枠組みは実際、鼓膜や処女膜と並んで、一連の逆説的な「境界線事例」の一つである。デリダは最近そうした事例をとおして、空間的な論理が理解可能性と結びついた時の限界について検討を加えてきた。ラカンもまた、結び目の論理による「新たな幾何学」を案出することで、ユークリッド的な理解モデル(例えば、理解は空間的な包摂を意味する)を押しのけようと努めてきた。空間的な論理から脱しようとするこの二つの試みの関係はさらなる明確化を要するが、この関係の内包する困難さが、……から脱する[﹅5]〔to break out of〕が依然として空間的な隠喩であるという事実に拠ることは、ある程度推測可能かもしれない。しかしながら、こうした企ての火急性に過剰評価はありえない。というのも、形而上学、政治学、信念、そして知(識)そのものの論理は、決定可能な客観的境界や輪郭――ここで問題にしているのは、その可能性と/あるいは、正当化の可能性である――を押しつけることを基礎にしているからである。「理解すること」が、境界を決定できないものを枠づけすることだとすれば、われわれは、われわれが理解しつつあるものを、どのようにして知ることができるのか。この節を枠組み[﹅3]〔罪の捏造〕という語の空間的および犯罪的な意味に纏わる言葉遊びから開始したのは、それほど根拠のないことではない。それに実際、ユークリッド的な理解可能性のモデルに内在する虚偽の問題は、ここでの理論的考察と無関係どころか、まさに「盗まれた手紙」のプロットにとって中心的なものとなっている。というのも、〈警視総監〉の捜査方法を支えているのは、ほかならぬ、限定的・同質的なものとしての空間という概念だからである。「たぶんご存じだろうが、きちんと訓練を受けた警察官にとっては、秘密の引き出しなんて存在しないも同然なのさ。この手の捜査をやっていて「秘密の」引き出しなんてものを見逃すような人間はろくでなしに決まっている。ことは至って[﹅3]分かり易いのさ。どの棚にもしかるべき嵩――空間――があるわけだから、そこを正確に計測する。一ライン〔1/12インチ。約二・一ミリ〕の1/50ほども見逃しはしない」(Edgar Allan Poe, The Great Tales and Poems of Edgar Allan Poe (New York: Pocket Library, 1951), p. 204/エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人・黄金虫――ポー短編集Ⅱ ミステリー編』巽孝之訳、新潮文庫、二〇〇九年、八八―八九頁)と彼は説明している。見えていないものは隠されているに違いないという想定――ラカンが「現実主義者の愚鈍さ」と呼ぶ想定――は、見る[﹅2]という行為の誤った客観=客体概念に依拠している。「隠されている/さらされている」という二極性だけでは、デュパンが手紙を見つけることはむろん、警察が手紙――それは、裏返しにされた状態で、完全にさらされていた――を見つけられない[﹅2]ことも説明できない。そこに「主観的=主体的」な要素が追加されなければならないのだ。それは、「隠されている/さらされている」という二極性に、「盲目/視覚」という二極性を干渉=衝突させることで、幾何学的な理解モデルを転覆する。同様の問題は「裸の王様」の物語によっても提起されているが、デリダは(フロイトの説明の中で)、この物語を「隠されている/さらされている」という二極性を越えられない精神分析の失敗例として引き合いに出している。手紙の「場所」については、のちの議論で再度話題にする予定だが、あらゆる捜査の「限界」が、幾何学的な空間ではなく、「見る」とは何かについての暗黙裡の考え方の内に据えられていることはすでに明らかだ。
(バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、226~228; 「7 参照の枠組み ポー、ラカン、デリダ」)
なぜなのかわからないが、八時半ものはやきに、しかもはっきりとした目覚めを得た。就寝前の瞑想の効果が出てきたのか? 天気は寒々しい曇りで陽射しもないものの、二度寝に落ちることも避けられて、しばらくこめかみ付近を揉んだあと、九時に至って離床した。新調したコンピューターを点け、外付けハードディスクの音楽ファイルをiTunesに読みこませておくと上階に行った。早いじゃんか、と父親が言うので低く受ける。もろもろ済ませたのち、食事は食パンに前夜のシチューの残りである。新聞は文化面的なところから二記事読んだ。ひとつは先般書簡が発見された秩父宮雍仁親王について、その評伝(中公文庫に入っているらしい)も書いている保阪正康が所感を述べたもの。しかしもうひとつ、ページの右側に大きめに扱われていた記事がなんだったか思い出せない。まったく記憶が蘇ってこないので、そもそも読まなかったのではないかという気もしてきた。
洗い物を済ませると緑茶を用意してさっさと帰室し、前夜に引き続き新しいPCの環境設定を進めた。と言っても要するにEvernoteに替わる良いツールを試行錯誤しただけのことで、昨晩UpNoteというものが良いという評判を目にしたので試してみたのだが、Evernoteからのインポートはプレミアム版でないとできないと言う。そして、なぜなのかわからないがこのプレミアム版は、現在Windowsでは利用できないということになっているらしい。そんなソフトに用はない。それで次にもともとPCに入っていたOneNoteというものを試してみると、デザインはEvernoteに似ていて悪くないし、OneNote Importerとかいうものを利用すればインポートもできるというのでこれで良いのではないかと固まった。何よりフォントを変えて游明朝が使えるのが良い。それでImporterを用いて、とりあえず昨日古いPCからエクスポートしておいた全日記ファイルを移しはじめたのだが、二〇一四年の途中からなので(二〇一三年中のものはあまりにも読むに耐えない文章というか文章と呼ぶに値しないものだったので、ずいぶん前に残らず消去した)二三〇〇記事くらいあるわけで、一時間ほどかかりそうだったのでそのあいだはベッドで書見して待つことにした。それで徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』(みすず書房、一九九七年)を読みすすめる。「マルクスと反ユダヤ主義」の連載を読み終えたが、これはなかなか面白かった。色々と知らなかった情報もあるし、一九世紀ドイツ人文主義がサンスクリット語の解読すなわち印欧語族の発見とともにヘブライズムを相対化し、その帰結として導かれた無神論が反ユダヤ主義につながっていくという見取り図は興味深い。フォイエルバッハとか、一八四〇年代あたりのマルクス周辺の動向について多少知られたのも良かった。次に「反ユダヤ主義とウェーバー」という、初出が一九七六年のやや古い論考に入ったのだが、これもまた面白いというか、マックス・ウェーバーってやっぱりすげえんだなというか、二〇歳頃からすでに物事を公正に見ようという知的誠実さみたいなものを強くそなえていたんだなと思った。晩年にはユダヤ系の知人が教授になるのに反対したり、一次大戦の戦争責任について調査する委員会に覚え書を送ってユダヤ系の委員が多くなるのに反対したりと、一見反ユダヤ的と見える行動も取っているのだけれど、それはドイツが敗戦して革命の動きが出ているこの時点で、極左的素人政治に潮流が傾くと、その反動でいままでよりもさらに重大な極右的反ユダヤ主義が現出してしまうという危惧が取らせた選択だったという解説がなされていた。そして、現実の事態はまさにウェーバーのその危惧通りに進んだわけだ。この論考を読む限り、マックス・ウェーバーという人はその都度の社会の状況をきわめて冷静に見定めつつ、世を呑みこむ巨大な趨勢に流れることを良しとせず、かといって中途半端ななあなあの姿勢を取ったりニヒリズム的諦念に陥ったりすることもなく、みずからが思う公正さというものを一貫してきびしく追究した人間だというイメージが形成される。本当にそうだったのか、それだけではなくほかの側面もあったのかどうか、それはべつの研究にも触れてみないとわからないし、たぶん瑕疵と見なされる部分も普通にあっただろうと思うのだけれど、すくなくともこの本を読んだ時点では、これが知識人か、という感嘆を強く覚え、彼から学ぶことは多いに違いないという確信を得た。何年か前にわりと分厚い伝記が出て地元の図書館で見かけた記憶があるが、あのあたりから読んでみたい。
あと、読書中だったかどこだかの時点で、『親切な進化生物学者』みたいなみすず書房の本のことを思い出した。有望な実力を持ちながらも大学を離れ、最後はホームレスになって死んだ科学者の伝記で、これも地元の図書館で見かけて昔から読みたいと思っていたのだ。トイレに立ったときになぜかそのことを思い出し、あれはなんという人だったかなと検索して、ジョージ・プライス(George R. Price)という名前だったことを確認した。イギリスの人である。進化生物学の分野ではジョン・メイナード=スミスという学者がもっとも大きな影響を持った人間のひとりらしいのだが、プライスは彼と親交があったようで、「進化的に安定な戦略」なる理論はプライスの論文をもとにしたものだと言う。
一二時半までものを読み、それからデスクにもどってOneNoteを使いはじめてみたのだが、いざ実際に運用してみると使いづらい点がいくつか発見される。まず、区切り線が入れられない。一応図形の挿入で線を描けば代替できないことはないのだが、やや面倒臭い。また、文章を書くにしても、囲み線のなかにブロックがつくられるような仕様になっており、紙のノートとおなじような感覚で使えるということなのだろう、そのブロックを自由に動かせるのだけれど、そうするとレイアウトがうまく揃わなかったりして、自由なのがかえってやりづらい。Evernoteとは違って記事単体で別のウィンドウにひらくことができないのも地味に使いづらい。しかし何よりも、フォントが勝手に変わってしまうというのが最大の難点である。デフォルト設定を游明朝にできるというのは先ほど触れたとおりだが、ところが文章を書いている途中に半角/全角キーを押して入力を日本語からアルファベットに変えると、Yu Gothicとかいうフォントに変わってそれがそのままもどらなくなるのだ。これは利用者のあいだでは有名なバグというか誰もが行き当たるもののようで、検索すると同様の現象に困っているという報告がいくつも発見された。それにもかかわらず解決方法はないというのが結論のようだし、そもそもこの仕様はOneNoteが最初にリリースされた当時からずっとあるものだと言い、開発者は何もせずにもう一〇年だかそのくらい放置しているとあったので、改善の見込みはない。そのような怠惰な連中のつくった製品に用はない。そういうわけでOneNoteの使用は却下した。
それでほかにも二、三試してみたのだけれどやはりどれもデザインが良くなかったりフォントが駄目だったりして、やはりNotionというやつしかないのか? とようやくこれに手を出した。昨夜の時点でEvernoteからの乗り替えに良いという好評は目にしていたのだが、なんだかやたらと多機能な様子だし、こちらとしては快適に文章が書ければそれで良いわけで、こんなに豊かなものを使わなくても良いのではと思っていたのだ。しかし登録してみると、これがなかなか良さそうだった。フォントが三種類しかないのは残念で、デフォルトと明朝とゴシックしか選べないし、文字サイズも通常とやや小さめの二パターンしかない。しかし書くにはスムーズだし、文字を小さめにすればちょうど良いくらいの見え方になるし、区切り線も入れられるし、デザインもすっきりしているので、これで行くかと決定した。いざ書いているとやはり明朝体が微妙にうーん、という感じで、本当は游明朝が一番良いのだけれど、そのくらいは我慢しよう。Evernoteからのインポートもできるというのでやってみたのだが、しかしなぜか手順を踏んでもデータが読みこまれない。とはいえ、古いPCでHTML形式にエクスポートしたデータで移行すれば良いのではないかと思ってひとまず二〇一四年の日記データだけやってみると、段落最初の一字空けがなくなったり、区切りが消えたりはしているものの、問題なく移すことができたので、面倒だがこの手法でだんだん移動させていけば良いだろうとまとまった。デフォルトで設けられていたReading ListだのJournalだのTaskだのTo Do Listだの色々なカテゴリはすべて削除し、とりあえず二〇一四年の日記と、この日の記事と、あとTo The Lighthouseの記事だけの構成になっている。ノートを個々で別ウィンドウにひらけないのはやはり面倒だが(もしかしたらやり方があるのだろうか?)、読み込みがはやいのでノート間の移動もとりたてて苦にはならない。
それでようやく落ち着いて文章を書けるようになり、三時からここまで記せば四時半過ぎである。日記を書き出す前に上階に行って炒飯を食い、新聞記事も多少読んだのだったが、それに関してはのちほどにしよう。
そう言いながら、この日記の続きを書くのがずいぶん遅くなってしまい、現在一二月七日の午前一時半に至ろうというところなので、当然なんの記事を読んだかなどは忘れてしまった。この日のことでほかにおぼえている事柄もそう多くなく、勤務の行き帰りや最中のことも思い出せないので、あとはWoolf会のことを書いておけばそれで良いだろう。この日の範囲は以下。こちらが翻訳の担当だったので、私訳を岩波文庫の訳と一緒に載せておく。
They had ceased to talk; that was the explanation. Falling in one second from the tension which had gripped her to the other extreme which, as if to recoup her for her unnecessary expense of emotion, was cool, amused, and even faintly malicious, she concluded that poor Charles Tansley had been shed. That was of little account to her. If her husband required sacrifices (and indeed he did) she cheerfully offered up to him Charles Tansley, who had snubbed her little boy.
二人の男たちはすでに話をやめていた。その沈黙のせいで、波音が大きく聞こえたわけだった。一瞬彼女をとらえた強い緊張感から解き放たれると、夫人はいわばその反動で、まるで無用な恐怖を味わったことの埋め合わせだとでもいうように、冷静でやじ馬 [﹅3] 的で少々悪意さえ混じった思いに身をまかせ、きっとタンズリーが袖にされたんだと決めつけた。別に同情はしなかった。もし夫が生贄を必要とするのなら(事実必要としたのだが)、喜んでチャールズ・タンズリーを捧げましょう、だってジェイムズにあんなに意地悪をしたのだから。
(御輿哲也訳、岩波文庫、30)
男たちは会話をやめていた。そのせいで波の音が恐ろしく迫ってきたのだった。一瞬だけ彼女を掌握していた緊張感から解放されると、夫人はまったく反対の状態に急降下し、不必要に感情を高ぶらせてしまったのでその埋め合わせをしようとでもいうように、冷淡に、かつ面白半分に、かすかな悪意さえこめながら、哀れなチャールズ・タンズリーが追い払われたんでしょうね、と断定した。まるでどうでもいいことだった。夫がいけにえを欲するのだったら(そして実際、そうだったのだが)、喜んでささげましょう、チャールズ・タンズリーを。だってこの子をあんなにいじめてくれたんだから。
そんなに難しい箇所ではないと思うが、for her unnecessary expense of emotionの部分に手こずったというのは以前書いたとおりだ。expenseの持つ「費やす」的なニュアンスを盛りこみたかったのだが、良い方策が浮かばずに「高ぶらせる」で処理したのだった。そのあたりを説明すると(……)くんが、自分だったら「無駄遣い」とか言いますかね、と受けて、なるほど「無駄遣い」はもしかしたらうまく使えるかもしれない。ともあれいまはこの訳でおさめておき、あとポイントを順番に触れていくと、that was the explanationは逐語で行くとそれが説明・原因だった、となるが、岩波にならって多少言葉をおぎなった。「恐ろしく迫ってきた」という表現にしたのは、この前で夫人がimpulse of terrorに駆られているからだ。「恐ろしく」と言えば恐怖の感情ともつなげられるし、程度の甚だしさもあらわすことができる。二文目は構文としては、fall from A to Bの形。Falling in one secondといきなりinを使った挿入があるので、fall inの形かと思ってしまうが、実はそうではない。to the other extremeはもう一方の極に、ということで、岩波文庫はここを「いわばその反動で」と簡潔にまとめているが、こちらはもうすこし一語一語に即して訳出したかった。それでthe other extremeを「まったく反対の状態」と一般名詞「状態」で処理し、tensionから反対の極にone secondでfallするということは「急降下」だろうとおさめた形だ。of little accountはわりと成句表現的なもののようで、その場合のaccountは「重要性」みたいな意味を取るらしい((……)くんいわく、この場合、account≒countで、カウントする必要がない、つまり物の数にも入らない、ということではないかという話だ)。したがって直訳すれば、「そのことは彼女にとってほとんど重要性を持たなかった」となり、岩波は「別に同情はしなかった」として感情性に寄せるとともにやや程度を弱めているが、こちらはなんとなくもっと直截な言い方をして冷淡さとか意地の悪さとかを強調された夫人像を提示したかったので、「まるでどうでもいいことだった」とけっこう強い表現を採用した。
翻訳は大変だが、やはり楽しく面白くはある。当然のことだが日記を綴るときよりも自分が画面に落としあるいは頭のなかに浮かぶ言葉に対して感覚を差し向け、もっとも良いと思われた言い方や形やリズムを採用するようにしている。それが他者の目から見てうまくあらわされているかどうかはわからないが、自分としては感覚の精度を磨く訓練になるような気がする。文章をつくるときには色々分析的にこまかく分けて考えるものだけれど、最終的にはやはり、これで良い、これが一番ぴったりくるという感覚こそが決め手になるのではないか。要素をめちゃくちゃ細分化して検討したあとに、結局はそこにもどってくる。なんかすごく単純で、紋切型で、体育会系的で、ロマン主義的な似非芸術家みたいな言い分かもしれないが、こちらはいままでずっとそれをやってきただけのような気もする。自分に感じられるものをもっとよくひろく深く感じたいという、その欲望ひとつが根幹なのでは。
ほか、この日は平井正穂訳『イギリス名詩選』から二篇目、Samuel Danielの'Care-Charmer Sleep, son of the sable Night'を読んだ。最初に(……)くんが全篇を音読しようとしたのだが、このSamuel Danielという作者の名前を発音した際、あれ、これ韻踏んでるじゃん、と言い出して、そこからいったん脇道に逸れた。しかし、一二月七日の二時一五分現在、なんだか腰が疲れてきたので、その雑談や詩篇についてはまた明日以降にしよう。
詩は次のもの。
'Care-Charmer Sleep, son of the sable Night'
Samuel Daniel
Care-Charmer Sleep, son of the sable Night,
Brother to Death, in silent darkness born,
Relieve my languish, and restore the light ;
With dark forgetting of my care return.And let the day be time enough to mourn
The shipwreck of my ill adventured youth :
Let waking eyes suffice to wail their scorn,
Without the torment of the night's untruth.Cease, dreams, the images of day-desires,
To model forth the passions of the morrow ;
Never let rising Sun approve you liars
To add more grief to aggravate my sorrow :Still let me sleep, embracing clouds in vain,
And never wake to feel the day's disdain.
憂いを癒してくれる「眠り」よ、暗き「夜」の子よ、
静かな暗闇に生まれた、「死」の兄弟よ、
私のところへ戻ってきて、この苦しみを救い、光を恵み、
暗闇に私をつつみ、私の憂いを忘れさせてくれ。若気の誤ちが招いた苦悩を悲しむのは、
昼間だけでもう沢山すぎるほど沢山なのだ。
昼間なら目を見開いて、世間の嘲りに堪えもしようが、
夜になってまで、妄想で苦しめられるのは真っ平なのだ。夢よ、白日の欲望を映しだす夢よ、頼むから、
夜明けとともに襲ってくれる悲しみを夜分は見させないでくれ。
朝日が昇り、お前に騙されたと私に嘆かせないでくれ、
さらでだに、私の胸は悲しみで潰れそうなのだから。空しい幻でもいい、何か幻を抱いて静かに眠らせてくれ、
目を覚まさせないでくれ、昼間の侮りには堪えられぬのだ。
二連目のlet ~ enough/sufficeのニュアンスがつかみづらいほかは、さほどの難所はないと思う。care-charmerのcharmはここではsootheと同義だと註がある。charmにはもともと魔法をかけるとか魅了するとかいう意味があるが、snake charmer(蛇使い)という語を思い出すに、あれは笛とかで壺に入った蛇を呼び出したりもどしたりとあやつるものだから、そんな感じで魔法をかけるようにしてcare(心配事、悩み)をなだめ操作し落ち着かせる者、というイメージがふくまれているのではないか(どうでも良い話だが、snake charmerという語を見るとこちらは、Rainbowのファーストアルバムすなわち『Richie Blackmore's Rainbow』の五曲目をおのずと思い出してしまう)。内容面としては、この詩の話者はとにかく起きているあいだはずっと苦しみ悲しんでいるらしく、幻想でも良いので何かなぐさめのうちに永遠に眠らせてくれ、と訴えているのだが、その苦しみの原因に関しては、"ill adventured youth"(「若気の誤ち」)と言われるくらいで、いったい何があったのかまるで不明である。訳者の説明によれば、このDanielという人は「エリザベス朝の一四行詩(sonnet)作家として有名」だと言い、「ディーリアという名で彼が呼んだ女性にあてた一四行詩集『ディーリア』(Delia, 1592)は、今も愛読に値する」とのことであり、この詩篇もその作中のものらしいので、何かしら失恋とか、男女の色恋沙汰における失敗が想定されているのではないか。
(……)くんが発端ではじまった雑談というのは名前のことで、日本語で韻を踏んでいる名前ってどんなものだろうという話題になったのだけれど、意外と際立ってリズム良く聞こえるものは思いつかない。そこからそもそもの名前の由来の方向に話が流れて、こちらは、まあ(……)くんと僕は確実に百姓の出ですよねと笑った。「(……)」の字がつくためである。(……)身体性が強く残ってますよね、というわけだ。ひきかえて、(……)さんの名字は「(……)」というものであり、このときはじめてこちらは彼女の姓を漢字で理解したのだが、それでちょっと驚きながら抽象度が高い、と評すると、(……)くんなどから笑いが起こった。(……)さん当人によるともともと(……)の神職が由来だと言っている親戚がいるらしく、そちらのほうではけっこう多い名前らしいのだが、彼女自身はそのような起源は眉唾物ではないかと疑っているようだった。源氏の連中が自分たちは清和天皇の流れを汲んでいると言ったり、その後の時代の武士たちも我が一族はもとをたどれば清和源氏の出自だとか言ったりして箔をつけるのと似たようなことだろう。
あと雑談でおぼえているのは(……)くんが話してくれた(……)の大江健三郎読解で、もう日にちも経っているし非常に大雑把な論旨しか書けないが、いわく大江健三郎の作品には、外からやってきて共同体や人間関係(その最たるものはおそらく父 - 子の関係である)に分断や不和をもたらす代弁者は死ななければならないという鉄則があるのだと言う。神話的物語のひとつの類型として主人公が代弁者に媒介されて敵を倒しに行くというパターンがあり、この敵が父親だったり実は良いやつだったりすでに倒されていたりと色々バリエーションがあるわけだけれど、大江健三郎の小説においては主人公を誘惑して討伐行に向かわせる媒介者が一番悪い真の敵であり、そいつこそが死ななければならないという原理が一貫しているらしい。『魔法少女まどか☆マギカ』で言えばキュゥべえが諸悪の根源で、やつが「僕と契約して、魔法少女になってよ!」とか言いながらあらわれなければ何も問題はなかったというわけだ(と言ってこちらはこのアニメを見てはいないのだけれど、たしかこの作品もまさにキュゥべえがラスボス的な位置づけになっていたのではなかったか)。ところがその後、大江健三郎には知的障害を持った息子が生まれ、作家はその存在と向き合うことを余儀なくされる。彼を書くためには、明瞭に共有可能な言語を持たないその存在を代弁しなければならない。したがって、代弁者は死すべしという原則を固く守ってきた作家大江健三郎が、ここでみずから代弁者にならざるをえないという立場に置かれることになる。そこから、人は本当は代弁者になってはいけないのだけれど、しかし(おそらくとりわけ死者たちとの関係において)そうならざるをえない、という形の倫理的領域について考察したり描いたりしてきたのが大江健三郎の作品だ、というような話だったと思う。それを聞きながらこちらは、これはまさしくプリーモ・レーヴィをはじめとして収容所から生還した人々(「救われた者」)が置かれた位置の問題であり、ジョルジョ・アガンベンが『アウシュヴィッツの残りのもの』で取り上げ考察した倫理的アポリアそのものだなと思った。
・読み書き
10:48 - 12:33 = 1時間45分(徳永: 210 - 244)
14:58 - 16:36 = 1時間38分(2020/12/2, Wed.)
16:45 - 17:04 = 19分(徳永: 244 - 257)
20:58 - 21:18 = 20分(英語)
計: 4時間2分
・BGM
- 小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』
- 椎名林檎『無罪モラトリアム』
- FISHMANS『Oh! Mountain』
・音楽
17:11 - 17:14 = 3分