正直な知性が示す無理解にはしばしば教えられるところがある。プリモ・レーヴィは難解な作家を好まなかったが、パウル・ツェラーンの詩には惹かれていた。本当には理解できなかったにしてもである。「難解に書くことについて」と題された短いエッセイのなかで、レーヴィは、読者にたいする軽蔑のためか表現力が足りないために難解に書く者たちと、ツェラーンを区別している。ツェラーンの作詩法の難解さは、「すでにあらかじめ自殺していること、存在するのを望まないこと、望んでいた死がその仕上げとなるような世界逃避」(Levi, P., L'altrui mestiere, in Id., Opere, vol. 3, Einaudi, Torino 1990., p.637)のことを考えさせるというのだ。ツェラーンがドイツ語にたいしておこなう、かれの愛読者をたいへんに魅了した途方もない加工は、レーヴィによってむしろ――わたしが思うに考察に値する理由から――、ばらばらな吃音、あるいは死に瀕した者のあえぎになぞらえられる。
ページが進むごとに大きくなっていくこの闇は、ついにはばらばらな吃音に達し、死に瀕した者のあえぎのように人を驚愕させる。じっさいにも、それは死に瀕した者のあえぎにほかならないのだ。それはわたしたちを深淵が巻きこむように巻きこむ。しかしまた同時に、それはわたしたちを欺いて、言ってしかるべきであったことを言わず、わたしたちをむちで打って追い払う。ツェラーンという詩人は、模倣をするよりも、瞑想し、ともに悲しまなければならない詩人なのだとわたしはおもう。かれの詩はメッセージであるとしても、そのメッセージは「雑音」のうちに消失してしまっている。それはコミュニケーションではなく、言葉ではない。言葉だとしても、せいぜいのところ、晦渋で不完全な言葉である。死に瀕した者の言葉がまさにそうであるように。そして、それは孤立している。わたしたちはみな死に瀕したときにそうなるように。(ibid.)
(ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、45~46)
- 正午に覚醒。たしか八時台だかはやい時間にも一度覚めた気がするのだが、記憶がひどくあやふやなので気のせいかもしれない。そこから正午に目覚めるまでのあいだには何の印象も残っておらず、覚醒時には切り落とされたように出し抜けに世界が現れた、という感じがあった。天気は晴れだが寝床にいる限りではそこまで暑くはなかった。首や肩などを揉んで一時近くになってから起き上がる。母親はすでに仕事に行ったらしい。トイレに行って用を足してくるとそのまま上階には行かず、室に帰ってコンピューターを用意した。ウェブを覗いたりEvernoteで今日の記事を作ったりしたあと、食事へ。
- 冷やし素麺というのか何というのか、冷やし中華の素麺バージョンみたいなものが冷蔵庫に作られてあったので、感謝していただいた。(……)
- 食後は講師アンケート構成案及び教室会議案などを考えながら風呂を洗う。一応こういう感じでやったらどうですかというのを簡単な文書として拵えて(……)さんに提示しようかと思っているのだが、面倒臭いし頭のなかで詰めきれていない部分もあるのでいますぐ取り掛かる気にはならない。一〇月の何日に会議をやる予定なのかわからないが、まだ多少時間はあるので追い追いで良いだろう。緑茶とともに帰室するとFISHMANS『Oh! Mountain』を流してここまで書いた。
- その後、BGMをJohn Mayer『Where The Light Is: John Mayer Live In Los Angeles』(Disc 2)に繋げながら2020/9/10, Thu.を綴っていると携帯が震え、表面の表示を見れば職場であり、なおかつ振動が続くので電話である。これは急遽出勤の要請だなと当たりをつけながら音楽(#2 "Slow Dancing In A Burning Room"の途中だった)を止めて出ると果たしてそうで、講師がひとり体調が悪くなってしまったので代わりに一コマ頼みたいと言う。了承。(……)さんは恐縮し、お願いばかりしていてすみません、この恩返しはいつかしますと言うので笑った。講師が足りなくなったのは二コマ分なわけだが、一コマはほかの人に回してこちらの割り当てを遅い時間の一コマだけに収めてくれたのがありがたい。昔だったら休日に出勤要請をされたら倦怠に支配されたり虚しくなったり怒りを覚えたりしていただろうが、もはやそんなこともない。
- 昨日の日記を仕上げて投稿したのち、歯を磨くあいだだけ一年前の記事を読み、それから音読。今日も「記憶」は面倒臭かったので一一八番を一回読んだだけで済ませてしまった。そうしてベッドに移って三宅誰男『双生』(仮原稿)を読む。「波のまにまに接近するそのひとときを見極めて勇敢な跳躍を試みる腕白ややんちゃも少なからずいたが、せいぜいが三つ四つ続けば上出来という中で仮に七つ八つと立て続けに成功することがあったとしてもどこに辿り着くわけでもないという現実の困難に直面すれば、その意気も阻喪せざるを得ず、慣れない夜更かしに疲れた者から順に、或る者は女中におぶられて、或る者は年長者に手を引かれた二人揃っての格好で、耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする寝床の敷かれた自宅へと去っていった」の一文に含まれた「耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする(寝床)」という修飾がなんか気になった。挿入感が強いというか、英語を読んでいるときに関係代名詞のいわゆる非制限用法で長めの情報が差しこまれているのに行き逢ったときと似たような感覚を得た気がするのだが、ただべつにこの箇所は後置されているわけではない。「耳を澄ませば自ずと蘇る」という言い方で、子どもたちが寝床に就いたあとの時間を先取りし、なおかつその時点から(「蘇る」と言われているとおり)過去を想起する動きまでも取りこんでいる往復感が、英語で挿入句と主文を行き来するときの迂回感に似ていたということだろうか。
- 「分かつ力のゆく果てに待ち受けていた神隠しだった。傷口ですら一晩のうちに揃いのものとする妖しい宿縁を有する子らともなれば、失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言い方はちょっと奇妙だというか、語り手の立ち位置に困惑させられるところだ。この話者はいったい誰の視点と一体化(あるいは近接)しているのだろうか? と感じさせるということで、いわゆる「神の視点」と言ってしまえば話はそれまでなのだが、事態はそう単純でもないだろう。このすぐあとで明らかになるが、死んだ祖父を送る小舟に乗って運ばれていった双子の片割れは、その失踪に気づかれないのでもなく忘れ去られるのでもなく、その存在がもとからこの世界になかったかのように失われるのだから、家の者や町の人々はそもそも「神隠し」を認識していないというか、端的に彼らにとってそんなことは起こっていないわけで、したがって「失踪に続く失踪」について「根拠」をうんぬん判断できるわけがない。ところが上記の文では双子が「子ら」と呼ばれているように、この視点の持ち主は双子が双子であったことを知っているし、「妖しい宿縁を有する」という風に彼らをまとめて外側から指示しながらその性質について形容してもいる。「神隠し」が起こったことを知っているのは残されたほうの「片割れ」である「彼」か、あるいはこの物語をここまで読んできた読者以外には存在しない。そして「彼」自身が自分たちを「妖しい宿縁を有する子ら」として捉えることはなさそうだから、話者はこの部分で明らかに(純然たる)読者の視点を召喚しているように思われる。「失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言葉は、その身に降りかかる運命をまるごと共有する双子において、第一の失踪に続いて第二の失踪が起こるに決まっているという読み手の予測に対して向けられた牽制のようにも感じられる。
- とはいえ、この物語の主人公の座はここに至って明確に「彼」ひとりに集束させられている。したがって、片割れの運命を追って「彼」までもがこの世から「失踪」してしまっては、作品はすぐさま終わりを迎えてしまうということに読者もすぐさま気づくだろう。だからわざわざ先回りして読み手の予測に釘を刺す必要はないような気もするのだが、そう考えてくるとこの一文はむしろ、読者というよりも、この物語の文を書き綴る作者(語り手や話者ではなく、作者)の手の(そして思考の)動きの跡のようにも感じられてくる。つまり、作品のこれまでの部分にみずから書きつけて提示した「運命を共有 - 反復する双子」というモチーフの支配力、みずからが書きつけたことによって力を持ってしまった物語そのものの論理に書き手自身が抵抗し、そこから逃れてべつの方向に進むための格闘の痕跡のようにも見えてくるということだ。たぶんのちほど下でも多少触れるのではないかと思うが、(……)さん自身もブログに記していたとおり(『双生』は、「ここ数日ずっと『金太郎飴』を読んでいたために磯崎憲一郎的な文学観にたっぷり染まっていたはずであるにもかかわらず、それをしゃらくせえとばかりにはねつけるだけの強さをしっかりもっている」)、テクストや物語に対してあくまで対峙的な闘争を仕掛けるというこうした姿勢を、保坂和志 - 磯崎憲一郎的な作法(それは物語に対して「闘争」するというよりは、「逃走」することに近いものではないだろうか)に対する身ぶりとしての批評と理解することもできるのかもしれない。もっとも、保坂 - 磯崎路線もまたべつの仕方で物語と「闘争」していると言っても良いのだろうし、それを「逃走」的と呼べるとしても、物語から逃れようとしたその先で彼らは今度は「小説」と「闘争」している、ということになるのかもしれないが。
- 語り手の位置の話にもどって先にそれに関してひとつ触れておくと、「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣のためにか、未だ大福のように白く清潔に保たれているその肌の瑞々しさばかりは生娘らしく透き通っていたものの、盛り上がった頬骨の縁に沿って落ちていく法令線は、微笑ひとつ湛えぬその面にも関わらず指で強くなぞられた直後のようにくっきりと跡づけられていた」という箇所でも話者の立場が気になった。「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣」という一節のことだが、この文が書きつけられているのはフランチスカが二年ぶりに「彼」の前に現れて二度目の邂逅を果たしたその瞬間であり、そしてこの場面には「彼」とフランチスカの二人しか存在していない。フランチスカは「彼」の妻候補として二年前に三日間、屋敷に滞在したが、言葉も通じない「彼」と仲を深めたわけでもないし、そもそも「その間フランチスカと彼は一語たりとも言葉を交わさなかった」し、記述からして二人が一緒に出歩く機会があったわけでもなさそうなので、「彼」がフランチスカの「習慣」を知ることができたとは思われない。したがって、ここで話者は明らかに「彼」の視点とその知識を超えており、語り手固有の立場についている。この作品の話者は基本的に物語内の人物にわりと近く添って語りを進めるように思うのだけれど、ところどころで誰のものでもないような視点にふっと浮かび上がることがある。それをいわゆる「神の視点」と呼ぶのが物語理論におけるもっとも一般的な理解の仕方だと思うのだが、そんな言葉を発してみたところで具体的には何の説明にもなっていないことは明白で、とりわけこの作品だったら語り手は(全知全能か、それに近いものとしての)偏在的な「神」などではなく、ときにみずから問いを発してそれに答えたり答えなかったりもしてみせるのだから、語り手としての独自の〈厚み〉のようなものを明確にそなえている。それを「神」と呼ぶならば、欠陥を抱えた「神」とでも言うべきだろう。
- あと、上に引いた箇所についてべつの事柄に短く言及しておくと、「スカーフ」という語もちょっと気になった。つまり西洋語(異国語を表記したカタカナ)がここではじめて登場したのではないかと思い、漢字を豊富に用いて固めてあった文体中のその闖入感に、ここで出してしまって良いのかなと感じたのだが、正確にはそれ以前に「シャツ」という語もすでに導入されてあった。この先どれくらい異国語が書きこまれているのかもちろんまだ知らないのだが、だんだん作中に増えてくるのだとすれば、西洋人がはじめて物語に現れたこの時点で西洋語も同時に差しこんでおくというのはむしろ適切なタイミングなのかもしれない。
- 「果たされたのはいわば、似姿を失うことで自らの姿形が止むを得ず描き直される、そのような改まりであったのだろうか? そうではなかった。むしろ、自らの姿形そのものと見なしていたものが視界から消え去ることによって、その視界の所有者こそが他ならぬ己自身であったことを初めて感得するに至る、そのような改まりであった。無我夢中で攀じ登りつつあった石垣から両手をいきおい離したのも、あるいは自らの実存が視界の外側ににべもなく弾き出されてしまったその弾みによってであったのかもしれない」という記述はたぶん精神分析方面に絡めた読解(理解)をするならば材料として使われる部分だと思うのだが、鏡像段階理論などよく知らないし理解していないので、こちらにその知見と力はない。
- 以下の一段落の語り方はとても良い。
血は水よりも濃く、水は血よりも速く、いずれにせよその流れの容易いはずがなかった。水の中の虜囚となった片割れの、彼と等しく歳月を経て儚くも精悍な顔つきとなっていくのを覗き込むたびに、一列に並んで水路を静かに運ばれていく小舟の夜の情景が蘇った。夜の往路にせよ明け方の復路にせよ、決して振り返ってはならぬとする遺族の戒めは、なるほど、一家を乗せて列をなしていた舟の上でこそ確かに遵守されていた。だが、運び去られていく片割れに向けた最後の一瞥はどうだったろうか? 果たしてあれをもって掟破りではなかったかと言い切ることができるだろうか? 回顧を重ねる彼の内心で疑いばかりが否みがたく育まれつつあった。石垣を攀じ登りながらも何気なく後ろを振り返ってしまったあの一瞬にこそ全ての責があるのではないだろうか? 禁忌を踏みにじる振る舞いが神仏の怒りを買い、死者の孫息子までをもこの世から隠すに至ったのでは? およそ道理に適わぬひとつの疑いに対しては、ますます道理に適わぬ別の疑いがぶつけられた。確かに結ばれてあるはずの辻褄を次から次へと解きほぐしていく底抜けの問いを前にして、新たな結び方も見出せぬままひとえに混乱を重ねていくだけの毎日、振り返ろうとしても遡ろうとしても曖昧に煙に巻かれてしまうてんで見極めのつかぬ水浸しの記憶にそれでもなお執拗に食い下がっては、正しい線引きを施そうと回顧の目を凝らし続ける誰そ彼時の日課であった。あるいは、そのような日々の営みもまた、遺族の禁忌をじかに踏みにじる冒涜的な振る舞いではなかっただろうか? 振り返ることが禁じられているのだとすれば、なるほど、回顧を習慣とする彼ほどの罰当たりも他にはいなかった。応報は神隠しとして顕れる。ならば今度は誰が姿を隠すことになるのか? 彼は今一度振り返った。誰もいなくなってなどいなかった。そこにはフランチスカがいた。
- 二つ上に引いた「果たされたのは(……)」のあとから、「神隠し」の夜の場面に立ち戻って「彼」の行動が語り直されたのちに上の段落に入るのだが、語り直しによる物語内容の拡張もしくは重層化を経て最終的にフランチスカの突然の登場に至る流れがとてもうまいと思う。しかも、この登場はのちになって、「彼」がある日の夕方に水路を前にして習慣的な物思いに耽っていたときの個別的な一場面だということが明らかになるというか、つまり上記にも引用したフランチスカとの二年ぶりの邂逅の瞬間に繋がっていくのだが、この段落の最後に書かれている「彼は今一度振り返った。誰もいなくなってなどいなかった。そこにはフランチスカがいた」の時点では、(これ以前に語られている彼の物思いが「日課」「習い」として提示されているわけなので)まだ具体的な時空に限定されきらないというか、どこでもないような時と場として形成されたひろがりみたいなものがあり、演出的にかなり決まっていてうまいと思う。
- 今日のところまで『双生』を読んできてこちらに際立って感じられたのは端的に語りの卓越性であり、物事を提示する順序、情報の配置によって生み出される展開の整え方がうまく、ひとつの場面をどこまで語っておいてあとでどこから語り直すかというようなバランスが優れており、全体に物語が通り一遍でない動き方で、しかしきわめてなめらかに流れている。象徴的な意味の領域にも色々と仕掛けが施されているのだと思うけれど、それを措いても単純に物語としての面白さが強く確保されているということで、起こる出来事もそれ自体として面白いし、ごく素朴に次はどうなるのだろうと思わせて誘惑する魅力が充分にある。上にも言及したけれど、文体の面でも語りの面でも意味の面でもきちんと作品を作りこんでいこう、しっかり成型して道を整えていこうというこの姿勢は、磯崎憲一郎的な文学観、つまり言語(テクスト)自体の持つ自走性に同化的に従おうとするというか、すくなくともそれをなるべく引き寄せていこうというようなやり方に強力に対抗しているのではないか。磯崎憲一郎(ならびに保坂和志)は、作者(人間)よりも小説そのもののほうが全然偉くて大きい、みたいなことを言っていた記憶があり、それもまあもちろんわかるのだけれど、『双生』はあくまで人間主体として小説作品に対峙し、交渉し、できるところまで格闘しようというような、高度に政治的とも思えるような実直さが感じられる。ロラン・バルトの用語を借りれば、いわゆる「読みうるテクスト」を、つまりもはや書くことはできないはずの作品を、しかしどういうわけか書いてしまい、更新するような試みと言っても良いのではないか。ただそういう風に〈だけ〉理解してしまうと、これは非常にスタンダードな振舞いというか、小説家のあり方としてむしろ正統を真っ向から引き受けて継ぐ路線だろうし、いわば一九世紀的な古典に回帰するというような短絡的な反動に寄ってしまう気もするので、もうすこし考えなければならないところはあるはずだが、とはいえ保坂 - 磯崎的姿勢も、思想方面で言えばいわゆる構造主義以後、文芸方面で言えばいわゆるヌーヴォー・ロマン以後の典型と評価しておそらく間違いはないものなのだろうし、それらを踏まえた上でどのように〈もどり〉、どのように道をひらいていくかというのは、思想においても文学においてもこれからの作家が取り組まなければならないひとつの大きな課題となるのだろう。
- 六時前まで読んで上へ。父親に急遽仕事になったと伝え、洗濯物を少々畳んでから食事。食事は父親が炒め物を二種作ってくれていたが、それはあとに回して豆腐とおにぎりとごく少量のカレードリアと、タマネギを肉で包んだものを食べる。豆腐には鰹節と生姜を乗せて麺つゆをかける。こちらがものを食べているあいだ、父親は何やらテレビの裏を掃除していた。
- 食後は洗濯物の残りを片づけて下階に行き、歯磨きのあいだだけ(……)さんのブログを読んだ。そうしてFISHMANS "感謝(驚)"のなかで服を着替えて出発へ。玄関を抜けた瞬間から風が走って隣の敷地の旗が大きく軟体化しており、道に出ても林の内から響きが膨らんで、その上に秋虫の声が鮮やかともいうべき明瞭さでかぶさり曇りなく騒ぎ立てていて、歩くあいだに身体の周囲どの方向からも音響が降りそそいで迫ってくる。坂の入口に至って樹々が近くなれば、苛烈さすら一抹感じさせるような振動量を呈し、硬いようなざらついた震えで頭に触れてきた。
- もはや七時で陽のなごりなどむろんなく、空は雲がかりのなかに場所によっては青味がひらいて星も光を散らしているが、普通に暑くて余裕で汗が湧き、特に首のうしろに熱が固まる。髪を切っておらず、襟足が雑駁に伸び放題だからだろう。駅に着いてホームに入ると蛍光灯に惹かれた羽虫らがおびただしくそこら中を飛び回っており、明かりのそばに張られた蜘蛛の巣など、羽虫が無数に捕らえられてほとんど一枚の布と化しているくらいだった。
- ハンカチで汗を拭って電車を待ち、乗ると座ってメモ書き。(……)で降りて職場へ。(……)
- (……)退勤は一〇時半となった。なんて勤勉なんだろう。しかしこんな時間まで働かなければならない世界は明確に間違っている。はやく全地球的にベーシック・インカムを実現してくれ。駅に入ると電車に乗り、固まった首をひたすら揉みほぐしながら到着を待つ。
- 帰路の印象は特にない。帰るとやはり汗で肌が湿っていたので服を脱ぎ、帰室すると今日は休まずすぐに食事へ。新聞を読みつつものを食べていると、ソファに寝そべって多少うとうとしながらテレビを見ていた母親が、入道雲の入道ってなに、みたいなことを訊いてきて、坊さんのことでしょ、道に、仏道とかに入った人ってことでしょ、平清盛なんかも出家したからなんとか入道って呼ばれてなかったっけと答えたが、たしかに言われてみれば、なぜもくもくとした雲を指すのに「入道」の語を使うのかわからない。それで調べてみてよと頼んだところ、母親はスマートフォンに向かって、入道雲はなんで入道っていうんでしょう、教えてください、とか声をかけて、それに応じたAIがところどころイントネーションの揺らいだ女性の音声で何とかのたまうのだが、それは「入道」の語を雲に用いる由来ではなくて「入道雲」そのものの定義的な説明でしかなかったので、こいつ肝心なことに何も答えてねえじゃんと言って笑った。しかしいまはあんな風に、訊けば機械が情報を読み上げて答えてくれるような事態に至っているわけだ。実際そういう場を目にしたのははじめてだったので新鮮ではあったが、だからといってべつにとりたてて便利だとは思わない。ともかくAIはまだ求める答えをくれるほどの精度をそなえてはいないようだったのでこちらがスマートフォンを借りて普通に検索したところ、入道雲のもくもくした形が坊主の剃髪した禿げ頭に似ているからというのがひとつの解であり、加えて「入道」から派生して坊主頭の妖怪をもその語で呼ぶようになったらしく(大入道とか見越し入道とかいうのがいるらしく、海坊主も別名は海入道だ)、その妖怪の巨大なイメージも重なっているのではないかという話らしい。
- 夕食中にはまたテレビでドラマがかかっており、新聞を読んでいる途中でふと気づいて目を向けてみると、なんか白っぽい金髪をライオンの鬣みたいに頭の周りにそなえた少年が、なぜか戦時中みたいに薄汚れた兵隊服を着た男性(博多華丸)になんとか訴えかけているところだったのだが、その演技というか声があまりにも平板で、仮にもテレビで流して人目に触れさせる正式な作品として、これでいいの? と思ってしまった。大きな声で感情的に叫ぶところなので、作法としてはむしろ大仰さに属する場面なのだが、その叫びの調子が本当にただがなり立てているだけというか、声色にせよ発語にせよ見事なまでにまっすぐな一本調子で、大げさに感情的であるにもかかわらず抑揚のない平板なわざとらしさに結実しているという、もしかしたらある意味で珍しいのかもしれない事態を目撃することになったのだ。短くいえば端的にものすごく大根役者だったということなのだが、そういういわゆる「熱血バカ」的なキャラクターとして造型されているにせよ、制作側はあんな調子で本当に良いと思ったのだろうかと疑問を禁じえない。
- そのあと入浴し、湯のなかでひたすら首やら肩やらを揉みほぐして時間を使い、出てくると帰室してこの日の日記を綴ったのだが、『双生』の感想を書くのに時間がかかってしまい、二時間四〇分ほど費やしてもそこまでしか記せなかった。それからインターネットを閲覧して、五時前にベッドに移るとジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)をいくらか読んでから就寝。書抜きができていないのがよろしくない。