(……)占領下でユダヤ人の射殺にあたったのが行動部隊[アインザッツグルッペン]であった。総勢約三〇〇〇名、表のように四つの部隊で構成されていた。バルト諸国、ソ連の相当数のユダヤ人は、親衛隊・警察体制の種々の部局から集められ編成されたこの射殺部隊によって殺害されていく。
主な人員は、行動部隊Aを例にすると、武装親衛隊三四〇名、親衛隊オートバイ兵一七二名、保安部員三五名、刑事警察四一名、ゲスターポ八九名、補助警察八七名、普通警察一三三名、女性職員一三名、通訳五一名であった。
(……)
行動部隊は、ソ連侵攻と同時に殺人行動を開始していた。たとえばウクライナではキエフに近いバービー・ヤールの谷で行動部隊C所属第四a特別行動隊[ゾンダーコマンド]が二日間にわたって三万三七七一名を殺害している。
ソ連侵攻後一九四一年末までの約半年間に、行動部隊だけで少なくとも五〇万名に近いユダヤ人を射殺した(……)。
(芝健介『ホロコースト』中公新書、二〇〇八年、114~116)
- 一時四〇分まで寝坊。と言って、朝方六時一五分の就寝だからそれほどだらだら寝耽ったわけでなく、七時間台に収まってはいる。しかしさすがに六時台に眠るのはまずいだろう。いい加減にすこしずつ就床時刻をはやめていかなければ。夢を見たが、特に面白くもなかったし記述するのが面倒臭いので省く。
- 上階へ行き、台所にいた父親に挨拶して、洗面所で顔を洗ったり髪を梳かしたりうがいをしたり。鏡の前に立っているあいだ、ミンミンゼミの声が外から伸び入ってきて、梅雨も明けたらしく今日は陽射しもあるし、いよいよ夏っぽい。味噌汁のわずかな残りと、母親が弁当を作った際の余り物があったのでそれらを温め、加えてレトルトのカレーを食べることにした。フライパンで湯煎しているあいだに、卓に就いて味噌汁とおかずを先に食う。新聞はドナルド・トランプの政治手法の説明など。FOXニュースのなんとかハニティとかいう人気司会者と蜜月関係を築いているらしい。FOXニュースの視聴者ってCNNより多いと言うか、記事に載せられていた数値ではたしか倍くらいになっていたはずで、かなり影響力はあるようだ。
- 二時半に立ち上がり、皿洗いと風呂洗いを済ませ、洗濯物をもう取りこんでおいたのち、緑茶を持って帰室。今日は六時から労働なのだが、この時間だったら普段は五時半前の電車で行っているところ、今日は二コマでもあるしたしか国語も当たっていたと思うし、なんとなく早めに行ったほうが良いような気がする。しかしこちらの地元は鉄道が貧弱なので、五時半より前の電車となると四時四五分のそれになり、それだとさすがに早くて出発までの精神的猶予もすくない。いま三時二〇分を回ったところなので、あと一時間もすれば出なければならないわけだ。まあでも一応その電車で行こうかなとかたむいてはいる。職場に行けばなんだかんだやることはあるし、それがないとしても、待つことに関してはこちらはまったく苦を感じない人間で、手帳にメモを取るか本を読むかぼんやりするかしていれば時間なんてすぐに過ぎ去るものだ。
- Evernoteを用意し、今日の記事を作ったあと、便所で糞を垂れつつ、「本音でも建前でもなく欲動は真理を歌う風に吹かれて」というよくわからん一首を作った。部屋に帰るとここまで記述。
- それから書見。柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)をちょっと進めつつ、ウィリアム・シェイクスピア/小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社/白水uブックス29、一九八三年)も読み返す。マクベス自身がみずから恐れや恐怖を口にしている発言が重要かもしれないなと思って大雑把にたどり返してみたのだが、どうもダンカン王を殺して自分が王位に就くまでのあいだでそれに触れているのは三箇所のみのようで、ほかにマクベスの「臆病さ」に言及するのは主には夫人の非難である。そして、王位を得たあとマクベスが抱く主要な心的状態は、「恐怖」というよりは「不安」のほうに傾いていく。彼がみずから「恐怖」を口にしている三箇所を記録しておくと、まず25ページの独白(「(……)なぜおれは王位への誘惑に屈するのだ、/それを思い描くだけで恐ろしさに身の毛もよだち、/いつものおれにも似合わずおののく心臓が/激しく肋骨を打つではないか? 眼前の恐怖も/想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない」)。もう二つはどちらも55ページ、王を殺した直後のことで、なぜか持ってきてしまった凶器の短剣を現場に戻しに行くよう求める夫人に対してマクベスは、「もうおれは/行く気にはなれぬ。自分がやったことを考えるだけで/身の毛もよだつ」と答えており、また夫人がみずから短剣を戻しに行ったあとはノックの音を聞いて、「なんだ、あの音は?/どうしたのだ、おれは、どんな音にもびくつくとは?」と漏らしている。
- マクベス夫人は31ページで夫の手紙を読みながら現れるのだけれど、彼女が読んでいる文言の範囲では、王殺しについては何ひとつ触れられていない。ただ魔女の予言の経緯に言及しながら「地位が約束されている」と書かれてあるのみなのだが、それにもかかわらず、翌32ページの夫人の台詞を見ると、マクベスが王殺しを考えているということは彼女のなかで前提となっているように見えるし、34ページでは夫妻で弑逆を果たすという彼女の意志はより明確化される(「(……)決意が恐ろしい結果を生み出す(……)」とか、「私の鋭い短剣がおのれの作る傷口を(……)」などと言っているのだから)。ところが、35~36の夫妻のやりとりのなかでは、マクベスは王殺しの意図を一言も明言してはいない(彼が口にするのは、「いいか、だいじなおまえ、/ダンカンが今夜ここにくる」、「明日、とのことだ」、「あとで相談しよう」という三つの短い台詞のみである)。
- そもそもマクベス当人が25ページで言っているとおり、予言が真実ならばみずから手をくださずとも王位はそのうち向こうからやってくるのだから、ただ待っていれば良いわけだ。ところがいったんそういう結論に達したはずのマクベスは、30ではもうまた王殺しを考えているし、夫人もなんの疑問も抱かずにはじめからそうするものだと思いこんでいる。しかし「常識的に」考えれば、ダンカンが事故死したり病死したりする可能性も充分にあるはずだ。
- そもそも「予言」の場面にもどってみると、魔女は「万歳、マクベス、将来の国王!」(19)と言っただけなのだが、マクベスはそれを「いざない」(24)とか「王位への誘惑」(25)と取っているのだ。魔女の発言そのものを見れば、それは第一義的には何かを誘ったり、何かをするように促したりはまったくしていない。つまり、単なる「予言」を「誘い」と解釈する意味論的変換がここに明確に見て取れると思うのだが、なぜそのような意味の微動が起こったのか? 心理的解釈はこちらにはまだよくわからないし、そもそも心理的解釈をするべきなのかどうかもわからない。ただひとつにはこれは、物語そのものの論理から要請されたものではあるのだろう。というのも、マクベスが王を殺さなければこの劇のストーリー自体が成り立たなくなってしまうからだ。マクベスが冷静に落ち着いて王の死を待っていたら、この作品の物語は生まれなかった。作劇上、マクベスは弑逆へと誘われなければならなかった、という論理は一応見出せるが、しかしそう言ったとしても特に面白いわけではない。
- 四時二四分まで書見したあと、着替えて荷物を支度し、出発。セミのノイズが林から旺盛に吹き出し空間を満たしており、拡散的に敷かれたその下地のなかにミンミンゼミの声が浮かんで波打つ。空気は思いのほかに蒸さず、そこまで暑くなく、第一段階では(第一義的には)むしろさらさらとなめらかで心地良いくらいの感触だった。坂を上っていくと木洩れ陽が見られ、左のガードレールの向こうでは樹々の合間のちょっとひらいた場所に光が降りとおり、葉叢に宿って、橙の色素をほんのわずか含んだ光の結晶(光学的結晶体)がいくつも生み出されてなだれ落ちている。
- 陽のなかに入ればさすがに暑いが、しかし駅に至って電車に乗っても汗が吹き出してはこない。濃いピンク色のオシロイバナが線路沿いに点じられているのを見ながら最寄り駅を離れ、その後も扉際で緑を眺めながら揺られて青梅に至る。小学校の裏山を構成する濃緑の樹々を受け取る空は、雲混じりの淡色である。
- 勤務。今日は二コマ。一コマ目は(……)さん(小六・国語)と(……)くん(中二・英語)、二コマ目は(……)くん(中二・英語)と(……)さん(中二・英語)。メモも取っていないし授業内容は忘れてしまった。ただ、(……)さんは初顔合わせだった。と言うか正確には以前一度くらい当たったような気もするのだが、ずいぶん前であちらもこちらも覚えていないし実質初見だ。英語は得意とは言えず、どちらかと言えばなかなかやばいほうだろう。今日海に行ってきた帰りだとか言っていて、海ってどこの海だかわからないが、青梅からではもっとも近くても東京湾か神奈川まで行くしかないはずで、そうするとかなり遠い。活発な子なのだろう。
- 退勤して駅へ。ベンチに就くと反対側の席には発語からしておそらく中国人らしき女性二人組がおり、あたりの写真をたくさん撮りまくっていた。柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読みながら待ち時間を過ごしていると、ホーム上に何やら黒っぽい小さな塊があるのに気がつき、何か虫のようだなと判別されたが視力が悪いのでそれ以上こまかくは見えない。塊はそのうちにのろのろ這いだしたのでやはり虫だと確定され、黄線付近をうろうろ移動して一度はこちらのほうに近づいてきそうな気配も見せたものの、結局自販機の隙間に入っていったようだ。色味は灰色の感じが強く、体の上に何か模様があったのでカミキリムシのようにも見えたが、それにしてはけっこう大きいサイズだった。
- 最寄りで降りると満月が南の空に掛かっている。遠回りで帰ることにして街道沿いを左に(東に)曲がると、マンションの入口前に黄色もしくは茶色の落葉がたくさん散らばっていた。すぐそばの道脇の樹から落ちたものだろうが、この樹はたしか桜だったはずだ。満月はバター色もしくはクリーム色に凝縮されており、あたりにひろがるその光によって空の青味はあまりに露わに公開されてかなり明るい。歩きながら作歌の頭が回ったが、形には収まらず単語が色々浮かぶのみだ。短歌よりもむしろ詩にしたほうが良いのかもしれない。裏路地に入って下りていきつつ、音が存在しない瞬間というものがないなと耳を張る。自分の足音は常にあるわけだし、坂に入れば周囲からおもちゃのプロペラが回るような虫の音がいくつも立つし、右手の茂みの奥からは別種のものが声を送って、左下方からはそれらをまるごと呑みこむ雲のようにして川の響きが昇ってくる。頭上からときおり、一瞬だけ、ゼンマイを巻くような音が聞こえてくるのはセミなのか。
- 帰宅すると居間にいるのは母親のみ。まだ入浴前の姿で、メルカリを見ていたようだ。部屋に帰ると、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読みながら休む。52ページには、「ここで注意すべきことは、(……)魔女の予言が、実際はバンクォーをマクベスに劣らず一変させたということである」とあり、翌53にはその具体的な説明として、「予言を聞いて以来、バンクォーは現在に生きることをやめた。つまり彼はマクベスに殺される前に、すでに生きながら死んでいたのだ」と述べられており、たぶんこれは「予言」によってバンクォーの「現在」が無意味なものと化してしまい、したがって「予言はマクベスとは違った意味で彼を荒廃させたのである」ということになるのだと思うが、そこに引かれている第三幕第一場のバンクォーの台詞を見てもそのように読めるのか疑問だし、そもそもバンクォーは登場と同時に魔女に出くわして「予言」を聞くのだから劇中にそれ以前の彼の様子や思考は何ひとつ提示されていないわけで、だとすれば「予言」によってバンクォーがそれまでの彼から「一変」したとどうしてわかるのか、という素朴な疑問も感じる。
- 「マクベス論」はここで最後まで読み終えたのだが、読んでみて感じるのは、柄谷行人って文学の読み手としてはめちゃくちゃ鋭かったり精緻だったりするというわけではなく、やはり思想とか哲学方面の人なのだなという印象だ。言葉よりも概念の人というか。文学作品を読むというより、文学を材料として自分の思考を発展・展開させていくというような感じで、だからのちに彼がいわゆる通常の「文学」を離れて(見限って?)哲学方面のテクストにより傾倒していったというのは納得が行く気がした。
- 食事中のことは覚えていない。入浴前に母親がTくんの動画を見せてくれた。「コロコロ」と呼ばれる粘着性の紙を利用した掃除道具があるけれど、あれを床につけてベリッと剝がすとその音にTくんがびっくりして叫びを上げるという映像で、コロコロを持っている手はたぶんTMさんのものだったと思うが、彼女はそれを何度も繰り返してTくんを怯えさせているのだった。それを見てちょっと笑ったあと風呂に行きながら、やっぱりなぜ音が出るのかその意味がわからないのが怖いのかなとか考えた。赤ん坊はたぶん「粘着」という事態にいままで出会ったことがなく、そういう現象がこの世にあることを理解していないと推測されるから、きっとこれまでにああいう形で物音が発生するのに遭遇したことがなかったのではないか。つまり今回の遊びはTくんにとっては端的な「未知」で、その意味がまるで理解できない事柄だったからこわがったのかなとか思ったのだが、果たしてどうなのかはもちろんわからない。そもそも未言語段階の赤ん坊に「意味」の認識があるのかどうかも不明でこちらにはわからないし、もしあったとしてもそれは言語習得以降の人間が受け取り捉える「意味」とは違った形の何かではないかという気もする。
- 入浴後は母親の代わりに洗濯機のなかにあった洗濯物(タオルや父親の作業着など)を干してやり、そうして帰室。その後のことはメモが残っていない。
- 新聞写し、二〇二〇年六月八日月曜日朝刊、一〇面。託摩佳代(東京都立大教授)【1000字でわかるグローバル・ヘルス 3 アメリカの存在感】。
(……)仮にアメリカがWHOを正式に脱退することとなれば、グローバル・ヘルスへの大きな打撃となる。アメリカはWHO歳入の約12%という最大の割合を負担していることに加え、その資金でもって緊急人道支援をはじめ、マラリアやポリオ根絶といった継続中の各種事業を支えている。WHOで働く約300人のアメリカ人職員をどうするのかという問題も生じる。
(……)そもそもWHO設立を主導したのはアメリカであった。加盟国を国連加盟国に限定しようと主張する国も多かった中で、アメリカは敗戦国をも含む枠組みを主張して譲らず、「世界」保健機関が誕生した。保健や食糧などの機能的協力の積み重ねがリベラルな国際秩序の基盤になりうるというアメリカの期待を反映したものであった。
その後に展開された各種事業もアメリカの関与がなければ成り立たなかった。WHO最大の功績として名を馳せる天然痘根絶事業は、アメリカがベトナム戦争で失墜した国際的信頼を回復すべく、1965年に参加を表明して以降、その資金と人員、ワクチンを活用しつつ展開された。エイズに関してもグローバル・ファンドや米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)など、資金調達枠組みの設立を牽引、2000年の国連安保理ではエイズに関する初の安保理決議採択に導くなど、リーダーシップを発揮してきた。総じて、アメリカの影響力とはその圧倒的な資金に加え、優れた医薬品や人員をはじめとする資源の提供、市民社会組織や製薬会社など米国アクターの関与、他国からの信頼を伴ったリーダーシップなど多様な要素に支えられてきたのである。
(……)アメリカが抜けることで中国の影響が高まるのではという見方がある。確かに中国の分担金負担率は向上してきているが、自発的拠出金額は少なく、WHO歳入全体の0・97%を負担しているに過ぎない。これはクウェート、パキスタン、韓国よりも小さい割合である。(……)
江戸時代の日本は天皇と将軍という2人の君主と、約260の大名で構成された「双頭・連邦」国家だった。三谷氏は、これが天皇による「単頭・単一」国家に変わる「集権化」と、武士身分が解体され、男性に限っては被差別民も含め平等な権利を持つ「脱身分化」を、明治維新の特徴に位置付けている。
*
明治維新は支配階級である武士の約3分の2が官職を失う大規模な階級変動だった。しかし、三谷氏は155万人が犠牲となったフランス革命と比較し、明治維新の過程の犠牲者が3万人と桁違いに少ない点に着目。維新を主導した人々が態度を柔軟に変更し、「節目節目で政治家たちが武力抗争の回避に努め、たとえ発生しても拡大を抑えようとしたことが大きい」という。
・読み書き
15:09 - 15:25 = 16分(日記: 8月3日)
15:27 - 16:24 = 57分(シェイクスピア / 柄谷: 42 - 51)
21:42 - 22:14 = 32分(柄谷: 51 - 58)
22:35 - 23:05 = 30分(柄谷: 58 - 66)
24:24 - 24:51 = 27分(巽: 21 - 28)
24:51 - 25:23 = 32分(新聞)
28:01 - 28:51 = 50分(日記: 8月3日 / 6月19日)
計: 4時間4分
- 日記: 8月3日 / 6月19日
- ウィリアム・シェイクスピア/小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社/白水uブックス29、一九八三年): 読み返し
- 柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年): 42 - 66
- 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 21 - 28(書抜き)
- 読売新聞2020年6月8日(月曜日)朝刊: 10面
・音楽
- FLY『Year of the Snake』