2020/12/9, Wed.

 さらに[キャシー・]デイヴィッドソンは、こうした書物の循環構造に注目し、書物の生産と同時に読書もまた生産されるのだというパースペクティヴを明かす。たとえば文学教育用にはいかにも素っ気ないデザインの作品テキストが配布されるが、同じ作品でも、たとえば文学部学生を超えてもっと広い読者層を狙った場合、表紙や装丁、編集の仕方などに変化が現われてくる。書物の外観とその読者層というのは一種の共犯関係にあるのであって、一定の書物が生産されると同時に、我々はすでに一定の意味が生産される現場に立ち会うのだ。書物研究は、したがって、物理的にして美学的、かつイデオロギー的な諸領域に渡る、と彼女は説く。
 これにならうなら、著者は読者に向けて語るも、一方で読者はその反応によってもう一度著者へ影響を与えうる条件であるのが判明しよう。著者は書物出版という仮想空間上に構築された「仮想読者」に向けて語るとともに、実体的な書評者にも語らなければならない。しかも一冊の書物が流通し、多くの人々の手に渡るかどうかは、著者以上に、出版社や取次業者の政治的・人種的・性差的イデオロギーの介在によって決まるだろう。かくして、著者は自らを読む読者をさらに読みながら次の作品を書くことになり、彼ないし彼女本人もまたもうひとりの読者として主体再形成される。ラーマン・セルデンの図表1では読み手が書き手を読み直し、作り直す道筋が示唆されたが、ロバート・ダーントンの図表2では書き手もまた読み手を読み直し、自らを含む読み手の可能性を再探究する方途が露呈する。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、18~19)



  • 一一時前には覚めたはずなのだが、それから一時までずっと起きられず。かと言って二度寝というほど深く眠りに入ったわけでもない。ただ布団の下で丸まってぬくぬくと時を過ごしていた。やはり気温が低くなってきたから、温もりのうちから抜け出すのが大変になってきているのだろうか。枕元に置いてあった携帯を見ると珍しいことに着信および留守メモが入っており、母親か(……)さんか? と思ったところが知らない番号で、留守メモを聞くとなぜか中国語の音声が流れ出した。当然ながらニーハオの一語以外はまったく意味がわからない。雰囲気としては何かしらの業者らしく思われたが、先ほど検索してみても特に情報は出てこなかった。
  • 離床して洗面所でうがいをし、トイレで小便を放ってくると瞑想をした。枕の上に尻を載せた状態で胡座をかき、二〇分。じっとしていると次第に肌の感覚もしくは肉体の輪郭線の状態がなめらかになってきて、からだ全体としてもひっかかりなくやや軽い感触にまとまる。瞑想中は基本的にはやはり呼吸に意識を向けているのが良いかなという気がした。まああまり何を意識するでもなく、じっと動かずただ目を閉じて座っていればそれで良いのだけれど。
  • 上階へ。父親に挨拶。父親は今日は家中の掃除をしているらしい。テレビがちょっとずらされていたし、寝床にいるあいだ掃除機をかける音も聞こえていたし、階段下のスペースにも本やCDなどが袋にまとめられてあった。食事はあれはラーメンなのかちゃんぽんなのかわからないが、ともかく煮込んだ麺料理。卓に就いて食べながら新聞をひらく。日本学術会議に関して自民党の検討グループが、政府から独立した形の法人として再出発するべきではないか、というような提言を出す予定と言う。移管は二〇二三年頃を目安としており、改組後も当面は国から補助をおこなうものの、欧米の学術団体のようにみずから寄付金などを確保する方策にも取り組んでほしいとのこと。国際面からは中国と新型コロナウイルス関連の記事を読んだ。武漢中心部にある病院だかなんだか、ともかく騒動のピーク時には治療対応の最前線となった施設はいま展示の場になっているらしく、中国共産党がいかにウイルスに対処し危機を乗り切ったかを大々的に称揚しているようだ。習近平同志の指導のもと、党と人民は一体となってすばらしい働きを実現したみたいな文句が見られるらしい。訪れた人の声は二つ紹介されていて、ひとつは五歳の娘を連れた四〇歳代の男性で、党と市井の英雄たちが一致団結してこの危機を乗り越えたことを武漢の住民として誇りに思う、みたいなことを述べており、感動の涙を見せていたと言う。典型的な英雄礼賛もしくは物語的(同化吸収的)ヒロイズムだ。もうひとつの声は三〇歳代の女性のもので、どれだけ大きな不幸があっても最後にはかならずそれが党を称賛するための道具になる、いつものやり口だ、と冷ややかなことを言っていたらしい。こちらとしては、他人の所業を「誇りに思う」という心理の働きはどういう構造になっているんだろうなあと疑問に思った。他者がおこなったことに自分が誇りをいだくためには、おそらくなんらかの要素がその他者と自分とのあいだで共有されていなければならないと思う。まったく共通点のない他人とのあいだに「誇り」なる感情を生じさせるのは難しいのではないか。この男性の場合の共通点は、「武漢の住民として」と本人が言っているとおり、たぶんおなじ都市に住んでいること、ならびに世界で最初にコロナウイルスの災禍に見舞われた場所の人間としておなじ苦難を耐えてきたこと、というあたりになるのではないか。「英雄」とおなじ地域の住民であるとか、またおなじ人種である、おなじ国の民であるということがそれだけで「誇り」の源泉になるという心理の働き(抽象化による同一性への還元という操作)はわりと興味深いものだというか、そこで心理的・論理的・言語的にどういうことが起こっているのかをもっと詳細に考えてみたい気はする。
  • コロナウイルスに関してはまだ不明点が多いけれど、中国雲南省のコウモリから検出されたウイルスと遺伝子情報が九六%くらい一致したらしく、それなのでコウモリが起源となったのではないかという説が有力らしい。ただ今回の騒動の直前にウイルスが変異してひろまったという単純な話でもなさそうで、コウモリが持っているもともとのウイルスと新型コロナウイルスとは三〇~七〇年前にはもう分離していたのではないかという研究もあるようだ。「初期型」のコロナウイルスはRaなんとかみたいなコードというか塩基構造というのかよくわからないが、そういう記号で呼ばれているところ、いま全世界にひろまっているのはほとんどがそこから変化した「欧州型」というやつだと言う。実験環境においては変化によって感染力が強まったことがわかるとか、しかし実際のデータを見るとそうとも言い切れないとか、このあたりも研究結果は色々で定見はまだ固まっていないようである。
  • 食後は風呂を洗って緑茶とともに帰還。FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしてウェブを見たあと、ここまで記述すればもう三時半前である。今日は労働、五時過ぎには出なければならない。外出前に音読をしておきたい。あとはベッドで脚をほぐしながら書見すれば時は尽きるだろう。今夜はWoolf会だが、翻訳は昨晩のうちに済ませておいたので良かった。
  • 三時半から四〇分、「記憶」記事を音読。それから書見をしようと思ったのだが、今日の授業の予習をするために職場から教材をコピーしてきていたのを思い出したので、本を読むのではなくそのプリントを手にベッドに転がった。「(……)」の社会、第二章「(……)」の部である。このくらいの問題を教えるとなると、やはり事前にきちんと目を通して答えへのたどり着き方や必要な知識を確認しておかないとやりづらい。そもそもよほど単純な問題演習でない限り、しっかりと準備をして内容や形式、注意点や派生要素を確認しておかなければ、ものを教えるなどということが満足にできるわけがないと思う。単に知識を伝達しひとまず記憶させるという一事に限ったとしても、教えるというおこないはそんなに簡単なものではない。こちらとしてはむしろ、会社側がきちんと給料を払っておのおのの講師に綿密な準備を職務として課すべきだとすら思う。一応いまは授業とは別枠で準備時間にも給与は出るようになったけれど、以前はそうでなかったわけだし、いまだってさすがに一時間とかそんなにかけるというわけにはいかないだろう。だからこうしてわざわざ教材を勝手にコピーしてきて自宅で寝そべりながら読んでいるわけだ。本当に丁寧にやって効果を上げようとするのだったら、それくらいの手間は必要である。会社としてはもちろん人件費がかさんでしまうからそこまで金は払えないということになるだろうが、曲がりなりにも教育や人材育成を謳っている企業それ自体が、講師の仕事を軽く見ているという印象は拭えない。受験勉強などという極めて表面的な段階に限ったとしても、知と学びと教えることの営みはそんなに楽なものではない。
  • 寝そべってプリントを見ているあいだに掃除をしていた父親が部屋に来て、これ返品してもいいかと言った。見れば漆原友紀蟲師』全一〇巻である。以前父親が足の手術で入院していたとき、退屈しのぎにと貸していたのだ。それで受け取って、受け取ったところでなかなか置く場所がないのだけれど、ひとまず適当に、ベッド脇の小棚の上に積まれた本のさらにその最上に置いておいた。何かの拍子に倒してしまいそうな気がする。
  • 教材の確認にけっこう時間がかかって五時を回ってしまったので、急いで上階へ。煮込み麺のあまりでエネルギーと熱を補給する。食べる合間は新聞の国際面。マレーシアの首相が窮地に立たされているとのこと。しかしなんだったか? 詳しい内容を忘れてしまった。たしか与野党であまり勢力に差がなく、与党側も第一党と首相の属する第二党で齟齬があるみたいな情勢だったはず。少数でも与党側から造反が出れば予算案の成立が危ぶまれるという話だったか。首相としては国王の後ろ盾を当てにしていて、緊急事態宣言みたいなものを出して一時的に首相に権限を集中するように働きかけたところが、王はそれに応じず野党もふくめて議会全体で協力するように、みたいな呼びかけをおこなったので首相としては手詰まりになったという流れだったと思う。ほか、北方領土関連。米国でグリーンカードが希望者のなかから抽選であたえられる、みたいな制度があるらしいのだが、その書類の記入欄で、北方領土出身の人は日本と記すように決められているのにロシアが反発したという話。
  • その後のこと、また勤務中のことは忘れたが、この日は一時限で楽だったはず。帰宅後はWoolf会。こちらの担当箇所と、もう一段落、(……)さんが訳してきた箇所を扱った。こちらの訳文は前日の記事に載せたので割愛。(……)さんの部分も面倒臭いので原文も岩波文庫の訳も引かないが、第一部第三章の終わりの一段落である。(……)さんは英語がとにかく苦手で全然読めないし文法なども理解していないと言っていたのだが、できあがってきた訳文に大きな問題はなかったように思う。文法はあまり把握せずに単語を調べていって出てきた意味を、こういう感じかなとつなぎ合わせるようなやり方だったらしいが、そのわりにうまく行っていた。終わったあとに、今回訳してみてどうでしたと訊いたときにも、大変だけれど、ここはこの言葉のほうがいいかな、とか自分の思うニュアンスを一番あらわせる表現を探るのは面白いですね、みたいなことを言っていたので良かった。大きく話題になったのはセミコロンの用途くらいだったと思う。(……)くんの理解では、To The Lighthouseの場合はセミコロンがついているとそこがいわゆる自由間接話法というか内言になっているという合図として働いているのだと思う、とのこと。だいたいの場合はそうなのだと思う。今回の箇所では、こちらとしてはなんとなく、セミコロンのあとを台詞調に訳すとうまく嵌まるのではないかという気がした。夫がテラスを歩き回りながらテニスンだかの詩を大声で朗じているのを耳にしたMrs Ramsayは、誰かが聞いていなかったかとあたりを窺うのだが、そのあとから次のような記述がなされている。"Only Lily Briscoe, she was glad to find; and that did not matter. But the sight of the girl standing on the edge of the lawn painting reminded her; she was supposed to be keeping her head as much in the same position as possible for Lily's picture." で、ここの場合、"and that did not matter"を台詞にし、"But the sight"からはいったん地の文にもどって、"she was supposed"以下をまた内言にするとうまく流れるのでは? という気がしたのだ。もちろん最初の文もOnly Lily Briscoeが先に来ているあたりパロール的感覚はあるし、セミコロンで終えている文もまとめて全部台詞調にすることも可能だと思うが。ところで、この会のときには述べ忘れたと思うが、"the sight of the girl"といってLilyの姿に"girl"が使われているのがちょっと気にはなる。Lily Briscoeはこの時点でもたしかもう三〇歳くらいの設定だったような記憶があるのだが、三十路の女性に対して"girl"は普通はたぶん使わないものだろう。そうでもないのか? あるいはもうすこし若かったかもしれないが、それにしても"girl"はあまり彼女にはそぐわない語のように思われる。これはやはり、夫人がLily Briscoeをまだまだ青臭い若輩者だと見ている、彼女にとってはLilyは未熟な"girl"にすぎない、というような認識が含意されているのだろうか。
  • いま一二月一六日の午前一時半に至っており、けっこう疲れたので、(……)さんのアニメに関してはまた明日以降としよう。
  • (……)さんは海外のアニメーションに日本語の字幕をつける仕事をしているのだが、(……)くんがいままで手掛けたものをどれか見てみたいと言い出して、それで短いものをひとつ、画面共有をして皆で視聴することになった。これがけっこう面白いというか不思議な感じのあるもので、アニメというより昔のRPGゲーム、ファミコン時代のそれとか古いRPGツクールでこしらえたゲームみたいな雰囲気の作品だった。趣向としては自分の生や存在に馴染めないというか、いわゆる実存的な虚無感もしくは不安や違和感のようなものを抱えた男性が、ある夜に外出し、なんだったかべつのキャラクターに導かれて異世界めいたところに旅をして、サイクロプスを模した巨大な猫と戦ったり、なんとかのライオンというキャラクターのもとにいったりした挙句、しかしあまり明確な答えや決断も得ずに、もとの世界あるいは自宅にももどらないまま終わる、という感じだったと思う。全体的にもうよくおぼえておらず、特に最後のほうは記憶に自信がないが。いずれにしても典型的な旅立ち・試練・成長・帰還の物語構造をベースにしていながら、しかしかたちとしてはあまりうまくまとまって閉じるものではなかったはずだ。(……)くんは音がかなり良いと褒めていたが、おりおりに配置された古めかしいゲームめいた電子音は印象的だった。あと、最後になんとかのライオンのところに行くとそのライオンは床に伏してもう死にかけており、従者が命じられてベッドと一体になったピアノ(つまり、ライオンの足が向いているほうのベッド側面外側がピアノの鍵盤になっている)を演奏するのだけれど、その曲が綺麗なもので、おぼえがあるようでありながら同定できなかった。聞いているあいだは、メロディは違うようだったがコード進行からして"カントリー・ロード"(『耳をすませば』で月島雫が歌っているあれである)ではないかと推測し、幕引きということで帰郷的な意味合いをこめたのか? と思っていたのだが、視聴後にたずねてみると、あれは"蛍の光"だということだった。そうだったのか。"蛍の光"という歌の名は聞いたことがあるが、その曲自体に触れ親しんだことがたぶんいままで一度もない。たいてい小学校とかで習うものなのだろうか? 中国の故事で蛍雪の話があり、貧しくて家に灯りもともせなかったので、窓辺の雪に反射する月光とかつかまえた蛍の光とかを頼りに書を読み勉強したという人物のエピソードだったと思うが、あれを取り上げた歌なのか? などなど疑問が浮かんでいたのだけれど、いま検索するとやはりそのようだ。原曲は"Auld Lang Syne"なるスコットランドの民謡だと言う。
  • 古い時代のゲームみたいな印象から連想されたようだが、コンピューターがはじめてこちらの身の回りにあらわれてまもない頃、おそらく小学五年生あたりの時分だったのではないかと思うが、たぶんWINDOWS95ではなかったかと思われる当時のパソコンで、ものすさまじく原始的なコンピューターゲームをやっていたのを思いがけず思い出した。いまのいままで忘れていたというか、あまりにも遠い記憶なので事実かどうかちょっと疑われるくらいだ(古井由吉の言う「偽記憶」めいた感触がある)。しかし、当時我が家の向かいに住んでいた同級生、(……)とともにそれをめちゃくちゃ楽しんでいたおぼえがある。どういうゲームだったかもはやおぼえていないが、たぶんほぼマウスをクリックするだけの本当に単純かつ原始的なゲームで、おそらく連打するというわけですらなく、クリックするとなんか攻撃をしてダメージが入って、今度は敵から攻撃を受けて、みたいな感じのものだったのではないか。グラフィックがあったかどうかすら怪しい。フラッシュゲームという段階ですらない、本当にパソコンを利用したゲームの最初期、ほぼプログラムだけの白骨みたいなゲームだったのではないかと思うのだけれど、当時のこちらと向かい家の友人はそれを心底楽しんでいた記憶がある。しかしその時点ですでにスーパーファミコンにもゲームボーイにも触れていたはずだから、もっと複雑なゲームの喜びを知っていたはずなのだが。ともあれ、その記憶が蘇ってきたにあたって、スマートフォンのゲームとか画面をなぞったり押したりするだけで何が面白いのかまったくわからんと思っていたけれど、あのときのこちらと似たようなものなのかなという気がしたのだった。


・読み書き
 14:39 - 15:27 = 48分(2020/12/9, Wed.)
 15:30 - 16:11 = 41分(記憶)
 計: 1時間29分

  • 2020/12/9, Wed.
  • 「記憶」: 236 - 246


・BGM

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • R+R=Now『Collagically Speaking』