2020/7/21, Tue.

 職業官吏再建法公布後まもない一九三三年四月二五日には、「ドイツ学校・大学過剰解消法」が制定される。そこでは、ユダヤ系の生徒や学生の入学を生徒・学生入学者総数の1.5%に制限し、学籍のあるユダヤ人子弟の全体数についてもドイツの生徒・学生総数の5%を超えてはならないとされた。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、34)



  • 一二時四五分に起床。滞在は八時間二〇分ほどで、けっこう長くなってしまった。今日もまた天気は白濁的な曇りである。上階へ行き、焼いた豚肉やサラダや前日のスープ(エノキダケとシソのもの)の余りなどで食事を取る。テレビは録画されてあった吉田類の『酒場放浪記』。(……)
  • 母親の分もまとめて食器を洗い、風呂も洗うと緑茶を持って帰室。Mr. Children『Q』を流しだし、インターネット各所を確認したあと六月一〇日の日記にかかる。本文はすでに書き終えてあり、あとは新聞記事を写すだけである。六月六日の土曜日分から写していなかったので、そこから一〇日分までを一気に片づけてしまおうと思ったところが、六日の一日分を写すだけで一時間以上がかかるありさまで、とてもでないが三日分も四日分もやる気にならない。それで六日分を記録したのみで六月一〇日の日記は完成とした。新聞を写すのも手間がかかって面倒ではあるが、やはりやらねばならないと思う。個人的な記録としても有益だろうし、いずれこの日記を読むに違いない一〇〇〇年後の人間にとっても貴重な歴史的資料になるはずだからだ。
  • 『Q』のあとにはMr. Children『DISCOVERY』を流した。#3 "PRISM"が昔からけっこう好きで、いま聞き、歌ってみても気持ちが良い。歌詞にせよ曲調にせよ陰鬱さが濃く漂っていて、その暗さが根っから内向的だった往時のこちらにはよく馴染んだのだけれど、こういう曲はたぶん現在のMr. Childrenには作れないのではないか。暗いだけではなくてメロディラインやギターの音色などにわりと澄んだ感じの綺麗な色もあり、〈透明な暗鬱さ〉とでも言うようなニュアンスが感じられる。
  • 六月一〇日の日記に新聞記事を写して投稿を終えると、もう四時。さすがに現実の生と記述のあいだのひらきがやばいなと思わざるを得ない。メモ - 下書き - 清書という三段階の記述方式から脱しない限り、おそらくいつまで経っても現実に追いつくことはできず、距離は大きくなっていくばかりだろう。だからと言って力のこもっていない弛緩した一筆書きに戻るつもりはないが、ゆっくり丁寧に言葉を刻みながらもなるべく一回で書き終わる、というやり方にシフトしていかなければならないと思う。
  • 四時半前から石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)に触れる。四〇分ほど。二六五ページから。まず「『テル・ケル』」の断章。「『テル・ケル誌』の友人たち」、すなわちフィリップ・ソレルスとかジュリア・クリステヴァとかのことだろうが、「彼らの(……)独創性や〈真実〉は、彼らが、共通の、一般的で、非身体的な言葉づかいを、すなわち政治的な言語を受け入れていることから来ている」と最初にある。だからすくなくともバルトにとって言語の一般性はそれだけですでに「政治的」なものであり、ここから言語はつねにすでに「政治的」であると拡張的な結論を導出してしまっても良いんじゃないか? それはわりと納得が行くことだと思われ、日常的な発話や文章作品においてどういう言葉遣いや形式を選ぶかという点が(広い意味での)政治性と密接に関わっているということは理解されるだろう。たとえばガルシア=マルケスに『族長の秋』という作品があるけれど、あの小説は六つの長い章のそれぞれにおいて最初から最後まで改行なしに言葉が緊密に連続するという形式を採用しており、そういった文章を読める読者というのはあきらかに限られているから、ここですでにどのような読者を対象としどのような読者を排除するか(あるいは〈挑発〉するか)という選択が介在しているわけである。そのような、作品における形式や言葉遣いを通して作家はおのおの大勢的=体制的な価値観に対するみずからの立ち位置を定め、いわゆる「社会参加」(サルトル由来の概念)を行うというのが『零度のエクリチュール』で考察されていたことだったはずで、だから上の点においてはそのデビュー時からバルトの考えは一貫している。そもそも言語とは基本的にひとりでは成立しない共同体的なものであり、共同体があるからには人と人との関係があるわけで、人が人と意味および力のやりとりを行えばそこにおいては(広い意味での)政治が(つまり調整とか、交渉とか、闘争とか、対立とか、和解とかが)不可避的に発生するのだから、言語がそれ自体で本質的に「政治的」だったとしても何も不思議なことではない。そのように、言語がそれそのものでつねにすでに「政治的」なのだとしたら、「文学」作品を「政治」から切り離そうと考えるいわゆる「芸術至上主義」的な態度など根本的には不可能だと言うか、端的にこの世には存在しないということになるはずで(第一、「芸術至上主義」だってひとつの「政治的」選択にほかならないだろう)、すくなくとも「芸術至上主義」の理解と定義を更新する必要があるだろうと思う。こちらは「芸術」がつねに明示的に「政治」を志向していなければならないとは思わないけれど、一見「芸術至上主義」的な作品がその外観を(あるいは書き手当人の理解や言葉を)〈裏切って〉、ラディカルな形で「政治」と接続しその領野における何らかの可能性を提示するという事態は普通にありえると思うし、作品に含まれているそうした潜在性を目に見えるように掘り起こしてみせるという仕事は、普通に面白いものになりうるだろう。
  • 同じ段落中には、「――それなら、なぜ、あなたも同じようにしないのか。――まさしく、わたしがたぶん彼らとおなじ身体を持っていないからであろう」という問答が書きこまれており、この時期のバルトにとって「身体」という語はほとんどマジック・ワードと言うか、本人の言葉を使えば「マナ - 語」だったらしいのだが、そのあとですぐに、「身体とは、還元できない差異」であると簡潔に述べられてもいる。つまりバルトにとっては「身体」という言葉はある人間主体の唯一性や固有性を言い表す単語であって、彼の「身体」的固有性は(ひらたく言えばおそらく、彼は個人的な生理とか性分として)言語の「一般性」に馴染めないということだろう(「わたしの身体は〈一般性〉に、つまり言語のなかにある一般性の力に、慣れることができないのだ」)。
  • 「身体とは、還元できない差異」だと述べられた一文では、それは「そして同時に、あらゆる構造化の原理でもある(なぜなら構造化とは、構造の「唯一者」だからである。「絵画は言語活動か」を参照)」とも説明されているのだが、この点はどういうことなのかよくわからない。「構造/構造化」の対立というのはバルトにおいてはよく出てくる図式で、そこではたぶん、静的に停止しひとつの形として確定された「構造」と、「構造」を(絶えず?)新たに形成(生成?)しようとする動態としての「構造化」とが対比させられていて、バルトは静的に〈固まった〉ものが基本的に嫌いなのでもちろん「構造化」のほうに肯定的な価値が与えられているわけだけれど、「構造化」は「構造の「唯一者」」であり、「身体」こそが「構造化の原理」だというのはどういうことなのか。この箇所に付された訳注では、「唯一者」という語はマックス・シュティルナーの『唯一者とその所有』由来のものであり、その意味は「このわたし」「自我」であると説明されている。「身体とは、還元できない差異であり、そして同時に、あらゆる構造化の原理でもある」というのは、人が何かを「構造化」するとき、何かの「構造」を捉えたりそれを形成したりしようとするとき、その動勢は主体の唯一性である「身体」にもとづいて組織されるということだろうか? そして、「構造化とは、構造の「唯一者」だ」という部分を先の訳注にしたがって言い換えるなら、「構造化とは、構造における「このわたし」、言わば構造の「自我」だ」ということになるはずだ。だから、固有の「身体」にもとづいた「構造化」の動きこそが、(あらゆる?)「構造」の〈核〉であり〈魂〉のようなものだというイメージになる気がするのだが、そう言ってみてもいまいち腑に落ちてはこない。
  • それは措いておきつつ先に進むと、この段落のその後の記述(265~266)は、「もし、わたしが〈わたし自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう。だが問題は、生きて欲動的で悦楽的なわたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとするこの方法を、政治的装置が長いあいだ認めるかどうかということである」となっており、この箇所も一応わかるようなよくわからないような微妙な感じだ。上では「構造化」という語を「構造」を形成(生成?)する動きとして理解していたのだが、「もし、わたしが〈わたし自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう」という仮定を読むに、「平凡なもの」の「構造」を揺るがせ組み換えることで(いくぶんかの)「テクスト」に変換するような操作 - 働きのことを言っているのだろうかと思われる。意味論的に頑固に〈固まった〉「平凡な」政治的言説を、揺動をはらみつついくらかの拡散を志向する「テクスト」へと〈ほどいていく〉というようなことではないかと思うのだけれど、その後の文によればしかしその「テクスト」はどうやら外観上はもとの「平凡なもの」とあまり区別がつかない様態らしい。だからここからさらに換言すれば、「平凡」で「一般的」な、つまりわかりやすく、ひろく受け入れられ、反復 - 流通するような単一の〈雄々しい主張〉としての政治的言説のなかにひそかに差異をもちこみ(〈植えつけ〉)、部分的に縫い目の組成を組み替えることで単一性に回収されない潜在的複数性を忍びこませる、みたいな話ではないかなあと一応理解しているのだが、この考えをものすごく大雑把に飛躍しつつひらたく翻訳すると、要はいわゆるキャッチーな「物語」としての体裁を保ちつつも矮小化された「物語」に収まらない複雑さを実現するということではないか。「わたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとする」方法というのはそんな感じでは? とひとまず捉えている。ここで「平凡さ」に「戦闘的な」という形容語がついているのがちょっと気になったもので、「戦闘的な」などという言葉はロラン・バルトにあまりにもそぐわない語なのだけれど、これはたぶん、単一の〈雄々しい(勇ましい)主張〉を押しつけるような言語形式に(基本的には)ならざるをえない政治的言説一般の様相を「戦闘的な」と言い表しているのではないか。
  • その次は「今日の天気(Le temps qu'il fait)」の断章(266)。この断章はわりとわかりやすいと思う。まず、「パン屋の女主人」と交わされた「天気」についての短い会話から、「わたしは、〈光を見る〉ことが高尚な感受性に属しているのだと理解する」のだが、ということは「感受性」にも「高尚な」ものと「低俗な(通俗的な)」ものがあるということになるだろう。この「高尚/低俗」の度合いはたとえば天気や大気の受けとり方(バルトが書いている例は、夏の快晴の光を「とてもきれい」だと思うかどうか)に表れるもので、したがって、「大気ほど文化的なものはなく、今日の天気ほどイデオロギー的なものはないのである」という結論がくだされる。受容的感性の形式は生得的なものではなく(その要素もいくらかは含むかもしれないが)、社会 - 文化的なもの、すなわち「イデオロギー的」(階級 - 政治的)なものだということで、したがって「感性」は〈訓練〉によって形成される(教育されうる)わけだ。世間における通常の(通有的な)「感性」は「自然」なものなどではまったくなく、社会的諸力によってかたどられ、枠付けられ、固定化されている(「こういうものには(こういうときには)こう感じるものだ」という圧力は誰もが感じたことがあるのではないか?)。そして、「文学」とか「芸術」と呼ばれているもの一般は、そういう感受性の〈凝固〉をほぐし、〈感性的解放〉を実現する役割をひとつには担っていると考えられ、したがって、「感性」の領野を戦場とした政治的闘争というものが考案されうるはずだろう。そこにおける戦略の素材として、バルトがどこかで提示していた「ニュアンス学」の概念を接続することもできるのかもしれないが、「ニュアンス学」というのはこちらの理解するところ要するに「文学」の効能のひとつで、この世のあらゆる「ニュアンス」(意味の細片)に対する繊細な感受性を養う試みということだ。「文学」とは人に「ニュアンス」を教え、体感させてくれるものである。こうした話は、小林康夫が『日本を解き放つ』のなかで言っていたこととだいたい同じだろう。

 小林 それはまさにそのとおりなので、「感覚的」と言ったときに、一番大きな誤解は、われわれが常に、もちろんいろんなものを知覚し、感覚しているんだけれども、その感覚が、多くの場合は習慣によって統御されているわけです、かならずね。感覚はすでにつくられてしまっているというか。アートの、芸術の力が必要なのは、まさに、つくり上げられた、鎧のように出来上がってどうしようもない、この人間の癖となっている、癖の塊である感覚にひびを入れるためですよね。そこにひびを入れることで、はじめて、もう1回、世界との直接的なコンタクトが、なんらかの仕方で生まれてくる。それがない限りは、この感覚をそのまま延長すればいいなんてことはけっしてない。それは禅の修行だってそうで、あらゆるものは全部そこを目指しているわけじゃないですか。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、43)

  • で、ちなみにこの断章では、「高尚な感受性」はたとえば、「「はっきりしない」眺め、輪郭も対象もなくて〈具体的な形象のない〉眺め、透明感のある眺め、見えないものの眺め」(「非形象的な価値」)を受容できるかどうかによって判断されるものとされており、対して「パン屋の女主人」は「「絵のような」光」しか認識することができない。したがってバルトの説明によればひとつには、非形象性(〈かたちのないもの〉)を認知し、受容し、享楽できるかどうかということが、感受性の「高尚/低俗」を分類する「社会的」な「指標」だということになるだろう。
  • 手の爪が、さほど伸びているわけでもないのだが鬱陶しかったので(爪が指の先端をすこしでも越えると日常のさまざまな場面で皮膚に固い感触がつきまとってくるので鬱陶しく感じる)切ることに決め、しかしその前に身体も和らげたかったのでまず運動をした。それで合蹠前屈をしている最中に思いついたのだが、いま日課の記録として設けられている「作文」と「読書」を「読み書き」として統合することにした。たとえば今日もそうだけれど、日記に新聞記事を写しているときなど、これは果たして「作文」に当たるのか、それとも「読書」に当たるのかどちらなのか、読んだ文章を写しているわけだから書抜きと同じでどちらかと言えば「読書」なのではとも思うが、しかし写しながら思いついたことを書きつけることもあるわけで、そうすると書き物の要素も含むし、という具合にまるでどうでも良いカテゴリー的困惑を抱えながらも、一応日記作成の時間ということで「作文」に分類していたのだが、「読み書き」としてひとつの範疇にまとめてしまえば良いではないかという単純な解決策を、今日にいたってようやく思いついたのだった。今日の日記からこの方式を適用する。
  • Mr. Children『IT'S A WONDERFUL WORLD』を流して歌いつつ爪を整え終わって五時半に至ると、もう腹が減ったので食事を取ろうと上階に行った。夕食の支度をサボってしまったので、せめてアイロン掛けはやろうと腹ごしらえの前にシャツの皺を取る。テレビは列車での旅の様子を映しており、まだらに白い急峰のつらなる景色からしてスイスあたりかなと安直に推測し、「ベルゲン急行」という字も見られたのでまさかドイツはベルゲン・ベルゼンアンネ・フランクが死んだ強制収容所があった土地である)か? と思ったのだが、そうではなくて、ノルウェーの鉄道だった。出演しているのは松尾諭[さとる]という俳優で、この人は二、三年前にNHK連続テレビ小説に出演して美人の女性漫才師(その役を務めていたのはたしか広瀬アリスという人ではなかったか?)と組んだ冴えないパートナー、という役を演じていたなと思い出したのだが、そのドラマのタイトルのほうが蘇ってこなかったところ、のちほど食器を洗ったあとに母親が検索したタブレットを借りてWikipediaを見てみると、『わろてんか』だったことが判明した。四四歳だと言うのでちょっと驚いた。風貌からして普通に三〇代だと思っており、そんなに歳が行っているようには見えなかったためだ。
  • そのテレビ番組をアイロン掛けのあいだ、そしてその後の夕食のあいだも眺め続けた。こちらが見はじめたのはどうもオスロからミュールダール(Myrdal)という土地に向かっている途中の行程だったようで、旅人はまもなくミュールダールに到着し、そこから「フロム鉄道」(Flåmsbana)という路線に乗り換えた。この鉄道はなんでも世界でもっとも美しい景観の路線とか言われているらしい。駅に入線してきた列車の車体はかなり濃く深い緑色を一面に湛えており、ホームに立ち並んでいる乗客らの姿が、水たまりにものが映りこむときに似てぼんやりと液体的に霞んだ写像でその上に反映する。多言語による車内アナウンスのなかには日本語の放送も含まれていた。あのようなほとんど極北の地においても、このちっぽけな我らが島国の存在がそこそこ尊重されているらしい。この鉄道はときおり写真撮影や風景鑑賞のために停車してくれるらしく、一度は何とかいう滝のそばで停まり、松尾諭も外に出て観光客の集団にくわわり滝の水が岩肌を白く流れ落ちるさまを眺めるのだが、その滝のすぐ脇には真っ赤なドレスに身を包んで踊り舞っている女性がいるのだった。滝の精か何かをイメージしたものらしい(しかし、だったら青系統の衣装のほうが良かったのではないか?)。ほか、途中の山間で停車したときに、松尾が乗って窓から顔を出している列車とすれ違う形でもう一本の線路上を対向列車が通り過ぎ、巨大な芋虫の緩慢さでゆったりと進みながら深緑のなかに去っていく様子が捉えられたのだが、静止した植物相のなかで唯一動き続けるほそく大きな存在を映し出したその場面には、あ、これは映画だなと思った。
  • フロムという土地はソグネ・フィヨルドという湾の玄関口らしく、このフィヨルドはヨーロッパで最大のものであり、全長がおよそ二〇〇キロメートル、水深は一三〇〇メートルに及ぶとか言われていたと思う。フィヨルドというのは氷河によって浸食を受け削られた土地に海水が入りこんでできたものだと番組内でも説明されており、中学校の地理で教えるのでこちらも教科書的な知識としてそのくらいの理解はあったものの、あらためてこの番組を見てみると、かなり山の高いところまで上ってきているはずなのに、その高所に「海水」が入りこむって一体どういうことやねんと疑問を覚えざるをえない。フィヨルド内では特別印象に残ったシーンはないが、船の甲板からすぐ眼下に映された水の深い色とそこに生まれる波の質感はやはりすごかった。
  • そこからウンドレダール(Undredal)という村に移動。ゴートチーズで有名な土地らしい。したがってまず山羊と松尾の戯れが映されるのだが、山羊たちはおとなしくて人馴れしており、正直けっこう可愛かった。村長なのかなんなのか、村の名前と同じ名字を持っているらしい男性が旅人を案内し、教会を紹介する。一一四七年の創建とか言っていたと思う。また、北欧でもっとも小さな教会だとも述べられていたはずだ。ウンドレダール氏は複雑なつやを帯びた金属色の聖水盤(あれが聖水盤というやつだと思うのだが)を取り出して、この村の人はずっとこのボウルで洗礼を受けてきた、私も一九五二年にこれで洗礼されたんだよと話した。それだけでこちらなどわりと素直に感動してしまうと言うか、ここにも確かに昔から人がいて、いまもいて、時間の厚みがあるのだなあということがほんの一抹でも感じられると、実にやすやすと感動してしまってときには涙を覚えもするというロマンティックな性向がこちらにはある。しかし、こういう場合に意味とか解釈とか感情とか思いとかへの読み取り - 還元は端的に不要で、この世界で何よりも驚愕するべきなのは、何かがかつてあり、そしていまもあるというその存在性の字義的な厚みそのものではないのか? たとえばこの番組内でもナレーションによって、「自分の住む土地に誇りを持つということの大切さを教えてもらいました」みたいな注釈が付されていたのだけれど、いままで映し出されてきた空間と事物たちの具体性をよくもこんなに貧しい意味 - 物語に抽象化してしまえるなと思わざるをえない。こんな貧困極まりない「人間的」命題よりも、たとえばウンドレダール氏の身につけていたベスト(ヘラジカの皮を使ったものらしく、その素材は「エルキ」と呼ばれていた)の質感とか、教会の聖水盤の色艶とか、もちろんフィヨルドを構成する水と山と植物の風景のほうがよほどすばらしく価値があると思う。事物そのものがはらんでいる具体性に比べれば、上のような「人間的」意味などただのゴミだ。
  • 食後、食器を片づけて緑茶を用意。そのときにはテレビ番組は移行しており、「自然」の典型性を表したような草花の景観の上に女性ボーカルのポップスが流れていたのだけれど、目が悪くて画面右上の文字が読み取れなかったので何の曲かと母親に訊けば、Swing Out Sisterだと言った。"Now You're Not Here"という曲。音楽の全体的な残響感(とりわけスネアのそれ)や曲調があきらかに八〇年代のものだったのでSwing Out Sisterという名前には得心し(と言ってこのグループの音楽をきちんと聞いたことはないのだが)、どうせ八〇年代だろうと思っていたよ、これはたぶん八六年くらいの音楽だなと適当なことを言って自室に帰ったのだが、検索してみるとSwing Out Sister自体はたしかに八五年のデビューではあるものの、"Now You're Not Here"は九七年の発表らしいので、こちらの耳は節穴である。
  • 今日の日記を記述しつつMr. Children『BOLERO』を流す。#2 "Everything (It's You)"はとてもわかりやすい歌でわりと気持ちが良いが、歌詞と曲調の明快さにもかかわらず、桜井和寿の声色とちょっとねじったような発音の感じが斜に構えて生意気そうな雰囲気を醸し出しており、実に若々しくて良い。
  • (……)それで、父親がそろそろ帰ってくるとのことだったので、本当は夜歩きに出たいと思っていたのだけれど、仕方ない、今日は良いかとこれも気を変えて入浴してしまうことにした。湯に浸かりつつ瞑想めいて静止すると、この季節なので汗がだらだら湧いてきて頭や顔面や首の上をつぎつぎに、ナメクジの集団じみた緩慢なくすぐったさで這い落ちていってわずらわしく、身をすこしも動かさずにいるのが困難である。そのうちに父親の車が帰ってきて停まった音が聞こえたので、停止を解いて浴槽を抜け、髪や身体を洗って上がった。
  • 湯浴みを終えて帰室し、ここまで綴ると八時四六分。いま、くるり『アンテナ』を流しはじめたところ。このアルバムの#1 "グッドモーニング"はもちろん弾き語りたい。あと、#4 "ロックンロール"と#10 "How To Go 〈Timeless〉"も。今日はここまで、上述したように記録を取らずに最初から正式な文章として書いているのだが、これでも全然行けるし、こうしないとやはり永遠にノルマは解消されないだろう。
  • 一〇時四〇分まで六月一一日の日記を書いたあと、ベッドで書見。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)をようやく読了。ちょっと時間を掛けすぎた。二七〇ページには魚料理にかかっているものとして「グリビッシュソース」という語が登場し、なんやねんそれと思ったのだが、Wikipediaによれば「フランス料理で使われるマヨネーズ状の冷たい卵のソース」だとのこと。「固ゆでした卵黄とマスタードをキャノーラ油やグレープシードオイルのような植物油で乳化して作る。刻んだピクルス、ケッパー、パセリ、チャービル(Chervil)、タラゴンを加えて仕上げる」らしい。
  • あと気になったのはこの書物の最後の断章、二七三ページの「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」で、気になったと言うか例によってよくわからんということだけれど、とりあえずまずは全文を引いておく。

 「果てしなく続く衣服を身にまとっている女性を(もし可能なら)想像してみてほしい。その衣服はまさにモード雑誌に書かれていることすべてで織りなされているのである……」(『モードの体系』より)。このような想像は、意味分析のひとつの操作概念(「果てしなく続くテクスト」)を用いているだけであるから、見かけは理路整然としている。だがこの想像は、「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしているのだ。「全体性」は、笑わせながらも恐怖をあたえる。暴力とおなじように、つねに〈グロテスク〉なのではないだろうか(それゆえ、カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができるのではないか)。

 べつの言述。今日、八月六日、田舎で。光り輝く一日の朝だ。太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き。何もつきまとってこない。欲望も攻撃も。仕事だけがそこにある。わたしの前に。一種の普遍的な存在のように。すべてが充実している。つまり「自然」とはこういうことなのだろうか。ほかのものが……ない、ということか。〈全体性〉ということなのか。
  一九七三年八月六日―一九七四年九月三日

 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、273; 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」)

  • 「全体性」という概念の内実がいまいちよくわからないのだが、ひとまず、『モードの体系』の一節は「「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしている」と言われているのだから、すくなくとも第一段落において「全体性」がどちらかと言えば否定的な含意を与えられていることは確かだろう。一般的な意味で言う「全体性」とは何かと考えるに、ある物事をひとまとまりとして捉えたときのその全範囲とか、その全容を俯瞰的に(抽象化して)見たときの構造とか、たとえばそういう感じの説明になると思う。もちろん「全体性」にも物事の切り分け方によって異なるレベルがさまざまあるはずで、たとえば「東京都」を「全体性」として設定することもできるし、さらにひろく「日本国」の水準で考えることも、反対により狭く捉えて「(……)」の範囲に限定することもできるだろう。これは余談だけれど、以前東浩紀が「ゲンロンカフェ」でのイベントを収録した動画で(浅田彰と二人で対談したものか、中沢新一をくわえて鼎談したものか、それか千葉雅也をともなって浅田彰の還暦を祝ったときのものか、そのうちのどれかだと思うのだが)、哲学もしくは人間の思考というものは、いまや現実世界の「全体性」の拡大についていけていない、みたいなことを言っていた覚えがある。つまり、人の認識における「全体性」は、たとえば家庭→学校→地域共同体→国家という感じで範疇として拡大してきたのだが、いまや地理的・物理的に地球総体が「全体性」として繋がるような世界になってしまい、それに応じて概念としても「人類全体」という捉え方が過去のようにたんなる観念にとどまらず現実的な条件と重なるようになってきた。ところがどうも人間という存在にとっては、思考条件的に「地球全体」とか「人類全体」を「全体性」として考えることはかなり困難なようで、通常はせいぜい「国家」(すなわち、「国民国家」)のレベルまでしかその概念を拡張できないのではないか。ストレートに「全体性」の範囲を拡大していくやり方はもう行き詰まっているので、中身が充実していて隙間のない「全体性」として地球を捉えるのではなく、何かそれにかわるような形で世界や人類総体の捉え方を開発しなければならないというようなことを東浩紀は述べていたはずで、そのイメージとして、緊密に詰まっているのではなくて穴がぼこぼこ空いているような、ある意味で欠如や欠陥をたくさんはらみながら断続しているような「全体性」、という比喩を例示していたと記憶している。
  • それは余談である。バルトの本に戻ると、この断章の第一段落においておそらく「全体性」は、やや両義的でありながらもどちらかと言えば否定のほうにかたむいた概念として評価されていると思う。そもそも何かを「全体性」として捉えるとき、その物事の範囲と(大きな)形は確定され、輪郭と境界線が(つまり内と外が)さだかに区切られなければならないはずだから、これは「終わり」とか「完結」とかと順当に結びつく概念であるはずだ。「全体性」は完結し、終わりをむかえて閉ざされている。したがってそれはもっとも大きなレベルでは形態的に停止しており、〈固まって〉いるわけで、バルトは〈固まって〉いるものが基本的に嫌いだから彼が「全体性」を否定的に捉えていたとしても何も不思議ではない。この箇所で述べられている「果てしなく続くテクスト」という「操作概念」はもちろん、終わりに到達せずに「果てしなく続く」わけだから、端的に「完結」や「停止」に抗うものであり、その概念が「全体性」の「告発」を(ひそかに)「目ざしている」というのはたぶんそういうことだろう。
  • ただそのあと、「全体性」が「笑わせながらも恐怖をあたえる」というのはどういうことなのかいまいち体感として理解できない。その次の、それは「暴力とおなじ」で「つねに〈グロテスク〉」であるという点はまだしもわかるような気がする。ある物事を「全体性」として捉え確定させる思考のうちには、何がしかの「暴力」が含まれているように感じられるからだ。それはたとえば、ひとつの事態の複雑性を通有的な「物語」へと俯瞰的に抽象化するようなときに起こることだろうし、よりひらたく言えば、あらゆる人種差別的な主義信条だって典型的にそうなのではないか。「全体性」を(そのひとつの形態として)いわゆる(出来合いの、お手軽な)「物語」という概念にもし翻訳できるのだとすれば、「全体性」が「笑わせながらも恐怖をあたえる」ということも納得が行くような気がする。「物語」はたしかに面白く、容易に理解可能で、楽しみを与えてくれるものではあるが、「物語」に依存しすぎてそれに取りこまれてしまった思考には毒のような要素が含まれることもままあるし、その悪影響を外部に撒き散らすことももちろん多く、有害な種類の「物語」が力を持ちすぎれば「恐怖」という言葉が誤りになるほどの惨状をくりひろげることは充分にありうるからだ。そのことは二〇世紀の(まさしく「全体主義」の)歴史が証明している。そのあとに括弧で付されていることだが、そうした「全体性」が「カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができる」というのはやはりどういうことなのかまだよくわからない。まずもって「カーニバルの美学」とはいかなるものなのかこちらには何の知識もない。「倒錯」という言葉に集約されるような、日常的な秩序の一時的(例外的)逆転、というようなイメージくらいはあるけれど。
  • 後段に移る。『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のまさしく締めくくりである「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」の断章においては、上にもろもろ書いてきた前段よりも、むしろこの後段のほうが重要な意味を持っているのではないかという感覚があるのだが、ただその「重要な意味」を完全に明確にとらえることはまだできていない。「今日、八月六日、田舎で」というはじまり方にせよ、それに続く短い名詞の連続にせよ、書き手の〈体感〉を述べている点にせよ、この段落の記述には日記的なおもむきがあるけれど、それによればこの文を書いた主体はこの夏の朝に、「何もつきまとってこない」という感覚を体験したらしい。「つきまとう」という語は〈粘り〉のイメージを呼び寄せるものだが、ロラン・バルトは〈固まる〉ことと同様に〈粘る〉ことが嫌いである。面倒臭いのでいま正確な典拠を探すことはしないけれど、彼は色々な箇所で〈粘る〉ことを否定的に扱っていたはずだ(そもそも、「粘る」ことと「固まる」こととは類同的な状態ではないか)。この朝、ロラン・バルトは、「欲望」の〈粘り〉も感じず、「攻撃」に「つきまと」われることもなかった(何かから「攻撃」の意味素を受け取ることもなかったし、自分のうちに「攻撃」的な心的要素を覚えることもなかった)。こういう状態は、彼がたびたび述べていた〈中性〉という概念があらわす意味の一例ではないかという気がするのだけれど、しかしそれはおそらく「無為」とは違う。なぜなら「わたしの前に」は「仕事」が、すなわち〈やるべきこと〉があるからだ。だからいわゆる「東洋」の仙人風のイメージを帯びた「無為」とは異なり、バルトは意味からも義務からも完全に解放されているわけではないと思うし、このときはむしろ「すべてが充実してい」た。「充実」という語は密に詰まった状態を意味するから、そこには「動き」がなく、事象や事物は〈固まって〉いるのではないかという気がするし、そのことはここの記述の表現形式にもあらわされているように感じられる。なぜなら、彼がこの夏の朝に「田舎」(おそらくユルトの別荘を指しているはずだ)で体験した具体的な事物は、すべて名詞として並べられているからである(「太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き」)。名詞とは言うまでもなく、(すくなくとも日本語においては)活用せず、形としてほぼ変化しない(〈固まって〉いる)言葉である。もちろん現実の事態としては「暑さ」には波があるし、「花々」はたぶん大気の流れに揺らいでいるだろうし、「静けさ」が一瞬も乱されないということはないだろうし、「光の輝き」は一定の状態にとどまりはしない。ただ、ここで記述されている状況は、意味論的には〈固まって〉いるのではないかということだ。それにもかかわらず、それは〈中性〉に通じる事態としてとらえられているように見えるし、この「八月六日」の朝におけるロラン・バルトはあきらかに肯定的な状態を体験しているように思われる(こちら個人の主観では、バルトはここでほとんど恍惚的な自足状態に入っているようにすら感じられる)。
  • そして、おそらくさらに注目するべき言葉は次の一文である。「つまり「自然」とはこういうことなのだろうか」と書き手は自問するのだが、「自然」という語はロラン・バルトが一貫して闘いつづけ抗いつづけてきた、彼の最大の敵とすら言えるほどの概念であるはずなのだ。正確に言えば彼が闘争してきたのは「自然らしさ」に対してであり、それはまた「擬 - 自然」(偽 - 自然?)であり、要するに本当はまったく「自然」ではないのに歴史的起源を隠蔽されてあたかも「自然」であるかのように(この世の一番最初からそこにそのようにあったかのように)受け容れられている物事の暴力性なのだが、その闘争の果てに彼は、「自然」などというものはない、すべては「文化」であり(人為であり)「言語活動」であるという立場に至っていたはずである。ところがそういう個体であるはずのロラン・バルトがここでは、まさしくその身体でもって「自然」を〈体感〉している(すくなくともその可能性をみずから考え、認識している)ように見える。だからこの最後の段落は、この書物のなかでもロラン・バルトの活動全体のなかで見てもかなり重要なものなのではないかと思うのだけれど、そこで「自然」はまた、「ほかのものが……ない、ということ」、すなわち〈全体性〉なのだろうか、とも問われている。「ほかのもの」が「ない」ということは事態がそれ以上進まないということであり、付け加えるものが何もないということであり、意味がそこから滑り出していかないということであり、したがって「終わり」であり「完結」であり「停止」である。だからそれは上で見てきた「全体性」とおなじものであるはずなのだが、しかしこの書物における最後の文ではその「全体性」が、〈全体性〉に変化しており、あきらかに前段とは違う意味を帯びた言葉に変質している。だからこそバルトはこの段落の冒頭で、まず最初に、「べつの言述」という注釈を明示したのではないか。
  • 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」の断章前半において、「全体性」はどちらかと言えば否定的なニュアンスを与えられていたし、ロラン・バルトの活動を総体として見てもそうだろう。そして、「自然」の概念も同様なのだが、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の最後にいたって書き手は、それまでみずからが否定的なものとしてとらえ、闘争してきた対象が、反対に自分が長いあいだユートピアとして称揚してきた(それどころか「闘争」における戦術として利用すらしてきた)〈中性〉という概念に通じる側面を持っているということを、身をもって(「身体」において)まさしく〈体感〉してしまっているように見える。もしそのように理解することができるとすれば、この最後の記述はいわゆる「回心」の体験(たとえばルターやアウグスティヌスをはじめ、宗教者の経歴によく出てくるあの「啓示」)を書いたものとして読むこともできるのかもしれない。
  • さらに問題含みと言うか意味深なのは、最後の行に示されたこの著作の執筆期間をあらわす数字である。この二種類の年月日が執筆期間を示しているのは確かなことで、なぜなら書中のべつの断章(「友人たち(Les amis)」)に、最後の断章が書かれた日付としてこの「一九七四年九月三日」が明言されているからだ(「不思議な力によって、この断章は、すべての断章のあとに最後に書かれたのだった。いわゆる献辞のように(一九七四年九月三日)」; 85)。だから「一九七三年八月六日」のほうも素直に執筆がはじまった日を指していると考えて良いと思うのだが、そのときすぐに気づくのは、「八月六日」という日付は上でその意味合いを検討した最後の段落に書きこまれている数字であり、したがってバルトに「回心」が起こったまさにその日だということである。厳密に言えばこの「八月六日」は、「一九七三年」ではなく「一九七四年」のその日だという可能性もあるのだが、そのような偶然を考えてもそれ以上何の思考にも繋がらないのでそちらの道筋についてはいまは措く。この「八月六日」が「一九七三年八月六日」なのだとしたら、「何もつきまとってこない」「光り輝く一日の朝」を体験したそのおなじ日にバルトは『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の執筆をはじめたということになる。ということは、断章中で「仕事だけがそこにある」と言われていた「仕事」というのは、この書物のことなのか? また、この「回心」の体験があったからこそバルトは『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を書き出したのか? などと根拠のない想像をたくましくしてしまうことも避けられないが、しかしいま手もとにある情報の範囲ではそれを確定させることはできないだろう。いずれにしてもこの「八月六日」と「一九七三年八月六日」の一致は意味深長であり、意味深長であるということはその意味を明晰に見通して汲み尽くすことができないということなのだが、こんな一致はなんだかどうもできすぎじゃないかなあという気もしてくるもので、そうすると最後に据えられた数字も本当に真正な執筆期間を示しているのかどうか疑わしくもなってきて、作中すくなくとも三箇所に書きこまれているこれらの数字は、バルトがこの書物をひとつの「作品」として(虚構的に)構築するにあたっての戦略の一環だったのではないかという可能性も浮かんでくるけれど、先にも述べたようにそれを事実として確定させることはできない。
  • バルトを読み終えたあと、そのままウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)も読みはじめた。これは(……)くんに誘われたもうひとつの読書会(八月八日の土曜日にこちらは初参加する予定)の課題書である。小田島雄志の訳を読むのは初めてだが、日本語としてめちゃくちゃ精度が高くてすごいという印象は特に受けない。一一ページにはダンカン王に戦況を報告する将校の台詞として、「勝敗は定かではありませんでした、/泳ぎ疲れた二人がおたがいにしがみつき、/あがいているように」という言葉があるのだが、たんなる一介の軍人のくせにその台詞の一番最初からこのように比喩を用いて幾分回りくどい言い方をするあたり、なんだかシェイクスピアっぽいと言うか、いかにも昔の戯曲っぽいなという感じを受ける。
  • 一二ページには引き続き、敵の目の前に躍り出たマクベスが「別れのあいさつも握手も交わす間もなく、/みごと敵将の腹に突き刺した剣先を顎まで縦一文字、/その首をかき切って味方の胸壁にさらしました」と伝える将校の報告があるけれど、この描写はマクベスの膂力のすさまじさを短くも鮮やかに物語っているものと感じられ、ホメロスにでも出てくるような神話的英雄じみた戦士のイメージが喚起される。
  • 一四ページにいたるとまたべつの貴族(ロス)の報告によって、「戦の女神ベローナの花婿とも言うべきマクベスは、/無双の鎧に身を固め、(……)ついには暴れ馬の敵に轡をはめた次第」とスコットランドの勝利が語られるのだが、この「戦の女神ベローナの花婿」という表現は、先の将校の報告にあった「運命の女神も不義の軍にほほえみかけ、/逆賊の娼婦となるかに見えました」(11)というイメージと対応しているはずだろう。(「運命」もしくは「戦」の)「女神」は、一度はマクベスを裏切りほかの男に走ってふしだらな「娼婦」に身を堕とすかと思ったが、やはりマクベスのもとに戻ってきて彼を正式な「花婿」として認め、貞淑に受け入れてスコットランドに勝利をもたらしたというわけだ。
  • 一五ページ。「わがほうは、聖コルム島にて一万ドルの/賠償金支払いを命じ」とロスの発言に見られるのに、え、中世のスコットランドに「ドル」という貨幣単位があったの? この「ドル」はいまアメリカで使われている「ドル」とおなじなの? と疑問を持ったのだが、検索してみたところ、竹内豊「「マクベス」地誌考」(「室蘭工業大学研究報告 文科編」七巻・二号、一九七一年)という古い論考に、「ドルの起りは1519年ボヘミア Bohemla の Joachimsthal というところで採掘された銀を鋳造したに始まる。一方「マクベス」はマクベスがダンカンを殺した1040年が中心的時代であるから,この一万ドルというのはシェイクスピアアナクロニズムである」という註釈が発見された。
  • 一六ページでは魔女1の台詞中に、「あいつの亭主は船長で、いまアレッポに行っている」とシリアの都市が言及されているが、これもたぶん本当は一一世紀のスコットランドではまだ知られていなかった都市名なんじゃないか。英語版Wikipediaの"Aleppo"の記事にもMacbethにおけるこの参照は紹介されており、そこの説明によればOthelloにもやはりアレッポに対する言及があるらしい。
  • 一八ページの一行目では魔女三人が声を合わせて「運命あやつる三姉妹」と自称しているが、ということはこの胡乱な連中は一一ページに語られた「運命の女神」と、ある部分では性質をおなじくしていることになる。「運命の女神」に見はなされることなく気に入られ、おそらくそれと類同的な「戦の女神」の正式な「花婿」でもあったマクベスはしかし、この「運命あやつる三姉妹」によっていずれ破滅させられるだろう。
  • さて、マクベスとともにその魔女たちに遭遇したバンクォーはこの「三姉妹」の風貌を、「どう見ても/女のようだが、髭が生えているのは女とも見えぬ」(18~19)と語っている。したがってこの魔女たちは「女」でありながら同時に「非 - 女」でもあるわけなので、両義的な存在である。この連中の両義性は作品の冒頭、第一幕第一場からすでに示されているもので、と言うのも三人はそこで、「いいは悪いで悪いはいい」(10)と合唱しているからだ。この言葉はマクベスが舞台に登場してから最初に発する台詞のなかにもそのまま反響しており(「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18))、だからマクベスは、登場時点からすでにこの魔女たちの力に感染させられていると見なして良いだろう。
  • 読んでいて気づいたことは色々とあり、たぶん本当は関連する主題ごとにまとめて説明したほうがわかりやすいのだと思うけれど、論考みたいにきちんと脈絡を構成して書くのが面倒臭いので(この文章は単なる日記であり、つまり記録である)、ひとまずページの流れにそのまま沿って、出てくる言葉の順に触れていきたい。で、一九ページにおいて魔女たちの「万歳」三唱を聞いたマクベスは、バンクォーの台詞によれば「びっくり」して「おびえ」たような様子を見せているらしい(「なぜそのようにびっくりされる? いい知らせなのに/悪いことを聞いたようにおびえることはあるまい」)。マクベスが舞台にあらわれた直後、最初に明示する感情表現が「おびえ」であることは、おそらくそれなりに重要なポイントだと思う。彼は戦場での戦いぶりからして勇者であるとの評判をほしいままにしているのだが(「勇将の名の高いマクベス」(11)、「武勇の申し子のごとく血路を切り開けば(……)」(11)、「あっぱれ勇敢な男だ」(12)、「あの男こそ/真の勇者だ」(30))、そのマクベスがこの先で実際に提示していくのはむしろ不安や恐怖に苛まれるさまであり、その「臆病」さ(42)である。したがってこの一九ページの描写はそれらの表現の嚆矢となっていると言って良いと思うが、同時にまた、他者からの評判と間近で見た実際の姿が意味論的に逆転しているというのは、〈外面と内実の切断〉というこの劇の主要なテーマ(だと思うのだが)につらなる要素としてとらえても良いのかもしれない。
  • 上のバンクォーの発言からわかることはもうひとつある。彼にとっては魔女たちの「予言」(マクベスがこれから「コーダーの領主」になり、さらにいずれは「将来の国王」にもなるという予言)は明確に「いい知らせ」であり、「悪いこと」ではないということだ。したがってバンクォーは「いい」と「悪い」をさだかに区別し確定できるような精神性を持ち合わせているのだが、マクベスのほうはそうではない。なぜなら彼は魔女たちの「予言」が「いい」ことなのか「悪い」ことなのかしっかりとした判断をくだせず、バンクォーにとってはあきらかに「いい知らせ」であるものを「悪いこと」と混同して「おびえ」ているからだ。そのためにマクベスは〈動揺〉するのである。対してバンクォーは、魔女たちの言葉になど惑わされない堅固な〈不動性〉をその精神にそなえている(「おれはおまえたちの好意も求めず、おまえたちの憎悪も恐れぬ男だ」(19))。
  • 先のマクベスの〈動揺〉を証言する言葉の直後に戻ると、バンクォーは魔女たちに向けて、「おい、おまえたちは幻か、それとも見えるとおりの/実在するものか?」(19)と問いかけているのだが、これも魔女たちの曖昧な両義性をあらわす発言として理解できるだろう。
  • 二人に対して「予言」を済ませた魔女たちは突然ふっと消え去ってしまうのだが、「どこへ消え失せた?」というバンクォーの問いを受けたマクベスはそのさまを、「大気のなかへだ、形あると見えたものがふっと消えた、/息が風に溶けこむように」(21)と語っている。したがって、魔女たちはまた「形のなさ」、すなわち〈非形象性〉をその意味論的性質として持っていると言えるだろう。
  • 二二ページにいたるとロスとアンガスという二人の貴族があらわれ、スコットランド王ダンカンの「賞賛」をマクベスに伝達するのだが、その台詞のなかで、戦場におけるマクベスは「みずから築いた屍の山、不気味な死の様相にも/恐れを見せなかった」と描写されている。これはもちろんマクベスの「勇者」性を証言する言葉だが、それを短縮的に言い換えると、マクベスは言わば「反 - 死」の存在であり、(戦場で他者から見られた限り)「恐れ」と切り離された存在だということになるだろう。
  • 二四ページでは先ほど触れたバンクォーの〈不動性〉、すなわち落着き払った慎重さがふたたび観察される。「あなたの子孫が国王になるという望みも/かなえられそうだな、私をコーダーの領主にしたものが/そう約束したのだから」(23~24)と声を掛けてくるマクベスに対してバンクォーは、「あまり本気にしすぎると、/王冠にまで手をのばしたくなられるのではないか、/コーダーの領主では満足できずに」となかば戒めるような答えを冷静に返しているし、それに続けて、「よく聞く話だが、地獄の手先どもは/われわれを破滅に導くために、まず真実を語り、/小事においてわれわれを信頼させておいて/大事において裏切るという」とも述べている。したがって彼は魔女たちの言うことを無抵抗に信じこんでなどおらず、距離を置いてそれを眺め、「裏切り」の可能性があることを明確に認識しているわけだ。
  • そうしたバンクォーの地に足ついた〈不動性〉に対して、マクベスは浮き足立って不安定に〈動揺〉しつづける。まず彼は、「あの不可思議ないざないは/悪いはずはない、いいはずもない」(24)と独白している。したがって彼にとって魔女たちの「予言」は「いい」か「悪い」か確定できるものではなく、むしろ「いい」ものでも「悪い」ものでもない。それは「非 - 二元的」なもの、もしくは〈外 - 二元的〉とでもいうようなものである。そして、正式な論理学の規則においてはどうなのか知らないが、文学的なレトリックにおいては(文学作品に用いられるような修辞的約束事の理屈では)、AでもBでもないということはすなわちAでもBでもあるということだ、という転化 - 逆転の論理が往々にして見られると思うので、ここの記述も魔女たちの両義性の圏域にとらわれ惑うマクベスを描写していると見てもたぶん間違いではないのではないか。
  • それに続く二五ページの台詞は重要な言葉だと思われる。

マクベス (……)なぜおれは王位への誘惑に屈するのだ、
 それを思い描くだけで恐ろしさに身の毛もよだち、
 いつものおれにも似合わずおののく心臓が
 激しく肋骨を打つではないか? 眼前の恐怖も
 想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない。
 心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが
 生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで
 その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか
 存在しないように思われる。

 (ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)、25; 第一幕第三場 フォレス近くの荒野)

  • ここにはマクベスがそなえている主要な精神的性質があきらかに示されているように思う。「眼前の恐怖も/想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない」と言っているとおり、彼はいま目の前にあるものではなく、みずからの「想像力」によって生み出された未来の予測(すなわち表象)をこそ恐れる人間である。したがって彼は、戦場で目の当たりに迫ってくる敵兵たちや、彼らを殺して「みずから築いた屍の山、不気味な死の様相」(22)などに恐怖することはまったくないが、自分の意識が構成した「心に思う人殺し」の「想像」には恐れおののき、その先取りされた未来の「想像」は今現在の彼の〈心身〉にすら時空往還的に影響を及ぼすほどの力を持っている。こうしたマクベスの性質をここではひとまず〈精神 - 優位〉と名づけておきたいが、もっと一般的な言葉で言うと、要するにそれは「観念論的」だということだろう。彼の恐怖は視覚的なものではなく、唯物的基盤にもとづいてはおらず、表象的(抽象的)である。
  • そして、ここでマクベスが恐れているのは「心に思う人殺し」であり、それは「王位への誘惑」と結びつけられているのだから、この箇所で彼が漏らしている「人殺し」の対象とはスコットランド王ダンカンにほかならないだろう。したがって、魔女たちの「予言」を受け、直後に自分が「コーダーの領主」になったことを告げられるとともにその真正性を「本気に」するマクベスは、この時点ではやくも王殺し(弑逆)の発想を抱いている。ただ、マクベスはすでに戦場において「屍の山」を築くほどに人を殺しているのだから、殺人行為そのものを恐れるいわれは彼にはないはずで、なぜ王を殺すことにそれほどの(「身の毛もよだ」つほどの)恐怖を感じるのかという点が不思議ではある。その疑問に対する確かな回答をこちらはまだ見出せていないが、それが上に述べたマクベスの「想像力」、彼の〈精神 - 優位〉性にかかわっていることは間違いないだろうと思う。さらにもうひとつには、やはり「王」という地位そのものがまとっている権力性の観点からこの問いを考えることも必要なのかもしれないし、精神分析的な解釈が導入される余地もそこにはおそらくあるだろう。
  • もう一点触れておくべきだと思われるのは、この二五ページのマクベスにおいてすでに、「現実」と「想像」の境が曖昧になり、その二領域が融解 - 混淆しはじめているということである。「現実に存在しないものしか/存在しないように思われる」と彼自身が述べている事態はこののち、王を殺しに行く前の「短剣の幻覚」のシーンにおいて実現されることになるだろう。
  • 以上に述べてきたことを踏まえて、二五ページの段階までで理解できるマクベスの人物像をまとめておきたい。まず、彼は〈動揺〉する人間である。彼は外部からの影響を受けやすく(英単語を使うならばsusceptibleで)、魔女たちの言葉にやすやすと惑わされてしまうほど地に足がついていない。それを言い換えれば、彼の精神は確固とした形を構築していない非 - 定形な(もしくは不定形な)ものだということだ。そして、明確な「形がない」という性質はまた、魔女たちが去っていくときにあらわしたものでもあった(「形あると見えたものがふっと消えた、/息が風に溶けこむように」(21))。先の記述ではこちらはそれを〈非形象性〉という語に要約したけれど、その言葉を〈無形性〉と言い換えてみてもたぶん悪いことではないだろう。魔女たちに「形がない」のと同様に、マクベスの精神はまさしく〈かたなし〉であり、したがって彼はみずからの自我をさだかに固めて保つことができず、魔女たちの「予言」は至極容易にそのなかに侵入し、感染する。マクベスが登場の瞬間からすでに魔女的圏域にとらわれていることは、上にも触れたとおりである(「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18))。
  • さて、次に進むと、場を移って第四場のフォレスの宮殿ではダンカン王が、処刑を命じたコーダーの死にざまを聞かされて、「顔を見て/人の心のありようを知るすべはない。/あの男にはわしも絶対の信頼をおいていたのだが」と述懐している。根拠としてはいまだ弱いものの、この箇所を読んだときに、「顔」という〈外面〉(いわゆる「表層」)から〈内実〉(いわゆる「深層」)たる「人の心」をただしく見通すことはできない、というのがこの劇のひとつの原理なのかもしれないなとこちらは思った。そして、〈外面〉を手がかりとして〈内実〉に(ある程度は)到達することができるというのが世界の尋常な秩序なのだとしたら(実際にはそんなことはなく、「顔」と「心」が裏腹であるという事態もこの世にはごく普通に起こるとは思うのだが)、『マクベス』のなかでは一般的な二元的秩序が逆転しているということになるのかもしれない。それはまさしく魔女的世界のありさまである。つまり、通常はつながっているはずの〈外面〉と〈内実〉を結ぶ回路が切り離されてしまうとともに、通常は截然と区切られているはずの「いい」「悪い」の境界も曖昧に崩れ去り、ふたつの領域は混ざり合って区別できなくなる、ということだ。したがって、魔女たちの秩序反転的な影響力はもしかするとマクベスのみならずこの劇世界の全体に浸透しているのかもしれず、もしそれが確かだとすればその倒錯的作用は、〈接続から切断へ、分離から融解へ〉という定式に要約できるだろう。
  • 三一ページにいたると舞台はインヴァネスにあるマクベスの居城に移っており、マクベス夫人が夫からの手紙を読みつつ登場するのだが、そのなかでマクベスは魔女たちのことを「彼ら」という代名詞で読んでいる。これはたぶん原文では現代のtheyに当たる単語が使われているのではないかと推測するけれど、もしそうだとしたら、魔女たちは「人知のおよばぬ」存在であり、「女」でもあり「非 - 女」でもあるような超自然的存在なのだから、通常、人間の男性にふさわしいような「彼ら」という代名詞を用いるよりは、「やつら」とか「あれら」と訳したほうが良かったのではないかとちょっと思った。
  • ダンカン王の来訪を知らされたマクベス夫人はすぐさま彼の殺害を思い描き、「死をたくらむ思いにつきそう悪魔たち、この私を/女でなくしておくれ、頭のてっぺんから爪先まで/残忍な気持でみたしておくれ! 血をこごらせ、/やさしい思いやりへの通り道をふさいでおくれ」(33~34)と激しく願っている。ということはまず通念として、「女」は「残忍な」人殺しをはたらいたりはせず、「やさしい思いやり」に満ちた存在だという認識があるわけだろう。「女」である自分を「非 - 女」に変身させ、通常はつながっているはずの「女 - 思いやり」という結びつきを〈切断〉してくれと求めているわけだから、これは魔女的反転世界の希求であり、したがってマクベス夫人は言ってみれば〈魔女の手先〉である。「逆転」への志向はその直後、「この女の乳房に入りこみ、/甘い乳を苦い胆汁に変えておくれ、人殺しの/手先たち」(34)という言葉にも明確にあらわれている。
  • そのおなじひと続きの台詞内にはまた、「きておくれ、暗闇の夜、/どす黒い地獄の煙に身を包んで、早く、ここへ。/私の鋭い短剣がおのれの作る傷口を見ないですむように」(34)という望みも述べられているが、夫人自身が殺害の証たる刺し傷を目にするのではなく、「短剣がおのれの作る傷口を見」るという事物主体の表現は、この流れだとちょっと珍しいなと気になった。
  • 三五ページではダンカンに先立って帰城したマクベスをむかえた夫人が、「あなたのお手紙を読んで、なにも知らない現在を/たちまち飛び越え、いまの私はもう未来のなかに/呼吸している思いです」と気持ちをはやらせているけれど、この部分に夫人とマクベスの類似点および相違点がともにあらわされているように思う。相違点については今日(七月二四日に)読み返していてあらためて考えたものであり、いまこの二一日の日記を書くにあたっては面倒臭いのでまだ触れないけれど、類似点というのはこの夫婦の二人とも〈想像者〉だということだ。両者ともいま目の前にない観念的な未来を積極的に志向する人間である。ここまで読んだところで、特に根拠はないけれどなんとなく、マクベスが恐れているのは未来そのものなのではないか? という思いつきが浮かんできた。簡潔に振り返っておくと、彼において恐怖の対象となるのは目の前の(すなわち現在の)現実ではなく、想像によって表象された未来である。二五ページに示されていたとおり、仮構的に時を超えた先で生み出された未来の想像は、すぐさま時の回廊を駆け戻って現在のマクベスの身に波及し、彼の心身を圧倒する(「心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが/生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで/その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか/存在しないように思われる」)。三九ページの台詞(「やってしまえばすべてやってしまったことになるなら、/早くやってしまうにかぎる」)と読み合わせて、マクベスは想像によって生じた未来の不確定性そのものに耐えられず、それを恐怖し、事態を確定させることを志向するのではないか? とこちらは思ったのだが、これはしかしまだあまり確かな読みではない。ただこう考えたとき、二五ページの記述もそうだけれど、マクベスの心的性質は不安神経症の構造を明確に提示しているということは、不安障害患者だった自分にとってははっきりと理解できることである。不安神経症の患者にとってはまさしく、いま目の前にある現実よりもみずからが幻想的につくりだす架空の可能性のほうが恐ろしく感じられ、その想像上の恐怖が現実の世界を浸食し、その意味体系を完全に変容させてしまうのだ。具体的な例を挙げて説明すると、パニック障害の典型的な症状として電車に乗るのが怖くて仕方がなくなるというものがあるのだが、これはまず一度目の(原初的な)発作症状が発端となる。パニック障害の発作というのは、個々の症状としてはバリエーションがあるが、全般的に死を思わせるような苦しさとそれに伴う圧倒的な恐怖が主な特徴である。で、電車に乗ったときに発作が起こったという最初の体験がトラウマとなり、電車に乗るとまたあのような苦痛が起こるのではないかという予測(想像)によって心身が不安に占領され、そのあまり実際に電車に乗ることができなくなる、というのがよくあるパターンであり、こちらの身に起こったのもそういう事態だった。この予測的な恐怖のことを「予期不安」と呼び、それによって日常生活のさまざまな場面(電車、自動車、エレベーター、美容院、高所、買い物待ちの列、教室、食事処、面接、試験場などなど、この予期不安の対象はほとんどどこまでも拡大される可能性がある)で行動できなくなるというのがパニック障害という精神疾患の主な症状で、これを「広場恐怖」と言う。言うまでもなく予期不安の時点では、発作はまだ実際には起こっていないわけである。また、患者が多大な恐怖を覚える状況も、通常の人間にとっては何ら危険を感じさせることがないごくごく日常的な場面である。それにもかかわらず患者はそこに抗うことが非常に困難なほどの不安と恐怖を見出してしまうのだが、つまるところ彼ら彼女らの脳はみずからの想像によって意味論的体系を畸形化し、本来危険のないところにほとんど純粋無垢な(何も理由のない)危険を感じてしまうということだ。だから不安障害というものは、まさしく「意味という病」の一典型である。
  • それとともに思い出すのは、(……)さんが一時期不安障害的症状に苛まれていたときに死が怖いと言いながら北野武ソナチネ』の言葉をたびたび引いていたことで(「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」)、これは要するに、自分の身にいつ死が訪れるのかまったくわからず次の瞬間にもそれが来るかもしれないという不確定性を恐怖するあまり、それから完全に逃れるためにいっそのことみずからの手でみずからの死を確定させたくなる、という意味に理解できると思うのだが、マクベスもそんなような心的構造にあるのかなあとこちらはちょっと思ったのだった。ただ先ほども記したとおり、これはあまり確かな根拠をそなえた理解ではなく、単なる思いつきの類に過ぎない。ちなみに、現実に目の前にある状況よりも想像による不安のほうが怖いということはルソーも書いていたので、ついでにそれも引いておく。

 (……)今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先、襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。(……)
 (ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』光文社古典新訳文庫、二〇一二年、13~14)

  • で、この日は『マクベス』を五一ページまで読んだので本当はもうすこし言及するべき思考があるのだけれど、なんか面倒臭くなったのでもうここでやめて、この日の記事はこのまま投稿する。面倒臭くなったらとにかく無理にやらないのが吉である。また別の日に書きたくなったら書けば良い。
  • 書見は午前二時まで。下の(……)さん(つまり(……)ちゃん)の家に友人が来ていたようで夜半前から賑やかにしていたが、二時を越えて丑三つに入ってもまだ人声があった。夜食に米と納豆と豆腐を食う。音をあまり立てないよう慎重に洗って片づけると緑茶を持って帰室。
  • 三時前から、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)の書抜きをはじめた。この本も二六日の土曜日が返却日なのでさっさと書抜きを終えなくてはまずいのだが、正直それまでに終わる気がしない。「両義的な語(Amphibologies)」の断章の最後の段落(99)には、ロラン・バルトにおいて「称賛され求められているのは」、「多義性」ではなく(「すべてを(何でも)聞くことではなく」)、「両義性や二重性である」との証言が記されており、これはいくらか重要な点かもしれない。と言うのも、ロラン・バルト的な概念としての「テクスト」とか「エクリチュール」というものは、意味が無限に複数化していき永遠の逃走を続け、完璧に散乱的な(かつ、もしかすると〈産卵的〉な?)様相を呈するものだとこちらは理解していたからで(実際にはそんな「テクスト」などたぶん存在しないのだろうが、すくなくともユートピアとしてはそういう理想が措定されていたはずで)、それを言い表すためにバルトは「逸脱」とか「漂流」とか「悦楽」とかいう言葉をたびたび書きつけていると思う。しかしこの断章においてバルトの言い分はそうした十全な複数性からやや後退し、「両義性や二重性」の段階に留まっているのだが、彼当人もこのことにはもちろん自覚的で、段落の(そして断章の)結びとして「(その点で、わたしは自分が擁護しているテクスト理論よりも古典的なのである)」という補記を付している。
  • 九九ページ、「斜めに(En écharpe)」の断章。冒頭に、「ひとつには、大まかな知的対象(映画、言語、社会など)について彼が言うことは、記憶しておく必要などないということである。論文(何か〈について〉の論考)など、粗大ごみのようなものだ」という断言があって、対象確定的な文章に対するこの手厳しさには笑う。二段落目では、「彼にとってもっとも必要であるように思われ、彼がつねに用いる概念(つねに一語に包摂されている)を、彼はけっして明確には述べない(けっして定義しない)」とロラン・バルト特有の態度が自述されており、これも彼における基本的な点としてたぶん押さえておくべきなのだろう。「〈テクスト〉のほうは、隠喩的にしか近づけない」と明言され、そのあとに〈テクスト〉を暗示するさまざまな比喩が列挙されているが、そのなかでは「故障したテレビの画面」が一番こちらの好みだ。命題によって定義するのではなく、比喩によって寓意的に表す(またひとつバルト的な用語を使えば、〈形象化する〉)という姿勢は、〈固まること〉に対する彼の忌避感とおそらく関わりがあるのだろう。すべての具体を包含するような総合的定義によって語の意味を記述し尽くして(その可能性・潜在性を汲み尽くして)完璧に形態化してしまうのではなく、具体的なイメージを並べることで余白を保持しながら語が〈ゆるやかに〉かたどられていくような語りを採用し、風通しの良いその隙間からひとつの比喩がまたひとつの比喩を招き生み出すようにして、語の意味が絶えず横滑り的に拡張されていくような事態が目指されているのではないか。だからこれは、哲学的(演繹的)な態度に抵抗する文学 - 小説的(帰納的)な姿勢だと言っても良いのかもしれない。
  • 一〇〇ページから一〇二ページは「残響室(la chambre d'échos)」の断章。ここでも上の話題と同路線のことが記述されており、要するにバルトはある知の体系(たとえば精神分析理論やマルクス主義など)から概念を〈援用〉(と言うかむしろ「転用」ではないかと思うのだが)してべつの文脈や状況や意味体系にそれを「連結」させて(〈嵌めこんで〉)使う、ということが述べられている。そういう方法を言い表すイメージとして(またしても比喩だ)、「ラジオの使いかたがわからないときに、あらゆるボタンを押してみるようなものだ」とも言われているが、これはわりとわかりやすいし、いくらかの魅力もある。どういう効果や機能や〈化学反応〉が発生するか、語と文脈の組み合わせを手当たりしだいに試してみる、というわけだろう。こちらも性分として、こういう概念や語の〈援用〉をけっこうやるような気がする。なんか自分の思考形式はそういう〈軽薄な〉(おそらくは〈文学的な〉)やり口に比較的向いているのではないかという気もするし、そういう風にしてうまい言い方に遭遇できればそれは単純に面白いのだ。そのような思考の流れ方を見る限り、こちらの性質はやはり「哲学者」でも「思想家」でもないなと思う(そもそも、壮大で整合的な思想体系を建造したいなどという欲望はまったくないし)。だからと言って「研究者」であるはずもないし、「批評家」を標榜するつもりもなく、「作家」にしてもこの語はそれにつきまとう余計なニュアンス(〈雑味〉)が多すぎる。では何かと言って、べつにそういう称号がほしいわけでもなくただの一人間個体でかまわないのだが、強いて言えばやはり「作文者」か、この世界そのものを含む書物を読む人という意味と、読み - 書く人という二つの意味を重ねて、「読書人」とでもするのが妥当なところかもしれない(しかし後者の語はあまり格好良くはないと思う)。ただどういう身分を取るにしても、「専門家」とかその道の「プロ」になりたいなどとはすこしも思わず、いつまでもいかがわしい似非野郎でいたいと思っているのだが。