2020/8/4, Tue.

 ユダヤ人虐殺には、ロシア人の支配下にあったラトヴィア、エストニアリトアニアといったバルト三国ウクライナベラルーシでの現地の人びとの協力もあった。
 バルト三国は、早くも[一九四一年]七月上旬までにナチ・ドイツが占領した。バルト三国の人びとは、前年六月よりソ連に占領され、ソ連への反感からナチ・ドイツの侵攻を「解放者」として歓迎した者が多かった。
 この地域のユダヤ人は、特にリトアニアの都市部に多数居住していた。ソ連侵攻直後、ドイツ軍によってたちまち占領されたリトアニアの首都カウナスでは、行動部隊[アインザッツグルッペン]Aに唆された現地の人びとが、ユダヤ人を棍棒で殴殺していった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、123)



  • 一一時半起床。それ以前に携帯にメールが入ったときの振動が聞こえてすでに目覚めており、二度目のバイブレーションを機に起き上がったのだった。メールは二通とも職場からだった。読書会があるため働けないと伝えていたはずの水曜日の最終コマに勤務が入っていたことへの対応と、五日と一四日の四時からのコマは入れるかとの打診だった。明日はなるべくWoolf会の準備の時間を確保しておきたいので断ったが、一四日は入れると送り返し、そうして上階へ。母親がカレーと煮込み素麺とアボカド・トマト・胡瓜のサラダをこしらえておいてくれた。素麺は除いてカレーとサラダを用意し、新聞を読みながら食事を取ると、皿洗いと風呂洗い。たしかに梅雨が明けたようで今日は陽射しが通る日で、窓外の道路はくまなく覆われ、浴槽のなかで身を屈めながらブラシを動かしているだけで汗が湧き、汗疹のできている肘の内側がちくちく痛い。
  • 緑茶と味噌つきの胡瓜を持って帰室し、コンピューターを準備。Mさんのブログの最新記事をちょっと覗いておいてから、Pat Metheny w/Christian McBride & Antonio Sanchez『Tokyo Day Trip Live EP』をかけて今日のことを記述。Pat Methenyと言えば、先日図書館に行ったとき、CDの新着にPat Metheny Groupの『American Garage』が入っていた。Metheny Groupの音源ってなんだかんだでほぼ聞いたことがなく、昔『Bright Size Life』を図書館で借りてちょっと聞いたくらいだ。と思ったのだがいま検索してみると、『Bright Size Life』はGroupの作品ではなく、Metheny自身のデビューアルバムだった。考えてみればJaco Pastoriusがベースなので、そりゃそうか。
  • 八月一日の記述を進め、一時半過ぎに完成させて投稿。トイレに立ったついでに階段を上り、もう行くんでしょと母親に確認する(彼女は二時から歯医者に行くらしかった)。(洗濯物を)もう入れたのと訊けばほとんど入れたと言うので了解してもどり、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに今度は八月二日に取りかかった。#8 "感謝(驚)"はこの世界で最高の音楽のひとつだ。
  • 八月二日は二時間のあいだ、四時直前まで進めた。すると疲労が満ちたのでベッドに転がり、六時まで身体を休めてだらだら。夕食の支度はサボってしまった。と言うか、カレーもあるし素麺もあるしべつに追加で作らなくても良かろうとひとりで決めこんだのだった。六時を回って起きると汗を垂らしながらしばらくギターをもてあそび、それから夕食へ。カレーと素麺とサラダを食い、部屋にもどったあとはまただらだら怠けた様子。八月二日の日記をちょっと書き足したあと九時を越えて入浴に行き、上がると帰ってまた日記。
  • 一一時前に八月二日の日記を完成。Guns N' Roses『Appetite For Destruction』を流して聞きつつ投稿。歯が痛むと言うか、虫歯とかではなくてなんか歯の奥の神経が軋むと言うかキンキンするような感じがあるのだが、これはやはり昼夜逆転生活のために自律神経とかなんとかが崩れているということなのだろうか。
  • そうして一一時からようやくVirginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994)を訳しはじめた。明日が会合なのにもかかわらず、担当箇所をすこしも作っていなかったのだ。一時間やると心身がこごったのでまたしても休み、のちほど四時から五時までまた一時間やってひとまず完成。

 「馬鹿馬鹿しい」と、かなりきつい声色でラムジー夫人は口にした。自分から受け継がれた子どもたちの誇張癖は良いとして、また、何人か町に泊まってもらわなければならないくらいたくさん人を招いてしまうのも(そういうことがあるのは事実だが)さておき、来てくれた人たちに無礼があるのは許せない。特に若い人、教会のネズミみたいにみすぼらしくても、夫が言うには「飛び抜けて優秀」だし、彼を熱狂的に崇拝していて、休暇中にもここまで訪ねてきてくれるような人たちに対しては。実際、彼女には、どんな男性に対しても護りの手を差し伸べてしまうようなところがあるのだった。何がそうさせるのか自分でもうまく説明はできないけれど、おそらく彼らのそなえている騎士道的な礼節や勇敢さ、あるいは彼らが条約交渉を担ったりインドを統治したり、国家財政を管理したりしているという事実が理由のひとつではあるのだろう。しかし結局のところ、それはきっと、彼女自身に寄せられるある態度、女性なら誰でも好ましく [agreeable] 感じずにはいられないような、信頼のこもった、子どもみたいに純真で敬意に満ちた態度によるもので、年配の女性が若い男性からそういった好意を受け取っても、決して品格を損なうことにはならないのだ。だから、その価値とそれが意味するものすべてを骨の髄まで感じ取れないような娘には――どうか、我が娘たちのなかにはそんな女の子がいませんように!――災いあれ。

 'Nonsense,' said Mrs Ramsay, with great severity. Apart from the habit of exaggeration which they had from her, and from the implication (which was true) that she asked too many people to stay, and had to lodge some in the town, she could not bear incivility to her guests, to young men in particular, who were poor as church mice, "exceptionally able," her husband said, his great admirers, and come there for a holiday. Indeed, she had the whole of the other sex under her protection; for reasons she could not explain, for their chivalry and valour, for the fact that they negotiated treaties, ruled India, controlled finance; finally for an attitude towards herself which no woman could fail to feel or to find agreeable, something trustful, childlike, reverential, which an old woman could take from a young man without loss of dignity, and woe betide the girl ― pray heaven it was none of her daughters! ― who did not feel the worth of it, and all that it implied, to the marrow of her bones!

  • けっこう難しい箇所に当たってしまったなという印象で、まずもって台詞的に訳すのか、多少なりとも距離を挟んで話者の視点から訳すのか、その点からして確固たる判断がつかない。岩波文庫では二文目は、「わたしから受け継いだ誇張癖はやむをえないとして、またわたしが客人を招きすぎて(……)」という風に、「わたし」という一人称主格を用いて自由間接話法的にMrs Ramsayの独白として訳しており、"Indeed(……)"の文から「実際、夫人の態度には(……)」と話者の位置にもどりながらも、残りはMrs Ramsayの視点に寄り添うような形になっている。こちらもおおむねそれを踏襲し、三人称の語りでありながらも、Mrs Ramsayの視点に(完全に同化的に一致するのではなく)寄り添うような文にしたつもりだ。岩波文庫では先にも記したように、「わたしから(……)、わたしが(……)」と、一時的に夫人の視点に同化しているのだが、こちらとしてはそこまで踏みこんでしまって良いのかわからなかったので、"the habit of exaggeration which they had from her"は「自分から受け継がれた子どもたちの誇張癖」という具合に「自分」の語を使って処理し、"she asked too many people to stay, and had to lodge some in the town"の部分は主語を省略して対応した。主語を明示せずとも文の連鎖が成り立つのが日本語の便利なところだ。
  • この段落内で一番の難所だと思われるのは"Indeed, she had the whole of the other sex under her protection"の一節で、逐語的に訳せば、「彼女は異性(男性)全体を彼女の保護下に置いていた」くらいの感じになるだろう。しかしこれではどういうことやねんと言わざるを得ない。男性という種そのものを総体として守るということなのか? とかも考えたけれど、結局は、この場合の"whole"はたぶん「全員」というようなことだろうと捉え、「どんな男性に対しても」と訳出した。ただそこを処理しても、"had(……)under her protection"をどんな日本語にするかというのが難しく、良い言い方(合格と判断できる言い方)が思いつかなかったので、ひとまず「護りの手を差し伸べてしまう」としてお茶を濁しておいた。岩波文庫だと「実際、夫人の態度には、何かすべての男性を守ってあげたい、とでもいった様子があった」と訳されており、「守ってあげたい」という風にMrs Ramsayの「気持ち」が導入された言い方になっているのだが、こちらはそこまで意訳するつもりはなかったので、「実際、彼女には、どんな男性に対しても護りの手を差し伸べてしまうようなところがあるのだった」として、意味を夫人の性格・人格・性質のレベルに留めておいた。


・読み書き
 12:44 - 13:33 = 49分(日記: 8月4日 / 8月1日)
 13:58 - 15:58 = 2時間(日記: 8月2日)
 20:52 - 21:12 = 20分(日記: 8月2日)
 22:02 - 22:43 = 41分(日記: 8月2日)
 23:02 - 24:02 = 1時間(Woolf: 5/L2 - L8)
 28:04 - 29:04 = 1時間(Woolf: 5/L8 - L16)
 計: 5時間50分

  • 日記: 8月4日 / 8月1日 / 8月2日
  • Virginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994): 5/L2 - L16

・音楽