2020/8/17, Mon.

 ガス殺は一九四三年秋には停止されたが、一方で銃殺は継続された。マイダネクの親衛隊員は特にサディスティックで、乳児や子どもたちを母親の目の前で殺害することを頻繁にやってのけたという。
 一九四三年一一月三日には、一万七〇〇〇名ものユダヤ人が機関銃で虐殺された。彼らは軍需生産のため特に重要な労働力として確保されたはずだった。この大量殺戮を行った理由は、現在でも判然としていない。同時期にソビブルやトレブリンカ絶滅収容所ユダヤ人の大規模な武装蜂起があり、親衛隊がこの虐殺を「収穫感謝祭」と呼んだことから、その報復だったとも考えられている。
 結局、マイダネク絶滅収容所は、一九四四年七月にソ連軍の侵攻が近くなり、閉鎖・解体される。ただし、ラインハルト作戦の収容所と違い、ソ連軍はほぼ痕跡を残したマイダネク絶滅収容所を確保し、多くの資料を得ることになった。
 ポーランドの公式の記録によれば、マイダネク絶滅収容所では、累計で五〇万名が収容され、総計二〇万名が殺害されたとしている。そのうちユダヤ人犠牲者は一二万五〇〇〇名であった。全犠牲者の死因の六割は飢餓、病気、拷問、衰弱、あとの四割がガス殺や銃殺などであった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、194~195)



  • 一二時三分に離床。今日もクソ暑い晴れ空。窓外のゴーヤやアサガオの葉はいくらか萎れたようになってきており、首を吊った小人の群れのように力なく垂れ下がっているこまかな葉たちは流れるものがなくともおりおりかすかに震えている。ティッシュで鼻のなかを掃除したり背や首をちょっと伸ばしたりしてから洗面所に出向き、用を足してもどってくるとエアコンをつけ、大層久しぶりのことで瞑想を行った。一二時一四分から三二分まで。枕の上に尻を乗せて瞑目し、からだをなるべく動かさず停めながら思念や体感を観察するだけの簡単な仕事。本当は窓を開けたほうが外の音が聞こえて面白いのだが、この時期はさすがに暑いのでエアコンを点けるために閉めざるをえない(まあ、窓を開けたままエアコンを点けても良いのかもしれないが)。めちゃくちゃ久々に坐ったが、瞑想をおこなうと感覚のひらき方と集束の仕方がわりとわかるような気がする。その後の感覚を見てもやはり時空がいくらか密になったような感じで、静かに動けるような気もされる。とにかく急がず焦らず(基本的には)常にみずからと一致しながら暮らしたい。焦燥は生を損ない、時空を(差異を)殺す。
  • 上階へ行くと居間の空気はクソみたいに暑く加熱されている。ケンタッキー・フライドチキンや天麩羅の余りなどで食事。今日は朝刊がないようだったので、昨日の新聞を部屋から持ってきて読みながらものを食った。パプアニューギニアラバウル戦没者追悼の式典がはじめて行われたとの報。ラバウルという地名は、さいふうめい・原案/星野泰視・漫画『哲也 雀聖と呼ばれた男』という麻雀漫画(阿佐田哲也すなわち色川武大をモデルにしたもの)の七巻あたりで出てくる「ドラ爆の鷹」とかいうキャラクターが俺はラバウルの死線をくぐり抜けてきたと頻りに自慢していて、こちらはたぶんそこではじめて知ったと思う。水木しげるが出征した土地としても知られているはずだ。
  • 食後、風呂を洗う。窓を開けてみても道沿いの木枝はふるえずしたがって当然、石壁上の影も揺らがず、風はほとんどないようで、大気は太陽をいっぱいに吸収して乾きに重り、光を満載されて動けなくなっているらしい。
  • 緑茶を持って帰室。廊下の途中に先夜殺害したゴキブリの死骸が放置されたままになっていたので、トイレットペーパーに包んで便所に流して始末しておいた。そうして今日もスピッツ『フェイクファー』を流しながらEvernoteを準備して昨日のことから綴りだす。#4 "運命の人"のなかにある「余計なことは しすぎるほどいいよ」という言葉はとても良い。繖形花について調べているときに唐傘のWikipedia記事に至り、そこに傘を差した明治時代の和装女性の写真が載せられていて、江南信國という写真家をはじめて知る。たぶん日本の写真史における最初期のひとりなのだろう。「雪のなかで傘をさす女性」として紹介されているのが先の写真で、おそらくデジタル技術であとから着色したらしき状態で提示されているのだが(と思ったのだが、リンク元flickrのページを見たところ、実はそうではないのかもしれない)、これはなかなかすばらしいような気がする。何がすばらしいのかはわからん。
  • 上記まで書くと二時半直前で、陽射しもいくらか弱まって空気の色が白っぽくなってきていたので、洗濯物を取りこまなければと思いだして上階に行った。ベランダに吊るされてあったものたちを室内に入れ、タオルを畳んでおく。大気はもちろん相変わらず暑く、蟬の声が空間表面をざらつかせているけれど、今日のその音響は思ったよりも激しくないような気がされて、沢の水音もあいだに明瞭に差しこまれて貫き聞こえるくらいだ。
  • 室に帰るとMr. Children『DISCOVERY』の流れるなかで短時運動。今日もダンベルを持って腕の肉を温めておく。それから前日の記事を投稿し、ここまで記して三時。四時半には出勤に向かわねばならないのであまり猶予はない。どんな日であっても必ず、常に時間が足りないというのはあらためて認識するとやはり驚くべきことだ。そこそこ無駄なく頑張っているつもりなのだが、一日のうちでやりたいことを十全に実行できた試しがない。したがって時間がないという必然的な事実にかかずらうのは無益な焦りを生んで生を損なうだけなので、そのときの気分(もろもろの条件によってかたどられた心身の〈傾向性〉)に全面的にしたがえばただそれで良いという原則に至っているわけだが、そうは言ってもWoolfの翻訳とか全然できていないわけで、うーん、という感じでもある。日記の未記述分も一向に減ってくれないし。
  • それからさらに2020/6/23, Tue.をいくらか作り、四時を前にして切って歯磨き。口内を掃除するかたわら新聞を読む。戦没者追悼式典での安倍晋三首相の式辞が載せられていたが、「同胞」とか「祖国」とか「御霊[みたま]」とか、やはり右派的な色を帯びた語彙がいくらか見られる。天皇の発言も載せられていたので、この二者の追悼の言葉をちょっと比較してみようかなと思っているのだが、果たして実際にやるかどうか。このとき見た限りでは、先の戦争の「犠牲者」について首相が「敬意と感謝」みたいな心情を表明しているのに対し、天皇のほうは「深い悲しみ」を覚えると述べていたはずで、そのあたり少々気になった。
  • その後、FISHMANS『ORANGE』を流して服を着替え、「英語」ノートを四時二〇分まで音読して出発へ。上階に行くとベランダが濡れていたので雨が通ったようだ。明確に認識してはいなかったがうすうす気づいていたというか、だんだん曇ってきて明かりを点けなければかなり暗いほどの空模様になってはいたし、雷のくぐもった低い鳴りも遠くに聞こえていたのだった。玄関を出ると雨後の風が生まれていて空気の肌触りはそれなりに涼しい。また雨が降る可能性をもちろん考えたが、面倒臭いので傘は持たなかった。道を行けばミンミンゼミの声が林から湧いて浅くうねりつつ大気をジュージュー焼いており、その一方でカナカナも朗々と立ち上がる。
  • 公営住宅前まで来ると、熱をこめられたアスファルトが濡れたときに放つ特有のにおいが立ち昇って鼻に触れる。と言って路面はそれほど濡れそぼってはおらず、すでに乾いた部分も見られ、道の中央付近に奇妙な形の通路が生まれて暗色帯のなかを割り、どこにも存在しない地形をあらわす平面絵図を作っていた。坂道に入ってだらだら上っていると腕に触れてくるものがあり、なんだと見ればアゲハチョウだった。いったん離れた蝶はすぐにまたこちらのシャツの上、脇腹のあたりにとまったので腕を上げたまましばらく見つめる。黒い枠とその内を塗るクリーム色で構成された網目紋様がその身にはそなわっており、それを歪んだ格子柄もしくはこまかな色片(パーツ)をはめこんで作ったモザイク模様と言っても良い。端のほうに赤橙色のかけらが少々添えられてアクセントをなしていた。
  • 坂道の出口近くに至ると風が流れて、そのなかにカナカナがまた明瞭に伸び、昆虫の声というよりは馬か何か動物のいななきみたいなニュアンスだ(しかし、「いななき」という語を使えるのは馬だけなのだろうか?)。駅前のモミジは車道側の一部がはやくも濃やかな臙脂色に染め抜かれているのだが、紅葉しているのはそこだけであり、すぐ隣は完全な緑であいだを繋ぐ過渡地帯がなぜかまったく存在しない。奥のほうにも変色した葉がわずかに見られるけれど、そこはオレンジと緑の配分がやや散らばっていて曖昧な色調の中間領域が用意されているのだ。
  • 今日は余裕を持って出たので電車まで七分も余っていた。これくらいのおおらかなペースで行動したい。ベンチに就いてメモを取りはじめたところ、風はあって涼しいものの雨後のことだから湿気も強くて服の内部に汗が溜まり、ハンカチで腕や額や胸もとを拭わずにはいられない。
  • 青梅に移って駅を出ると雨粒が肌に触れるのが感じられ、また夕立が走るかもしれないなと思われたのだが、実際、労働中に激しく降って地と空間を打ちつけるひとときがあり、それと同時に雨の幕の彼方で太陽がまさしく赤熱した金属のごとく空に焼けつき、熟して甘い西の光が大気を埋め尽くす水に溶けこみ精妙な色をあたりにひろげる一場も見られた。
  • 労働。今日は二コマで、一コマ目は(……)さん(高三・英語)、(……)くん(高三・英語長文)、(……)くん(中二・英語)。特筆するほどのことはないような気がする。(……)くんは今日もあまり元気がなさそうで、教科書を復習できたのは良いが新たなページを読むことはできなかったし、やはりワークにも至れない。並べ替えを三問だけとかでもやりたいのだが。
  • 二コマ目は引き続き(……)と、(……)くん(中三・英語)という初見の生徒と、(……)くん(中二・英語)。今日の二コマ目はうまく行かず、時間をけっこう過ぎてしまった。どうも配分が難しいというか、最近適当になってきている。授業終了一五分くらい前には終わりに入っていく方針を確実に実行するべきだろう。(……)くんは(……)さんと同級生で親交があるらしく、授業前に言葉を交わしていた。事前情報ではけっこうやばいという話だったのだが、まあそこまで壊滅的なやばさではないというか、この程度の生徒ならいくらでもいるだろうというくらいで、ゆっくりではあっても解説を読みつつ自分で解くことも一応できている。ただ、問いを説明して答えを確認したあとにすぐ、じゃあここは? と繰り返して解答を訊いてみると、正答が口に出てくるまでにちょっと時間がかかるということがあった。事前情報でも、知識は多少あるようなのだがいざ問題を解くとなるとなぜかかなり時間がかかるみたいな話があって、頭に入りにくい、単に覚えが悪いと言うよりは、どうも認知方面で何かあるのではないかという感触をかすかに得た。だがまあそれはどちらでも良い。
  • (……)くんはほとんど進められず。わりといつものことではあるが。授業後に(……)さんに話を聞いたのだが、彼は九月いっぱいで退会なのだと言う。結局のところ、家で勉強をしないので塾に通っていてもあまり意味がないと父親が判断したようだ。まあたしかになあという感じで、彼は付属の私立だから高校も普通にそのまま上がれるわけで、切迫感というのはないだろう。個人的には彼とはわりと信頼関係を築けていたと思うし、彼のほうもこちらのことを気に入ってくれていたようなので残念ではある。だがまあ学校の勉強なんてどうでも良いことなので学習塾なんていうどうでも良い業者に金を貢いでいないでもっと面白いことをやれば良いだろう。
  • 今日ももろもろ遅くなってしまって、いや僕マジで仕事遅いっすよと(……)さんに漏らしたのだが、彼女としてはさっとやってすぐ帰るのではなくて、ゆっくり丁寧にやってもらったほうがむしろ良いと言うのでありがたい。先生方の時間が大丈夫なら全然、と言うので、僕の場合、九時半の電車を逃すと次が一〇時過ぎなんで結局待たなきゃいけないんですよと笑うと、それならむしろ、それまでゆっくりやってってくださいと言ってくれた。基本的にこちらは授業中はほぼ常にそれぞれの生徒のあいだを回っている感じなので、たとえばコメントを書いたり次回のプリントを用意したりするような余裕がなかなか生まれない。ほかの講師の人々はあまりそういう積極的なやり方をしないようなので生徒が解くのを待っているあいだに書いたりしているのだろうが、こちらは生徒が解いている途中でも普通に見に行って手伝ったり突っこんだりするし、コメントに時間を使うのだったらその分生徒に当たってやりとりをするべきだろうという方針でいる。したがって、記録はまず必ず授業後になるし、授業前は教科によっては事前にテキストを見ておきたいし(高校生の現代文など、さすがに文章を読んでおかずに教えるのは厳しいだろう)、授業後も次回の勤務日の担当予定(変更されることもあるが)やその記録を確認しておきたい。そういうわけで授業外の準備ほかが多くなり、その時間はいままでは大方ただ働きしていて(事務的作業の給与については申請制になっているのだが、一〇分くらいに収めるというのが暗黙の了解だった)、労働組合に入って活動するほどの熱心さもないしべつにそれで良いと会社にとって都合の良い人材として使われてやっていたところ、(……)さんはそのあたりきっちり報いてくれて、ちゃんと記録をつけてくださいとまで言ってくれるのでこれはありがたい。もらえる金が増える。
  • 一〇時過ぎに退勤。電車で最寄りへ。木の間の下り坂に虫声さまざま。錫杖をシャンシャン鳴らすような意外なほど朗々とした声と、空間を水平に、波紋状にひろがっては消えていくような細い声の二種がメイン。
  • 帰宅後はまずからだを休めるためにベッドで清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)を読んでいたのだが、一一時を前にしてちょっと頭を癒やすかと瞑目しているとうっかり意識を落としてしまい、気づくとすでに一一時半が過ぎていた。夕食に行くが、品は忘れた。テレビは自虐ネタで一時期流行った芸人のヒロシが香港などを訪れて飯を食う番組。なんか迷宮駅前食堂、みたいなタイトルだったはず(『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』だった)。たぶん録画だろうか、香港編とベルギー編があり、ベルギーのほうはグラン・プラスなども映って、あそこ行ったねと母親は言う。クリスマス前で、市庁舎か何かの建物にいわゆるプロジェクトマッピングでさまざまな色の光が投影される催しがあったのを覚えている。二〇一四年のことである。『フランダースの犬』の最後でネロが、パトラッシュ、僕はもう疲れたよ……とかなんとか言いながら天使たちにいざなわれて天に召されていく有名なシーン(アニメ版)があると思うが、その舞台であるアントワープ大聖堂も映された。ところで母親に訊かれてあらためて思ったのだけれど、『フランダースの犬』って子どものころにアニメ版を見たことしかたぶんなく、文字で原作を読んだ覚えはまったくないし、作者も知らない。そういうわけでいま検索してみたのだが、この話を書いたのはウィーダという一九世紀イギリスの作家だというからベルギーの人じゃねえんじゃん。
  • あと、風呂に入る前だったか皿洗いのときだったか、母親が、アルゲリッチって知ってると訊いてくるので、マルタ・アルゲリッチ? ピアニストの? と訊けば果たしてそうで、彼女の映画がやっていたので録画したのだと言う。それで流れるのをほんの少しだけ見たのだが、どうもドキュメンタリーらしく、最初は女性の出産から始まってそこにArgerich本人のものらしきナレーションが添えられており(たぶんフランス語だったと思う)、出産しているのはArgerichの娘らしいがナレーションが語るのはArgerich自身と母親の関係で、と思っていたのだが、いま調べてみたところこれは違うようだ。この映画は『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』というやばいタイトルで、Stephanie ArgerichというMartha Argerichの三女の人が監督らしいので、ナレーションも彼女のもので私の母親はうんぬんかんぬん……と語っていたのはMarthaのことだったわけだ。病室には出産者のほかに彼女を見守る灰色の髪の年嵩の女性がいて、若いころの写真しか知らないのでこの人がArgerichなのかなと確信を持てないままちょっと見て居間を去ったのだが、やはりあれが現在のMartha Argerichその人だった。
  • 入浴中のことは忘却。帰室すると一時半から作文。
  • 2020/6/23, Tue.を完成させて投稿するころにはからだが凝り固まっており、とりわけ肩の周りがこわばって重苦しかったので、身をいたわるためにベッドに移った。コンピューターを持ちこみ、Mさんのブログを読みつつ脹脛を刺激する。二〇二〇年四月二四日にはガルシア=マルケスのフェイヴァリットを二四冊紹介した記事が載せられていて、マルケスには大いにかぶれた身なので一応覗いてみた。やはりアメリカ合衆国の文学から吸収したものはけっこう多いようで、なかでもナサニエル・ホーソーンやハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』やジョン・スタインベックが挙がっているのがわりと興味深い。また、Erskine Caldwellという名前も見られて、全然知らない人なのだけれど作品名はTobacco Roadとあり、この名前はこちらにとってはブルースの一曲として馴染みが深い。Richie Kotzenが『Bi-Polar Blues』の四曲目でやっているのがけっこう好きでよく聞いたし、きちんと聞いてはいないけれどDavid Lee Rothもなんかのソロアルバムで取り上げていた記憶があるが、オリジナルは一体誰なのかと思っていま検索してみたところ、John D. Loudermilkという人が一九六〇年に最初に録音したと言い、The Nashville Teensというグループが六四年にヒットさせて以来有名になったらしい。Edgar WinterやLou Rawlsなんかもカバーしているようで、Jackson 5も初期のレパートリーにしていたという話だ。
  • あとRobert Nathanという名前も初見で、この人の作品としてはPortrait of Jennieというものが挙げられているが、このタイトルもこちらはジャズスタンダードとして知っていた。Wes MontgomeryWynton Kelly Trioと組んだHalf Noteでの名ライブ(『Smokin' At The Half Note』)で取り上げていたし、売っぱらってしまったのだがDonald ByrdもPepper Adamsと組んだ六〇年あたりのライブアルバム(これもHalf Noteでの音源だったか?)で演じていた覚えがある。
  • またヴァージニア・ウルフの『オーランドー』と『ダロウェイ夫人』もマルケスの影響源として挙がっていて、本人もインタビューか何かで、僕はウルフが好きで大いに影響を受けたのに、その点を見抜いて指摘してくれた批評家はひとりもいなかった、とか言っていた覚えがあるが、たとえば『百年の孤独』とか『族長の秋』のいったいどこにウルフの影響が認められるのかこちらには全然わからん。
  • 『文豪の悪口本』とかいう書物のなかから紹介されている太宰治志賀直哉に対する罵倒もわりと笑った。特に面白かったのは「さらにその座談会に於て、貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使う、とあったけれども、おまえの「うさぎ」には、「お父さまは、うさぎなどお殺せなさいますの?」とかいう言葉があった筈で、まことに奇異なる思いをしたことがある。「お殺せ」いい言葉だねえ。恥しくないか」という部分と、それを受けた締めくくりの「貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴やっこの知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり」。「太宰などお殺せなさいますの?」にはさすがに笑う。
  • その後、Sさんのブログをたくさん読んだのだけれど、読みながらなんとなく、自分はやっぱりまだ全然ものをわかっていないんだなと思ったというか、どうも俺は物事を言語化して整理しただけでわかった気になってしまう向きが強いのでは、と思った。こちら自身としてはこちらの文章はわりと明晰なものになっているつもりでいて、もしかしたらそう思っているのはこちらだけで読んでいる人のほうからすれば全然わかりにくいのかもしれないが、ただこちらの基本的な性分もしくは原理として、自分に感じられ考えられたことを(ある程度)十全かつ正確に書き記すという方針があって、そういう性分はやはり区分と分節の振舞いにどうしたって繋がるものだと思われるので、記述として比較的分析的なもの、つまり物事を諸部分に分けながら各部について感覚および思惟を最大限表出し、それらを総合して繋げる、みたいなやり口にならざるを得ず、作家はみんな大体そういうことをやるわけだしべつにそれ自体は良いのだけれど、ただ物事とか世界とかって言語化されたときの様相みたいにそんなに截然とわかりやすく区切られたものであるはずがなく、もっとぐちゃぐちゃしたようなわけのわからんものだろうという気もするわけで、そういう様相を一抹あらわすようななんかうねうねしたような文章を書きたいなあという気持ちもちょっと生じたということだ。ある意味で〈蒙昧な〉記述というか。イメージとしてはJoe HendersonとかJohn Coltraneみたいな感じで、あるいは彼らよりもCharles Lloydみたいにもっとすかすかで、煙が漂いながらただ空転しているだけ、というか(人を〈煙に巻く〉文体?)。
  • その後また作文してのち、五時を前にしてなぜか音楽を聞く気になった。まずFISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)だが、いままで何度も繰り返しこの音源は最高だと書きつけているとおりやはり最高で、とにかくギター・キーボード・ベース・ドラムの四者(四つの線)の交錯と干渉とすれ違いと交合とによって生み出されるリズムがあまりにも旨く、美味で、要するにここでこの四体は乱交的なセックスをしているわけだろう。ただそこで、残った佐藤伸治のボーカルがどういう位置づけになるのかはよくわからん。
  • 次に、FISHMANS, "感謝(驚)"(『いかれたBaby/感謝(驚)/Weather Report(Live)』: #2)という音源もAmazon Musicにあったので聞いてみたのだが、導入部で佐藤伸治が発する"hey"という気の抜けた声に聞き覚えがあって、これYouTubeにも動画で挙がっていたライブだなとわかった。一九九六年三月二日に新宿のLiquid Roomで行われたもののようだ。これは『Oh! Mountain』の演奏と比べるとそこまで交合的な感じはないというか、いくらか緩い印象で、悪くはないがそこまでめちゃくちゃにすごいという感じも受けず、やはり『Oh! Mountain』の音源のほうがやばいのではないか。ただ、ギターのカッティングのバリエーションが『Oh! Mountain』よりも多彩で、特に終盤にスマートな小技をたくさん挟んでくるのはけっこう面白く見事で、わからんけれどこれはたぶん『Oh! Mountain』のときとは違う人が弾いているのではないか?
  • 聞きながら思ったのだけれど、音楽を聞く(というかこちらの感覚としては「聞く」というよりも音を「見る」ような感じが強いのだが)ということは何かを聞こうとするのではなくて、ただの純粋な〈聞く〉という様態(動詞というよりももはや名詞? もしくは形容詞?)と化すことを目指す試みで、つまり「聞く」に〈なる〉ということであり、それをさらに言い換えれば「聞く」(もしくは「見る」)の他動詞的様態から自動詞的様態に転換するということなのだろう。音楽空間のうちにある何かを聞こうとした時点で終わりというか、まあべつに終わりはしなくてそれでも普通に良いのだけれど、しかし何かしらの対象を聞くのではなくておのれの心身を(もしくは〈聞く〉を)空間全体に向けてひらいていくことこそが重要だというか、つまるところただひたすらに絶え間なく、全身的に〈聞く〉に一致しつづけるということで、おそらくその第一の同化を通してこそ音楽のなかに入り、音楽と一致し、音楽に〈なる〉ことができるのではないか。
  • 就寝前に瞑想。夜明けの刻だが蟬や鳥の声はまだ遠く、距離を挟んだ空間の先にある。わりと意識が深まった感を得た。臥位になるとこめかみ付近を丹念に揉みほぐしながら眠りを待つ。


・読み書き
 13:30 - 14:27 = 57分(作文: 2020/8/16, Sun. / 2020/8/17, Mon.)
 14:53 - 15:04 = 11分(作文: 2020/8/17, Mon.)
 15:07 - 15:48 = 41分(作文: 2020/6/23, Tue.)
 15:50 - 16:02 = 12分(新聞)
 16:09 - 16:21 = 12分(英語)
 22:33 - 22:53 = 20分(金子: 92 - 104)
 25:28 - 26:09 = 31分(作文: 2020/6/23, Tue.)
 26:25 - 27:35 = 1時間10分(ブログ)
 27:47 - 28:06 = 19分(作文: 2020/8/17, Mon.)
 計: 4時間33分

  • 作文: 2020/8/16, Sun. / 2020/8/17, Mon. / 2020/6/23, Tue.
  • 読売新聞2020年(令和2年)8月16日(日曜日): 7面
  • 「英語」: 258 - 263
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年): 92 - 104
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-04-24「搦め手に宿る不浄の年月よ蓼食う虫も好き好きという」 / 2020-04-25「封鎖した都市でノイズが絶滅の危機に瀕して和音に媚びる」
  • 「at-oyr」: 2020-05-08「胡瓜」 / 2020-05-11「生理食塩水」 / 2020-05-12「包丁」 / 2020-05-13「皮下」 / 2020-05-14「シュナン・ブラン」 / 2020-05-16「煙」 / 2020-05-17「プリズン・サークル」 / 2020-05-18「具体/必然」 / 2020-05-19「スープ」 / 2020-05-20「修正リスク」 / 2020-05-21「湯豆腐」 / 2020-05-22「モツ」 / 2020-05-23「精神0」 / 2020-05-24「精神、演劇1」

・音楽
 28:41 - 29:03 = 22分