2020/10/24, Sat.

 本書全般にわたって関心の対象になるものがもしあるとすれば、それはおそらく、文学ないしは理論の内で未知のもの[﹅5]が立ち働いている、ということの重要性である。未知のものとは断じて否定的=消極的な要因あるいは不在の因子ではなく、往々にして、意味の展開の背後にある不可視の誘導力なのだ。無知、盲目、不確実、誤読といったものの力は、恐るべきものとして認識されていないだけに、しばしば、いっそう恐るべきものになる。文学は未知のものに最も余念のない言説だと、私には思えるのだが、こうした言い方は、通常の理解とはいささか意味を異にしている。「未知のもの」とは知識の限界を超えたもの、われわれが空しく焦がれる到達不可能な点、言語を絶する神聖不可侵の場といったものではない。それはむしろ、X(未知数[﹅3])が代数方程式の連関を可能にするのと同じやり方でわれわれの生を構造化している、見落としや失錯の内に潜んでいる。文学がしばしばわれわれに語っていると思えるのは、未知のものが未知のものとして見られていない、という事態がもたらすさまざまな帰結である。結局、あなたがたを損なう可能性がある――あるいは、ない――のは、あなたがたが知らないものではない。「われわれが生と呼ぶあの永遠の過ち」を紡ぎ出し、もつれさせるのは、それを知らないということを、あなたが知ら[﹅2]ないものなのだ。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、xiv~xv; 「緒言」)



  • おりおりの覚醒をつかめずに一時を過ぎてしまった。昨日は五時半過ぎに消灯でまたちょっと後退してしまったが、明日は正午前の電車で出かけるので、今晩はなるべくはやめに眠りたい。天気は白くさめざめとした曇り。多少腕を伸ばしたりしてから起き上がると、積まれてある本のなかからなぜか金井美恵子の『文章教室』(福武文庫)が目につき、取ってボールを踏みながら、巻末に収録された蓮實重彦との対談を読んでしまった。そうして一時半を回ってから上へ。
  • 両親とも在宅。父親はソファで布をかぶってまどろんでいる。食事は天麩羅や卵の入ったスープなど。温めた天麩羅をおかずに白米を食う。新聞にはとりたてて興味を惹かれる記事は見当たらなかった。テレビは森川葵という女性タレントがバブルアーティストに会いに行き、その技に挑戦するような番組。年単位で練習しなければできないくらい難しいはずの技法を、森川葵が天性の勘ですぐさま習得して達人の顔色をなからしめるという趣向。
  • 皿と風呂を洗うと緑茶を持って帰室。日記の最新記事にいつもメモしてあるURLを整理したり、「Amazon Music」ノートにメモしてある気になる固有名の作品リストにアクセスして、そこからまたノートにいくつも記録したりする。このときは石若駿のプロジェクトであるらしいAnswer To Rememberなどを記しておき、またMal Waldron関連のアルバムをひたすら写した。Billie HolidayもWaldronが参加した晩年のライブ二つと、『Jazz At The Philharmonic』。Billie Holidayもなんだかんだ言ってしっかり聞いたことはない。それは良くないことだ。
  • 合間はFISHMANS『Oh! Mountain』を流していた。Amazon Musicメモを切りとすると便意が溜まっていたのでトイレに行った。便器の上に座って糞を垂れながら、日記を書くというのもやはりこういうことなのだろうなと考えた。実にありがちな比喩だけれど、腹が減ったら飯を食う、飯を食って消化が進めば出したくなるのでトイレに行って排泄する、日々を(生を)記録するという行為をそれとおなじような習慣にまで〈格下げ〉していくべきだろうということだ。時を過ごせば何かしら書くことが溜まる、溜まるものが溜まったので書く、ただそれだけの話。つまりはやはり、昔よく考えていた〈書くことと生きることの一致〉のテーマである。ロゴスとビオスが一であること。生きることを書くことによって書くことを生きること、とたぶん二〇一五年あたりにUさんへのメールに記した覚えがあるが、そこが結局こちらの原点なのだろうと思う。さしあたりはまたその路線でやっていこう。
  • もどるとBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)を流して今日のことを記述。現在四時前。立川に行くつもりである。MUさんにあげる漫画を何かしら買いたい。あとチューナー用の電池と、いい加減にクロスと、弦などの音楽関連用品も。服や靴も見たいが、面倒臭いし、そこまでの時間もないだろう。あと、なぜかわからないがちゃんぽんがやたらと食べたくて仕方がないので、帰りに河辺のイオンスタイルのフードコートで飯を食うつもり。
  • 四時から半ごろまでFISHMANSをバックに調身。電車を調べると六時直前のものがある。音読をやりたいのだがギターも弾きたくて、両方やるのは無理そうだなと判断した。それからJesse van Ruller & Bert van den Brinkの"Love For Sale"を聞きながら歯磨きをしたのだが、ここでのBrinkはやはりすごくて、ちょっとビビるくらいだ。真なる達人の、名匠の仕事という感じ。その後、着替えである。真っ青な麻のシャツとガンクラブチェックのズボンを合わせるお馴染みの格好。それにBANANA REPUBLICのジャケットを羽織っていくつもり。
  • そうしてギターを弾いた。例によってEブルースを適当にやったあと、このあいだ取った"いかれたBABY"のコード進行をなんとなく弾いているうちに、一応リズムパターンのベースは定まった。あとは細部の装飾や展開の仕方を考えるということになる。じきに出発の時間が迫ってきたのだが身体と精神がギターをやめようとしなかったので、一本遅らせることにした。六時一五分ごろの電車で、さすがにこれを逃すとかなり遅くなってしまう。
  • それで出発。ギターに遊んでいるうちにやはり遅くなってしまったので、大股で進む。空には月が明晰に照っている。黴のようにして雲がいくらか乗ってもいるが、だいたいのところ色濃くて深い夜空である。気温は低めでだいぶ涼しい。坂道も大股でずんずん上っていくが、脚が抵抗を覚えずよく駆動するのは柔軟の賜物だ。
  • 最寄り駅に着くとホームの先のほうに出た。婦人が二人、立ち話をしている。乗るとこの時間でも山帰りの人がわりと見られた。乗り換えて無人の二号車へ。メモを取ったあと、瞑目して休んでいるうちに立川に着いた。人が去るのを待ってから降り、階段を上って通路に出るとSUICAのチャージをしておくことに。五〇〇〇円である。済ませると改札へ。改札横のガラスに囲まれた有人窓口に黒人男性の姿があった。どことなくバックパッカー的な雰囲気。出ると北口へ向かうが、そのあいだ人混みのなかを縫っていきながら、これだけ人間が集まっていてなかにもしコロナウイルスの感染者がいたらかからないというのは無理だろと思った。広場では演説がなされており、何かしらのチラシを配っている人間がいたのでとりあえずもらっておいたが、見れば日本維新の会のものだった。竹田光明という人が衆議院東京都第二一選挙区の公認候補予定者になったとのこと。それからフロム中武に向かったのだが、ここの上層にあった楽器屋はもしかするともうないのでは? と思って入口の各フロア案内を見ると、やはりなくなっていた。フロム中武の七階だったかには昔、新星堂ROCK INNという店があって、そこに高校のOBだったUさんという人が勤めており、この人が吹奏楽部の練習を見に来るなどでTTと親しく、こちらもそのつながりで知り合って多少の交流を持っていた。高校一年の文化祭前に買ったEpiphoneの黒いレスポールはたしかこの人に安くしてもらったのだったと思うし、文化祭のステージに際しては三年間毎年PAめいたことをやってくれたはずだ。側頭部を刈り上げて頭頂はツンツンに立てるというそこそこ奇抜な髪型の人だった。
  • 新星堂がなくなってしまったので島村楽器に行くほかはないが、先にビックカメラでチューナー用のボタン電池を買うことに。入店して賑やかにざわざわしているなかを進み、電池の区画に至って種類別にずらりと提示されている品を見て、持ってきたボタン電池とおなじ型番のものを探すとすぐに見つかった。二つ入りのパッケージを持ってすぐ後ろの会計カウンターへ。支払いをすみやかに済ませて退店すると、そのまま通りを渡って上層に島村楽器の入ったビルへ。歩くのが好きなのでみずからの足で上っていくことにして階段に入ったが、よほどゆっくり踏んでいてもさすがに五階分くらい上がると太腿が疲労する。久しぶりに来たしブックオフにちょっと寄ってみるかと六階でフロアに入った。洋書を見分するつもりだったがその前に岩波文庫なども見ておこうと文庫の棚に。けっこう面白そうなというか、新刊書店はもちろん古本屋でもあまり見かけないような作品があったりする。『サテュリコン』というローマ時代の滑稽譚みたいなものがあったが、これははじめて見るものだった。訳者はたしか国吉なんとかみたいな名前の人で、この人はほかにタキトゥスとかも訳していなかっただろうか? いずれにしてもそのあたりの分野の碩学という感じの人だと思われ、ほかでも名を見かけたことはある。この『サテュリコン』は買っておくかと思って一度保持したのだが、あとで調整する際に結局もどした。岩波文庫だとほかにはドストエフスキー/小沼文彦訳『二重人格』を買うことに。これはたしかべつの訳だと『分身』というタイトルになっていたはずで、保坂和志が『未明の闘争』のなかで取り上げていたのがこの作品だろう。あと、もうひとつの岩波文庫の区画というか、日本文学みたいな区分が作られてある場所にも岩波文庫が集まっていたのだけれど、そこに谷謙次といったかあるいは譲次だったか思い出せないのだが『踊る地平線』とかいう作品があって、これも初見のものだった。覗いてみると、大正だか昭和初期あたりに欧米などを回った記録らしいのだが、章のひとつが「しっぷ・あほうい!」というタイトルで、この文言ははてなブログかどこかで文学作品の感想を主に綴っている一ブログのタイトルに使われていたはずだ。それで元ネタはこれだったのかと思った。この作品もせっかくなので買っておこうと思ったのだけれど、結局やはりあとで調整して今回は見送り。
  • そのうちに七時が過ぎ、河辺でちゃんぽんを食いたかったがフードコートは九時までで、あまり滞在しすぎると間に合わなくなるので漫画を見るのは諦めて、洋書だけ確認しに行った。区画を見つけるのにちょっと手間取ったが、見れば以前よりも興味深い本がすくないというか、まず大きなハードカバーが多くてペーパーバックの小説が乏しく、あるものもどうでも良いような作品ばかりだったので、ほしいものはないと払って会計へ。女性店員を相手に金を払う。店員たちは皆、さほど熱意に溢れた雰囲気はなく、気の進まない義務を果たすときの冷淡ぶりで黙々とからだを動かしている。とりわけレジカウンターの手前で紙幣を数えている男性などはそうだ。こちらの相手は新人だったのか、まだそんなに慣れていなさそうな様子だった。物静かそうな印象。購入品一覧は以下。

林京子祭りの場/ギヤマン ビードロ』(講談社文芸文庫、一九八八年): 720
・堀田善衞『時間』(岩波現代文庫、二〇一五年): 770
・エヴゲーニイ・ザミャーチン小笠原豊樹訳『われら』(集英社文庫、二〇一八年): 470
ドストエフスキー/小沼文彦訳『二重人格』(岩波文庫、一九五四年/一九八一年第三〇刷改版): 520
ボードレール安藤元雄訳『悪の華』(集英社文庫、一九九一年): 520
・L・ザッヘル=マゾッホ/池田信雄・飯吉光夫訳『残酷な女たち』(河出文庫、二〇〇四年): 520
・ロバート・J. リフトン/桝井迪夫・湯浅信之越智道雄・松田誠思訳『ヒロシマを生き抜く 精神史的考察(上)』(岩波現代文庫、二〇〇九年): 720
・ロバート・J. リフトン/桝井迪夫・湯浅信之越智道雄・松田誠思訳『ヒロシマを生き抜く 精神史的考察(下)』(岩波現代文庫、二〇〇九年): 520
 計8冊: 4765円

  • そうして一階上に行って楽器店へ。棚の前でしゃがみこんでアコギの弦を見分する。アコギをいままでほとんど弾いてこなかったので良し悪しなどわかるはずもないしこだわりもない。有名な名前に頼ってMartinのものに決定した。それからクロス。以前来たときはなぜか二〇〇〇円くらいするような高いものしかなかったのだが、今日は六〇〇円程度の通常品があったのでそのうち灰色のものを選ぶ。会計して退店。
  • あとは書店に行って明日MUさんにあげる漫画を買うのみである。高架歩廊に出ればそのまま高島屋に行きやすいので、階段で三階まで下った。welciaのなかを通っていくと、途中で中年以上の男性、つまりおっさんがひとり、棚の脇に立って手をしきりに上下に振っている。何かと思えば、そこの棚になんだかよくわからないが動きに反応して鳴き声を発する羊型の器具が取り付けられていて、それを何度も繰り返し鳴かせているのだった。外観に似つかわず、少々子供っぽい挙動である。男性はこちらが近づいていくと動作をやめて棚のあいだに入っていったが、やはりちょっと恥ずかしくて決まりが悪かったのだろうか。
  • 外に出て歩道橋を渡る。右方の交差点を見晴らせばいまは密集はなく、車はすくなく、とはいえ赤と白がおのおのの隊列あるいは連なりをつくりながら光り、際立っている。高島屋に入るとすでに八時前だった。エスカレーターを上って淳久堂へ。入ってすぐのところにダイアリー形式の手帳が置かれてあり、それで手帳も買わなくてはと思い出して奥の文具のコーナーに行った。手前のほうに置かれているのはどれも予定をメモしておくためのものかダイアリータイプだが、こちらが欲しいのはただの汎用型ノートである。奥にノートの区画があったのだけれど、しかし手頃なサイズがここにも見当たらない。大きさの条件をクリアするのはリングがついているものかMDノートか測量野帳くらいだ。いったいこの国はどうなっているというのか? なぜ使いやすい手帳のひとつも簡単に入手できないのか? やはりスマートフォン文化が発展したことの弊害なのか? 小さなノートをポケットに入れて持ち歩き、思考や記憶をおりおり書きつけるような人種は、もはや時代遅れの文化的後進者だというのか? もどってエスカレーターに近いあたりの棚もちょっと見分してみたものの、求めるものはやはりない。いま使っているEDiTもあったものの、置かれているのは日付枠とか区切りが設けられているもののみで、そのような品はこちらには必要ない。
  • それで諦めてコミックの場所へ。とりあえずやはり市川春子の『25時のバカンス』をあげるかと保持し、それから岩本ナオを確認しておこうと歩を進めた。たしかフラワーとかいう少女漫画系の雑誌で描いていたはずだと記憶していた。壁際に出ると女性作家の区画があって、そこははじめて見る棚だったが色々と面白そうではあった。こうの史代とかオノナツメとかヤマザキマリとかよしながふみとか中村明日美子とか志村貴子とか萩尾望都とかの名前が見られる。そこから左方に移行していって、フロアの一番端の棚が少女漫画系の区画だった。「花とゆめ」とか「フラワー」とかの区分があり、後者の場所を見ていくが、岩本ナオが見つからない。代わりに吉田秋生が見つかったものの、『海街ダイアリー』は置かれてなかった。
  • 検索機に行って調べてみると、『スケルトン・イン・ザ・クローゼット』はさすがにないけれど、いま連載中の(だと思うのだが)『マロニエ王国の七人の騎士』が置かれているというので、もどってもう一度見分。背表紙を仔細にたどっていくと、『古今』なんとかみたいなタイトルの、いままでの画業を集めただか説明したような本は見つかったのだが『マロニエ』は見えず、ふっと視線を落とすとそこに平積みされているのがようやく目に入った。二〇一八年の「この漫画がすごい」ランキングみたいなやつで一位になっているらしい。無事所在を確認できたのでもう用はないのだが、時刻はすでに八時一五分くらいで、これではちゃんぽんを食うのはもう無理だから諦めて人文系の本も多少見ておくかと留まった。思想の区画に向かう途中で詩の棚もちょっと見る。林浩平という人の批評本が論創社から出ていて興味を惹かれたが、覗いてみるとだいたい短めの書評を集めたような本らしかった。それならまあべつに、という感じではある。
  • 思想の区画に入ると新刊に蓮實重彦の『言葉はどこからやってくるのか』みたいな本があって、こんなもの出ていたのかと俄然興味を惹かれたのだが、目次を見るに三島由紀夫賞の演説とか「せせらぎのバルト」(二〇〇〇年だったか忘れたがそのくらいの『ユリイカ』のバルト特集に入っている談話)とかが並んでいたので、なんだ、既存の記事をまとめただけのものかと冷静になった。楽な仕事をしているなあという偉そうな感想を抱いてしまったが、あとがきを覗いてみたところでは編集者の人が、まだ書籍化されておらず参照しづらい文章を集めた本を作りませんかと持ちかけてきて、蓮實本人としては無理でしょうとか思っていたところがあれよあれよという間に話が進んで刊行に至ったというような経緯らしい。
  • そのほか思想の棚を多少見て回り、会計をして退店。食事をどこで取るか迷って彷徨った挙句「てんや」に入り、午後九時過ぎの寂れたような雰囲気とか、客の様子や店員の動きなどを観察しながら飯を食って、いくらかなりと描写できる情報を得たは得たのだけれど、メモも取っていないし詳述するのが面倒臭いのでやめる。帰路や帰宅後についても、この当日に書いておいた下の段落以外に付け足す記憶はない。
  • 『Honkin' On Bobo』に続けてそのままAerosmithを聞く気になったので、Amazon Musicでライブ盤のAerowmith『A Little South of Sanity』(1998年)(https://music.amazon.co.jp/albums/B00BJQYVDQ)を流した。それで書抜きを進めていたのだけれど、外出してたくさん歩いてくればどうしたってからだはこごるので、ストレッチをすることに。その前に歯磨き。歯ブラシを取ってくるとヘッドフォンを頭にもどし、ベッド縁でゴルフボールを踏みつつブラシを持った手も動かしながらライブを聞く。#3 "Falling In Love (Is Hard On The Knees)"がなかなか格好良い。転調が鮮やかだし、明暗入り混じった感じのコードの推移も良い。ただA部のメロディにめちゃくちゃ聞き覚えがあって、何かの曲でこれとほとんどおなじ旋律を聞いた覚えがあるのだけれど、固有名は思い出せない。それでいまかなり検索したところがまったく答えにたどりつかない。絶対にほかの曲で聞いたと思うのだが。まあわりとどうでも良いことだが、それなのにやたら時間を費やしてしまい、明日は九時には起きたいから残り時間もすくないのに余計なことに逸れてしまった。
  • #4 "Same Old Song And Dance"は実に懐かしい曲。いわゆるハードロックと呼ばれるジャンルのなかで一番はじめに知った曲のひとつだと思う。こちらが七〇年代八〇年代のハードロック/ヘヴィメタルに手を出したのは、もともとB'zのベスト盤が家にあったのを小六か中学くらいで聞いていたところ、当時まだまだ普及の途中だったインターネット(こちらの家にはたしか小五あたりではじめてコンピューターがあらわれたような記憶がある)で、B'zはAerosmithというアメリカのバンドをパクっているという情報を目にして興味を持ったのが端緒だった。それで小作のブックオフAerosmithVan Halenのベスト盤を買ったのだ。"Same Old Song And Dance"は、コカコーラの缶みたいに真っ赤なジャケットだったそのCDの二曲目に収録されていたと思う。冒頭は"Dream On"だったはずだ。三曲目は"Sweet Emotion"、次いで"Walk This Way"、"Last Child"、"Back In The Saddle"と続いたように記憶しているが、確実かどうかは不明。
  • 上のことを書いたあとで"Falling In Love (Is Hard On The Knees)"に似ている曲に思い当たったのだが、それがまさしくVan Halenの"I'll Wait"だった。これ(https://www.youtube.com/watch?v=3BaVSjFWZbY&ab_channel=AerosmithVEVO)がAerosmithで、これ(https://www.youtube.com/watch?v=nqDfzO42epE&ab_channel=HollywoodScream)がVan Halenであり、どちらもA部といって良いのかわからないが、いわゆるサビでないほうのパートが似たようなメロディになっている。そうは言ってもしかし、あらためて聴き比べてみると思ったほど類似した感触でもなかった。ところで"I'll Wait"のほうの映像はなぜかよくわからんセクシービデオみたいな感じになっているが、これはVan Halenのオフィシャルとはたぶん何の関係もないはずだ。Edward Van Halenももはやこの世から消え去った。


・読み書き
 15:23 - 15:59 = 36分(2020/10/24, Sat. / 2020/10/21, Wed.)
 24:46 - 25:26 = 40分(巽 / 新聞)
 26:02 - 26:23 = 21分(新聞)
 27:01 - 27:40 = 39分(2020/10/24, Sat.)
 27:46 - 28:58 = 1時間12分(シラー: 86 - 105)
 計: 3時間28分

  • 2020/10/24, Sat. / 2020/10/21, Wed.
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き: 149 - 150
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月4日(土曜日)朝刊: 7面
  • シラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年): 86 - 105

・音楽