2020/10/31, Sat.

 (……)まず、男性と女性の位置は、エコー〔ナルキッソスを愛したが、やつれ果て、ついには声だけになってしまったニンフ〕とナルキッソスの物語を念頭に逆転されている。ここでは女性が池に映り、男性が無力に見つめている。あるいはまた、婦人の映っている姿が見えないのに対し、男性の言明は「聞かれぬよう」留め置かれている。別の言い方をするなら、本来的なイメージとエコー〔こだま〕の関係が、空白と沈黙の関係になってしまった、ということである。
 しかし、より一般的なレヴェルで言うなら、どうもこのアレゴリーそのものが、従来の構造と比べて、転倒しているように思われる。通常のアレゴリーでは、具体的出来事についての物語が提示され、そこから解釈に基づいて、比喩的・抽象的な第二の物語がもたらされる。だが、ここでは字義的なレヴェルで抽象的な無が生じ(「何も起こらなかったようだ/〔起こるための〕場所の他には〔訳注1: Stéphane Mallarmé, Œuvres complètes, Édition établie et annotée par Henri Mondor et G. Jean-Aubry (Paris: Gallimard, 《Bibliothèque de la Pléiade》, 1945), pp. 474-475(『マラルメ全集』第Ⅰ巻、筑摩書房、二〇一〇年、ⅺ頁). これは散文詩「骰子一擲(Un coup de dés jamais n'abolira le hasard)」(全集は「賽の一振り」清水徹訳)の一節である。〕」)、詩の比喩的なレヴェルで具体的な性描写がなされているのだ。湿原の水路を進む漕ぎ手は、「……水に囲まれ、入ることのできない隠れ家」が覗ける蘆の茂みで停止するが、この隠れ家は隠遁を求める婦人の「内面の鏡」である。だが、彼は決して見ないし、何も具体的な行動をしない。彼は見通しのきく場所に身を置いて、そこから、想像されたに違いない「下着の裡に潜むその本能的な魅力」〔Stéphane Mallarmé, Œuvres complètes, Édition établie et annotée par Henri Mondor et G. Jean-Aubry (Paris: Gallimard, 《Bibliothèque de la Pléiade》, 1945), p. 285/ステファヌ・マラルメ「白い睡蓮」松室三郎訳、『マラルメ全集』第Ⅱ巻、筑摩書房、一九八九年、四三頁〕と合体できるのだ。彼は彼女の親密さから身を離す際、実際には睡蓮を摘むことさえしていない。類推によって、自分がそうしていると想像するだけなのだ。つまり、「散在する汚れなき不在」〔p. 286/四四頁〕の花をもぎ取り〔陵辱し〕、「私の理想的な花を奪うこととの透明な類似性」〔p. 286/四四頁〕は何一つ置き去りにしていないという期待とともに立ち去る、自身の姿を想像しているのである。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、26~27; 「2 アレゴリーのトリップ=ティーズ 「白い睡蓮」」)



  • やや苦しみながら呼吸を重ね、一二時に至って起床。雲のない晴れ空で、太陽光もさやかに通る。ゴミ箱や急須や水のペットボトルなど持って上階へ。母親が天麩羅を揚げていた。ジャージに着替えてポットに湯を足したり、ゴミを始末したりする。それからトイレに行って放尿したり、洗面所で髪を整えたりうがいをしたり。天麩羅が揚がるのを待つあいだに風呂も洗ってしまった。そうして食事。テレビは『メレンゲの気持ち』で、「キングオブコント」で準優勝だったニューヨークとかいうコンビの屋敷という人が版画をやっていると聞こえたので新聞から目を上げてそちらを見た。毎日一枚つくってSNSに上げるということをやり、さらにはクラウドファンディングで資金を集めて入場無料の個展を二週間ひらいたと言う。すばらしい。版画の良し悪しなどこちらにわかるはずもないが、普通にうまいしすごいなと思うほどのものだった。一枚つくるのに数時間くらいはかかるのだろうが、それを毎日やっていたとするとすばらしい。
  • 新聞は国際面。香港の学生団体のトップだった一九歳の人が国家安全維持法違反で起訴されたと。米国がUAEにステルス戦闘機F35を売るとの報も。イスラエルが当然懸念を持っていたが、国交正常化を受け、また中東におけるイスラエルの軍事的優位性を崩すことはないと米国が保証したので認可したとのこと。
  • 食後は食器を片づけ、緑茶を持って帰室。時刻は一時である。FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだし、Evernoteを準備すると今日のことを書き出した。昨日は二一日と二二日を進めるだけで昨日当日のことを何も記さなかったので、それもさっさと書かなければならない。音読もやりたい。(……)
  • そういうわけで(……)と通話をした。互いの生活がどういうものになっているかを話す。たしかこちらは高校卒業後にどういう経路をたどっていまの状況に至っているかを説明したはずだ。高校卒業後というか、要するに大学二年でパニック障害を発症し、就活もまったくせずに卒業直前から文学にかまけはじめてそのまま親元でだらだらやっているという現況のことだ。全体にこちらからはあまり質問をせずに、自分のことや家族のこと、それに高校の同級生の消息について訊かれたことを答えるという話し方だったと思う。なぜそうなったのかはわからないが、やはり一〇余年ぶりの顔合わせ(コンピューターを介してではあるが)なのですぐには馴染みづらいところがあったのだろうか。
  • メールでも聞いたがあちらは変わらず宣教をしており、中国人にボランティアで聖書を教えているとか福島にもボランティアに行ったとか言っていた。(……)は高校時代から「エホバの証人」に属している(たぶん家庭がそうだったのだろう)。普段の仕事は水道やガスの検針員をやっていると言い、(……)や(……)や(……)のあたりも回るとか。いまは(……)の実家にもどっているらしい(通話の途中で一度、痰を吐くような音がやたら大きく立ったが、父親が近くにいたのだろうか?)。布教活動ができればとりあえず良いので、めちゃくちゃ働いてガンガン金を稼ごうという生き方ではなく、そのあたりはこちらと似ているようだ。いまは親元でのうのうとさせてもらっているが、親もじきに死ぬわけだしとっとと出なければとは思っているものの、読み書きの業を充分にやろうとするととてもでないが働いている暇などなく、一人暮らしを可能にするほどの収入など夢のまた夢、隘路に行き詰まりながらも打開策を見出せず、しかし特段焦るでもなく呑気にだらだらやっていると現状を説明した。(……)は福島ではシェアハウスで暮らしていたらしく、二人で折半して家賃はひとり五万だったとか言っていた。まあそのくらいあればやっていけるよ、というような語調だったが、あいにく家賃だけで五万も払っていたらこちらの生は成り立たない。シェアハウスもする気はないので、一万円代のアパートで頑張るしかないと思うが、不動産屋に勤めている(……)は、そのくらいの物件になると周りも訳ありが多くてやばい人間がいるのでやめたほうが良いと言っていた。やばい人間がいたらいたで日記のネタになるかなという目算もないではないが、あまりひどい環境に住むよりはおとなしくシェアハウスをして共同生活に甘んじたほうが良いのかもしれない。
  • ほか、ギターを弾いてくれともとめられたので、アコギを出して適当なブルースをちょっと奏でた。「ブルース」というか、ただのブルース進行だが。あちらも応じてヤイリのギターを取り出していくらか弾いていた。(……)は高校時代はドラムだったのでギターを弾くようになっていたのは意外だ。そのきっかけも聞いた気がするが忘れてしまった。コンピューター回線を通しているのでもとより音質など保たれているわけがないが、やたらトレブリーできらびやかな響きに聞こえた。
  • 四時頃まで通話。この土曜日のその後のことはメモもあまり残っていないし、さほど書くことはない。Aerosmithの『Honkin' On Bobo』を聞いて、Steven Tylerはなんだかんだ言ってもやはりすごいなと思ったらしい。たぶん三曲目("Eyesight To The Blind"だったか?)か五曲目("Never Loved A Girl"だったか?)のシャウトを聞いてそう思ったのだろう。一聴するとブルースハープみたいな、人間の声というよりは楽器みたいで、蝶々じみてひらひらしているような音色の高音もときおり出していたはずで、どうやったらあんな声が出せるのか意味がわからない。
  • あと、なぜかCandy DulferとかSouliveとかジャズファンク系の名前を思い出したようで、Amazon Musicで検索して音源をノートに追加した記憶がある。またLee Ritenourの『Overtime』を流したのだけれど、ここで取り上げられている"Papa Was A Rollin' Stone"がなかなかすばらしく、オリジナル版も調べてそれも追加した。オリジナル版はたしかTemptationsだったか? そのついでに、モータウン専属のプレイヤーとか作曲者とかが組んでいたバックバンドみたいなグループも知って、その音源も追加した。
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・読み書き
 13:14 - 14:14 = 1時間(2020/10/31, Sat. / 2020/10/30, Fri.)
 17:31 - 18:21 = 50分(レーヴィ)
 18:27 - 18:58 = 31分(英語)
 18:58 - 19:24 = 26分(記憶)
 25:56 - 26:26 = 30分(新聞)
 26:30 - 26:32 = 2分(2020/10/23, Fri.)
 26:41 - 27:13 = 32分(2020/10/23, Fri.)
 計: 3時間51分

  • 2020/10/31, Sat. / 2020/10/30, Fri. / 2020/10/23, Fri.
  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年): 書抜き: 16 - 20
  • 「英語」: 242 - 263
  • 「記憶」: 168 - 174
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月5日(日曜日): 書抜き: 7面

・音楽
 16:10 - 16:55 = 45分(ギター)
 27:17 - 22:25 = 8分(Ritenour)