2020/7/5, Sun.

 神話の固有性とは何か。意味を形式に変えることである。言い換えれば、つねに神話とは言語活動[ランガージュ]を盗むことである。わたしは、敬礼するニグロ、白と茶の山小屋、果物の季節による値下がりを盗む。模範やシンボルをつくりだすためではなく、それらを通じて、〈帝国〉とか、バスクの風物へのわたしの嗜好とか、〈政府〉というものを自然化するためだ。どんな一次言語も、必ず神話の餌食になるのだろうか。形式は意味を捕獲でおびやかしているわけだが、この捕獲に抵抗できるような、どんな意味も存在しないのだろうか。実際のところ、神話を避けることのできるものはない。神話はその二次的図式を、どんな意味からでも展開することが可能である。そしてすでに見たように、意味の欠如自体からさえも可能なのだ。(……)
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、347~348; 「今日における神話」; 一九五六年九月)



  • 一一時のアラームで覚醒した。臥位のまましばらく脹脛を揉み、一一時半を越えて起き上がると今日は早速コンピューターを点ける。To The Lighthouseを訳したい気持ちが高まっていたためだ。それで準備を整えて一二時二〇分ごろまで進めてから食事へ。肉じゃがの余りや卵のスープやコンビニの手羽中など。父親はソファで顔を上向けながらまどろみ意識を危うくしている。テレビのニュースに伝えられるのは大雨のために熊本で球磨川が氾濫し、何人か死んだという災害の報だ。熊本県も二〇一六年四月(その一六日くらいではなかったか?)の地震と言い、大変な県である。新聞も一面で水害を伝えていたのでそれを含めてもろもろ読んだ。
  • 窓外でカラスがほとんど絶え間なく頻繁に、伸びたゴムに似てちょっと間抜けたような、低くて鈍い声でやたらと鳴いていた。帰室するとふたたび翻訳。すこしだけのつもりが三時半まで続けてしまい、しかしその二時間で一二行しか進んでいない。まだ最初のページを抜けられてすらいないのだ。ヴァージニア・ウルフを本気で訳そうなどという人間は、やっぱりちょっと正気を失っているのだろうね。ムージルの「合一」二篇を訳した古井由吉や、『フィネガンズ・ウェイク』を訳しきってしまった柳瀬尚紀がどれほど頭のおかしい人間だったかよくわかる。彼らは疑いようのない狂人である。

'Yes, of course, if it's fine tomorrow,' said Mrs Ramsay. 'But you'll have to be up with the lark,' she added.
 To her son these words conveyed an extraordinary joy, as if it were settled the expedition were bound to take place, and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed, was, after a night's darkness and a day's sail, within touch. Since he belonged, even at the age of six, to that great clan which cannot keep this feeling separate from that, but must let future prospects, with their joys and sorrows, cloud what is actually at hand, since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystalise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests, James Ramsay, sitting on the floor cutting out pictures from the illustrated catalogue of the Army and Navy Stores, endowed the picture of a refrigerator as his mother spoke with heavenly bliss. It was fringed with joy. The wheelbarrow, the lawnmower, the sound of poplar trees, leaves whitening before rain, rooks cawing, brooms knocking, dresses rustling ― all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity, with his high forehead and his fierce blue eyes, impeccably candid and pure, frowning slightly at the sight of human frailty, so that his mother, watching him guide his scissors neatly round the refrigerator, imagined him all red and ermine on the Bench or directing a stern and momentous enterprise in some crisis of public affairs.
 'But,' said his father, stopping in front of the drawing-room window, 'it won't be fine.'


 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんと同じくらい早起きしなくちゃね」と付け加えた。
 たったこれだけの言葉が息子にとっては測り知れない喜びをもたらすことになり、まるで遠足に行けるということはもう確かに定まって、幾星霜ものあいだと思えるほどに長く待ち焦がれていた魅惑の世界が、一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたすぐその先で手に触れられるのを待っているかのようだったのだ。彼はまだ六歳に過ぎないとはいえ、ある気持ちを別の気持ちと切り離しておくことができず、未来のことを見通してはそこに生まれる喜びや悲しみでもって、現にいま手もとに収まっているものにまで覆いをかけずにはいられないあの偉大なる一族に属していたのだが、その種の人々にあっては、もっとも幼い時期からでも既に、ほんの少し感覚が転じるだけで陰影や光輝を宿した瞬間が結晶と化しその場に刺しとめられてしまうものなので、床に座りこんで「陸海軍百貨店」のイラスト入りカタログから絵を切り取って遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母親の言葉を耳にしたときちょうど手にしていた冷蔵庫の絵に、天にも昇るかのような無上の喜びを恵み与えたのだった。その絵は、歓喜の縁飾りを授けられたわけである。手押し車や芝刈り機、ポプラの樹々の葉擦れの響きや雨を待つ葉の白っぽい色、それにミヤマガラスの鳴き声や、窓をこつこつ叩くエニシダのノック、ドレスが漏らす衣擦れの音――こういったすべてのものたちが彼の心のなかではそれぞれ鮮やかに彩られ、はっきりと識別されていたので、この歳にして彼はもう、自分だけのひそやかな暗号、いわば秘密の言語を持っているようなものだった。とはいえ、その秀でた額と激しさを帯びた青い目には妥協をまったく許さぬ厳格さがうかがわれ、人間の弱さを目にすればちょっと眉をひそめてみせるほどに申し分のない率直さと純粋さがこめられてもいたので、鋏をきちんと丁寧に操って冷蔵庫の絵を切り抜いている息子の様子を見ながら母親は思わず、白貂をあしらった真紅の法服をまとって法廷に座ったり、国家的危機のさなかで容赦なく重大な計画を指揮したりする彼の姿を想像してしまうのだった。
 「だがな」と、そのときちょうど通りかかった父親が、客間の窓の前で足を止めて言った。「晴れにはならないだろうよ」

  • その後一〇分間運動し、さらに「英語」と「記憶」を読めば四時半。音楽はChristian McBride Trio『Live At The Village Vanguard』。一曲目が終わったあとにMcBrideがMCをするのだが、その英語をなぜか以前よりも聞き取れるようになっていてちょっと驚いた。無論すべてはわからないものの、明らかに前に聞いたときよりもこまかい部分まで語が判別できたのだ。途中で、ピアノのChristian Sandsは一一歳だか一二歳だかでBilly TaylorとHank Jonesに演奏を習っていた、みたいな話をしていたと思う。
  • 昨日のことを記録すると五時半。それで上階に行ったが食事の支度はすでに仕舞えてあったのでアイロン掛けをする。終えるとそのまま夕食へ。ジャガイモを固めて焼いたものや、ニンジン・鶏肉・蒟蒻等の煮物、それにタマネギやら何やらをシーチキンで和えたサラダなど。腹を満たして帰室するとニュースを読んだ。昨日メモしておいた「フィリピン、「反テロ法」成立 大統領の強権拍車に批判も」(2020/7/4)(https://www.afpbb.com/articles/-/3291956)など。抗議活動の様子をとらえた写真のなかで人々が掲げている幕や紙の一部に、"JUNK THE TERROR BILL"とか"STOP STATE TERRORISM"とかいう言葉が見える。それで、なるほど、"state terrorism"なんていう言葉が出てきたのだなあと思った。こちらが知らなかっただけで、もうずっと昔からあったのかもしれないが。

 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領は3日、「反テロ法」に署名し、成立させた。(……)
 法律は先月に議会で承認されていた。テロリストとみなす人々を令状なしで逮捕する命令を出す評議会を、ドゥテルテ氏が設置することを可能にするもので、人権団体から批判が上がっている。
 また、逮捕状なしに容疑者を拘束できる期間を最大24日に拡大。政府は、長年続いている共産主義者イスラム系反政府勢力との闘いに必要だと説明しているが、反対派は、拘束期間を最大3日とするフィリピン憲法に違反すると主張している。
 (……)何千人もの死者が出た麻薬戦争などドゥテルテ氏の政策を批判して服役したり、拘禁刑を科されたりした人もすでに存在する。
 同法はテロの定義を、死傷者を出すことや国有・私有財産の破損、または「恐怖のメッセージの拡散」あるいは政府に対する威嚇を目的とした大量破壊兵器の使用を意図することとしている。

 米税関・国境警備局(CBP)は、人の毛髪から作ったと思われる付け毛やかつらなどの美容品13トンを、ニューヨーク・ニューアークの港で1日に押収したと発表した。
 押収した貨物は中国北西部の新疆ウイグル自治区から発送されたもので、強制労働や強制収容による人権侵害が疑われるとCBPは指摘する。商品価値はおよそ80万ドル(約8600万円)相当だった。
 新疆ウイグル自治区には、イスラム教の少数民族ウイグル族の約1100万人が居住しており、米国務省は、100万人以上のウイグル族強制収容所で拘束されていると推計する。(……)

 政府が4月に出した緊急事態宣言に法的強制力はない。諸外国では罰則付きの外出禁止令による都市封鎖が相次いだが、日本では政府や自治体からの「お願い」にすぎなかった。
 それでも国民の多くは外出を控え、商業施設や飲食店が休業し、ウイルス拡散を食い止めた。安倍晋三首相は5月25日の記者会見で「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で流行をほぼ収束させることができた」と強調した。
 だが首相が胸を張る「日本モデル」は、日本社会の同調圧力の強さを物語る。国家権力とは異なる社会的圧力は、感染の連鎖を断ち切る防疫の現場に深刻な影を落とした。
 濃厚接触者の特定には陽性患者の行動履歴の把握が欠かせないが、山梨県ではこれが難航した。近所や職場に知られるのを恐れる人が少なくなく、感染者の男性からコンビニでアルバイトをしていたことを聞き出すのに数日かかったこともあった。
 名前や写真がネット上を飛び交った20代女性の感染後は、県の調査や情報公表自体を拒む人も出た。「患者が正直に感染を申告できない弊害は、社会全体に返ってくる」と[山梨県の]高橋[直人健康増進]課長は危惧する。

     *

 「感染するのは本人が悪い」と考える人の比率は、欧米に比べて日本が格段に高い-。大阪大などの心理学者が3~4月に行ったネット世論調査で、こんな結果が出た。
 調査対象は日本、米国、英国、イタリア、中国。「感染は自業自得だと思うか」との質問に肯定的な回答をした比率は欧米で1~2%台、中国で4・8%だったが、日本は11・5%と突出して多かった。

  • 昨年の日記の読み返し。2019/6/19, Wed. は例によってジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』(新潮文庫、二〇〇九年)の引用。「したがって、わたくしは過去の思いに滞[なず]むことはしません」(344)という一文があるが、「なずむ」という語はどこかで使えるかもしれない。
  • 翌2019/6/20, Thu. には「死せるものたち」の最後の記述が引かれている。「彼の目は妻が脱ぎ捨てた衣類のかぶさる椅子へと動いた。ペチコートの紐が一本、床へ垂れ下がっている。片方のブーツが、途中からぐにゃっと折れて突っ立っている。もう片方は横倒しになっている。一時間前の感情の騒乱が不思議に思われた。あれは何が発端だったのか? 叔母の夕食から、自分の愚かなスピーチから、ワインとダンス、玄関ホールでおやすみを言い合った浮れはしゃぎ、雪の中を川沿いに歩いた楽しさから。ジューリア叔母さんもかわいそうに! 叔母もまた、じきに影となり、パトリック・モーカンやあの馬の影といっしょになるのだ。婚礼のために装いてを歌っていたとき、一瞬、叔母の顔に浮んだやつれきった表情が見えた。たぶんもうじき、自分は喪服を着て、シルクハットを膝にのせて、あの同じ客間にいることになるのだろう。ブラインドが引き下ろされて、ケイト叔母がそばに腰掛け、泣きながら鼻をかみ、ジューリアの臨終の様子を話して聞かせる。叔母の慰めになるような言葉を頭の中であれこれ探して、結局はぎくしゃく無駄な言葉しか出てこないだろう。そうだ、きっとそう。じきにそうなるだろう」の一段落はなかなか好ましい。平凡で日常的な事物のささやかな描写(とりわけ、「途中からぐにゃっと折れて突っ立っている」ブーツが印象的だ)から(わずか「一時間前」にもかかわらず)もはや遠き「騒乱」や「浮れはしゃぎ」の想起を経由して、「ジューリア叔母さんもかわいそうに!」という死と必滅の予感へ。ほのかな寂寥の混じった静かな虚無感、みたいな雰囲気の記述にはどうしても弱い自分である。さらに、結びの三段落を引いておこう。「一人、また一人と、皆が影になっていくのだ」という一言も、べつになんということもないものだが、やはり好ましい。

 部屋の寒気を両肩に感じた。そうっとベッドへ入って躰を伸ばし、妻の傍らで横になる。一人、また一人と、皆が影になっていくのだ。なにかの情熱のまばゆい光輝の中で、敢然とあの世へ赴くほうがいいだろうか、年齢とともに陰鬱に色褪せて萎んでゆくよりは。傍らに寝ているこの女が、ずっと長い間、生きていたくないと告げたときの恋人の目の面影をどんなふうにして心の内にしまいこんでいたのかと、彼は思った。
 寛大の涙がゲイブリエルの目にあふれた。己自身はどんな女に対してもこういう感情を抱いたことはなかったが、こういう感情こそ愛にちがいないと知った。涙がなおも厚く目にたまり、その一隅の暗闇の中に、雨の滴り落ちる立木の下に立つ一人の若者の姿が見えるような気がした。ほかにも人影が近くにいる。彼の魂は、死せるものたちのおびただしい群れの住うあの地域へ近づいていた。彼らの気ままなゆらめく存在を意識はしていたが、認知することはできなかった。彼自身の本体が、灰色の実体なき世界の中へ消えゆこうとしている。これら死せるものたちがかつて築き上げて住った堅固な世界そのものが、溶解して縮んでゆく。
 カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降りだしている。眠りに落ちつつ見つめると、ひらひら舞う銀色と黒の雪が、灯火の中を斜めに降り落ちる。自分も西へ向う旅に出る時が来たのだ。そう、新聞の伝えるとおりだ。雪はアイルランド全土に降っている。暗い中央平原のすみずみまで、立木のない丘陵に舞い降り、アレンの沼地にそっと舞い降り、もっと西方、暗く逆立つシャノン川の波の上にそっと舞い降りている。マイケル・フュアリーの埋葬されている侘しい丘上の教会墓地のすみずみにも舞い降りている。歪んだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍の上に、実のない荊[いばら]の上に、ひらひら舞い落ちては厚く積っている。雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から舞い降り、生けるものと死せるものの上にあまねく、そのすべての最期の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。

  • 上の部分については注釈めいたメモが残っていたのだが、いま読んでみると特に面白くもないし、つらつら書くのも面倒臭いので省く。去年の六月二〇日にはまた、いま現在も使っている「EDiT」という手帳を購入している。このノートももう残りすくなく、この七月時点で三〇ページも余っていなかったし、一〇月一六日現在ではもう八ページくらいしか残っていないのだが、一年と数か月はもったわけで、一五〇〇円くらいしたようだけれど、一年以上使えて一五〇〇円なら全然悪くないのではという気持ちだ。
  • 岸政彦×藤井誠二「沖縄からの問いかけ 岸政彦『はじめての沖縄』(新曜社)/藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)」(https://dokushojin.com/article.html?i=4418)を読んでもいる。岸の発言のなかに、「国内でヘイトスピーチが始まって、一番酷かったのが二〇一三年ごろ。大阪の鶴橋で女子中学生が「朝鮮人を大虐殺します」という街宣をしたときでした。僕はそれからカウンターとして、ヘイトデモの現場に通ったんですが、そのときに地元の在日の友人が言っていたのが、「十年前だったら怖いお兄さんが飛んできて止めさせてた」という言葉でした。確かにあんなことが堂々と鶴橋でできるようになったのは、僕らの中で多分自治の能力が失われていっているんだろうと感じたんです」という情報があった。
  • 七時過ぎになって投票に向かった。ついでにコンビニにも行くつもりだったのでクラッチバッグのなかにKALDIの布袋を持つ。黄昏の道はなかなか涼しげで、空には投票を呼びかける放送が無機質な女性の声で流れていく。道中、車庫の前に落葉がたくさん散らばっていて、アスファルトの暗色のなかに黄緑や明褐色が添えられているのが目に好い。
  • 十字路を越えて沢の上にかかれば、雨が降ったので水音が多少高くなっている。小橋の左右、沢の周囲に繁茂している草の群れは、仄暗いためにその厚みと量感を仔細に感じ取ることはできないものの豊かに膨らんでいる。坂を上っていくと、左手を縁取るガードレールの先の草に埋め尽くされた斜面のなかに、ほっそりした黄色の花がいくつか現れていた。分かれ道を折れて街道に向かってさらに上っていき、車のない隙に表通りを渡ると(……)脇の坂を進む。相当にゆっくりと歩いている自覚があるのだが、この頃にはもう汗が肌のひろくを覆っており、風はなく空気はほとんど揺らぎもせずに静まっているのに、それでも濡れた腕にほのかな涼感がおりおり貼られる。また、出る前に茶を飲んできたせいで尿意が湧いていたので、投票所でトイレを借りようと思っていた。
  • 投票所となっている(……)に続く裏通りに入ると、周囲の家から漏れるものか何か給食のような食べ物のにおいが触れてきた。投票所に着くと広間にいる受付員に挨拶を送ってマスクをつけ、それから靴を脱いで上がり、投票の前にトイレを借りたいと申し出た。それで細い廊下を行ってトイレに入り、放尿してから入口にもどって通知葉書をスタッフに渡す。コロナウイルス対策で鉛筆は使い捨てのものになっていた。もらった用紙を持って台に寄り、宇都宮健児の名前を記入して箱に入れ、どうもありがとうございましたと左右に挨拶して退出。先日も記したように東京都知事選にはほとんど実体的な興味を持っておらず、桜井誠と立花孝志と「ホリエモン新党」を標榜している人々でなければ誰が知事になってもだいたい構わないと思っているのだが、一応どちらかと言えばいわゆる「リベラル」寄りの価値観を持っている人間なのでそれに準じた選択をしておいた。とはいえ左派だの右派だの、保守だのリベラルだの、そのようなことはもちろん本質的な問題ではない。
  • 出るとコンビニに向かって墓場の前を通っていく。めちゃくちゃに蒸し暑かった。道に出た当初は涼しいと思っていたのにもはや汗だくである。前方には投票所でも見た二人のようだったが、男性と男児が連れ立っている。そのあとを追うように歩いていき、街道に当たると渡ってさらに西へ。前の二人は白いTシャツにジーンズもしくは短パンの似たような格好をしており、信号が変わるにつれてその後ろ姿にうっすらと、青緑や黄色や紅梅めいた赤が投げかけられて混じるのだけれど、それを見ているこちら自身もまた後ろから見ればそれらの色に浸されているはずだ。二人はたぶん親子だと思うのだけれど、歳の離れた兄弟にも映るような距離感で、男児のほうがしきりに甘えるようにして男性にじゃれつき、相手はまるで動揺せずにそれを堅固に、しかし冷淡さはなしにあたたかく受け止めていた。空は各方面にいくらか雲がわだかまっているものの、濃く、青い。黄昏にガクアジサイの渇く夏、などとおのずから詠まれるような空気感だ。
  • コンビニの駐車場まで来るとマスクをつけ、そして入店。店内にはなんだか知らないがやたらと声が大きく威勢の良い類の若い男をともなった三人連れがいた。通路を回って豆腐やら冷凍の焼き鳥やらスナック類やらを籠に入れていく。いま使っているボールペン(やはりコンビニで買った安物の三菱鉛筆「JETSTREAM」だ)がたぶんそろそろ切れると思うので、新しく買っておくことにして、ZEBRA「SARASA」のブルーブラックを選んだ。九〇円くらいだったはず。
  • 会計と品物の整理が終わると礼を言って退出。マスクを外して帰路を歩く。空はこのわずかなあいだにもう青さを失って煤色に変質していた。街道中のやや湾曲した箇所を歩くとき、目をぎらぎら光らせた車が前から迫ってくるのを見つめ返しながら、昔はこういうときに車が運転を誤って突っこんできたり、タイヤが突然外れて高速で飛んできたりと、まず起こることのない可能性を考えては、自分はそういう形でそのうち死ぬんじゃないかとたびたび不安になっていたことが思い出された。まだパニック障害の圏域にあった時代の話だから、六、七年前というところか。いまは表を歩いていてもそのような怖さは感じない。結局、人間なんてとりあえず死ななければ大方それで構わないし、最悪死んだところでただ死ぬだけのことにすぎない。そういう達観めいた心を手に入れれば、だいたいのことはさほど怖くはなくなる。こちらがいまだに怖いのは高いところと、餅を喉に詰まらせることと、蜂に刺されて死ぬことくらいのものだろう。
  • 路上はやはりクソみたいに蒸し暑くて、からだの全体をゼリーに包まれて閉じこめられているような感じだ。久しぶりにけっこうな時間、道を歩いてみて思ったけれど、外をゆっくり歩くことほど面白いこともこの世界にはそうそうない。徒歩に比べると車での移動などは、やはりどうしたって遥かにつまらない。車には車で感覚することはあるし、運転が好きな人もいるのだろうけど、まずもって肉体的にはほとんど動かずに座っているだけだし、その時点で全然違う。
  • 裏道の途中に夫婦と見える高年の男女がいて道端からガードレールの向こうにある草の茂みを眺めていたのだが、あれはたぶんホタルを探していたんじゃないか。その男性のほうがわりと豊かな白髪の頭をしていたのだけれど、どうも同級生のK.Mの父親だったように思う。K家はすぐそこだし、なんとなく見覚えがあったのだ。それに気づいて話しかけてみようかと迷いながらも結局黙って通り過ぎたが、本当はこういうときどんどん話しかけたほうが面白いのだろう。坂を下ると夜気がいくらか涼しく変わって、街道にいたときとはかすかに、しかし明らかに感触が違うのだが、それはやはり周囲に緑が多いことや沢の水が近づいたことによるのだろうか。電灯に触れられた羽虫の姿がときおりこまかく宙空に浮かび上がり、夏の夜の大気は目に見えずともうごめく微小な気配をはらんでいるようで、いつの間にか腕には蜘蛛の糸が引っかかったらしくちょっとくすぐったい。
  • 帰って部屋にもどると書抜き。バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』と石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)。打鍵のあいだはJesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』を流していた。最後に収録されたライブ音源の"Stablemates"(Benny Golson作曲)が大変にすばらしい。すばらしいだけでなくすごい演奏でもある。
  • バルトの本の58には「アトピア」という断章がある。「アトピー」という語はギリシア語の「トポス」(場所)を否定したもののはずだから〈非 - 場所〉みたいな意味になると思うのだけれど、皮膚疾患のアトピーとこの語とはいったいどういう関連なのだろうなと疑問を抱いた。それでWikipediaの「アトピー性皮膚炎」を覗いてみるに、「アトピーという名称の由来は、「特定されていない」「奇妙な」という意味のギリシャ語「アトポス」(atopos - a=否定、topos=由来)であり、1923年にアーサー・フェルナンデス・コカ(ポーランド語版) とロバート・アンダーソン・クック(英語版)によって命名された」、 「コカはアトピーの名称を異常な過敏反応を指して使い、病原体や病因が不明で眼、鼻、気管支、皮膚など多彩に発現し、奇妙、不思議であるということである[4: 狩野博嗣「アトピーとは?」 (pdf) 『母子保健情報』第57号、2008年5月、 9-。]」とのことだ。
  • すこし柔軟してから風呂へ。入浴中、久しぶりに短歌を思い巡らせた。出たあともちょっと考えていくつか形にしたが、特に大したものにはならない。

血しぶきを見つめ暮らしてはや末世 仏の墓にカナカナが鳴く

刃から滴った血の一粒は聖地を示す死者の刻印
刃から滴った血の一粒は戦の終わりを語る律音
刃から滴った血の一粒を哀れと見る間に世は過ぎゆきて

紅のひとみの奥に囚われたあなたの嘘よ青涙となれ
紅のひとみの奥に囚われた君の涙の色を知る旅

五月雨を吸って華やぐ躑躅さえ夜の底踊る骸[むくろ]の表象

消せはしないぼくの頭の音楽を収容所にも声はあるから

歴史から排斥された悪党に捧ぐこの詩は汚辱の讃歌

  • 零時過ぎから書見。臥位で脹脛をほぐしまくる。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)はやはり面白い本で、書抜きしようという記述に遭遇しない断章のほうがむしろすくない。二時四〇分過ぎまで読み、すると喉がやたら渇いていたので飲み物を取りに行った。氷水で良いかと思っていたが、冷蔵庫を見ると「伊右衛門」があったのでそれをいただくことに。室に帰って氷を入れたコップに注ぐと、ずいぶんと綺麗できめ細かいような若緑色だった。そうしてUA『KABA』などを流しつつ六月三〇日や五月二九日の記事に取り組む。UA甲本ヒロトとデュオでカバーしている"夜空の誓い"はけっこう好ましい。たしか忌野清志郎の曲ではなかったか。"セーラー服と機関銃"もなぜかわからないけれどけっこう好きだ。
  • 早朝にふたたびWoolfの翻訳を進めた。

'Yes, of course, if it's fine tomorrow,' said Mrs Ramsay. 'But you'll have to be up with the lark,' she added.
 To her son these words conveyed an extraordinary joy, as if it were settled the expedition were bound to take place, and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed, was, after a night's darkness and a day's sail, within touch. Since he belonged, even at the age of six, to that great clan which cannot keep this feeling separate from that, but must let future prospects, with their joys and sorrows, cloud what is actually at hand, since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystalise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests, James Ramsay, sitting on the floor cutting out pictures from the illustrated catalogue of the Army and Navy Stores, endowed the picture of a refrigerator as his mother spoke with heavenly bliss. It was fringed with joy. The wheelbarrow, the lawnmower, the sound of poplar trees, leaves whitening before rain, rooks cawing, brooms knocking, dresses rustling ― all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity, with his high forehead and his fierce blue eyes, impeccably candid and pure, frowning slightly at the sight of human frailty, so that his mother, watching him guide his scissors neatly round the refrigerator, imagined him all red and ermine on the Bench or directing a stern and momentous enterprise in some crisis of public affairs.
 'But,' said his father, stopping in front of the drawing-room window, 'it won't be fine.'
 Had there been an axe handy, a poker, or any weapon that would have gashed a hole in his father's breast and killed him, there and then, James would have seized it. Such were the extremes of emotion that Mr Ramsay excited in his children's breasts by his mere presence; standing, as now, lean as a knife, narrow as the blade of one, grinning sarcastically, not only with the pleasure of disillusioning his son and casting ridicule upon his wife, who was ten thousand times better in every way than he was (James thought), (……)


 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんと同じくらい早起きしなくちゃね」と付け加えた。
 たったこれだけの言葉が息子にとっては測り知れない喜びをもたらすことになり、まるで遠足に行けるということはもう確かに定まって、幾星霜ものあいだと思えるほどに長く待ち焦がれていた魅惑の世界が、一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたそのすぐ先で手に触れられるのを待っているかのようだったのだ。彼はまだ六歳に過ぎないとはいえ、ある気持ちを別の気持ちと切り離しておくことができず、未来のことを見通してはそこに生まれる喜びや悲しみでもって、現にいま手もとに収まっているものにまで覆いをかけずにいられないあの偉大なる一族に属していたのだが、その種の人々にあっては、もっとも幼い時期からでもすでに、ほんのすこし感覚が転じるだけで陰影や光輝を宿した瞬間が結晶と化しその場に刺しとめられてしまうものなので、床に座りこんで「陸海軍百貨店」のイラスト入りカタログから絵を切り取って遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母親の言葉を耳にしたときちょうど手にしていた冷蔵庫の絵に、天にも昇るかのような無上の喜びを恵み与えたのだった。その絵は、歓喜の縁飾りを授けられたわけである。手押し車や芝刈り機、ポプラの樹々の葉擦れの響きや雨を待つ葉の白っぽい色、それにミヤマガラスの鳴き声や、窓をこつこつ叩くエニシダのノック、ドレスが漏らす衣擦れの音――こういったすべてのものたちが彼の心のなかではそれぞれ鮮やかに彩られ、はっきりと識別されていたので、この歳にして彼はもう、自分だけのひそやかな暗号、いわば秘密の言語を持っているようなものだった。とはいえ、その秀でた額と激しさを帯びた青い目には妥協をまったく許さぬ厳格さがうかがわれ、人間の弱さを目にすればちょっと眉をひそめてみせるほどに申し分のない率直さと純粋さがこめられてもいたので、鋏をきちんと丁寧に操って冷蔵庫の絵を切り抜いている息子の様子を見ながら母親は思わず、白貂をあしらった真紅の法服をまとって法廷に座ったり、国家的危機のさなかで容赦なく重大な計画を指揮したりする彼の姿を想像してしまうのだった。
 「だがな」と、そのときちょうど通りかかった父親が、客間の窓の前で足を止めて言った。「晴れにはならんだろうよ」
 斧でも火かき棒でも、とにかく父親の胸に穴をぶち開けて彼を殺せるような何かの凶器が手もとにあったならば、このときジェイムズはその場ですぐにそれを掴み取ったことだろう。ただそこにそうしているだけで、ラムジー氏の存在はそれほどまでに激しい感情の揺れ動きを子どもたちの心中にかき立てるのだった。ナイフのように痩せておりその刃にも似て鋭い細身の彼はいまもまた、いかにも皮肉っぽくにやつきながらそこに立ち止まっていたのだが、それは単に息子を幻想から覚ましてやったり、(ジェイムズが思うには)あらゆる点で父親自身より一万倍もすばらしい夫人を馬鹿にしたり

  • 五時三五分に就床。脚をほぐしながら眠りを待つ。六時くらいになるともう近所で車のエンジンがかかって動き出す音が聞こえてくる。雨が降っていた。ぱたぱたという感じの音響が、シュロの葉が風を受けて触れ合うときの音にも似ている。


・作文
 15:41 - 15:52 = 11分(7月5日)
 16:35 - 17:29 = 54分(7月4日)
 23:24 - 23:55 = 31分(短歌)
 26:57 - 27:37 = 40分(6月30日)
 28:07 - 28:49 = 42分(6月30日 / 5月29日)
 計: 2時間58分

・読書
 11:47 - 12:19 = 32分(Woolf: 3/L12 - L15)
 13:24 - 15:27 = 2時間3分(Woolf: 3/L15 - L27)
 15:55 - 16:21 = 26分(英語)
 16:21 - 16:31 = 10分(記憶)
 18:33 - 18:52 = 19分(ニュース)
 18:53 - 19:11 = 18分(日記)
 20:19 - 20:42 = 23分(日記)
 20:46 - 21:07 = 21分(ジョンソン)
 21:07 - 22:07 = 1時間(バルト; 書抜き)
 24:18 - 26:43 = 2時間25分(バルト: 93 - 118)
 28:49 - 29:34 = 45分(Woolf: 3/L27 - L35)
 計: 8時間42分

・音楽