2020/12/11, Fri.

 南北戦争を契機に、女性作家ばかりか女性読者も増大しはじめたアメリカ。識字力転じて知的能力の増進に関しては、もちろん一八二〇年代から勃興した市場経済と、一八五〇年代を境にテクノロジーが桁外れの進展を遂げ、印刷技術によって書物の大量生産が、鉄道拡張によって出版物の流通拡大が図られたことも大きく影響しているだろう。それはさらに、白人女性にとどまらず、フレデリック・ダグラスやハリエット・アン・ジェイコブスといったアメリカ黒人系の自伝が示すとおり、黒人奴隷が識字力を増進させつつ、白人側を出し抜く術さえ覚えはじめた時期にあたる。南北戦争以前の黒人は自分自身の労働力こそいわゆる奴隷資本であり、貨幣と交換すべき単位であったが、一方南北戦争以後になると、奴隷資本たる黒人自身が自らの読み書き能力を文化資本として貨幣と交換するチャンスを獲得していく。
 奴隷資本の時代から文化資本の時代へ。ヴィクトリア朝アメリカの「文学」を彩る「文字」へのオブセッションは、南北戦争以前と以後とではその「字義的現実」を形成するに大きく寄与した資本形態がことごとく転換してしまうことの徴候にほかならない。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、26)



  • まず最初、七時半頃にいったん目覚めた。意識もはっきりとした覚醒だったが、三時間程度の睡眠ではさすがに保たないだろうと判断してふたたび寝つくことに。しかしその入眠にもけっこう手間がかかったおぼえがある。あるいはそのあとも何回か覚めたのだったか。最終的に一一時ちょうどに正式な目覚めを得て、カーテンをあけて陽射しを顔に取りこみながらすこしずつまぶたをひらいていった。こめかみや後頭部などをちょっと揉んでから一一時一五分に離床。滞在は七時間ほどなので悪くない。また着々とすこしずつ消灯をはやめていきたい。
  • 今日は労働が長くて時間的猶予があまりないので起床時の瞑想は省いた。部屋を出ると父親は前日前々日に引き続き、階段下の室を掃除している。階段を上がり、母親に挨拶してジャージに着替え、うがいをしたり顔を洗ったり。食事は煮込み素麺と昨晩の天麩羅の残りなど。用意して卓に就き、新聞に目を落としながらものを摂取する。ノーベル賞の授賞式が各地でおこなわれたとのことで、平和賞を受けた国連食糧計画(WFP)の活動や資金難が伝えられていた。サヘル地域とかパレスチナとかがかなり危機的な状況にあるようなのだが、しかし活動資金が足りず、何万人かは一月一日で支援を打ち切られることになっているし、資金事情が改善されなければ三月くらいでもっと多くの人が援助を受けられなくなる。サヘル地域もしくは南スーダン(紛争やテロなどが頻発している不安定な領域である)で活動している日本人スタッフの言葉として、「飢えている人々に平和を説いても響かない」とあったが、これは本当にそのとおりなのだろう、明快な真理なのだろうと思った。
  • 食後は皿洗いおよび風呂洗い、そして緑茶を支度して帰室、といつものパターンである。Notionで今日の記事を作成。さっそくここまで記述すれば一二時半を越えている。三時半頃には出なければならないので、そう猶予はない。
  • 前日の記事を完成。音読もしたらしい。そして二時頃からベッドに移り、今日も塾で扱う教材の予習をした。中学受験用の算数と、高校受験用の国語である。前者は「(……)」、後者は「(……)」。算数のほうは面積図を活用して解く文章題なのだけれど、かなりややこしくて面倒臭く、よほど賢い小学生でないとこれを理解して独力で解けるようにはならないのではないか。どうしたって文字式を使いたくはなる。おなじことを図でもってやっているのだと思うけれど。国語のほうは最相葉月河合隼雄最相葉月というのは名前自体は見たことがあるようでなんとなくおぼえがあったが、名字の読み方がわからなかった。「さいしょう」というらしい。その人の文章は例のジョン・ケージの無音室のエピソードや映画や聾者との関わりなどを取り上げて音声や沈黙について綴ったもの。触れられていた映画というのは『大いなる沈黙』というやつで、フランスのなんとかいう監督がなんとかいう修道院で一年だか数か月だか暮らしてそこの生活に密着したドキュメンタリーらしく、ちょっと見てみたい。撮影許可を得るまでに一〇年だか二〇年だかめちゃくちゃ長い時間がかかったとあった。いま検索したところ、『大いなる沈黙』ではなくて、『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』という邦題だった。原題は"Die große Stille"。「映画.com」の紹介文を引いておくと、「カトリック教会の中でも特に戒律が厳しいカルトジオ会に属するフランスの男子修道院、グランド・シャルトルーズの内部を、初めて詳細にとらえたドキュメンタリー。ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申請、それから16年の歳月を経て許可がおり、音楽・ナレーション・照明なしという条件のもと、監督ひとりだけが中に入ることを許された。監督はカメラを手に6カ月間を修道院で過ごし、俗世間から隔絶された孤独な世界で決められた生活を送りつづける修道士たちの姿を、四季の移ろいとともに映しだしていく。2006年サンダンス映画祭で審査員特別賞を受賞した」。
  • 現代の人間は、宗教の失墜とともに宗教そのものを失ったのではなくて、宗教性を失ったのだと思う。宗教と宗教性は必ずしも両立するとは限らない。教会や聖界に属している人間が宗教性をかけらも持っていないということも普通にありうると思うし、世俗に身を置く人間がすぐれた宗教性をその存在に帯びていることだってまったく珍しくはないだろう。
  • 河合隼雄のほうは民話と精神医学のかかわりについて、みたいな感じで、河合隼雄の本など一冊も読んだことがないが、評判や聞きかじりから形成されているイメージのとおりの内容。最相葉月の問題のなかで、一問、これは釈然としない、こっちのほうが正解として良いんじゃないの? という選択肢がふくまれている問いがあった。受験勉強用教材の国語の問題は、もっとシステマティックに、論理的に確実に道をたどれるようにつくるべきだと思う。つまり、選択肢のここの部分は本文のこの言葉の言い換え=パラフレーズだよね、ここの部分はここがもとだよね、というのを正確に対応させられるような問いにするべきだと思う。まずはそういう、目の前の文章そのものにもとづいた観察・発見・変換の読解能力を養成することを目指すべきではないか。自分の考えとか、行間を読むとか、そういったことはそれが充分できてからの話だろう。ところが現実には、この部分からこの言葉に言い換えられるか? 該当箇所の意味の射程を越えていないか? あるいはちょっとずれていないか? 飛躍していないか? という文になっている問題がけっこう多い。問題作成者のほうが意味の範囲を正確にとらえられておらず、その範疇で言語を操作できていないわけだ。
  • あとのことは忘れた。夜、下の英語記事を読んでいる。

(……)Nikolaos Michaloliakos, like other senior members of Golden Dawn, was absent from court in Athens yesterday as a judge read out a series of damning verdicts on the neo-Nazi party he leads. Golden Dawn, which shot to prominence amid Europe’s economic crisis a decade ago, and is responsible for a years-long campaign of violence and intimidation against immigrants, LGBTQ communities and political opponents, was found to be a criminal organisation.

Seven of the party’s former MPs, including Michaloliakos, have been found guilty of directing the organisation, while a range of members are guilty of crimes including murder, attempted murder and possession of weapons. Some now face sentences of up to 15 years in prison. It is the culmination of a lengthy court process that some campaigners have called the largest trial of Nazis since Nuremberg, triggered by the murder of Pavlos Fyssas, an anti-fascist Greek rapper, in 2013 – at a time when the party was Greece’s third-largest political force.

The trial, which lasted more than five years, has already effectively stopped Golden Dawn from operating. The verdict now offers Greece the chance to close a painful chapter in its recent history. Born of the fascist milieu surrounding the far-right military dictatorship that ruled Greece between 1967 and 1974, Golden Dawn was given its greatest opportunity by the global financial crash of 2008. As Greece struggled from a profound economic slump, and public anger grew at the remedy insisted on by the European Union – austerity – the party attracted unprecedented support.

     *

(……)It would be easy to write Golden Dawn off as an aberration, a throwback to the darkest moments of the 20th century which is best regarded merely as a matter of criminal justice. But far-right violence is in many ways a symptom of a problem, not its cause – and the conditions that gave birth to it are found elsewhere in the world today. Not all far-right nationalists secretly worship Hitler, and not all of them orchestrate street violence in the way that Golden Dawn did. But the far-right worldview is inherently violent: it offers a single explanation for social discontent, which is that the nation has become polluted by the wrong kind of people, and the solution lies in their removal. Some seek to use this violence as a route to power; others talk their way into power so they can make their violence legal.


・読み書き
 12:20 - 12:37 = 17分(2020/12/11, Fri.)
 12:38 - 12:54 = 16分(2020/12/10, Thu.; 完成)
 13:02 - 13:38 = 36分(英語)
 13:39 - 13:58 = 19分(記憶)
 22:36 - 23:02 = 26分(メルヴィル: 101 - 111)
 25:47 - 26:26 = 39分(Trilling)
 26:36 - 27:28 = 52分(メルヴィル: 111 - 129)
 計: 3時間25分


・BGM


・音楽
 15:30 - 15:37 = 7分