2020/10/23, Fri.

 ここでの読み〔reading〕は、さまざまな差異を、完全に同定あるいは除去できない別の差異を介して同定・除去する、という手続きにより進められていく。しばしば出発点になるのは二項的な差異だが、そうした差異はさらに把捉困難な差異の働きが生み出す幻想であることがたちどころに明らかにされる。実体間の[﹅2]の差異(散文と韻文、男性と女性、文学と理論、有罪と無罪)は、ある実体がみずからと一致しないこと、すなわち実体内の[﹅2]差異を抑圧することに依拠していることが確認される。だが、あるテクストがみずからと一致しないという事態は決して単純なものではない。つまり、そこには何らかの厳密で矛盾めいた論理が存在し、その効果をある点までは読むことができる、ということだ。したがって、二項対立の「脱構築」は、あらゆる価値や差異を無効にすることではない。それは、二項対立という幻想内ですでに立ち働いている微妙で強力な差異の効果を追跡しようとする試みなのだ。例えば、書き直された韻文詩と二項対立の関係にあるボードレール散文詩は、この散文詩がそうであったと思われるものとはすでに一致しなくなっていることを明らかにしてくれる。しかしながら、二項対立がこの本の中でたとえこうした批評的な鴨〔fall guy〕の役回りを負っているとしても、それは二項対立が是が非でも乗り越えようと努力しなければならないものだからではない。「乗り越える」という衝動そのものが、自身と自身が乗り越えようとするものの二項対立によって構造化されているのだ。決して、批評用語から二項対立を排除するなどということではない。確認できるのは、二項的な差異は人が考えているようには機能しない、ということ、そして、批評的な物語〔the critical narrative〕の中で二項的な差異に降りかかると思われるある種の転覆は、二項的な差異よりも論理的に先行しており、まさにその差異の構築に必要である、ということだけなのだ。差異はいかなる主体の支配をも超えて働き戯れる[﹅5]〔plays〕かぎり、一つの作用[﹅2]=作動[﹅2]〔work〕形式である。つまり、差異なしには、いかなる主体も決して構成されえないだろう。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、ⅻ~xiii; 「緒言」)


  • 何度も目覚めながらも最終的に一二時半を迎える。首の筋がやはりどうしてもひっかかるので、枕をのけて頭をごろごろ動かしたり首の側面を指圧したりする。これはやはり胸鎖乳突筋の問題なのだろうか。あと、両肩を持ち上げるときに首・肩・胸にかけて発生する反発もしくは軋みのようなひっかかりがいつまで経ってもなくならないのも懸案ではある。
  • 一二時四〇分に至って雨がはじまったので、その響きを期に立ち上がり、上階へ。母親は仕事。父親は洗面所で髭を剃っていた。洗濯物が室内にあることを確認し、ベランダに寄って外を見やれば雨はけっこうな勢いである。洗面所から出てきた父親に挨拶し、急須を洗ったり整髪したり用を足したりしたあと、用意されてあったうどんを煮込んだ。ゆで卵もひとつ剝いて入れておき、あとは余りの米で作ったおにぎり。それらを卓に運んで食事を取りながら今日も新聞の国際面を読む。フランスで教師殺害事件を受けてテロ対策が強化されているという話で、パリではサミュエル・パティという犠牲者の教師への追悼式が執り行われたとか。エマニュエル・マクロン大統領は、パティ氏は共和国の「顔」になった、だったか、あるいは(表現の)自由を巡る(もしくはテロリズムに対する?)闘争における「顔」になっただったか、前後の具体的な文言は忘れたのだけれどとにかく「顔」という文言を使って教師を象徴化していたことは確かで、それにはどうしても、うーん、という感じを覚えずにはいられない。マクロン大統領が現場を視察したあとだったかに発言したときも、この事件は共和国に対する攻撃である、みたいなことをはっきり言っていて、もうひとり、どの省庁だったか忘れたけれど政府高官もそれとほぼおなじ文言を使って、とにかく今回の教師殺害は総体としての国家やあるいはフランス国家が擁護する価値に対する襲撃であるという風に二人ともかなり強調的に主張していて、それにも、これは本当にこれで良いのかなあ、と疑問を感じたのだった。エマニュエル・マクロンはたしかポール・リクールの助手をしていたという話で、事件を受けて最初かもしくは初期に発した声明でも、これは我々にとって"existential"な戦いだ、と言っていて、これを即座に「実存的」と訳して良いものなのかどうかこちらには判断がつかないのだけれど、実存主義を踏まえていることはまちがいのないところだろう。そうだとしてこの状況でそうした語を持ち出すことが適切なのかどうかあまり釈然としないし、今回の「顔」にしても、ことによるとレヴィナスを念頭に置いたりしているのかもしれないが、もしそうだとしたらなんかなあ、という気持ちにならないでもない。
  • ナイジェリアでは警察や軍の弾圧に対する抗議をしていた人々に対して警察が発砲し、一二人くらいが死亡して反発が拡大した結果、騒擾に至っているらしい。中台間では中国の動きが活発化していて、戦闘機が中間線というものをたびたび超えて台湾側に侵入しており(中国側は公式の言い分として、「中間線は存在しない」と断言している)、実戦を想定して訓練する段階に入ったのだろうという話。タイでも抗議は続いているし、ベラルーシでも同様。また、イランとロシアが米大統領選に介入しているという情報も。イランは右翼団体プラウド・ボーイズ」を名乗って民主党支持者に対し、ドナルド・トランプに投票しなければ我々があなたをつけ回す、という脅しのメールを送っているとのこと。これはドナルド・トランプの評判をおとしめてジョー・バイデンを当選させようという戦略なのだろう。そういう感じで世界中の色々な場所で、相変わらず穏やかでない状況が起こり、続いているなあという印象だ。米大統領選ではバラク・オバマ前大統領が出張ってきて、はじめて支持者の前に姿をあらわして演説したらしい(車のなかに乗ったまま集まるという、ドライブイン形式なる集会だったようだが)。
  • それから食器を洗い、米を磨いでおいてから風呂洗い。そして緑茶を持って自室へ。FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしてまずここまで記述した。現在二時半。日記は一〇月二〇日の途中まで来ている。出勤までになるべくそれを進めたいところだが、一方でやはりからだを調えやわらげることが絶対的に重要だということが揺るぎない真理として開示されてきたので、柔軟と調身に時間を費やしたいし、今日は音読もきちんとしたい。
  • 三時二〇分あたりまでものを書いてから運動。やはり合蹠をするのが一番効くようだ。肩および首周りは両腕を前後に突き出して伸ばすやり方でカバーできるだろう。そのあと北川修幹[なおよし] "弱い心で"を流しながら歯を磨いた。この人およびこの曲は、以前「(……)」で訪れたことがある綾瀬のスタジオ「(……)」のオーナーであるHという人(Tなんとかという名前でなかったか)がYouTubeにあげているミックス動画のなかで使われていたもので、以前スタジオを訪れるにあたってその動画を見たときにもわりと良い曲だと思っていたのだが、昨日あたりに突然思い出して聞きたくなり、今日検索したのだった。H氏が口にしている固有名詞を頼りにサーチして北川修幹という人物を突き止め、Amazon Musicで検索してみると都合良く "弱い心で"が入ったアルバム(『あいのうた』だったか?)が引っかかった。それで流したのだけれど、これがやはりなかなか良い曲で、甘い感傷を香らせるポップスとしてけっこう絶妙の線をついているような気がする。後半に入る二種類のギターソロもおのおの良い仕事をしている。
  • その後準備を済ませて上階に行くと、父親が今日は何時までかと訊いてきたので一コマと答え、洗面所で手に保湿液を塗り、その上からさらにユースキンもつけておく。そうして出発。玄関の外で軒下から宙に手を差し伸べてみたが、雨粒は触れてこない。そのわりに雨音らしき響きが聞こえるものの、これはたぶん林のなかで水滴が落ちている音だったのだろう。傘を一応持った。かなりよどんで濁った空気の色で、夜よりもかえって暗く感じられるくらいだ。気温はちょうど良く、肌に馴染む。時間はあるので、北川修幹 "弱い心で"を頭のなかに流しながら余裕の足取りである。降るものもいまのところはない。公営住宅前まで来るとアスファルトが水気をいっぱいに吸ってなめらかな表面を見せており、その上にきめのこまかい光が塗られて伸びている。その配置や伸び方や行く方向は、当然だがこちらの歩みにつれて変化する。
  • 坂を上りながら、とにかく調身に力を入れて早起きし、自分の仕事も家事もこなしていかなければなるまいと考えた。やはりからだを柔らかくほぐしてしなやかにし、(血液のだかなんだか知らないが)流れをなめらかに整えることが最重要だ。平静は肉体の問題である。肉がほぐれて血がよく流れていれば精神など勝手に落ち着くし、気力もおのずと出る。
  • 最寄り駅のホームから見た空は暗く濡れきっており、隙なく雲に閉ざされて青いのだけれど、しかしそのなかに赤紫のかすかな切れ端が二つくらいぼうっと浮かんでいる。今日の空では見えるはずもなかった西陽の遺骸というわけらしい。
  • ベンチでメモを取って電車が来ると立ち上がって乗ったのだが、車内で書付けをしているうちに傘を忘れたことに気がついた。駅のベンチの横に立てかけたまま、電車に乗るときに取るのを忘れてそのままにしてしまったのだ。このような失態は久しぶりである。しかしもはやどうしようもない。帰りにまだあったら回収しようと思ったが、さすがにそんなことはないだろうとも見込んでいた。そして勤務後の帰路で最寄り駅に降り立って見てみても、予想通り傘の姿はない。誰かが持っていったか。コンビニの傘とはいえもったいないことをした。あるいは青梅駅に届いているのかもしれないが、それを訊きに行くのも面倒臭いのでまあ良かろうと打ち払った。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • 九時前に退勤して駅で乗車。席に腰を下ろしてメモ書きをする。右手の優先席では若い女性が電話をしており、それが最初は英語だったのだがそのうちに日本語に変わり、そしてまた英語にという調子で二言語を併用していた。そのため日本人だったのか外国人だったのか不明。声の大きさや英語のアクセントは外国人っぽいような気がしたが。なんとなくの印象では大学生くらいではなかったか。友人と電話をしていたと思われ、相手は女性と男性といたような気がする。それで相手によって言語を使い分けていたのかもしれない。
  • 先述したように最寄り駅に傘はなし。階段通路に羽虫がいくらか湧いていたのは、やはり気温が高めということだったのか。帰路の記憶はとりたててない。帰ると手を洗って室に下り、コンピューターを点けて着替え。LINEやslackを確認。LINEには二五日のスケジュールが投稿されていた。川井の釜飯屋に先に行ってから立川にもどり昭和記念公園を訪れたあと、MUさんの誕生日プレゼントを探って買い物、という段取り。こちらは最寄りから正午前の電車に乗れば良い。貼りつけられていた乗換案内の画像を見るに青梅で乗り換えるための時間が一分しかなかったので、五、六号車あたりにいたほうが良い(あまり東京寄りにいると四両編成の奥多摩行きの停まっている位置まで多少歩くことになるから)とかアドバイス。slackにはDonny Hathaway "Someday We'll All Be Free"のライブ版を、最高にすばらしいと言って投稿しておいた。北川修幹 "弱い心で"も紹介したかったがYouTubeにはない。Amazon Musicからダウンロードできる方法を探すも、なんだかよくわからん会社が開発した胡散臭いソフトを買わない限りはできないようだったので諦めた。
  • その他、この日のことで覚えているのはまず夕食時に『A-Studio』に中村倫也が出ていたこと。昔はわりと尖っていたというか、実力や意気や気概の足りないと思われる連中がオーディションに受かって仕事に選ばれるのに不満や釈然としない気持ちを得ていて、それで一時期腐っていたところをムロツヨシによって活を入れられたと語っていた。飲み屋で業界とか他人についての批判や文句ばかり口にしていたところに、ムロツヨシがテーブルをバンと叩いて、それで結局なんなんだ? お前は何をやりたいんだ? どういう演技をしたいんだ? と問いを差し向けてきたのだが、それにこたえられない自分がいた。そのことが悔しくて目を覚まされ、自分の身の振り方というか、結局のところ俺はどうしていきたいのかという問いに向き合うことになり、それを通して覚悟が決まった、みたいな話だ。
  • そのあと何人かの一人暮らしの部屋の様子を画面分割で映す番組が流された。ひとりはショーダンサーの女性、ひとりは和菓子職人の男性、ひとりはなんとかいうお笑い芸人らしき人だったのだが、この三者ともやり方は三様ではあるもののみんな動画配信の類をやっているのに驚いたというか、いまはやはりそういう時代なのだなあとか思った。動画配信やいわゆるYouTuberの真似事など絶対にやりたくない。と言って、この日記もそれらと実際上変わらないというか、むしろ動画配信よりも生活のよしなし事が詳細に語られている分、過激なのかもしれないが。だが、これはもちろん言語だから良いわけである。物理的な身体性(〈肉〉)を持たないテクスト的存在として立ち現れることができるから、公開することが許されるのだ。
  • その他、母親のザッピングの途中でひとときあらわれた爆笑問題の何かしらの番組のBGMが、Thelonious Monk『Solo Monk』中の一曲だった。だが、タイトルを同定できるほどにこのアルバムを聴き込んではいない。
  • アイロン掛けをしたあと入浴へ。風呂のなかで、なぜかわからないがパニック障害時代のことを思い出した。思い出したというか、パニック障害に苦しめられてきた己の来し方を思ったときに、また鬱症状に陥った二〇一八年のこともそうだが、場合によってはそこで自殺に流れていても特別おかしくはなかったわけで、そう考えるとこちらもそれなりに危機というものを超え、渡ってきたのだなと思ったのだ。たぶん誰にもそういったことはあるのだろう。仮に当人が平和に順風のうちに暮らしてきたと思っていても、大小はあれときどきで苦しみのない者など存在しないし、生が生であればどこにも危機というものが、見えなくともあったのだろうと思う。こちらの場合、パニック障害というものはとにかく苦しい。どんな病気でもそうといえばそうなのかもしれないが、パニック障害の症状による苦痛を、その何割かでも想像し理解することは、そのなかに入ったことのない人間には端的に不可能だと思う。なんというか、人間が通常生きていて体験するタイプの苦痛(たとえば怪我をしたことによる物理的な痛みとか、風邪を引いたことによる身体の重さ苦しさとか、嫌なことがあって傷ついたときの精神的苦悶とか)とはちょっと種類が違っているというか、べつの領分に属しているような気がする。精神疾患というものはどれもそうかもしれないが、主体に対して不可逆的な変化を強いる苦しみだ。つまり、それを経験した者は、それ以前の自分にもどることは決してできない、そういう種類の苦痛である。したがって、こちらという人間はパニック障害によってさまざまな面で変容せざるを得ず、その危機に対応していくなかで必然的に新たな主体性を構築していかなければならなかったわけで、それには肯定的な側面もあったのだけれど、だからと言ってパニック障害を負った(負わされた?)こと自体を良かったとか、自分に必要な経験だったとか、有益だったとか、それによってこそいまの自分があるとか、そういう風に捉えるつもりはない。パニック障害にはならないほうが絶対に良い。来世においては絶対になりたくないし、今世の自分もならないほうが良かった(とはいえ、仮にパニック障害に陥っていなかったとしても何かしらべつの形で、やはり主体性の更新を迫るような大きな苦難を通過せざるを得なかっただろうとは思う)。それは間違いないのだが、ただ一方で、パニック障害に苦しみ、ある種の精神的・実存的な(ことによると生命的な)危機を乗り越えてきたということに多少の自負を覚えている自分がいるのだ。そういう捉え方も良くないような気がして本当はあまりしたくないのだけれど、俺もまあそれなりの苦痛を舐めてきた、そこそこの地獄を見て、くぐり抜けてきたという、一種の苦労自慢みたいな自負心めいたものが己の内にあるのを感じる。


・読み書き
 13:58 - 14:31 = 33分(2020/10/23, Fri.)
 14:36 - 15:25 = 49分(2020/10/23, Fri.)
 16:42 - 17:06 = 24分(記憶 / 英語)
 25:28 - 26:01 = 33分(2020/10/20, Tue.)
 26:23 - 27:38 = 1時間15分(2020/10/20, Tue.)
 27:55 - 28:04 = 9分(新聞)
 29:02 - 20:36 = 34分(シラー: 76 - 86)
 計: 4時間17分

  • 2020/10/23, Fri. / 2020/10/20, Tue.
  • 「記憶」: 163
  • 「英語」: 170 - 186
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月4日(土曜日)朝刊: 7面
  • シラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年): 76 - 86

・音楽