2020/8/30, Sun.

 (……)イーディスの生活は虫の羽音のように単調で、いつも母親の監視下にあった。(……)
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、63)



  • 一一時起床。なぜだかわからないが目覚めた直後からFISHMANS "いなごが飛んでる"が脳内に流れて止まらなかった。晴れ空からベッドに陽が射しこんできて顔に当たるのだが、そこにじりじりという感触はなく、窓を閉めているのに空気も大して熱を籠めておらず、肌も濡れていない。ここ最近のなかではずいぶん涼しい気候と思われたが、あとで新聞を見ると最高気温は三五度とあってよくわからない。洗面所とトイレに行ってくると瞑想。窓を開けたが、蟬の声も大したことがないように聞こえた。一方でエアコンの稼働音に耳を傾けたが、冷気を吐き出すのみのその無機質な響きからはそれ以上何のイメージも比喩も湧かず、べつの意味につながることがなくて、その最大限に散文的な意味の乏しさ(〈字義性〉)は悪くない。一三分ほど座って終い。とにかく肌感覚を鍛えたい。
  • 上階に行き、炒飯や昨日のスープの残りなどで食事。外はあまり風がないようで、明るさに染め抜かれた川沿いの樹々に揺れているような気配はほとんどない。食後は風呂を洗って緑茶を持って帰室し、スピッツ『フェイクファー』を流してAmazon Musicからジャズ作品をいくつもメモ。Kurt Rosenwinkelの作品や、Paul Motian参加のライブ音源など。それから、明日青梅図書館および立川図書館に行ってCDを返却するつもりなので、立川のほうで借りている作品の情報を打ちこんだ。Art TatumのほうのライナーノーツはBenny Greenが書いているのだが、わりときちんとした批評眼を見せているというか、この曲からこういうことがわかるという風に音楽の内容にしっかり即した文章になっているし、ライナーノーツを書くにあたっていま目の前には過去の批評記事が色々と用意されていると文中で触れられているように、同時代の評判もちゃんと調べて書いたらしく、好感を持てる確かな仕事ぶりだ。あと一枚、Judy Garland『Judy At Carnegie Hall』が残っているのだが、それはまたのちにすることに。

Robert Glasper『Fuck Yo Feelings』


1. Intro (feat. Affion Crockett) [Robert Glasper, Derrick Hodge, Chris Dave, Affion Crockett]
2. This Changes Everything (feat. Buddy + Denzel Curry + Terrace Martin + James Poyser) [Glasper, Hodge, Dave, Buddy, Denzel Curry]
3. Gone (feat. YBN Cordae + Bilal + Herbie Hancock) [Glasper, Hodge, Dave, Herbie Hancock]
4. Let Me In (feat. Mick Jenkins) [Glasper, Hodge, Dave, Mick Jenkins]
5. In Case You Forget [Glasper]
6. Indulging In Such [Glasper]
7. Fuck Yo Feelings (feat. Yebba) [Glasper, Hodge, Dave, SIR]
8. Endangered Black Woman (feat. Andra Day + Staceyann Chin) [Glasper, Hodge, Dave, Andra Day, Staceyann Chin]
9. Expectations (feat. Baby Rose + Rapsody + James Poyser) [Glasper, Hodge, Dave, Baby Rose, Marlanna Evans aka Rapsody, Davionne, Tim Maxwey]
10. All I Do (feat. SIR + Bridget Kelly + Song Bird) [Glasper, Hodge, Dave, SIR, Bridget Kelly, Theresa Wilson]
11. Aah Whoa (feat. Muhsinah + Queen Sheba) [Glasper, Hodge, Dave, Muhsinah, Queen Sheba]
12. I Want You [Glasper, SIR]
13. Trade in Bars Yo (feat. Herbie Hancock) [Glasper, Hodge, Dave, Herbie Hancock]
14. DAF Fall Out [Glasper, Hodge, Dave]
15. Sunshine [Glasper, Hodge, Dave, YBN Cordae]
16. Liquid Swords [Glasper, Hodge, Dave]
17. DAF FTF [Glasper, Hodge, Dave]
18. Treal (feat. Yasiin Bey) [Glasper, Hodge, Dave, Yasiin Bey]
19. Cold [Glasper, Curtis Jews]

Robert Glasper - keys
Chris Dave - drums
Derrick Hodge - bass
DJ Jahi Sundance
Taylor McFerrin - sounds (tracks 4,8,10,11,13,14)
Herbie Hancock - keys (tracks 3 & 11)
James Poyser - keys (tracks 2 & 9)
Terrace Martin - synths (track 2)
Keith Lewis - whistle (track 12)


Produced by Robert Glasper
Co-Producers: Chris Dave and Derrick Hodge
"Cold" Produced by Robert Glasper and Curtis Jews
Executive Producers: Vincent Bennett and Robert Glasper
Recorded by Qmillion at Henson Recording Studios
1st Assistant Engineer: Brian Rajaratnam
2nd Assistant Engineer: Stephen Sarkissian
Yasiin Bey recorded by Takahiro Yamaguchi (GROUNDRIDDIM) at Sound Inn Studio, Tokyo
Assistant Engineer: Anri Inagaki (Sound Inn Studio)
Recording Coordination: Makoto Miyanogawa (SONG X JAZZ Inc.)
Additional recording on "This Changes Everything," "Let Me In" and "All I Do" by Jahi Sundance at More Than Enough Studios
Mixed by Qmillion at Flying Dread Studios, Los Angeles, CA
Mastered by Chris Athens Masters

Cover Photography: Jon Chu
Additional Photography: Genéa Gaudet, Nico Navia, Samantha Whitehead & Ryan Pawlak
Design & Art Direction: Christopher Leckie


a black radio production
(P)&(C) 2019 Loma Vista Recordings
Universal Classics & Jazz
UCCO-1217

     *

Art Tatum『The Tatum Group Masterpieces: Art Tatum/Red Callender/Jo Jones』


1. Just One Of Those Thins [Cole Porter]
2. More Than You Know [Youmans - Eliscu - Rose]
3. Some Other Spring [Arthur Herzog]
4. If [Hargreaves - Evans - Damerell]
5. Blue You [Sampson - Mills]
6. Love For Sale [Cole Porter]
7. Isn't It Romantic [Rodgers - Hart]
8. I'll Never Be The Same [Malneck - Signorelli - Kahn]
9. I Guess I'll Have To Change My Plans [Arthur Schwartz - Howard Dietz]
10. Trio Blues [Art Tatum]

Art Tatum (p)
Red Callender (b)
Jo Jones (ds)


Recorded January 27, 1956

Produced by Norman Granz

Recording engineer: Val Valentin
Studio: Capitol Studios, Los Angeles
Cover photograph: Phil Stern
Liner notes: Benny Green


Pablo
Manufactured and Distributed by Victor Musical Industries, Inc.
VICJ-23537

  • 便所で糞を排出してくると、流れていたFISHMANS『Oh! Mountain』を"感謝(驚)"までもどし、屈伸をしたり開脚をしたりとちょっと脚をほぐしてから日記。ひとまず今日のことをここまで記述。
  • その後、昨日のことをさらりと短く仕上げてから身体をほぐすためにベッドに移った。一応毎日伸ばしたり揉んだり頑張って肉を柔らかくしているのに、一度眠って起きるとまたこごって流れが滞ったように重っているというのは一体なんなのか。どうにかならないものなのか。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読みながら脹脛や腰をほぐそうと思ったところが文字をいくらも追わないうちに意識が曖昧に暗んでしまい、覚醒したあともなんとなく本を取る気にならず、瞑目のまま静止して瞑想めいたり、脹脛をぐりぐりやったり、腰や首やその他の部位を揉んだりしているうちに五時も近づいた。外は曇りに寄った天気のようで陽の明るさはあまりなく、今日はやはり不思議と涼しい気候で、エアコンを消して窓を開けても汗をかくこともなく支障なく過ごせるほどだった。それからようやくホフマンスタールを読みはじめる。「チャンドス卿の手紙」を冒頭にもどって大雑把に再読した。
  • 112では、概念言語がうまく機能しなくなり、それにもはや馴染むことができなくなったあとの生活においてもときおり「活気あるうれしい瞬間」が起こり、そのときには「身辺の日常的な出来事」を媒介として「まったく名のないもの、いやおそらく名づけえぬもの」が「立ちあらわれてくる」と語られている。この「名づけえぬもの」(サミュエル・ベケットを思い出さないわけにはいかない)というのは、言語が追いつけずそれによってとらえることができず、概念的囲繞の枠を破って超出していってしまう圧倒的リアリティみたいなもののことだろう。要するに、事物のまったき事物性とでもいうか。そういうものが訪れる瞬間を意志的に招くことはできず(「この瞬間を意志で呼び寄せることはとうていわたしにはできません」)、そこにおいて言葉はあまりにも貧困で無力なものだとしか思われない(「いかなる言葉もそれを言い表わすには貧しすぎると見えてくるのです」)。
  • 以前のチャンドス卿においてはもちろん言語が正常に機能しており、世界の様相は言語的分節とおおむね一致して高度に統一的な姿を見せていたのだが(「ようするに、当時は、ある種の陶酔の持続のうちにあって、存在全体が一箇の大いなる統一体と見えていたのです」(106~107))、原因はわからないもののその言語的分節が乱れはじめ、言葉が明確な輪郭を失って世界をすくい取る機能を持つものではなくなってしまい(「抽象的な言葉が、腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」(109))、結果として当然、いかなる価値判断も困難になる(「宮廷の問題や議会での出来事、その他なにごとについても判断を下すことが不可能になっているのに内心気づきました」(109))。非常にありきたりな比喩を使えば、人間は通常、言語というフィルターを通して世界を理解し秩序づけているわけだけれど、その翻訳機がうまく働かなくなり、それによって明晰に分節されながら結びついていたはずの世界の統一的連関が(一定以上)失われたというのがチャンドス卿の精神状況だろう。ただ、概念的翻訳がうまくできなくなったそういう状態においてかえって、世界の実質らしきものが言語を媒介とすることなく直接的に身に迫り現前してくるという事態が起こりうる。それが上で触れられている「名づけえぬもの」の顕現の瞬間であり、そういう出来事はたぶん西洋の文学とか哲学とかでは「崇高」という言葉で形容されることがわりと多いようなイメージがあるのだが、チャンドス卿も何の変哲もない事物が「心を動かす崇高なしるしを帯び」る(112)とか、自分が思い描いたイメージは「きわめて崇高にして完璧な現在だったのです」(114)とか言っている。
  • ここで語られていることはまあわりと理解できるというか、こちらにおいてもそれに近いことは過去何度か体験的に生じており、日記のなかでもおりおり触れているはずだ。もっともこちらの場合は言語が危機に陥ったわけではないのだが、言語機能を保った状態でも、世界の実在感とか具体性みたいなものが不思議にまざまざと差し迫ってきて、そこにおいて自己と外界とがこの上なく調和し、強い陶酔や恍惚や感動や官能を得るという経験(磯崎憲一郎の語彙を借りれば「世界の盤石さ」の実感)は人間においてわりとあるし、文学や哲学の主題としてはほとんどありふれたものと言っても良いのだろうし、宗教の方面ではそれは神の現前とか啓示として捉えられるだろう。こちらも一年に一度か二度くらいはそういう崇高っぽい体験を得ていたけれど、それにもだんだん慣れてきたというか、回数を重ねるごとに事物の具体性が強く感得されても恍惚や官能を覚えるほどのことはなくなり、いまでは陶酔とか酩酊感みたいなものを強烈に感じることはほとんどないと思う。だからといってべつに世界がつまらなくなったとか鮮やかでなくなったということはなく、むしろますます面白くなっているようにも思うけれど、ところで先にも触れたとおり、こういう体験は宗教者だったらおそらく日常的な事物において神(の痕跡)が現前した瞬間として解釈するだろう。神とは端的に言って、言語で直接言い表すことのできない純然たる崇高さとして理解されているはずであり、したがってここにあるのは否定神学的なテーマだということになると思うのだけれど、こちらにしてみればこの世のすべての事物が本当はそうなのだ。つまり、意味論的 - 概念的様相や言語との関係において見ればこの世のあらゆる事物が神だというわけで、何しろそのへんに転がっているひとつの石ころとそれを記述する言語はまったく似ても似つかないものだし、言語がどう頑張ったところでものそのものになることなどできないということは自明であるように思われる。だからこの世のあらゆる事物とすべての瞬間のうちに「崇高」への回路は潜んでいるはずだと思うのだけれど、人間の心身と感覚器は粗雑極まりないものだからあまり頻繁にそれを経験することはできないし、そんなに崇高に撃たれて恍惚に浸ってばかりいても暮らしが成り立たなくなってしまうだろう。
  • 飯を作りに上がったところがもう母親がやってくれていたので引き返し、七時まで今日の日記を記述。そうして食事へ。スンドゥブなど。父親は飲みに行っているらしい。母親は祖母が出たあとの山梨の家(祖母はここで施設に入ることになったらしい)の処理を気にしている。どうするのかなとおりおり漏らしていてこのときもまた呟いていたのだが、そんなことはO家のきょうだいたちに任せておけば良いのであって、なぜ母親が横から気にしているのかがよくわからない。三鷹のZさんが入ってくれれば良いのにとか、Mさんが入ってくれれば良いのにとか言うのだが、そもそもべつに人が住まわずに普通に取り壊したって良いはずだろう。母親はそのあたり、やっぱりおじいちゃんが建てた家だから守っていったほうが良いんじゃないの(母親は常に、自分が「したい」かどうかではなく、(世間的価値観に照らして)「したほうが良い」かどうかという観点で物事を捉える)、みたいに考えているようだったが、それは(大部分、一般的通念に操作された)母親自身の考えであって、O家のきょうだいたちがどう考えているのかは不明である。山梨の家にもっとも関わりを持っている当人たちの考えや意見を聞かないうちから、どうするのかなとかああしたほうが良いとか気を揉んでいてもあまり詮無いことだろう。彼らが残したいなら残せば良いし、そうでないなら壊せば良いだろう。ぶち壊して更地にして売るなり、何かしらの施設として再利用するなり、僻地に住みたいという物好きな人間に入ってもらうなり、やりようはいくつもあるはずだし、O家のきょうだい四人だって年を取ったいい大人なのだから、そのくらい話し合ってうまい解決策を見出せるだろうと思う。だから母親とかこちらとかが気にかける必要はなく、ただ当人たちに任せておけば良いだけのことだと思うのだけれど、母親がそれを気にしてうだうだ言っているということは、おそらく何かしら自分のほうにも好ましくないような影響が波及してくることを懸念しているのだろう。母親自身はもしかしたら明確に気づいていないかもしれないが、こちらの見るところではそういう意識が多少なりとも含まれているような気がする。それはたとえば、我が家の父親はここで定年を迎えてわりと時間があるから実家の片づけを任されるだろう、そうするとゴミを色々持ち帰ってくるだろうけれどそれを自分が処理しなければならない、さらには現地での片づけ自体にも駆り出されるかもしれない、という意識であるかもしれないし、また母親本人がこのとき口にしたことによれば、この件を機にきょうだいの仲が悪くなって揉め事が起こったりすると面倒臭いという気持ちでもあるようだ。というのも母親が言うには、祖母の周りに集まってみんなで会食するときなどは仲が良さそうに見えるけれど、本当はそうでもないんじゃないかということがだんだん見えてきたらしいのだが、まずそもそも実家の処理という問題についてきょうだいたちが話す機会がいままであったのかも不明だし、母親も実際にそういう場に居合わせてやりとりを目撃したわけでもないようだ。だとすればなぜ、きょうだいたちは実は不仲だとかぎくしゃくしているとか言えるのかこちらにはよくわからず、どこからそう思ったのかと母親に訊いてみても判然としない。だからそのあたりは根拠薄弱な母親の想像に過ぎないのではないかとこちらは思っているのだけれど、たぶんひとつにはKさん(漢字が正しいか不明)から送られてきたというメッセージをきっかけとして母親はそういう印象を抱いたのではないか。Kさん(Zさんの妻)はこのたび祖母が施設に入るという件について、手配とか見舞いとかに全然関われなくてすみませんみたいなメッセージを送ってきたというのだが、母親の推測ではKさんには、Zさんが長男なのだから本当だったら自分たちがもっと積極的に祖母の世話をしなければならないし、そもそも長男として家を継いで実家にも入るべきだったのにそうはしなかったからほかのきょうだいたちから不満を持たれているのではないか、という意識があるように見えるらしい。そういう意識はまあ実際あるかもしれないが、あろうがなかろうがどちらでも良いし、あまり関われなくてすみませんと配慮の言葉を送ってきてくれたのだから、全然マシというかそれでべつに問題はないだろう。ただ、母親としてはたぶんこのメッセージを受けて、なんとなくきょうだい間に齟齬が生じてきているという印象を得たのではないかという気がする。まず第一に、上記したKさんの意図は母親の推測に過ぎない。第二に、母親の推測が合っていたとして、きょうだいたちがZさんに不満を持っている可能性というのも、今度はKさんの推測に過ぎない。このメッセージに関しては、そのように曖昧模糊とした推測が二重に積層しているのだけれど、母親はこの仮定領域を拡張的に重んじて、実際にきょうだいたちのあいだに不穏な空気が広がっているかのような〈雰囲気を感じた〉のではないか。加えて、母親のなかにも実際にZさんに対する不満があるのかもしれない。つまり、長男なんだから本当は彼が祖母の世話を主導するべきなのに、実際にはうちの父親ばかりがやっているという気持ちがあるのかもしれず、だからこそ母親はKさんのメッセージをそうした不満に対する配慮として読んだのではないか。もしそうだとすれば、きょうだい間に不和が生まれつつあるようだという母親の印象は、自分の不満感を彼らの関係にも投影的に当てはめた想像なのではないか。こちらとしてはそのあたりが事の実相に近いような気がするが、とはいえもちろん現実にきょうだいたちが齟齬を抱えているという可能性もないわけではない。だがそれはどちらでも良いことだ。仲良くするならすれば良いし、仲良くできないならしなければ良いし、対立するならすれば良い。こちらにとってはなんだって良く、特に重大な問題ではない。
  • 食後はまた日記(2020/8/28, Fri.)を進め、九時半ごろに風呂へ。酒を飲んで酔っ払ったらしい父親が髪の毛の乏しい頭を晒しながらソファに寝そべって休んでいた。
  • 風呂を出てくると一〇時過ぎからまた2020/8/28, Fri.にとりかかって完成させたのだが、それを投稿しようという段になってなぜかMaria Schneiderのことを思い出し、Amazon Musicで検索した。彼女の音源はベスト盤くらいしかなかったのだが、そこからさらにSantanaなんかも思い出して、するとあとは芋づる式にどんどんつながって音源を調べてはEvernoteのメモ用記事に記録していってしまい、結構な時間を費やした。Dollison and Marsh『Vertical Voices: The Music of Maria Schneider』(https://music.amazon.co.jp/albums/B00F4DHZP6)などというやばそうなアルバムが見つかった。Maria Schneiderの曲をボーカルでやろうという頭のおかしい取り組みらしい。あとLos Lonely Boysなんていう名前もめちゃくちゃ久しぶりに思い出したものだ。Santanaを想起したのは、Michelle Branchというボーカルを起用した"The Game Of Love"という曲があるのだけれど、高校生当時この曲がけっこう好きだったからで、それで当該曲が収録されている『Shaman』を流してみたところ、"The Game Of Love"はいま聞いても爽やかでそんなに悪くはないが、そのほかの曲はそうでもない。Santanaのギタープレイ自体はさすがだと感じさせるところがおりおりにあるし、ベースやドラムの演奏もときおり耳を惹くのだが(いま検索してみたところ、ドラムはDennis Chambersだというので納得である)、いかんせん楽曲がぱっとしないというか、それ以上にわりとダサいようなものがけっこうあって、プレイヤーは良いのに曲がそれに見合っていないなあという印象だ。普通に、曲としてもサウンドとしても通り一遍の退屈なR&Bみたいなやつがいくつかある。そのなかでCitizen Copeという人が参加したものは比較的良かったかもしれない。
  • その後、今日のことを書き足したのちはなんかひたすら怠けてしまい、大したことはしなかった。


・読み書き
 13:51 - 14:17 = 26分(2020/8/30, Sun. / 2020/8/29, Sat.)
 16:56 - 17:38 = 42分(ホフマンスタール: 102 - 121)
 17:54 - 19:00 = 1時間6分(2020/8/30, Sun.)
 20:02 - 21:21 = 1時間21分(2020/8/28, Fri.)
 22:08 - 22:35 = 27分(2020/8/28, Fri.)
 23:39 - 24:25 = 46分(2020/8/30, Sun.)
 計: 4時間48分

  • 作文: 2020/8/30, Sun. / 2020/8/29, Sat. / 2020/8/28, Fri.
  • ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年): 102 - 121

・音楽