2020/11/6, Fri.

 しかし、この「寓意的な花」のテクスト性は、『悪の華』への指向に限定されるものではない。というのも、この比類のない花は、単に新しい、あるいは二番煎じのボードレール的修辞によって構成されるどころか、よく知られた二つの別の文学作品の名――アレクサンドル・デュマの『黒いチューリップ』とピエール・デュポンの「青いダリア」(両者〔黒いチューリップと青いダリア〕は、ボードレールの時代、到達不可能な理想を示す共通のクリシェと化していた)――によっても名指されているからである。読者はしたがって、次のような逆接と直面していることに気づかされる。つまり、(「彼ら〔園芸学の錬金術師たち〕が探究し、……私が発見した」)この希有で比類のない花、このただ一人の所有物(「私はと言えば[﹅6]、すでに私の[﹅2]黒いチューリップを、私の[﹅2]青いダリアを発見した」)も、実は、非個人的なありきたりの言葉、まったく月並みな発見物であることが判明するのだ。このように、最も高い詩的価値を表現するのに、価値を下げた言葉を使用することの目的はいったい何なのか。希有なものとありきたりのもの、値踏みできないものと値を下げたものとの関係とははたして何なのか。比類のないものをクリシェとすることで、ボードレールはみずからの詩的価値システムを転覆しているのではないだろうか。コンテクストとしては、何らかのきわめて斬新な表現がむしろ要求されると思える時に、こうした二つの常套句を使用することは、ロマン派の詩を絶えず支えてきた独創性の崇拝と事実上抵触することになる。ジョルジュ・ブランほどの優れた批評家さえもが、凡俗性へのこうした由々しき下降には当惑を感じている。

同時代のもの(一冊の大衆小説と一つの常套句)を典拠にする凡俗さ、その一方で、その神秘さが一世紀後のわれわれに醸し出す黒と青の叙情性、この両者のあいだにはとてつもない隔たりが存在している。この作家の意図はどこにあったのだろうか(原注21: Georges Blin, "Les Fleurs de l'impossible", Revue des Sciences Humaines, 127 (July-Sept. 1967), p. 461.)。

だが、散文詩がまさにここで問いただしているのは、この「作家の意図」という概念によって仮構される、主体の統一性という公準なのだ。テクストの中でイタリックにされた黒いチューリップ[﹅8]と青いダリア[﹅5]が指し示しているのは探究の頂点ではなく、探究者の権威の不安定さである。活字上の変化は声の変化を、いやむしろ、言葉の「源泉」の制御し難い複数化を示唆している。実際、クリシェとは作者なき引用でなくして、いったい何であろうか。つまり、問題はブランが言うような、「ここでは誰が語っているのか、私[﹅]か人[﹅]か」ではなく、むしろ、「語る行為は一つの[﹅3]主体しかもちえないのか。私[﹅]と人[﹅]の境界線は本当に見定めることができるのだろうか」なのである。
 したがって、韻文詩によって仮構された「優しいふるさとの言葉」は、一人の個人の単一的で初源的な言葉ではなく、むしろ、作者なき常套句の言葉、借用された言説である。そして、人はそれを介して、語る主体としてではなく、語られる[﹅4]主体として、言葉の中に生まれ出るのだ。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、62~63; 「3 詩とその分身 二つの「旅への誘い」」)



  • 一一時四〇分の起床。もうすこしはやく起きたかったが、滞在としてはちょうど七時間ほどなので悪くはない。身体の重さも全然違う。特に腰周りの稼働などスムーズだ。天気はあまり晴れ晴れとしない曇りだが、そう暗くもなく、灰色の染みが混ざった雲のなかに太陽の位置も窺える。
  • 父親は階段下の部屋でコンピューターを前に何やら作業を行っていた。上がっていき、今日は三時半に行くと母親に告げる。母親のほうも仕事でもう出ると言う。洗濯物を行く前に入れてくれとのこと。しかしこの天候では長く出していてもあまりすっきりとは乾かないだろう。食事はシチューを作ってくれたようだ。顔を洗ったり髪を梳かしたりうがいをしたりしたあと、昨晩の残りであるレンコンの肉巻きや天麩羅をおかずに食事を取る。今日は三コマの長い勤務なので、途中で腹が減るだろうと米をおかわりしておいた。
  • テレビも新聞も当然米大統領選の報道がメイン。接戦州の開票がまだ済んでいないらしく、すでに結果が出た三州を巡ってドナルド・トランプの側は訴訟を起こす方針のようだ。バイデンの側は三日後まで郵便投票の到着を待つとたしか言っていたはずで、そうなると最終的な結果はすぐには判明しない。加えて訴訟の流れも持ち上がるわけだ。ドナルド・トランプが何を根拠に不正を主張しているのかはわからないのだが、とりあえずいちゃもんをつけておいて具体的な証拠はあとから探そうという腹はたぶんあるだろう。三日後の到着分まで投票として受け入れるとなると、たしかに消印とかを偽造すれば不正投票が容易にできそうな気もするが、それを行えるのはトランプの側もおなじことだ。さらに言えばトランプ側がみずから欲するような証拠をでっち上げることも可能性としては容易なはずで、万が一そのような事態が起こってしまった場合、米国の選挙制度に対する信頼は計り知れないほど毀損されることになるだろう。つまりこれ以後のアメリカ合衆国において選挙という仕組みの正当性が失われ、もはや人々がそれを信じなくなるということで、それだけは回避されなければならない。
  • テレビでジョー・バイデンの演説をちょっと目にしたが、投票の権利は合衆国の民に与えられた「神聖な」ものだと言っていて、やはりこういうところはアメリカであり西欧的だなと思う。バイデン自身がキリスト教徒として敬虔な人物なのかどうか知らないけれど、仮に宗教的な関心をそこまで持っていなかったとしても国民向けにはそういう修辞を用いるほうが良いわけだろう。このときのバイデンの話しぶりはゆっくりと落ち着いておりまっすぐで、聞き手に対して真剣に語りかけているという感じがあってわりと良かったのではないか。すべての人に平静を保つよう望む、と強調していたのも基本的だけれど大切なことだろう。一方、街ではトランプ支持者とバイデン支持者が近距離で向かい合って互いに主張を叫び合うという事態が諸所で発生しているようだ。ただ、テレビに映った範囲では即座に暴力的な衝突に至ってはいないようで(実際には小競り合いや物理的騒擾もそこここで起こっているのだろうが)、互いに顔を突き合わせるようにしながらも、身振りを交えながら唾を飛ばす勢いで熱心に考えを訴える、という姿が見られ、これ自体はべつに悪くないような気がした。一応言葉の交換によるコミュニケーションが保たれ成り立っているわけだ。最前線では両陣営の列が向かい合うあいだにある種の遊撃手というか、うろうろ歩き回りながら多方面に主張を放つ人員が見られ、列の一部になっている人々も思い思いの方角に向けて指を差したりしながら何事か叫んでいる。その構図を見る限り、だいたいのところ、最低限の節度というものは守られているらしい。
  • 皿と風呂を洗って緑茶とともに帰室。コンピューターを準備し、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだす。前日は読み書き全体としては九時間近くを数えて、時間だけ見ればけっこう勤勉だと言って良いだろう。日記は三時間、読書(ドストエフスキー)は三時間半で、こんなもんだったかと思ったが、合わせれば六時間半になるわけで悪くはない。やはりからだをほぐすこと、とりわけ脹脛(もしくは脚全体)の肉を柔らかくして血流を促すことは最重要である。これは間違いない。それだけで心持ちは落ち着いて締まるし、気力もやる気もおのずと充実する。そういうわけで今日も自室にもどるとさっそく日記にかかって、ここまでのことを記述した。
  • 現在一時二〇分で、三時半には家を発たねばならないのであと二時間。身支度を考えると三時頃には活動を切り上げる必要があり、一時間は脚揉み兼書見をしておきたい。したがって自由に使える時間はあと四〇分ほどとなる。音読をするか、四日以降の日記を書くか、柔軟をするかというところだろう。書見の時間は多少調整して減らしても良い。
  • そういうわけでとりあえず「英語」ノートを音読したのだが、あまり気が乗らないというかさっさと横になって身体を楽にしながら本を読みたい感じがしたので、一七分で切り上げて書見に入った。ドストエフスキー江川卓訳『悪霊(上)』(新潮文庫、一九七一年/二〇〇四年改版)。ある種のミステリー的な趣というか、そう言って良いのかわからないが、どのようにつながっているのか、そもそもそれらのあいだに関係があるのかどうかもよくわからないような諸々の出来事の影に、ニコライ・スタヴローギンという名前がたびたび見え隠れして、この胡散臭さと高貴さを同時に兼ねそなえた王子的人物がいったいどんな役割を果たしているのか、真相は何なのか、という好奇心をそそるような筋立てになっている。しかもまだ二七〇ページくらいまでしか進んでおらず、上巻だけで六〇〇ページ以上はあったはずだし、下巻もおなじくらいあるのだろうから物語はまだまだ前半である。
  • 途中、二時半ごろにトイレに立って糞を排出したついでに階を上がって洗濯物を入れておいた。タオルをつかんで指先の感触を探ってみるに、明確な湿り気が残ってはいないがやはりやや冷たくて完全に乾いたという感じではない。自室にもどると引き続き仰向けで本を読み、三時を越えて起き上がると歯を磨き、一五分ごろに切りをつけて仕事着になった。三時四〇分には出なければならない。それまでにほんのわずかでも書き足しておこうと指を奮い、一〇分だけ今日のことを綴り加えると出発に向かった。玄関を抜けた途端に何とも明確に言いがたいがなんらかの特殊性をまとった空気のにおいを感じたものの、触れるやいなやそれは即座に消えていった。冬のにおいと言えば違うがそれに近いものなのだろう、たぶん枯れ進んだ植物やら土やらが吐いているものと思われ、ちょっと煙を思わせるような感じもあった。見れば林を構成する葉の群れの色合いもいつの間にかよほど淡く、緑を離れたものが多くなっていて、ここ二、三日のうちに一挙に色変わりして季節が傾いたような感を得たが、それは単純に明るいうちに外に出るのが久しぶりだからだろう。道を行くあいだ背後に歩行者を聞いていたが、公営住宅のあたりで抜かされたのを見れば六〇代くらいと見える女性で、動きやすい格好でウォーキングもしくは散歩のようだ。ポケットに何か入れているのか、歩みとともにジャラジャラいうような音が絶えず立っていた。
  • 坂道に散らかっている葉っぱも丸まるように萎んでこまかく、色も黄色く染まりながら縁の近くを帯状に塗っている。ドングリはもちろん茶色に熟してそこここに転がっており、それをパキパキ踏みながら上っていった。道端に紫色のとげとげしたような花を見かけて、一〇月二五日に(……)の林道を歩いた際にも多く見たのを思い出したが、これはたしかアザミというやつではなかったか。いま検索したところではやはりそのようだ。Wikipediaによれば、「スコットランドでは、そのトゲによって外敵から国土を守ったとされ国花となっている。花言葉は「独立、報復、厳格、触れないで」」とのこと。
  • 最寄り駅まで来て見上げた空には鱗っぽい雲が敷かれており、青さもほのかに覗かないではないがやはり白の気味が強く支配的で、雲の筋はいくつも斜めに流れて稲妻を思わせるようであり、そのなかの一条には太陽が裏から宿ってほかより厚く艶めいている。ホームを入ったところには茶髪の若者二人がいた。山歩きをしてきた口だろうか? ひとりが、この格好で会うの嫌だわとか漏らしていたのは、このあと立川で初対面の人と顔を合わせるらしい(やはり相手は女性だろうか?)。ホームの先のほうまで行って電車に乗ると、北側の扉前で横向きに立ち、左方にガラス越しの風景が流れていくのに目を向けていた。
  • 今日は鍵開け。三コマは長くて正直勘弁してほしいが仕方がない。三時四〇分に家を出て帰宅したのは九時五〇分ごろだからdoor to doorで考えても六時間ではあるものの、こちらにとってはやはり相当長い。そんなに働いていては読み書きができない。(……)
  • (……)ただ理解力は聞いていたとおりかなり難があり、単語を三つ確認してから直後に隠して意味を訊いてみてももう思い出せない、という感じ。ただ、やはり単語単体で覚えようというのもこういう子の場合無理があるというか、そもそも一対一で独立的に語を理解しようということがつまらないし、間違っているような気もする。基本的には言語は常に文脈のなかに置かれてほかの単語や状況との相互関係のなかで成り立つものなのだから。何よりとにかくつまらない。受験勉強とか学習塾での勉学の場というのも当然ひとつの文脈であるわけだけれど、なぜそこにおいてのみ非 - 文脈的な理解方法が特権的に許されるどころか積極的に推進されなければならないのか理解に苦しむし、まるでくだらない話だ。なぜこちらが、そんな無味乾燥な暗記の手伝いをしてやらねばならないのかと思う。生徒にしたって英単語が書かれてありその横には日本語が書かれてある、それだけの情報図式を見て頭に入れろと言われたって困ってしまうというか、それで面白いわけがないだろう。言語を習得するためにはまずは最小単位である語をともかく一対一関係で暗記しなければならないという前提を疑い、それに抵抗していき、最終的に廃棄するべきである。そもそも母語を習得する過程だって、突然ある単語を目の前に提示されてそれで意味がわかり頭に入るというわけでなく、さまざまな機会にその都度の文脈のなかで知覚される言葉を何度も何度も聞いているうちに、なんとなく少しずつその意味がわかってくるわけだろう。いくつもの文脈が多重的に交錯し合うその重なりの蓄積としての場において、語とその意味があらわれてくるはずだ。外国語だからといってそうした文脈的多重性を離れてまずは独立的に暗記しなければならないなどという道理はない。そんなことはこちらの知ったことではない。それでは受験に間に合わないというなら、それは受験制度のほうが間違っている。というか受験においても結局はある程度の量の文を読めなければならないのだから、秩序だった構成と量を持った文をなるべくはやいうちから読んだほうが普通に良いと思う。そこにある言葉をひとまずはひとつひとつ全部きちんと追っていくというやり方をシステム化しないから、いつまで経ってもテクストと言語に敬意が払われないどころかそれをないがしろにして少しも恥じない人々が君臨する世界が確定してしまったわけだろう。ともかく、一対一の暗記を推進するようなやり方は今後こちらは基本的には取らない。取るにしても、みずからそこに何かしらの文脈を生み出す努力をする。暗記はとにかくつまらんし、くだらない。諸外国に関してはどうなのか知らないが、日本の受験教育制度は根本的なところで大きく誤っている。それは官能性あふれる知の営みではまったくない。単に効率的な情報処理を練習するだけの機械的な場だ。そんなことは人間より機械のほうがよほど得意なのだから、AIに任せておけば良い。日本の教育(すくなくとも言語教育)というのは、泳ぎ方を身につけなければならないのに、いつまで経っても水のなかに入って実際に身体を動かすことをせずに、ただ教室の机に就いて泳ぎ方のコツを習っているだけ、というような印象を受ける。
  • (……)くんは話しているとき、やはり書いたことを何とか思い出してなぞっているだけ、という印象が否めない。書いた言葉を自分のものにできていないのだ。みずからそれについて思考し、その意味をおのれのなかに落としこんで位置づけるということができていない。だから表面上の、書かれただけの、単なる文字としての言葉の記憶に頼る。つまり、シニフィエから半ば以上乖離したシニフィアンとしての言葉そのものにすがっているだけで、その意味を掴んでそれを杖にすることができていない。それができなければどうしたって空疎な上滑りの感は脱せないだろう。あとはその空虚さをいかに覆い隠すか、というだけの小手先の技術の問題になって、これもまたつまらない話だ。そんなものは言語的コミュニケーションではない。
  • 九時半の電車に乗れるように退勤。(……)方からやってくる電車が三分くらい遅れていて、その波及で(……)行きの発車も数分遅れた。だがそのくらい、どうでも良いことだ。脚を組んで瞑目し呼吸を感じながら待ち、最寄り駅で降りると帰途へ。月が東南方面で灰汁の色をした雲のなか、バターのように溶けている。夜道は寒い。四方から冷気が迫ってきてスーツの布地表面に貼りついている。
  • 帰宅すると手を洗って部屋に帰り、ジャージになって休身。コンピューターをベッドに持ちこんで、仰向けで脹脛を刺激しながらウェブをちょっと見る。ここ数日で気づいたのだが、臥位での脹脛マッサージをする際、おそらく枕に頭を乗せるよりも直接ベッドに後頭部を預けたほうが良い。仔細にはわからないが、からだの角度や位置関係上、このほうが上半身や首までほぐれやすいような気がする。そのうちに、ウェブに遊び続けるか、ひとのブログを読むか、それとも「あとで読む」にメモしてある記事でも読むか、ドストエフスキーをすすめるかと迷ったのだが、大変久しぶりにウェブ記事を読むことにした。そういうわけで、「あとで読む」ノートの一番下のほうから探っていって、工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」に気が向いた。ただこのときは読んでいる途中でどうも眠くなってきて、いったん切って瞑目しながらマッサージを続けたので、読み終えたのは入浴後である。
  • 一一時を過ぎて食事へ。シチューや鮭など。テレビは『A-Studio』。井ノ原快彦が出ていた。それが流れているうちから番組リスト(こちらの視力ではテレビ画面に映ったそれらのこまかな文字は、蟻の集団の戯れのようでノイズじみており、まったく読み取れない)を表示させて見ていた母親が、国際政治学者の、三浦……と漏らすので、読み方がわからないのだろうと察して瑠麗、と受けた。知ってる、と訊くので肯定し、何歳くらいかと続くのには、四〇歳くらいだろうとこたえた。夕刊の番組欄を見てみると、『ANOTHER SKY』に出演するらしかった。「国際政治学者」という肩書きを称している人がこういう番組に出るというのも珍しいことで、三浦瑠麗のことが好きでない人たちはきっと、軽薄だとかタレント化がどうこうとかいって批判するのではないか。夕刊で米大統領選の報を眺めながらそのあと映った『ANOTHER SKY』をちょっと見てみたが、軽井沢の別荘で家族(夫および九歳の娘)と(多忙で勤勉な日々のなかの束の間に)ゆるやかに過ごす休日を映した、というような趣向で、娘と二人肩を寄せ合いながら本を読んでいる後ろ姿をとらえたカットなどに、スタジオの今田耕司が、映画やん、と漏らしていたが、まあそういう感じの「優雅な私生活」めいた印象を与える番組づくりになっていたと思う。夫の人は投資家をしていると言う(「投資家」なる人種がいったい何をしているのか、こちらなどにはまったくわからないが)。母親があまり興味なさげに番組を見ながら、この人、どんなことやってんのと尋ねてくるので、研究でしょ、と返せば、政治の、と来るので国際政治の、と受ける。外国の、とさらに問いが続くので、たとえばいまだったら、それこそアメリカの大統領選で、トランプが勝ったらどうなるか、バイデンが勝ったらどうなるかとか、日本にどういう影響があるかとか、そういうことを研究してるんでしょとこたえておいた。それってお金もらえるのと母親は訊き、こちらだってそんなことは知らないが、まあもらえているんだろう、軽井沢に別荘を持っているくらいだからと判断を述べた。ただ、夫が「投資家」らしいので、そちらのほうの儲けがもしかしたら多いのかもしれない。とはいえそんなことはどうでも良いことだ。
  • 三浦瑠麗の著作や言論はともかくとしても私生活には特段の興味がないので、食事を終えるとテレビ視聴も切り上げて、皿を洗って風呂に行った。瞑目しながら湯のなかで休み、上に綴ったような、暗記はクソつまらんという教育制度全般に対する文句を脳内で巡らせ、出てくると緑茶を持って帰室。工藤顕太を最後まで読んだ。

 (……)ラカンにとって重要だったのは、ある種の主体はデカルトと同じ懐疑を生きざるを得ない、という事実だった。「ある種の主体」というのは、精神分析の「主体」、すなわち自身の症状を持て余し、その根本原因をみずからの無意識のうちに探るべく、分析家のオフィスを訪ねてくる者のことだ。分析において「患者」のポジションに身を置く者のことをラカンは「分析主体(analysant)」と呼び、その主体的かつ行為遂行的な本性を強調した。それは、「治療者」としての分析家ではなく、彼のもとで分析を受ける者自身の欲望こそが、精神分析の原動力となるからである。

     *

 ラカンが分析主体とコギトを同一視するテーゼを示したのは1965年のことだが、すでに1946年の講演「心的因果性について」において、彼はデカルトを「乗り越え不可能」な思想家とみなす発言を残している[1: Jacques Lacan, « Propos sur la causalité psychique », in : Écrits, Seuil, 1966, p. 193.]。ちなみに、「象徴界(le symbolique)」の理論(これはラカンの仕事全体を代表する成果のひとつだ)がおおむね完成するのが1958年前後、ラカンが国際精神分析協会から教育分析家(分析家の再生産に携わる分析家)の資格をはく奪されて新たに「フランス精神分析学派(École française de psychanalyse)」[2: のちにフランス語で同じ略号(EFP)となる「パリ・フロイト派(École freudienne de Paris)」に改名し、ラカンの死の直前まで活動した分析家組織。これがいわゆる「ラカン派」の出発点である。] を立ち上げるのが1964年、そしてその難解さで悪名高い主著『エクリ』の出版が1966年だから、くだんの46年の講演原稿はラカンのキャリアの初期に位置づけられるべきテクストである。要するに、ラカンの分析家としての歩みの少なくとも一部は、はじめから、彼のデカルトへの強いこだわりを抜きにしては考えられないのだ。

     *

 無意識(心理の深層部)を対象とする厳密な科学として精神分析を確立することを望んだフロイトは、哲学をひとつの「錯覚」とみなすことを躊躇わなかった。フロイトによれば、哲学は論理的に首尾一貫した世界観を構築することに拘わるあまり、現実離れした思弁に終始してしまう。それに対して精神分析は、臨床実践と理論的な練り上げを両輪とすることで、現実の経験に裏打ちされた実証科学としてみずからを洗練させていかなければならない、というわけである。今日でこそ、その「思想家」としての顔が広く知れ渡っているフロイトだが、彼自身の関心や考えに従うならば、分析家とは日々の臨床のかたわらで精神分析のことを、すなわち「患者」の抱える症状の意味やそれにアプローチする技法のことを考え、語る者であって、様々な哲学者の議論を頻繁に援用するラカンのスタイルは、この点であきらかに異端のそれなのである。

     *

 ソクラテスも、デカルトも、マルクスも、フロイトも、彼らがある対象のヴェールを取るという情熱をもって自身の探究を行ったそのかぎりで、「乗り越える」ことなどできはしない。この対象とは、すなわち真理である。[7: Jacques Lacan, op. cit., p. 193.]

 「新○○論」、「ポスト○○主義」等々、これこそが時代の最先端であると謳うレッテルは、私たちの時代の「哲学」言説のなかにもいやというほど溢れかえっている。そういう意味では、「乗り越え」の流行というのはじつは流行でさえなくて、むしろ言説が流通する場の常態だというべきである。こうした動向に抗うようにして、ラカンは「真理」という伝統的な(それゆえときには時代がかってみえさえする)キーワードを対置している。それだけではない。この「真理」への情熱こそが、哲学者たちの仕事を乗り越え不可能な、つまり絶えず参照し直されるべきものにしているとラカンは言う。
 『省察』の主人公のように、あるいは自由連想を行う分析主体のように、「私」がほかの誰にも肩代わりできないような切迫した問いの渦中にあるとき、問題となっているのは何よりも「私」自身の真理である。そこでは、主体が真理を問うと同時に、真理によって主体が問われるということが肝腎なのだ。自分がいまそうであるような自分であることは少しも当たり前ではない。ではどうして、「私」は現にここにいるような「私」になったのか。何かのきっかけで、あなたがやむにやまれずこのような疑問に突き当たったとき、この疑問を解く手がかりは、何よりもあなた自身の無意識のなかにある。これがフロイトの実践の出発点にある発想であり、精神分析の根幹をなす考え方である。
 ラカンがここに付け加えたのは、無意識の問題とは同時に真理の問題でもあるということだ。いいかえれば、精神分析という営みにとっての無意識は、哲学――デカルトが『省察』で実演してみせたような行為としての哲学――にとっての真理と等しい価値を、つまり問いのモーターとしての価値をもっている。だからこそ、ラカンの考える精神分析は、哲学者たちとの対話のなかで練り上げられなければならかった。(……)

  • その後、今日のことを記述。一時前からはじめて現在三時一七分、ということは二時間以上かかっているわけで、うーん、と思う。急ぐことは確固たる害悪なのだが、一一月四日分もいくらかでも書きたかったところ、時間的観点また活力的観点からしてなかなかそうも行かない。今日は書抜きもできず仕舞いだ。今晩は四時半には消灯しようと思っていて、就床前一時間くらいはやはり脹脛をマッサージしながら書見をしたいというわけで、三時半ごろにはベッドに移るつもりだからもう書抜きをする時間はない。やはり記述の際に意識と指の動きが急いでしまい、先走って呼吸を置き去りにするのがあまりよくないと思うのだけれど、そこを保って自己に〈密着する〉のはかなり難しい。とはいえ、今日の分は現在時に追いつかせることができたので、そのこと自体は悪くない。ウェブ記事もひとつ読めたわけで、労働が三コマだったことを考慮するに、むしろよく頑張ったとすら言っても良いのではないか。明日は五時から(……)と通話することになっており、その後八時前から職場で会議である。したがって五時以前にできるだけ一一月四日五日の記述を進めたい。会議後に飲み会に参加しないかと今日(……)に声をかけられて、日記のことを考えるならば参加している余裕はまったくないのだが、そのあたり数年前から比べるともう計り知れないほどに緩い自分なので、とりあえず顔を出すだけは出そうかなという気持ちではいる。特に大きな興味を惹かれる人間がいるわけでもないし、面白い話が聞けるとも自分でできるとも思わないのだが。あとそういえば風呂のなかで、先日(……)さんに甘いものは好きですかと尋ねられたのを思い出したのだけれど、こちらが(……)の赴任時や先般のはじめての会議のあとに甘味を差し上げたのに報いてあちらからも何かくれるのだろうかと推していたところ、あれは明日の会議で皆に菓子を配る心づもりだったのではないかと思いついた。そういう心遣いというか、職場総体としての雰囲気をよくする努力をしそうな人ではある。それでこちらもせっかくなので雰囲気向上に貢献するべく何か持っていこうかなとも思ったのだが、上述のように明日は余裕がなくて買い物に行くのも面倒臭いので、今回は見送る。
  • Aki Takase & Alexander von Schlippenbach『So Long, Eric! Homage to Eric Dolphy』(https://music.amazon.co.jp/albums/B00NJQPWNC)を聞こうと思ってアクセスしたら、Google Chromeが最新のバージョンでないためサービスの対象外ですという表示が出て、再生するにはChromeを更新するかデスクトップ版のAmazon Musicを使えと言う。ところが確認してみると、Chromeは最新バージョンなのだ。どういうことなのか? わざわざもうひとつソフトをひらかなければならないことも、そこでまた検索して目的の音源に至らなければならないことも煩わしく、少々苛立ちを感じた。だが仕方ない。一夜明ければ解決しているかもしれない。
  • 三時半には床に移行するつもりが四時になってしまった。ドストエフスキーを三〇分だけ読み進めて消灯。四時三五分で前日と変わらずだが、退歩しなかっただけ良いとするべきだろう。


・読み書き
 12:42 - 13:22 = 40分(2020/11/6, Fri.)
 13:23 - 13:40 = 17分(英語)
 13:43 - 15:17 = 1時間34分(ドストエフスキー: 212 - 272)
 15:28 - 15:38 = 10分(2020/11/6, Fri.)
 22:24 - 22:45 = 21分(工藤)
 24:35 - 24:49 = 14分(工藤)
 24:52 - 27:37 = 2時間45分(2020/11/6, Fri.)
 28:03 - 28:35 = 32分(ドストエフスキー: 272 - 288)
 計: 6時間33分

・音楽