2020/10/28, Wed.

われわれの価値評価は一つの実践としか結びつけることができないが、その実践とはエクリチュールの実践である。一方に書きうるものがあり、もう一方にもはや書きえないものがある。……価値評価が見出すのは以下のような価値である。つまり、今日書かれうる(再度書かれうる)もの、すなわち書きうるもの[﹅6][le scriptible]である。書きうるものがなぜわれわれの価値なのか。なぜならば、文学的労働(労働としての文学)の目的は、読者をもはやテクストの消費者ではなく、生産者にすることだからだ。……したがって、書きうるテクストに対して、その反価値、否定的・反動的価値が定立される。書かれうるものではなく、読まれうるもの、すなわち読みうるもの[﹅6][le lisible]である。われわれは読みうるテクストすべてを古典的と呼ぶ。(Roland Barthes, S / Z (Paris: Seuil, 1970), p. 10/ロラン・バルト『S/Z――バルザック『サラジーヌ』の構造分析』沢崎浩平訳、みすず書房、一九七三年、六頁)

このように、ここにはバルトがテクストを価値評価するための手段として掲げる枢要な二項性がある。すなわち、読みうるもの対書きうるもの、という二項性である。読みうるものは読者によって消費される生産物と定義される。書きうるものは生産のプロセスであり、読者はそこで生産者になる。つまり、それは「書いているわれわれ自身」なのだ。読みうるものは表象への考慮に縛られる。それは逆転不可能・「自然」・決定可能・連続的・総体化可能であり、シニフィエに基づく一つの統一ある全体に統合されている。書きうるものは無限に複数的であり、表象的な考慮に縛られることなく、シニフィアンや差異の自由な戯れに開かれている。そして、決定可能な意味、統一化・総体化された意味への欲望をことごとく侵犯する。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、7~8; 「1 批評的差異 バルト/バルザック」)



  • 一一時台のチャンスをつかめず、一時が近くなってから起床。窓外は白無垢の曇り空である。父親は畑で耕運機を扱っていたようだが(外からエンジン音が聞こえていたのはたぶん我が家のものだったと思う)、いまは室内に入って飯を食っている気配だった。上がっていくとやはり素麺を食べている。こちらはジャージに着替えて用を足し、洗面所で髪にワックスをつけて整えた。それから先に風呂も洗ってしまって食事。蕎麦や天麩羅などである。新聞には文化勲章や文化功労賞の知らせがあり、すぎやまこういちや、日本古典文学研究の久保田淳や、たしか一二世紀ルネサンスについての著書を書くか訳すかしていた人だったと思うが(チャールズ・ハスキンズの本の翻訳者?)伊東なんとかという人の名前などが見られた。すぎやまこういちは、この歳までずっと現役でやってこられたことは自慢だ、みたいなことを言っており、彼は政治的にはたしかかなりゴリゴリしたほうの右派だったと記憶しているけれど、長年に渡ってみずからの仕事を続けてきたという点に関しては、たしかにひとまず尊敬できる。と紙面を見たときには思ったのだが、いまWikipediaを見た限りでは「教科書改善の会賛同者、「国籍法の是正を求める国民ネット」代表委員、歴史事実委員会委員[40]、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人[41]、朝日新聞を糺す国民会議代表呼びかけ人、放送法遵守を求める視聴者の会呼びかけ人[42]などを務め、その一員として活動を行っている」とか、「政治家に対する直接的な支援としては、松原仁稲田朋美城内実などの応援曲の作曲を手掛けたほか、2012年には稲田に計250万円(夫人・之子名義のものを含めると計450万円)[43][44]、安倍晋三に計160万円[45][46]、中山成彬に130万円[47]、中山恭子に80万円[48]、赤池誠章に50万円[49]を献金するなど、金銭面での支援も行っている」とか、「ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙に、「南京事件の被害者が30万人という説、およびそれに基づく日本軍の虐殺行為は事実として認められない」という趣旨の意見広告を載せようとし、一度は断られたが[50]、2007年6月14日付ワシントン・ポスト紙に歴史事実委員会名義で「THE FACTS」(慰安婦問題について強制性はなかったとし、アメリカ合衆国下院121号決議案採択阻止を目指す目的の意見広告)が掲載された[51]。これを主導し、広告費全額を負担したのはすぎやまである[52]」とか記されてあって、それを読むとやはりうーん、という気持ちにはなってしまう。
  • 食器を洗うと洗濯物を取りこんだ。天気が晴れ晴れしくないので多少冷たさが残っているが、たたんでも良いだろうというものはたたんでおき、緑茶を用意して帰室。昨日買ったポテトチップスを食いながら一服し、同時にボールを踏んで足裏もほぐす。インターネットを見ながら一時間くらいそうして下半身のコンディションを調整すると、糞を垂れてきてから音読を行った。FISHMANS『Oh! Mountain』をバックに英文と日本語文を読んでいく。英語は三〇項目。「記憶」のほうは芝健介『ホロコースト』の最後。読んでいるあいだ、手指を引っ張ったり腕を前後に突き出したりしていれば、おのずとストレッチにもなって良い。
  • 四時まで。歯磨きののち、今日のことをここまで記して四時半。はやいところ二一日以降の分を書かなければならない。
  • あとこの日のメモを見て記述しておきたいことはそれほどない。勤務に行き、帰ったあとは水曜日なのでWoolf会だった。その前に飯を食っているとき、テレビで『歴史秘話ヒストリア』が流れ、『源氏物語』の最古の写本が去年だか発見されたということを知った。書写したのは藤原定家だと言う。
  • Woolf会の今日の箇所は以下。岩波文庫の訳をともに付す。

 But her grandmother’s friends, she said, glancing discreetly as they passed, took the greatest pains; first they mixed their own colours, and then they ground them, and then they put damp cloths on them to keep them moist.
 So Mr Tansley supposed she meant him to see that that man’s picture was skimpy, was that what one said? The colours weren’t solid? Was that what one said? Under the influence of that extraordinary emotion which had been growing all the walk, had begun in the garden when he had wanted to take her bag, had increased in the town when he had wanted to tell her everything about himself, he was coming to see himself and everything he had ever known gone crooked a little. It was awfully strange.

 でも祖母の友人たちの頃は、と通りすがりに絵に控え目な視線を送りながら夫人は言葉を続けた、ずいぶん苦労があったようです。最初に好きな色の顔料を混ぜ合わせ、それをよくこねてから、水分を保てるように湿った布でおおっておくんですって。
 タンズリーは、夫人がほのめかしているのは、あの男の絵が貧弱な[﹅3]――こんな表現でいいかな――ものだということか、彼の色彩が堅固でない[﹅5]――この言い方はどうだろう――ということなのか、と考えこんだ。表現で戸惑ったのは、バッグを持ちましょうと言った庭先に始まって、自分のことを洗いざらい話したくなった町中に至るまで、歩いている間じゅう募り続けた異様に高揚した気分のせいに違いなく、彼は自分自身や自分の知っていることのすべてが少し歪んでしまったような、何とも奇妙で不思議な感覚に見舞われた。
 (24~25)

  • すくなくとも第一段階の意味を取るに当たって難しいことは特にないと思う。話題に挙がったことは大きく三つくらいだ。ひとつはここの記述といわゆるラファエル前派およびその色彩表現との関連で、つまりは歴史的・伝記的な背景要素ということになる。というのも、こちらが持っているWordsworth Classics版のペーパーバック(1994年)ではこの箇所の"her grandmother's friends"に註が付されており、いわく、"Woolf's great-aunt knew members of the Pre-Raphaelite Brotherhood, a school of painters who used purist techniques to depict nature."とあったのだ。美術方面の知識がないのでラファエル前派というタームも名詞として聞いたことがあるだけで、その内実をまるで知らなかったのだが、その場で誰かが調べてくれたところによると、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』などが代表的な作品らしい。この絵は知っている。『ハムレット』に出てくるあの狂死の少女を題材にしたもので、たぶんかなり有名な作品なのだと思うけれど、しかしこちらがどこで知ったのかは定かでない。ミレーと言えば『晩鐘』の名が浮かぶもので、同一人物なのか? と思ったのだが、『晩鐘』の人はジャン=フランソワ・ミレーである。そもそもイギリスとフランスで国が違う。『晩鐘』は、二〇一五年だか二〇一四年の末に当時ベルギーに赴任していた兄の招きで一家揃って欧州に行った際、帰国の途に就く前の一日でオルセー美術館を訪れて実物を目にしている。しかし閉館まで一時間くらいしかなかったためにじっくりとは見られなかったし、何か語れるほどの印象は残っていない。オルセーでほかに記憶に残っているのは、鹿が角突き合わせているようなさまを描いたクールベの絵と、あとロダンの『地獄の門』である。たしか一時間のうち三〇分くらいはこの門の前に立っていたような覚えがある。オルセーはとにかく馬鹿ひろくて、宝物の詰まった迷宮みたいな感じだったし、あそこを充分に満足するまで回るためにはたぶん半年くらいはかかるんではないか。
  • 話が逸れたが、ラファエル前派は色彩的にけっこう強く鮮やかな色合いを特色としているらしく、ここの記述はそれが踏まえられているのではないかということである。つまり、Mrs Ramsayのgrandmother's friendsが、伝記的に見てWoolf当人のgreat-auntが知っていたラファエル前派の画家と重ね合わせられるのだとしたら、ここではラファエル前派的な堅固な色彩表現と、この場面に出てくる画家の男がやっているような、おそらくもっと淡く、また心象的な色彩表現とが対比させられているのではないか、という話で、これが二つ目の話題ということになる。上に掲げたこの日の本文の直前では、湾の風景を描く画家が束の間あらわれており、次のような夫人の説明がある。「三年前に画家のポーンスフォルトさんがここで絵を描かれてからは、と夫人は言った、みんなあんなふうに描くんです。緑やグレーをたっぷり使って、レモン色の帆船が浮かんでいたり、ピンク色の女たちが浜辺にいたり」。こちらとしてはこの記述からいわゆる印象派的なイメージを連想するのだけれど(とりわけモネが描いた川辺の絵など)、もしそれが正しいのだとしたら、そして合わせて上の推定も当たっているのだとしたら、この箇所の夫人の発言においてラファエル前派と印象派が対照させられているということになる。そして、Tansleyの推測では、夫人はそのうちラファエル前派的な表現のほうを好んでおり、印象派的な色の使い方はあまり気に入らないと「ほのめかしている」というわけだ。もっともこれはTansleyの想像に過ぎない。
  • 三つ目としては、Tansleyの夫人に対するある種の情念、敬愛の気持ちみたいなものがだんだんと高まってきているという話があった。本文にも書かれているのだけれど、この外出のあいだ彼の気分は「募り続け」、「異様に高揚」するまでに至っており、先取りすると、帰路に就く第一章の終わりにまさしく最高潮をむかえている。ところがそのあと二章に移って差しこまれるごく短い場面では、「明日の灯台行きはないよ、ジェイムズ」と言うTansleyに対して、夫人は「まったくいやな人ね(Odious little man)」と心中独白している。したがって、TansleyのほうではMrs Ramsayのことをいくらかは知った気になり、彼女に対する崇敬や憧憬をひたすら募らせて胸をドキドキさせていたのだけれど、それがもっとも高まったところで章が変わり、夫人のほうではTansleyのことを大してどうとも思っておらず、それどころかジェイムズへの振舞いを見て嫌がっている、ということが明らかになると、そういう趣向になっているわけだ。かなり皮肉で、Tansleyを完全に空回りしている道化として戯画化するような、辛辣なやり口だと思う。
  • 本篇に関してはそんなところ。その他の話題としては、(……)。あと、(……)くんが、アリストテレスってやっぱすげえなみたいなことを言っていた。めちゃくちゃ幅広いというか、我々の思考とか学問とかの枠組みを根本的に規定するような仕事をしていると。論理学にせよ概念区分にせよ、彼が体系的に整理分類したものがいままでずっと基本的な拠り所になっているわけで、彼がいなかったら我々もいまのように考えることはできていないんではないか、というような話だったと思う。こちらはアリストテレスもまだ一冊も読んだことがなく、それはあまりよろしくない事態だ。『詩学』とか『ニコマコス倫理学』とか『政治学』とかにももちろん興味はあるが、こちらが読んでみたいと思っているのは『動物誌』である。なぜかこちらは博物学にけっこうな興味を抱いている(やはりそれは自然を記述することへの関心というか、ある種のナチュラリスト的な志向の為せるものなのだろう)。だからプリニウスの『博物誌』とか、リンネとか、ダーウィンとか、ファーブルの昆虫記とか、かなり読んでみたい。
  • あとはもし大学で講義するならどんな講義がやってみたいですかと訊かれて、ジョン・デューイの名を出した。デューイについてなど何も知らんのだけれど、以前(……)さんがブログに書いていたことが記憶に残っていたのだ。いわく、デューイは講義をするときいつもその場で考えながらその思考を表出するようにして喋っていたらしい、みたいな話で、だから内容とか構成は全然まとまっておらず、話しぶりも明快でなくたぶん晦渋だったり曖昧だったりしたと思うのだが、行為としての思考そのものを提示するその身振りによって彼は人を困惑させながらも思惟の営みに巻きこんだ、というような情報だったと記憶している。自分ももし講義めいたことをやるとしたら(やる機会はないだろうし、あったとしても絶対にやるつもりはないが)、なんかそんな風にできたら良いなと、つまりその場で考えるというさまを見せられたら良いなと思ったのだった。それを受けて(……)くんが言っていたのだけれど、ウィトゲンシュタインもまさしくそういう風にやっていたらしく、教室にあらわれると生徒に前回どこまで考えたかを聞き、それがわかるとその場でその続きを考えながら喋っていたと言う。難しい問題に行き当たると、ずっと黙ったままひたすら考え続けて、ほとんど喋らずに講義時間が終わることもあったとかいう話だ。
  • あと、どうでも良いことなのだけれど、何かの拍子でTwitterにある『族長の秋』botをつくったのはこちらだと明かしたときがあった。『族長の秋』にいかれまくっていた頃(たぶん二〇一三年から二〇一四年にかけてのあたりで、当時はあれを覚えこんで暗唱することすら目指しており、実際、一時期三ページくらいは暗唱できるようになった覚えがある)に、この小説はどこを切り取っても面白い最高の作品だからbotをつくってもっと世に周知しようという熱情に駆られて作成したのだ。しかしそうはいってもほとんどつくっただけで、そのあとたくさんの人をフォローして宣伝したりということは面倒臭くてやらなかったのだが、久しぶりにログインしてみようかと思ってその場で検索したところ、なんと二〇一九年の途中で停止していた。使っていたbotサービスが終わったらしい。


・読み書き
 15:19 - 16:00 = 41分(英語 / 記憶)
 16:07 - 16:52 = 45分(2020/10/28, Wed. / 2020/10/21, Wed.)
 27:48 - 28:13 = 25分(巽 / 新聞)
 28:14 - 28:39 = 25分(2020/10/28, Wed. / 2020/10/21, Wed.)
 28:39 - 29:04 = 25分(シラー: 110 - 116)
 計: 2時間41分
 日記: 1時間10分

  • 「英語」: 193 - 222
  • 「記憶」: 166 - 167
  • 2020/10/28, Wed. / 2020/10/21, Wed.
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き: 218 - 219, 279(終了)
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月5日(日曜日): 書き写し: 1面
  • シラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年): 110 - 116

・音楽