2020/6/14, Sun.

 フランスのおもちゃは、大人の仕事の世界を文字どおり[﹅5]前触れしている。明らかにこのことは、子供が熟考するまえに、いつの世でも兵士や郵便夫やヴェスパといったものを生み出してきた自然というアリバイを作り上げることによって、子供にそうした仕事すべての受け入れ態勢を取らせることにしかならない。ここではおもちゃは、大人を驚かせないものすべてについてのカタログを届けてくれる。すなわち戦争、官僚制、醜さ、火星人などなど。とはいえおもちゃは、その文字どおりの性格ほどには、権威放棄の記号としての模倣物というわけではない。フランスのおもちゃは、ジヴァロ族の縮んだ首のようなものである。林檎ぐらいの大きさをしたそのなかは、大人の顔のしわや頭髪も見つかるのだ。例えば、おしっこをする人形がある。その人形には食道があり、哺乳瓶を与えると、おむつを濡らす。するとまもなく、お腹のなかのミルクは、必ず水に変わることになっている。人はこのおもちゃによって、幼い少女に、家事の因果関係に対する準備をさせることができる。母親という将来の役割に向けて、彼女を「条件付ける」ことができるのだ。ただ、この忠実にして複雑な物の宇宙を前にしたとき、子供はもっぱら所有者、使用者となるばかりで、決して創造者とはなりえない。子供は世界を発明せず、それを使用するのだ。子供のために準備されているのは、冒険も、驚きも、喜びも伴わない身振りである。子供は、大人の動機を思いつく必要すら持たずに、家でくつろぐのが好きなちびの所有者にさせられる。そうした動機はすべて、出来上がったものとして与えられる。子供は使用するだけでよい。自分で見て回るようなものは、何一つ与えられない。どんなささいな建物のおもちゃでも、あまり凝ったものでないかぎりは、かなり異なった世界の訓練を含んでいるものだ。そこでは子供が、意味を持った対象物を創り出すことはまったくない。子供にとっては、対象物が大人向けの名称を持つことなど、たいして重要ではないのだ。子供が鍛錬するのは、使用ではなく、創造である。子供は、動いたり回転したりする形式を創造する。所有ではなく、生命を創造するのだ。諸々の対象物は、そこでは自ら動き出す。それらはもう、手のなかで動かない厄介な材料ではない。だが、そういうことはもっと稀だ。フランスのおもちゃは、たいてい模倣のおもちゃであって、子供を創造者でなく使用者にしようとしているからである。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、92~94; 「おもちゃ」; 初出: 『レットル・ヌーヴェル』誌、一九五五年二月号)



  • 一時過ぎまで滞在。ちょっととどまりすぎた。夢見があったがよくは覚えていない。なにか山か小高い丘のような場所にある寺社もしくは墓地をうろついている場面があったはず。大理石か御影石みたいな素材でつくられた階段があるのだが、その一段一段の差が相当に高くほとんど壁のような感じで、下りていくのにちょっと不安を覚えるほどだったし、これじゃあ老人などは上れないぞと思った。その墓場を歩いているとゾンビの一団が現れ出てくる、みたいな展開もあったと思う。それと直接つながっていたかどうか、空間の雰囲気としては似ていた気もするのだが(おそらく初夏から盛夏にかけての空気感と自然に近い場所の気配)、裏路地風の道の途中で現実の彼よりも若い容貌の浅田彰がさわやかな出で立ちでしゃがみこみ、汗をかきながら草取りをしていた。浅田はみずからの肉体でもって行動をするということについて何かしらのことを述べ、こちらはそれに対して、あれだけ明晰な思考を積みかさねてきた浅田彰という怜悧極まりない人間が、その果てで行動するということの意味について語っているわけだから、これは説得力があるなと思った。
  • ほか、自宅の居間にこちらとM. S(高校時代のクラスメイト)か誰か男性がひとりと、もうひとりの女性とO. Sさん(おなじく高校のクラスメイト)が集まっているシーンもあった。たしか学校に行くはずがいざ学校に着いてみるとそこがなぜか自宅の居間だったという展開だったと思うのだが(夢のなかでは例によってそのことに疑問は覚えなかったわけだけれど)、それで順番に風呂に入るみたいなことになった気がする。しかし記憶は淡い。そのなかでOさんはずっと顔を伏せていたのだったか、あるいは眠くて突っ伏していたのだったか、ともかく周囲とコミュニケーションを取らない沈黙体と化していたのではなかったか。しかしその後、またべつのシーンでこちらと彼女が二人でやりとりを交わしていたような覚えもある。
  • 天気は曇り、と言うか雨降りだったのか? 湿り気に浸透された外空間にはウグイスの声が絶えず放たれ響いている。寝床でだったかその後のことか、ホトトギスが盛んに鳴くのも聞いた。
  • 食事を取って風呂洗い後に帰室すると、普段は日記を書いたり文を読んだりウェブに遊んだりするわけだけれど、今日はなんとなく進行中の詩片に目が留まって久しぶりにいじりはじめた。歯磨きしながら一時間改稿して三時に至る。

 さしあたり何だって良いのだけれど
 例えば
 これはあくまで例えばの話だが
 自分がいまそれに指を触れているというだけの理由で
 キーボード
 とひとまずここに打ちこんでみる
 キーとは鍵のことだろう
 ただ
 玄関の扉を閉ざし守っているあの鍵
 すなわち錠前とも呼ばれるものと
 キーボードのひとつひとつのボタンとは
 一見、似ても似つかない
 鍵盤楽器の鍵[けん]と鍵[かぎ]とが
 なぜどちらも同じ漢字で
 なぜどちらもキーと呼ばれるのか
 その由来をぼくは知らないが
 わざわざ知ろうとする気もない
 さしあたりそれはどうでも良いことだ
 ところでボードのほうはと言えば
 これはもちろん板のことで
 例えばサーフボード、スケートボード、ホワイトボードなどがある
 濁点を二つ取ってボートにしてみても良いし
 そこからさらに
 コートとかソードとかノートとかを連想しても良い
 ノートは言語と親和性が深いから
 多少惹かれる気持ちがないでもないが
 でもここはひとつ、しりとり方式で行ってみようか
 つまりキーボードのドを取って、そこから始まる言葉を繋げてみるということで
 すると即座に、土管という語が思い浮かぶ
 あるいはドラゴンであっても良いけれど、いずれにせよ
 もしこの世界がしりとりだったらいまここで世界は終わってしまったわけだ
 とは言え、この世はもちろんしりとりではないし
 そもそも、んがついたら負けというのは
 たぶん、日本語のなかでだけ通用しているルールに過ぎないのだから
 (外国にしりとりがあるのかどうか知らないが)
 んから始まる言葉があったって何もいけないことはない
 例えば
 チャドだかどこだか忘れたけれど
 アフリカのある国には、ンジャメナ
 という名の都市があったはずだ
 その国について僕が知っているのはたったそれだけで
 このことからも明らかだろうが
 ひとりの人間がこの上なく真摯に一生を費やしたところで
 この世界のことを塵ひとつ分も知ることができないのは間違いない
 それはぼくの兄貴が昔、言っていたことだ
 もちろん、だからといって
 絶望する必要などあるわけもなく
 そうでなければ、人間など生きていられないに決まっている
 退屈があっという間に彼らを殺しにかかるだろう
 何しろ
 退屈というやつは神をも殺しかねないほどに強力なので
 人の身がそれに打ち勝てるはずもないし
 神さまだって、要するに
 きっとその退屈をなぐさめるために人間を生み出したのだろう
 だからぼくらは、せいぜい愉快に踊りまわって
 ひとりぼっちの創造主さまを楽しませてやらねばならないが
 そういうぼくらだって、手慰みに
 例えば、鍵盤楽器を弾いたり
 あるいは、しりとりをして遊んだり
 ときにはこんな言葉の連なりをつくってみたりもするわけで
 こうして退屈しのぎの創造は反復される
 ところで一応言っておくが
 こんな言葉の連なりは
 もちろん詩なんてものじゃあない
 ある詩人に言わせれば
 詩なんてものには詩でないことが書いてあるらしい
 ということは、本当の詩は
 詩でないもののなかにあるのか?
 どちらにしても、こんな言葉の連なりは
 もちろん詩ではないわけなので
 だからタイトルをつける必要も当然ない
 詩に題をつけるのは俗物根性
 別のある詩人もそう言っていた
 それでももしつけるならすべてとつけるか
 それかこんなところだ今のところ

  • 書見ののち、五時過ぎに上階へ。母親とともに父親が台所に立っていた。こちらもそこに加わり、ゴーヤの炒め物をつくる。かたわら父親は母親の指示で天麩羅を揚げる。ゴーヤは切って綿をくりぬき、塩もみしたあと茹でて、タマネギや豚肉と合わせてソテーし、最後に溶き卵を入れて仕上げる。六時だったのでもう飯を食おうと思ったが、まだ米が炊けていなかったから室へもどり、Mr. Children『深海』を流してうたいつつ今日のことを記録した。上の詩片に使った「退屈は神をも殺す」というフレーズは、こちらの記憶では中村恵里加藤倉和音・イラスト『ダブルブリッド』(電撃文庫、二〇〇〇年)というライトノベル参照元で、この小説の発刊当時こちらはまだ一〇歳である。一〇歳のときにはまだライトノベルに触れはじめていなかったので実際に読んだのはそれから三年くらいのち、二〇〇三年とか二〇〇四年のことだと思うけれど、したがって一六、七年ほど前の記憶になる。この本の一巻目の最初の章の表題がその言葉だったような気がするのだが、記憶に自信がなかったので検索してみたところ、作中に上の文言が使われているのはたしからしいけれど章の題名に関する確定的な証拠は出てこなかった。
  • ついでになぜか自分の読書歴をふりかえってしまったのだけれど、こちらの読書遍歴において一番古いものとして明確に記憶しているのはルース・スタイルス・ガネット『エルマーのぼうけん』という本で、これは小学校三年生くらいから何度か読んでいたと思う。その後、おそらく五年生か六年生のころに講談社の「青い鳥文庫」というものの存在を知り、そのなかで松原秀行のいわゆる「パスワード探偵」シリーズと、はやみねかおるの「名探偵夢水清志郎」シリーズにはまった。いま(と言うのはこの六月一四日当日)検索してみたら「青い鳥文庫」ってまだまだ余裕で続いていて驚くのだけれど、サイトを瞥見したところではたとえば「探偵チームKZ事件ノート」というシリーズなどが見られて、いまも昔も子どもはやはりミステリが好きなのだ。この「探偵チームKZ事件ノート」の作者は藤本ひとみという人で、この名はたしかフランス革命あたりを題材にした歴史小説書いてなかったっけと思ってまた検索にかけると、やはりその人だった。先の「探偵チームKZ」のページ(http://aoitori.kodansha.co.jp/series/KZ/)には原作者からのメッセージの欄があるのだけれど、そこに「私は実は、ほとんど小説を読みません。よく読むのは哲学書。好きなのは、ニーチェカミュです。ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」などは、ほとんど暗記しています」という言葉が見られ、児童文庫のメッセージでニーチェカミュの名前出すとかこの人イキリすぎでしょと笑った。一方ではやみねかおるの「怪盗クイーン」シリーズも人気が続いているようで、この人もキャリアが長い。
  • で、「青い鳥文庫」を読んでいた小五のときにクラスメイトになったI. Sによって富士見ファンタジア文庫秋田禎信魔術士オーフェン」シリーズの存在を知らされ、こちらはここではじめてライトノベルというものに触れたわけだ。たぶん当時人気を二分していたのではないかと思うけれど、おなじファンタジア文庫神坂一スレイヤーズ』シリーズもいくつかは読んだ。ただこの作品はどちらかと言えばギャグ寄りであり、たとえば爆発音をあらわすのに「どおおおおぉぉん!!!」みたいな擬音を巨大なフォントで実にでかでかと記すという表記法を取っていて、そういうのはやはり子供だまし感は否めないわけだ。それよりも秋田禎信のなんだかよくわからん回りくどいような言い方とか自意識過剰な独白とかのほうが当然いわゆる「中二心」をくすぐるわけで、だからこちらも『スレイヤーズ』は何冊か読んだところで飽きて、「オーフェン」のほうにかたむいていった。よく覚えていないのだが、一応その後、キエサルヒマ大陸を舞台とした物語の範囲では全巻読んだはずだ。たしかこちらが高校生か大学生のときに、我が聖域になんとかかんとかみたいなタイトルのキエサルヒマ大陸篇最終巻が出た覚えがあり、作品はその後大陸を飛び出して新世界に移り主要人物もオーフェンとクリーオウの子どもらの世代に変わっているという話だが、そのあたりのものはひとつも読んでいないし、なんだったらキエサルヒマ大陸篇もあまりよく覚えてはいない。富士見ファンタジア文庫だとあとたぶん『フルメタル・パニック』シリーズが人気だったと思うけれど、こちらはこれにはまったく触れていない。ほかに中学生のときによく読んだライトノベルとしては時雨沢恵一黒星紅白・イラスト『キノの旅』があり、これはなぜかわからないが数年前にいたってようやく漫画化されていたはずで、二、三年ほど前にアニメもやっていた覚えがあるしいまもたぶん結構人気なのだろう。電撃文庫の作品で触れたのは『キノの旅』が最初だった気がするが、同文庫であとよく読んだのは川上稔終わりのクロニクル』シリーズで、これは全巻通読した。こちらとしては、『境界線上のホライゾン』よりもこの作品のほうをアニメ化してほしかったところだ。あと、いまやもう忘れ去られてしまったのではないかと思うのだけれど、甲田学人『MISSING』というホラー作品もあって、これは正直かなり怖くて面白かった。しかし全巻は読んでいない。上に挙げた『ダブルブリッド』もたしか五巻くらいまで読んだような気がする。評判の高い上遠野浩平ブギーポップは笑わない』シリーズはこちらは通過しておらず、いままでまったく読んだことがないし、どういう作品なのか聞きかじりの情報すら持っていない。そのほか、橋本紡リバーズ・エンド』なんていう名前も思い出したが、これは一巻か二巻までしか読んでいないし、内容はすこしも覚えていない。
  • そして、電撃文庫と言うならばやはり秋山瑞人駒都えーじ・イラスト『イリヤの空、UFOの夏』全四巻を挙げないわけにはいかないだろう。これはおそらくいまでもジュヴナイル系の小説の名作として評判が高いと思うし(大森望がSFの傑作選みたいなものに挙げて絶賛していたはず)、いわゆる「セカイ系」作品の最初期のものとして語られることもあるはずだ。こちらも何度かくりかえし読んだはずで、色々な箇所を記憶している。たとえばまず冒頭の文は、「めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と誰かが言っていた。/だから自分もやろうと、ずっと前から決めていた」みたいな感じだったはずだ。それで主人公・浅羽直之は夏休み最終日の夜に学校のプールに忍びこんでヒロイン・伊里野加奈と遭遇するのだが、彼女に泳ぎを教えている途中でその手首に金属の球みたいなものが埋めこまれているのに気づいておののく浅羽にイリヤが、「なめて、みる?」「でんきの、あじが、するよ」とか言ったのも覚えている。序盤では、幽霊の噂についての調査はどうするんですかと慌てる浅羽に、水前寺邦博・新聞部部長が部室の窓をがらっと開けて、「おっくれてるう――――――っっ!!!!」と咆哮し、幽霊などはもはや時代遅れである、六月二四日は「全世界的にUFOの日」なのだと宣言する有名なシーンもある。保険医として学校に潜入していたイリヤの同僚の女性(椎名とか言ったか?)が、たしか時計塔みたいな場所で浅羽と諍いになって彼をボコボコに殴りつけながら、なんもわかってねえクソガキが、てめえはさっさと家に帰ってしこしこチンコ擦ってろ! みたいな罵倒を吐いていたのも覚えている(あるいは、あんたがしこしこひとりでチンコ擦ってるあいだにカナちゃんがどんな思いをしてるか、何も知らないくせに! みたいな感じだったかもしれない)。チンコ擦る関連で言うと三巻だったか四巻だったか後半で、組織の追跡をのがれて逃避行に出た二人が(その逃避行に出る前に浅羽はトイレで(たしかライターで炙った?)ナイフを使って自分の首筋に埋めこまれた発信機をえぐり取るのだが、これも中学生にとってはなかなか痛くて恐ろしいシーンだった)廃校か何かを仮宿にしていると、おなじくそこに忍びこんだ泥棒みたいな男と遭遇し、交流するようになるのだけれど、浅羽がコンビニに買い出しに行っているあいだにイリヤが体育館かどこかでその男に襲われかけるという出来事があって、浅羽はそのときコンビニからの帰り道に草むらに落ちているエロ本を見つけ、その場で自慰をしていたところで、学校にもどったあとに、自分がチンコ擦ってるあいだにイリヤが襲われかけていた事実を知った浅羽は当然激しい自己嫌悪におちいる、というエピソードもあった。あとは気を失ったイリヤの制服をはだけて浅羽が注射を打つとか、三巻のおまけではなかったかと思うがイリヤと須藤(だったか?)という浅羽のことが好きな女子の大食い対決だとか、水前寺邦博と浅羽の妹がバイクで町を疾走して最終的に川に飛びこむだとか、浅羽とイリヤの映画館デートを尾行する椎名と榎本だとか、文化祭準備の夜に建物の屋根に上ってカップラーメンを食う榎本と浅羽だとか(これは有名なシーンだったはずだ)、文化祭後に園原山(だったか?)でイリヤが操縦するブラックマンタと二人だけでダンスする浅羽だとか、そういったもろもろの物語内容を記憶している。
  • それにはまずひとつ、中学二年生の四月にギターを弾きはじめたのでそちらのほうに熱中するようになったという事情があるだろうが、もうひとつにはその二〇〇四年や二〇〇五年あたりからライトノベルのイラストがだんだんと、いわゆる「萌え」的な感じと言うか肌色の面積が増えてけばけばしいような絵柄になり、要するにエロくなっていったので、自意識過剰な一〇代なかばの少年として本屋でライトノベルコーナーに立ち入ることやそれらの本をレジに持っていくのが恥ずかしくなったという理由があった。その羞恥心に打ち勝てていればこちらもいまごろ立派な二次元オタクになっていたのかもしれないが、しかし当時はまだいわゆるオタク文化というものは全然市民権を得ていなかった記憶がある。深夜アニメがどうのこうのとか言われるようになったのは、こちらの観測範囲では大学生になって以降、つまり二〇〇八年よりあとのことだ。さらに絞ればおそらく二〇一〇年あたりからではないかと思われ、そのころに至ってようやくこちらの耳には『涼宮ハルヒ』がどうのこうのとか届いてきたわけで、パニック障害で休学していたあいだだからちょうどその二〇一〇年中にこちらもいくつか、インターネット上の不法アップロードサイトを利用してアニメを視聴したのだった。アニメ版の『涼宮ハルヒ』自体は二〇〇六年発表のようだが、その時点ではおそらくまだ一般には全然膾炙していなかったのではないか。数年経ってようやくそのへんの大学生とかも面白いと言いはじめたという感じだろう。『涼宮ハルヒ』はこちらも一応見たし、あとは『Steins; Gate』なども見たけれど、これは二〇一一年の放映。Wikipediaに頼って各年の放送作品リストを調べてみたところ、たとえば二〇〇八年には有川浩原作の『図書館戦争』があり、これはたしか見たはずだ。『とらドラ!』も見た。『夏目友人帳』も、すべてではないが見た。『狼と香辛料』も見ており、このアニメの主題歌は哀感的な雰囲気が良いもので、たしか"旅の途中"という題だったと思うが、以前「(……)」のメンバーでカラオケに行った際にMUさんが歌っていた。『コードギアス』も休学中ではなかったと思うが見て、なかなか面白かった覚えがある。『西洋骨董洋菓子店 ~アンティーク~』の名前も見られるが、これはアニメ版ではなくてテレビドラマ版を見たことがある。全篇Mr. Childrenの曲を用いるという趣向だったので、ミスチル好きだった兄が見ていたのだ。ジャニーズの滝沢なんとかというあの人が主演で、小雪(だったか?)が雑誌編集者役、椎名なんとかいう(桔平だったか?)あの人がうさんくさい感じのケーキ屋店主で、阿部寛がその腹心みたいな感じで「カゲ」というあだ名で呼ばれていた。
  • けいおん!』は二〇〇九年で、これも一応見たはず。富士見ファンタジア文庫原作の『鋼殻のレギオス』も二〇〇九年で、これはアニメに触れはじめて二作目か三作目に見たものだったと思う。一番最初に見たのがなんだったかは覚えていない。二〇一〇年には森見登美彦の『四畳半神話大系』があってこれは見た。森見は当時わりと読んでおり、デビュー作の『太陽の塔』、『四畳半神話大系』、一番有名な『夜は短し歩けよ乙女』、『有頂天家族』、『宵山万華鏡』などを読んで、この最後の作品がけっこう美的な幻想風味があってわりと良かったような気がする。あと『竹林と美女』みたいな題の、エッセイなのかなんなのかよくわからない竹を切る話があったと思うが、それも読んだ。去年あたりに出て評判が良かった『熱帯』は読んでいない。
  • 二〇一一年には『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』があって、この作品はめちゃくちゃ感動して泣けるみたいな評判をおりおり聞いてきたが、見てはいないし、こちらにはめちゃくちゃ感動して泣きたいという欲望は特にない。『境界線上のホライゾン』もこの年で、上述したように川上稔は昔読んでいて『ホライゾン』も途中までは読んだので第一期第二期ともに見た。二〇一二年に入ると綾辻行人原作の『Another』があり、これも見た。『あの夏で待ってる』というのは宇宙人の先輩と映画を撮る青春譚みたいなやつだったと思うが、これも見た。西尾維新原作の『偽物語』もあるが、その前の『化物語』はアニメも見たし、原作も図書館で借りて読んだ覚えがある。米澤穂信の『氷菓』も見た。『坂道のアポロン』も見ており、このアニメはジャズを題材にしたもので、劇中の演奏もプロが実際に演じていてHorace Silverの"Blowin' The Blues Away"なんかセッションしていたし(たしか類家心平がトランペットだったのではないか?)、文化祭で"My Favorite Things"と"Someday My Prince Will Come"をメドレーする場面があってそれはかなり良かった覚えがある(ピアノは松永貴志、ドラムは石若駿だったはず)。『PSYCHO-PASS』は普通に面白かったし、ディストピアものとして批評も色々書かれているだろうし、作中にルソーとかニーチェとかオルテガとかが引かれていて、知的ぶって衒学的優越感を得たい大学生の心をくすぐりそうな感じだった。『人類は衰退しました』も見た。このアニメはオープニングテーマが五拍子だか七拍子だか忘れたが普通より一拍多いか少ないかのキャッチーな曲でけっこう良かったし、エンディングテーマのほうもなんか変な感じの、流体的みたいな雰囲気でコード進行も面白く、凝った曲だった。『ソードアート・オンライン』も一応見たので、だからこのあたりの年まで、つまり大学在学中はわりとアニメを見ていたようだ。二〇一三年のリストを見ると視聴した覚えのある作品はないので、こちらのアニメ歴はここまで。二〇一三年一月からは読み書きをはじめた。

 中編小説『サラジーヌ』のなかで、バルザックは、ある女装した去勢者について語り、つぎのような文を書いている。《それは女特有のとつぜんの恐れ、訳のわからない気まぐれ、本能的な不安、いわれのない大胆さ、虚勢、えもいわれぬ感情のこまやかさをもった、まぎれもない女だった》と。しかし、こう語っているのは誰か? 女の下に隠されている去勢者を無視していたいこの中編の主人公か? 個人的経験によって、ある「女性」哲学をもつようになったバルザック個人か? 女らしさについて《文学的》意見を述べる作者バルザックか? 万人共通の思慮分別か? ロマン主義的な心理学か? それを知ることは永久に不可能であろう。というのも、まさにエクリチュールは、あらゆる声、あらゆる起源を破壊するからである。エクリチュールとは、われわれの主体が逃げ去ってしまう、あの中性的なもの、混成的なもの、間接的なものであり、書いている肉体の自己同一性そのものをはじめとして、あらゆる自己同一性がそこでは失われることになる、黒くて白いものなのである。
 (ロラン・バルト/花輪光訳『物語の構造分析』みすず書房、一九七九年、79~80; 「作者の死」)

  • 「起源」の「破壊」についての途中だった。この「破壊」はひとまず「無化」というような意味で考えようかなということだったのだが、「エクリチュール」、と言うか作品の「起源」とはそもそもどういったものか? ということを次になんとなく考えようと思う。まず、ここで挙げられているバルザックの文章を例にすれば、作中でこういう一般的な「思想」のようなものが表明されると、なぜなのかわからないが一定数の人は、特に何の根拠もなく、これはバルザック自身がこういう考え方を持っていたのではないか? と思うわけだ。そういう人の想定からすれば、『サラジーヌ』にあるこの「女」観の「起源」は実存としてのオノレ・ド・バルザック当人だということになる。
  • べつの例を考えると、たとえば、小説ではないけれど今日の日記に上掲したこちらの似非詩片みたいなもののうち、「退屈というやつは神をも殺しかねないほどに強力なので」という一行は、先述のとおり中村恵里加藤倉和音・イラスト『ダブルブリッド』の記憶をもとにしたものである。だから一応、この一節の「起源」はその小説作品の一部だということになる。ただ、この「退屈は神をも殺す」という文言はあきらかにアフォリズムの類である。アフォリズムというのは、短く凝縮されていながら気の利いた表現で一般的な物事について真実味あることを述べるという言語形式で、この例だったら「退屈」という感覚の迫真性を、「神をも殺す」という大仰かつ仮構的な言い方でもって受け手に喚起させようとしたものだと考えられるが、こういう格言のような言葉というのは人間から人間のあいだへと時代と空間を越えて広く流布するものなので、『ダブルブリッド』のこの一節も、 書き手の中村恵里加が自分で考えたというよりは、おそらく何か元ネタがあったのではないかと推測される。もしそうだとすれば、「起源」はさらに遡行できるわけだ。
  • もうひとつべつの例を考えるに、二~三行目にある「例えば/これはあくまで例えばの話だが」という言葉は、蓮實重彦『小説論=批評論』(青土社、一九八八年)一八七~一八八頁の、「たとえば、これはあくまでたとえばのはなしだが、プーレ、バルト、ジャン・ルッセといったフランスの名前を引きあいに出しつつ文学における言語のあり方を検討しようという渡辺広士の「小林秀雄と言葉の問題」(「審美」終刊号)といった「文章体験」の希薄さには、正直いってうんざりしているのだ」という一文の書き出しを、表記は変えながらもそのままパクったものなので、したがってこの二行の直接的・一次的起源は蓮實重彦の上の文だということになる。この文言は先の例のようにアフォリズム的なものではなく、ごく一般的な言語使用の範疇なので、おそらく蓮實重彦のこの一節に直接的な参照源(ネタ元)はない。ところで蓮實重彦がこの一節を記すためには、当然まず彼が日本語を知り、身につけていることが必要である。で、蓮實重彦はこの世に生まれた時点では日本語を身につけていなかったはずなので、彼はどこからかそれを習得しなければならなかった。どこから習得したのか具体的にはわかるはずもないが、普通に考えれば、第一段階としてはまず母親や父親などの身近な人間が自分に語りかけたり周囲で言葉を交わしたりするのを聞き知り、そのうちにだんだん言語というものの存在や使い方を理解していったと思われる。これはこの世に生まれた人間のほとんど誰もが通過するプロセスだけれど、これほど不可思議なことはこの世界にはほかにあまりない。赤ん坊は、周りで話される言語を、つまり単なる空気振動を耳にすることで、他人が自分に向かって何かを伝えようとしていることや、人々がそれでもって意味伝達をしていることを、なぜか次第に理解するわけだ。既言語段階に入った人間からすると言語が言語であるということは自明だが、赤ん坊の知覚を想像するに、周囲で話されている言語もほかの無数の物音と区別されず同一の水準に置かれているのではないかと思うのだが。つまりそれは単なる音に過ぎないと思うのだが、ところがその音が意味を持っていて、人間の意図や意思を乗せているということが赤子にはだんだんとわかってくるわけだ。その理解にはたぶん言語だけではなくて身振りとかその他の要因も複合的にかかわっているだろうし、特に根拠はないけれどこちらの推測だとなかでもとりわけ顔が重要なのではないかという気がしていて、ことによったらレヴィナスがもちいる「顔」の概念とそういう話をつなげて考えることができるのでは? とか漠然と思っているのだけれど、それはあやふやな余談だ。
  • 話をもどすと、蓮實重彦が上の文を書くためには他者から注入される形で言語を習得しなければならなかったということだ。それは誰でもそうであるはずだが、その場合の「他者」はほとんどの場合ひとりではなく、むしろ複数であることが大半だろう。たとえば両親以外に兄弟姉妹がいることもあるだろうし、親戚や近所の人もいるだろうし、もうすこし年齢が行ってからは教育施設で出くわすほかの児童や大人、またもちろん書物もあるだろう。要するに、ある人間があやつる言語の根本的「起源」とは〈他者たち〉である。で、その〈他者たち〉がどうやって言語を身につけたのかというと、やはりおなじように〈他者たち〉から注入されたはずだ。言語はまさしくウイルスのように人間から人間へと渡ってその心身を浸食していくということで、リチャード・ドーキンスが「ミーム」とか言ったのってたぶんこういうことだと思うのだけれど、そういう感じで遡っていくとある本の一節の「起源」はほとんど無限に遡行させることができる。そして最終的にそれが至る先はもちろん原初的な言語の誕生なのだが、ところがどういうわけでこの世界に言語などというものが発生したのかを解明した人間はいままでいないし、たぶんこれからもいないのではないか。したがって、ある本に書きこまれた一節の最終的な「起源」は不明である、とこまかく考えれば一応そういうことにはなるけれど、これは要するに、個別的な言語の「起源」は制度的言語体系そのものであるという準 - 同語反復をしているだけなので、実質上、何も言っていないに等しい。
  • 作中の一節ではなく作品全体のレベルで考えてみると、たとえば谷崎潤一郎という作家が『痴人の愛』という小説を書いているが、この作品には「ナオミ」という女性の主要人物が出てくるところ、一般的にこのナオミは、谷崎が当時親しくしていたかあるいは一緒に暮らしていたのだったか、それとも囲っていたのだったか忘れたが、ともかく現実の女優をモデルとしていると言われているはずだ。で、この作品は最初から最後までほぼ主人公とナオミの関係を描くものだったはずなので、簡単に考えれば、全般的水準におけるこの作品の主要「起源」はその女優の人だということになる。
  • しかしそれでは作中のナオミの行動とか仕草とか発言とかが隅から隅まで現実の女優のそれを「忠実に」模写し、あるいは反映させたものなのかというとおそらくそうではなく、そこにはべつの要素も介在していたはずで、そのなかにはたとえば谷崎潤一郎の想像があるかもしれないし、谷崎が知っていたほかの女性や人物があるかもしれないし、書物やメディア情報から得たイメージなどがあるかもしれないし、まあそういった具合で色々と無数にあることのほうがむしろ一般的だろう。
  • そういうことはどんなテクストにも言えるはずで、だからまず第一にあらゆるテクストの最終的な「起源」は不明であり、第二に「起源」とはそもそも単一の点に決定できるものではなく、ほぼ本質的に複数のものだと言うことができる。しかしこのようなことは当たり前の話で、特に面白くはない。バルトはそのようなことを言っているわけではなく、「エクリチュール」とやらが「起源を破壊する」というのはもっとべつのことを指しているはずだと思うので、もうすこし違った方面から考えたほうが良いだろう。
  • そもそもたとえば『痴人の愛』の「ナオミ」の「起源」がある女優だと言われるときにそれはどういう事態を意味しているのかと考えるに、そこではまず、『痴人の愛』という小説作品がこの世に生み出されるより以前に、生身の人間としての女優が現実に存在していたということが前提されている。谷崎潤一郎はその女優とかかわり、彼女の姿を見たり、彼女の声を聞いたり、彼女の言葉を受け取ったりしたそのあとに、その体験をある程度は反映させる形で言語を文章に構成し、『痴人の愛』という作品を書いたと、そういう風にとらえられているはずだ。したがって、紋切型の比喩を使えば谷崎はここで「父」である。女優、もしくは谷崎が体験した女優との関係は「母」である。そして『痴人の愛』を構成する言葉は「子」であり、父母は子供に対して存在的に先行する。「エクリチュール」が作品の「起源を破壊する」というのは、この「先行性」を破壊するということなのではないか。
  • ロラン・バルトとしては、なんと言うかそれはたぶんほとんど生理的な抵抗感にもとづいていたのではないかと想像するのだが、この「先行性」を「破壊」したいのだと思う。なぜかと言えば、「先行性」とは「権威」と不可避的に結びつくからである。たとえば谷崎潤一郎が『痴人の愛』について、あの作品のナオミという人物は自分の知人の女優をモデルにした、と証言したとする。そのとき、すくなくとも二つの「権威」が発生することになるだろう。まずひとつには、「モデルの権威」である。つまり、そこには女優→ナオミという一方向的な変換図式が成り立つことになり、それを遡る形で作中人物のとらえ方が、あのナオミとは女優のことなのだ、という話に要約されてしまう。すなわち、女優→ナオミが、ナオミ=女優という等式に変形・拡張されるわけである。
  • 次に、「作者の権威」である。谷崎潤一郎は『痴人の愛』の言語連鎖を手づから書いた人間であり、もしその人間がナオミのモデルは女優だと明言した場合、この言葉は「作者」の地位と結びついて作品の「真実」を明かした/証したものだととらえられる。「真実」とは言い換えれば、最終的な到達点としての単一の意味のことである。この「真実」が統制的な「権威」を振るうもとで、『痴人の愛』という作品はその支配下で読むことしかできなくなるだろう。たとえば、谷崎は女優と自分自身との関係を表現して世に伝えたかったんだな、と考える人も出るだろうし、あるいはナオミと暮らす主人公の男性(名前を忘れたが)を谷崎と同一視して、その受動的と言うかやや被虐的かもしれない振舞いを谷崎の性的傾向と一致させて考える人も出てくるだろう。そういう理解の何が問題なのかと言うと、まずもちろんひどく退屈でつまらないという点がひとつあるが、それよりもさらに、「真実」によって作品の全体的な意味(そんなものはたぶん本当は存在しないのだとこちらは思うけれど)が一点に固定されてしまうということが問題なのだろう。ロラン・バルトという人は意味が一点に固化することがとにかく嫌いな人間で、常に複数性というものを擁護する。なぜ意味がひとつに固まることをバルトが嫌っているのかと言うと、こちらの推測するところ、まず退屈でつまらないからである。次に、固定化された意味は不可避的にステレオタイプとなって世を席巻し、人々の思考を支配するからである。言い換えれば、固化した意味は自明のものとなってあたかも「自然」であるかのような地位を得るということなのだが、バルトは「自然」ではないのにまるで「自然」であるかのように機能するものが大嫌いで、たぶんそれにかなりのレベルで生理的な嫌悪を持っていたのだと思う。バルトほどではないにしても、これは多くの人が実感的に理解できることだろう。自分の感じ方や考え方と違うことについて、それが普通でしょ! とか他人に押しつけられて不快に思った、という経験はわりと誰にでもあるのではないか? この「普通」が「自然」であり、「自明性」である。そして彼も言っているとおり(*1)、自明性というのはこの世界で最大の「暴力」である。だからバルトの言説は、その一面においては「暴力」批判であるわけだ(ということは、ベンヤミンとつなげて考えることができるのだろうか?)。で、「先行性」は「権威」を通じて「自明」な「自然」となって「暴力」へと至るので、彼はおそらくこの直線的経路を解体したかったのではないか。
  • *1: 「彼はこの暗い考えかたから離れることがなかった。それは、真の暴力とは《当然そうなるはずだ》ということの暴力である、という考えかただ。すなわち、自明のことは暴力的なのだ、たとえその自明の理〔明証性〕をあらわすやりかたが、やわらかく、自由主義的で、民主的であったとしても、である。逆説的なもの、一目瞭然としていないもののほうが、暴力性は弱いのだ、たとえそれが随意的に押しつけられたものであったにしても、である。筋の通らぬ法律をだしぬけに発布する暴君も、すべてを勘案してみるに、《当然そうなるはずのものごと》をただ言うだけでこと足りたつもりでいる大衆ほど暴力的ではない。畢竟「自然らしさ」こそ《暴行の最大のもの》なのだ」(佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルトみすず書房、一九七九年、122; 暴力、自明の理、自然 Violence, évidence, nature)
  • そこで「エクリチュール」という概念を打ち出し――と言うか、『零度のエクリチュール』以来、術語として導入していたその言葉の意味を拡張し、あるいは横滑りさせ――、「エクリチュール」においては「起源」、すなわち「先行性」などというものは存在しないのだということを言いはじめたのだと思われる。疲れたので今日はこのくらいで終えるけれど、ここで疑問に思うのは、バルト的には書かれた作品はすべて「エクリチュール」なのだろうか? ということだ。それとも「エクリチュール」と呼ぶに値するテクストとそうでないテクストがあるのか。『S/Z』を読んでいる感じでは後者なのだが、「作者の死」のなかではどうなっているのか、そのあたりをまた見ていく必要があるだろう。(ちなみに、この日の日記を綴っている七月二六日現在ではこちらは石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)を読んだあとだけれど、そのなかではたしか、「テクスト」とか「エクリチュール」とかは比喩をもちいて近づくことしかできず、概念的に定義することはできない、この作品が「テクスト」であるとかあのテクストが「エクリチュール」であるとかいうことは言えないのだ、と語られていたと思うし、ほとんどどんな作品にもある程度の「テクスト」がふくまれている、みたいなことも言われていたような覚えがある。この本は昨日、返却期限をむかえて図書館に返してしまったので、すぐにまた借りて書抜きをしなければならない)

In early 1946, U.S. Navy Commander Henry S. Bennett, a member of the Medical Corps who served with the U.S. Marines during the Battle of Okinawa, said: “Without doubt, our military operations in the Okinawa Gunto have caused far greater disruption, destruction and casualties than any previous violent historical episode in the archipelago, and cannot be regarded by people as anything but a calamitous disaster.”

This assessment was not an off-the-cuff remark but was included in the first detailed analysis of the battle appearing in the U.S. military’s most prestigious journal, U.S. Naval Institute Proceedings. Born and raised in Tottori, Bennett, who later became an internationally known anatomist and cell biologist, was particularly sensitive to the needs of civilians, making a number of recommendations about the military occupation of the island upon his return to the United States.

     *

The exact number of civilian deaths remains unknown 75 years after the battle began on April 1, 1945, but it is believed to be well more than 120,000, including nearly 30,000 locals conscripted into military service. (The Cornerstone of Peace in Okinawa has more than 149,000 names inscribed, but this includes those whose deaths do not directly relate to the battle itself.)

     *

The short answer is yes, indeed, the impact could have been greatly reduced. Specifically, the northern half of Okinawa, which has little strategic or military value above the Motobu Peninsula, should have been declared a noncombatant area, an “open city,” which meant that defenders would not try to defend it, thus negating the need for invading forces to bomb defenders or otherwise inflict harm or damage on the local population and environs.

Generally a mountainous area, northern Okinawa (otherwise known as Yanbaru) could not support any large military facilities and thus was not particularly valuable to Japanese forces or American ones.

It could support a civilian population, however, especially if the civilians through a mass — but carefully planned and executed with Okinawa Prefecture authorities — exodus were also evacuated with food and other supplies, tents and building materials to make additional structures.

Upon completion of the resettlement, the Imperial Japanese Army would have completely withdrawn its forces and any weapons from the area. The government of Japan could then have announced publicly and through the International Red Cross its actions to make the north a noncombatant zone and called upon the U.S. and its allies not to attack there. The U.S. 10th Army, in charge of Operation Iceberg, would have thus been obligated to respect the sanctity of the area.

Imperial Japanese Army efforts along these lines to resettle residents would have created a win-win situation, allowing freedom of action for the military to further prepare its defenses in the south and absolute safety for the civilians in the north. It would have been good for the invading U.S. forces as well, as they could concentrate their efforts on combat purposes, without having to worry about the protection, feeding and care of captured civilians in the conflict zone. Instead, everyone lost out, especially the civilians.

     *

Another area where the Japanese government failed is in the evacuations of civilians, especially children, from Okinawa. Not only was the government late in urging the appointed governor of Okinawa Prefecture, Shuki Izumi, to evacuate 100,000 civilians, it failed to supply the means to adequately do it. Indeed, several of the ships in the convoys included military vessels, giving the impression they were possibly transporting personnel and other items needed for the war effort. The government should have made it an entirely civilian effort, utilizing the Red Cross, and making its actions known to the world and transparent. Its failure to do this led to several tragedies, including the death of 780 schoolchildren as a result of the sinking of the Tsushima Maru in late August 1944.


・作文
 14:15 - 15:13 = 58分(詩)
 18:08 - 20:44 = 2時間36分(6月14日)
 22:46 - 22:58 = 12分(6月13日)
 22:59 - 24:27 = 1時間28分(6月14日)
 26:22 - 26:56 = 34分(5月12日)
 計: 5時間48分

・読書
 16:02 - 17:13 = 1時間11分(バルト: 155 - 181)
 21:33 - 21:52 = 19分(英語)
 21:53 - 22:08 = 15分(記憶)
 24:27 - 26:09 = 1時間42分(バルト: 181 - 208)
 27:02 - 27:31 = 29分(Eldridge)
 計: 3時間56分

・音楽