2020/5/19, Tue.

 主人公は読者の視線をも担うために、私的な性格を持ちえない。語り口は激越な口調を排し、自己の感情を押し殺した淡々とした表現で、いかにも公平無私のようにみえる。しかしこれこそが、文学のなかにカフカがこっそりと仕掛けた罠だったのである。ゲオルクは客観性を装いながら、常に自分のことのみを語っている。他の人物はただ自分との関係から述べるに止め、自分と繋がりがなければまったく無視してしまう。従ってゲオルク以外の人物は、全て彼との関連で現れる。『判決』への出番を決定するのは常にゲオルクである。このような舞台設定では、主人公のみがいつも正しい言動をなすことになる。読者は主人公に関する情報を、豊富とはいえないまでも必要なだけ、しかも彼の論理的な思考を経た形で提供される。一方他の作中人物は、主人公の目が届かない行動は一切伝えられないので、不合理でいかがわしい、またある場合には主人公の父親のように妖怪じみた人物になってしまう。そこで読者は、論理的で矛盾のない行動をとるゲオルクに、いつのまにか荷担していることになる。
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、44)



  • 雨降りで白っぽい灰色の日和。離床は例によって午後になった。
  • 食事を取りつつ、テレビで『家栽の人』という刑事ドラマの類が――母親が撮っておいたものらしく――流れるのを途中から何となく見た。船越英一郎が演ずる家庭裁判所の桑田という判事が主人公で、植物好きの彼は裁判所の庭にある草木を日々自主的に世話しており、周囲からは「変人」扱いされながらも同時に、良きにつけ悪しきにつけそれぞれ何らかの意味で気になる人間として受け止められている。所長などは、飲み屋で家裁の仕事について持論を披瀝した際――家庭裁判所の本当の仕事は事件の真実を明らかにして少年少女たちを裁くことにあるのではなく、それももちろん大事ではあるが、真に重要なのは犯罪を犯した少年少女らの「心」を理解すること、そしてそのことを(すなわち、自分たちが相手の「心」を理解していること、あるいは少なくとも理解しようと努めているということを)子供たちに理解させ、わかってもらうことだ、というのがその内容である――桑田判事はそれができる人だと思います、と彼に高い評価を与えている。物語は男と女、そして金と家族を巡るもので、母親が「男」に頼らなければ生活を立ち行かせることができないこと、そうした母親に対して「息子」は憎悪を抱くこと、そして登場人物の手から手へと「金」が渡され、人間を介在として移動するとともにまたその「金」自体も介在的な機能を得ること、などを結節点として何らかの見取り図が描けるのかもしれないが、それができたとしてもあまり面白いことにはなりそうもない。最終的にはありふれた良い話にまとまって退屈ではあるけれど、それはこういうテレビドラマの作劇における約束事なのでそれも別に良い。こちらとしては劇中、事件の真実を探求するためのきっかけとして、「ビワの花」という具体的な事物が挿入されている点が、なぜかわからないがほんの少しだけ好感を持てた。
  • 今日も「英語」記事及び「記憶」記事を復読する時間を取れた。その後、昨日に引き続き柔軟運動。不定形に色々な姿勢を取りつつ身体を伸ばして筋を和らげることを、結局一時間も続けてしまった。肉体は相当に軽くなったものの、やはり手強い箇所が二つ残って、それは腰と首である。これらの部位はなかなかしぶとく、伸張の圧力が細部まで、あるいは内部の核心的なところまでうまく及んでいかない感じがある。
  • 書抜きもできた。J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』(法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年)だが、この書籍はそこまで刺激的ではなく、もう一度読み返すほどのものではないと思うので売ってしまおうと考えている。と言うか正確には、内容はともかくとして、訳文が日本語の文章としてとても素晴らしいとは言えないものだったので、少なくとも邦訳を読み返す気にはならないということだ。原書で読む機会がいつかの未来に巡ってくる可能性がまったくないとは言えない。
  • 五時を回って夕食の支度へ。新玉ねぎとエノキダケを鶏肉とともにソテーしながら、"But Not For Me"や"That Old Feeling"を口ずさむ。また、「ひらつるうどん」なるものが冷蔵庫に一袋あり、煮込みうどんが食べたくなったので二人前のそれを半分にして調理した。具は玉ねぎとエノキダケと溶き卵。粉の出汁に椎茸の粉、鰹節と乾燥昆布を加えて味わいを醸そうと試みる。仕上がると六時頃だったが、腹が減っていたのではやばやと食事。
  • 食後はアイロン掛け。テレビはニュースを映しており、見れば新型コロナウイルス騒動で各種代行サービスが盛況らしく、ゲームセンターでクレーンゲームを代行するサービスなども始まったと言う。店員が客の代わりにクレーンゲームをやる様子をタブレットで映し、リアルタイムで客とやりとりを交わしながら遊ぶというもので、もちろん利用者は自分の手で機械に触れて操作することができないわけだから、クレーンゲームが好きな人にとってそれは面白いのだろうか? と思ったのだけれど、要はゲーム実況動画を見ているのと同じような感じなのかもしれない。料金は基本的に、一〇分単位で(と言っていたはずだが)一〇〇〇円から二〇〇〇円。正直、普通に高くない? と思うが、値段に幅があるのは担当する店員の腕前によって変わるのだということ。ニュースで実演していた人は店長だったのだが、彼は「クレーンゲーム達人検定」一級のつわものだと言う。こういうサービスが導入されたという社会的事実から理解できることの一つは、いまやゲームセンターの店員さえもが「見られる」立場、「披露する」立場になったということ、すなわち、純粋なゲームの腕のみならず交話的なやりとりも利用して画面の向こうにいる顧客(観客)を楽しませながらパフォーマンスを演ずる役割を担わされるようになったということで、言い換えればゲームの力量とともに話術の類、つまりは一般的にコミュニケーション能力と呼ばれる資質とでもって客に娯楽を提供するエンターテイナーとしての能力を求められるように――少なくとも一部界隈では――なったということで、まったく大変な世の中であり大変な時代だなあと思う。
  • 自室に下りて今日のことをメモ。新聞記事もここにメモしておく。一面には、【検察庁法案 今国会見送り】との報。安倍晋三首相は、「国民の理解を得て進めていくことが肝要だ。批判に応え、丁寧に説明していくことが大切だ」と記者団に語ったとのこと。ここで言われている「丁寧に説明」することとは一体どういうことなのか、どのような行為を意味しているのだろうかと言うか、意を尽くして「丁寧に説明」することはもちろん当然の姿勢だろうと思うものの、しかしまた「説明」が「丁寧」だろうが粗雑だろうが、法案の内容に問題点があるのではと指摘されたときに、まさしくその「批判に応え」て相手の言い分も理解しながら適切な修正や改良を施していかなければ、いくら「丁寧に説明」しても「国民の理解を得」ることは叶わないのではないかとか思ったのだけれど、たぶんそこまで考える必要すらなく、こういう場合の「丁寧に説明」するという言明は、おそらくこの世でもっとも一般的な決まり文句の一つなので、実際上この発言はほとんど何をも意味していないと取るべきなのかもしれない。
  • 五面(国際面)には、【韓国 勢い増す左派 光州事件40年】の記事。「韓国の文在寅大統領は18日、軍事政権に鎮圧された1980年の民衆蜂起「光州事件」から40年に合わせた追悼式典で演説し、「国家暴力の真相を必ず明らかにしなければならない」と述べた」。 「光州事件は、文政権と与党の中枢を占める左派勢力が主導した87年6月の民主化の原点と言われる。しかし、軍政トップだった全斗煥[チョン・ドゥファン]元大統領(89)が市民への発砲を指示したかどうかなど核心部分は今も明らかになっていない」らしい。そして、「光州事件当時、国軍保安司令官としてデモを鎮圧した全氏は1995年、光州事件などの責任追及を受けて逮捕され、97年の最高裁判決で無期懲役と在任中の不正蓄財に対する巨額の追徴金が確定した。ところが、金泳三[キム・ヨンサム]政権下の97年末、全氏は国民和解のためとして特別赦免された」。文在寅は「光州事件における民主化運動の理念を国民が継承すると憲法に明記」することを目指しており、光州MBCとのインタビューによれば「(光州事件が)全国に拡散したのが(1987年)6月民主化抗争であり、その未完部分が(朴槿恵政権を退陣させた2016年の)ろうそくデモとして表れ、今日の政府に至っている」と語ったとのこと。これが彼の韓国現代史(の一側面)についての歴史認識――すなわちストーリー的把握――の簡潔な要約のようだ。
  • 光州事件に関しては註で説明が付されており、曰く、「1979年10月の朴正熙[パク・チョンヒ]大統領暗殺後の民主化運動に対し、全斗煥国軍保安司令官を中心とする新軍部は80年5月17日、非常戒厳令を全国に拡大し、運動の指導者、金大中氏を拘束した。金氏の地盤の南西部・光州市内で反発した民衆が蜂起し、翌18日から27日にかけて軍と衝突、光州市によると161人が死亡した」と言う。戦後数十年間軍政下にあったこと、そのなかで例えばこのような事件が起こったことなどは、やはり韓国の人々の一般的なメンタリティに何らかの意味で影響を与えて、それを日本の人々の心性とは多少なりとも異なったものにしているのかもしれないなあ、とか漠然と思った。
  • その記事の左には【イスラエル 入植地併合へ法整備 新政権初閣議 ネタニヤフ氏意欲】がある。「イスラエルで17日、通算5期目となるベンヤミン・ネタニヤフ首相による新政権が始動し」、「「閣議では[ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地の]併合に向けた法整備も推進することを確認した。ネタニヤフ氏は17日、新政権発足後の初閣議で、入植地について「早期にイスラエルの主権下に置くべきだ」と強調した」らしいので、相変わらずの強引ぶりである。政権には「青と白」及び中道左派の「労働党」が参加しており、「連立合意では来年11月をめどに「青と白」トップのベニー・ガンツ参謀総長が首相を引き継ぐことになっている」ものの、識者によれば、「汚職問題で起訴されたネタニヤフ氏が簡単に禅譲するとは考えられない」と言う。「収賄罪などに問われたネタニヤフ氏は24日に初公判を控えて」おり、「イスラエルの法律では、起訴されても首相職にとどまる限り、辞職の必要はない」のだが、「首相職から外れた時点で議員辞職が求められ」るからだ。
  • 四時四分から三五分まで、ベッドで奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年)のメモを取って消灯。


・作文
 18:59 - 19:58 = 59分(5月19日)
 20:10 - 20:48 = 38分(5月18日)
 20:48 - 21:02 = 14分(5月12日)
 22:12 - 22:24 = 12分(5月12日)
 23:42 - 25:42 = 2時間(5月12日)
 26:20 - 27:07 = 47分(4月29日)
 計: 4時間50分

・読書
 14:26 - 14:49 = 23分(英語)
 14:52 - 15:22 = 30分(記憶)
 16:33 - 17:15 = 42分(ヒリス・ミラー、書抜き)
 25:47 - 26:05 = 18分(Jordison)
 28:04 - 28:35 = 31分(古今和歌集
 計: 2時間24分

・音楽

  • Julian Lage『Modern Lore』
  • Junior Mance『Junior Mance Trio at the Village Vanguard
  • dbClifford『Recyclable』
  • Donny Hathaway『These Songs for You, Live!』
  • Robert Glasper『Covered』