2020/8/24, Mon.

 アウシュヴィッツユダヤ人犠牲者は何名だったのだろうか。
 一九四五年二月、「解放」直後から調査委員会を設けたソ連は、ドイツがベルリンで無条件降伏した五月八日に四〇〇万名と発表した。だが、ユダヤ人が何割を占めたかは明らかにしていない。
 ニュルンベルク国際軍事裁判では、ポーランド最高裁判所が提出した四〇〇万名(奇しくもソ連の発表と同数だが)という数字を採用した。だが、この裁判に出廷したアウシュヴィッツ司令官ヘースは、三〇〇万名と証言し、さらにガス殺が二五〇万名、五〇万名が飢餓・疫病・銃殺などによると供述している。ヘースはこの後、ポーランド人民裁判に送られ、一一三万五〇〇〇名と修正している。
 現在、最も信頼されている犠牲者数は、ポーランド国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ歴史研究センター所長フランチシェク・ピーパーのものである。アウシュヴィッツへ各国から強制移送された人びとは、残された移送記録から約一三〇万名で、そのうちユダヤ人は一一〇万名(ハンガリー系が四三万八〇〇〇名)だった。その後、他の強制収容所に約二〇万名(一九四三年までに二万五〇〇〇名であり四四~四五年に集中)が移送されている。したがってアウシュヴィッツでガス殺・銃殺・飢餓・栄養失調・病気・拷問などによって亡くなった人は約一一〇万名と見積もられる。この犠牲者数にはソ連兵捕虜やポーランドなど各国の政治犯も含まれ、彼らは多く見積もって数万名とされる。したがってユダヤ人犠牲者は百数万名ではないだろうか。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、226~227)



  • 九時半ごろに覚醒。窓外で父親がゴーヤおよびアサガオのグリーンネットに水をやっている音が聞こえていた。臥位のまましばらく喉を揉んだり肩や背をほぐしたりしてから一〇時に離床。コンピューターを点け、準備をさせているあいだに水場に行って用を足してくると、瞑想をした。ミンミンゼミの声はやや遠くをうねっており、カラスが何匹か切実ぶったような鳴きを繰り返している。目覚めたとき空は白かったが、陽射しも通ってシーツの白さを濃く厚くするのも見られたわけで、だから瞑想中も一方では肌に温もりが感じられるが、皮膚のうちのほかの場所には涼しげな肌触りもあった。結局、大事なのは皮膚だ。一〇分ほど座って上階へ。
  • 食事はこまかいキノコを混ぜたご飯やナスの味噌汁、前日の天麩羅の余りなど。新聞の文化面には蔭山宏というどこかの名誉教授が中公新書カール・シュミットについての本を出したとあったので情報を読んだ。向かいの母親が言うことによれば、先ほどI.Kの父親がやってきて、ちょっと話をしていったらしい。父親のほうについては忘れたが、Kの母親のほうはやはり同級生であるT.R(漢字がわからない)の実家の八百屋でパートをしているとのことだ。いま、外空間は明るく艶を帯びてきていて、山際を埋める雲は形を持ちはじめ、空もいくらか煙ってはいるものの稀薄な青さをあらわにし、ベランダではタオルやハンカチやパジャマといった洗濯物が光のなかで風に触れられ前後左右に振れ動いており、ものを食ったからからだは熱いがそこまで暑気の濃い日でもなく、涼気の揺らぎもほのかに感じる。晩夏なのだろう。
  • 食器をまとめて洗い、風呂は残り湯がけっこうあったから今日は良かろうと払い、出勤前の母親が洗濯物を入れはじめたので受け取ってタオルを畳んだ。畳みながらなぜか思ったのだが、「わかる」という語は「分かる」とも表記するように区別・分節するという意味をはらんでいるわけで、分割の身振りというのはプラトン以来の西欧的理解形態の伝統だとなんとなく思っていたのだけれど、日本語においてもわかることとは截然と分かつことであるという意識が見られるようだ。ただここで重要なのはやはり、「わかる」が自動詞の形に収まっていることなのだろう。日常的な用法を考えてみても「わかる」の語は「~~がわかる」という言い方で使うことがもっとも一般的だと思われるので、やはり自動詞的な表現である。だから日本語的意識においては、物事がわかるというのはこちらからの働きかけによってその本質を掴むというよりは、あちらが勝手に分かれてその姿をおのずと開示するというようなニュアンスが強いのではないか。こういう言語的様相にはいわゆる「自然」に対する姿勢の特徴があらわれているのかもしれず、そういう話に繋げると例の西洋/東洋(日本)という退屈な一般論に回収されてしまってつまらないのだけれど、まあたぶん一応そういうことはあるのだろう。その差異の根本部分をものすごく平たく述べるならば、日本的文化圏においては「自然」って最終的にはどうにもならないよね、という意識が支配的であるのに対して、いわゆる西洋においては、いや「自然」だってどうにかなるはずだ、どうにかしなければならない、というような積極性が顕著だということなのではないか。
  • 「わかる」と同種の言葉としては「理解する」という表現があり、ここに使われている「解」という字は「とく」とか「ほどく」とかとも読むわけだから、やはりもつれあってこんがらがっているものを正しく分離して明確な形と領分に収めるというような分節の意味が含まれているだろう。ところで西洋語において「わかる」「理解する」にあたる言葉としては英語の"understand"が真っ先に思いつくけれど、そういえばなんでこの語はunderstandなのだろうなと思った。underを副詞的な意味で取るなら何かの下に立つということになるだろうし、前置詞的な意味合いで取るなら何か立っているものの下、みたいな事柄を指すと思うのだが、いずれにしても英語的にはやはり何かを理解するというのは物事の基盤をなしている領域を見出し、そこへと赴くことなのだろうか、だとすればそれは、これも紋切型ではあるけれど表層/深層の二元論と繋がっているだろうし、そもそも西洋においては物事は全般的に垂直的複層構造として捉えられているのか? とかつらつら思った。ところが帰室してからunderstandの語源を検索してみると、underというのはもともとは(ゲルマン祖語においては)「~のあいだに」という意味だったらしく、だからunderstandは「~のあいだに立つ」というのが原義だったというわけで、とすればここでもやはり明確に分割の振舞いが見て取られることになるだろう。何かと何かのあいだに立った人にとっては、その左右において前者と後者が明らかに区別されるはずだからだ。
  • 今日のことを一時間書くともう一二時半前。それから昨日のことももう一時間綴って完成させ、さすがに眠りが足りないようで疲労感が重かったので寝床に転がってからだを休める。本当は仮眠を取るつもりだったのだが、横になってみると意外に瞼が下りないので三時までだらだら過ごし、それから豆腐とキノコご飯の余りを持ってきて腹を満たしつつウェブを閲覧した。そうして四時に至ったところで書抜きをはじめたのだが(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年))、やはり意識とからだ全体がまとめて痺れるような感じだったので、眠らなくては駄目だなとすぐに切り上げてふたたび臥位になり、FISHMANS『ORANGE』の流れているなかで眠りを確保した。横になったときには#5 "MELODY"が流れており、その次の"帰り道"までは耳に入った記憶があるが、その後はきちんと意識を失えたようだ。気づけば五時半に至っていたので、一時間ほど休むことができた。
  • 七時直前の電車で労働に行かなければならない。米だけは炊いておこうと思って上階に行くと台所には餃子やゴーヤ炒めなどができていたので、父親がやってくれたらしい。もう行くのかと訊いてくるので七時前に行くと答え、米を三合半磨いで炊けるようにしておき、帰室するとここまで記述。現在六時三分、FISHMANS『空中キャンプ』を流している。出るまでのあいだで何をしようか。
  • 書見しながら脹脛をほぐすことに。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)である。この編纂詩集を読んでくる限り、金子光晴には気の抜けたような詩篇もわりとあるのだが、鋭く整った作品もけっこう見られて、とりわけラブソング的な、要するに女性への愛情や恋愛関係などを歌ったものにはやはり佳作が多いように感じられる。感傷的なリリシズムと言ってしまえばそうなのだろうけれど、しかし決してそれだけに終わらない、もしくは「感傷的なリリシズム」を徹底したがゆえにそれがひとつの鋭さにまで至っているような、ひりつくような硬質の叙情性みたいなものを感じさせる恋愛詩が魅力、という印象だ。このとき読んだなかでは『風流尸解記』から収録された二篇がわりとそういう感じだと思うし、読んだのは昨日だが『愛情69』の最後、「愛情69」という表題作もなかなか良く、これらの三つは全篇書き抜くつもりだ。ちなみに「尸解[しかい]」ってなんやねんと思っていま調べてみたところ、「仙術によって、肉体を残したまま、魂だけ体外へ抜け出ること」という説明が出てきて、Wikipediaの「仙人」のページにも、「体道者が肉体の死を迎えた時、蝉や蛇の脱皮のように魂魄が死骸から脱け出て、後日その肉体を取り戻しにくる。そのため棺などから死骸は消失するとされる。死骸の消失にあたり、衣冠・仙経・刀剣・竹杖などを残すとされている」という記述が見られる。
  • 六時三六分まで書見したのち起き上がり、FISHMANS "感謝(驚)"をスピーカーから吐き出させながら着替え。曲を途中で停めるのが忍びなくて最後まで聞いているうちに意図よりも時が流れてしまい、しかも上階に行くとなぜか途端に便意を催してトイレに行かずにいられない。便器に腰掛けて糞を垂れつつ午前のことを、つまり「自然」に対する態度の文化的差異みたいなテーマを思い出したのだが、いわゆる西洋文明が「自然」を対象化してそれに働きかけ、コントロールする技術を築き上げてきたみたいなことが語られるとき、そこで言われる「自然」はだいたい「人間」と向かい合わされたもので、要するにそこでは主体/客体の図式が採用されていると思うのだけれど、しかし西洋の人々は、「人間」だって(その身体や意識の動きだって)ひとつの「自然」(すなわち世界)だということを考えなかったのだろうかと疑問を抱いたのだった。そして、おそらくは考えたのだろう。だからこそたとえば心理学とか精神分析とか、あるいは生物学、解剖学、神経科学とかそういったものが開発されて発展していったのだろうし、それは二〇世紀を待たずとも(すくなくとも近代以降においては)一九世紀や一八世紀くらいにはたぶん萌芽が見られたのだと思うし、いわゆる医学の分野などを考えるともっと以前からそういう視線はあったのかもしれない。ただ、「人間」を「自然(世界)」として捉えると言ってもそれにも色々な形や精神性があるような気もしており、そのあたりもうすこし具体的に調べ考えてみなければならない事柄ではあるだろう。
  • 便所を出ると電車まですでに六分か七分くらいしかなく、これは走らなければ間に合わないが汗をかきたくないなと思いながら玄関を出たところ、もう暗い道の向こうから二つ目を白く光らせて来る自動車があり、それが母親のものらしかったので、ちょうど良い、送ってくれるよう頼んでみようと思って駐車場に入ってきたところに近寄れば、窓を開けたあちらのほうから自発的に送っていこうかと言ってくれたので、渡りに船と依頼した。助手席に乗りこんで、意外と遅くなってしまって走らなければもう間に合わないのでと説明する。今日も仕事は大変だったらしく、輪投げをしていたところ、ほかの子が成功しているのが気に入らなかったらしいひとりがキレてしまい、「猿みたいに」ギャーギャー騒いで苦労したようだ。こちらは、髪を切りてえ、なんか新しい髪型試したい、などと返しながら運んでもらう。
  • 職場のそばで礼を言って降り、出勤して労働。授業始めの号令を任されることがわりとあって今日もやったのだが、多人数の前に立って衆目を浴びるというのはいつになっても慣れないもので、と言って昔に比べればよほどうまくこなせているけれど、それでもまだやはりいくらかは緊張するらしく、言葉を発しながら顔がすこし熱くなるのを感じた。授業の相手は(……)さん(高三・英語)と(……)さん(中三・国語)。(……)さんは語彙も文法も基礎がまだまだ。前回と前々回の授業日を休んでいたので理由を訊いてみると、偏頭痛を持っていて頭痛がひどかったからと言った。(……)さんは模擬の過去問を扱ったが、まあそこそこ壊滅的という感じで、たぶん評論文など全然意味がわからないだろうと思う。それですくない解説時間で論説を確認したのだが、これは愚策だった。それよりも『伊勢物語』について扱った大問五か、普通に小説を取り上げた大問三に触れたほうが良かっただろう。評論文など本人もたぶん全然興味がないだろうし、それならまだしも面白味を感じられるかもしれない物語の力を借りるべきだったのだ。
  • (……)マネージャーが来ていたので少々やりとりを交わす。そうして退勤し、駅に入ってベンチで書見。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)。労働のためにからだが渇いて息苦しかったので、クソマスクなんかつけてられねえと思って顔から外し、まったく涼しくないこともない夜気を吸う。線路の向こうの暗闇からはタンバリンでも振り鳴らすような、柔らかな鈴の音めいた虫声が頻繁に、定期的に立つけれど、あれはコオロギなのか何なのか知らないが明確に秋の虫のものである。
  • 最寄りに着くと例の独り言の老女がいたが、今日はなぜか独語を発してはいなかった。あるいは小さな声で呟いていたのかもしれないが、横をゆっくり通った際にそんな気配も感じられなかった。階段通路の蛍光灯に群がる羽虫はもはやなく、葉っぱの端からちぎれた屑のようにこまかな虫がいくらか宙をうろつくのみだ。木の間の坂道に入って下りていくあいだ、薄暗闇に抱かれた周囲の草木に目を向けながら、俺の目ももう相当悪くてこのあいだ本屋に行ったら棚の本の題もよく見えなかったくらいだし、この樹々も本当はこれよりもっと鮮やかで肌理がこまかいんだろうなと思い、視力という肉体器官的な問題ひとつで対象の見え方が変わってしまうのなら、客観的な世界の様相っていったいなんなんだろうな、そんなもんないんじゃないかと考えた。一応西洋哲学の系統ではこちらが日々見聞きしてその変化を感じ取っているこの現象世界とは超越的な領分にある本質世界の仮象 - 表象であり、その「超越的な領分にある本質世界」をたとえばプラトンイデアと呼び、カントは物自体と呼び、ラカン現実界と呼んだという風にこちらは理解していて、これはきちんと文献に当たって学んだわけではなくていつの間にかなんとなく身についていた知識なので、このような認識がそもそも哲学史的に本当に正しいのか否かわからんのだけれど、一応それに沿って上の三者の概念が共有している意味を取り出してみると、ものすごくひらたく言って「イデア」も「物自体」も「現実界」も「この世界の本当の姿」をあらわしていると理解して良いんじゃないか。で、カントとラカンは知らないけれどすくなくともプラトンにおいては、「イデア」というのは絶対不変の真実体であってそれがすべての本質であり、人間が感覚している現象世界の物事はすべてそれの影か分身のようなもので、その水準では世界は常に変化して見えるけれど実はそうではなくてその本質は不変なのだ、という話にたしかなっていたと思う。この帰路で草木を見ながらそのことを思い出したのだけれど、そこで、現象世界の背後もしくは向こう側にあると言われる本質の世界だって、固定された不変のものではなくて常に変容してやまないものなんではないかと思ったのだった。特に根拠はないのだが直感的には、この世界の本当の領域、すなわち真実の様相は不変だとか言われたって、そんなわけねえじゃんとこちらは思ってしまう。そもそも「イデア」とか「物自体」の世界もまた、中断することのない変容体なのではないか? もともと中断することのない変容体としてある世界を、人間の知覚器官や言語的意識などが第二の中断することのない変容体として捉えており、だからこの世界は二重の変容体なのではないか? とか思ったわけだ。そうした思考を正当化する根拠は特にない。ただこの地点でもしかしたらニーチェが手招きをはじめるのかもしれないという気はするし、また仏教が言うところの「無常」もそうした意味で捉えなければならないのではないかとも思う。というか、仏教の本など読んだことがないのでわからないのだが、もしかすると「無常」とか「空」とか言われているのはもともとまさにそういう意味だったのではないか?
  • そういうことを考えながら帰宅。やはりまだ暑く、服の内には汗が溜まっている。シャツや肌着や靴下を脱いで始末し、帰室するとベッドで休みながら書見。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)。三〇分ほど読んで一一時を越えると食事へ。母親によれば、父親が蟬の交尾の様子と、サルノコシカケに生えたキノコが胞子を発散している様子を動画に撮ったとか言う。新聞を読みつつ餃子やゴーヤ炒めやナスの味噌汁などを食い、皿を洗ったあとに胡瓜を切ってパックに入れておいた。風呂を出たら茶を飲みながら味噌をつけて食おうと思っていたのだが、いまこの部分を書くまで胡瓜を切っておいたことを完全に忘れ去っていた。
  • 入浴中になんか知らんが詩の萌芽のようなものが訪れたので、上がって茶とともに部屋に帰るとそれをひとまずの形に収めた。まだこれで完成ではないつもり。いままで作りかけの詩片は毎日の日記の下部にいちいち写しておき、気が向いたらいじるという風にしていたのだが、「詩: 進行中」というノートを作って全部そちらにまとめておくことにした。一応なるべく毎日このノートをひらくだけはひらくことにして、気が乗ったときに書き足していきたい。

  汽水域

 
 生を生きて死を死ぬと言って
 思っていたほどきちんと区切られたもんでもなくて
 生が尽きたらそこでばっさり切り落とされて
 あの世にさっとワープできるわけでもなさそうだ
 その前からだんだん空気に死の粒子が混ざりはじめて
 生の原子は溶けて霧散し
 世界が稀薄になっていくけど
 たぶん死んだあともいくらかこの世の残り滓がついてくるんだと思う
 汽水域では何よりにおいが変わるね
 衛生的で
 なおかつ慕わしいような
 森の獣が吐く息のような
 あの夜のあの人の肌よりもおさないような
 記憶を投げ捨てた朝のような
 そんなにおいがひどく香り立つもんだから
 よくわかるんだ どうやら俺も
 そろそろ死んじまうみたいだなって

 俺もまあ曲がりなりにも何十年か生きてきて
 どれだけ生きたんだったかもう忘れちまったけど
 大して何も見てこなかったし
 大して何もしてこなかった
 したことといって食って歌って糞をひって
 あとたまに口づけを交わしたくらいで
 それだけできりゃだいたい満足だった
 俺の発生からいままでに
 世界は果てしないほど変わって
 ほとんど別世界になったくらいだが
 それだってどうせこの世界であることに違いはないし
 根っこのところは大して変わっちゃいないんじゃないか
 人の心も
 女の笑顔も
 うまい飯とまずい飯があることも
 誰も利便性に勝てないことも
 糞馬鹿どもがいいやつをみんな殺しちまうことも
 音楽と踊りが最高だってことも
 たぶん五千年前からずっとおんなじなんだと思うし
 五千年後だってきっと
 奴隷は権力者の靴を舐めたり
 ケツの穴を舐めたりしているんだろうし
 恋人たちは唇と唇で平等を気取って
 それからつぶれるくらいに顔を尻に押しつけて
 相手の糞の穴をやっぱりべろべろ舐めてやる
 そういうことが好きなやつだってきっとまだまだいるんだろうさ

  • ここ数日でこしらえた未完の詩断片をTwitterに流しておいてから、FISHMANS『LONG SEASON '96~7 96.12.26 赤坂BLITZ』とともに今日のことをここまで書けば午前三時。明日は休日。すばらしい。休みはいつだってすばらしい。なるべくはやく一年中休日である世界が来てほしい。
  • 台所に上がって胡瓜に味噌を添えたり即席の味噌汁を用意したりしながらちょっと思ったのだけれど、流れることと流されることとはおそらくまったく別種の事柄で、我々って流されることのほうはいつでもどこでも大得意というか、むしろたぶん普段はほとんどそれしかやっていないのではないかと思われるくらいで、それに対して流れることとはきっと高度に主体的な振舞いであり、そのためには熟慮された方法論と、成熟にいたるまでに涵養された感覚的繊細さとが必要なのではないか。たぶん我々はだいたいの場合、流れを見極めることも見定めることも掴むこともちっともできていないのだと思うし、だとしたら流されることから逃れて流れることなど、当然できるわけがないだろう。
  • 部屋にもどるとGeorge Steiner, "Drawn from silence"(2004)(https://www.the-tls.co.uk/articles/paul-celan-et-martin-heidegger-book-review-hadrien-france-lanord-george-steiner/)を読んだ。この記事もなかなか読み終えることができない。パウル・ツェランも読まなければならないといけないなあとは思うし、マルティン・ハイデガーという人間も、ナチズムへの関わりをもちろん含めてやっぱりとんでもない人間なんだろうなあと思う。その仕事の徹底性と卓越性というのはきっと気違いじみたものなのだろうし、彼のような人間がナチズムに加担するに至ったことの意味というものは考え尽くすことができない問題だろう。Uくんによれば西谷修の『不死のワンダーランド』がそのあたりについて多少扱っているらしいのだが。

(……)If the quotation is to be trusted – we lack independent corroboration – Celan, not long before his death, denied Heidegger’s notorious obscurity, as he denied that of his own poems. On the contrary, by seeking out its roots, by restoring to single words and even syllables their numinous, primordial energy, Heidegger had restored to language “its translucency, its clarity” (“sa limpidité”). Celan concurred with Heidegger’s emphasis on the functions of language which are “nomination” (the Adamic trope) and “unconcealment” (aletheia). Yet if phenomenological “visibility” was crucial (das Reden Sehenlassen), as Celan underlined in Sein und Zeit, audition, the capacity to hear what is at work within language that transcends human communicative utility”, may be even more important. Celan underlines, in Heidegger’s Introduction to Metaphysics, the pre-eminence of language over that which it designates: “It is in the word, in the saying that things come into being”, a virtual paraphrase of Mallarmé. In Heidegger’s Why Poets, Celan underlines Heidegger’s pivotal creed: “Language is the sanctuary (templum), which is to say the house of being … Because it is the house of being, it is by constantly passing through this house that we reach that which is”. And in the Letter on Humanism, Celan selects for emphasis what could well be the motto of his own poetics: “Language is the illuminating-concealing advent of being itself’.

  • その後、四時半からSさんのブログをちょっと読んだあと、音楽を聞いて眠ることに。FISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)とBrad Mehldau, "From This Moment On"(『Live In Tokyo』: D2/#3)の二つを聞いたのだが、しかしもう明け方でやはり心身が鈍っているのか、どうも音楽がうまくからだに響いてこず、永遠の名演である"感謝(驚)"に耳を傾けても今日はあまり反応が起こらなかったので、あれ、いままでこの音源をたびたび最高最高言ってきたけど、もしかしてそんなに大したことのない音楽だったのか? という疑いすら兆してしまったのだが、たぶんこちらの調律が整っていなかっただけだと思うし、アウトロのビートなどには多少こちらを巻きこんでくる感じがあった。Brad Mehldauのほうもあまりうまく音が見えなかったというか、入ろうとしてもなかなか入れないというか、視線が定まらず曖昧に霞んでしまうようなところがあって、やはり単純に眠かったのだと思う。それで音楽鑑賞は切り上げて、五時から一〇分瞑想をして眠った。
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)、373: 「いつの時代にも女の人は、そのときのはやりを身につけて、/変身[メタモルフォーゼ]しながら、ほのぼのとした肌あかりで存在の中心部をうきあがらせてみせた」: 「(ほのぼのとした)肌あかり」: 良い。欲しい。
  • 442: 「炮烙[はうろく]いろの焼石」: 「炮烙」: 初見。「焙烙」とも書くよう。「低温で焼かれた素焼きの土器で、形は底が平たく縁が低い」(Wikipedia)。また、辞書的には「1 あぶり焼くこと」および「2 中国古代、殷 (いん) の紂王 (ちゅうおう) の行った火あぶりの刑。炭火の上に油を塗った銅柱を渡し、その上を罪人に歩かせ、足を滑らさせて火中に落としたというもの」。
  • 446: 「うつりゆくものの哀れさも背[そがひ]に/盲目のごとく、眠るべし」: 「背[そがひ]」: 初見の読み。通常、「背向」で「そがい」と読むらしい。万葉集などに出てくる古語。どこかで使えるかもしれない。


・読み書き
 11:23 - 12:22 = 59分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 12:23 - 13:21 = 58分(作文: 2020/8/23, Sun.)
 16:05 - 16:18 = 13分(バルト)
 17:52 - 18:04 = 12分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 18:04 - 18:36 = 32分(金子: 370 - 398)
 18:40 - 18:45 = 5分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 21:55 - 22:14 = 19分(金子: 398 - 423)
 22:36 - 23:09 = 33分(金子: 423 - 455)
 24:20 - 25:20 = 1時間(詩)
 25:34 - 27:02 = 1時間28分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 27:12 - 27:20 = 8分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 27:22 - 27:55 = 33分(Steiner)
 28:31 - 28:42 = 11分(ブログ)
 計: 7時間11分

・音楽
 28:43 - 29:00 = 17分(FISHMANS / Mehldau)