2020/10/25, Sun.

再読は、物語が一度消費(「貪り読み」)されたら、他の物語に移り、他の本を買うように、それを「投げ捨てる」ことを勧める、現代社会の商業的・イデオロギー的慣習に反した操作であり、ある周縁的なカテゴリーに属する読者たち(子供、老人、教師)にしか許されていないが、ここ〔本書〕では再読が間髪を容れず推奨されている。なぜなら、それだけがテクストを反復から救うからである(再読を軽んじる人は、至る所で同じ物語を読むよう強いられる[文頭から﹅])。(原注1: Roland Barthes, S / Z (Paris: Seuil, 1970), pp. 22-23〔ロラン・バルト『S/Z――バルザック『サラジーヌ』の構造分析』沢崎浩平訳、みすず書房、一九七三年、一九頁〕.)(強調はジョンソン)

この逆説的な言明は何を示唆しているのか。まず示唆されているのは、一回だけの読みは既読のものによって構成されている、ということ、われわれがテクストの中に初めて見るもの、それはテクストではなく、すでにわれわれの中にある、ということだ。つまり、われわれ自身が一つのステレオタイプ、既読のテクストである以上、それはわれわれの中にあり、既読のものが、テクストと読者が共有しなければ読みうるもの〔readable(lisible)〕にならない、あのテクストの相を指し示す場合にかぎり、それはテクストの中にある、ということになる。別言するなら、テクストを一度読む時、そこに見ることができるのは、すでに以前、見ることを習い覚えてしまったものだけだ。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、3~4; 「1 批評的差異 バルト/バルザック」)



  • 八時四〇分の起床に成功するという快挙を得た。外出前のことは特に覚えていない。はやく起きられたので、二人で先に行って店の番を取っておこうという(……)くんおよび(……)と同行することにしたというくらいだ。たしか一〇時台後半の電車。天気はめちゃくちゃ良かったような記憶がある。意外と時間がぎりぎりになってしまい、最寄り駅までの道をかなりの速歩きで行進し、駅についた頃には息が切れていた。停まっていた(……)行きに沿ってホームをすすむと、前方に(……)の姿があったので手を上げ、近づいて乗車。三人掛けの前へ。(……)くんが座っていたはず。こちらは立って、(……)も座っていたのだったかこちらの右に立っていたのだったかよく覚えていない。いずれにしても途中で席が空いたので三人並んで腰掛けた。車内に山登りに行くような感じの姿は意外とすくなかった。昨年は大きなリュックサックを伴った一団がけっこういたと思うのだが。車窓を流れていく外の風景のなかでは木の葉が光を弾いてきらめき、(……)に着くその前に湾曲しながら伸び流れる川の臥身が露わになると、その表面も金属でできた無数の糸を浮かべたように銀色に輝きわたる。昨年来たときにも目にした光景だ。そのときは(……)と並んで座っていて、当時書いていた小説の舞台をつくるための情報や風景をもとめていた彼に、あれだ、あれを見ろ、とうながしたような覚えがある。
  • (……)駅から付近のまばらな家並みや橋と川を見下ろす風景も、明媚と言うべきのどかな輝かしさである。去年は帰りの際に、ホームから目近く見下ろす家の屋根に猫がうろついていた記憶がある。駅を出て街道に下り、すぐそこの上り道に入る。ここの入口近く、石段の上にカエデの樹があって、昨年はそれが真っ赤に色濃く染まっていたのだが、今回はまだ紅葉が弱かった。そんなことを話しながら歩いていく途中、どういうきっかけだったか忘れたけれど、高校の同級生である(……)の話になった。たぶん先日の(……)夫妻のフォトウェディングのあと、花火をやりに行った公園のそばによくわからん赤ん坊か天使みたいな顔の像があって、それがやたらと(……)に似ていたということを思い出してこちらがふたたび爆笑したのが端緒だったのではないか。それで(……)くんに、(……)がどういう人間だったかを二人で話す。(……)は高校時代、(……)のことがあまり好きではなく、それはなんというかちょっと偉そうなところというか、いやらしいような感じというか、そういうものがあったからだと思うのだが、こちらの言葉で言わせればたしかになんとなくねちっこいような感じが(……)にはないでもなかった。ただこちらは普通に仲良くしていて、高校一年生のときにクラスではじめて音楽の話をしたのもたぶん(……)だったと思うし、一年時のバンドは彼がベースで、卒業後も交友はあって大学二年のときには彼に誘われてバンドを二つやっていた。ひとつは(……)さんが中心のコピーバンドで、(……)さんとは昨年久しぶりに連絡を取って吉祥寺(……)で会った。もうひとつは(……)がすすんだ(……)という専門学校のメンバーで組んだバンドで、なぜかそこにこちらがギターとして招かれたのだが、これはボーカルが(……)さんという我々のひとつか二つ上の女性で、ドラムは(……)という愉快で馬鹿なやつだった。(……)さんは当時(……)の恋人だったのだけれど、こちらが大学二年生のときの秋一一月頃に(……)が突然挫折したというか、音楽の道をすすんでいくのを諦めてしまい、それでバンドは自然解散、二人もたぶんそのあたりで別れたのではないか。こちらとしても当時はパニック障害の最初の発作を迎えたころで、バンドが続いていたとしても活動どころではなくなっていただろう。我々のこのバンドは中野のなんとかいうライブハウスで一度だけステージに立って、それで活動停止となったのだけれど、その中野のライブハウスにいた夜は、演奏を終えたあとにこちらは気持ち悪くなるか頭が痛くなるかして建物の外で風に当たって休んでいたのを覚えている。(……)さんもひとときそこにいて、気遣ってくれたはずだ。当時は空間に充満した煙草の煙にやられたと思っていたような気がするが、あれも(その時点でパニック障害の発作をすでに体験していたかどうかわからないが)いまから考えると全体的に心身の調子が悪くなっていたということなのだろう。煙草にあてられたということもあるだろうし、人中に入った疲れもあっただろうし、人前でステージに立ったことが強いた緊張もあっただろう。その点、(……)というやつは愉快で明るく、人との関わりに如才なかった人間で、その時点でライブハウスへの出入りもたくさんしていただろうしみずから演奏する経験も豊富だったのだろう、それで我々はこのハコははじめてでもあるし一緒に演奏させてもらうのだから、やはりほかのグループに挨拶はしておくものだということで、リハーサルや準備時間のあいだに室内の各所を回って愛想良くきちんと頭を下げていた(こちらもそれにくっついていってぎこちなく会釈をした記憶がある)。その(……)は以前検索してTwitterを見たところでは音楽で身を立てているようで、(……)という人のバックで叩いたりしているようだった(この名前は「偽日記」で見かけた覚えがある)。(……)さんのほうはその後も何年か独自に音楽活動を続けていて、弾き語りの動画を配信したりとかライブハウスで演じたりとかしておりCDも出したはずだが、やはり鳴かず飛ばずで諦めたということなのだろう、ある時期から情報はぷっつりと途絶えて消息はまったく聞かなくなった。二〇一三年か二〇一四年のあたりに渋谷かどこだかでライブをしていた際、ふらっと見に行った記憶がある。たしかすでに日記を書きはじめていた覚えがあるので(Led ZeppelinRadioheadを混ぜたような感じ、とか当時の記事に印象を書きつけたような気がする)その時期だと思うのだが、これは(……)さんのソロ名義ではなく、(……)というバンドの一員(もしくはサポート)としての公演で、このバンドは(……)さんというベースの人が属していたものだ。この人も(……)の生徒だった人で、(……)からすると先輩、たぶん(……)さんとは同学年だったのではないか。こちらも何度か顔を合わせたことがあり、いま思い出したが上述の中野での初演奏のときも見に来てくれて、ステージ後にこちらに、もっとアルペジオをなめらかにつなげなきゃね、とアドバイスをくれた覚えがある。
  • 我々は基本的に代々木の(……)で練習していたのだが、そのあと新宿に繰り出して飯を食ったりすることもおりおりあった。あるとき焼き肉だかしゃぶしゃぶの店に入ったのだけれど、その席で(……)と(……)が妙なテンションになって狂い出し、なぜか肉を焼くか茹でるかせずになまのまま食いだして、うんいけるいけるとか言いながらむしゃむしゃやっていて笑ったのを覚えている。それとおなじ夜だったか不明で、たぶんべつのときだったのではないかと思うが、当時新宿近辺に住んでいた(……)の部屋に泊まろうということになってタクシーで向かったことがあった。そのタクシー内でこちらは(……)と隣り合わせで座ったのだが(たぶん彼がこちらの右側にいたはずだ)、彼はふざけてこちらのからだ(脚だったか?)をまさぐってきたり、頬に唇を寄せてきたりした覚えがある。それはべつに彼が同性愛者でこちらとの肉体的接触をもとめていたということではおそらくなくて、単なる戯れとしてのスキンシップだったはずだ。それなのでこちらも特に嫌がらず、愉快なやつだと笑って受けていた。そのくらいには我々は仲が良く、向こうはどうだか知らないがこちらとしてはそこそこ親密感を覚えてはいた。バンド活動がなくなったあともすくなくとも一度会ったはずだ。いまはなくなった代々木のCafe Lolitaで顔を合わせ、そのあと新宿のTOWER RECORDに一緒にいったような記憶がある(後者に関しては不確かだが、振り向いている彼を前にしてエスカレーターを上っている視覚的イメージが残っている)。それが何年のことだったか、すでに日記を書きはじめていたか不明だが、なんとなくまだ書きはじめていなかった頃ではないかという気がする。もしそうだとすると、パニック障害の快癒度を考え合わせるに、おそらく二〇一二年中のことではないか。
  • 上記のなかから(……)関連のことを話しながら自然のなかを歩いていった。紫色のとげとげとしたアザミがそこここの道端に生えていた。釜飯屋「(……)」のすぐそばまで来ると(……)くんが(……)にダッシュ! と言って、(……)も応じてぱたぱた走り出し、先んじて店に向かっていったのだが、それを見てこちらはポケモンかよと笑った。我々二人はそのあとからゆっくり歩いていくのだけれど、すると道端の石垣の足もとで何か動いたものがあり、一見わからなかったがよく見ると蛙がそこにいるのだった。落葉に似せたような体色で、けっこう大き目の蛙だったのだが、なにガエルなのかは不明。ウシガエルはたぶんもっと大きいのだろうか? 
  • 店に到着。しかしその時点で庭内は何組もの待ち客でいっぱいだったし、相当経たないと呼ばれないだろうというわけであたりを散策することに。近くに川が流れており、釣り堀になっているようだったのでそちらに降りてみようと道を歩く。途中、自動販売機があって(……)くんが飲み物を買うようだったので、こちらもせっかくこんな山のなかまで来たし金を落としていってやるかと水のペットボトルを購入した。そこからちょっと見上げたところには「(……)」という店名表示を上部に堂々と掲げた建物があったのだが、それがどう見ても商店の類とは思われない。老人ホームか保養施設か何かのように見えたのだが、(……)くんや(……)に訊いてみると、旅館というか宿泊施設の類ではないかとの予想だった。いずれにしても「(……)」なんていう名前ではライオンに喰われてしまうわけで、店の名として全然似つかわしくないように思うが。帰ったあとで母親にその話をしたところ、山葵の店でしょとか言っていたが本当かどうか知れない。
  • 川へ降りる道を探して歩いていたのだが見つからず、民家の建て込んだ裏道めいたところに入ってしまい、そこにゲートボールの練習か何かしている高年の女性があったので、すみませんと声をかけて、このへんに川に降りられるところないですかねと訊いてみると、ちょっと崩れていて危ないんだけどうちの裏を通って良いということだったので礼を言った。べつにそのような裏ルートから行かなくとも、道をちょっともどったところ、「(……)」のすぐ前に降りられる道が実はあったのだけれど、そこは釣り堀施設の入口でもあったので、もしかしたら見咎められたかもしれない(そもそも釣り堀客以外はそのあたりの川に立ち入ってはいけなかったのか不明だし、出るときは普通にそこを通ってきたのだけれど)。ともかく川辺に出て、人々が釣りをしたりバーベキューをしたりしているなか、水の上にかかった細い通路みたいなものを渡って対岸に移り、適当な場所をもとめて移動した。そうして、あまり適当な場所でもなかったが、岩場の途中みたいなところに腰を据えようとなり、(……)が持ってきてくれたビニールシートを敷いた上に座り、それからしばらくギターをいじった。例によってブルースを気ままにやっていただけだが、前をさまざまな人が通っていき、子供などは多少興味を持ってくれた子もいたようだ。ただ川の響きが思いのほかに高くて周囲にはそんなに聞こえなかったと思うし、(……)くんも持ってきたセミアコを弾いていたのだが、近距離にもかかわらずその音はかき消されて全然聞こえなかった。あと、通り道が意外と狭くてなおかつごつごつとしていたので、我々を避けるためにちょっと傾斜した不安定なところを踏んで通った人もいて、それは少々申し訳なかった。
  • しばらく遊んで釜飯屋にもどることに。(……)がトイレ(小型のロッジめいた木造の建物)に行っているのを待っているあいだ、こちらは(……)くんに、FISHMANSに"RUNNING MAN"っていう曲があって、という話をした。天気がとても良くて快晴そのものだったので、なんとなくこの曲のメロディと詞が想起されたのだ。晴ーれたー日はー……君をー誘うのさーアァアァアー、っていう曲で、と適当に歌って紹介し、ほとんど何も言ってないんだよね、と笑う。トゥットゥールトゥットゥルー、みたいな掛け声を除いて歌詞をいくらか引いておくと、「晴れた日は君を誘うのさ/晴れた日は君を連れ出すのさ/遠くへ 急ぐ君を/遠くへ 急ぐ君を 見たくて/走ってゆくよ/走ってゆくよ」だから、実際ほぼ何も言っていない。最後のほうでほんのすこしだけ具体的なことが出てきて(それだって、寝っ転がったりとか煙草を吸ったりとかちょっと言っているだけだが)、「西陽の射してたあの日 西陽の射してたあの日/いつもの調子の二人 いつもの感じの二人/西陽の射してたあの日 西陽の射してたあの日/世界は僕のものなのさ」で終わる。だからこの曲は実質上、よく晴れた日に君が走るのを見たり君と一緒に走ったりして世界が自分のものになったかのように感じた、ということしか述べていない。意味論的にはほぼ単一の字義性にとどまっており、詞の内容としてはひろがりを持たず、空疎という形容を付してもまちがいではないだろう。それにもかかわらず、あるいはそれゆえになのか、まばゆいほどの明るさに包まれて魂が浮遊するがごとき多幸感みたいなものが音楽として確かに匂い立つのだから、これはすごい。FISHMANSの曲にはほぼ何も言っておらず意味論的にはスカスカみたいなものがけっこうあるのだけれど、その意味の圧倒的な軽さ、希薄さ、〈気体性〉はこちらにとってかなり好ましく感じられる。たいていの場合、あるひとつの成功の形を提示しているように思う(その「成功」の内実はよくわからないのだが)。
  • それから店に帰還。番はまだまだ。そのうちに(……)と(……)さんがもう着くという知らせが入ったので、迎えに行った。店の前の道に出て、石段だかなんだか忘れたが座れるところに尻を乗せて足を浮かべながら、何もせずに待つ。陽射しがからだを包みこんでおり、相当暖かかった。じきに二人が現れ、店の敷地内へ。庭の一角に陣取り、立ち話をしながら待つ。そのあいだに市川春子『25時のバカンス』を(……)さんに差し上げておいた。
  • 呼ばれたのが何時頃だったのか覚えていない。一時台だったか? ともかく入ることができ、座敷のほうに通され、床の間にギターを置いて良いと許されたのだが、先に置かれてあった(……)くんのギターケースを持ち上げてずらそうとしたときに手が滑って落としてしまい、けっこう勢い良くガンと床にぶつかってしまったので、これはかなり申し訳なかった。思わずちょっと狼狽しながら謝った。それで食事。釜飯は山菜が入ったおこわタイプのものと通常のものと、あと去年はたしか品切れだったのだと思うが鶏肉を混ぜたものとがあって、(……)と(……)さんが鶏肉のものを選び、あとの三人は全員おこわだっただろうか。こちらは昨年は通常タイプを選んでおり、そのとき隣の(……)さんから分けてもらったおこわが美味かったので今回はそれを食いにやって来たのだった((……)さんは今年も自分の品をちょっと分けてくれた)。米のほかは水炊きと刺身こんにゃくと漬物と饅頭みたいなものがついている。
  • 食事中の会話は特に覚えていない。店を出たのはたぶん二時台だったはずだ。たしか二時四〇分くらいの電車に乗らないと次が三時台に入ってしまうという状況ではなかったか。そうすると昭和記念公園に行くにもさすがに時間がなくなってしまうので、なんとか二時台に間に合わせようと(……)が言い、こちらは普通に諦めてだらだら行こうと言ったのだけれど許されなかったので聞き入れ、大股になって脚をはやめた。最近は脚の筋をおりおり伸ばしているので、かなり調子良くスピーディーに歩けて(……)とともに先頭を行っていたくらいだが、そのうちやはり疲れてきたらしく速度が落ちて、いつか後続との距離があまりなくなっていた。ギリギリ間に合うかどうかという感じだったので終盤では走って坂を下りては上ることになり、あんなに頑張って走ったのは一〇年ぶりくらいではないかと思うのだが(と言いながらたしか去年の帰り道も似たような感じで急いだ記憶があるが)、その甲斐あってゼーゼー言いながらもなんとか目的の電車に乗ることができた。ホームに着いたのと電車が入線してくるのが本当に同時だった。乗ると、はあはあいっているこちらを皆が気遣ってくれたので、高校の持久走思い出したわと受けた。
  • (……)までの車中については特に覚えていない。そこから立川への路程も同様。ただ楽器を伴っているこちらと(……)くんを皆が座らせてくれて、彼と並んでいるあいだに、(……)くんが漫画『BLUE GIANT』の名前を出してきたときがあった。知ってる、と言うので、評判は聞き及んでいるとこたえ、ジャズのやつだろう、かなり本格的らしいじゃん、いまもう二期みたいな感じに入ってるよねなどとわずかに知っている情報を開示した。たしか(……)くんもまだ読んでおらず、興味を持っているという話だったと思う。その後は疲れたので目を閉じていくらか休んだ。
  • 立川に着いて、昭和記念公園へ。道中のことは特に覚えていない。公園の敷地内に人はやたら多かった。なぜかと言えばこの日が偶然にも無料開放日にあたっていたからなのだ。もう四時頃になっていたはずで、いまから入って「みんなの原っぱ」に行ってもすぐにもどらなければならないような具合だったが、ともかく入ることになった。銀杏並木は黄色く充実しており、例のギンナンのにおいもマスクを通して鼻に触れてきた。立川口というのだったか忘れたがメイン入口みたいなところから「みんなの原っぱ」までは歩いて一五分くらいかかるのだけれど、走って疲労していた(……)くんは明らかに口数がすくなくなって元気を失っていたので、おりおりあとすこしだと言って励ましながらすすんだ。原っぱに着くと女性陣は花壇を見に行くと言うのでいったん別れ(原っぱの外縁あたりに花壇が設けられており、なかにケイトウが鮮やかに咲いていた)、男性三名は草原のなかへとすすんでいき、適当なところでシートをひらいて腰を下ろし、暮れの大気が黄昏れていくなかでひとときセッションに興じた。例によって適当なブルースである。
  • そうして五時に達してもうかなり暗くなってから道をもどった。こちらは歩きながらFISHMANSの"Walkin'"を力なげに口ずさんでいた。駅にもどり、(……)さんが眼鏡を入手したいと思っているらしかったので眼鏡屋を見に行こうということに。それでまずグランデュオのJINSへ。もろもろ見分する。眼鏡を選ぶ際の基準などまったくわからないし、どういう眼鏡が格好良いのかという判断もこちらにはないが、しかしこちら自身も本当は眼鏡をかけたほうが良い視力なのだ。コンタクトを使うつもりはまったくない。普通に怖くて拒否感があるし、味も素っ気もまるでない利便性だけの退屈な付加物にすぎないし、眼鏡のほうが視覚的情報とニュアンスとファッション性を帯びているので好ましい。JINSのあとはLUMINEのZoffに移動したのだが、そこでいくつか自分でもかけてみると皆からは似合うと好評で、写真を撮られたり、スマートフォンのビデオ通話の向こうにいた(……)にその姿で挨拶したりしたくらいだ。(……)さんは丸眼鏡が気になっているらしかった。こちらとしてはフレームが細くて、円が小さく綺麗な形のものが良いように思った。
  • 眼鏡探索を終えると食事へ。レストランフロアに上がって、なんとかいうパスタの店に決定。ミートソーススパゲッティをこちらは食べたはず。たまにはほかのものにも手を出してみるべきだと思うが。麺はかなり弾力があり、ソースは甘味が濃くて美味かったという印象が残っている。ほかの人々の注文した品は忘れた。この席で(……)さんがショーン・タンの『アライバル』を貸してくれて、ひとときページをめくって読んだ。「大人の絵本」とか言われているらしいが、鉛筆画をいくつもならべて物語を語るいわゆるグラフィック・ノベルというやつで、これだけ描ければ楽しいだろうなあと素朴に思った。世界観は我々の現実と似通っていながらもややファンタジックな、少々位相の異なるようなもので、文字などのディテールにも色々仕掛けがあって凝っているようだった。演出としては、視点の拡大/縮小というかズームアップ/ズームアウトというか、あるコマから視点が段階的に引いていって、次のページで先の場面が非常に巨大な絵・空間・世界の一部だったことがわかる、という展開の手法が何回か見られて印象的だった。(……)さんはもう一冊、『ショーン・タンの世界』だったか忘れたが、彼の作品集みたいなものも見せてくれて、その後ろのほうを見ると抽象画風の作品とか、なんらかの素材でつくった彫刻みたいなものとかもあったはずで、こういうこともやっている人なんだなと思った。
  • (……)
  • (……)

(……)

  • (……)
  • 店を出て別れるまでのことは特に覚えていない。以下はこの当日だったか翌日だったか忘れたが、まだ時間が経っていなかったうちに書いたものである。
  • 立川から(……)までの車内は意識を沈めてからだを休めた。脚のあいだにはさんだギターケースの持ち手をつかんで目を閉じていれば、何の抵抗もなく意識が暗み、気づけば頭が前や横に傾いている。それを何度となく繰り返し、(……)に着く前、乗り換えのためにはやめに立ち上がり、向かう先の電車に近くなるよう車両をすこし移動した。それで降りると二番線側を行き、まもなく電車から車掌が出てきて発車ベルの位置に就いたのでちょっと急いで乗りこむ。扉前に立って待機。
  • 最寄り駅に到着。久しぶりに例の独語の老婆を見かけた。そろそろ秋も深まってきたというのに、相変わらず脚を外気に晒した格好をしている。駅舎を抜けると、風がやたらと湧いて樹々を鳴らしながら流れていた。車が途切れるのをちょっと待ってから通りを渡り、木の間の坂へ。ここでも絶えず道沿いの林が葉擦れの響きを大きく拡散し、なかに低い人の呻きのようなものが聞こえたのは、枝か竹の幹でも触れてこすれ合う音らしかった。
  • さすがに疲労困憊である。帰り着くとまた酒を飲んだらしき父親が居間のソファで歯磨きをしている。こちらはマスクを捨て、洗面所に入って靴下を脱ぐと手を洗った。出てくると野球ニュースを見ている父親は、歯ブラシを口に突っこんだままで唸りを上げたりなんとかもごもご言ったりしている。自室に帰還。服を脱いでジャージになると、まずは全身疲れ切っているからだをどうにかしなければとベッドに転がって脹脛をほぐした。一時間強休んで零時近くになってから風呂へ。
  • 上がると母親がいるので挨拶。(……)夫妻から京都の土産としてもらった焙じ茶団子を二つあげた。そうしてトイレへ。ここでようやく大便が排泄され、これで腸が多少軽くなったはずだ。そうして入浴。湯のなかでは太腿から脹脛から足の平の縁まで、脚部を指圧していたわってやる。出ると腹が減っていたのでカップヌードルを食おうと思ったが、玄関の戸棚を開けてシーフードヌードルを取り、トイレに入っていた母親に一応食って良いかと尋ねてみれば、煮込み素麺があると言う。それでそちらをいただくことに。冷蔵庫を覗くとほかに野菜炒めとサーモンの刺身があったのでそれらも出し、野菜炒めは電子レンジへ、刺身は便所からもどってきた母親に食べて良いのかと訊けば良いと言うので、素麺を温めているあいだに調理台の前で立ったまま食った。ニンニクと醤油に漬けてしまったから味がすごく濃いかもと言ったが、特にそうとも感じず、美味かった。素麺と野菜炒めが温まると両手にひとつずつ持って帰室。
  • あとのことは特に覚えていない。


・読み書き
 27:51 - 28:06 = 15分(巽 / 新聞)
 28:07 - 28:40 = 33分(2020/10/25, Sun.)
 計: 48分

  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き: 156 - 157
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月4日(土曜日)朝刊: 7面
  • 2020/10/25, Sun.

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