2020/7/6, Mon.

 ここにもうひとつ、神話に対してできるかぎり抵抗する別の言語活動がある。われわれの詩の言語活動である。現代詩というのは、逆行性の記号体系[﹅8]である。神話が目指しているのは超 - 意味作用[シニフィカシオン]、すなわち、一次的体系の拡大であるが、反対に詩が見出そうとするのは、下部 - 意味作用[シニフィカシオン]、すなわち、言語活動の前 - 記号的状態である。要するに、詩は記号を意味に再変形しようと努めるのである。その理想は――特定の傾向をしめすものだが――単語の意味にではなく、事物そのものの意味に到達することであろう。それゆえ、詩は言語を乱し、概念の抽象度や記号の恣意性をできるかぎり増幅させて、シニフィアンシニフィエの結びつきを可能な限界までゆるめるのである。概念の「流動的な」構造が、ここでは最大限に活用されている。詩的な記号が、事物の超越的な特質の一種に、事物の自然な(人間的な、ではない)意味に、ついに到達できるという希望を抱いて、現前させようと試みるのは、散文とは逆に、シニフィエ潜在的可能性[ポテンシャル]そのものである。そこから詩の本質論的な野望が生じる。もっぱら詩だけが、反 - 言語になろうとする度合いに正確に応じて、事物そのものを捉えるのだという確信である。つまり、ありとあらゆる言葉の使用者たちのなかでも、詩人は最も形式主義ではないのだ。なぜなら、彼らだけが語の意味は形式にすぎないと信じているのだが、実在主義者である彼らは形式だけでは満足しそうにないからである。このようなわけで、われわれの現代詩は、いつでも言語の殺人として、沈黙の空間的、感覚的な相似物の一種として、姿を現すことになるのだ。詩は神話と逆さまの位置を占めている。神話という記号体系は事実の体系へ向かって自らを超越しようとするが、詩という記号体系は本質の体系へと収縮しようとするのである。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、350; 「今日における神話」; 一九五六年九月)



  • 午前のうちに軽い覚醒を得た。空はまたしても真っ白な曇りで、雨音は朝方よりも微細になったような気がした。首や胸や肩をしばらく揉んで和らげてから起き上がり携帯を見ると、一一時だと思っていた現在時刻が一〇時だったので驚いた。滞在は四時間半に満たない。コンピューターを点け、さっそく今日の分の日記ノートをEvernoteに作っておき、それからLINEを覗けば(……)くんがWoolf会グループで難しすぎると嘆いていた。同意していくらかやりとりし、四段落目の終わりまでという話だったのを二段落目までに減らそうと言うので了承した。一応そこまでの訳出はもう終わっているのでノルマは達成済みだ。
  • それからなぜか五月二八日の日記を読み返してしまった。そしてほんのすこしだけ翻訳を進めてから一一時過ぎに上へ。素麺を茹でると言う。母親が茹でてくれているあいだに風呂洗いを済ませる。素麺のつゆには生姜と山葵を入れて、新聞を読みつつ食事。(……)さんはデイサービスに行ったと母親は言う。また、(……)さんだか(……)さんだかいう人が(……)さんのおばさんを買い物だか病院だかに連れて行っているらしい。家が近所で母親が(……)さんと仲が良かったとか。地域コミュニティのかろうじての残滓だ。新聞の話題は色々あるが、珍しく国際面にウイグル関連の報が出ていた。ウイグル自治区の抗議デモと警官隊との大規模な衝突から五日で一一年、とあったか? 中国共産党のやり口は収容から強制労働へと移りつつあるようで、ウイグルの人々が働かされている工場の寮の入口には「諸民族は一つの家族として団結しよう」みたいな標語を掲げた絵があるらしいのだけれど、これ、大日本帝国が濫用したレトリックそのままやんけと思った。都知事選の結果も出ており小池百合子がぶっちぎりで再当選なのだがむろん重要な点はそこではなく、桜井誠が五番目で、立花孝志が六番目だという事実のほうだろう。開票率が六割だったか八割だったか忘れたがその時点のデータで桜井誠は一三万票を得ていて、ということは我が(……)に住んでいる人が全員桜井誠に入れたくらいの規模で支持を得ているわけで、そう考えるとマジでやばいなと思う。
  • 母親は仕事へ。食後、皿洗い。台所から南窓まで距離がある上に視力も劣悪なのでよくわからないが、灰色と白の混ざった空気がかすかにぶれているように見えるので、浸潤性の雨がこまかく降っているらしい。帰室すると(……)からメールが届いていた。中学の同級生である。昨日、元気かと来たのになんとか生きていると返したその返事で、明日飯に行かないかと言うので了承すると、一二時に(……)で待ち合わせることになった。
  • メモが不充分なことや書くまでもないことはもろもろ省略していこう。Primo Leviについての英文記事を探して「あとで読む」ノートに色々とメモした時間があった。四時二〇分ごろから音楽を流して少々運動。ceroSuchmosである。Suchmosは音楽としてはまあ普通に格好良いと思うのだけれど、詞の面で見ると正直大したことはないというか、英語の使い方などわりとダサく感じられる部分もあってもったいない。
  • 五時半から五月二九日のことをちょっと書いたがいくらも進まない。六月二六日以降の記録も取れていない。どうも記述と生そのものの距離がひらくばかりなのだが、一〇月一七日に至った現在でもこの傾向は解消されていないというかむしろさらに加速している。どうにかしなければならないが、良い方策もあまり見当たらない。やはりどこかの点で妥協が必要なのだろう。六時頃になると上へ。食事の支度。米を磨いで餃子を焼いてタマネギと卵の味噌汁を作るという簡単なことしかやらないが。調理の合間に台所に立ったままで小さな豆腐を食った。
  • 帰室してコンピューターを点け、雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』の一巻をすこしだけめくりながら起動を待つ。準備が整うとTaylor Eigsti『Let It Come To You』を聞きながらノートに二人分の面談記録を作成した。椅子に就いてテーブルに向かい、文字を書いているだけでそのうち背に汗が湧いてくる。
  • 七時半ごろにようやく完成を見て上へ。帰宅した母親が食事を取っていた。(……)という職場の同僚のおじいさんにナスとキュウリをもらったと言い、ナスを炒めたらしい。制汗シートでからだを拭くともどって着替え(赤褐色の幾何学的なTシャツとオレンジ色のズボン)、出発までにゴルフボールを踏みつつWoolfを読んで頭のなかで訳を考えた。
  • 職場に向かうまでの道中については何も記録が残っていない。(……)
  • (……)
  • 私服で出向いたことからも知れるように、この日は面談記録を提出しに行ったのみで、授業はなかった。帰路、最寄り駅でコーラを買ってベンチに就いて飲みながら手帳に文字を記した。その間、風がほとんど絶えず、強弱を変えながら波打っていてだいぶ涼しい。ずっと流れ続けているので、じきに雨が来るのだろうかという気もちょっとした。
  • 久しぶりに駅前から坂を下りるのではなくべつの経路を取ることにして東へ。信号の青緑色が、本体は道の先にあって見えないのにその照射反映のみが、街道の脇に位置する建物や車の上に、おのおの距離をひらいて不規則な配置で点じられている。タクシー会社ではけっこうな年嵩と見える運転手が洗車をしている。風はここでも吹いて、空腹のためでもあろうけれど露出した腕がかなり涼しく感じられ、肌寒さに転じるぎりぎり手前というくらいだ。裏路地の坂を下って帰っていく。道端でアジサイが死にはじめている時節である。
  • 帰宅後は食事。テレビは『しゃべくり007』。指原なんとかいうあの人と、フットボールアワーの後藤と、あとひとり知らない女性が出演。メンバーの質問に答えてもらって三人を比較するみたいな企画。メンバーは「~~で比べてみます」とかいう文言のボードにお題を書いて提示するのだけれど、ほかのみんなは「合わなかった共演者」など順当なお題にしているなかで、堀内健だけただひとり「Tシャツのなかにバッタが入ったで比べてみます」というテーマを出すのにさすがに笑う。その後の寸劇よりも、この文言そのものが一番面白かった。
  • 入浴するともう一〇時四五分くらいだったので、兄の部屋にコンピューターを移して通話の準備。この日は記念すべきWoolf会の第一回目だった。しかしメモがほとんど取られておらず、最初の会がどんな具合だったかちっとも覚えておらず、その様子を言語的に充分に再現することができない。この初回に参加していた人間は、こちら、(……)くん、(……)さん、(……)さん、(……)さん、(……)さんの六人だったようだ。もしかしたらほかにもいたかもしれないが、メモが残っていないので思い出せない((……)さんもたぶんこの初回からすでに参加していたのではないか)。おのおのについて本当に一言だけ情報が書きつけられている(……)。こちらはといえば、日記の営みを指してかなり「狂気度」が高いと(……)くんに紹介されるので笑った。文学の方面では「近年まれに見る」人間、との評価もいただいたが、そのようなことはまったくない。
  • あと初回の様子で辛うじて記憶しているのは、けっこう話が脱線的に広がってしまい、なおかつそこでいくらか小難しいような話題に入ったことで、要するにベルクソンの名前などが出たのだけれど、それに関して(……)さんが苦言を呈したのだった。つまり、何の説明や補足もなしにたとえばアンリ・ベルクソンというような固有名詞が当然のように出てくると、哲学方面をかじっている人なら知っているだろうけれどそうでない人にはついていけないことがあるので、そういう場合には門外漢にも理解できるようになるべく説明がほしいというようなことで、この日に聞いたのだったかその後に聞いたのだったか忘れたけれど、(……)さんは大学のある授業でそういう風に知識があることを自明の前提とした進め方をされて、その権威的圧力によって精神的にだいぶ参って胃を壊したことがあるという話だった。そういうわけで、もっと気楽に、参加者の誰でもついていけるような話し合い方をしようとの提案だったのだ。ほかにも、会話のスピードが速かったり混線したりするとオンラインの環境上よく聞き取れないことがある、たびたび脱線してしまうと主旨である訳読があまり進まないなどの問題点が指摘され、こののち三、四回を経てだんだんと基本的なルールが形成され、定められたのだった。まず、基本的には先にその日の箇所の訳読を済ませてしまうこと、そのときに立ち入るのは文法面の確認や、訳語決定に関係する内容までに留めること、より詳細な解釈や議論、あるいは個人的な感想などは訳読が終わったあとにその時間を取ること。また、会話の流れがうまく整うように、発言したい人は挙手を示すなり、ZOOMの機能である挙手アイコンを用いるなりすること、他者が議論をしているあいだに疑問や言いたいことが生まれたときにはチャットも活用すること、などである。そういうわけで何回目かまではこれらのルールに従って会が進められていたのだが、だんだんみんな慣れて互いに馴染んでもきたし、一〇月現在では参加者も限られてきて、だいたい(……)くん、(……)さん、こちらをレギュラーとして、(……)さん、(……)さん、(……)さんがそこに加わる感じになっているので、最近では厳密に適用されてはいない。また人数が増えてきたらきちんと進行を整理してやる必要があるだろう。
  • 二時半。(……)さんのブログ、2020-04-04。柄谷行人

 今日においても、自然科学と文化科学という、カント的あるいは十九世紀的な区別が支配的である。つまり、自然科学は自然の超歴史的な法則を探求し、文化科学は歴史的な法則を探求すると見なされている。しかし、今日の物理学の先端では、自然法則は、宇宙に対して外在的なのではなく、宇宙の歴史の内部でのみ成立すると考えられる。たとえば、膨張による宇宙の変化にともなって微視的な物理定数も歴史的に変化する。それゆえに、「極微の世界を支配する物理法則が極大の宇宙構造と関係をもって変化しつつあるという可能性は十分にある」(佐藤文隆『ビッグバンの発見』)。つまり、自然法則そのものがこの宇宙(自然)の歴史に属している。それが「自然史」という考えにほかならない。今日の自然科学は、したがって逆に「自然史」という観念に近づいているのである。
柄谷行人『探求Ⅱ』p.178)

     *

 デカルトは、自分が疑うということは不完全であることであり、それは完全な神が在るということだといっている。これは「証明」ではない。いわば、彼は、自分が疑うことは、「差異」によるのであり、そしてこの「差異」は、逆に諸共同体をこえる世界(神)の普遍性を証すものだというのである。つまり、デカルトにおいて、「差異」は、相対主義懐疑主義)にみられるように普遍性への障害になるのではなく、それこそが普遍性の証しなのだ。あるいは、差異性(単独性)としての私において、はじめて普遍性が存在するのだといってもよい。
 すでにいったように、ここに、個(特殊性)―類(一般性)の水平軸から、単独性―普遍性の垂直軸への転換がある。(……)
柄谷行人『探求Ⅱ』p.213)

 (……)過程 Prozess とは、周知の通り、統合失調症の主体の歴史のなかで、了解によって把握可能なものの彼岸を措定するためにカール・ヤスパースが導入した術語である(…)。つまり、統合失調症では心因によってはどうしても捉えることができない因果性の裂け目があり、そこでは「今までの生活発展にくらべてまったく新たなもの」が出現している。このような生活史における屈曲点=出来事をヤスパースは過程と呼んだのである(この点で、「機械と構造」において因果性の切断を捉えようとしていたガタリが、そのモデルを精神病に求めたことは十分に理解できる)。そして、過程は、そのほとんどの場合で慢性的かつ前進的に進行していく疾患の過程として捉えられていた。過程が行き着く先にあるのは、痴呆化(早発性痴呆)、人格の全般的解体というひとつの終わりである。
 他方、ガタリにとって過程は終わりなきものである。ガタリは、過程に痴呆化という最終状態を想定する精神医学の見解とは反対に、「ある行為とか操作が別の行為や操作を次から次へと連続的に生起させていくこと」、すなわち決して平衡状態にならない散逸構造をとるもの、という意味を過程に与えている(Guattari, 2009, p.296/267頁)。つまり、ガタリにとっての過程は、安定した状態ができるかと思えばすぐさまそこからの切断がなされ、過程そのものを不断に更新していくような終わりなき運動なのである。そして、ガタリらが「神経症と精神病の鑑別診断」を強調するラカン派を攻撃したのは、ヤスパース統合失調症圏にのみ想定していたこの過程を、人間が普遍的にもつ可能性としての「過程としてのスキゾフレニー」「脱領土化の純粋なスキゾフレニー的過程」として捉えるためでもあった。
 (松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』p.403-404)

  • ガタリが「過程」について言っている「ある行為とか操作が別の行為や操作を次から次へと連続的に生起させていくこと」って、ちょうどこの日に綴ったのだけれど五月二九日の日記に触れたような思考=言語の働き、要するに人間の精神の動きそのものではないか? とか思った。内的独言はもちろん、とりわけ短歌を考えているときなどはある言葉が連鎖的にべつの言葉やイメージを呼ぶので。そういう趣旨ではないのかもしれず、概念内容として適合させられるのか怪しそうだが。ほか、「デリダの妻であるマルグリット・デリダが先月、コロナで死んでいたというニュースをいまさら知った。クライン派の分析家だったらしい」とも。いま検索したところ、デリダ夫妻の息子にPierre Alfériという人がいて、詩も小説も書いているのだが、どうも日本にはまったく紹介されていないようだ。