2020/12/8, Tue.

 一九九〇年代末の教科書的な記述に沿うなら、少なくとも新批評から読者反応論批評へ至る理論的な発展において、書き手がおり、彼ないし彼女の生み出す文学作品があり、それを受容し精読/誤読/脱構築する読み手がいるという基本的な構図だけは、いささかもゆらいでいない。それは、かつてラーマン・セルデンが構築した批評理論の基本図式(図表1/一七ページ)を一瞥すれば明らかだ。この簡便なる合理的図式は、文学におけるどの条件に興味を抱くかによって、各人の適性検査まで施してくれる。それに従えば、たとえば「書き手」の精神や人生を重視する者は感情移入型ゆえにロマン主義的批評に、「文脈」を重視する者は言葉が社会や歴史の何を指しているかという前後関係を優先させるゆえにマルクス主義的批評、「文学作品」そのものを重視する者は書くことの詩的可能性のみを独立させて考えるゆえに形式主義的批評、「伝統」を重視する者は文学作品がいかに過去の文学的伝統すなわち約束事を応用・消費してきたかを意識するがゆえに構造主義批評(これはさらに脱構築批評へ至る)、そして「読み手」を重視する者はほかならぬ読者本人の経験や来歴に照らし合わせて逆に「書き手」すらも再構築してしまうがゆえに読者反応論批評(これは現象学批評からフェミニズム批評、そして昨今ではクイア・リーディングへ至る)に、それぞれの批評的適性を持つことが、つまびらかになるだろう。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、15~16)



  • 一二時半まで寝過ごしてしまった。最近また消灯・離床が遅くなってきているので、立て直していかなければなるまい。天気は暖かで落ち着いた晴れ空である。上階へ行き、顔を洗ったりうがいをしたりする。喉の奥のひっかかりが日に日にするどく固くなっている気がして何やら嫌な感じだ。口内炎とおなじような普通の炎症だったらそろそろ回復の方向に転換しても良さそうなものだが。
  • 食事は煮込みうどんや五目ご飯など。新聞を読む。文化面には文芸評。エンターテインメント方面の評文は、今年はコロナウイルス騒動下で物語の力を再認識させられた、みたいなこれ以上なく紋切型の総括でまとめられていた。いわゆる純文学方面には色々と名前が挙げられていたが、どうしてもあまり興味は惹かれない。現在活動している人々がやっていることを同時代に読んでこそ、だとも思うのだが。国際面からはサウジアラビアのなんとかいう王子がイスラエルパレスチナ人の家を破壊している、だったか、ともかく入植などについて批判したという報を見た。なんとかいう皇太子がイスラエルとの関係構築に積極的らしく、たぶんいま大方実権を握っているのもその人なのだと思うけれど、それに対して父親のサルマンなんとかいう国王のほうはイスラエルに批判的で、王子の発言はその意向を受けたものではないかということだ。ほか、米戦略国際問題研究所CSIS)が日米同盟についての提言みたいな文書を発表した由。リチャード・アーミテージジョセフ・ナイが起草者の中心らしい。おなじCSISの上級副所長だったか、マシュー・グッドマンみたいな名前の人へのインタビューもその左側に載っていたが、これは途中までしか読まなかった。
  • 食事を終える頃までは窓外は晴れており、ベランダに続く窓ガラスにも光があかるく寄って宿っていたのだが、風呂を洗ったあとにはもうにわかに曇っていたと思う。自室に帰ってコンピューターを準備。LINEを見ると(……)から返信が入っていた。昨日、久しぶりに二人で駄弁ろうと誘いを送っておいたのに、水曜日の夜ではどうかと言う。だがあいにく水曜夜はWoolf会があるので、土曜の適当な時間ではどうかと提案を返しておいた。あちらもこちらも全日休みなので余裕があるだろう。
  • それからFISHMANS『Oh! Mountain』を流してウェブをちょっと覗き、ここまで日記を綴ると二時一九分。Evernoteの記事をどうやってインポートするかが面倒な懸案である。デスクトップアプリのほうではなくてウェブ上でインポートすればEvernoteから直接失敗せずに移せることがわかったのだが、ただこのあいだそれをやったところ、二〇一五年の日記すべてを設定したはずが一か月分くらいしか移せていなかった。それでいまもう一度、今度は二〇一六年分を移すよう作業させているのだが、その結果次第でやはり直接のインポートは無理だとなったらHTMLファイルを読みこませなければならない。しかしこのHTMLファイルも一気にやろうとすると必ず失敗になるので、ある程度小分けにしながら移していかなければならない。そうするとしかしEvernote側からエクスポートしてひとつのフォルダにまとめてあるHTMLファイルはもともとのカテゴリに整理されておらず、記事タイトルの順にならんでいるのでそれを再整理するのが面倒臭い。加えて、HTMLファイルで移すともともとの書式というか、区切り線などが反映されないので見にくくなる。と思ったが、この点に関してはいま確認してみるとEvernoteから移そうがHTMLファイルを読みこもうがあまり違いはなかったので、本質的に厄介なのは記事の再整理の問題のほうだ。この段落を書いているあいだにウェブのほうでインポートをさせていたのだけれど、Importing 1 notebook from Evernoteの表示がずっと出ているだけで見たところ作業が進んではいないようだし、やはり直接のインポートは駄目そうだから、HTMLファイルを地道にすこしずつ読みこませるしかなさそうである。
  • そういえば今日は太平洋戦争の開戦日だった。七九年前のことになる。隣の(……)さんが昨日(……)歳になったのだが、彼女からすれば(……)歳の誕生日をむかえたついその翌日に日本軍が真珠湾を爆撃して戦争がはじまったという流れになるわけで、当時それがどんな風に受け止められたのか気にはなる。東京とはいえ(……)などというこの辺境の地では開戦の報など大した緊張感切迫感もなく漫然と受容されたのか、それともそれなりにものものしい雰囲気がこの地域にも行き渡っていたのか?
  • 日記を書いたあとはコンピューターをベッドに持ちこんで寝転がり、ウェブを見ながら、かたわら脚の肉をほぐしつつも長くだらだらと過ごしてしまった。五時四四分でようやく切って上階へ。食事の支度はすでに済んでいたので、茹でられてあったほうれん草だけ切り分けた。二つずつそろえて形を整えながら絞ると手がいくらかべたつくので、いちいち洗い流して拭いてから包丁を持って切断する。切ったものをパックのなかにおさめておくと、次にアイロン掛けをした。テレビは録画してあったものだと思うが、死刑囚役の渡辺謙豊川悦司率いる警察隊と逃走劇をくりひろげるようなドラマを流していた。しかし母親は同時にタブレットに目を落としてもいて(いつものようにメルカリを見ていたのだろう)、視聴は散漫であり、豊川悦司が喋っているのに、ずいぶん皺が増えたね、トヨエツも、という程度のことしか言わない。物語として普通にそこそこ面白そうな感じではあったが、いま検索してみるとこれは『逃亡者』というあまりにもそのままなタイトルの作品らしく、六〇年代にアメリカで放送された同名作のリメイクだと言う。監督が『相棒』の和泉聖治だとあるが、そう言われてみるとなるほどと納得するような雰囲気がたしかにあった。死刑囚を護送していた車が山道で囚人のひとりであるテロリストの仲間に襲われ、渡辺謙もその機を利用して逃亡し森に入るのだが、真剣な顔で周囲をうかがいながら木の間の草地を踏み分けていく渡辺の背景には何かそれらしい、多少の緊張感をかもし出すような、ややいかめしいような音楽がかかっている。テレビドラマというのはそういうもので、多くのシーンの後ろにはBGMが付されているし、それで特に問題もないのだけれど、ただ実際にこういう状況に置かれたときのことを想像するに、森のなかというのはもっと静かなはずだし、季節にもよるが虫とか鳥の声や動物の気配が無数に立ちこめているはずで、そういう音声のなかにあったほうがよほど緊張感は出るだろうと思う。もちろんドラマの作法のなかにあってはここだけそういう演出にしたら変なことになるし(第一ここはごく短い場面で、説話上大した役割もない)、これはこれで良いのだけれど、音楽があからさまにものものしさや逃亡する主人公の雄々しさを代弁していくものだから、渡辺謙の表情や身振りもそれに回収され、かえって演技と音楽的演出のあいだに齟齬がはさまり(音楽のせいで演技が大げさに空回りするようなものになり)、その齟齬がドラマのつくりもの性を強調するように働いているような気がしたもので、だからむしろ物語に対する視聴者の没入を妨げてしまうのでは? と思ったのだけれど、べつにそういうわけでもないのだろうか。むしろああいう常套的な下地が敷かれていることで心置きなく没入できる人が多いのだろうか。実際の音響に近づければそれで良いということはむろんないが、ドラマというジャンルもしくは枠組みを離れれば、映像と音声の結合としてもっと違ったやり方があるのだろうなとは思う。
  • この日は休日だったが、日課記録を見る限りかなりなまけてだらだらしている。あまりよろしくはない。ただ翌日のWoolf会に向けて翻訳はきちんとやっており、この次の日にはあまり余裕がなかったので、やっておいて良かったと思った記憶がある。担当箇所は以下。

 One moment more, with her head raised, she listened, as if she waited for some habitual sound, some regular mechanical sound; and then, hearing something rhythmical, half said, half chanted, beginning in the garden, as her husband beat up and down the terrace, something between a croak and a song, she was soothed once more, assured again that all was well, and looking down at the book on her knee found the picture of a pocket knife with six blades which could only be cut out if James was very careful.


 それからまたすこし彼女は顔を上げたまま耳をすましていたが、その様子はまるで、何かいつも耳にしている馴染み深い音声を、規則正しく動く機械のような音声を待ち受けているかのようだった。するとまもなく、なかば喋るようななかば歌うようなリズミカルな響きが庭のほうではじまり、夫がテラスをずんずん闊歩しながら発するしわがれたうなり声とも歌声ともつかないものが聞こえてきたので、彼女はふたたびほっとなだめられ、ああ、何も心配ないわと安心して、膝の上に載せていた本に目をもどすと、ジェイムズがとても慎重にやらなければうまく切り取れないような、刃が六枚ついたポケットナイフの絵を見つけてやった。

  • わりと些細なところではあるのだが、まず最初のOne moment moreをどういう言い方にして段落をはじめるかにけっこう迷った。岩波文庫は「さらにしばらくの間」としている。これは完全に個人的な感覚だが、「しばらく」みたいな言い方がここではあまりピンとこないような感じがあり、また、なんとなく「それから」という接続詞的なつなぎ方にするのが良いのでは? という気がしたので、上記のはじまり方になった。で、さらに、岩波は「夫人は顔を上げたまま、また聞き慣れた声、機械的なまでに規則正しい声の響きが聞こえてこないかと耳をすました」という風に、as if以下を先に置く訳出をしていて、それが順当な定石だろうとは思うのだけれど、これに関してもなんとなくうまく流れる訳文にならない感じがあったので、「耳をすましていたが、その様子は」と英文とおなじ構成的順序でつくり上げてみた。ここで記されていることの意味、またそこから表象されるイメージとしての夫人の姿を想像するに、listenedを「耳をすました」ではなく「すましていた」として、音声の発生を待ち受ける時間的幅の感覚をわずかばかり導入したほうが良いのではないかと思ったのだけれど、「すましていた」で最後をまとめようとするとどうも座りが悪かったので、それを先に持ってきた次第だ。まず夫人が顔を上げて、ことによるとあたりをちょっと見回したりもしながら聴覚を外空間にひらき投射するその姿を先に提示し、そののちにさらなる描写説明をくわえるという順序である。こちらが英文を読んだ感じでは、こういう推移がうまく嵌まるような気がしたのだ。あと岩波ではas ifの仮定の意味を盛りこまずに、「聞こえてこないかと耳をすました」といって夫人が夫の声をもとめていることを事実として確定させているが、こちらは一応定則に沿って「~かのよう」を訳出しておいた。
  • beat up and downはこれで「うろつき回る」みたいな意味をあらわす成句のようだ。beatだけで調べると歩くような意味は見当たらないし、なぜこの語がうろうろすることをあらわすのかよくわからないものの、まあたぶん、ビートを刻むように歩を踏むということなのではないかと推測し、するとまず「闊歩する」という言い方がスムーズに思い浮かんできた。それにくわえてよりビート感を出しておくかというわけで、「ずんずん」という補足強調を添えた次第だ。
  • assured again that all was wellは、直訳で行くなら、全部良い、うまく行っているということになるが、ここでは恐怖から立ち直るという文脈を勘案し、逆の言い方を取って「心配ない」という安堵を提示した。それにもとづいてベストな言い方を探ったところ、「ああ、何も心配ないわ」と、「ああ」などという嘆息をくわえた台詞調のつぶやきが出てきたのだった。
  • 担当箇所を訳したあと、ついでに冒頭もいくらか改稿しておいた。以前読み直したときに、やはりリズムが全然なっていないというか、やや強引な固さがあってうまく流れていないなと感じられて、いずれ直さなければと思っていたのだ。いままで訳した部分はまた読み返して推敲するつもりでいる。ただそんなことをしているといつまで経っても進まないので、本当はいったん放っておいて新たな部分をどんどん訳出していくべきなのだろうが。しかしべつに仕事でもないし、良いだろう。七月四日にはじめたときの最初の訳は以下。この日変えた文章はたぶんここからいくらか調整してあったのではないかと思うが。

 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんと同じくらい早起きしなくちゃね」と付け加えた。
 息子にとってはたったこれだけの言葉でもはかり知れない喜びをもたらすことになり、まるで遠足に行けるということはもう確かに定まって、幾星霜ものあいだと思えるほど長く待ち焦がれていた魅惑の世界が、一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたその先で手に触れられるのを待っているかのようだったのだ。

  • 改稿後は以下の形になった。

 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんとおなじくらい早起きしなくちゃだめよ」と付け加えた。
 たったこれだけの言葉が、息子にとってははかりしれない喜びをもたらすことになったのだ。まるで遠足に行けるということはもう間違いなく決まり、幾星霜もと感じられるくらい楽しみに待ち焦がれていた魅惑の世界が、あとたった一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたその先で手に触れられるのを待っているかのようだった。

  • 「ヒバリさんとおなじくらい早起きしなくちゃだめよ」の言い方は、岩波文庫とほぼおなじ文言になるので(「ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」)最初の訳出のときにはそれだとなんかなあと思って「しなくちゃね」という言い方に変えたのだと思う。だがそんなことはどうでも良い。他人とおなじだろうがなんだろうが、よりしっくりくる言葉を選ぶべきである。
  • 最初の訳では英文が長く続いているのに合わせようとして、「喜びをもたらすことになり」と次につなげているが、ここは無理せずに一文で切ったほうがよりはじまりらしく響くのではないかと思った。「なったのだ」の終わり方にしたのは、こちらの感覚ではこの二文のどちらかは「のだ」という断定にするのが良いような気がしたからで、「もたらすことになった」「待っているかのようだったのだ」でも行けるとは思うのだけれど、なんとなく、前の段落から続けて読んだときに、「もたらすことになった」で切るとリズム的にちょっと物足りないような感じがしたので、ここで「のだ」と大仰に置いてみることにした。
  • 難しいのは「幾星霜も」うんぬんの部分、原文で言うと、"and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed,"のところで、意味は問題なくわかるがうまく流れる言い方をかたちづくるのがなかなか難事だ。楽しみにしすぎて実際よりもはるかに長く待ったかのように、まるで何年も何年も待ったかのように感じられるという趣旨を思うに、いっそのこと、どれだけ待ったかわからない、という言い方の方向でまとめるのもありではないかと考えたものの、"years and years"=「幾星霜」はやはりなんとなく使いたくて、しかしこの語を使うとそういう方向ではおさめづらい。「幾星霜ともわからないくらい楽しみに」というような訳も考案したということだが、ただ例文など検索してみるに、「幾星霜」は字面そのままに「どれくらいの年」という意味で使われることはどうもなさそうで、出てきた文はどれもこれも長年月、長いあいだ、の意で用いている。要するに、「幾星霜ともつかない」みたいな言い方は見当たらなかったということだ。そう言ったとて通じないことはないと思うが、やはりなんとなく強引な感じもするので、「幾星霜もと感じられるくらい」でひとまず落とした。こまかいところだが、ここを「幾星霜ものあいだ」とするか、また「くらい」にするか「ほど」にするか、といった点も悩みどころではある。
  • あと、どこかのタイミングでTim Ries『The Rolling Stones Project』(https://music.amazon.co.jp/albums/B00BJR7NH6(https://music.amazon.co.jp/albums/B00BJR7NH6))を流したところ、一曲目のギターがトーンにせよフレージングにせよ特徴的というかおぼえのあるようなもので、これJohn Scofieldじゃないかと思って情報を検索してみるとそのとおりだった。やはりJohn Scofieldってわかりやすいんだなと思ったし、こんなところに参加しているのかとも思ったものだ。discogsを見ると、一曲目すなわち"(I Can't Get No) Satisfaction"はJohn Patitucciが弾いてClarence Pennが叩いているし、オルガンがLarry Goldings、ピアノはBill CharlapとEdward Simon、パーカッションにJeff Ballardを起用しているので、どれだけ豪華なんだとも思った。ほかの曲ではCharlie Wattsが叩いていることもあったのだが、これが意外とと言っては失礼だけれど普通に嵌っていてけっこう良かった。もともとジャズをやっていたのだったか?


・読み書き
 13:55 - 14:33 = 38分(2020/12/8, Tue.)
 18:20 - 19:12 = 52分(記憶)
 20:20 - 20:39 = 19分(英語)
 22:31 - 23:53 = 1時間22分(Woolf翻訳)
 27:23 - 28:09 = 46分(2020/12/8, Tue.)
 計: 3時間57分

  • 2020/12/8, Tue.
  • 「記憶」: 227 - 235
  • 「英語」: 46 - 72
  • Virginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994): 12(One moment more ~ if James was very careful), 3(最初~ within touch)


・BGM