2020/8/7, Fri.

 [一九四一年]一〇月四日、県知事[フリードリヒ・]ユーベルヘーアは、ウーチ・ゲットーへの二万五〇〇〇名の追加問題についてヒムラーに書簡を送った。そこでは、ゲットーへのインフラ整備の支出は不可能であり、軍のための生産保証の限界、伝染病、食料欠乏、治安・秩序紊乱などの危険を挙げ、伝染病蔓延の危険は、ウーチの「アーリア人地区」に暮らすドイツ人一二万名にとって看過できないとしていた。そして、ゲットーそのものを「大削減ゲットー」、つまり殺害を容認して移送を受け入れられる状態にすることを条件としていた。
 ユーベルヘーアは、一〇月九日に再びヒムラーに抗議の書簡を送った。ヒムラーはこれをはねつけたが、一一日にウーチ・ゲットー行政長官ハンス・ビーボから事態を知った国防軍国防経済部長ゲオルク・トーマス将軍が介入する。トーマス将軍はウーチ・ゲットーへの二万五〇〇〇名の追加は戦争に不可欠な生産活動を阻害しかねないとし、そのうえでヒムラーワルシャワなど他のゲットーへの移送の可能性を打診した。
 ヒムラーは[アルトゥア・]グライザーと協議し、ゲットーの「合理化」(移送・収容・給養・強制労働投入の同時過程円滑化・コスト削減)の必要性を確認した。そして、労働力として利用可能な者と「非生産的な」(労働不能の)者に二分し、後者に対し組織的・効率的に殺害する方法を選択するのである。この前提のもと二万五〇〇〇名がヴァルテガウ内のウーチ・ゲットーへ送られることになる。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、139~140)



  • 一二時二二分離床。クソ暑い。ティッシュで鼻のなかを掃除したり、洗面所に立ってうがいをしたりしたのち、今日は先にコンピューターを用意した。昨日の日課記録をつけ、今日の記事も作成してから上へ。父親は仏間にいる。食事の前に浴室に入り、浴槽のなかで身を屈めながらブラシを動かしていると、窓外でカラスがやたらと鳴き盛っているのに気がついた。ざらついているでもなく、かと言って間抜けたように伸びた鳴き方でもなく、なんだか珍しいような、空疎みたいな感じの声音。今日は曇りで明確な陽射しはなく、空気は白いのだけれど、しかしその色は明るめで、水っぽく淀んだ質感はなくて中和的に乾いている。
  • 野菜を詰めたスチームケースが冷蔵庫に用意されてあったのだが、それは夕食か出勤前に食べることにして、ハムエッグを焼いた。新聞を読みつつ食事。新聞の戦争証言はなかにし礼満州は牡丹江という土地に生まれたらしいが、そこは一九四五年八月九日のソ連軍侵攻まで戦況の悪化とは無縁で贅沢三昧の暮らしが続いていた、と言っている。しかし当時六、七歳の子どもの記憶だから覚えていないこともあろうし、生育環境的に見聞きしなかったことや気づかなかったことももちろんたくさんあるだろう。
  • 父親はどこへだか知らないが出かけてくると言う。ストライプ柄の開襟シャツにスラックスのわりときちんとした格好だったので、(……)か職場関連だろうが、そう言えば昨日母親が、明日(……)に行くときには髭剃ってねとか要求していたので、たぶん(……)に挨拶か何かで出向くのではないか。食事を終えたこちらは皿を洗い、湧き出る汗を制汗シート(「Ban」)で拭い、緑茶を持って帰室した。Twitterをちょっと覗いたときにThey Called Us Enemyという本がどうのという情報を一瞬見かけ、そこからpublic enemyという単語を連想的に想起し、さらに『Blue Muder』の#7 "Billy"に"They called him public enemy No. 1"という一節があったことを思い出し、と言うかその部分が頭のなかに流れたので、久しぶりにこのJohn Sykesのバンドのファーストを流すことにした。They Called Us Enemyというのはジョージ・タケイという日系二世のアメリカの人が戦時中、例のカリフォルニアの強制収容所に囚えられた経験を語ったものらしく、漫画と言うかグラフィック・ノベルのようだ。したがって当然興味を覚えるものだが、しかしいわゆるショアーを筆頭として強制収容所に対するこちらの関心は一体何なのだろうと思う。どこから来ているのだろう。関心があるということは単純に知りたい気持ちがあるということでもあるが、それ以上に、必ず知らねばならないだろうという、なんか妙な使命感(などという語では本当は強すぎるのだが)みたいなものがある。そういうロマン主義的とも言えるような大仰な感覚は個人的にあまり望ましくはないと言うか、本当はもっと淡々と、粛々と捉えたいのだけれど、ともあれ収容所への関心はもちろん、ジェノサイド一般への関心と密接に結びついている。いわゆるショアーをはじめとしたそれら非人道性の歴史(その一部はたとえば中国という国において紛れもなく現在進行中である)についての学びも進めなければならない。
  • 昨日の日記を記述。三時に至ったところで、洗濯物のことを完全に忘れていたことに気づいて上階へ。ちょうど父親が帰ってきたところだった。ベランダに出ると、明瞭な陽射しがあるわけでないのに大気の熱が分厚く重く、とても濃密で、(「空気抵抗」とか「水の抵抗」とか言うときのような意味で)〈抵抗的な〉熱気という感じだった。身を包みこむ熱がゼリーみたいにからだにまとわりついて動きを阻害するようなイメージ。タオルだけ畳んで洗面所に運んでおいてから帰室し、六日分をまた進めると三時半。八月六日は読書メモをまだ記していない。また、近いところだと八月三日と五日がまだ書けておらず、遠いほうは六月一九日を進行中だ。
  • 「英語」を読んだあと、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を書見。この本の前半に収められた論考はだいたい、人の精神や認識による「意味づけ」とそれ以前の世界あるいは「現実」を巡るもので、それは換言すればもちろん「物語化」と「自然」の対立図式ということになり、柄谷行人は後者を志向する作家に興味を覚えて評価しているようだから、すくなくともこの七〇年代前半時点での柄谷は蓮實重彦と近しい場所に立っていると言って良いと思う。柄谷の言う「自然」という概念は、やや乱暴にまとめてしまえば蓮實重彦の言う(「物語」に対するものとしての)「小説」とだいたいおなじものだと考えられるからだ。そのあたり『意味という病』の実際のテクストに沿って跡づけたり、また蓮實重彦のほうの姿勢も本当はそんなに単純なものではないはずなのでまた考えていかなければならないが、もう出勤する時刻なのでいまはその余裕はない。
  • 出発。空気はやはり停滞的で重く、かなり暑い。なかに草の饐えたようなにおいも籠っている。道を行けばクロアゲハがすぐ前を横切って林の茂みへ入っていって、先日も坂道で何匹も飛んでいたのだけれど、こんなに見かけるような虫だっただろうか? 歩みを進める身体は暑気にやられているのか、すでに疲れているような感じだ。木の間の坂道には蟬が叫びを撒き散らしており、距離が近いと侵入的な(まさしく頭蓋のなかに侵入してきて脳に触れるような)やかましさである。ガードレール先の木叢の一角では葉っぱたちが光の飴を塗りかぶせられててらてら橙金色に輝いている。
  • 最寄り駅に着くとベンチに座ってメモ書きをはじめたのだが、ちょうど西陽が直撃する位置および向きでクソ暑く、先ほどの葉っぱのように粘る光の飴に包まれて肌は汗を吹き出して、腕も首も腹も背も額もすべて水気に濡れる。さすがにハンカチで拭うけれど、そのなかに入っているだけで鼓動がはやくなるような暑さだ。
  • 涼しい電車に乗って(……)に移動し、職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤すると駅へ。ホームに出ると「濃いめのカルピス」のボトルを買い、ベンチに就いてマスクを外すと飲みながら手帳にメモ。目の前の一番線に停まっていた電車が発車する際に何やら騒がしい声が聞こえてきて、ああ、サッカー帰りの(たぶんサッカークラブだと思うのだけれど)少年たちだなとすぐに気づいた。電車が去ったあとから果たして、揃いの運動着をまとった男子たちが湧き出す雲のごとく不定形に群れてあらわれ、そのころにはこちらはカルピスを飲み終えていたので席を立ち、茶菓子として「アルフォート」(ブルボンのチョコレート)を買って帰ろうと何となく思っていたので菓子類の自販機に寄り、バナナ風味のものと塩バニラ味とかいうものの二品を買って電車に乗った。そうして引き続きメモ書き。
  • 最寄り駅を抜けると今日は遠回りすることにして坂に折れずに街道を行く。すると間延びした歌声が背後から聞こえてきて、ちょっとすると通りの対岸を若い男性の自転車が、"tell me what you want~"とか歌いながら過ぎていった。裏路地に入って下りていくと、八百屋のトラックが停まっていたので近づいて、運転席の暗がりに収まっていた旦那に挨拶。そのまましばらく立ち話する。新宿あたりの市場に仕入れに行くらしいのだが、都心のほうに店を構えている人のそばには寄らないようにしていると笑う。競りはたぶん大声を出さず、ハンドサインで行われているようだ。でもコロナウイルスなんて言ってもできることはそうないですからねえ、マスクつけて、手を洗って消毒するくらいしかないでしょと言うと相手も同意し、誰が悪いってわけでもねえじゃん? だから仲間とはロシアンルーレットみたいなもんだよなあ、つってるよ、と答えるので同意で応じつつ、この比喩はわりと言い得て妙かもしれないなと思った。ほか、遊びには行くのかと訊かれるので、(……)に出る程度で行くのもだいたい本屋くらいだと返すと、俺は山に入ると相手は言う。山菜を採りに行くのだと言うのでちょっと興味を惹かれた。例年は新潟まで遠征したり、また(……)のそのへんの丘や森にも普通に入ったりするらしいのだが、それで言やすぐそこの(……)さんのとこには、俺が見た限りでも一一種類は食えるもんがあったぜと言うので、マジかよと思った。そんなにぽんぽん生えているものなのか。しかし当然、山菜を採るにはそれを見分ける知識をそなえていないといけないわけで、植物や生物やもろもろの自然に対するそういう知見(〈野生の教養〉)にはこちらも惹かれるところがある。生物学とか植物学とか博物学とかについても本を読んでみたいのだが。
  • 帰宅後は書見しつつ身を癒やし、夕食は米やら素麺とハムなどをケチャップで炒めたものやらスチームケースに入った野菜やら廉価なハンバーグやら。食後はすぐに入浴。湯に浸かりつつ、存在感覚とか独我論とかデカルト的な主題などについてちょっと考えたが、こまかく思い出して記述するのは面倒臭い。ポイントとしては、(思惟ではなく)〈体感〉(皮膚感覚)の方面から存在感覚を考えまた捉えたいということ、存在性を対象化するということ(あるいはその不可能性?)、いわゆる独我論について、そして自己と他者のあいだにおける基本的条件としての完璧な認識論的断絶、など。独我論についてすこしだけ付言しておくと、いわゆる独我論というのは教科書的には、本当に存在しているものはこの自分だけで、自分以外の事物や世界や存在はすべて自身が錯覚している単なる幻影(幻想)であり本当に存在しているわけではない(かもしれない)という風に世界を捉えるような考え方だと理解しているのだが、これはこちらにとっては全然納得の行かない捉え方で、特に論理的な根拠はないのだけれど、自分だけが存在しているなんてことがあるわけねえじゃん、それだったら自分も含めてこの世界そのものが総体としてまったく存在しておらず実は完全な無だと考えたほうがよほど納得が行くわ、と思ったのだった。もちろんこれは、言語的には完璧な矛盾である。この世界総体が存在しておらず純粋な無なのだとしたら、この自分の思考や、もしかしたら錯覚でしかないとしても世界を認識する精神の働きも存在せず、起こり得ないはずだからだ。だが、こちら個人においては、「この自分だけが本当に実在している」といういわゆる独我論的な思考よりも、「この世界は実はすべてまったくの無である」という命題のほうが、それが言語的・意味論的・感覚的に矛盾していようがなんだろうがよほど〈リアリティ〉を感じる、ということだ。誰の目にも明白だと思うが、これは論理的に順を追って考えたことではなく、単なる直感的なこちらの感覚でしかない。いわゆる独我論そのものに関しても、素朴な形態としてのそれをマジで心から信奉して実存としてそれを生きている人間はおそらくほとんどいないと思うのだけれど、しかし独我論を突き詰めて考えていったときにそれを論理的に否定することはかなり困難であるのかもしれず(もしかしたら不可能ですらあるのかもしれず)、もしそうだとすれば、この世のすべての人間が独我論的な思考を考えうる、という点にこそ興味深い問題があるような気がする。だがこの観点自体もまたある意味で(素朴な独我論とは違う意味で)独我論的なのかもしれない。つまり、この自分が考えうることはこの世のすべての他者においても通用し考えうる、という見方を前提化しているということだ。
  • 零時を回って六月一九日の日記を仕舞える。投稿しようとインターネットに繰り出すと、『東京骨灰紀行』という作品の名前を見かけ、なんか面白そうだなと検索してみると、小沢信男という人の本らしく、ちくま文庫に入っている(https://www.amazon.co.jp/東京骨灰紀行-ちくま文庫-小沢-信男/dp/4480429891)
  • 現在一時二八分。新聞記事をちょっと写すことに。2020年(令和2年)6月9日(火曜日)朝刊。二か月も前の新聞を写すというのもわりと馬鹿げている気がするが仕方がない。25面に【ロベルト・コッホ賞に坂口氏】。「ドイツのロベルト・コッホ財団は8日、過剰な免疫の働きを抑える細胞を発見した坂口志文[しもん]・大阪大特任教授(69)に、今年のロベルト・コッホ賞を授与すると発表した」。「坂口さんは、病原体などを攻撃する免疫細胞のブレーキ役になる免疫細胞を発見し、「制御性T細胞」と名付けた」と言う。
  • 26面には訃報がいくつか。後藤比奈夫という俳人が一〇三歳で死亡。「大阪市生まれ。大阪帝大(現・大阪大)理学部を卒業後、高浜虚子の弟子だった父に師事し、1976年、俳誌「諷詠」の主宰を父から引き継いだ」。「06年に「めんない千鳥」で蛇笏賞、17年に「白寿」で詩歌文学館賞を受賞」。
  • 北構[きたかまえ]保男・考古学者・一〇一歳。「北海道根室市出身。5~12世紀頃にオホーツク海沿岸で栄えた「オホーツク文化」を80年以上研究し、遺跡の発掘や保存に取り組んだ」。
  • 石川恭子・歌人・九二歳。「東京生まれ。東京女子医科大卒。小学校時代から作歌を始め、医師として万物の命を平明に詠んだ歌などを数多く発表した。1994年に日本歌人クラブ賞を受賞。歌集に「木犀の秋」「Forever」など」。

The June 28 [in 2019] assault against Mr. Sirawith [Seritiwat], who had already been beaten up less than a month before, is one of about 10 cases over the past year in which democracy activists have been attacked by unknown assailants.

Even more alarming, dissidents who had lived in self-imposed exile in neighboring Laos have turned up dead in the Mekong River with concrete stuffed in their bellies.

     *

Like many other political activists, Mr. Sirawith, 27, has also been embroiled in various court cases, with charges ranging from forming illegal political gatherings and being in contempt of court to contravening the nation’s notorious Computer Crime Act.

     *

In a gritty neighborhood of Bangkok, the veteran political activist Aekachai Hongkangwan lives under self-imposed house arrest, carefully locking his new gate every time a visitor enters his home.

Since January 2018, he has been attacked seven times, often by men on motorcycles with helmets obscuring their faces. Twice his car has been burned.

Most recently, his hand was broken and face beaten after four men surrounded him in May after he appeared in court for one of several cases against him. While the police have promised to look into the multiple attacks, most have gone unpunished.

  • 夜食に櫛切りにしたキュウリ(味噌添え)と即席の味噌汁を持ってきて、キュウリをシャリシャリ食いながら、(……)さんのブログから二〇二〇年四月一七日の記事を読む。

 実は、みんなが差別を批判できるようになったのは、つい最近のことなのだ。かつては差別を受けた当事者(被差別者)だけが差別を批判できる、という考えが支配的であった。この変化は、単に「差別はいけない」という考えがひろく世間に浸透したからではない。差別を批判する言説に大きな転換があったためである。その転換は「アイデンティティ」から「シティズンシップ」へ、とまとめることができる。(…)
 「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」という有名な言葉がある。差別は差別された者にしかわからない、という意味だ。いくら想像力を働かせたとしても、踏まれた他者の痛みは直接体験できない。だから、当事者(被差別者)以外の人間が批判の声をあげたとしても、当事者にたいして引け目を感じざるをえないはずだ。痛みを直接体験できない人間は正しく差別=足の痛みを理解しているのか、みずからに問いかけ続けるしかないからである。しかし、ここ数年の炎上騒動において状況はあきらかに異なっている。ひとびとは、自分は本当に差別をしていないか、と省みることなく、差別者を批判している。ここに、差別を批判するロジックが「アイデンティティ」から「シティズンシップ」にかわったことが見てとれる。
 差別は特定の人種、民族、ジェンダー性的指向や障害などを持つ人間を不当に扱う行為である。また、差別は個人が所属する社会的カテゴリーにたいする偏見から生じる。これら不当に扱われるアイデンティティ(帰属性)を持つ集団が、社会的地位の向上や偏見の解消を目指す政治運動をアイデンティティ・ポリティクスと呼ぶ。たとえば、フェミニズムは家庭に閉じ込められていた女性の社会進出をうながし、「女性は感情的だ」とか「母性本能」といった男の偏見にたいして闘ってきた。
(…)
 アイデンティティの論理ではなく、シティズンシップの論理が差別やセクハラの炎上騒動の背景となっている。それは、当事者/非当事者を問わず、ひとりの「市民」として差別を批判する立場である。ヘイトスピーチを例に出して見てみよう。
(…)
 アイデンティティ・ポリティクスを規準にすれば、在特会を批判できるのは、そのヘイトスピーチの対象となっている在日朝鮮人らだけである。では、どのようなロジックで日本人は、日本人による在日朝鮮人らにたいするヘイトスピーチを批判したのか。対レイシスト行動集団C.R.A.C.(前身団体「レイシストをしばき隊」)を結成した野間易通は、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズの「秩序ある社会」、そして「公正としての正義」を目指したと述べている。
 ここでは、同じくロールズに依拠しながら、ヘイトスピーチ規制法の必要性を訴えているアメリカの法学者ジェレミー・ウォルドロンを見てみよう。ウォルドロンはヘイトスピーチ規制法が保護するものについて次のように述べている。
 ヘイトスピーチを規制する立法が擁護するのは、(あらゆる集団のあらゆる成員のための)平等なシティズンシップの尊厳である。そしてそれは、(特定の集団の成員についての)集団に対する名誉毀損が市民から成る何らかの集団全体の地位を傷つける危険があるときには、集団に対する名誉毀損を阻止するためにできることをするのである。
 ここで重要なのは、法が守るのは「平等なシティズンシップの尊厳」であるということだ。この文の前の箇所では、尊厳とは「集団の個々の成員」の「尊厳」なのであって、「集団そのものの尊厳や、集団をまとめる文化的または社会的構造の尊厳」ではないと注意をうながしている。つまり、尊厳とは「市民」の尊厳であって、民族や人種といったアイデンティティの尊厳ではないのである。
 野間とウォルドロンの両者がロールズに依拠するのは、ロールズがあらゆる社会的アイデンティティにかかわらない正義を考えたからだ。『正義論』においてロールズは、ひとびとが正義の原理を選択する際に、「誰も社会における自分の境遇、階級上の地位や社会的身分」や「もって生まれた資産や能力、知性、体力」などがまったくわからない状態=「無知のヴェール」に覆われた状態を想定した。ここで注意すべきは、あらゆるアイデンティティが「無知のヴェール」に覆い隠されることだ。
 「市民」であれば、だれもが差別を批判できる。これがシティズンシップの論理である。差別やパワハラの炎上騒動で当事者以外の人間がとても雄弁だったのは、この正義を前提にしているからだ。
(…)
 シティズンシップの論理は、非当事者をふくめたみんなが差別を批判できる状況をつくった。しかし、いっぽうで差別批判を「炎上」という娯楽にしてしまったといえる。インターネットだけでなく、週刊誌・ワイドショーで消費される格好のネタになった。ここ数年の炎上騒動は、差別者を一方的に悪者に仕立て上げる傾向がある。それが可能なのは、みんなが自身が持つ差別性を問われることなく、安心して差別者を糾弾できるからだ。そのため、差別の原因や背景などが考察されないまま、どのような社会的制裁を受けるか・与えるかばかりに注目が集まり、そして新たな差別者の告発に躍起になる。しかし、本当に差別者だけが悪なのか。私たちだけが善なのか。シティズンシップの論理は、もしかしたら差別をしているかもしれない、とみずからに問いなおすこと、差別とは何か、と考えるきっかけを失わせている。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.9-16)

  • (……)さんの友人である(……)さん夫妻の出産報告も。「名前であるが、「(……)」か「(……)」で迷っているというので、いやいや(……)コロナやろと応じた」にはさすがに笑う。結局どうも「(……)」が選ばれそうな雰囲気だが、たしかにこの名は格好良い。いかしている。
  • (……)さんのブログも。二〇二〇年四月二九日に今泉力哉パンとバスと2度目のハツコイ』(2018年)の紹介。「ふみはほとんどすべての結果を先取りして考えてしまい、そのことに絶望(自足)してしまう病気に掛かった人だ」という一文にちょっとほうほう、となる。(……)さんがいま書いている小説の発想源としているジャ・ジャンクー『青の稲妻』(2002年)についても。「久々の再見だが、ある巨大な丸太を一気にぶった切ったら、断面におびただしく大量の生き物たちの蠢きが猛烈に展開されていて、その有様をただ目を見張って見ているしかない…といった感じの作品だ。(……)アルコール会社のキャンペーンガールは荒涼とした土地にぽつんと停車したトレーラーの荷台で長い手足を振りながら踊る。タバコを吸いながらチャオチャオの踊りを凝視するのは、まごうことなき不良の目つきと表情をたたえた不良少年シャオジィだ。不良少年とはまるでその場所に生えた独自の草のようだ。割れた音質の歌謡曲と耳障りなバイクのエンジン音と埃と喧噪の中に生息する草。(……)」とのことで、 なんかすごそう。
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)の書抜き。「アメリカ新批評」における「後世に残る批評家たち」の一員として、F・O・マシーセンという名前が出てきたので、これはもしかしてピーター・マシーセンの父親とかか? と思ったのだが、どうも関係はなさそうだ。ちなみにほかにアレン・テイトという名前も挙げられているが、この人の『現代詩の領域』という古い本は何年も前に古本屋で入手して以来書棚に眠っている。アメリカ新批評の遺産もたぶんまだまだ全然訳されていないのだと思うけれど、面白そうだし、頑張ればたぶん英語でも読めるだろうからそのうち触れたい。
  • 一日の終わりにまた柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読んだ。163には夏目漱石の『こころ』について、「先生は自分が"やってしまった"行為をあとから考えているのだ。なぜやってしまったのかと問うているので、どんな意味づけをしてもよくわからぬ「行為」というものの謎を問うているのである」とあり、また同ページの終盤から次ページにかけても、「反アイディアリスティックな姿勢、すなわちイデアであれ主題であれ概念であれ、そういうものが先行するのではなく、"やってしまう"という人間の行為の結果がそれらしきものをつくり出すのだという姿勢」という定式化が見られるのだが、ここでジョルジュ・カンギレムのことを思い出した。というか正確には、何年か前に読んだグザヴィエ・ロートという研究者のカンギレムについての本(『カンギレムと経験の統一性: 判断することと行動すること 1926–1939年』というものだった)を思い出したもので、この著作はカンギレムをラニョー、アランという一九世紀フランスの「反省哲学」の系譜に位置づけながら彼の思想的変遷を丁寧に跡づけるみたいな感じだったと思うのだけれど、そのなかでカンギレムは最終的にデカルトを読み直しながら、人間が思考よりも先にまず何かを「やってしまう」、「行為してしまう」存在だということの意味について考えようとしていた、みたいな論点があったように思うのだ。詳しいことは全然覚えていないのだけれど、これはこちらにとってもけっこう大きな興味の対象であるテーマなので、この本をまた読み返したい。いま書抜きを見返してみるとこの書物を読んだのは二〇一七年四月のことだった。関連すると思われる部分を下に記録しておく。当たり前のことを述べていると言えばそうなのかもしれないが、その常識的認識がテクストの丁寧な読解によって哲学的に精密に基礎づけられるということの意味は決して小さくないだろう。

 学者にとっては、物質とはたとえば、認識すべき[﹅5]対象である。そして彼にとって目指すべきこととは、その物質についての普遍的で必然的な法則を明らかにすることであり、そのために、彼がその研究を行なっている環境に含まれる、あらゆる特殊なものを無意味化することである。だからこそ科学的分析は学者に対し、真理を探究しようという限りは、自らの欲望や欲求の圏外に身を置くようにと命じるのである。科学とは、いまそうであること[﹅9]を証明する機能を持つ、規範形成的な活動なのであって、普遍性のために特異性を無効化するものである――これは、それなくしてはもはや科学が真理について語ることが不可能となってしまう、議論の余地のない、必然的な手続きである。
 これとは逆に、技術者にとっては、事情は全く異なったものとなる。そこでは、この活動は<いま・ここ>〔l'hic et nunc〕に全面的に従属するのである。技術者にとって物質は認識すべき[﹅5]対象というより、必要を満たすために使用すべき[﹅5]対象である。つまり、技術的判断において実現される経験の序列体系では、有用性の価値の方が真理の価値に勝っている。そして技術者にとっては、物質の本質的な法則を知ることが問題なのではなく、彼が目指すのは、彼の置かれた特異な状況が要求する差し迫った効果を生み出すことである。そのようなわけで、初歩的な認識――あるいはカンギレムが『哲学原理』第四部におけるデカルトを引いて述べたように、ただ真実らしく思われただけの〔vraisemblable〕認識――であっても、技術者が実践的な問題を解決するには十分に役立つことができる。科学的精神にとって物質が、それについての純粋なる認識以外のなにものとも関わりを持たないという意味で<目的自体>〔fin en soi〕であるとすれば、反対に、技術的精神にとって物質とは目的を叶える<手段>であり、その目的は場面と時の特異性に刻み込まれた火急性を帯びている。これを反省という視点において見るなら、では技術とは認識による判断にその起源を持つものではないのだと考えられる。言い換えれば、科学的精神と技術的精神とでは、それにとって価値をなすものが一致しない以上、この後者と前者を混同してはならないということである。人間的経験におけるこの「多義性」が結果として、経験を統一するという哲学固有の使命を極めて複雑なものとするのは明らかであろう。科学的な領域において価値を持つものに対して、もし本当に技術的精神が無関心なのだとすれば、人間的経験の総体を統一するために、カントが科学的精神の分析から導き出したものである悟性の諸カテゴリーを召喚することはもはやできないのである。
 (グザヴィエ・ロート/田中祐理子訳『カンギレムと経験の統一性 判断することと行動すること 1926-1939年』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス1050、二〇一七年)、300~301)

     *

 恩師の非歴史的態度と袂を分かつ形で、カンギレムはまず一九三七年のテクストにおいて、デカルトにとっての技術の問題とは、ストア派――およびギリシアの哲学者全般――におけるのと同じ言葉遣いで論じられることはできないという点を強調する。それというのも、「ストア派哲学は神の摂理を主張すると同時に、人間の進歩を頑なに否定したのである」。首尾一貫した、神による道理が浸透し支配する、いかなる改良の可能性も残さない宇宙には、確かに技術の思想などというものの余地は全く存在しない。V・ギランが要約するように、「すべては既に、最もあるべき世界のうちに置かれているのである」。そしてそのような状態では、いかにして技術的な行動が最終的に何らかの価値を獲得しうるものであるのか、理解することはできない。しかるに、カンギレムは以下のように指摘する。

この学説に関して、デカルトの思想が一つの転回をなそうとしていたことは疑いない。[…]必然性をして徳となすということを放棄し、デカルトは自ら自身と我々とに対して、必然性についての認識を力へと転じさせることを提案するのである。

人間を「自然の主人にして所有者」とすること、それは確かに、<コスモス>の概念に結晶した古代世界の価値体系と根源的に断絶することである。それゆえにこそ、

デカルトの学説においては、原子論者たちの学説におけるのと同様に、実質なき質料、目的論なき宇宙が、技術の創造という力に対する信奉の形而上学的な理由となる。本性的な合目的性の断固たる否認は、デカルトの哲学において、自然についての機械論的理論と、技巧についての技術論的理論の、基礎条件となるものである。

不動であり完璧なものである構造がいかなる進歩の可能をも排除するような、完成された世界においては、真正に技術論的な思想は生じることができない。目的因と技術的行動は、互いに相容れないのである。だからこそ、カンギレムはデカルトと原子論者に続いて、それ固有の意図を持たない物体の衝突によってすべてが説明される機械論的宇宙が、あらゆる技術的思考を準備する条件となるのだと述べたのである。実はこのことこそ、カンギレムが引用する『物の本質について』第五巻で、ルクレティウスがはるか古くに失われた黄金時代の神話に対して進歩の神話を対置した際に、まさしくそこで考えられていたことなのである。「宇宙についての神の摂理によるあらゆる計画の否認」においてこそ、以下のことは可能となる。

それによって、常により巧妙で、より多くの知識を得る人間性が、自らと外界との関係を改変し、与えられていなかったものを自らに与え、そして労働を通じて、あらゆる神学的哲学において自らがそこから下ってきたものとされている完全状態にまで上昇することとなる、技術の進歩を主張すること。

確かに、世界は人間性のために作られているわけではない。しかしその歴史を通して、人間性は自然を利用し、事物の本性に刻まれているわけではない自らの目的に合わせて、自然をたわめることを学ぶのである。この点に関して、『方法序説』第六部におけるデカルトは、まさしく同じことを述べているとしか考えられない。
 (320~322)

     *

経験とは常に<遭遇>なのであれば、我々は自らの行動を完全な用心をもって開始できるほどに、それについて知っておくことなど決してできないだろう。しかし状況による火急性は、たとえ何らかの行動をとるために出会うこととなるリスクのすべてを見越すことができるほどの知識を備えていなくとも、我々に行動するように強いる。そのためにこそ、カンギレムはデカルトの哲学において、「『決定的』な分析をなす科学というものの不可能性」を「『決定的』道徳というものの不可能性」と結びつけたのである。彼によれば、デカルトによる「仮のものとしての道徳」への承認は、要するに、経験とは、それについて我々が持つことのできる認識を必ず超え出るものなのだという考えに立脚するものである。そして、そこからこそ、行動に普遍的に当てはまる規則の総体を規定してくれる「『決定的』な分析をなす科学」の「不可能性」が導かれることとなる。一九三七年から一九三八年にかけての自らの仕事を、いわば概括するような形で、カンギレムは一九三九年の『論理・道徳概論』に以下のように記している。

この(科学によって提供される予防の)体系がいかに厳密であるとしても(そしてそれは無限にそうでなければならない)、それはそれ自体では何も生み出さない。具体的な出来事の予見でさえ、この体系には恐らく禁じられている。この体系がなすことのできる予見とは、巨大な諸々の現象(天文学、「大数」、「種概念」)には及ぶものだが、それ自体として予見不可能であり、そして恐らく我々の統覚の尺度を超えて事物に実際にもたらされる生成に変化を与えるものである、創造的行動に対しては及ばないのである。

ここで再び問題となっているのは、あのコントの格率である。「科学から予見が生じ、予見から行動が生じる」という公式が「よく知られるとともに、人を惑わすものである」のは、それが行動的な人間性による傲慢な先取りというものを軽視しているからであり、それらの先取りこそ、上に引いたテクストでカンギレムがはっきりと「創造的行為」と見なしているものである。『論理・道徳概論』と同時期に書かれたテクストにおいて、彼は次のように述べている。

知識が予見に導くのは、未来が過去に似ている限りにおいてであり、いかなる力能も現象の必然的な進行を変えられない限りにおいてである。知識を力能に変換することが可能だと信じる前提には、以下のことが存在している。つまり人が認識していると主張するときには、知識の主体にして力の主体である人間が、認識され、またこれから認識されるべき事物の体系の外に、自らを暗黙のうちに位置づけているということである。

しかしながら、自らを回路の外へ置くこの位置づけとは、精神の観点によってなされるものである。そしてこの位置づけはそもそも、まさにデカルトが理解していた通り、「真の人間」とは「合一」であるという事実に由来しているのである。人間とは悟性であると同様に身体でもある以上、欲求と欲望による強制的なシステムに従うものであり、これらに対して積極的に応えなければならない。技術的活動とは、この「生きているものの要求」にこそ根ざすものである。しかし逆説的なことに、環境を飼いならそうという技術的な試みは、常に何らかの程度において、環境をよりいっそう思い通りにならない、不正確なものにしてしまう。あらゆる満たされた欲求は、新たに創出される欲求と通じている。創造は創造を呼ぶのであり、人間性はそのようにして経験を歴史的に展開することに寄与するとともに、しかし他方では、この経験を自らの科学的活動によって飼いならそうと努める。それゆえ、行動の次元におけるリスクと、そして認識の次元における誤謬とは、人間の生において不可分なのである。
 (370~372)

  • ほか、上にも触れたように、「あるがまま」の「自然」という概念(172ページにはまさしく「《物語化》以前のわれわれの経験」という言葉すら見られる)を媒介としてこの時期の柄谷行人蓮實重彦との共通性・親和性を考えることもできるはずで、そのあたりに益すると思われるような箇所は所在をメモしておいたのだが、それらをあらためて確認して記録するのは面倒臭いのでここでは行わない。また色々と読んでいくうちに見えてくるものはあるだろうし、『意味という病』を読み直そうと思うときも来るかもしれない。