2020/12/3, Thu.

 これまで見てきたように、デリダが文学テクストの枠組みを問題化できるのは、自身が「エクリチュールの舞台」と呼ぶもののおかげである。彼はこの表現を、以下の二つの意味で使用している。

 一、全面的にシニフィエへと変換されることに対して、テクストというシニフィアンが示す抵抗[﹅一文]。ラカンシニフィアンの機能を例証するものとして、手紙がポーの物語の中でたどる経路に注目したが、精神分析的な読みは、依然、語り自体におけるシニフィアンの機能に盲目のままである、とデリダは述べている。デリダによれば、「盗まれた手紙」をシニフィアンアレゴリーとして読むラカンは、「シニフィアン」をこの物語の真実に転換している。「したがって、シニフィアンの移動=転移は、シニフィエとして、この短編の中で語られる対象として分析されている」(Jacques Derrida, "The Purveyor of Truth", translated by Willis Domingo, James Hulbert, Moshe Ron and M.-R. L., *Yale French Studies*, 52 (*Graphesis*, 1975), p. 48〔Jacques Derrida, "Le Facteur de la Vérité", La Carte Postale: de Socrate à Freud et au-delà (Paris: Flammarion, 1980), p. 455/ジャック・デリダ「真実の配達人」清水正豊崎光一訳、『現代思想』(デリダ読本――手紙・家族・署名)、第一〇巻第三号(臨時増刊)、青土社、一九八二年二月、三六頁〕)。デリダはこれに対し、そうして意味へと要約されることに抵抗し、還元不可能な残滓を残すものこそが、まさにテクストとしてのシニフィアンだと反論する。「残り、売れ残り。それは「盗まれた手紙」、つまり、このタイトルを冠したテクストであろうし、その場は、またもや不可視の太文字のように、それが見出されると期待されていた所、すなわち、「現実のドラマ」の枠づけられた内容、あるいは、ポーの短編の、隠され、封印された内部にではなく、虚構〔小説〕という、この上なく開かれたこの手紙=文字の中に、開かれた手紙=文字として存在している」(PT, p. 64〔CP, p. 471/五七頁〕)。
 二、実際的なエクリチュール[﹅11]――「盗まれた手紙」を(文学的な)参照の枠組みで取り巻く書物、図書館〔収蔵図書〕、引用、そして先立つ物語。物語は「書斎もしくは書庫」(Edgar Allan Poe, *The Great Tales and Poems of Edgar Allan Poe* (New York: Pocket Library, 1951), p. 199/エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人・黄金虫――ポー短編集Ⅱ ミステリー編』巽孝之訳、新潮文庫、二〇〇九年、七九頁)で始まるが、語り手はそこで、ポーの先立つ二つの物語で語られたデュパンの二件の探偵仕事について先ほど話し合ったことに、なおも思いを巡らせている。先行する最初の小説〔「モルグ街の殺人」〕は、デュパンと語り手の最初の出会いを物語っているが、場所はもちろん、図書館の中。二人はそこで同じ稀覯本を探していたのだ。このように、物語の始まりは、先行するエクリチュールへの無限後退的な言及となっている。デリダは、「したがって何も始まらない。逃れられない漂流、あるいは彷徨があるだけだ」(PT, p. 101〔CP, p. 511/九九頁〕)と述べている。デュパン自身、文字どおり、歩く図書館である。書物は彼の「唯一の贅沢品」であり、語り手は「彼の膨大な読書量」に「驚嘆させられる」(Poe, p. 106/一五頁)。デュパンが最後に書き記す最も個人的と思われる言葉――すり替えた〈大臣〉宛の手紙の中に忍ばせた辛辣な文句――さえ、引用にほかならない。その引用の転写と本当の作者をわれわれに伝えたところで、物語は終わる。デリダはこう結論づけている。「だが、デュパンは、この短編全体を縁取る不可視な引用符に加え、この最後の言葉を引用符に入れて引用し、自身の署名行為を語るよう余儀なくされている。つまり、これが彼に向けて私が書いたこと、そして私の署名の方法なのだ、と語らされているのだ。引用符に入れられた署名とは何なのか。また、こうした引用符の内部においては、自署そのものが、引用符に入れられた引用なのだ。この残滓は依然として文学である」(PT, pp. 112-113〔CP, p. 524/一一二頁〕)。

 デリダは、これら二つの剰余的な次元を通して、この物語の枠組みの、底知れぬほど崩壊的で、総体化不可能な境界〔edges〕を示そうとしている。しかしながら、こうした反論は、それ自体が見かけ以上に問題含みであり、諸刃の剣〔double-edged〕でもある。二番目の反論から見てみよう。デリダの論証によれば、「文学」とはまさに、そして明らかに、盗まれた手紙の始めと中間と終わり――さらには内部――ということになる。だが、この結論はいったいどのようにして得られたのか。大部分は、物語中に列挙された書物、図書館〔収蔵図書〕、その他諸々のエクリチュールをリストアップすることによってである。つまり、「表象内容」の内部における「エクリチュール」の機能ではなく、そのテーマを追うことで、結論に至ったというわけだ。しかし、例えば、デュパンが引用による署名を用いたことが、デリダにとっては、「この残滓は依然として文学である」ことの証だとしたら、それは、「文学」がこの物語の中で、シニフィアンではなく、シニフィエになっていることを示してはいないだろうか。シニフィアンの作用=戯れを実際に跡づけることが可能なら、それは「エクリチュール」なる意味素[﹅3]〔*seme / séme*〕の範囲を超出した所で作用しているのではないだろうか。また、「シニフィアン」を物語の「シニフィエ」にしたとして、デリダラカンを批判しているとしたら、デリダもここで、まったく同じやり方で、「エクリチュール」を「書かれたもの」に転換しているのではないか。デリダが「シニフィアンの舞台をシニフィエとして再構築すること」と呼んでいるのは、盗まれた手紙を読むという論理における、「不可避的プロセス」そのものに思えるのだ。
 デリダはもちろん、ラカンが説明していないこのテクスト的な漂流は「この短編の真の主題[﹅4]」ではなく、むしろ、あらゆる主題の「驚くべき省略」(PT, p. 102〔CP, p. 513/一〇一頁〕)とみなされるべきだと、二度にわたって断言することで、こうした反論に暗黙裡に対抗している。しかし、不可避と思われるシニフィアンからシニフィエへの横滑りという問題は、枠組みの論理への反論としてではなく、そうした論理の根本的な問題として、依然取り残されたままである。というのも、枠組みは常にその内容部分によって枠づけされているといったことが「パレルゴン的論理のパラドックス」ならば、このパラドックスを最もよく例証しているのは、シニフィアンシニフィエ間の横滑り――それは、デリダラカンの意に逆らう形で、両者によって実演されている[﹅7]――にほかならないからだ。デリダが、みずから読んでいる「ラカン」を「セミネール」に限定されたものとしても、ラカンのその後の著作を包摂するものとしても枠づけていないことを正当化すること自体が、枠組みの矛盾論理に従うものである。デリダは、真実の体系――それがたとえ、〔ラカンの〕他の著作で疑問視されていようと――を具現化しているように見えるラカンの著作の一部分を検討する一方で、ラカンの著作のこの同じ部分は、おそらくいつの日か、「分割に堪えぬもの[﹅8]を切り分ける性急な大学人たち」によって、「若きラカン」(PT, p. 82〔CP, p. 491/八〇頁〕)の著作と呼ばれることになろう、と語っている。自身が実際この場でなしていることをどう考えようと、それを説明するデリダの矛盾めいたやり口は、あまりにも完全にパレルゴン的論理のパラドックスに応じているので、この自己 - 転覆は熟慮の末の策だった可能性もあるのだ。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、228~231; 「7 参照の枠組み ポー、ラカンデリダ」)



  • 一二時四〇分まで目覚めずに眠りが持続した。退歩している。今日からまた、なるべく早寝の方向に向かって行かなければならない。きちんと心身を整えることこそが最重要だ。だから柔軟などの運動と、加えて瞑想も着実にやっていきたい。あとは音読や書抜きなどの習慣もなんとか復活させたいのだが。そのときそのときの心身感覚を見定め堅固に感受しながら、自分がなすべきだと思うことを毎日着実にやっていくことが重要である。べつにだらだら怠けたって悪くはないが、しかしやはり勤勉さこそがいつかのおのれを救うことになるだろうという観念が頭にはある。
  • 曇天で、天気は冷ややかな灰色に寄っている。ここ数日で、ちょうど一二月に入ったあたりからめっきり寒くなってきた。床を離れて上階に行くと家内には誰もいない。母親は仕事であり、父親は山梨に行っているらしい。トイレに行って小便を排出したり、顔を洗ったりすると、レトルトのカレーなどでもって食事を取った。新聞の一面には、香港で黄之鋒と周庭と林朗彦の三人が禁錮刑を課されたとの報があった。黄之鋒は一三か月半、あとの二人はもうすこし短い期間。記事によれば罪状は国家安全維持法違反ではなく、公安条例とかいうものに違反した廉と書かれていたと思うのだが、これはおなじものなのだろうか? 罪として問われていたのは昨年六月の集会を煽動したということである。国家安全維持法が施行されたのは昨年の六月三〇日だか七月一日だったはずだから、同法によってそれ以前の罪は問えず、公安条例とかいうものを適用したということだろうか。
  • 一面にはまた、英政府が米ファイザーとドイツのなんとかいう製薬会社が共同開発した新型コロナウイルス用ワクチンを承認したとの知らせもあった。来週から摂取がはじまるとのこと。日本もこのワクチンを、来年中に一億二〇〇〇万回分(二回摂取なので六〇〇〇万人分)提供してもらうことが決まっている。
  • ページをめくって国際面を見るとここにも香港のことが載っていて、民主派の議員が仲間の資格剝奪に抗議して一斉辞職したいま、行政のみならず立法も親中国派勢力に牛耳られているわけだが、中国はいよいよ司法にも支配の手を伸ばそうとしているという話だ。具体的には香港政府が、裁判官の任命時に政府に「忠誠」だかを誓わせる仕組みに法令および制度を変えようとしているらしい。
  • 食事を終えると洗い物を済ませて、緑茶を持って下階にもどった。コンピューターを点けてNotionなどを用意。なんとかこのツールでやっていけそうだが、Evernoteの記事を移行するのが面倒臭い。NotionはもともとEvernoteのアカウントと連携してインポートするための仕組みが備わっているのだが、こちらの場合はなぜかそれが機能しない。したがって、EvernoteのほうでデータをHTMLファイルにエクスポートしたものを取りこんでいくことになるわけだが、ここでまた面倒なのが、この新たなPCにダウンロードした最新版のEvernoteは、なぜかわからないが最大で五〇記事しか同時に選択できない仕様になっているということだ。五〇記事ずつちまちまエクスポートしてそれをまたNotionに取りこむなどということはやっていられない。それなので、古いパソコンのほうでカテゴリごとにエクスポートし、それをUSBに入れて新PCに移してインポートするという手順になる。これはこれでかなり面倒臭く、全然やる気にならないが、ひとまず日記を書ければあとは大して急ぎではないので休みの日にすこしずつやっていけば良いだろう。
  • LINEをひらき、昨夜(……)から届いていたメッセージに返信。slackもダウンロードしておき、そうしてFISHMANS『Oh! Mountain』とともに今日の日記をここまで。すると三時一七分になった。今日は休日である。休日はすばらしい。死ぬまで永遠に休日で良い。
  • 現在、一二月一二日にまで達してしまっているので、この日のことはもうおぼえていない。日課記録を見た限りでもいつもと変わらず、本を読んで文をいくらか書いてという過ごし方で、とりたてて変わったこともない。


・読み書き
 14:30 - 15:17 = 47分(2020/12/3, Thu.)
 15:24 - 16:59 = 1時間35分(徳永: 257 - 286)
 20:18 - 20:48 = 29分(熊野)
 20:53 - 21:13 = 20分(英語)
 26:17 - 26:33 = 16分(新聞)
 26:33 - 27:30 = 57分(2020/12/1, Tue.)
 27:34 - 28:30 = 56分(徳永: 286 - 306)
 計: 5時間20分

  • 2020/12/3, Thu. / 2020/12/1, Tue.
  • 徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』(みすず書房、一九九七年): 257 - 306
  • 熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年): 書抜き: 16 - 22
  • 「英語」: 381 - 383, 1 - 12
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月12日(日曜日): 書抜き: 7面


・BGM


・音楽
 なし。