2020/11/10, Tue.

 (……)このように、行為遂行的発言が本来的に自己 - 指向的な言語行為であるなら、それを生成することは、世界の中に新たな指向対象を同時に生成することである。これはだが、指向対象という概念を根本的に変換させることに等しい。というのも、もしそうなら、言語は外的な対象を指向するのではなく、指向行為における言語自体への指向だけを指向することになり、シニフィアンの連鎖は際限のない自己 - 二重化のループに行き着いてしまうからである。こうした難題の一様態は、実際、ポール・ラレヤに指摘されている。行為遂行的発言をチョムスキー的樹形図に適合させようと試みるラレヤは、「樹形図を展開するには、[行為遂行的発言を指示する〔ジョンソン〕]象徴記号を際限なく反復する必要があるだろう[原注12: Paul Larreya, "Enoncés performatifs, cause, et référence", Degrés, 1, no. 4 (Oct. 1973), p. 23.]」と述べている。行為遂行的発言とはつまり、指向自体を入れ子状にすること[﹅9]〔mise en abyme〕なのだ。
 われわれは今、リチャード・クラインが隠喩の隠喩に関する研究で述べているものと相似た苦境に立ち至っているが[原注13: Richard Klein, "Straight Lines and Arabesques: Metaphors of Metaphor", Yale French Studies, 45 (Language as Action, 1970).]、こうした苦境と言語全般の諸特性の関係について、詩が何を語りうるかを示すには、依然、はるか遠い位置にいる。そこで、この問題を追究するため、行為遂行的発言の自己 - 指向性が含意するものをさらにいくつか吟味しておこう。行為遂行的発言がそれ自体のみを指向するなら、それはいかなる外的――あるいは先行的――起源も指向していないと思われるだろう。しかし、実際の分析では、決してそうなってはいないことが分かる。言語行為の意味と指向がそれ自体の発言であったとしても、その事実そのものが発言者の存在=現前を前提にしているからである。つまり、この発言者が当該の言語行為に必要な起源になっているのだ。行為遂行的発言がオースティンの言う「適切〔felicitous〕」なものであるためには、発言に対する発言者の存在=現前を示す何らかの記号が必ず必要とされているからだ。しかし、この散文詩[マラルメの「小屋掛芝居長広舌〔La Déclaration foraine〕」]では、語り手と発言の意図的な連続性が、詩人と婦人双方によって問いただされている。そもそも、公衆に仮小屋への入場を促す口上が「はじめは言っている当人にも何のことやら分からぬ[原注14: アーシュラ・フランクリンが指摘するように(Ursula Franklin, An Anatomy of Poesis: The Prose Poems of Stéphane Mallarmé [Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1976]), 「はじめは〔d'abord〕」の後ろに付されたプレイヤード版のピリオドは印刷情の誤植である。「一つ覚えの、何のことやら分からない〔invariable et obscur〕」という表現に修飾されているのは、この口上そのものだからである。]」ように、公衆に発せられる「夢みたいなこと」は「身の程も知らず〔s'ignore〕、恐れもなしに、〔公衆に向かって〕投げかけ〔られる〕」からである。詩人が「お腹に拳固でひどい一撃を与えられたかのように」吐き出したものすべてを自己 - 表出〔self-expression〕と呼ぶことは確かに可能だろう。だが、それはあくまで、自己 - 表出という語の語源的な意味――すなわち歯磨きチューブのような意味――においてそうであるにすぎない。この詩は詩人の主体的な意図によって自然に生み出されるのではなく、不時に開かれた詩人の口からもたらされるのだ。これは言うまでもなく、マラルメについてよく議論される、詩的主体の排除と完全に一致している。「純粋な作品は、語り手としての詩人の消滅を引き起こす。詩人は言葉に主導権を譲り渡す[原注15: Stéphane Mallarmé, Œuvres complètes (Paris: Gallimard, 《Bibliothèque de la Pléiade》), p. 366〔「詩の危機」松室三郎訳、『マラルメ全集』第Ⅱ巻、二三七頁〕.]」。ありていに言うなら、このような不連続性を発言者と言葉のあいだに積極的に生成することは、マラルメの詩の行為遂行的な次元を排除するどころか、この詩の真に革命的な行為遂行性を組成しているのである。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、98~100; 「4 詩と行為遂行的言語 マラルメとオースティン」)



  • 一二時二〇分ごろまで就眠。一応消灯時間をほんのすこしずつはやめられてはいるのだが、なぜか起床の時間は一向にはやくならない。それ以前にも何度か覚めてはいると思うのだけれど、どうも身体を起こすまでに至らないのだ。このときもすぐには起き上がらず、背中や腰のあたりをほぐして一時を越えてから床を離れた。
  • 上階へ行き、用足しなど。洗面所に櫛つきのドライヤーがなくなっているのは、父親が山梨に持っていったからだろう。祖母のところにきょうだい一同で集まって家の処理について話をすると昨晩母親が言っていたが、ドライヤーを持っていったということは泊まってくるのだと思われる。それで髪を整えにくいが、普通の櫛でいくらか梳かしたあと、適当にワックスをつけて流しておいた。
  • 食事は煮込み素麺。新聞の一面はジョー・バイデン勝利の報。彼の演説全文もやや大雑把に読んだ。カマラ・ハリスの演説もところどころ。バイデンが勝ったのはひとまず安心できると思うが、ペンシルベニアとか最後のほうに開票を待っていた三州を見てもかなり僅差の接戦だったはずだし、ドナルド・トランプも問題を法廷に持ちこむのだろうし、何より一度ドナルド・トランプを大統領にしてしまった人々の心性はそんなにすぐどうこうなるものでもないだろうし、武装勢力もQAnonも引き続き勢力を振るい続けるのだろうから、混迷はそう容易には収まらないだろう。
  • 洗濯物を入れてたたんだり、シャツやエプロンやハンカチにアイロン掛けをしたり、風呂を洗ったりしてから帰室。茶を飲んで一服したのち、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに今日の日記。途中(……)さんのブログを覗くと、最新記事でthe pillowsの"Funny Bunny"にハマっていたのでちょっと笑い、またちょっと意外にも思った。"Funny Bunny"にはたしかに絶妙に鮮やかな色彩感のようなものがあると思う。Mさんはそこで、ミスチルスピッツバンプ - the pillows・SUNNY DAY SERVICE - syrup16gBlankey Jet City - Number Girlという大雑把な区分けを示しているが、このように整理されるとたしかにthe pillowsって、メインストリーム的な定型に対する対峙の仕方において、わりと際どいバランスのところを突いているのかもなという気はした。こちらはSUNNY DAY SERVICEをきちんと聞いたことはないのだけれど、『MUGEN』というアルバムだけコンピューターに入っており、鬱症状で本も読めなかったし音楽も聞けなかった二〇一八年のあいだ、なぜかこの音源だけは流していても苦にならなかった。ベッドに寝転んでじっとしながら目を閉じてこの音楽が流れていくのをただ聞いていた一時期があった。
  • 昨日のうちに一一月八日分を仕上げるつもりだったのに果たせず、九日分は九日分で、例のクレーマーみたいな人のことを書かなければならないので手間がかかるだろう。それらが終わったあとにまた一一月四日と五日を仕上げてそれからようやく一〇月二五日以降の流れに復帰できるわけなので、できるだけ頑張らなければならない。とりあえず今日は八日の分から取りかかるか。
  • 八日分は二〇分ですぐに終わった。それから九日分も一時間二〇分のあいだ綴ると五時を四分の一過ぎたので、上階の母親に七時前に行くと伝えておき、ベッドで書見。ドストエフスキー江川卓訳『悪霊(上)』(新潮文庫、一九七一年/二〇〇四年改版)を読み進めながら脚をほぐして六時過ぎ、食事を取りに行った。鮭が余っていたのでそれをおかずに白米を食う。かたわら夕刊を瞥見。新聞で言えばこの日の朝刊の歌壇に、スタニスラフスキーの『俳優修業』の全巻と二〇歳の自分をともに捨てたみたいな一首が取り上げられていて、その作者が水戸市の「大野太加し」となっていたのだが、これはもしかしてロラン・バルトの『声のきめ』などを訳している人ではないか? と思った。『ロラン・バルト著作集』だったか忘れたが、みすず書房から出ているあの一〇巻シリーズの二巻目、バルトが演劇批評を熱心に書いていた時期の文章も訳していたし、自分でも演劇をやっていた人なのでは? と思ったのだが、いま検索してみるとこの人の名前は大野多加志だったので、「太」と「多」が違う。とするとやはり別人か。
  • 食後、母親が駐車場の隅に取りつけてあるセンサー式ライト(母親はそれを「目玉の親父」と呼ぶ)の電池を替えてほしいと言うので、元祖父母の部屋の北窓から身を乗り出して、樋の接合具にひっかけてあるそれを取った。しかし手を伸ばした際に物体の接近を感知して普通に点灯したので、点くよと言って渡せば、じゃあ接続が悪かったんだ、大丈夫だというわけで、電池は替えずにそのままもとの場所にもどした。そうして下階に行って歯磨きと着替えを済ませる。
  • 六時四五分直前あたりに出発。空気は今日もまた冷たいが、Paul Smithの灰色マフラーを巻いたので首周りはしっかりと防護されて温もり、ひるむことはない。道に虫の音がまるでなかった。すくなくとも近くには聞こえないし、家を出たそのすぐ前で一匹鳴いていたのみである。空はだいたい雲に覆われて暗いが、少々の隙間を見れば紺色が濃く、雲と空の色味がまだ明確に分離されている時刻だ。
  • (……)さんの宅前にかかるとポストをひらいているらしき音が聞こえていて、車庫を過ぎて入口前に出れば主人が通路を下りて姿をあらわしていたので、こんばんはと挨拶した。今日は寒いですねえと続けて、風が冷たいから、とまさしく冷気の流れを感じながら笑う。齢九〇の老骨にはこたえるのではないか。気をつけてください、とからだをいたわり自愛するようにとの意で口にして、別れて坂に入った。大気の冷たさもそうだが、上がっていくあいだの音や気配のなさこそがいかにも冬の空間らしいのではないか。身の周りから立つものがないし、なんらかの気配が立てば即座にはっきりと伝わってくる。
  • 電車に乗ってメモ。着いてもちょっと記録。メモは家から出たあとの道のことを先に記しておくのが良いのではないかという気がした。家内でのいつもの生活習慣にはとりたてて大きな差異もないし、外を歩いているあいだのほうが情報も多くて主題として重要度が高いように思うから、そこで感知したことを忘れないうちに記しておいて、帰宅後もそれを先に書いてしまうというわけだ。実際、今日はそのようにやってみたが悪くなさそう。
  • 職場に行く前に交番に寄って話を聞いてみようかなと思っていたのだけれど、デスクの上にパトロール中の表示が出ていて警官は不在だった。それで勤務へ。(……)
  • (……)退勤した。再度交番に寄ってみたのだが、またもパトロール中で不在。パトロールしすぎじゃない? 駅に入ってベンチに就き、ドストエフスキーを読みはじめ、電車内でも読書。優先席に座ってげっぷを吐きながら酒を飲んでいる胡乱げな男がいた。
  • 最寄り駅を出て坂道へ。往路とおなじで身近に音も気配もまずない。遠くから犬の鳴き声や車の走行が伝わってくるのみ、傍では靴音ばかりが際立ち響き、通りすがった家の、電気のメーターか水道関係か知らないが、外で働いているらしい何かの器具のかすかな音すらはっきり聞こえる。木々や葉っぱや下草から立つものが何一つないのが驚異的で、もちろん風もなく空気がぴたりと静止しているので、そのなめらかな平坦さというか、まさしく無の横溢感覚というか、凪の純粋形態というか、雑菌のまったく含まれていない聴覚的衛生性みたいな空間相がかなり印象深かった。坂を出ればいくらか空気に動きが生まれ、頬が冷たくなる。だいぶゆっくり、一歩一歩が確かに区別されるくらい鷹揚に歩いて家の前まで来ると、向かいの垣根からかぼそく鳴く虫が一匹あって、もしかすると出掛けに聞いた個体とおなじものなのだろうか。
  • 帰宅して手洗いを済ませると自室へ。着替えてしばし書見しながら休身。一〇時半ごろ上がっていくと、母親は染髪剤で髪をソフトクリームみたいにしていた。彼女が入浴に行ったのでひとりで悠々と食事。夕刊から「日本史アップデート」を読む。ペリー来航時の幕臣は実は有能だったという評価に変わってきているという話。なんとかいう学者によれば小栗忠順[ただまさ]という人がなかでもとりわけ有能な幕府官僚だったという。もうひとり、大久保一翁という人物の名前も。江戸幕府アメリカの来航を予測して江戸湾に火砲を設け武士を配置し、海防を整えていたというのだが、それ以前にそういう防備の発想はどうなっていたんだろうなと思った。林子平だったかなんだか忘れたが一八世紀後半くらいの人が、たしかロシア船の近海出現を受けて海防策を提案した書をつくっていたと思うが、そもそも江戸時代なかばくらいまでは江戸湾に防衛設備はなかったということなのだろうか。つまり、当時海上から首都が攻撃を受ける可能性というのはまず皆無だったのか、想定されていなかったのかということで、より具体的にはたとえばどこかの藩が幕府に反旗を翻して海から攻めてくるみたいなリスクは考えられていなかったのかということだが、たぶん基本的に各藩の戦力情報は管理されていたのだろうし、そもそも大砲もおそらく幕末にならなければ日本にはないはずだから、現実的にそれを可能にする武力装備が存在しなかったということなのだろう。できてせいぜい木造船で大挙して上陸し、江戸城に向かって進撃していくというくらいか? そしてどこかの藩でそういう動きがあれば、おそらく幕府はそれをキャッチしたはずだ。
  • 食後は緑茶を飲みつつ今日の日記を綴ってから入浴へ。父親がドライヤーを持っていってしまったので母親の櫛つきのものを借りる。
  • 風呂から帰ってくると零時半、音楽をじっくりと聞く時間をやはり一日のうちですこしでもつくりたいなというわけで、鑑賞することにした。Jesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』から"Love For Sale"。以前からおりにふれて記しているけれど、これは名演と言って良いと思う。特にやはりBert van den Brinkがすごく、アプローチと技術の多彩さが並外れており、展開の作り方がめちゃくちゃにうまい。模範ではないか? 真なるプロフェッショナルの仕事という感じ。この音楽の導力や主潮流はどちらかといえば彼が握っているような気がする。Jesse van Rullerはその支えの上で好きなように闊達に動けるという感じではないのか。Jesse van Rullerという人もトーンやフレージング合わせて、現代のジャズギタリストのなかではちょっと異質な位置にいる人のような気がする。
  • 続けて"Stablemates"も聞いた。これはライブ音源である。これもまたすごくて、ちょっとビビるし、マジでこのデュオはBill EvansJim Hallの『Undercurrent』に匹敵するというか、すくなくともそれをこの上なく受け止めた演奏になっていると思うし、ことによると超えているのではないかとすら感じる。すばらしいのはやはりBert van den Brinkであり、この人の展開力・構築力は群を抜いている。ソロの引き締まり方が半端でない上、めちゃくちゃに底の深い貫禄を窺わせ、たぶんJesse van Rullerが何をどうやっても受け止めて正しく返したり巧みに発展させたりするのではないか。単なる想像だけれど、van Ruller自身もそういうある種の盤石さに対する信頼を感じているような気がする。つまり、van Rullerほどの奏者が胸を借りて包まれているかのような懐の深さを持っているように聞こえるということだ。そう考えると対等とは言えないのかもしれないが、その点は問題ではないし、van den Brinkの丁寧な、誠実さなどという人格的用語すら使いたくなるほどの高度な助力によってvan Rullerの力が引き出されているのではないか。このデュオには二作目かライブ音源を出してほしい。しかし検索してみればこのアルバムは二〇〇六年のもので、もう一四年も前の作品なので、再集合というのはなかなか難しいだろうか。
  • その後は日記に邁進しており、一時前から二時半過ぎまで休みなく綴っていてなかなか勤勉だ。今日は全体としても日記に充てた時間が四時間二〇分になった。まあまあ悪くはない。八日分、九日分を仕上げ、四日分も片づけることができた。あとは五日分を処理すればようやく一〇月二五日からの軌道にもどり、ブログの投稿を進めることができる。
  • それでその後はいくらか気が抜けたのか怠けてしまい、三時台後半になってベッドに移るとドストエフスキーを三〇分読んで四時一五分に就寝した。

  • 2020/11/10, Tue. / 2020/11/8, Sun.(完成) / 2020/11/9, Mon.(完成) / 2020/11/4, Wed.(完成)
  • ドストエフスキー江川卓訳『悪霊(上)』(新潮文庫、一九七一年/二〇〇四年改版): 472 - 538

・音楽
 24:32 - 24:48 = 16分(Ruller & Brink)

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Eagles『Desperado』
  • John Mayer『Where The Light Is: John Mayer Live In Los Angeles』
  • Jesse van Ruller & Bert van den Brink, "Love For Sale", "Stablemates"(『In Pursuit』: #3, #9)