2020/7/31, Fri.

 ワルシャワ・ゲットーは、一九四〇年一〇月半ばに作られたが、縦四キロ、横二・五キロの空間(市面積の2.4%)に約四五万名(一九四一年春。ワルシャワ人口の約30%)が詰め込まれていた。一九四一年一月から配給がはじまったが、一人当たりの一日の配給量はわずか二一九カロリーで、それも八月には一七七カロリーに減った。ちなみに欧米の平均的成人男性の一日最低必要カロリーは、二四〇〇カロリー(アメリカ、一九四八年)、二二五〇カロリー(イギリス、一九五〇年)とされている。ワルシャワ・ゲットー住民は、必要最低カロリーの9%に満たない量しか支給されなかったのである。多く見積もられたカウナス・ゲットーでは七五〇カロリー、ヴィルニュス・ゲットーでは五〇〇~六〇〇カロリーだったが、それでも25%程度であった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、87~88)



  • 二時まで眠ってしまった。父親が帰ってきたところらしかった。起き上がってみると鼻水は止まっており、咳も出ない。ただちょっと身体が重いような感じがないでもなかった。上階へ行き、洗面所でうがいをしていると、父親が体調は大丈夫かと声を掛けてくる。肯定すると、朝と夜に熱測れよと続けるのでああと受け、うがいをまたしばらく続けてから食事を用意した。前夜の残りで、米と布海苔の味噌汁とゴーヤの炒め物である。新聞を読みながらそれを食ったあと、体温を測ってみると三六. 三度だったのでひとまず大丈夫かと思うが、だるさみたいな感じはなんとなくないでもないし、コロナウイルスでなくても普通に風邪を引いている可能性もある。それなので、今日はもともと図書館に行こうと思っていたけれど、大事を取って外出しないことにした。
  • 風呂を洗ってから帰室。やはりちょっと身体が熱いような感じがないでもないので、体温計で出た数値以上に熱があるような気もする。これから症状が顕在化し、あるいは重症化してこないとも限らない。今日はだらだら過ごそう。
  • とりあえず上記を記述し、さらに前日、七月三〇日のことも書くと四時を回った。だらだらしようというわけでコンピューターとともにベッドに移り、脹脛をほぐしつつインターネットを閲覧し続け、六時手前に至ったところで夕食の準備をすることに。だるさみたいな身体感覚はほぼなくなったようだった。だるさと言うかちょっと眠いようだと言うか頭と視覚がほんのすこしぼんやりしているような感じなのだが、これが風邪もしくはコロナウイルス等の症状なのか、それとも風邪薬の副作用なのかわからない。いずれにしてももうほとんど平常の状態と言って良いだろう。上階に上がると父親が自治会館に行ってくると言うので了承し、台所に入って手を洗う。冷凍庫に鶏肉が二種類あったのでそれらをタマネギと炒めることにした。味噌汁もタマネギと卵で良かろうというわけで近くに吊るされてあったタマネギを二つ切り取り、皮を剝いて切断、四分の一は味噌汁用の湯のなかに入れ、それから解凍した鶏肉も切るとソテーをはじめた。肉がおおむね焼けるとタマネギもくわえて火を通し、味つけは醤油を少量と名古屋味噌。味醂も垂らしたかったのだが、もうなくなったようで見当たらなかった。味噌汁にも味噌を溶き、溶き卵もくわえて完成、野菜は胡瓜のスライスやポテトサラダが残っていたけれど、キャベツも切っておくことにして、大玉から葉をすこしずつ剝ぎ、そんなにほそくはない大雑把な千切りにした。そうしてこちらはひとり、もう食事。どの品もわりあい美味くできたと思う。新聞を読みつつ食事を取り、皿も洗ったあたりで母親が帰宅した。弁当が食べられなかったと言う。休憩がなかったらしい。勘違いしてたと母親は言うのだが、以前は普通に休憩を取ってそこでものを食べていたはずだし、一二時から一八時半まで休憩なしで六時間半、ぶっ続けで働かせるというのは法規的に合法なのだろうか? こちらの職場でもたしか一応、連続で働くことができるのは三コマまでで――すなわち五時間弱で――それ以上勤務が続く場合は休憩を挟まなければならないことになっていた気がするのだが。母親もその点疑問だったようなので、インターネットで調べてみて、もし違法だったら言ったほうが良いんじゃないのと残して部屋に下りた。
  • 夕食を取ってねぐらにもどってくると七時半前。去年の日記を読むことに。二〇一九年七月八日月曜日である。冒頭に、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』からの引用。小林によるNation Stateについての説明があり、とても基本的な事柄ではあるけれど押さえておくべきだと思う。

 小林 となると、近代的な歴史観ってなにかと考えなくちゃいけなくなる。当然ながら、近代が歴史をもたらしたときの最大のポイントは国家だと思うんです。国家は前からあったろうって言われるかもしれないけれども、そうではなくて、近代においてはじめて国家とネーションとしての国民、そして歴史というこの3つのセットが出てきたわけですね。いままで国とは統治者のことだった。どこにだって国はあって支配者はいた。しかし、近代国家の原理は統治者が誰であれ、この国家は全国民のものなんですね。つまりネーションステートなわけですよ。夏目漱石森鴎外もその事態を受け止めようとしていますよね。つまり、徳川幕府だって国は国なんだけれども、明治になって藩制度を廃止し、日本の国民の国家をつくろうとした。近代化ですね。でも、日本は、それをするのに、たとえばフランスとは正反対のやり方をした。フランスは王の首をギロチンで斬首することによってネーションステートをつくったわけですが、日本は逆に封建体制に封じ込められていたレジティマシーを復権させることによってつくるという奇手を使った。正反対なつくり方をしたわけですよ。近代国家のつくり方っていろいろあると思いますけど、少なくとも建前としては、国民という存在が歴史の「主役」ですという「意味」が浮上してこなければならない。なぜならば歴史は国家の歴史だったけど、じつは主体は国民なんだというイデオロギーですよね。そうなると、国民とはいったい誰なんだという問題が出てくる。これは自明ではないんですね。男だけなのか、女も入るのか。差別されていた人々はどうなのか、子どもは、外国人はどうなのか、とか。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、328~329)

  • Mさんのブログも四月一八日分を読んだのち、六月一八日の記事を書く。メモされている事柄がすくなかったのですぐに終わり、風呂に入ろうかと思って上階に行った。父親は自治会館ののちに市民文化センターに行ったらしく、それでまた迎えに行かなければならないと母親は言っていたのだが、Sさんという人が送ってきてくれることになったので迎車の必要はなくなったようだ。九時半くらいまで掛かるらしいとか先ほどは聞いていたのだが、自室を可燃ゴミを台所のゴミ箱に合流させるなどしているうちにはやくも父親が帰ってきたので、風呂は譲って室に帰り、今日のことをここまで記述した。やはりなんだか眠たいような感覚がある。
  • その後、アコギをいじっているうちに父親が風呂を上がったことが知れたので入浴へ。階を上がると母親が、明日は仕事かと訊いてきて、そうだと答えれば明後日はと続く。日曜日は休みである。飯を食いに行くようなことを言うのは、もちろん父親の引退祝いだろう。正直面倒臭いと言うか、両親と食事をしてもなあというような気分が先に立ったのだが、もし行ければ三人でなと父親が言うし、長いあいだ働いて家を支えてくれたわけでもあるので、やはり祝ってあげるものだろうと思い、了承した。おそらく二日後の日曜日に行くと思われる。店や食事の種類はなんでも良いので、どこでも良いと残して風呂に行った。
  • 入浴中は、今度から自分の肌着や衣服は自分で手洗いすることにしようかなとちょっと思った。もともと技術的発展による利便性の高まりとそれによって失われる手仕事の具体性みたいなことについて考えていたのだけれど、なんか自分の着た服を自分の手で洗うというのもやってみても悪くないかもしれないという気がなぜかしたのだ。もちろんそれで母親の仕事が大して減るでもないし、家族の衣服はどうせ彼女が洗濯機でまとめて洗ってくれるのでそこから自分の分だけ引き取ってもほとんど意味はないし、洗うにしても洗濯機を使ったほうが楽なことは疑いないのだが、なんかそういうもろもろの効率的思考から離れたところで、毎晩風呂に入りながら自分の服を手づから洗うという習慣をつけても悪くないのでは? という気持ちが起こったのだった。しかし本当にそれを実践するかは不透明で、やっぱり面倒臭いなと思って気を変えることも充分ありうる。
  • 湯に浸かっているとまた、日記を毎日死ぬまで書くというのもなんかそんなに大したことではないなと言うか、そこまで必死に頑張って追求するほどの目標でもないなという気がした。今現在もべつに必死こいて頑張っているわけでなく、もうやめようと思ったらやめれば良いと思っているのだけれど、こちらが最大限長く生きるとしてせいぜい一〇〇歳までだろうから長くてあと七〇年、もちろん長いけれどなんかそこまででもないと言うか、七〇年程度では読みたいものを充分に読むこともできないし、知りたいことを充分に知ることなどとてもでないが無理なので、結局、人間なんて一生涯を費やしたとしても大したことにはならないなというニヒルな気分がなぜか生じてきたのだった。もちろん今から七〇年間ずっと毎日の記録を残したとして、いままでの分と合わせて七六年分くらいの生の記述が生まれるわけで、もしそれが実現されたらとてもすごいことだとは思うけれど、それでもやはりなんかわりとどうでも良いなと言うか、結局ずっと書き続けることができるわけでもないし……みたいな、たとえば一〇〇〇年後とまでは言わずとも、二〇〇年後の世界すら見られるわけでもないし……みたいな感じがあって、一応いまのところは後世の人間に読んでもらえるつもりで書いているけれど、これらの記録がのちに残らず全部消えたとしたらそれはそれでべつに良いなという気がする。こういうときに思い出すのは「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」という言葉で、これはテレビドラマ『相棒』のなかで大杉漣が演じた人物が口にしていた言葉だったはずだが、こちらはこうした世界観にいつでも賛同するわけではないけれど、こういう感覚がわりとわかるような気はする。六月一四日の日記に公開した詩片にも記したけれど、所詮は人の身であるものが一生涯全身全霊で力を尽くしたところでこの世界のことを石ころひとつ分も知ることはできないというわけで、そもそもすべてを知る必要などあるはずもないし、すべてを知りたいという欲望があるわけでもないのだが、しかしそのように考えるとなぜか、まあそんなもんだし適当にやれば良いかなというわりと投げやりな気分になる。そうすると宗教ってたぶん、人間の身のこのちっぽけな有限性をどうにかもっと大きなものと接続させたくて生み出された仮構体系なのだろうなという気がして、やっぱりみんな終わりを認めたくないのかなあとか思うものだ。すべてが終わるということが認められないと言うか、何かしら終わらないものがあってほしいという願望がそこにあるのではないかと言うか、神も仏もそれによって捏造された巨大な概念なのでは? という気がして、仏教だって無常無常言ってはいるけれど、仏もまた滅びるとは言っていないのでは? とか思った。しかし仏教をきちんと学んだことがないのでわからないし、そもそも神はともかく仏ってそういうものではないのかもしれない。ただなんとなく、どうしたって限りと終わりのあるこの身を、永遠に終わることのない何か、すなわち不変で普遍な存在と結びつけ、すくなくとも部分的に自己のアイデンティティをそれにゆだねることで有限と終焉に対抗する慰めを得るみたいな、宗教ってそういうものとして開発されたのでは? とかいうことをつらつら思った。
  • 風呂を上がると帰室して、またアコギを弾くことに。先日録った音源は音質がクソだったのだけれど、普通にギターアンプを使えばもっとマシになるだろうというわけで、隣室からRolandの小さめのジャズコーラスを持ってきた。背面にPHONEのジャックがあるのでそこからコンピューターに直接つないで一度テストし、このほうがあきらかによく録れるなというわけで、録音をはじめた。最初は適当に弾きはじめたのだが、なぜか途中からFブルースに入ってしまい、しかし窓を開けていたので外から近所の人の声も聞こえてくるし、もう一〇時を過ぎていたこともあってあまりうるさくできないと遠慮が働き、思い切って集中できなかったので、これは駄目だなと一〇分ほどで切った。そうは言いながらしかし、そのあともいくらか弾き続けたのだが。一〇時半過ぎまで遊んで、その後今日のことを書き足して現在一一時四〇分。
  • それからベッドでまた怠けたあと、一時半からデスクにもどってWikipediaを読む。先日に続けて「カーボベルデ」の記事。全部読み終えると思っていたが、思いのほかにやる気が出ず、また途中までで切った。

独立当初、ギニアビサウカーボベルデ統一国家建設を目指していた。しかし1980年、ギニアビサウにおいてジョアン・ヴィエイラ首相によるクーデターが発生し、これによりカーボベルデ系の初代大統領ルイス・カブラル(アミルカル・カブラルの弟)が失脚したことで、カーボベルデギニアビサウとの統一の望みを捨て、PAIGCカーボベルデ支部は1981年にカーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)に改組した[4: 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p102-103、朝倉書店]。PAIGC/PAICVは一党制を樹立し、独立から1990年までカーボベルデを統治した。1992年には、再度憲法が改正された[5: 同上、p. 103]。

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政権運営後、増大する批判を受けて、PAICVは一党制を終わらせる憲法改正案を議論するための緊急議会を1990年2月に招集した。反対グループは集まって、1990年4月にプライアで民主運動(MpD)を形成した。(……)一党制は憲法改正によって1990年9月28日に廃止され、初の多数政党の選挙は1991年1月に行われた。MpDは国会での多数派を勝ち取り、MpDの大統領候補アントニオ・マスカレニャス・モンテイロはPAICVの候補者を破り、1975年から大統領職にあったアリスティデス・ペレイラからその座を継いだ。(……)

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カーボベルデは国家体制として共和制、半大統領制を採る立憲国家である。現行憲法は、1992年9月25日に採択されたもの。(……)

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年で、3選は禁止されている。首相は国民議会により選出され、大統領が任命する。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき大統領が任命する。

立法府一院制の国民議会である。定数は72議席。議員は比例代表制に基づき、国民の直接選挙で選出される。任期は5年。

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カーボベルデは緯度的にはサヘル地帯とほぼ同じであり、また周囲を寒流であるカナリア海流が流れることもあって非常に乾燥しており、降水量は130ミリから多くとも300ミリ程度にすぎない[9: 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p100、朝倉書店]。旱魃が何年も続くことがあり、農作物などが被害を受けやすい。国全体が深刻な水不足に悩まされている。さらにまれに降る雨は乾燥地特有の降雨パターンを示し、一度に集中して降るため、急峻な島々では土壌侵食も深刻な問題となっている[10: 「国の成り立ち2 地理」小川了(「セネガルカーボベルデを知るための60章」所収)p266-267  明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、小川了編著、2010年3月]。

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カーボベルデは他の小島嶼国と同様、典型的なMIRAB経済であるとされる。MIRAB経済とは移民(MIgration)、海外送金(Remittances)、海外援助(Aids)、官僚機構(Bureaucracy)の頭文字を取った言葉で、小島嶼国の経済は産業よりもこれらの要素によって成り立っていることを指すが、カーボベルデもこの例にもれず、過剰人口の海外移民とそこから祖国の家族への送金、先進諸国からの海外援助とそれを差配する官僚機構が経済に占める割合が非常に大きい。特に海外送金はカーボベルデGDPの20%を占めるとされる[14: 「カーボベルデ経済」小川了(「セネガルカーボベルデを知るための60章」所収)p278-279  明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、小川了編著、2010年3月]。

農業や漁業などの第一次産業GDPのわずか12%を占めるにとどまっており[15: 「カーボベルデ経済」小川了(「セネガルカーボベルデを知るための60章」所収)p280  明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、小川了編著、2010年3月]、従事者の多さに比べそれほど重要な地位を占めているわけではない。(……)魚介類は2013年のカーボベルデ輸出額の84.2%を占める主要輸出品となっている。(……)ただしカーボベルデの総輸出額は2013年度でわずか6,900万ドルにとどまっており[17: 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p262 二宮書店 平成28年1月10日発行]、産業の経済に占める割合自体が小さい。なお、同年の輸入額は7億2,700万ドルとなっており、大幅な入超となっている[18: 同上]。(……)

カーボベルデの主要産業はGDPの70%ほどを占める第三次産業である。カーボベルデは大西洋上の要衝に位置し、海運・空運いずれにとっても重要な位置にあるため、寄港する船舶並びに航空機が多く、この関連収入が重要なものとなっている。空運ではサル島の中央に大規模なアミルカル・カブラル国際空港が存在しており、ヨーロッパと南米を結ぶ航空機の給油地として重要な地位を占めている[19: 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p103、朝倉書店 ]。(……)

  • その後ウェブを閲覧したのち、二時四〇分から書抜き。今日から巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)に入った。BGMはNikolai Kapustin『Kapustin: Piano Quintet』。やはりあまりクラシックという感じが強くなくて、ジャズなどから取りこんだらしき香りが端々にあらわれる。#2 "Trio for Flute, Cello and Piano Op. 86/Ⅱ Andante"など、なんかジャズスタンダードにこんなメロディなかったっけ? という印象を受けるような曲。クラシックと言うよりも現代ジャズを聞いているような感覚をおりおり覚えた。まあ、コンテンポラリー・ジャズの一部領域とクラシックや現代音楽の境などもはやないのだろうが。
  • 新聞記事の記録もいい加減取っていかないと溜まる一方なので、もう当日から相当に間がひらいてしまったが、写していく。六月八日月曜日の朝刊である。まず二面に【海警 「戦時任務」を想定/中央軍事委 直接指揮も/中国 法改正着手】(北京=比嘉清太)。「中国の習近平政権が、沖縄県尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返す海上保安機関の中国海警(海警)について、「戦時」には軍の指揮下で任務に当たることを定める法改正に乗り出したことがわかった」。「全国人民代表大会全人代=国会)常務委員会が現在、海警を傘下に持つ武装警察部隊(武警)の任務や権限を定める「人民武装警察法」の改正作業を進めている」とのことで、「武装警察部隊」には次のような註が付されている。「中国国内の治安維持やテロ対策、核施設などの警備を任務とすう武装組織。2018年から、中央軍事委員会の直属となった。18年7月には、日本の海上保安庁にあたる海警局を傘下に編入した」。改正案は、武警は「「戦時」には、習近平国家主席がトップを務める中央軍事委員会から直接指揮を受けるか、中国国内で五つに分かれる「戦区」のいずれかから指揮を受けるとして」おり、「こうした規定は、海警にも適用される」。したがって、「改正案が全人代常務委で可決されれば、中国側が尖閣周辺が「戦時」に入ったと判断した場合、海警が東シナ海を管轄する東部戦区の指揮下に入り、海軍艦艇と共同作戦を行うことなどが「法的にも可能」(北京の外交筋)となる」わけだ。
  • 三面は【香港 窮地の民主派/無許可デモ断念/安全法制に萎縮/100万人デモ1年】(香港 角谷志保美 ワシントン 蒔田一彦)。「香港で昨年、反政府抗議運動の大規模化のきっかけとなった100万人デモから、9日で1年となる」。「7日午後、香港のビクトリア湾に臨む広場」で学生グループらが記者会見を行ったと言う。「学生グループらは当初、この広場を出発点にデモを予定していたが、当局の不許可で断念した。無許可であっても大規模デモを敢行した昨年とは雰囲気は異なる。香港紙・星島日報によると、昨年6月以降、警察に拘束されたデモ参加者は約9000人に上り、主要メンバーを欠くようになった。さらに、当局は新型コロナウイルス対策を理由にデモを許可せず、集まる人たちを即座に拘束している」。同じ記事の続きで、【頼みの米対抗策 不安も】の見出しのもとにはマイク・ポンペオ米国務長官の動静が伝えられている。彼は六月六日に「保守系ネットメディア「デイリーコーラー」のインタビュー」を受けたらしいが、「この日は第2次大戦で米英らの連合軍がナチス・ドイツ占領下の仏北部ノルマンディーに上陸した「Dデー」から76年の記念日だ。ポンペオ氏は中国の香港への介入強化をドイツの欧州侵攻になぞらえ、「権威主義体制は国土と権力の増大を求め、暴政の範囲を拡大する傾向がある」と非難した」と言う。


・読み書き
 15:14 - 16:14 = 1時間(日記: 7月31日 / 7月30日)
 19:24 - 19:53 = 29分(日記 / ブログ)
 20:06 - 20:18 = 12分(日記: 6月18日)
 20:36 - 20:55 = 19分(日記: 7月31日)
 22:38 - 23:39 = 1時間1分(日記: 7月31日)
 25:30 - 25:52 = 22分(Wikipedia
 26:40 - 27:03 = 23分(巽: 15 - 19)
 27:09 - 27:29 = 20分(新聞)
 27:32 - 28:19 = 47分(シェイクスピア: 150 - 160)
 計: 4時間53分

・音楽