2020/11/26, Thu.

 [エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」の]いずれの対話でも、すべての言葉が読者に忠実に反復されているように見えるため、語り手は彼の物語をもっぱら直接的な引用によって提示したと思われるだろう。要約の可能性が期待された時でさえ――例えば、警察が手紙の捜索に失敗した際に用いた方法について正確に描写する時――、読者には〔対話の〕詳細がすべて与えられている。したがって、〈警視総監〉の言葉の直接的な引用が要約に取って代わられる短い瞬間がある[﹅2]のは、いっそう驚くべきことである。これから確認するように、この瞬間は、短いとはいえ、少なからぬ重要性を帯びている。それは最初の場面を締め括る一節の中で生じる。

 「それ以上のアドバイスはしてやれないな」とデュパン。「問題の手紙がいったいどんな形をしているのか、正確に分かってるんだろうね?」
 「もちろん!」――かくして〈警視総監〉はメモ帳を取り出し、盗まれた手紙の中身と外観とがいったいどんなふうなのか、その特徴を細大漏らさず読み上げた。ひととおりまくしたてると、彼はこれまでにないぐらい落ち込んで帰って行った。(Edgar Allan Poe, The Great Tales and Poems of Edgar Allan Poe (New York: Pocket Library, 1951), pp. 206-207〔エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人・黄金虫――ポー短編集Ⅱ ミステリー編』巽孝之訳、新潮文庫、二〇〇九年、九二―九三頁〕.)

このように、要約されているのは、この物語で話題となる手紙の描写である。また、要約の機能とは、一般的に、発話形式を削ぎ落し、読者に内容だけを伝えることと考えられているが、ここでの要約の使用は、それとはまさに逆のことを行っている。それは〈警視総監〉の談話内容を伝えず、その形式だけを述べているのだ。また、この省略で隠されているのは、手紙自体の内容にほかならない。つまり、手紙のメッセージが決して明らかにされないという事実――これは、ラカンがこの物語を読む際の土台になるだろう――は、ポーのテクストの機能によっても消極的に明示されている。デリダならそれを書記言語の抑圧(メモ帳――そして手紙に書かれたものの隠蔽)と呼んだであろう。(……)
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、197~198; 「7 参照の枠組み ポー、ラカンデリダ」)



  • 一二時二〇分になってようやく視覚と意識がはっきりした。ちょうど八時間ほどの滞在。また消灯時間が退歩してしまっているのでよろしくない。今日からふたたびもどしていこう。一度、三時四〇分まではやくなったのでそこにもどせれば一番良いが、とりあえず四時前が目標か。起き上がってジャージに着替え、急須と湯呑みを持って上階へ。
  • 父親は昨日から山梨。母親は(……)さんと食事をするとかで出かけている。洗面所に入って風にあおられたようになっていた髪の毛をおとなしくさせ、昨日の天麩羅の余りをいくらか取り分けた。そのほか大根の味噌汁と米をよそって食事。新聞には『釣りキチ三平』の人の訃報。ちばてつやが言葉を寄せて、日本の自然とか魚を描かせたら右に出る者はいないと言っていたと思う。『釣りキチ三平』は子どもの頃にいくらか読んだことがあるが、たしかにあの絵の感じというのはすごかったのかもしれない。覚えている作中のエピソードがひとつあって、爺さんが山のなかを歩いていて竹藪だか林中を通るのだが、そこで切断された竹だか木だか先がものすごく鋭利に尖ったやつを気づかず思いきり踏み抜いてしまい、足の裏から甲を大きく超えてつらぬく大怪我をする、というものだ。あれは当時、めちゃくちゃ痛そうでかなり怖かった覚えがある。
  • 国際面では香港の林鄭月娥行政長官の所信表明演説がなされたと。反体制的な思想を排除し、政府に対して批判的な考えを教える教師には強硬な措置を取るという主旨のもので、文中の引用によれば長官はそこで、「徳のない教師」みたいな感じで「徳」という概念を使っていた。政府に対して批判的な視点を言ったり伝達したり持ったりしてはいけないというのは、国が人民に対して、お前たちはいまあるこの世界の状態とべつのあり方を知ろうとしてはいけない、考えてはいけない、探究してはいけない、お前たちは思考を停めて我々の言うことにただ従わなければならない、と言っているのとだいたいおなじことだと思う。それはつまり、人々から知への欲望を剝奪しようとしているということで、これが人間とその歴史に対する最大の侮辱だとこちらは思う。とはいえ、権力がどんなに頑張ったところで、人が何かを知りたいとこころざし、おのれにとって確かなこととはなんなのか、それを探究しようという心を完全に抹殺することなどできはしないとも思う。人間が持つ知への欲望を無化しようとする国家が栄えたり持続したりできるとはこちらには信じられず、早晩滅びるか、すくなくとも衰退するか混乱に入るかとしか思えないのだけれど、そうでもないのだろうか? やはり精神的な事柄よりも経済と安全こそが、国家および人々の支持の支柱となるのか?
  • 食後はいつもどおり皿を洗ったり、風呂を洗ったり。茶を注いで自室に帰還すると、昨日買った細長いパッケージのポテトチップスとともに一服し、それから今日のことを書きはじめた。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』。昨日のWoolf会で音楽を聞いて思ったが、やはり音楽というものは集中してじっと聞く時間を取らなくては駄目だ。当然の話だ。だから今後、なるべく一日のはやいうちに、一曲でも良いので音楽に傾聴する時間を取りたい。毎日だ。
  • 忘れていたが、茶を支度する際、一杯目の湯を急須にそそいで待つあいだ、脚をひらいて腰を落とすと、目の前の椅子に母親の真っ赤な小袋がかかっており、その表面から繊維がほんのわずか突出して宙に浮いており、糸の先が二つか三つに分かれているさまにもっとも原始的な素描で生み出された鳥のかたちが見え、より具体的には鶴のイメージを思ったのだった。からだを伸ばしながらしばらく見ていると、糸の根もとのほう、バッグの表面に近いあたりは糸がより一層細くなっているようで視認できず、したがって二、三の微小な線のみで描かれたその鳥はまさしく宙をしずかに浮かんでいるように見えるのだが、室内の空気がかすかに動いているのか、それともこちらの呼気に感応するのか、見ているあいだほんのすこしだけゆらゆらふるえていた。
  • 二時過ぎでいったん日記を切って洗濯物を入れに行った。今日は曇りと晴れの中間のような天気だ。暗くはないが雲も多く薄水色の上に点じられ、あるいは湧いており、陽射しは悠々と通ることはできずあまり晴れやかな大気でもない。空気の手触りはさほど冷たくはないものの、しかし日が暮れゆけばだいぶ寒さにかたむくのではないか。吊るされたものを室内に入れ、タオルなどたたんでおくと帰室。日記をすこしだけ書き足して切りをつけると、書見をしながら身を休めることに。
  • 徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』(みすず書房、一九九七年)である。リルケに『ドゥイノの悲歌』という有名な作があるのだけれど、そのドゥイノというのはイタリアの地名、そして城の名であることをはじめて知った。トリエステの近くにあるらしい(トリエステ第二次世界大戦中、イタリア全土で唯一ユダヤ人の強制収容所がつくられた土地だとも書かれてあった)。『ドゥイノの悲歌』で思い出すのはもちろん古井由吉が『詩への小路』でそれを翻訳していたことで、あの本はたしかこのあいだ文庫版を買ったはずだぞとベッド脇の袋を探るとすぐに見つかった。この本も非常に読みたいので、目につくように手近の積み本の上に重ねておいた。書見は三時まで。
  • 読書後、トイレに行って、身体から尿を追い出してきてから音楽。まずBill Evans Trio, "Gloria's Step (take 1, interrupted)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#2)。一曲目なのでまだあまり音楽を聴取するという肉体および意識の状態が整っておらず、音がいまいちよく見えなかった。頑張って聴覚的視線を音のほうにつよく差し向けようとするのだけれど、気づけば逸れていたり、あるいは余計なイメージや記憶がノイズ的に意識野に入りこんできて邪魔されたりする。まずは毎日の習慣として、感覚的志向性を音楽のほうにぴたりと据えるという訓練を重ねるべきだろう。とりあえずそういう時間を取るだけは取ること。実際に何かが感取できるかどうかはひとまずはどちらでも良い。
  • 次にJesse van Ruller & Bert van den Brink, "Here Comes The Sun"(『In Pursuit』: #1)。van Rullerのオリジナル。一曲目でそこそこ意識が洗われたので、こちらはわりと明瞭に見ることができた。Bert van den Brinkがやはりすごい。van Rullerのソロ中、彼の弾いたフレーズを受けて即座に呼応し、輪唱的に同型を重ねる装飾が二度見られた。それは小技の類と言えばそうで、けっこうみんなやることはあるけれど、とはいえ反応ははやくてきっちりと嵌めてくるし、バッキング全体を通しての安定感もこの上ない。そして何よりもソロである。この人は本当にすばらしいピアノで、あたたかな洗練の極みみたいな段階に達しており、雑味が一瞬も混じらない。各部のフレーズの描き方、そして全体の構築の仕方も通り一遍に陥ることがない。この音源では録音の質も演奏を高めていて、ピアノソロは一音一音がはっきりと聞こえるし、ニュアンスのゆらぎも明瞭に触れてくる。すばらしい。van Rullerも、ソロの後半はよどみなく音を詰めながら綿々と流れていて良かった。
  • それからここまでふたたび日記を書き足して四時前。今日も五時頃、労働のために家を発つ必要がある。したがって残された猶予はすくない。昨日の日記も書きたいし、運動もしくは調身もしたいし、音読もやりたいのだがおそらくすべてをこなしている時間はない。
  • やはりからだのコンディションを調えることが最優先というわけで、歌を歌いながら柔軟運動をした。音楽はFISHMANSRichie Kotzenくるりなど。昨日のWoolf会でくるりの"ばらの花"はメロディのつくり方だけ見るとクソつまらん配置になっているのに、そこに言葉がつくと見事に成立しているからすごいという話があったが、実際歌ってみてもたしかになあと思った。"ワールズエンド・スーパーノヴァ"などにも、あまりに単純な旋律の推移がときにあるけれど、あれはあれで形になっているからすごい。今日はダンベルも持った。最近はダンベルも使って腕の肉も温めるようにしている。と言ってトレーニングというほどの強度ではなく、胸に引き寄せるような持ち方とか、肩の上に掲げるような姿勢とかを取ったまま歌を歌っているだけだが。四時半まで調身。
  • 上階に行き、大根の味噌汁を温めて腹に補給。母親は帰宅済み。(……)さんが株式会社をつくったんだって、とか言っていたが詳細は知れない。新聞の国際面からタイおよびフランスの記事を読む。フランスでは警察官の個人特定につながるような顔写真ならびに動画を撮ったり、それを配信したりすることが禁じられる法案が可決されたと。デモを規制する警察官への襲撃などを防ぐためというが、「報道の自由」の制限だと批判が高まっているとのこと。破った場合の罰則は禁錮一年プラス五六〇万円ほどの罰金だという。
  • 味噌汁一杯だけで腹をつなぐと階段を下って歯磨き。口内をがしゃがしゃ掃除しているあいだに短歌をつくった。

夕焼けが裏切ることもときにある陰謀ばかりの世の中だから

狂死した詩人にもらった傷口は世界の裏側へと至る道

神様がさしのべた手をもぎ取って木乃伊をつくり教祖になろう

ゆりかごのなかまで響く機関銃雨が降ったら眠れるものを

英雄も天使もいない戦場に歴史家ひとりただ雨が降る

地球儀を見下ろすだけの神なんてきたない俺らの仲間じゃないね

街の灯にむらがる蝶の一匹に恋をしたから絵描きになった

  • そうして腸や膀胱の中身を排泄するとFISHMANSとともに着替え。すると五時過ぎ。通常ならばもう出なければならない時だが、今日は徒歩で行こうと思っていたので、がんばって電車に間に合わせる必要はない。今日の日記をここまで書き継ぐと五時二〇分をむかえた。
  • 上階へ行き、玄関へ。トイレに入ると外から老人の話し声が聞こえて、父親がもう帰ってきて誰かの話を聞いているのだろうかと思ったところ、挟まる相槌が知った声だったのでやはりそうだとわかった。室を出て玄関をくぐると、話の相手は(……)さんである。木を伐るのどうのというような話をしていたようだ。夕刊を取って母親に渡しておき、(……)さんのほうにはどうも、こんばんはと挨拶を放って出発した。南の空に三分の二くらいの大きさの月が照っていた。もう暗い道を歩いていくとSとZの中間くらいの持続音が聴覚野に侵入してきたので、林のなかで風が吹いているなと思ったところが、さらに進んでわかったことに、それは風の音ではなくて水路の響きだった。かすかではあったものの一昨日昨日と雨が降ったのですこし水が増えていたようだ。坂に入ると右方の遠くから川の響きが立ち昇ってくる。水面はもちろんもはや暗黒に閉ざされてまったく窺えず、その手前にはイチョウの木が立っているはずだがそれもいまやほとんど気配のみ、背後の闇より濃いのか薄いのかそれすらよくわからないような曖昧な影にすぎない。
  • (……)さんの宅のそばの坂道に八百屋が来ていたが、以前より坂の先のほうに停まっていて距離があったので挨拶はせずに通り過ぎた。空気は少々冷たく、しかし歩いていれば温まるだろうし冷たい季節を感じながら行くかと思っていたのだが、街道に出て風が流れるとやはり寒いのでバッグからマフラーを取り出してつけた。二つ目を明るく灯した車たちが、道の果てまでずっと光の列をつくっている。裏に折れて、もう暮れてひと気も乏しいなかを進んでいった。時間があまりなかったのでいつもより頑張って、すこし大股に歩いていたのだが、途中で時計を見るとそれでも遅くなりそうだったのでさらに一歩の幅をひろげた。そうすると脹脛マッサージやストレッチの成果で脚がよく動き、しかも歩いているうちに脚だけでなくて腹や背のあたり、あるいはからだの芯の感覚がなめらかになった。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路のことはあまり覚えていない。空気がけっこう冷たくて、スーツの表面にまつわってくる感触を見ても肌のほうへと染み入るような感じがあったという、それくらいか。帰ると脚をほぐしながら書見で休み、夕食。夕食がなんだったかも覚えていないしテレビなどについても覚えていない。そういえば食事に上がる前にJesse van Ruller & Bert van den Brinkの"Estate"を聞いたが、休息したとはいえ労働後だとやはり疲れているようでちっとも音が見えなかった。
  • 風呂から帰ってくると、ちょっとウェブを見たあとにまた音楽鑑賞。Jesse van Ruller & Bert van den Brinkの"Love For Sale"。すばらしい。風呂のなかでからだを揉みほぐしたためか、音はわりとはっきり見えた。あと、やはり一日活動したあとだと身体もしくは存在の輪郭がややギザギザしているというか、ぶれているというかかすかに振動するような状態になっているのだけれど、なるべく静止して自分のからだの脈動を感じながら音楽を聞いているとそれが均されてなめらかになってくる。この"Love For Sale"のピアノソロはやはりすばらしく、この曲の演奏のなかでも屈指のものではないかとすら思う。van Rullerにせよvan den Brinkにせよリズムがとても正確でかっちりと嵌まっているのはもちろんなのだが、加えて手がはやいというかなんというか、モタる瞬間がなく、全体にほんのすこしだけ前傾するような感覚があって音の粒が鋭い。ただvan Rullerのソロはけっこう低めの音域で音を詰める時間が長くて、バッキングとも重なってあまり際立ってこず、歌う感覚が弱いのがもったいない気はする。
  • 次に空気公団『こども』から"電信"と"旅をしませんか"を聞いた。きわめて爽やか。ギターが気持ち良い。弾き語りで歌えるようになりたい。
  • 最後にJohn Coltrane Quartet, "Afro Blue"(『Live At Birdland』: #1)。なぜかこのあたりになるとまたちょっと意識がゆるんできたというか、あまりよく音を見られず意識が逸れてぼんやりしている時間がけっこうあった。一〇分あるとそうなってしまうのか。とはいえElvin Jonesがやはり馬鹿げているなというのは聞き取った。クラッシュシンバル鳴らしすぎだし、低音のほうでもドカドカやりすぎだろと思う。いかにも豪腕という感じ。時代的制約もあって(一九六三年一〇月八日の音源)録音がそれほど良くないから忠実に伝わってこないが、これ生で聞いたらめちゃくちゃうるさいんじゃないか、と思う。Elvin JonesのそれにMcCoy Tynerも分厚いコードをガンガン重ねるなか、Coltraneがソプラノで切りこんでくるわけで、これは盛り上がるだろう、実際聞いていた人間は興奮しただろうと想像される。
  • 音楽を聞いたのちは上を記述し、それから前日の日記を進めた。三時まで一時間書いたが終わらない。疲労したので今日はここまでとして歯磨きなど済ませ、徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』(みすず書房、一九九七年)を三〇分ほど読んで四時に消灯。


・読み書き
 13:44 - 14:09 = 25分(2020/11/26, Thu.)
 14:16 - 14:20 = 4分(2020/11/26, Thu.)
 14:20 - 14:59 = 39分(徳永: 19 - 36)
 15:16 - 15:51 = 35分(2020/11/26, Thu.)
 17:06 - 17:20 = 14分(2020/11/26, Thu.)
 20:37 - 21:22 = 45分(徳永: 36 - 55)
 22:34 - 23:09 = 35分(2020/11/25, Wed.)
 25:07 - 25:49 = 42分(2020/11/26, Thu.)
 25:50 - 26:58 = 1時間8分(2020/11/25, Wed.)
 27:27 - 28:00 = 33分(徳永: 55 - 60)
 計: 5時間40分

・BGM

・音楽
 15:02 - 15:16 = 14分
 21:26 - 21:33 = 7分
 24:37 - 25:06 = 29分
 計: 50分

  • Bill Evans Trio, "Gloria's Step (take 1, interrupted)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#2)
  • Jesse van Ruller & Bert van den Brink, "Here Comes The Sun", "Estate", "Love For Sale"(『In Pursuit』: #1, #2, #3)
  • 空気公団, "電信", "旅をしませんか"(『こども』: #5, #9)
  • John Coltrane Quartet, "Afro Blue"(『Live At Birdland』: #1)