2020/7/2, Thu.

 神話の概念を意味に結びつける関係は、本質的に変形[﹅2]の関係である。ここでもまた、精神分析の記号体系のような、複雑な記号体系との或る種の形式的な類似が見出される。フロイトにとっては、行為の潜在的意味がその顕在的な意味を変形しているのと同様に、神話においては概念が意味を変形している。無論のこと、この変形が可能になるのは、ひとえに神話の形式が、言語学的な意味によってすでに構成されているからである。言語のような単純な体系にあっては、シニフィエはまったく何一つ変形しない。なぜなら、空虚で、恣意に基づいているシニフィアンは、シニフィエにいかなる抵抗も示さないからである。けれども、神話の場合は、すべてが違っている。シニフィアンは、いわば二つの顔を持っている。意味(ライオンの、黒人兵士の歴史)という、充実した顔と、形式(「なぜならわたしの名前はライオンだからだ」、「三色の - 旗 - に敬礼している - フランスの - 黒人の - 兵士」)という空虚な顔である。概念が変形するのは明らかに、充実した顔、つまり意味のほうだ。ライオンとニグロは、その歴史を奪い去られ、身振りに変えられる。ラテン語の例文的な性質が変形するのは、その偶発性自体におけるライオンの命名であるし、フランス帝国性が攪乱するのは、やはり第一次の言語である。つまり、軍服を着たニグロの敬礼を私に語っていた、事実に関する言説である。だが、この変形は廃棄ではない。ライオンとニグロはそこにとどまる。概念はそれら二つを必要としている。それらは半分ずつ切断され、記憶を除去されるが、実在までは除去されない。それらは頑なで、押し黙ったまま根をおろしていると同時に、いたっておしゃべりで、概念にとってまるごと使用可能な言葉となっている。概念は、字義通り、意味を変形するが、廃絶はしない。この矛盾は、次のひとことで説明される。すなわち、概念は意味を疎外するのだ。
 それは、神話が二重の体系であることをつねに思い出す必要があるということだ。神話のなかでは、一種の遍在性が生じている。神話の出発点は、意味の到着点によって構成されている。わたしは、その近接的な性質をさきほど強調した空間的な比喩を引き続き使って、神話の意味作用とは一種のたえまない回転扉によって構成されているというだろう。この回転扉は、シニフィアンの意味と形式を、対象言語とメタ言語を、純粋に意味作用的な意識と純粋に想像力的な意識とを、かわるがわる交代させる。この交代は概念によっていわば拾い集められ、概念はそれを知的でかつ想像的な恣意的でかつ自然な両義的なシニフィアンとして利用する。
 こうしたメカニズムが含む道徳的前提に関して、わたしは予断を下そうとは思わないが、神話におけるシニフィアンの遍在性が、アリバイ[﹅4](この言葉が空間的な用語であることは、よく知られている)の物理学をきわめて精密に再生産していることを指摘をしたとしても、客観的分析から外れてしまうことにはならないだろう。アリバイにおいても、人がいて充実している場所と、人がいなくて空虚な場所があり、それらはネガティヴな同一性によって結びつけられている(「わたしは、あなたがいると思っているところにはいない。あなたが、いないと思っているところに、わたしはいる」)。ただし、通常のアリバイ(例えば、警察でいうような)には、一つの終わりがある。現実が、或る瞬間に、アリバイの回転を停止させるのだ。神話とは価値であって、神話の報いとして、真理があるわけではない。何物も、神話が永続的なアリバイであることを妨げない。神話にとって、つねに他の場所を使えるためには、シニフィアンが二つの面を持ちさえすればよい。意味はつねに、形式を提示する[﹅4]ために存在しているし、形式はつねに、意味を遠ざける[﹅4]ために存在している。そして、意味と形式のあいだには、決して矛盾、衝突、爆発などない。意味と形式は、決して同一点上には存在しないのだ。それと同じことが、わたしが自動車に乗っていて、フロントガラス越しに景色を眺めている場合にもあてはまる。わたしは好きなように、景色にもガラスにも目の焦点を合わせることができるのだ。ときにはガラスの存在と景色の距たりを捉えるだろうし、ときには反対に、ガラスの透明さと景色の深みを捉えるだろう。だが、こうした交替の結果はいつも一定になるはずだ。すなわちわたしにとって、ガラスは現前していると同時に空虚であるだろうし、景色は非現実であると同時に充実しているであろう。神話的なシニフィアンの場合も、これと同じである。そこでは、形式は空虚だが現前しており、意味は不在でありながら充実しているのだ。(……)
 そして、意味作用の性質を規定することになるのもやはり、シニフィアンのこうした二重性なのである。これからはわれわれは、以下のことを知っていることになる。すなわち、神話とは、その字面通りの意味(「わたしの名前はライオンだ」)によってではなく、その意図(「わたしは文法の例文だ」)によって定義される言葉なのだが、それでもその意図は、いわば凝結して、純化され、永遠化され、字面の意味のせいで不在にさせられて[﹅8]いるのである(「フランス帝国だって? でもこれはただのたんなる事実だぞ。フランスの若者のように敬礼しているこの律儀なニグロということだ」)。神話の言葉を構成しているこの両義性からは、意味作用として二つの帰結が生じるだろう。それは通告として、また同時に確認として現われるのである。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、336~339; 「今日における神話」; 一九五六年九月)



  • 今日はYさん(叔母)およびYSさん(大叔母)をともなって墓参りの予定。一一時に青梅駅で待ち合わせという話だったので九時には起きようと思っていたところが、一〇時になってしまった。食事は昼食をおいしく食べるために小さな豆腐のみに抑える。昨日はこちらに来てほしくなさそうだった母親だが、今日は「(……)」でさっと食べて帰ろうとか言っていて、いったいどちらなのかよくわからない。
  • 風呂洗いはあとに回し、洗面所の鏡の前でジェルを顔にこすりつけてT字剃刀で髭をあたった。よく剃っておき、乳液をそのあとに塗布すると部屋に帰って着替え。先日買った黄色混ざりの薄褐色みたいなストライプシャツに、オレンジ色の細身のズボン。それから下階の洗面所で、今度は鼻の穴の入り口に生えている毛をちょっと切っておいた。そうしてトイレに入って糞を垂れたが、起床からそう遠くないので内臓の動きがまだ鈍重らしく、出るのに時間がかかった。
  • 車へ。今日は実に暑く、久しぶりの晴れの日である。助手席に乗って移動を待ち、青梅駅に着くと二人もすでに到着していた。挨拶して寺へ。揺られるあいだ後ろを向いてご無沙汰ですと向け、コロナウイルスの期間中は大丈夫でしたかとYSさんに尋ねると、大丈夫だったと返事があった。
  • (……)に着いて車から降りると、玉砂利を敷かれた駐車スペースの端、墓場を取り囲んでいる塀の足もとにアジサイがよく咲き誇っており、青い花が多いなかに、ほとんど白に染まっていながら青味もかすかにはらんだ淡い種が見られ、それはなかなか珍しくて良い色だった。墓場に入り、父親が今朝出勤前に寄って掃除をしてくれたらしいので箒は持たず、水だけポンプ式の井戸で汲んで運んでいく。陽が照っていてやたらと暑い。墓所はとても綺麗に片づけられていた。区画の隅にケイトウの草が多少生えていたが、それはおそらく花を待って敢えて残したものだろう。掃除をする必要がなかったので水を墓石にかけてYさんが用意してきてくれた花を供える。百合と菊の取り合わせだったが白い百合花がやたらと巨大で、いくらかごつく感じられるほどに分厚いものだったので花受けに立ててもバランスが取れず、調整したもののどうにも不格好になってしまうので諦めた。それから用意した線香を供えて手を合わせる。いつもは金と時間と健康と能力をセットで願うけれどこのときは忘れて、何も考えず無思考で拝んだだけだった。その後ちょっと雑談してから水をあたりに撒いてもどり、水場の汲み上げポンプを押して吐き出される水で手を洗い、墓場を出ると池の縁で鯉を見ながらまた話した。そうして車にもどって出発。
  • 河辺の「(……)」で食事を取ることになった。(……)を走っていき、「(……)」の前を過ぎる。いまだにやっているのか不明だがここは中学校の卓球部で一個上だった先輩の実家である。そのH先輩は部長だったのだけれどずいぶんと格好良い人で、古い言葉を使えば「甘いマスク」とでも言われそうな感じの整った顔立ちで、髪型はたしかけっこう長めの前髪を真ん中あたりから左右にさらりと分けていたと思う。実際にはたかだか一五歳程度の子どもに過ぎなかったわけだが、当時の自分からすればひどく大人びていて素敵に映ったものだ。爽やかに格好良いくせに下ネタも好きな人だったが、そういう陽気さもそなえていたのでたぶん普通にモテていたのではないか。
  • 河辺駅傍の「(……)」へ。駐車場に日蔭がまったくないので陽の照っているなかに停めるほかはなく、したがって食事のあいだに車内が加熱されることは避けられない。入店するとアルコールで手を消毒し、椅子とソファのテーブル席に通された。三人は揃って握り寿司と蕎麦のセットを頼み、こちらは「オホーツク丼」なる品を注文。マグロおよびアボカドの丼と迷ったものの、後者はわりと色々な店にありそうな気がしたので、ここでしか食べられないものを食べるか、というわけだ。イクラや蟹の身やとびっ子など北海道の魚介の幸を組み合わせた海鮮丼という感じのもので、一二〇〇円くらいだから普通に美味かったもののすさまじく美味というほどでもない。のちほど甘味を食べようと言って皆はクリームあんみつを頼み、こちらもそれに乗っかってプリンとアイスクリームを合わせたみたいな品を食った。
  • メモを取られている話題を記しておくと、まずいわゆる「アベノマスク」の検品のアルバイトについて。「アベノマスク」の生産だか配布だかは伊藤忠商事が受け持ったらしいのだけれど、Kの職場が直接かどうかは知らないが伊藤忠と取り引きを持っているようで検品のアルバイトの話が下りてきて、家にいてもどうせ暇だから金になるだけ良いかと働きに行ったのだと言う。朝から晩までただひたすらにマスクの汚れや混入物を確認し続けるだけの、人間的な意味を完璧に廃絶されたクソほど機械的な仕事だったらしいのだが、そうして見てみるとやはりひとつひとつで品質にけっこうな差があって、縫い方がよく整っていたり雑だったり、左右できちんと対称になっていたり粗かったりという点がよくわかる。さらには汚れがついていたり、なんだかわからない黒いものが入りこんでいたりということもよくあって、Kとしてはそういう実状を目にしてしまうとやはりうんざりするようなところがあったのだろう、あれは使わないほうが良いかもねとYさんは言われたらしかった。コンビニでおでんを売っている店員の気持ちみたいなものだろうか。で、Yさんによればその検品作業だけで八億円を費やしたとかいう話で、配布にもずいぶんと手間取ったようだし、それだったらその分の金をぱっとばら撒いたほうが普通に良かったのではないか?
  • Yちゃん(叔父)は家では家事をまったくやらないらしい。五時半ごろには帰ってきて飲み食いを始めるので、Yさんは食事の支度をそれに間に合わせなければならず、とても忙しいと言う。何しろ勤務があれば彼女の帰宅も四時は過ぎるわけなので大変だ。なんか適当に食っててもらえばいいじゃん、ニンジンでもかじってろっつって、とこちらは言ったが、Yさんとしては食事をはやく出さないとYちゃんが手持ち無沙汰から酒を飲みはじめて飲酒量が多くなってしまうので、それを防ぐためにベストのタイミングでバシッと料理を出したいのだということだ。それができればまだすこしは飲酒量がましになるらしい。
  • YSさんも嫁に入った人だが、彼女のところも義父が生きていた昔は似たような調子でとても忙しかったと言った。ただだからと言って男性が料理をするということもYSさんにはなんだか物珍しいというか、時代は変わったなあと感じられるポイントのようで、何しろ昔は男は台所には入らないものだという価値観がひろく共有されており、したがって台所というのは(おそらくは家庭のなかで唯一特権的に確保された)女の領分だったから、男がそこをうろうろしていると女性たちは良い顔をしなかったと彼女は語った。YSさんはいま七〇歳そこそこだろうから、五〇年くらい前の話だろう。とすれば一九七〇年付近ということになるけれど、改めて思ってみるに、いまから五〇年、すなわち半世紀を遡ってもせいぜい一九七〇年にしか到達できないこの西暦二〇二〇年という現在はすごいというか、そう考えるとたとえば一九四五年ってマジでめちゃくちゃ遠いなという感じがしてくるものだ。一九七〇年ならすでにLed Zeppelinは現れていたし古井由吉だってちょうどそのころ芥川賞を取っていたはずで、古井はこの二月に亡くなったばかりだしLed ZeppelinならRobert PlantJimmy PageもJohn Paul Jonesもまだ生きている。だから一応現在とのつながりみたいなものをまだしも感じ取れるような気がするのだが、それが一九四五年、さらには戦前となるとこれはとても困難なことだ。
  • KUは職場が(……)に移ったらしい。前はたしか(……)だったはずだ。YSのほうは二年目にしてはやくもクラス担任を任されたとのこと。副担任の教師がベテランで、その人はいかにも昭和時代の「熱血教師」的な感じの先生らしく、なんでも(……)にある(……)(通常の学校制度内からは弾かれてしまうような、いわゆる不良的な生徒を受け入れて育てる学校だったはずだ)の創立だかなんだかにも関わっていたとかで(しかし創立はもっと昔のことではないか?)、そういうタイプの人なのでたぶん過去には体罰とかも多少はやってきたのだろうけれど、しかし生徒個人と正面からきちんと向き合うという姿勢は真摯に一貫している人間のようで、それだから彼が昔教えてきたやんちゃな連中もその先生を慕っており、色々な町に元生徒がいるのでYSをその教え子の飯屋に連れて行ってくれて、そうするとやはり店の人が丁重にもてなしてくれる。いまの時代は彼のころとはさまざま違っているところも多く、保護者も色々と口うるさくなっているし、その先生のやり方がもはや通用しない部分も当然あるだろうが、とはいえそういう人間なので学べることは多々あって、幸いに向こうでもYSのことを可愛がってくれており、俺が副担任でカバーするからお前は好きなようにやれと言って支えてくれているということだ。
  • 二時半くらいでおひらきだったはず。車にもどってそれぞれの土産を交換し(YSさんのものは海老せんべいの「ゆかり」で、Yさんのほうは何だったか忘れたが色々あった)、河辺駅へ。ロータリーで停まるとこちらは車から降り、二人に挨拶を向けて駅に入っていくのを見送る。陽は変わらず照りつけて暑い。アイスが食べたいような陽気だ。
  • それから河辺イオンスタイルの駐車場へ。母親は期日前投票および買い物に行き、こちらは図書館へ。イオンの五階から図書館の入ったビルのほうに移る際に両側がガラス張りの空中歩廊みたいな通路を渡るのだが、こちらは高所恐怖症気味なのでここを通るときはわりといつも怖い。このときは左右を見ずに足もとに視線を据えてやり過ごした。だがその後、エレベーターで下りていくときには外を見下ろしてもべつに怖くはない。狭い室ですぐそばに壁があり、開放感がないからだろうか。
  • 図書館ではゲートをくぐった先に職員が控えており、アルコールによる消毒を来館者に促してくる。図書館カードも提示しなければならないのだが、忘れてきたので用紙に個人情報を記入して代理とした。そうしてCDを見分。新着にamazarashi『MESSAGE BOTTLE』があった。ベスト盤である。amazarashiというグループについては何ひとつ知らないものの、たしかMさんのブログなどで名前を見かけたことはある。基本的にこちらはベスト盤というものに興味がなく、大して信用していないのだが、まあどんな音楽なのか聞いてみたいしこだわらずとも良いだろうと借りることに。ほか、Bill Frisell / Thomas Morgan『Epistrophy』も発見。Village Vanguardでのライブで、このデュオは過去に『Small Town』というアルバムを出しており、それはたしか買ったのだったか手もとに音源があるけれど、その作品もVillage Vanguardでの演奏を収めたものだったはずなので続編ということだろう。Larry Grenadier『The Gleaners』も見つける。これは全篇ベース一本で作り上げたアルバムらしく、オーバーダブしているのかどうか不明だが、たぶん大方は完全ソロでやっているはずだ。すばらしい。ベース一本で作品を作ろうというのはやはり相当に意欲的かつ困難な試みだと思われ、興味を惹かれざるを得ない。そういうわけでその三点を借りることにした。あとの二つのジャズアルバムはECMの作品で、青梅市中央図書館はたかが青梅のくせにECM作品はけっこう面白そうなものを集めてくれていてありがたい。
  • 階を上がって新着図書も見分。真っ赤な装丁をした文化大革命についての書物があった。たしか上下巻だったと思う。のちほど検索したところ、フランク・ディケーター/谷川真一監訳/今西康子訳『文化大革命 人民の歴史 1962-1976』という人文書院の本だ。ほか、講談社学術文庫から最近出たフーコーについての研究書。内田隆三ミシェル・フーコー[増補改訂]』というやつで、この人の名は全然知らなかったのだが、一九四九年生まれだからもう大御所で東京大学名誉教授らしい。著書のなかでは、『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される? 言語と運命の社会学』(岩波書店)というタイトルをどこかで聞いたことがあるように思う。
  • それから海外文学や文庫も確認。フアン・ルルフォの『燃える平原』があるのにはじめて気がついた。『ペドロ・パラモ』もまた読み返したいものだ。その他色々と読みたい本はあるけれど、立川ですでに三冊借りているし今日は見るだけとした。
  • そうして貸出を済ませ、イオンのスーパーで買い物。ティッシュを買っておきたかったのだ。二八〇組入りの大きいサイズのものが三箱セットになった品を前回買って、やはり内容量が多いから長持ちでなかなか良かったそれをまた買おうと思ったところが見当たらず、仕方なく「クリネックス(Kleenex)」の普通サイズの三個セットを選ぶ。そのほかジンジャーエールを加えて会計。
  • それで駐車場にもどった。三時三九分を越えると料金が掛かるところだったが、ぎりぎり三七分に通ることができた。帰路を走るあいだ陽射しは盛んで、明るく生命的に戯れかよい、街道のアスファルトは砂っぽいような白さを被せられているし、すれ違う車のボディにもことごとく真空的な、非空間的な、存在物が消失した世界の間隙めいた純白が差しこまれて膨らんでいる。
  • 帰宅後は少々だらけた。眠りが乏しかったために意識がはっきりしなかったので、五時四〇分あたりから一時間ほど仮眠。今日も面談のために出勤する必要があり、七時半の電車に乗る予定。それでもうあまり時間がなかったので上に行き、Tさんに朝もらったとかいう照焼きチキンのピザで腹ごしらえをした。たぶんジャガイモか何かあげてそのお返しにくれたのではないか。
  • 西へ。この時刻になると大気もさすがにだいぶ涼しい。風が走るでもないが身に触れてくる揺らぎに軽い涼感がある。夏至からまだ一〇日ほどなので日は長くてあたりに明るさが残っており、南空にはけっこう大きくてあまり欠けのない月がのぼりかかっている。空気には揚げ物を思わせるような不思議で微妙な草のにおいが混ざっていたが、あるいはあたりの宅から夕食の香りも漏れて混ざっていたのかもしれない。
  • 職場に着くとすぐに面談。通常の面談スペースは(……)さんが保護者との話で使っていたので教室の端の席をちょっと動かして二つ向かい合わせにつなげ、即席の区画を作った。まず、(……)さん。(……)高校の二年。二月末に入会、現在数ⅠAで週。大学に行きたいのでそろそろ本格的に勉強に取り組みはじめたほうが良いかなと考えて、みずから親に通塾を持ちかけたと言う。科目では数学が好き。塾の授業はわかりやすいと言い、おおむね満足してくれているよう。苦手なのは国語で、文章を読むことがあまり得意ではないらしい。
  • 部活動はテニス部。中学からソフトテニスをやっていて高校で軟式を始めた。学校生活は全体的にわりあい楽しいようだ。ピアノを習っており、一番楽しいのはピアノを弾いている時間だと言う。すばらしい。小三くらいからやっていると言うからもう一〇年近くになる。クラシックも弾くし、J-POPも弾く。すばらしい。そのほか自由時間は漫画を読んだり動画を見たりで、漫画では『約束のネバーランド』が好きなようだ。聞く音楽としてはOfficial髭男dismと米津玄師の名が挙がる。米津は聞かないんだよなあ、とこちらは受け(Official髭男dismのほうも聞いたことがないが)、"Lemon"と"パプリカ"に触れて、この人は果物と野菜が好きなのかな? とか思ってたよと冗談を言う。あとはアニメ映画『海獣の子供』のテーマ曲を以前カラオケで聞いてちょっと印象に残っているくらいだ、と。動画というのはバレーボールの試合や、プロ選手が仲間内でお遊び的にプレイしているようなものを見ると言う。
  • 進路としては今のところ看護師などの医療系に興味が向いている。働きぶりをテレビで目にしたり、「身近な人」が病気をして病院に行ったときにもその仕事を実地に見て、良いなと思うようになったとのこと。大学に行ったらアルバイトをやりたい。人生経験として接客をやっておいたほうが良いと親から言われていると言うので、いやあ、接客は難しいですよね、僕だってなんで塾に入ったかって、コンビニとかファミレスとかああいうのは自分には無理だなと思って、まあ塾ならなんとかできるかなみたいな、そういう安直な理由だったんですけど、とへらへら笑う。
  • 夏期は八月中に英語を四コマ増加することに。本当は国語も苦手ということなのでやりたかったのだが、今回はひとまず英語を優先。文法よりも長めの文章を読むほうをやりたいと言うので、学校のリーディングの教科書を持ってきてもらうのが良いのではないかと提案した。
  • 二人目は(……)くん。(……)高校の二年生である。二〇一八年七月から通塾しており、現在は週一で英語。これは単純に英語が苦手なのでその補強のため。勉強は全体としては好きでも嫌いでもないが、やらなくて良いならやらないだろうと言う。そのなかでも数学は比較的好きなほうだが、暗記が苦手で、理科は中学時代にはレポートを書くような形式の授業で面白かったところが高校の授業はあまり楽しくないらしい。それでもどちらかと言えば理系向きと自認しているようだ。
  • 学校生活に関しては、いまは大人しくしてなきゃいけないんですよと言うので事情を訊いてみると、(……)には「(……)」なるシステムがあるらしく、素行が悪かったり校則を守っていなかったりすると教師にそれを出され、五つ溜まると停学になるところ、いまもう四つ溜まっていると言うので笑う。あとがないではないか。一年経てば効果は消えるルールで、最後に食らったのは一一月なのであと四か月ほどは大人しく過ごさなければならない。見たところどちらかと言えば気の弱そうな顔つきや雰囲気で、素行が悪そうとは思えないのだが、食らわされたのはピアスや髪型を改めなかったのが主な理由で、あとは一度ちょっとした揉め事があったということだ。そういうわけで窮屈な思いを強いられているものの、それを除けば学校生活は楽しく、所属しているフットサル部はゆるい部活で、放課後集まって遊ぶような感じでフットサルをしているらしい。
  • サッカーが好きであり、中学時代からの一つ上の友人にフリースタイルフットボールの高校生大会で日本一になったというつわものがいるらしく、それでいまはそちらのほうに熱中している。フリースタイルフットボールというのはリフティングなど諸々の技術を用いながらサッカーボールをアクロバティックに操ってパフォーマンスをする競技だと言う。(……)くんもその先輩に影響されて練習に励んでおり、一日四時間くらいはボールに触れているらしい。とてもすばらしい。
  • そのほか好きなのは絵を描くこと。いまは紙に描くよりもヘルメットとかスマホケースとか、物にペイントすることが多いらしい。荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』の絵が好きで、第七部を除いてすべて読んだと言うから、おそらく一〇〇巻くらいにはなるのだろう。これは父親の友だちだかがバイク屋をやっていて中学生の頃に遊びに行った際、部品が置かれた物置きのような部屋を見ていたら『ジョジョ』が揃っているのを見つけてその存在を知り、そこからはまったとのことだ。音楽は日本のヒップホップをいくつか聞くとか言っていたので、こちらがその方面で唯一知っている(と言って聞いたことはないのだが)THA BLUE HERBの名前を出してみたけれど、知らないようだった。
  • 進路について。大学には行きたいと思っており、いまのところ興味があるのは経済学部。将来のためにお金のことを学んでおきたいと言っていた。しかし学校の政経はやはり暗記の部分が大きいので苦手な様子。先述したように理系のほうが得意らしいのだけれど、経済学部に進むため文理選択では文系を選んだ。大学以降の具体的な将来図はまだないが、サッカーボールに触れるという習慣は今後ずっと絶やしたくないと言う。一〇代のときの熱情を後年まで保つというのはなかなか難しいことだし、熱情があったとしてもそもそも色々な環境の変化や事情のなかで物事を長く続けるということ自体が難事だが、継続主義者としてはぜひとも頑張ってほしいと普通に応援する気持ちはある。大学を卒業したあとはさしあたりサラリーマンとして働く予定だが、ゆくゆくは可能なら自分の会社を持ちたいとも言っていた。
  • ほか、いらいらしやすいと自分で言っており、また夜中にきちんと眠らないと不安になってしまうとも言っていたので、もしかしたら精神的にいくらか不安定な傾向があるのかもしれない。八月から九月頭までで政経を四コマ、古典も苦手だと言うので四コマで計八コマ増加を提案。ただ政経は教えられる講師がいるのか不明だったので、資料を渡して映像授業も検討してもらうことに。そうして出口で見送ると、けっこう遅くなってしまってこの時点で九時四五分だった。(……)さんはいつの間にか帰っており、残っているのがこちらと(……)さんだけのところに(……)さんがやって来たのは、青梅で飲み会なのだと言う。すみませんね、やってもらってと面談について言うので、いやいやと受けつつも、僕、けっこう話が長くなっちゃって、本当はさっと決めるのが良いんでしょうけどと返すと、そうですね、概略だけ聞いてもらって、と続く。こちらが先ほど口にしたのは建前で、実際にはむしろ時間をかけてじっくり話をしたいと思っているのだが、教室長やマネージャー側からするとあるいはそんなに丁寧に突っこんで聞かなくても良いというスタンスなのかもしれない。わからんが、いずれにしてもこちらとしてはこの機会を利用して好きにやらせてもらうつもりだ。あと(……)さんはたぶんもっと大胆に増コマしてほしいと考えているのだろうが、こちらはそんなにガンガン勉強を提案するつもりはない。そのあたりは教室長面談のときに調整してもらえればと勝手に思っている。
  • 一〇時直前に三人で教室を出た。(……)さんは酒宴へと賑やかに去っていったので(……)さんと二人で駅へ。実家は(……)だと以前聞いたが、いまもそこに住んでいるらしく、とすれば帰宅は一一時過ぎになるだろうからやばいですねと向ければやばいですと彼女も言う。このあいだなんて一一時半くらいまでいたでしょう、やばいですねと繰り返す。その日はだから、帰宅はたぶん一時付近になったのではないか? 頭がおかしい。新入社員なのにもかかわらず、というか本当は新入社員だろうがなんだろうが関係ないが、人間がそんなに遅くまで働かなければならないという点で、この世界が盛大にまちがっていることは自明である。ホームに上がってちょっと話してからもう発車間近だったので(……)さんは乗り、こちらはその場に立ち尽くして見送り、扉が閉まって発車すると礼を交わして別れの挨拶とした。その後、手帳にメモ書きをする。
  • 帰宅後の食事は米にワカメおよびジャガイモの味噌汁に、マカロニをソテーしてトマトケチャップなどで和えた料理や肉炒め。テレビが映すのは『世界はほしいモノにあふれてる』。イギリスのアンティーク・ジュエリー工房が舞台で、一九〇七年くらいの宝石細工が紹介されていた。なんという町なのか知りたかったのだが一向に名前が出てこないのでタブレットで検索するも、まだ放送中なので当然情報はない。Twitterも覗いてみるに、どうもウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に関連した場所だったようだと判断されたが、具体的な地名は不明に終わった。それでこの日のメモを取った後日に改めて検索してみたところ、これはどうも、Cotswolds地方はChipping Campdenなる町にあるHart Silversmithsという工房だったようだ。スタジオで三浦春馬がアンティークジュエリーの製品を見たときに、宝石と金具の接合について、石の左側はすべてシンプルな状態になっているけれど右側は巻きつくようになっていたり多彩で複雑な接合の仕方をしている、こういう細部の遊び心は良いねと言っていて、観察がなかなか細かくて悪くないと思った。この日記を正式に綴っているのは一〇月九日の未明なので、その三浦春馬はもはやこの世に存在しない。
  • 入浴を済ませると、今日の面談のことを忘れないうちに記録しておこうと記述し、それから疲れていたのでいくらか休もうとベッドに移ったところ、いつの間にか意識を落としていて気づけば四時一八分だった。迂闊な失敗だ。三時間ほどは眠ったはずなのでそのまま起きていようかと迷ったものの、やはり一応眠るかと賢明な判断を下し、改めて就寝。


・作文
 24:20 - 25:03 = 43分(7月2日)

・読書
 17:34 - 17:38 = 4分(バルト: 65 - 68)
 25:05 - ? = ?

・音楽
 なし。