるものなのか、それとも自分は忙しいのだということを暗に伝えたかったのか、あるいは頑張って生きていることをアピールしたかったのか、一体どのような非自覚的意図が母親のうちに働いていたのか、それは不明確だ。Tさんは、牛乳屋の領収書が間違って入っていて一か月余分に払ってしまい、それでいま牛乳屋に文句を言ってたんだよというようなことを、時折りいくらか言葉に詰まりつつ話した。それに対して母親が、うちは上の(……)さんなのよと言うと、領収書、いま、ある? ちょっと見せてくれる? とおばさんは要求し、母親がそれを取りに行っているあいだにこちらは顔を寄せ、でも、文句を言えるくらい元気ってことだから、いいことだよと告げた。するとTさんは、顔を合わせると毎回そうなのだが、まあ、あんたは本当にいい男だねえと褒めてくれ、続いて、色が白いねえと肌着のシャツから出た腕を見て言うので、貧相なんだよとこちらは笑った。
  • Tさんはたぶん立っているのがちょっと大変だったのだろう、座らせてもらっていい? と言うので、玄関内の腰掛けに導いた。それで領収書を見てもらったあと母親が缶コーヒーを差し上げて別れ。玄関外の短い階段を、手すりを掴みながら一歩一歩下りていくのに、気をつけてと声を掛けながら見守り、戻ると母親がヨーグルトを差し出しながらこれもあげてきてと言うのでふたたび外に出て、隣家の勝手口へと階段を下りる途中だったTさんに、おばさん、と声を掛けた。三回目で老婆は振り向いた。それでヨーグルトをあげると言うと、じゃあこれは返すよと缶コーヒーを渡してくるので、いやいやいいんだと押し留め、それから互いにあげようとしあるいは返そうとするやりとりがちょっとあったのち、こちらは顔を寄せて、いまウイルスが、コロナウイルスが流行ってるでしょ、だから、かからないように、よく食べて、よく飲んで、元気でいられるように、ね、と説得したところこれが通じて、Tさんは礼を言いながら両方とも受け取ってくれたので、それで別れて家に戻った。それにしても、贈与を成立させるためにうまく口が回ったもんだなと思った。上のように相手を慮る善意の形をまとった説得の言を、別に打算的に言ったわけではなくわりと普通に本心のつもりで口にしたのではあるのだが、それにしても自分にしては、よくとっさにそういう言い分が出てきたなと思った。
  • 過去の日記の読み返し。二〇一四年六月三〇日月曜日。「目ざめるとからだがかたくて、深く息を吸うと心臓が痛かった」と始まっている。今現在は心臓が痛むということはなくなった。心臓神経症は消失したと言って良い。入浴中も「熱にやられて出ぎわに胸が苦しくなった。鼓動がはやくなって心臓が引っぱられるようで、立っていられないかと予感したけれど意外と大丈夫だった」と書いているが、このようなことももはやない。書物はJ・J・アルマス・マルセロ『連邦区マドリード』を読んでいる。この小説も当時は何だかよくわからなかったと思うけれど――実際、日記本文から下にスクロールしていくと欄外にこの小説の感想が書きつけられていたのだが、そこでは「まず冒頭を一読したときに感じたこととしておぼえているのは、よくわからないということ」だったと漏らしている――いま読み返せばきっと色々と面白いことが見つかるだろう。ついでにその感想文の後半を引いておく。読んでみて感じたのは、え、二〇一四年のくせに、俺、意外とそこそこ読めてない? という驚きで、いわゆる「信用出来ない語り手」とかいうどうでも良い文学的用語にやすやすと拠っている点などはちょっと気にならないでもないものの、この小説における情報の重層性を見極めて、「二重の「信用出来ない語り手」の存在によって、物語のどこまでが真実でどこまでが虚構なのか判然としなくなる。こうした仕組みのなかにおいてこそ、アダの復活をめぐる非現実的な挿話が存在できる」というところまで繋げているのはさほど悪くはないし、それほど多くはないけれど作中の具体的な文言を例示として、あるいは要約の一部としてしっかり引いている振舞い方などやはり意外だと言うか、この時点で既に作品内の言語にきちんと依拠しようという志向が観察され、本質的にはこの頃からいままで作品への向き合い方は変わっていないのでは? ともちょっと思う。このような身振りを身につけたのは、おそらくはやはり蓮實重彦からなのだろう。読書記録を見返してみると、二〇一三年九月後半の時点で既に『柄谷行人蓮實重彦全対話』(講談社文芸文庫、二〇一三年)を読んでいる。まあこれは対談集で逐一テクストに拠って作品を分析するようなものではないので措くとしても、そのあと二〇一四年四月冒頭には蓮實重彦『絶対文藝時評宣言』(河出書房新社、一九九四年)を、五月半ばには『「赤」の誘惑――フィクション論序説』(新潮社、二〇〇七年)を、六月初旬にはこれも対談本だが『魂の唯物論的な擁護のために』(日本文芸社、一九九四年)を、同月半ばには『随想』(新潮社、二〇一〇年)を読んでいるので、たぶんこれらの著作を読むうちに自ずからそういう姿勢が身についたのではないか。

 この作品で一番大きな目立つ特徴というのはやはりエピソードの交錯、ファンタジックなエピソードも含みながら真実と虚構の境があいまいになるその混淆というところにあるのではないか。語られるエピソードの大半は、語り手がそのまま体験したことではなく、レオ・ミストラルが体験したことを語り手が聞いて忠実に再現するもの、あるいはレオ・ミストラルが創作した話(カバーリョ・リー・フォックスのように)だが、そもそもこのふたつのあいだに明確な差が設けられておらず、レオ・ミストラルの「信用出来ない語り手」としての性格が強調されている(それは冒頭からすでに明示されている――「反駁の余地のない真実と見紛うばかりの作り話をでっちあげるという驚くべき才能を発揮しながら、レオ・ミストラルが練り上げたまことしやかな物語と現実に起こった出来事のあいだに隠れるように存在している数々の事実を私は見出した」(11))。「数々の事実を見出した」とはいうものの、この語り手自身もまたいわゆる「信用出来ない語り手」の範疇に属する。彼は冒頭から繰り返し、ローレンス大佐と呼ばれるパトリシオ・クラウンなる男の「悪魔的なたくらみ」によって彼自身をも含む何人もの人物があやつられたと主張するのだが、どうにもそれを信じるに足る説得的な根拠が明らかにされない。そもそも彼はクラウン自身とは面識がなく、大佐に関する彼の知識は「ミストラルエバヒロン、それに、エバの日記を盗み読むことから得た知識にもとづいて」いる。語り手の主張は冒頭に要約されている。すなわち彼によれば、ハビエル・ウンブロサ伯爵の死、エバヒロンとレオ・ミストラルの結婚、ウィリー・ルアルカの娘であるアナの死、それらの中心にあるのはアダを人間として復活させるというローレンス大佐の計画だというのだが、この時点では何がなにやら皆目わからず、読者は次々に与えられる名前と一部垣間見せられるエピソードの数々に当惑するばかりである。小説が進むごとに冒頭で要約されたもろもろのエピソードの内実が明らかになっていくのだが(それは線にそって整然と配列されたものではなく、個々のエピソードがいつ頃のことなのか、そしてそれを語り手が聞いたのがいつのことなのか、また語っているいまがいつのことなのかも一読ではつかめないものの、その物語性がこの小説のひとつの核にはなっている)、そのなかで語り手自身が体験したものはわずかに過ぎず、大半は伝聞によるものである。その主な伝聞元であるレオ・ミストラルは「信用出来ない語り手」としての性格を付与されている。そしてまた語り手自身も、客観的な証拠の示されないローレンス大佐のたくらみの存在を主張することによって、「信用出来ない語り手」としての性格を獲得する。二重の「信用出来ない語り手」の存在によって、物語のどこまでが真実でどこまでが虚構なのか判然としなくなる。こうした仕組みのなかにおいてこそ、アダの復活をめぐる非現実的な挿話が存在できる。ウィリー・ルアルカの娘であるアナが死ぬことによってアダは復活し、またその分身としてトゥリア・サントメが登場するのだが、分身、生まれ変わり、あるいは他者の生の簒奪というようなモチーフは、レオ・ミストラルの創作であるカバーリョ・リー・フォックスの物語のなかにも見いだされ(そのミストラル自身がかつてはゴーストライターとして働いており、「人間誰しも、人生で一度は誰かのゴーストライターを務めたことがあるはずだ」と口にする)、またウンブロサ伯爵はエル・グレコの模倣に熱中し、語り手がエバヒロンから与えられた役割は第二のジャクソン・ポロックになることである。

  • とは言え、テクストテクスト言うばかりでいい気になっていても仕方がないだろう。と言うか、具体的なテクスト――という語をもう少し広げて、基盤的情報とか、あるいは歴史学的に一次資料(史料)と言っても良いが――に拠るなどというのは、少なくとも学問とか批評とか文学なるものとかをやろうと言うのだったら、第一段階においてひとまず誰もが共有しておくべき基本的な姿勢であり、そこからどういう風に発展していけるかということの方が文を書いたりものを考えたりする人間にとって大事なことではないかと思うのだが。ところが、管見の限りではこの世の中はどうもあまりそういう風にはできていないらしく見える。
  • 続いて二〇一四年七月一日火曜日の日記も読む。この日はプルーストやミシェル・レリスの『幻のアフリカ』、それに柴崎友香『わたしがいなかった街で』とやはりミシェル・レリスの『オランピアの頸のリボン』を読んでいる。すなわち併読しているわけで、このあたりも現在の習慣とは違うところだ。また、以下のような季節感及び歩途の風景の記述があったが、二〇一四年の自分にしてはかなりしっかりと書けているように思う。口調がまだこなれておらず、あどけなくて乳臭い児童が大人の仲間入りをしようと頑張っているようなぎこちない背伸びの気配はあるものの、いまと根本的な違いはなく、正直そんなに悪くない。

 忘れないうちにスラックスにアイロンをかけた。空は形の定まらない雲が薄く広がりくもりがちだが、時に薄陽が射せば緑葉がやわらかく黄味がかって空気もぼんやりと色づくようだった。七月の初日とはいえ夏の色もまだ濃くならず、窓辺で風を浴びればその一時は春から初夏への移り目を思いだしもする。梅雨を抜ければぬるい夕暮れにいよいよ蝉の合唱が聞かれもする。
 陽は射すでもなく射さぬでもなく色をなくして中空に漂っているなか、歩く身体に汗のにじまないのは昨日よりも湿り気の少ないためかと思いながらも、しかし坂をのぼればやはり服のうちは濡れた。坂の入り口にぽつんと咲くガクアジサイはすべて青に染まった。細かな粒を見ながら、来る日も来る日も変わり映えのない毎日を見ては書いているものだと嘆かれた。書くことによって見るものがひらけていくというよりはむしろかたまっていくような気もした。坂の出口に立ちあがる斜面には鮮やかな赤紫の紫陽花が花弁を織りなし、並び咲くその前を通るころから西陽は雲のきわと重なった。駅の階段をあがりながらそちらに目を向けてみても、白いまばゆさの意想外に激しくて視線は払われる。ホームの先で音楽を耳に招いて直後、太陽がきわを越えれば明確に照る暖色にそこにいるだけで身体が粘ついた。赤茶けたレールに白が混ざって束の間、光が薄れると一抹の風と涼やかさが残る。電車のうちから空に送る視線の動きとその先にとらえた西山の薄青さが昨日と変わらず、まったく同じ時間を繰りかえしているような錯覚を覚えもした。駅に着いて階段をおりる足取りや、改札にカードを当てる身ぶりもいちいち習慣に従って定まっているようで苛立たしい。

  • 欄外の書付けとして、「一九六八年までの時代、文学と政治が近いところにいたのだとすれば、この二〇一四年において両者はそれぞれ遠いところでありながら似た場所にいるのかもしれない」とのこと。また、「書けないという思いばかりが脳内にわだかまる。もう言葉が尽きてしまったのか?」などと言って文学青年らしい懊悩も見せている。そして、次の部分を読むとこの時点で既に、強固な構築/十全な記録という例の対立図式に引き裂かれていたことがよくわかる。

 ふたつの道がある。文章をより構築的な方向に持っていくか。細かなことは書きにくい。場面は場面として、段落は段落としてある程度のまとまり、力を持たなくてはならない。
 より網羅的な方向に持っていくか。うすく隅々まで入っていける文でできるかぎりの事実を集める。まとまりは欠けるが、細部の集積に何がしかの強度が生まれるかもしれない(本当に?)。
 (……)
 ひとつめのラインのイメージは古井由吉の下手な真似であり、ふたつめのラインのイメージは柴崎友香を踏まえつつもさらにうすく浅く散文的に書く、より日記らしいといえるのかもしれない文章である。

  • 柴崎友香『わたしがいなかった街で』については、「明確におもしろい。最近明確におもしろい小説を読んでいなかったのではないか」と称賛を漏らし、「柴崎の本作は、明確におもしろい、いい小説であるという雰囲気がある。そして、驚いたことに、うまい。柴崎の小説は四作目だが、読んでちょっと変だとかなにかおかしいとか、うすいとか淡いとかはやいとか感じたことはあっても、うまいと感じたのはおそらくはじめてではないか。一文一文の記述自体がうまいのか? 場面や段落の構築のしかたがうまいのか? どこがどううまいのかはわからないがどうもうまいと感じているらしい」と分析なしの至極曖昧な印象を書き残している。
  • 次に、Mさんのブログ。二〇二〇年三月一一日。例によって柄谷行人『探究Ⅱ』の孫引き。一二頁から一三頁。

 特殊性と単独性はいつも混同されている。それは「個体」というもののとらえ方があいまいだからである。一般に、個体(individual)とは、それ以上分割できないもののことである。ギリシャの自然哲学では、それはアトムと呼ばれている。しかし、それは今日の物理学でいう原子とは別である。原子はいくらでも分割できるし、まだ「それ以上分割できないもの」のレベルに到達していない。到達したと思った瞬間に、さらにその下位レベルが目指される。しかし、「個体」の分割不能性は、そういうこととは別の事柄である。ひとつの机は個体である。それはさまざまな構造や構成要素に分割できるし、分子や素粒子のレベルにも分割できる。だが、そのときそれは机ではない。それ以上分割すれば、机ではなくなるようなひとつのまとまりを、われわれは「個体」と呼ぶのだ。
 日常的にわれわれが individual (個人)と呼ぶものについても、同じことがいえる。われわれは、それを身体的・物理的な合成とみることもできるし、諸行為や諸関係の総体としてみることもできる。が、そのとき個人の個体性は消えてしまう。(……)あるものを個体としてみることは、そのものの性質やレベルに依存しないし、それ自体が分割可能であるということとも矛盾しない。たとえば、分子や脳や国家も個体であるし、〝第二次世界大戦〟も個体である。
 個体がそのようなものだとすると、個体の特殊性(個別性)と単独性とはどのように区別されるだろうか。たんに個体が一つしかないということでは、それらは区別されない。この区別は、それらの個体が一般性あるいは集合に属するか否かにある。先にあげた例でいえば、個々の国家は国家という集合のメンバーであり、個々の脳は脳というクラスの一員である。また、たった一つしかないものも、その成員が一つしかないような集合に属するということができるのである。
 しかし、〝第二次世界大戦〟についてはどうだろうか。それが、戦争という集合のメンバーであり、その特殊であることは疑いない。だが、そういってしまうと、〝第二次世界大戦〟と固有名で呼ばれているものの「単独性」は消えてしまうだろう。何かを個体とみなすことにおいて共通していても、個体を類・クラス・一般に対してみるか、それを単独性においてみるかで違いが生ずる。それは、当の個体自体の性質とは無関係である。

  • 二〇二〇年三月一二日も続けて。やはり柄谷行人。一五から一六頁。

 (…)プラトンがいったように、エロスとは一般性(イデア)への愛である。一般的にいって、情熱恋愛(passionate love)は単独性とは無縁である。たとえば、ヘーゲル=ルネ・ジラールが明らかにしたように、欲望とは他者の欲望つまり、他者に承認されたいという欲望である。ある個体を欲望するのは、それが他者の欲望の対象であるかぎりにおいてである。他者が愛するような者を愛するということは、その者自体を欲するのではなく、それを獲得することが他者の承認を得られるからである。したがって、どんな恋愛も潜在的または顕在的な三角関係にもとづいている。ライヴァルがいなくなれば情熱恋愛は終る。要するに、情熱恋愛においては、この相手(他者)が問題なのではなく、第三者(他者)、あるいは一般者が問題なのだ。そこでは、この他者というこだわりがあるようにみえて、実はこの他者が徹底的に不在である。

  • ほか、「KBはいつもイネっぽい植物だけを選んで食うのだが、生えているものをよりわけて食いちぎるのはやはり容易ではないのだろう、見ていてもどかしくなってくるくらいだったので、こちらが手で一枚ずつちぎって口元に運んでやったところ、以後じぶんからは動かずこちらの手作業を待つ姿勢になったので(なにもやらないと、前足をこちらの腕にかけて催促するのだ!)、おまえどんだけ甘えとんねん! と笑った」という箇所に笑う。可愛らしい。
  • 今日は三日分読むことにして、二〇二〇年三月一三日へ。同じく柄谷行人『探究Ⅱ』の引用が興味深い。一九から二二頁。

 近代哲学は主観から出発する。しかし、くりかえしていうが、主観は「この私」ではない。主観とは誰にでも妥当するものだ。事実、「私」という主体(主観)は、言語の習得のなかで形成されるものであり、それはもともと「共同主観的」である。いいかえれば、「私」とは「私」という概念(集合)に属する。その場合、「この私」といっても、それは、「私」という類の特殊でしかない。しかし、単独性としての「この私」は、そのような主観ではない。一方、「この犬」も客観ではない。それらの単独性は、主観や客観という認識論のタームでは語りえないのである。
 「この」性あるいは単独性は、客観的にあるのではないが、主観的にあるのでもない。物や他者が客観的に存在していると考えようと、主観的に構成されると考えようと、それらはこの物やこの他者とは無縁なことがらである。また、この物やこの他者は、この私と切り離すことはできない。逆にいえば、この私は、この物やこの他者との関係においてしかありえないのである。私も他者も物もあるが、この私・この他者・この物が存在しないような世界は分裂病的である。
 冒頭に、私は哲学的言説においては「この私」が抜けていると感じてきたとのべた。それにつけくわえていえば、私は文学にはそれがありうるという錯覚を長くいだいてきたのである。文学は「この私」や「この物」に固執しているのではないか、と。しかし、文学が「この私」や「この物」をめざすようになったのは近代小説においてにすぎないのであって、それは文学の本性とは無縁である。そして、近代小説に生じたことは、近代哲学に生じたことと並行している。それはアレゴリーのように一般概念を先行させるかわりに、個物をとらえようとする。しかし、それはけっして単独性としての個物に向かうのではない。その逆に、それはいつも単独性を特殊性に変えようとするのだ。いいかえれば、特殊なもの(個物)を通して一般的なものを象徴させようとするのである。近代小説とは、ベンヤミンがいったように、そのような象徴(シンボル)の装置である。たとえば、われわれはある小説を読んで、まさに「自分のことが書かれている」かのように共感する。このような自分=私は、「この私」ではない。
 だれも「この私」を、あるいは「この物」を書くことはできない。書こうとすれば、それはただ特殊性を積み重ねるだけである。「この私」についてどんなに説明しても、それは一般的なものの特殊化(限定)でしかない。私は何歳で、どんな職業をもち、どんな容貌をし、どんなことを考えているか。こうしたことをどんなに積み重ねても、「この私」からずれてしまう。実は、ここで問題なのは、単独性をさす「この」という指示が、特殊性をさす「この」という指示と異なるということである。
 「この私」や「この犬」における「この」は、何かを指示する「この」とはちがっている。何かを指示する場合、「この」は、私や犬という一般者を特殊化(限定)するものである。この意味で、「この私」にこだわることは、私がいかに他者とちがうか、つまり私がいかに特殊であるかを主張することである。ところが、それはまさに他者も「私」であること、すなわち一般的な「私」を前提しているのである。
 しかし、「この私」というとき、それはそのような前提そのものを拒否している。それは、私にいえることは他者にはあてはまらないというある確信を告げている。だが、それを語りはじめるや否や、何一つそんな差異が積極的にあるのではないということに気づくだろう。「この私」における「この」は、何も指示しない。それにしても、「この」は何かを指示するといわねばならない。それはたんに私と他者の差異(非対称性)を指示するのだ。というより、この差異が他者を他者として、私を私としてあらしめるのである。
 この差異は、同一性(一般性)からみられた差異(特殊性)ではない。したがってまた、それは積極的に語られることはできない。単独性としての「この」は、差異を、いいかえれば、「他なるもの」を根本的に前提している。なぜなら、「この」とは、「他ならぬこの」であるから。単独性は一般性には所属しない。しかし、それは孤立した遊離したものでもない。単独性は、かえって他なるものを根本的に前提し他なるものとの関係において見出されるのである。だが、単独性は言葉で語りえないような深遠なものではない。すでに示唆したように、それは固有名のなかに出現している。たとえば、太郎と呼ばれる犬の「他ならぬこの」単独性は、まさに太郎という固有名以外にはあらわしようがないのだ。しかるに、固有名は、実際にはそれなしにありえないにもかかわらず、哲学において最も軽視され周縁に追いやられてきた問題なのである。

  • その次にSさんのブログ、二〇二〇年二月一七日。アンドリュー・ウェザオールという人が率いるThe Sabres of Paradiseなるグループの音楽がCD整理によって発掘され、二五年ぶりに何となくそれを聞いたと言う。Sさん自身にこの音楽に対する思い入れはさほどなく、なぜいまになってそれを聞いたかと問うてもそこに根拠はまるでなく、「たまたまそれを、手に取ったから、としか言いようがない」のだが、そのアンドリュー・ウェザオールという人物が亡くなったということを、Sさんはちょうど「今日」(というのはおそらく、この西暦二〇二〇年二月一七日当日ということだと思うが)知り、「こういった偶然は、たまにあるけど、きっと現在では未だ解明されてない、見えない力の伝達というのがあるのかもしれないと思った」。その後、父親の死にまつわる似たような挿話が提示されたのち、記事は次のように締めくくられるのだが、この最後に書きつけられた比喩の二文――「単に空から降ってきた雨の一滴が、頬にあたったのと変わらない。しかし頬に雨があたったこと自体は事実だ」――は簡潔だけれど大変に素晴らしいと思った。

自分が死ぬ前から世界は存在するし、自分が死んだ後も世界は存在する。そもそも自分が生きている状態を、ことさら貴重に思わなくてもいいじゃないか、生なんて、そんな大したことじゃないよ。生まれて死ぬ、それを大らかに肯定すれば良いだけじゃないか、死をことさら恐れるなんて意味なくない?それって誇大な幻想におびえているようなものじゃないか?

などと言う言葉に、その不思議な通信授受は、どんな意味を与えるのか。いや、別に与えないのか。ただ死ぬだけ。しかしなぜか、任意の誰かに、それが届くこともある。それは、メッセージではない。単に空から降ってきた雨の一滴が、頬にあたったのと変わらない。しかし頬に雨があたったこと自体は事実だ。

  • 夕食とともに夕刊。三面にアメリカで【ウイグル人権法案を可決】との記事。「米議会上院は14日、中国新疆ウイグル自治区少数民族ウイグル族を中国政府が弾圧しているとして、トランプ大統領に制裁の発動を求める「ウイグル人権法案」を全会一致で可決した」とのこと。また、「下院は昨年12月、ウイグル族に対する人権侵害に関わった中国政府高官に対し、ビザの発給停止や資産凍結といった制裁を科すよう大統領に求める法案を、圧倒的多数で可決していた」ともあり、こういう法案が「全会一致」や「圧倒的多数で」可決されるという事実を見ると、アメリカ合衆国ってもちろん色々と糞な部分はあるだろうけれど、それでもやっぱりまだしも救いがあると言うか、少なくとも日本国よりはまだましなのかもしれないなあという気がした。イメージで言えば、米国はまあうんこには違いないけれどバナナみたいに太くて綺麗な形をした見た感じ見事なうんこで、それに対して日本は水っぽくてびちゃびちゃの、何の形もなさない下痢便、みたいな。Wikipediaによれば現在の米下院の勢力構成は民主党が二三五で共和党が一九九なので、野党が多数派ではあるけれど、「圧倒的多数で」ということは共和党議員もその大半が賛成したわけだし、上の新聞記事のなかでは共同提出者として共和党のマルコ・ルビオ上院議員の名が挙げられて、「我々は、甚だしい人権侵害を犯した政府関係者に責任を取らせるという明確なメッセージを送った」という言葉が紹介されてもいる。もっともこのマルコ・ルビオという人は、たしかドナルド・トランプに批判的な人ではなかったっけ? という気もしてあとで検索してみたのだが、しかしよくわからなかった。
  • ほか三面には【WTO事務局長 辞意】の記事も。「世界貿易機関WTO)のロベルト・アゼベド事務局長(62)は14日、任期を1年残して今年8月末で辞任すると表明した」。「新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、今年6月に予定していた閣僚会議が来年に延期された」ところ、「(任期満了に伴う)後任選びと会議準備が重なるのはよくない」というのを一つの理由として述べているらしい。「アゼベド氏はブラジル出身の外交官で、WTO事務局長に2013年9月に就任。1期4年の2期目に入ったが、近年はWTOの機能不全が指摘され、苦しい立場に追い込まれていた」と言い、「機能不全」というのは例えば、米国が中国との対立に絡んで「昨年12月には、貿易紛争解決の「最終審」にあたる上級委員会の委員選考に反対し、審理が開けない状況となっている」事情などが挙げられるようだ。ほかに、「新型コロナの感染拡大を受け、各国で保護主義の機運が高まりつつある懸念もある。WTOによると、80か国・地域が、医療品に対し輸出規制をかけている」とのこと。
  • さらに、【年金改革法案 参院審議入り】。「パートなど短時間労働者への厚生年金の適用拡大を柱とする年金改革関連法案は15日午前、参院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、審議入りし」、「法案には、短時間労働者(週20時間以上、30時間未満)の厚生年金加入が義務づけられる企業の対象を、現在の「フルタイムなどの従業員数501人以上」から2022年10月に「101人以上」、24年10月に「51人以上」に拡大することなどが盛り込まれている」らしい。こちらの場合、一コマ一時間半で、それに加えて毎回いくらかの準備や片付けなどの時間もあるけれど、まあひとまず二コマで三時間と切りよく考えるとすると、平日毎日二コマ頑張って働いたとしても週で一五時間にしか達せず、この法案が定義する「短時間労働者」にすら含まれないわけで、つまるところいわゆる底辺である。
  • また、【「検察定年延長」 法相審議出席へ 衆院内閣委】。「衆院内閣委員会は15日午後、森法相が出席し、検事総長検事長らの定年延長を可能にする検察庁法改正案の質疑を行う。与党は質疑後に委員会採決を行う構えを見せており、野党は担当閣僚の不信任決議衆院内閣委の松本文明委員長の解任決議案などの提出を検討している」と言う。「検察庁法改正案」に関連しては「13日の衆院内閣委で武田行政改革相が答弁に当たった」ものの、「一部野党は武田氏の答弁が不十分だとして、途中退席し、森法相の出席を要求。自民党森山裕立憲民主党安住淳国会対策委員長は14日、国会内で会談し、森法相の同委出席で合意した」という経緯らしい。
  • 夕食後、Nさんへ返信を書くことに。彼女の返事は以下に記録しておく。

(……)

  • それに対して次のように綴る。

 (……)

  • 風呂のなかでは一つには、抽象名詞の形で名指されるような種類のものってどうやって伝達されるんだろうかなあ、ということを考えるなどした。要するに、例えばこの世にはラブソングなる類の音楽がめちゃくちゃに多く満ち溢れていて、ラブソングを作る人のうちにはたぶん、自らの「愛」を誰かに伝えたいという欲求を抱いてそういう試みに取り組む人も一定数いると思うのだけれど、「愛」という言葉で呼ばれている概念、もしくは意味や心情って、実際のところどういう風に伝達されるんだろうなあ、みたいなことを考えたのだが、確かな考えは特にまとまらなかった。もう一つの話題は、上にも記したテクストへの依拠云々の話で、文章作品を何かしら読んでそれについて何か言おうというときに、まずはその作品中の言葉にきちんと拠りましょうねという態度と、何か引用とか面倒臭えし別に良くね? と措いておきつつ作品から自分が受けた印象風の感想などを主に述べるという態度を、まあ一応対立的なものとして捉えられるとして、この図式はたぶん唯物論と観念論の対立と言うことができるのかなと思った。唯物論及び観念論という哲学的傾向についてきちんと勉強したことがないのでよくはわからないのだが、おそらく少なくとも、唯物論的な姿勢と観念論的な姿勢の対立、とは言えるんじゃないだろうか。で、この世界には本当に腐るほどに対立が溢れまくっていると言うか、河原にごろごろ転がっている石をどれか一つ適当に手に取って、次にその隣の石をもう一つ持ち上げれば、もうそれでその二つのあいだには何らかの対立要素が見出せるだろうというくらいに溢れていると思うのだけれど、そのような「対立」と呼ばれる関係にある二項を、何かうまいこと統合しちまおうぜ、っつってより高次に当たる第三項を考えるのが、いわゆる弁証法と言われる思考の操作だという理解が一般的にあると思う。哲学史などきちんと学んだことがないのでよく知らんのだけれど、その弁証法的思考形式がもっとも綺麗に洗練された形で高度に整えられたのがヘーゲルの段階であるということがよく言われている印象があって、加えて現代の思想界隈では、こういう弁証法なんてものはもう何か時代遅れだよね、それじゃやっていけないよね、みたいな感じになっているというイメージもある。そしてそのあとに、たぶん一つには、いや、俺らが対立だと思ってたこの関係って、よく見てみると実は対立じゃなくね? とか言う奴らが出てきて、対立図式を内破的に解体して無効化してしまうみたいなことをやりはじめるのだと思うのだけれど、それがいわゆる脱構築、つまりはデリダ路線だろう。で、もう一つには、いやまあ、そんなにこだわらなくてもええやん、時には唯物論で行って、時には観念論で行けばええやん、みたいな感じで、矛盾を矛盾のままに緩く肯定すると言うか、別に緩くはないのかもしれないが非一貫性を擁護するような立場が、これもよく知らんけどたぶんドゥルーズとかではないかと思っていて、あるいはロラン・バルトが言っていた「複数性」とかいうのもそういうことなのかな、と頭のなかで一応そういう風に整理してみたのだが、適当なので合っているのかどうかは知らない。
  • 「複数性」とかいうことについては、バルトはたしか『彼自身によるロラン・バルト』のなかでフーリエの「複数主義」がどうのこうのとか言っていたよなと思って、書抜きを読み返してみたのだが、上のような理解の確定的な根拠になるような記述はなかったと言うか、バルトが考えていたことはこちらの理解とはちょっと違うんじゃないかとも思ったのだけれど、一応関連しそうな部分を下に引いておく。

 彼はしばしば一種の哲学に頼る。それは、漠然と《複数主義》と呼ばれているものだ。
 複数という点をこれほど主張するのが、実は性の二元性を否定するひとつの手だてではないと、いったい誰に言えるだろうか。両性の対立が"自然"の一法則であると決めつけるべきではない。それゆえ、対抗関係やパラディグマ〔範列〕を解消し、意味と同時に性をも複数化しなければならない。そこで意味は、その多重化を、その分散化("テクスト"理論におけるその分散性)をめざすべきだし、また、性は、どんな類型論の枠内に捉えられるべきものでもなくなるはずだ(たとえば、ひとくちに同性愛というのではなく、存在するのはみな《さまざまの異なる》同性愛だということになるだろうし、組織だった、中心点を設定した底の言述はすべてその複数性によって裏をかかれる羽目となるはずで、そのあげく、彼には、性について語ることはほとんど無用とさえ見えるのだ)。

 同じように、《差異》という主張的な、おおいに自負した語が、なぜ高く評価されているかというと、それは、この語によって抗争あるいは葛藤が避けられ、克服されるからである。抗争は性的であり、意味的である。が、差異は複数的、官能的、そしてテクスト的〔織りもののよう〕だ。意味や性は、構成や組成の原理である。差異は、飛び散り、分散し、きらめきながら八方へ反射する動きそのものだ。したがって、世界や主体を読み取るに際して、もはや問題はさまざまの対立を再発見することではない。見いだされるべきものは、さまざまのかたちの、横溢、侵蝕、漏洩、横流れ、転位、横滑りである。

 フロイトの言うところによるなら(『モーセ』)、少量の差異は人種的偏見へ導く。けれども多量の差異はその偏見から人を決定的に離れさせる。平等化、民主化、大衆化といったたぐいの努力はいずれも、「最小の差異」すなわち人種間の不寛容の芽を粉砕することに成功しない。肝心なのは、たづなをつけぬ複数化、微妙化ではないか。
 (佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルトみすず書房、一九七九年、95~96; 複数、差異、抗争 Pluriel, différence, conflit)

     *

 『零度のエクリチュール』の中では、ユートピー(政治的ユートピア)は一種の社会的普遍性という(素朴な?)形式をまとっている。あたかも、ユートピーとは現在の悪に対するまさに正反対のもの以外ではありえないのだ、とでもいうように。あたかも、分割に対して対処しうるものは、もっとあとに現れるべき非分割以外にはありえないのだ、とでもいうように。しかしその後、焦点がはっきりせず、さまざまの難点をかかえてはいるが、ともかく複数主義の一哲学が生まれ出る。それは、総体化〔マス化〕に敵意をもち、差異に惹きつけられる、要するにフーリエ主義の哲学である。そういう考えかたによれば、ユートピーとは(あいかわらずユートピーは大切にされているのだが)無限に細分化された社会を想像するところに成立することとなる。そのユートピーにおいては、分割制はもはや社会的なものではなく、したがって抗争的〔葛藤的〕でもないわけだ。
 (109; ユートピーは何の役に立つのか A quoi sert l'utopie)

  • あとは蓮實重彦が『表象の奈落』のなかに収められているロラン・バルトへの追悼文で、存在を複数化して世界のなかに散在させること、みたいな言い方をしていたよなということも記憶しており、やはり読み返してみたところ、これもちょっと文脈としてこちらの考えていたこととは違うような気がするのだが、同じく一応引いておく。

 (……)快楽も、愛も、好奇心から生まれるものでないという点が重要なのだ。好奇心とは、感覚器官の粗雑さを忘れるために、知的に遂行されるストリップのごときものであり、自信にみちた心の動きだ。ニーチェにならって、「われわれは、精緻さが欠けているから、科学的になるだろう」とバルトが書くとき、科学の名で指し示されているのは、まだ見えていない隠されたものへの究明へと人を向かわせるものが好奇心だとする社会的な、それこそ粗雑きわまる暗黙の申しあわせのことである。中庸の記号バルトは、その申しあわせを荒々しくくつがえそうとするほど攻撃的でもなければ、それから必死に身をまもろうとするほど防禦的でもない。というのも、彼は、異物の徹底的な排除を目論むことなく、異物と自分とに、いたわりの心を平等に分配することで、倦怠する記号の倦怠の過激化を遅らせ、彼自身[﹅3]の自信のなさを洗練する身振りを、体質的に獲得しようとしているからだ。精緻な器官を持つこと。存在そのものを繊細なものにすること。主体を微細な粒子にまで細分化し、それを複数の彼自身[﹅3]として世界に拡散させること。好奇心とは、特権的な感覚器官を粗雑なままに特権化し、主体を拡散と断片化の力学にさからわせようとする、知性の、独断的で退屈な拒絶の儀式にほかならない。ことによると、それは、無自覚なまま先取りされた死の実践であるかもしれぬ。自分に対しても、他者に対しても、いたわりを欠いた振舞いであるが故に、それは独断的なのだ。好奇心とは別の文脈に生きること。中庸の記号たるバルトの真の美しさは、そうした願望を、決定的な実現へと導くことなく、退屈と倦怠のよるべなさと戯れさせた点にある。それが、彼自身[﹅3]の生の倫理だ。
 (蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)、14~15; 「倦怠する彼自身[﹅3]のいたわり ロラン・バルト追悼」)

  • Dianne Reeves『I Remember』。#7 "How High The Moon"は素晴らしい。日記を書きながらこのアルバムを耳に流していたところ、"How High The Moon"が始まった途端、イントロのパーカッション(コンガ?)のリズムだけで身体が動き出してしまい、そのまま目を閉じて全篇聞くことになった。リズム隊の生み出すフォービートがとにかく気持ち良いのだけれど、ベースはフォービートに入る前段でのほんの細かなリズムの引っかけと言うか、ずらしみたいな感じの動きも気持ちが良い。Charnett Moffettである。わりと粘りの感じられる音色。この曲のドラムはたしかTerri Lyne Carringtonだったよな? と記憶しており実際そうだったのだが、昔はこのドラムがめちゃくちゃ強力に聞こえてすごいなと思っていたところ、今回聞いてみるとそこまで密に力感溢れるという印象でもなく、むしろ飛翔的な軽やかさの感触のほうが強く残った。パーカッションはRon PowellでピアノはMulgrew Miller。
  • Sarah Vaughan『After Hours』を聞きながら柔軟。端的な名盤。Mundell Lowe(g)もGeorge Duvivier(b)もとても良い仕事をしている。Sarah Vaughanの歌というのは、完璧と言ってしまって良いでしょうこれはもう。そして今回聞いてみると、歌詞がやたらと良く響く。冒頭の"My Favorite Things"の締めくくりにある"When the dog bites, when the bee stings, when I'm feeling sad... I simply remember my favorite things, and then I don't feel ―― so bad"など、正直かなり良くない? と思った。この曲は例のRichard Rodgers(曲)とOscar Hammerstein Ⅱ(詞)のコンビによる作品。二曲目の"Ev'rytime We Say Goodbye"(Cole Porter)にしても、最初から"Everytime we say goodbye, I die a little"などと言っていてキラーフレーズみたいなものだし、後半の"I can hear a lark somewhere, begin to sing about it, / There's no love song finer, but how strange the change from major to minor, / Everytime we say goodbye"という収め方も素晴らしい。とりわけ、"how strange the change from major to minor"の部分である。日本語の文章の形で意味を考えると別に大したことはないのかもしれないが、英語の音調で、なおかつ歌に乗せられて言葉が徐々に展開されていくのを聞くと、何だかこれはすごく素晴らしいなという気持ちになる。
  • 三曲目の"Wonder Why"(Sammy Cahn詞)にしても、Aパートの後半、繰り返し部分で、"I suppose some genius could explain / Why I walk in the rain, just let him try"とまずあり、次にちょっと調子が変わってから"I guess there is a simple explanation / Unless I've come up with a new sensation"と歌われたあと、Aに回帰して"It could be that he's caught up with me / And all the mystery, I'm speaking of / Is simply that I went and fell in love"と終着するのだが、"fell in love"に至るのは途中でもうわかっているのだけれど、たっぷりとした長音を折々に挟んで伸びやかに歌われる声の上で意味が流れていき少しずつ露わに見えてくるその緩急が巧みで、最後に"love"でまとまると絶妙な収束感があり、この短さのなかで見事に曲線的な物語を成立させているなと感嘆される。こういう昔のアメリカの大衆歌って相当にレベルが高いような気がするのだが、それはやはり西洋由来の詩の文化の蓄積の賜物なのだろうか?
  • その後、書抜きの裏では"In A Sentimental Mood"が掛かるのだがこれもやはりとても素晴らしく、さすがはDuke Ellingtonと言わざるを得ない。冒頭の"In a sentimental mood..."の、あの入りのメロディだけでもう完全に勝ちでしょ、という感じ。思わず二度繰り返して聞いた。この曲は一九三五年作曲らしい。ビビる。
  • 「映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー」: 「第1回 執筆中の『ジョン・フォード論』について」(2020/5/8)(https://kangaeruhito.jp/interview/14514)。「現在、家族に病人がおり、わたくし自身も健康上の問題をかかえて通院生活を余儀なくされている」と冒頭にあるが、「病人」というのはむろん、シャンタル夫人のことだろう。そして本人も「健康上の問題をかかえて」いる。八四歳にもなると言うから当然のことだが、やはり多少は不吉な思いを免れえない。
  • ジョン・フォード論』の執筆に多大な時間が掛かっていることについて、「映画批評とは別の領域で、わたくしがフランスの近代文学を研究している学徒であることと深く関わっています」と言っているのだが、この「学徒」という語に好ましい謙遜ぶりと言うか、批評家として堅固極まりない地位を得ようが東京大学総長を務めようが、人はいつまでも学びを終えることなどできず、永遠に一「学徒」であらざるを得ない、という真摯な謙虚さを読み取るのはさすがに読みこみすぎだろうか。「学徒」は「学問の研究に従事する人」、要するに「学者」や「研究者」と同義でもあるので、単にそういう意味で使っただけかもしれないが、こちらの感覚では「学生」により近いニュアンスを持っていると言うか、例えば教授という確かな地位を得た研究者を「学徒」と呼び指すことはあまりないような気がするのだ。この語はだから、「教授という確かな地位」のような何らかの達成点、一つの終着点に至った状態よりも、言わば――蓮實重彦の大好きな言葉を敢えて使えば――宙吊り的な過渡段階を強く含意するような感覚がこちらにはあって、それに従うと上のような受け取り方になる。
  • ほか、記録的引用。

 また、同時に日本語による『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房、2014)も用意しておりましたが、その前提として、「近代における散文のフィクション」とは何かをめぐっての理論的な考察をかさねておりました。あえて「長編小説」とは呼ばず、ここで「近代における散文のフィクション」と呼んだことが意味を持つ歴史的な文脈というものが存在しているからです。フランス語の長編小説にあたるロマン(Roman)とは、中世では、ローマ時代のラテン語が各地に散在していく過程で、フランス語のようにいわば俗化したラテン語で書かれた散文詩を意味していたからです。また、それ以降も、散文による物語は散発的に存在していましたが、そうしたものが近代的な意味での「長編小説」、すなわちロマン(Roman)とは無縁のものであることを示す目的で、あえて「近代における散文のフィクション」と呼んでいるのです。
 『「ボヴァリー夫人」論』の前提として、わたくしにとってはきわめて意義深い著作である『「赤」の誘惑――フィクション論序説』(新潮社、2007)を刊行したのは、もっぱら近代に盛んになったジャンルとしてのロマン(Roman)、すなわち「長編小説」を、「近代」に生まれた定義しがたいジャンルととらえようとする意図があったからです。(……)

     *

 (……)しかし、『「赤」の誘惑――フィクション論序説』や『「ボヴァリー夫人」論』の推敲と執筆は、映画を考えるために必須の迂回でもありました。それは、『ジョン・フォード論』の執筆にとって、まったく無駄ではありませんでした。というのも、映画と「近代における散文のフィクション」としての「長編小説」とは、まったく無縁のものとはいえないからです。ギリシャ以来の西欧の古典的な美学の伝統は、文芸のジャンルとして、「劇文学」、「抒情詩」、「叙事詩」の三つしか想定しておらず、したがって「近代における散文のフィクション」というものを、伝統的な美学では扱えなかったのです。だから、ほとんどの理論家たちは、20世紀にいたるも、「近代における散文のフィクション」を「叙事詩」の一ジャンルとしてしか扱いえなかったのです。
 ところが、「近代における散文のフィクション」は「叙事詩」とはまったく異なるものです。実際、フローベールFlaubertには「散文は昨日生まれた」《La prose est née d’hier》という強い自覚があったのです。それは、ミシェル・フーコーMichel Foucaultが『言葉と物』(Les Mots et les Choses, 1966)で述べていたあの「人間」l’Hommeという、その生誕の時期を古典主義的な思考が機能しえなくなった19世紀の初めと限定しうる一時期に捏造された新たな現実の誕生とほぼかさなりあうようにして、「近代における散文のフィクション」が初めて現れたものであります。すなわち、それは、古典的な美学の伝統では扱いかねる異端児というか、正統的な父親を欠いた私生児、西欧の伝統的な文化にとっては非嫡出子のようなジャンルだったのです。
 映画もまた、西欧の古典的な美学の伝統によっては扱いかねるいわば私生児として誕生したものでした。だから、「民主主義」などのように、ギリシャ以来の伝統的な西欧的な思考体系によってものを見たり語ったりするものたちをかりに「人類」とするなら、「近代における散文のフィクション」は、視覚的なフィクションとしての「映画」もまた、いわゆる「人類の遺産」には組みこまれえないものなのです。それは、それまで存在していなかった「人間」なるものが捏造したいかがわしい私生児的な何ものかにほかなりません。だから、「散文のフィクション」と「映画」とは、その非嫡出子性において、どこかで通じあっていると思っているのです。

――先生はジョン・フォード小津安二郎ジャン・ルノワールが映画史において最も偉大な監督だとおっしゃってきました。彼らは映画史120年の前半期に活動した人々で、無声映画時代を経てきた人たちです。映画史の後半期には、この三人に匹敵するような監督はいないとお考えですか。もしそうであれば、その理由は個人的な才能の問題や時代の問題、もしくは環境の問題なのでしょうか、これについていかがお考えでしょうか?

蓮實 フォード、小津、ルノワールという三人をもっとも偉大な監督だといったかどうか、はっきりした記憶はありません。ただ、映画についてものを書き始めた1970年代の初頭に、できればモノグラフィーを書いてみたい映画作家として、その三人の名前を挙げたような漠たる記憶はあります。それは、偉大さとは関係のない相性のよさの問題なのです。つまり、彼らは自分にも書けそうだという雰囲気のようなもの親しく漂わせてくれる作家たちであって、必ずしも偉大な作家として意識していたのではありません。
 偉大な監督というのであれば、グリフィスGriffithもいるし、シュトロハイムStroheimもいるし、ムルナウMurnauもいるし、ドライヤーDreyerもいる。それにラングLangを加えてもよいでしょうが、いずれも文字通り偉大な作家たちです。しかし、わたくしの生まれるより遥か以前から活躍していたこうした真に偉大な作家たちについては、怖ろしくて書く手が震えてしまいます。ですから、これまで断片的にしか触れたことがありませんでした。日本でいうなら、溝口健二。彼も偉大な作家なのですが、どこかでこちらを誘ってくれているようなところもあるので、比較的に長い文章を書くことができました。
 では、こうした真に偉大な古典的な作家たちに匹敵するような監督が「映画史の後半期」にあたるいま、いるのかいないのかといえば、いや、おります。間違いなく存在しています。ジャン=リュック・ゴダールJean-Luc Godardは、まぎれもなくそうした一人です。2018年度の『FILO』誌のベスト・テンに彼の『イメージの本』(The Image Book, 2018)を入れなかったのは、わたくしがそれを見たのがかなり早い時期だったからという理由にすぎません。ただ、ゴダールの作品は、わたくしに書けと誘ってはおりません。むしろ、書くなと禁じているというか、書かれることに関してまったく無関心のようなところすらあります。だからこそ、そのつどその禁止の力学やその無関心にさからうように発言することの快楽を、彼の作品はわたくしに委ねてくれるのです。その意味で、ゴダールは「楽しい」作家だと思います。実際、『ゴダール革命』(筑摩書房、2005)以後も、彼の作品については、新作ごとに決まって論じております。
 ゴダールとともに、いずれも1930年生まれの三人組、クリント・イーストウッドClint Eastwood、フレデリック・ワイズマンFrederic Wisemanなどは、古典的な五人組とは別のかたちで映画史を支えるきわめて貴重な作家たちです。また、彼らとほぼ同世代にあたる胡金銓King HuやストローブとユイレStraub et Huilletもきわめて重要です。そうした名前に続くものとして、侯孝賢Hou Hsiao-Hsien, それから、惜しくも夭折してしまいましたが楊徳昌Edward Yang、これも故人となったアレクセイ・ゲルマンAleksei Germanなど、挙げればきりがありません。そのとき、問題は二つあるように思えます。一つは、現在のハリウッドに、すでに挙げておいた偉大なる作家たちに匹敵すべき人材がいるのか、という問題。それから、ソ連、ロシア時代にはたしてそれに匹敵するような貴重な監督がいるのか、という問題です。
 それは、映画史といえば決まって名前が挙がってくるエイゼンシュテインEisenshteinが、はたして本当に貴重な作家かという問題だといい換えてもかまいません。あるいは、オーソン・ウェルズOrson Wellsの『市民ケーン』(Citizen Kane, 1941)は、真に偉大な作品なのかと問い直してもよいでしょう。『ストライキ』(Strike, 1925)や『戦艦ポチョムキン』(Battleship Potemkin, 1925)が興味深い作品である以上に、優れて貴重な作品であることはいうまでもありません。だが、それ以後の彼の作品は、はたしてそれ以上に重要でしょうか。どうも、そうは思えません。たとえば、『帽子箱を持った少女』(The Girl with the Hat Box, 1927)や『青い青い海』(By the Bluest of Seas, 1936)を撮ったボリス・バルネットBoris Barnetよりエイゼンシュテインの方がより重要な作家だといったい誰がいえるのでしょうか。あるいは、『ベッドとソファ』( Bed and sofa, 1927)や『未来への迷宮』(A Severe Young Man, 1935)を撮ったアブラム・ロームAbram Roomよりエイゼンシュテインの方が重要だと、誰がいえるのでしょうか。いえないと思います。
 また、『市民ケーン』は、今日的な視点からして、同じ年に撮られたプレストン・スタージェスPreston Sturgesの『レディ・イヴ』(The Lady Eve, 1941)やヒッチコックAlfred Hitchkockの『スミス夫妻』(Mr. and Mrs. Smith, 1941)、 ハワード・ホークスHaward Howksの『教授と美女』(Ball of Fire, 1941)、さらにはラオール・ウォルシュRaoul Walshの『ハイ・シエラ』(High Sierra, 1941)などに較べて、決定的に優れているといえるのでしょうか。いや、いえないはずです。
 21世紀のわたくしたちにできることは、映画史的な視点から、エイゼンシュテインと『市民ケーン』の盲目的な絶対視を慎しみ、それらを相対化することにあるはずです。とはいえ、それは、エイゼンシュテインの後期の作品や『市民ケーン』を否定することを意味してはおりません。それにふさわしい位置に据え直すことが、むしろ彼らを映画史に生き返らせる有効な手段だと思っています。質問の意味からはややそれた答えになってしまったかもしれませんが、今日的な視点からして重要なことを述べたつもりです。

  • 四時五分に就床。翌日は久しぶりに正午から労働で、九時にアラームを仕掛けたので五時間しか寝られない。と言うか、床に就いてからも体感としては一時間半くらいは寝つけずにいたので、実際の睡眠時間はもっと少なくなった。寝つけないあいだは一度も目をひらかずずっと瞼を閉ざしていたが、塞がれた視界の色合いが徐々に変わっていって、カーテンの向こうが明けてきているのが瞭然とわかる。四時の時点で鳥も既に鳴きはじめていて、そのときにはホトトギスの声が先導的だったのが、それからおそらく四〇分ほど経って視界が白っぽくなってきた頃には、ホトトギスは消えて入れ替わるように鶯が声を張っていた。
  • 眠りを待ちつつ何かしらものを思い、また思っている自分自身のその思考の動きを対象化して、要するに例の独語的な脳内言語を見ながら、あるいは聞きながらそれそのものについて考えた時間があったのだが、それは、この脳内言語というのは一体どこから来ているのかなということで、まあ一応、こちら自身の脳が何だかよくわからん作用によって生み出しているということなのだろうけれど、ただ一方で感じとしては、それがこちらという主体のもとに属しているという感覚はまったくなく、むしろそれと分離されていて、どこだか知らないけれどあちらからやってくるという感じが強い。この「やってくる」というのもしかし感覚として正確な言語化ではなく、以前にはよく「去来する」という語を使って脳内言語の性質を言い表していたものだけれど、それもいまとなっては充分にぴったりと来る語ではなく、「湧き出してくる」とか「生まれてくる」とか言えばまあそこまで外れてはいないのだろうが、そうした「くる」という到来の動きの感覚もあまりない。この脳内言語に意識を向けたときに感じられるのは、それがただそこに「ある」という存在性の事柄であり、脳内言語、すなわち思考というものは、本当にいつも必ず、恒常的にそこにある。空気のごとく、天と地とそれを分かつ水平線のごとく、あるいは呼吸のごとく、心臓の脈動のごとく、空間のごとく、途切れることが完全にないではないし完璧に持続的な形ではないにしても、常にそこにある。で、この存在、あるいは発生そのものをこちら自身はコントロールすることができない。当たり前のような話だが、何かを感じたり考えたりすることをこちら当人が意志的に制御したり禁止したりすることは不可能だということだ。こちらという主体が意志的にできるのは第一段階において思考が現出してからその次のステップ、つまり現れた思考を対象化して見極め、それに対してどのような反応を取るかという段階の操作でしかない。これは仏教の、とりわけおそらく禅宗方面の実践、すなわち瞑想や、それに端を発しているマインドフルネス心理療法などを学べば、たぶん体感的に感得できることだろう。それらの実践においては、発生した感情や思考に対して何も働きかけをせず、それらを観察してあるがままに放置し、ただ受け流すのだ、というようなことが言われるわけだ。それを禅の言葉で短く定式化すれば、「二念を継がない」というモットーになる。
  • まあそうは言っても「二念を継がない」ことなど大方できるものでないと言うか、それは要するに意味の停止だからそれがもし恒常的に達成されればだいたい半 - 失語というくらいのことにはなるだろうし、そういう点でロラン・バルトが「悟り」のようなものに興味を示した事情はまあ何となくわかるけれど、しかし意味が停止したからと言ってそれがうまいこと空白とか空虚のような状態に落ち着くとは限らず、むしろ停止する前の意味が残滓としてこびりついたり永遠に回帰したりするということだって充分ありうるのでは? とか思ったりもするのだけれど、ともあれこの思考=脳内言語が一体どこから現れているんだろうなあという話に戻ると、まあ感覚としては文学的な常套句で言うところの深淵のような領域から、要はまったくの無から発生しているようにしか感じられず、しかもその発生の連鎖もしくは継起は基本的に決して途切れることがなく、こちらが脳機能を損傷するか死ぬまでずっと続くわけである。これはやはりちょっととんでもないことだと言うか、ロラン・バルトが紹介していた誰なのか知れない言語学者の言葉を借りれば、「私たちの一人ひとりはただ一つの文だけを話すのですが、死だけがそれを中断できるのです」(*1)ということになるだろうし、あるいは磯崎憲一郎が作品中に書きこんでいた言葉もそれと同趣旨だろうけれど(*2)、これは何だかほとんど恐ろしいと言うか、少なくとも気味の悪いことではあると思った。意識内に目を向ければ、と言うか目を向けるまでもなくこちらが生きて動いているあいだこちらの頭のなかには常に言語が展開されていて、もちろん常に整然とした形ではないけれどこちらの意識内の片隅にいつも流れており、それがどこからやってきているのかは端的にわからず、やってくるも何も常に既にそこにあり、しかもこちらはその動きや展開を第一次的にコントロールすることはできないわけだ。まあそういうことを考えているうち、二時間くらい経ったらもう起きてしまおうかなと思っていたのだが、いつの間にか無事に寝入っていた。
  • (*2): 「こう仮定することはできないだろうか。ビンビサーラは物心ついたときから以降もうまもなく臨終を迎えるいまに至るまで、途轍もなく長い、ひとつながりの文章をしゃべり続けている。途中には話題の転換や逸脱、休憩が入ることはもちろんあるにしても、彼がいま語っている事柄は常に、なんらかの形でそれ以前の話を踏まえたものにならざるを得ないのだから、それは長い長い一本の文章を語っているのと同じことではないか。だが、そこでラーフラは思い直した。これは人生の時間が途切れなく続いていることのたんなる言い換えに過ぎない。彼はふたたび人間の人生が過去でできていることに思い当たった。どんな時間でも過ぎてしまえば、人間は過去の一部分を生きていたことになるのだけれど、ここで不思議なことは、今このときだっていずれ思い返すであろう過去のうちのひとつに過ぎないということなのだ。だから、という繋がり方はラーフラにもうまく説明はできないのだろうが、ビンビサーラもまた生き続ける、彼が話し続ける限り死ぬこともない」(磯崎憲一郎『肝心の子供』河出書房新社、2007年、79~80)


・作文
 19:32 - 20:32 = 1時間(5月15日)
 21:05 - 21:25 = 20分(メッセージ)
 21:25 - 21:56 = 31分(4月28日)
 22:42 - 23:42 = 1時間(5月15日)
 23:42 - 24:03 = 21分(4月28日)
 24:11 - 24:48 = 37分(5月15日)
 24:54 - 24:55 = 1分(5月15日)
 25:31 - 25:44 = 13分(5月15日)
 26:34 - 26:39 = 5分(5月15日)
 27:30 - 27:32 = 2分(5月14日)
 計: 4時間10分

・読書
 16:03 - 16:55 = 52分(英語 / 記憶)
 16:56 - 17:05 = 9分(『古今和歌集』: 18)
 17:49 - 19:32 = 1時間43分(日記 / ブログ)
 25:00 - 25:30 = 30分(ヒリス・ミラー、書抜き)
 25:45 - 26:28 = 43分(『古今和歌集』: 18 - 22)
 26:40 - 27:22 = 42分(蓮實)
 計: 4時間39分

  • 「英語」: 72 - 92
  • 「記憶」: 99 - 103
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 18 - 22
  • 2019/4/20, Sat.; 2019/4/21, Sun.; 2019/4/22, Mon.; 2014/6/30, Mon.; 2014/7/1, Tue.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-03-11「感動という文字までも気に障る誰にも見せない誰にもあげない」; 2020-03-12「収穫を迎える手つきのようであるマグを手にする冬のあなたが」; 2020-03-13「街、灯り、犬の遠吠え、十トン車、道ゆく俺も風景である」
  • 「at-oyr」: 2020-02-15「コンチネンタル」; 2020-02-16「バンド・ワゴン」; 2020-02-17「一滴」
  • J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、書抜き
  • 「映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー」: 「第1回 執筆中の『ジョン・フォード論』について」(2020/5/8)(https://kangaeruhito.jp/interview/14514
  • 「映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー」: 「第2回 『市民ケーン』は真に偉大な作品か?」(2020/5/9)(https://kangaeruhito.jp/interview/14520

・音楽