2020/9/15, Tue.

 二十世紀の倫理は怨恨[ルサンチマン]のニーチェ的な克服をもって始まる。過去にたいする意志の無力に抗して、いまでは取り戻しようもなくかつてあったものとなってもはや欲することができなくなってしまったものにたいする復讐心に抗して、ツァラトゥストラは、後ろ向きに欲すること、すべてが反復されるよう望むことを人間に教える。ユダヤ - キリスト教的な道徳にたいする批判は、二十世紀にあっては、過去を完全に引き受ける能力、罪をやましい良心からきっぱりと解放される能力の名のもとに、果たされる。永遠回帰とは、なによりもまず、怨恨[ルサンチマン]にたいする勝利であり、かつてあったものを欲する能力、あらゆる「このように在った」を「在ることをわたしはこのように欲した」に変容させる能力、つまりは運命愛(amor fati)である。
 これについても、アウシュヴィッツは決定的な断絶を告げている。『悦ばしい知識』のなかでニーチェが「もっとも重い重荷」というタイトルをつけて提案している実験のまねをしてみることにしよう。すなわち、「ある日、もしくはある夜」、悪魔が生き残りのかたわらに這い寄ってきて、かれにこう尋ねるとしよう。「おまえは、アウシュヴィッツがもう一度、そしてさらには数かぎりなく回帰して、収容所のどの細部も、どの瞬間も、どんなささいなできごとも、永遠にくり返され、それらが起こったのとそっくり同じ順番で休みなく回帰することを欲するか。おまえはこれをもう一度、そして永遠に欲するか」。実験をこのように単純に組み替えてみただけでも、それをきっぱりとはねつけ、こんりんざい提案できないものにするのに十分である。
 しかしながら、アウシュヴィッツに直面して二十世紀の倫理がこのように挫折するのは、そこで起こったことが残酷すぎて、だれもそれをくり返すことを欲することができず、それを運命として愛することができないからではない。ニーチェの実験においては、恐怖ははじめから計算に入れられており、悪魔の聞き手におよぼすその実験の最初の効果はまさに「こう語りかけた悪魔にたいして歯をむいて呪う」よう聞き手を仕向けるというものである。かといって、ツァラトゥストラの教えの失敗は、怨恨[ルサンチマン]の道徳をただ単に再興させることを意味するわけでもない。犠牲者にとって、その誘惑は大きいにしてもである。たとえば、ジャン・アメリーは「起こってしまったことは起こってしまったことだと認めて受け入れる」(Améry, J., Un intellettuale a Auschwitz, Bollati Boringhieri, Torino 1987., p.123)ことを単純に拒否する正真正銘の反ニーチェ的な怨恨[ルサンチマン]の倫理を定式化するにいたった。

支配的な実存範疇としての怨恨は、わたしの怨恨について言えば、個人の歴史的な長い進展の結果である。〔……〕わたしの怨恨は、罪人にとって罪を道徳的な現実にするために、かれに自分の悪行の真実を突きつけるために、実存する。〔……〕わが身に起こったことについての省察にささげられた二十年をとおして、わたしは、社会的圧力によって引き起こされる免罪と忘却が不道徳なものであることを理解したと思う。〔……〕じっさい、自然的な時間感覚は傷口が癒着する生理学的過程に根ざしており、現実についての社会的表象に関与するにいたっている。まさにこの理由により、その感覚の性質は道徳外のものであるだけでなく反道徳的である。あらゆる自然的な事象にたいして同意を表明しないこと、ひいては時間によって引き起こされる生物学的な癒着にたいしても同意を表明しないことは、人間の権利であり特権である。起こってしまったことは起こってしまったことだ。この文句は、真理であるとともに、道徳と精神に反している。〔……〕道徳的人間は時間の停止を要求する。わたしたちの場合、それは罪人をその悪行の前に釘づけにすることである。このようにして、時間の道徳的な逆行が起こってはじめて、罪人は自分に似た者としての犠牲者に近づくことができる。(pp.122-24)

 プリモ・レーヴィには、こうしたものはまったくない。たしかに、かれはアメリーが内輪でかれに付けた「赦す人」というあだ名を拒否する。「わたしには赦す性癖はなく、当時のわたしたちの敵のだれも赦したことはない」(Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991., p.110)。しかし、アウシュヴィッツが永遠に回帰するのを欲することができないのは、かれにとってはまた別の根拠をもっており、その根拠は起こったことの新しい前代未聞の存在論的内実を含んでいる。アウシュヴィッツが永遠に回帰するのを欲することができないのは、それは起こることをけっして止めておらず、つねにすでにくり返されているからなのである[﹅一文]。(……)
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、132~134)



  • 一時ごろ、意識が本格に浮上した。例によって脚や腕を伸ばしたり、首周りを揉んだり、「胎児のポーズ」で停まったりしてから起床。ゴミ箱と古い新聞、急須に湯呑みを持って上階に行き、ゴミを始末して食事。五目ご飯やキノコと豆腐のスープなど。大学芋なんていうものを久しぶりに食った。新聞は菅義偉自民党総裁に選出されたことを伝えており、「たたきあげ」だとか「苦労の人」だとかいうことが諸所で強調されている。一面下の小欄では、その経歴に「共感」を覚える国民も多いのではないかと書かれてあったが、仮に国民のうちの一定数が菅義偉に「共感」を抱くとしても、菅義偉のほうが国民に対して「共感」を覚えるかどうかは不明だし、そもそも「共感」を媒介として政治を捉えることが適切なのかどうか、望ましいことなのか否かも疑問ではある。国際面には韓国正義連の尹美香が在宅起訴されたとの報があり、この件でいわゆる元慰安婦に対する支援活動はめちゃくちゃダメージを受けるというか、もうほぼ終わってしまったんではないか? という気すらする。
  • 食後は風呂を洗ってからアイロン掛け。そのあいだ母親はソファの上で、ユニクロのパーカーを収納する小さな袋をメルカリに出品していた。アイロン掛けを終えるとその肩や肩甲骨のあたりをちょっと揉んでやり、そうして緑茶を用意して帰室。コンピューターを点けてLINEを覗くとTからメッセージが入っており、二八日はTDが東京にもどってくる貴重な機会だから良かったらK家に来てくれとあったので、労働だが明日室長に交渉してみると返しておいた。それでFISHMANS『Oh! Mountain』を流して今日の日記を書き出した。ここまで記すと三時半。今日は立川に出る。図書館の返却日なのだ。
  • ベッドに転がって三宅誰男『双生』(仮原稿)を読んだ。語り口がやはり独特だなあという感じで、何が独特なのかよくわからないが、たとえば「何とも半端な彼の態度の何とも頑ななその徹底を隠れ蓑として」という箇所を読んだときに、この「何とも」に引っかかったというか、三人称の小説の地の語りでこんな言い方はあまりしないのではないかという気がした。それを措いても全体にほかで見ないようなリズムで作られている印象で、例の長々しい修飾ももちろんその大きな構成要素ではあるのだろうが、問題はそれだけではないだろうし、それに今日読んだ部分にはそこまで長い修飾は出てこなかったような気がする。要するに固有の文体が明確にあるということなのだろうけれど、この作品の場合、「文体」というよりもなぜか「語り口」と言いたい気がする。
  • メモ。「彼にとって確かなのは去った片割れであり、現れたフランチスカであった。去りもせず現れもしない者らは皆ことごとく、去る者が去り現れる者が現れるその瞬間を自らの不動不変をもって浮き彫りにする、ほとんど書き割りじみた存在でしかなかった。関係とは彼にとって、いわば幽霊と取り結ぶものであった」。
  • 「自分自身のものとは似ても似つかぬ黄金色の頭髪」。「自身との隔たりに基づき造形されたかのような似ても似つかぬその姿」。「犬のように睦み合うには、あまりにも懸け離れた二人だった」。
  • 「誰も彼女の名を呼ばず、彼女もまた誰の名も呼ばず、それでいて一切がつつがなく果たされる暮らしであった」。「自らの発音に不備があったのかと疑いながら男は改めて同じ言葉を、しかし今度は敬称つきの彼女の名を宛名のように付した上で繰り返した。平生に復していたフランチスカの眉根が再び、先とは打って変わっていかにも苦しげに持ち上がったのはその直後だった」。
  • 「はっとして振り返ると、あるべき姿がなかった。振り返れば隠されるの謂いが、ここに至ってさらなる裏打ちを得たのだろうか? そうではなかった。彼の傍らを擦り抜けていつの間にかその前に踏み出していたらしいフランチスカの、座卓を挟んだ学生に向けて今にも飛びかからんとするほどの勢いで何やら猛烈にまくしたてている後ろ姿が、改めて前方に向き直った彼の視界を半ば以上塞ぐ距離で立ちはだかっていた」。
  • 「彼の、一日の大半をフランチスカと共に六畳に立て籠もって別室との交渉をほとんど持たず、何をするわけでもなくただ息を潜めて時をやり過ごす蛹のような暮らしは、外界から隔てられて半ば孤立している山間の有様に等しかった」。「陸路でもなければ水路でもなく、地形の隔たりなど歯牙にもかけず眼下の地上を余すところなく地続きと見なす空路をこそ侵入経路とする世界史的現実は、およそ目に見える隔絶全てを無化しかねぬほど厚かましく、ほとんど暴力的なまでに公平であった」。「山間が祝福すべき孤立を奪われたのと時を同じくして、二人は祝福すべき合一の赦しを与えられた」。
  • 「思い通りにならぬ事の次第にたちまち癇癪を起こしてみせるいかにも一人っ子らしい振る舞いではないかと顔を顰める者らの、道楽者の嫡子が何もない狭苦しい部屋にいつまでも引き籠ってなどいられるはずもないとする高を括った予想を裏切り、季節を幾つも跨いで続くことになる長い蟄居の日々のこれが遥かな始まりとなった」: こういう後挿入的な「これが」の使い方とそれによって生まれるリズムは好きである。
  • 「東の山が赤々と燃えるのを目の当たりにして初めて、山間の住人らは海を隔てた大国との開戦の火蓋が切られたことを知った。いや、そうではなかった。開戦の火蓋はとっくの以前に切られていたのだった。俗世の悪報は大小に関わらず全て対岸の火事だとばかりに打棄ってそれで終いとする、隔絶に胡座を掻き斜陽に開き直るあの不遜な流儀のために、浮世離れの謗りも恐れず今の今まで演じられていた太平であった」: 「浮世離れの謗りも恐れず今の今まで演じられていた太平であった」という文末が気になった。これは英語で言うところの名詞構文的な書き方というか、つまり大抵は、「浮世離れの謗りも恐れぬ太平が今の今まで演じられていたのであった」というように尋常な主述の順序で書かれる気がするのだが、ここでは述部(「今の今まで演じられていた」)が主語(「太平」)に対する修飾に回されて、文が名詞で終わる形になっている。これは一技術としてこちらもいずれ使う機会があるかもしれない。
  • 以下の部分は良い。

 (……)親族一同揃っての夕餉までに残された時間を二人は、晴れて好きなだけ歩きまわることのできるようになった屋外の、久方ぶりとなる空気を目出度く味わいながら過ごした。かつての習いをまるで二人してなぞるかのように水路に沿うてそぞろ歩きしていると、水の中に墨をひとしずくずつ垂らしていくように暮れていく辺り一帯の気配に抗うようにして鋭く引き絞られつつある痩身の西日が、立ち並ぶ蔵造りの向こうから僅かな間隙を縫って射し込む一本の長槍となり、傍らに立つフランチスカの髪を真っ白に磨き上げた。日差しは彼の足元に落ちてそのまま水路を斜めに一跨ぎし、その向こうにぽつねんと鎮座している石の祠の、まだ火のついている線香の先端を断ち落とす角度で真っ直ぐ伸びていた。そこからさらに幾らか上手に位置する水際には、桶を手にして突っ立っている一人の老婆の姿があった。緑色の藻の蔓延っているために映じるものも映じぬその辺りの淀みに向けて、老婆が手にした桶の中の物を思いのほか機敏な動作でぶち撒けると、睡蓮の上で羽根を休めていたらしい小さな羽虫らが一斉に飛びたった。飛びたったものらのそれでいて三々五々に去るわけでもなく、いつまでも落下しない飛沫のようにきらきらと瞬きながら水面近くに留まっているその傍から、ゆっくりと切り開かれていくものがあった。ぶち撒けられたものの余波を受け、不可視の舟が澪を引くようにして退けられていく藻の、その向こうから露わになった水面に柳の木の長い影が細かく打ち震えながら映じはじめると、その影の上をやがて、冬には珍しい派手な色をした花弁がくるくると回りながら二つ三つと流されてくるのが見えた。目に見えない障害物を避けるようにして時折身を捩りながらぷかぷかと運ばれてくるものの、実際は花弁ではなくどうやら野菜屑であるらしいのが眼前を通り過ぎていくその一部始終を、彼はまるで予めそうすることを約束していたかのように、傍らのフランチスカと共に黙って見守り続けた。眺めるべきものを眺め尽くした者は、眺めている自らをもやがて眺めるに至るものである。細かな水泡に取り囲まれて浮かぶ野菜屑の動きは実に緩慢であった。それを眺める者の時間までもが自ずと等しい緩慢さを宿してしまう、ほとんど呪術的なまでに遅々とした歩みを追ううちに、これは既にして余生なのではないかという考えが彼の頭を不意によぎった。傍らにいる女の白髪は見間違いでも何でもないのではないか? 全ては老いて久しい共白髪となったこの身を起点として始まる惚けた回顧の仕業なのでは?

  • なんかこういう風景があればそれだけで自分はわりと満足というか、この箇所で言えば「眺めるべきものを眺め尽くした者は」以降の気づき(啓示)も良いのだけれど、それ以前、「傍らのフランチスカと共に黙って見守り続けた」までの具体的な記述の連鎖だけで、こちら個人の性分としてはもうかなり満足するところがある。結局、こちらが小説作品にもとめているもののうちの大きなひとつは、こういう具体物の描写なのだろうと思う。
  • 一時間ほど読んで起き上がり、歯磨きしながらまたすこしだけ読んで、それから"頼りない天使"のなかで着替え。キャラメルみたいな色をしたPendeltonのチェックシャツと真っ黒なズボン。一度バッグに荷物を入れたのだが、余裕がないので今日はリュックで行くことに。そうして居間に上がると、窓外からは近所の幼子たちが何やら叫び合っている声が何度も響いてくるが、何を言っているのかまったく言語不明というか、そもそも音声としての形すら定かでない。
  • 出発。空気はまるい質感で涼しい。Sさんの宅の前の路上には、ピンク色のサルスベリが相変わらずまぶされていた。坂に入って上っているとオールバックの男性がこちらを抜かしていき、曇り空の裏から落ちてくる無色透明の自然光のなかで、整髪料をつけているらしいその髪の毛が弱い艶を帯びる。偶然にも普段出勤するときとおなじ電車の時間になったのだが、この人はその際にたびたび見かける人間だ。
  • 表通りに出て見渡した空は、東は深く淀んでいるのだが西は雲が薄くて明るめで、水彩的な淡さの青を乗せている。ホームに移れば丘からまだ蟬の声が薄雨のごとく響いてきた。乗った車内には山帰りの人がいくらか見られて、扉際には太い腕を露出した男性がガムを食いながら立っており、乗ったときにはよく見ずになんとなく外国人めいた印象を覚えていたのだが、あとで見ると普通に日本人だった。南空は湿った水色がところどころ滲んであるかなしかの色彩的起伏をなしている淡白な曇天である。背後からは山帰りの人たちが、立川から武蔵小杉……そこから横浜、とか話しているのが聞こえ、横浜って武蔵小杉から行けるんだなとはじめて認識した。この一団は扉際に立った腕の太い人とおなじグループだったらしく、青梅に着く間際にひとりが男性に話しかけて、たぶん「マスター」とか呼んでいたと思う。河辺で風呂がどうのとか言っていたので、「梅の湯」に入って汗を流していくのだろう。
  • 乗り換えて東京行きの車両をたどり、二号車に座を占めてメモをはじめた。それからジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)をひらいたのだけれど、眠気が寄ってきて話にならなかったのですぐに諦め、拝島から目を閉じた。頭が前に傾き落ちては目を覚ますということを繰り返すうちに、一応視界が更新された感じはあった。
  • 立川に到着。階段から人間が消えるのを待っていると、降りてきた女性に、あれも一種のスーツなのか上下合わせてまろやかなチョコレートみたいな茶色の、ジャケットとたっぷりとしたスラックスの装いの人がいて、格好良いなと目を寄せた。上って改札を抜けると、帰宅時なので人は多く、NEWDAYSの前では人波に隠れるようになりながら店員がなぜか「萩の月」を宣伝している。すれ違う人々のなかに女子高生二人がおり、その片方が(……)さんだったようだが、あちらに気づいた様子はなかった。北口広場では連合、すなわち日本労働組合総連合会が演説およびティッシュ配りをしていた。その脇を通り過ぎて歩廊をだらだら行き、歩道橋に出ると眼下ではライトを灯した車の群れが擦過音を立てながらも氷上にあるようになめらかに滑っていき、右方の交差点に向かって一方は赤、一方は白の光点たちが列をなして集まっていて、その上にさらに街のネオンや信号の緑なども添えられている。通路上を前から来る人がやたら多いのは、ビルの集まった区画から仕事が引けて帰ってくる人々だろう。高島屋とシネマシティのあいだを入っていくと、続々と帰路に就く人たちがやって来るが、やはりみんな歩くのがはやいなという印象で、こちらとおなじくらいのスピードで歩を進める人間はおらず、いたとしてスマートフォンを見ながら歩いているためだ。空にはまだ青味が残っており、すぐ近くに突き立ったビルの側面もガラスがその色を写しこんで冷ややかな青に染まっている。
  • 図書館に入るとゲート前にあるジェルを手に取って消毒し、それからリサイクル資料を見た。『大下藤次郎美術論集』という大きめの書を目に留める。全然知らない初見の名前だが、めくってみると「日本水彩画の父」みたいな文言が見られたのでとりあえずもらっておくことにした。いま検索してみたところ、なんと我が青梅にも住んでいたことがあるらしい。ほか、リチャード・H・ブラウン『テクストとしての社会 ポストモダンの社会像』というものもあり、いかにもなタイトルでそんなに期待できないような気もするが、これも一応もらっておいた。
  • ゲートをくぐって右の長い展示棚に並んだ新着図書を見聞する。山本省という人が訳したジャン・ジオノがある。この訳者はシャルル・デュ・ボスの論集も訳していた人だ。次に真鍋なんとかという人の『広島の記憶』みたいなやつ。たしか編著だったか? 広島関連はもう一冊、前回来たときに見たものもあった。続いて崎山多美という人の小説があり、初見の名だが西表島出身の作家らしく、覗いてみるとけっこう面白そうだった。ミシェル・フーコー『狂気の歴史』の新装版もある。装丁やなかのフォントが綺麗になってはいたものの、内容として旧版と変わった点はたぶんないのだろうか? 付録や補遺がいくつかついていたが、これは古い版にももともとあったのだろうか? 新訳をするべきだろうと思うのだが、そんなに大変な仕事をできる人もやりたいという人もなかなかいないのかもしれない。海外文学では水声社のジャック・ルーボー『環』。ウリポ界隈の人らしい。あとは東京大学出版会から出ているパレスチナの本(『インティファーダ』という題だったはず)や、中島隆博が訳した中国の思想の本(法政大学出版局・叢書ウニベルシタスのもので、普遍性を求める、みたいなタイトルだった)や、『幕末江戸と外国人』など。
  • 検索して正確な情報を記しておくと、まずジャン・ジオノの本は『青い目のジャン』というもの。真鍋禎男の本は『広島の記憶』ではなくて、『広島の原爆――記憶と問い』だった。編著でもなかったようだ。もうひとつの広島関連の書は、ラン・ツヴァイゲンバーグ『ヒロシマ――グローバルな記憶文化の形成』。崎山多美の作品は『月や、あらん』で、新装版あるいは復刊だったはず。パレスチナのやつは鈴木啓之『蜂起〈インティファーダ〉: 占領下のパレスチナ 1967-1993』。これは明らかにいずれ読まなければならない本だ。中島隆博の訳書は許紀霖『普遍的価値を求める: 中国現代思想の新潮流』で、ほかにも何人か訳に加わっているよう。『幕末江戸と外国人』は吉崎雅規という人の本だった。
  • 新着図書を見分したあとロラン・バルトを一旦返却し(次回来たときにまた借り出して書抜きを続けなければならない)、書架へ向かう。哲学や宗教の本を見ておこうと思ったのだが、カウンター近くの図書館学や書評本のところで早速ちょっと止まった。高山宏の書評本なんかが多少気になり、目次を覗いていると記事のタイトル内に巽孝之を褒めるような文言が見られた。それから哲学の棚に行って見分。読みたい本、興味を惹かれる本はいくらでもある。西谷修『理性の探求』が置かれていた。あとはやはり日本やアジア圏の思想にも触れていきたいなあという感じで、とりあえず中村元井筒俊彦あたりを読んでみたい。
  • その後伝記の区画やドイツ史の棚もちょっと見てから上階へ。CDを返却しようとカウンターで作業をしている人のところに近づいていくと、その男性が隣を示してそちらに行くようにと誘導したので会釈してそれに従ったのだが、この人はおそらく何かしらの障害を持っている人だったようで、腕が動かしにくいような様子だった。動かしにくいというか、いくらか曲がった状態で固まっているような感じだったのかもしれない。それでCDを返却すると文庫の新着を瞥見し、ついでに文庫棚の宗教関連の書もチェックしたが、意外と数が少なくて、これだったら宗教系は青梅のほうが面白いものがあるのではと思われるくらいだった。
  • 今日は何も借りずに退館。宵の歩廊を行くと、シネマシティのビルに光るネオンの化学的な色が、歩廊を縁取る石造りの壁の上面、手すりの取りつけられた表面にかかって反映している。空はもはや青味を失い暗んでいるので、先ほどは青かったビルも夜空の侵入を受けていまは黒く沈んでいる。歩道橋へ出ると、行きはなんともなかったのになぜかこのときは緊張が湧いており、交差点のほうを見通すのが怖かったので頭を横に動かすことなく、ただ前を見ながら黙々と進んだ。伊勢丹の横で歩廊上からエスカレーターで下の道に移ると、居酒屋の客引きらしい女性がぽつねんと、手持ち無沙汰な様子で突っ立っている。それを尻目にラーメン屋に行き、醤油チャーシュー麺とサービス券の餃子を頼んだ。音楽は今日もまたメロコア的なやつがかかっており、途中でELLEGARDENそっくりみたいな音楽も聞かれたが、もしかするとそのものだったかもしれない。ELLEGARDENをなんだかんだできちんと聞いたことがないので判断がつかない。けっこう腹が減っていたようでラーメンは美味かったのだが、ただ麺が足りない思いを得たので、チャーシュー麺にせず普通のラーメンで麺を増量すれば良かったなと思った。今度そうしてみよう。食べ終えるとちょっと息をついたあと、長居をせずに早々に退店。
  • 駅へ。路地から表に出るあたりで男子高校生が四人、馬鹿話をしているようで手を叩き笑いながらふらふら歩いていくのだが、こちらに負けないほどにのろのろとしてなおかつ締まりのない足取りにせよ、ちょっと太いシルエットでたるんだスラックスにせよ、いかにも男子高校生という感じだ。歩廊に上って駅舎に入ると改札前を過ぎてグランデュオへ。館内に入ると、飯を食った直後でまたちょっと緊張が湧いたのだが、ただそのなかに人がいるからとか他人に見られるからとかいう意識が含まれていないように感じられ、これはパニック障害時代とは異なる点であり、どういう心理的理屈なのかあまりよくわからない。ともあれ慌てることはないと足取りをゆるくして「(……)」へ。なんか生八ツ橋がやたら食いたくて買おうと思っていたのだが、なぜか見当たらなかった。それで母親に頼まれた鎌倉紅谷の「あじさい」というクッキーと、「プティガトー」という多種のクッキーが入った袋と、やはり母親がふりかけを買ってきてくれと言っていたので胡麻のふりかけと、あと緑茶もいくらかあったので、そのなかから「しゃん」という品を選んだ。「うおがし銘茶」という会社のものらしい。
  • 会計を済ませると館内から駅に通り、一番線の電車に乗って書見。ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)を青梅までずっと読み続け、青梅で降りて乗り換えを待つあいだも続行。最寄りに着いて以降、帰路のことはほとんど覚えていないが、自宅のすぐそばに来たところで、またいまもうこの時点に来ているな、という感覚が生じた瞬間があった。現在が意識されるとともに、すぐ先ほどまで確かに自分がそのなかにいたはずの過去がもはやなくなってしまったことに対する驚きの感、すなわちこの世界にその都度現在という時間しか本質的には存在しないことの不思議が思われたもので、これはこちらにおいてよくある馴染みの思念なのだが、このときはさらに、むしろ過去が記憶化されることのほうが不思議なのかもしれないと思った。過去というものを常に既に失われたものとして、仮象として、痕跡としてあらしめることのできる記憶などという脳 - 精神の働きのほうがよほど馬鹿げたものなのではないかと。
  • 帰宅後は日記を書くなどもろもろ活動はしたようだが、特に目立って蘇ってくる記憶はない。ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)からのメモを以下に。
  • 81: 「ファルス的批評に対するフェミニズム批評の側からの批判が豊かな説得力をもつほどに、男性批評家の狭隘で利害に基づいた解釈を分析し、位置づけるフェミニズム批評の見地は、幅広く抱括的なものになる(……)。実際、このレベルでのフェミニズム批評は、ちょうど「女性問題」が個人の自由と社会正義の根本問題の多くにあてはまる名称であるのと同様に、批評における性的抑圧の複雑多岐な現れに敏感なすべての批評に、ひとしくあてはまる名称である」
  • 84: 「ペギー・カムーフの意見では、「〈フェミニズム的〉と言えるのは、ファルス中心主義がみずからの虚構を隠蔽するために身にまとう真理という名の仮面を、曝露するようなテクストの読みかたのことである」(「女らしく書くこと」)。このレベルでの仕事は、男の読みに対抗する女の読みを確立することではなくて、テクストに現れる証拠を論証によって説明し、ある抱括的な展望なり、説得力のある読みなりに到達しようとすることである。このレベルでのフェミニズム批評が導きだす結論は、女としての体験をもっているならば共感し、理解し、同意できるという意味での、女に固有の結論ではない。むしろこうした読みは、男性の批評家も受け容れると思われるかたちで、男性の批評的解釈の限界を証明する」
  • 85: 「フェミニズム理論には第三の局面があって、そこでは男性的なものと理性的なものとの結びつきに異議がとなえられるのではなくて、理性的なものという概念自体が男性の利害と結びつき、それと共犯関係にあることがみきわめられることになる。このような分析のうちで最も鮮やかなもののひとつに、ルース・イリガレイの『鏡、もうひとりの女について』がある。この本は、女性的なものを従属的な位置に追いやり、女の根源的な他者性を単なる鏡像性に還元するために(女は無視されるか、さもなければ男を補足する者とみられる)、哲学的なもろもろのカテゴリーが発達してきたことを、母なる子宮と神性をおびた父なるロゴスを対照するプラトンの洞窟の寓話から出発して、論証しようとする」
  • 88: 「「子供たちとの不充分でゆるやかな紐帯を確認し、緊密化しようとする衝動」のために、男は象徴的な性格をもつ高度に文化的な仕掛けに価値をみいだすようになる。ここで、一般に隠喩(メタファー)的な関係と呼ばれるもの――たがいに代置可能な別個のものの間の類似の関係、たとえば父親と同じ名をもつ小型の複製=子供との関係――が、換喩(メトニミー)的な、近接に基づく母子の関係よりも重んじられる傾向を、予言してもいいのではないだろうか」
  • 104: 「読むことは分裂した非等質なものであって、読みが基点として役だちうるのは、それが何らかの物語として構成されたときだけである」


・読み書き
 15:10 - 15:29 = 19分(2020/9/15, Tue.)
 15:47 - 16:55 = 1時間8分(『双生』)
 17:40 - 17:47 = 7分(カラー)
 19:54 - 20:59 = 1時間5分(カラー: 206 - 227)
 21:25 - 23:04 = 1時間39分(2020/9/14, Mon.)
 24:48 - 25:35 = 47分(2020/9/14, Mon.)
 27:25 - 28:11 = 46分(巽)
 28:12 - 29:17 = 1時間5分(カラー: 80 - 112, 227 - 241)
 計: 6時間56分

  • 作文: 2020/9/15, Tue. / 2020/9/14, Mon.
  • 三宅誰男『双生』(仮原稿): 「そして次にそのことを意識した時」の前まで。
  • ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年): 206 - 241, 80 - 112
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き

・音楽