2020/7/11, Sat.

 なんらかの対象を取り巻く「神話」が、その実物に照らして真か偽かを知ることは、もはや最優先の問題ではない。二十世紀の神話学者の関心は、どのようにして彼の社会が、最たる「人為」としてのステレオタイプを生産し、次いでそれを最たる「自然」としての生得的な意味のように「消費」しているかを記述することである。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、404~405; 「訳者あとがき 記号の森のなかで」)


 一一時のアラームで離床に成功する。寝床に戻りながらも二度寝に陥ることはなく、仰向けになって脹脛をほぐし、また喉や首の周りを指で優しく刺激して肉を柔らかくする。これ以前に覚めたときには、やや晴れていたのか、明るさがあったような記憶があるが、このときは、相応に明るみはあるものの、空はやはり白。

 夢見。学校を舞台にした、もしくはそれと関連したものをいくつも見たような気がする。一つはまさしく学校にいるもので、理由を忘れたけれどある女子に見つからないように脱出しなければならず、昇降口の下駄箱のところまで忍んでいくと、高校のクラスメイトである(……)と遭遇した。たぶんこちらには、(……)が件の女子と通じているのではという警戒があったと思うが、結局は挨拶を交わす。
 もう一つも学校制度の範疇。こちらは予備校だか塾だかに属しているらしい。「知…社」みたいな、三文字で「知」がついた名前だったと思う。それで模試を、あるいは模試ではなくて本番の試験だったかもしれないが、ともかく受けるところ、何やらトラブルがあったみたいな情報が伝わってくる。たぶん会場に移動する途中だったように思うが、情報がもたらされ、試験会場の建物の前の掲示を見ると、「知…社」の三四〇人(くらいだったと思う)は受験を認められないということが知らされている。聞いたところ、生徒の一人かあるいは複数人が、飲酒だか喫煙だかをしたらしく、それで連座的に全生徒の受験も取り消されたという話。不合理極まりないこのような連帯責任は馬鹿げていると思う。
 その後、池袋に行ったらしい。池袋と言っても現実のその街とは様相が全然違う。淳久堂に行こうと考えていたらしく、駅前を歩いて曲がるも、記憶の場所に淳久堂はない。駅前は小さなロータリーのようになっており、その周りに、中学生か高校生かわからないが体操服を着た学生たちが大勢並んで囲んでおり、体育祭もしくは運動会をやっているらしいのだが、彼らは並んで立ち尽くしているだけで何の運動もしていない。その集団のほかに人間の姿はない。淳久堂はどうも別の口の方面だったらしいと気づき、目を振り、遠くのほうにビルがいくつも建って栄えているらしき区画が見えるので、そちらに向かう。また、地図を見たかったのだが、マップの掲示板は体操服の集団の列の内側にあり、そこに入っていくのが何となく気後れされたので諦めて、歩道橋もしくは高架歩廊に上って目的地のほうへ移動しようと歩いていると、中学校時代の教師に出会う。この人は「サンマ」というあだなをつけられていた人で、明石家さんまにすこし似ていたからだと思うのだが、担当教科は理科であり、こちらはたしか一年A組(だったか?)のときにこの人が担任だったのだけれど(家庭訪問に来ていた覚えがあるからそれはたしかなはずだ)、それにもかかわらず名前を忘れてしまった。この教師は、話すときに、はしばしの言葉の区切りに、「……ねっ、……ねっ」という風に「ねっ」をたびたび置いて語調を整えるとともに言述を接続していく癖があったのだが、その特徴的な喋り方は当時生徒たちにものまねされていた。で、その人と遭遇し、こういうわけで試験が受けられなくなったのだと話す。
 ほか、何らかの小さな部屋に、高校のクラスメイトを含んだ女子もしくは女性数人といる場面。(……)さんがいたような気がする。こちらはコンピューターを前にしている。何かの拍子にログインするアカウントが複数あることに気づき、こちら自身のもののほかに、塾の生徒である(……)くんと(……)くん(下の名前は忘れた)のものが並んでおり、なぜかこちらは彼らのアカウントでもログインできるようなのだが、勝手に使ったらまずいだろうという気持ちもあり、また煩雑で余計でもあるので、それらのアカウントを削除しようとしたところ、誤って自分のアカウントを消してしまう。その後、ほかの二つも消したのだが、それで一からセットアップしなおすことになる。音声認識確認みたいな感じで声をかけることを求められるので、あ、あ、あ、とチェックしていると、同じ室にいる女子が何をしているのかと怪訝そうに見てくるので、セットアップしているのだと説明する。

 一二時まで上記をメモして食事へ。母親は蕎麦を茹でていた。うがいをして、トイレで用を足し、昨日の天麩羅の余りを温める。炊飯器に残った米もすべて払う。それで食事。蕎麦もいただく。テレビは『メレンゲの気持ち』。滝沢カレン。効率の良い洗い物のやり方を知りたいとかいうのにアドバイザーみたいな人が応えて紹介していて、皿洗いにすら効率を求める世なのかと思った。あのHey!  Say! JUMPのメンバーだったかほかのグループだか忘れたけれど、伊野尾というジャニーズの人は三〇歳でこちらと同年らしい。もっと若く見えるねと母親。たしかに童顔で、三十路という感じはあまりしない。愛玩犬みたいな顔立ちと雰囲気があるから、そういう「可愛らしい」男性が好きな女性とかにはモテそう。
 父親は昨日、深夜に帰ってきて(たぶん3時頃だったか?)、そのままソファで寝たらしい。五時半頃に下階に下りてきたとの母親の証言。そのときに、酒に呑まれているみたいなことを言ったら、なぜかわからないが激怒したと言う。その際だと思うが、また「クソババア」と言ったらしき情報もあった。愚かだ。酒を飲むこと自体はまったく構わないが、それで不当に他人を不快にしたり、感情的になって怒鳴ったり喚いたりするのは良くないと、こちらが一貫して言っているのはそれだけのことに過ぎない。それができないなら酒を飲むのをやめるか、少なくとも量を抑えるべきだと、これも以前に書いた。それで朝方にシャワーを浴びて出勤したらしいが、母親は、アルコールが残っていて酒気帯び運転になっていないだろうかと心配していた。
 いつまでもだらだら居座って飲んでいて、(……)でもはやく帰ってほしいと思ってるよと母親は嫌そうに言い、たしかに、向こうは客商売だから言い出せなくとも、そういうことはもしかしたらあるかもしれない。「(……)」のあとに「(……)」にも行ったのではないかというのが母親の見立て。仲間はたぶん(……)さんとかではないか。

 母親の職場の話。みんな健康診断を受けないというので驚いたと言う。パートなので会社側からは保障がないわけなのでそれはそうなのではないか。こちらも正職に就いたことのない黴類なので、大学のとき以来健康診断など一度も受けていない。母親は父親の会社から補助が出て、二万円くらいで受けられるようで、それが今月の二九日にあるとか。職場の人もだいたいみんな連れ合いの扶養に入っているはずだと言う。制度について何も知らないのでわからないのだが、会社によっては被扶養者まで世話はみませんよという感じのところもあるのだろうか? 資本主義的論理からすると、むしろそういう企業のほうが多いような気すらするが。あとは単純に、みんな金がなくて生活が苦しいということもあるだろう。「(……)」の「(……)饅頭」を職場に持っていったら、みんな、高級だ高級だと騒ぐので母親は当惑し、いやそんなに高級じゃないよ、うちだって別にそんなによく買うわけじゃないしとか弁明したというのだが、(……)さんはそうでも、うちらにとっては高級だよみたいなことを言われたらしい。じゃあ高級品だから味わって食えとか言えば良かったじゃんと答える。一個九〇円くらいだと言う。普通に、(……)饅頭を高級だと思うほど金がなくて、苦しい生活を強いられているわけでしょと受けて、茶を持って帰室。

 Mr. Children『Q』を流して歌いながら今日のことを記録。今日は(……)に行く。図書館の返却日だからだ。ついでに楽器屋に寄って安いアコギを適当に買ってしまいたい気もするし、(……)の(……)家に遊びに行きたい気もする。図書館は五時で閉まってしまうので、三時頃には出かける必要があるだろう。

 その後、六月二七日を記録。音楽は『DISCOVERY』へ。あまりしっかり身体を据えることができず、指はやや急いでしまうし、肉体も動いてしまう感があった。二時四〇分ほどでメモを終え、歯磨きしつつ二〇一九年六月二六日水曜日を読む。

 小林 それはまさにそのとおりなので、「感覚的」と言ったときに、一番大きな誤解は、われわれが常に、もちろんいろんなものを知覚し、感覚しているんだけれども、その感覚が、多くの場合は習慣によって統御されているわけです、かならずね。感覚はすでにつくられてしまっているというか。アートの、芸術の力が必要なのは、まさに、つくり上げられた、鎧のように出来上がってどうしようもない、この人間の癖となっている、癖の塊である感覚にひびを入れるためですよね。そこにひびを入れることで、はじめて、もう1回、世界との直接的なコンタクトが、なんらかの仕方で生まれてくる。それがない限りは、この感覚をそのまま延長すればいいなんてことはけっしてない。それは禅の修行だってそうで、あらゆるものは全部そこを目指しているわけじゃないですか。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、43)

 四つ作歌している。三つはどうでも良いが、「一〇〇年後のフランツ・カフカになりたくて手紙を書くけどフェリーツェがいない」という一つは正直、かなり良いと思っている。あと、「君がさみしくないように」というセンチメンタルなラブソング的な詩をこしらえているが、これは特に面白くはなく、退屈である。



 「(……)商店街」。クリーニング店や家具屋などは一応あるものの、もはや住宅街。しかしここが商店で活気づいていた時代もかつてあったわけだろうきっと。着物屋に気づく。「(……)」という名前。

 (……)家。
 食事は、胡瓜と生姜の漬物、ナスの煮浸し、前日の残り物だという煮物(牛蒡・人参・蒟蒻・鶏肉など)、コンビニの冷凍のエビチリとチキン、しらすご飯といった感じ。「アマノフーズ」のフリーズドライの味噌汁も最後に。デザートはスイカと、こちらが買ってきたフィナンシェ。どれも美味いが、煮物がちょっとびっくりするくらいに美味かったので絶賛する。とても柔らかくよく煮えていて、普通に居酒屋で出せるレベルだと思った。
 (……)ちゃんは今日、午前中から五〇キロほど自転車で走り、そのあと今度は自らの脚で一〇キロくらい走ってきたと言うのですごいが、その後はずっと酒を飲んでいたらしい。そんなに運動したあとに酒を飲んで大丈夫なの、血圧とか、身体に負荷が掛からないのと訊いてみると、耳が痛い様子だった。骨密度は(……)さんのほうが低いらしい。(……)さんも歩いたり走ったりしているのに。
 ボードゲームも何か一つたしなみたいという話。やはり面白いのは将棋か囲碁か麻雀かなと。将棋は羽生の動画がけっこう面白いと話す。勝っても全然嬉しそうでないところとか、あと解説者が誰も羽生の意図を理解できずに困惑するところとか。麻雀は(……)の連中は好きで(……)家の人たちなどとよくやっているようで、昨年の秋だかの台風のときに、(……)橋だかの一部が流されたか壊れたかしたときにも、集まってやっていたらしい(ちなみにそのとき(……)ちゃんは様子を見に行ったと言うので、それ完全に、畑の様子を見に行った人が流されるパターンだよと言った)。『哲也』の名を出す。阿佐田哲也という人がモデルで、『麻雀放浪記』という本も出していると。色川武大の名は触れなかった。
 コンビニで手羽中や焼鳥をよく買うと話す。(……)家よりも我が家のほうがコンビニをよく使っているのではないかと(……)さん。少なくともこちらの場合は行動圏内にスーパーがないので。スーパーに行くには、(……)まで行って(……)に入らなければならないと言う。昔は(……)駅前に(……)があったが、なぜか潰れてしまった。(……)駅前にスーパーを作らないと、(……)は滅びるねと適当に断じる。行商は? と(……)さん。(……)さんと(……)が来ると。市が運営する移動販売みたいなサービスをやれば良いのにと言うと、お前がやれ、政界に出ろと煽られるので笑う。しかし実際これはけっこう死活問題で、すぐ近くにコンビニがあればよいが、ないあたりの老人とか、スーパーに行きたい老人とかは、わざわざバスに乗って(……)の(……)まで行かなければならないわけである。もう少し何かやりようがある気がするが。
 ポテトチップスについて。(……)のダイエットの話から。ポテトチップスは三口目くらいまでが一番美味い。
 一番好きな食べ物。煮込みうどん。
 テレビは野球や、セブンイレブンの品物を料理の専門家というか評判の高い店の料理人が「合格」「不合格」でジャッジしていく番組。コンビニ側の人もいちいち一喜一憂してみせたり、料理人たちもわざとらしくしかつめらしい表情を浮かべたり、意味深にうなってみせたり、悩むようなポーズを取ってみせたり、大げさな茶番の感は否めない。麻婆豆腐丼は三二年間中華を作ってきて、麻婆豆腐も無数に作っては食べてきた人が、しっかりと本格派の美味しい麻婆豆腐と言っていたので、食べてみても良い。
 八時半くらいに(……)が帰宅。ドッジボールをやって副校長に怒られたと言う。生徒が怪我したらしく、学習指導要領にないことをやって怪我させたと突っ込んでくる保護者もいるかもしれないと。(……)さん。仲が良いらしい。いつもにこにこしていていい子だと言うが、塾ではそんなに快活だった印象はない。(……)は人権教育校みたいなものに指定されていると言う。五年ほど前に(……)から飛び降りてしまった子がいたので。その生徒はこちらの塾に通っていた。容姿を馬鹿にされていたと言うか、こちらからすると全然どうとも思わない顔だったし、塾で見る限り同級生とも普通に問題なくやりとりしているように見えたのだが、たしか「化け物」みたいなことを言われていたらしく、ややいじめられていたような感じだったようで、それを苦にして自殺したのではないかという話が当時出ていたと思う。ただ遺書などはなかったはずだ。それで副校長は生徒には必ず「くん」「さん」をつけて呼ぶようにと訓告しているのだが(……)としてはそういう一律的な接し方はあまり納得が行かないようだ。先輩の先生だったか、目をかけてもらっている人に(あるいはそれが副校長で、先に言った「副校長」は校長だったかもしれないが)、休み時間はどんな呼び方をしようが自由でいいが、授業のあいだだけは「くん」づけ「さん」づけで呼ぶのがいい、そうするとけじめがついて、生徒のほうも意識が切り替わるからとアドバイスされて、それがいいなと納得してやっているらしい。こちらもそのやり方は悪くないのではないかと思う。いまはとにかくハラスメントにうるさい時代だから、セクハラにせよパワハラにせよ、生徒が言葉の暴力を受けたという気持ちにならないように言動には気をつける必要があるだろうと言っておく。
 今度、はじめての保護者会をやると言う。それでできんの? とか聞き、緊張するけどやるしかねえとか言っていたのだが、たぶんその流れで、(……)が、祖母の言葉を言いだした。なんでも祖母もしくは祖父は、地震が怖いとか言ったときに、自分だけが揺れるわけじゃねえから大丈夫だとか言っていたらしい。それはちょっと面白かった。(……)はなぜなのかわからないが、こちらの祖母のことを大変に高く評価してほとんど尊敬しており、(……)のおばあちゃんは本当にすばらしい人間、世界平和に一番近い人間、とこの日も言っていた。たしかになかなかよくできた人ではあったと思うが。その祖母ももう死んでから六年と五か月になる。振り袖で病院に着てくれたじゃんと向ける。それが(……)の成人式があった一月で、そのすぐあとに亡くなったと言うから、(……)が成人したのは二〇一四年だったようだ。ということはいま二六歳だろうか。保護者会については、(……)は裏表がないから堂々としていれば大丈夫だと言っておいた。すると(……)ちゃんが、(……)もそうだよと言う。裏表がないと言うので、まあそうかなと肯定し、俺はいつでも堂々としていると豪語して受けておいた。
 (……)は仕事。今日は保護者会が終わった打ち上げとかで、どうも帰ってこないよう。たぶん恋人の家に泊まるのではないか。(……)から(……)に移ったということはこのあいだ聞いていた。仕事は変わらず、進路アドバイザーみたいなことをやっているらしい。
 九時半くらいからギターを披露。"Let It Be"を最初に弾いて多少歌う。(……)がリクエストしてきたので。"Don't Look Back In Anger"と同じ進行だったろうと思いだして。
 ほか、例によって適当にブルース。(……)ちゃんは称賛してくれ、興奮し、そのあまりに放屁したくらいだ。
 "いとしのエリー"も。(……)がスマートフォンでコード進行を調べてくれた。
 "なごり雪"。歌う。(……)ちゃんも声を合わせるのだが、なぜか金八先生武田鉄矢のものまねをさらにまねしたみたいな声色になっていた。その動画を(……)さんが撮って、母親に送ったらしい。

 一〇時半前に帰路へ。(……)は居間で仰向けになってアザラシのように寝ていた。戸口で(……)ちゃんと(……)と挨拶を交わし、身体に気をつけてと別れ、門の前で(……)さんとも挨拶。突然ですみませんでしたと言っておき、(……)の飯はいつも美味い、ありがたく、おいしくいただいておりますと礼を言う。別れてあるき出す。ぬるい夜気。コンビニの前で煙草に火をつけて吸っている男性。先端の微小なオレンジ色。べたつきながら通りを渡るカップルもいる。交差点を渡り、来たときと同じ道を行く。道端、街角で別れを惜しんで接吻しているカップルがいた。唇と唇ではなくて頬とかだったように見えたが。(……)行きに接続する電車まで一〇分もなかったので、大股で急いでいたのだが、だんだんと、これは間に合わないのではないかという気がしてきて、そもそもギターを抱えて混んでいるところに入って立つのも面倒臭いし、それよりは座っていきたいし、(……)で待つにしてもメモを取る時間が取れるのだから次の電車で良いわという気になり、駅前で歩廊上に上がった頃には完全に歩みを通常の速度に戻していた。コンコースではなく、西口みたいなほうに行く。通路が広く、がらんとしていて、こういうところでストリートとかできそうだなと見る。改札をくぐり、一・二番線ホームへ。ちょうど一番線の(……)行きが発ち、二番線がついたところだった。ホームの先のほう、東京側の端のほうへ行って乗る。マスクつける。いまさらだが。それで道中は全部メモ書き。乗客は乏しかった。発車するあたりからいきなり雨がざあざあ降りだしており、(……)に至っても続いていた。それで電車のなかをたどって屋根のあるところから降りる。

 ベンチで引き続きメモ。背後、反対側のベンチには意識が曖昧な人がいたらしい。駅員が声を掛けていて初めて気づいた。たぶん飲みすぎたのでは。電車にも乗れないような様子だったら、水でも買ってやろうかと思っていたが、どうも電車には乗らずに(……)で出るらしかったし、駅スタッフが、またお声掛けしますのでと言っていたから良いかと落とした。(……)を出るとき母親に、終電になるとメールを送っておいたのだが、何時頃(……)につくのかとあったのにそろそろつくと(……)で追送しておいた。すると、最寄り駅まで来てくれると言う。(……)駅でいったん外に出てコンビニで傘を買おうかとも思っていたのだが、それならと甘えることに。礼として「濃いめのカルピス」を自販機で買っておく。(……)行きは零時ちょうど。

 (……)行き内。いつもはだいたい一番後ろの車両かその次くらいに乗るが、ギターを濡らさないために屋根のあるところで降りようということで、今日は一番前の車両に。移動。座席で横になって眠っている人二人。一人は若い女性。珍しい。こういう人を見かけるたびに、声かけたほうが良いのかなあと一瞬、もしくは数瞬迷うのだけれど、わざわざ起こすのもと思ったり気が引けたりして結局放っておく。扉際で立ってメモ書きしつつ到着を待つ。

 降車。もうひとり、何か赤っぽい服の女性が降りて、この人はたまに見かける。たぶん公営住宅に住んでいると思う。ここでもベンチには寝そべっている男性がいた。自らここを寝床に選んだのだから、寝かせておいてやろうと素通り。夏だから死ぬこともない。階段通路にはこまかな虫が湧いて飛び交っている。蛍光灯のもとで。女性は煩わしがって手を振りながら、足音重くこちらを抜かして下りていく。出たところに母親の車があった。ただ、この頃にはもう雨は止んでいたので、もはや歩いて帰っても良かったのだが、後部座席にギターを乗せて、自分は助手席に。

 帰宅。服を脱いで洗面所。手を洗う。コップに氷水を作って、氷が溶けるのを待つあいだに下へ。ギターは兄の部屋に置いておき、荷物をリュックから取り出し、ズボンを脱いで収納へ。上がって、新聞チェックしながら水を飲む。結局、冷たい水が一番美味いなと思う。余計な味もにおいも重さもほぼなくて、からだに夾雑物がなにも取り入れられる感じがせず、冷たさだけが浸透していくので。臓器にやさしい。

 脚が疲労していたのでともかく休まなくてはと、ベッドに転がってほぐしながら、バルト。一七五頁には、「アウシュヴィッツワルシャワのゲットー、ブーヘンヴァルト強制収容所のできごとは、文学的性格の描写にはおそらく耐えられないだろう」というブレヒトの引用。バルトのテクストのなかに、他人の引用とはいえ強制収容所の名前が出てくるのはかなり珍しい気がする。もしかするとほとんどここだけではないのか? 同じ一七五頁の「マテシスとしての文学」中では、「文学は、もはや〈ミメーシス〉[芸術的な模倣]でも〈マテシス〉でもなく、ただ〈セミオシス〉[記号連鎖]、つまり言語の不可能性の冒険にすぎない」とあり、言っていることはまあわりとわかるし、バルト的だとも思う。それに続いて、「ようするに〈テクスト〉なのである」とあって、ここに〈テクスト〉概念の明確な一説明が書き込まれている(ただ、それはおそらく定義ではない)。それに付された括弧内には、「文学は有限な世界を〈表象する〉が、テクストは言語の無限性を〈形象化する〉」ともあり、〈表象〉と〈形象化〉の対比図式は何かに応用できるかもしれない。
 176には「「自己」の本」の断章。「彼は、自分の思想に抵抗している。彼の「自己」、つまり理性的な凝固物が、たえず抵抗するのだ」とある。「凝固物」というワードは〈固まる〉というバルトのタームの仲間であり、バルトにおいて(意味や言語が)〈固まる〉ことは常に否定的なこととして評価されているので、「理性的な凝固物」たる「自己」もバルトにとっては忌避の対象なのでは? という気がして、主体的自己の複数化による攪乱を擁護している人なのでそれは一面ではたぶん合っていると思うのだが、この部分の文脈だと、「自己」は「自分の思想」に「抵抗」するために役立つので、悪いばかりのものでもないと捉えられているような気もする。同じ段落内にはこの著作について、「〈後退的な〉(後ろへ下がり、おそらくは距離をとって見ている)本なのである」という結語があり、〈後退的な〉という形容は何か使えるかもしれない。
 177の「明晰さ」の断章には、「わたしが自分について書くことは、けっして〈最終的な言葉〉にはならない」とあり、これはそのとおりだと思われる。バルトが言っていることは、基本として踏まえておくべきではありつつも、内容としてはいまやそう物珍しいことではないと思うのだが、同じ意味内容でもその言葉遣い、言語的形態化、つまりはシニフィアン面の様相がやはり洗練されてはいて、表現として良い言い方、面白い言い方だなと思うことが多いし、それに〈〉なんかをつけられると、ちょっと必殺技的な感じもあって、おお、となる。
 182。「ドクサ」が語られるのと同じ「空間」には「わたし」は直接的には属しておらず、〈扉のうしろに〉いるのだが、そこで、「わたしもその扉を通りぬけたいと思う」と言っているのが重要で、意外なことに思われる。続けて、「その共同体の場にわたしも参加したいと思う」とも言っている。ロラン・バルトという人はほとんど生涯のすべてを通じて常に「ドクサ」に対する嫌悪と吐き気を抱えて生きてきて、それをいつも乱し、解体を試みてばかりいた人だと思っていたのだが、こういう箇所から判断するに、どうもそれだけではなく、両義的な態度を持っていたらしい。ロラン・バルトが、「ドクサ」の「共同体の場にわたしも参加したいと思う」などと書いているのは、ほとんど驚愕するようなことなのだが。「だからわたしはたえず〈自分が排除されているものに耳を傾ける〉のだ。そして呆然としてしまい、ショックを受け、人々の好む言語から切り離されるのである」などという言葉は、「排除」されることへのさみしげな疎外感すら感じさせなくもない。
 183には、自分は言語学用語をたびたびほかの分野のことを考えるための概念として援用してしまうみたいなことが語られており、それを「擬 - 言語学」、「隠喩的言語学」と呼んでいる。例としては「「中和」と〈中性〉の親近性」が挙げられており、そこに、「〈中性〉とは、倫理的なカテゴリーであり、提示された意味つまり威圧的な意味の耐えがたい指標を取り去るためにあなたが必要としているものである」と、バルトの重要なタームである〈中性〉についての一説明がある。特に、「倫理的なカテゴリー」であることが重要だろう。

 風呂へ。入湯前に体操。すると、窓にヤモリが現れる。最近頻繁のことだ。例の粘土っぽいような白さのほそながいからだの上部と下部に足が二つずつ横にちょこんと生えており、しっぽは長い。わずかに曲がりながら先がほそくなっており、爬虫類の尾というよりはネズミのしっぽを思わせるようであり、精子の鞭毛のようでもある。尾を除けば、からだと頭と足でいくらか曲がって歪んだ十字架をなしているようにも見えなくもないし、体の長さを措けば一応、人工的に培養された原始的な人間個体の誕生直後の姿のようにも見える。こちらが脚の筋を伸ばしているあいだ、ヤモリは動かずとまっている。バイクか何かが走ってきて、光と音が生じた際にほんのわずかにみじろぎしたのみ。彼らの意識というものは(それを「意識」と言えるのだとしたら)ほとんど大気の質感と温冷と明暗に同一化したその一部でしかないのではないか? しかしそのうちに、窓の下部に、なんか赤っぽいような色の微小な羽虫が現れうろつきはじめた。もしかして、これ食うんじゃないかとちょっと期待していると、果たしてヤモリは、上を向いていた頭の向きをまず変え、その次に思いの外にすばやく磨りガラス上を移動し、虫をぱくりと食べた。おお、と思って満足し、湯に入る。ああいう風に生きているわけだ。

 入浴後、(……)さんのブログを読む。「赤いきつね」食いながら。二〇二〇年四月七日。

 (……)「他者」は聖なるものではないし、不気味でもない。だが、親密でもない。「他者」との交通には、一つの〝飛躍〟がともなう。だが、それはエクスタシーの如きものではない。たとえば、「神との合一」という神秘主義的な体験は神と人間の本来的な〝同一性〟を前提しているが、異質なものとしての「他者」については合一などありえないからだ。extasyは、自己同一性のなかに回帰することである。しかるに、「他者」との関係における実存existenceは、自己同一性から出ることである。
 (柄谷行人『探求Ⅱ』p.252)

 “An Exhibition on Gabriel García Márquez’s Long Road to Becoming a Writer”(https://lithub.com/an-exhibition-on-gabriel-garcia-marquezs-long-road-to-becoming-a-writer/)という記事の内容としてマルケスがウルフから影響を受けていたらしいと紹介されており、たしかにマルケス本人もどこかのインタビューで、自分はヴァージニア・ウルフから影響を受けているけれど、そのことを見極めてくれた批評家はまったく(もしくはほとんどだったか?)いない、みたいなことを言っていた覚えがある。とは言え、マルケスの作品自体を見る限りでは、一体どの点にウルフの影響なんてあるんだよと言いたくもなる。まずもって彼は内面的描写をほぼしないではないか? 『ダロウェイ夫人』のSeptimus(セプティマス・ウォレン・スミス)をペンネームとしていたことがあるというのは初めて知った。

 (……)さんのブログ。何か文字面が変わったと言うか、行間が狭くなったような気がする。こんなものだっただろうか? フォント調整中なのだろうか。

 「次期大統領選の大きな変数に…韓国与党「あり得ないことが起こった」」(2020/7/9)(http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/07/09/2020070980232.html)。

 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は近頃も次期大統領選挙への挑戦への熱意を見せており、与党「共に民主党」など与党関係者と頻繁に接触していた。(……)朴市長は民選(人民が選挙すること)で3選した初のソウル市長で、与党の中で次期大統領選挙の有力候補の一人とされていた。(……)共に民主党では2018年の安熙正(アン・ヒジョン)元忠清南道知事に続き、今年4月には呉巨敦(オ・ゴドン)前釜山市長がMeToo騒動に巻き込まれて辞任し、政治人生を終えた。
 弁護士出身の朴市長は、2011年に補欠選挙で当選。市長に当選する前は、進歩派市民団体「参与連帯」を率いて市民運動を行っていた。
 しかし、朴市長は、部下の女性職員にセクハラ行為を行った疑いで、最近警察に告訴されていたことが判明した。(……)朴市長は昨日[二〇二〇年七月八日]、与党・共に民主党イ・ヘチャン代表に会い、政策協議を行った。(……)

 「行方不明のソウル市長 遺体で発見」(2020/7/10)(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200710000200882?section=society-culture/index

 【ソウル聯合ニュース】9日午前に公邸を出た後、行方が分からなくなっていた韓国の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が10日午前0時すぎ、遺体で発見された。
 青瓦台(大統領府)近くの北岳山一帯を捜索していた警察は、北側の粛靖門付近で朴市長を発見した。
 警察当局によると、朴市長の娘が9日午後5時すぎ、「4~5時間前に父親が遺言のような言葉を残して家を出た。携帯電話が切られている」と警察に通報していた。

 尾形聡彦(サンフランシスコ)「FB、止まらぬ広告引き揚げ ボイコットは約1千社に」(2020/7/9)(https://www.asahi.com/articles/ASN7964VDN78UHBI01B.html

 米フェイスブック(FB)から、世界の大手企業が広告を一時引き揚げる動きが続いている。広告を見合わせる企業は1千社近くまで拡大。ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)らが7日、ボイコットを呼びかける人権擁護の市民団体の幹部と会談したが、話し合いは平行線に終わったもようだ。

     *

 7日、ザッカーバーグ氏ら幹部との会談を終えた市民団体は失望感を示した。FB側は従来の同社の姿勢を説明したにとどまったという。(……)
 ボイコットは、全米有色人地位向上協会(NAACP)などの市民団体が6月半ば、ヘイトスピーチなど問題のあるコンテンツやトランプ大統領へのFBの対応を問題視し、企業側に呼びかけて始まった。
 市民団体によると、6月下旬に200社弱だった企業数はいま1千社近いという。米製薬大手ファイザーや、ジーンズ「リーバイス」を展開する米リーバイ・ストラウスなど有名企業が次々と参加している。
 (……)FBは昨年の売上高706億ドル(約7・6兆円)のうち98%を広告収入に依存しているが、その大半は中小企業による広告だ。大手企業の広告引き揚げは目立つが、金銭的な影響は大きくない可能性がある。(……)

 丸山ひかり「アイヌ差別の歴史に持論 萩生田氏「価値観違いあった」」(2020/7/10)(https://www.asahi.com/articles/ASN7B5GDXN7BUCVL00V.html

 北海道白老町で今月12日に開業する先住民族アイヌをテーマとする初の国立施設「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ)をめぐって、萩生田光一文部科学相は10日の閣議後会見で、アイヌの人々が受けてきた差別の歴史をどう伝えるのかと問われ、「原住民と、新しく開拓される皆さんの間で様々な価値観の違いがきっとあったのだと思う。それを差別という言葉でひとくくりにすることが、後世にアイヌ文化を伝承していくためにいいかどうかは、ちょっと私は考えるところがある」と述べた。
 さらに萩生田氏は「歴史に目隠しをするためにこの施設をつくったわけではない」と説明した上で、「仮に負の部分というか悲しい歴史があるとすれば、伝承いただける方が施設を通じて、お話ししていただいたり何か記録を残したりすることが大事だと思う。それは決して否定はしないし、目を背けるつもりもないけれど、せっかくの施設ですから、前向きにアイヌ文化の良さを広めていくことに努力したい」と語った。

     *

 アイヌの人々は、明治政府が進めた開拓で土地を追われ、同化政策により独自の文化も否定され、差別や貧困にあえいできた。昨年9月に閣議決定された政府のアイヌ施策の基本方針では「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、我々は厳粛に受け止めなければならない」としている。

 三時二〇分から書抜きに取り組んだものの、疲労しており、眠気が重く、臥位でなくモニターを前に座っているだけでまぶたが落ちてくるようなありさまなので、たまらずベッドに移って一時休み、まどろんだ。それからモニター前に戻ったが、やはり大したパフォーマンスが発揮できないので五時直前で中断。(……)五時半からこの日のことを記録して、六時一〇分に就床した。