2020/12/29, Tue.

 我々はテクストの修辞法を読んでいるのか、それとも我々の読みの性格自体がテクストに修辞的な顔を与えているにすぎないのか? それとも、それらはまったく同時に起こっているのか?
 修辞的読解をめぐるこのようにパラドクシカルな問いは、もちろんド・マンのいう「読むことのアレゴリー」に、あるいはバーバラ・ジョンソンのいう「読むことのレトリック」に端を発している。たしかに新批評の伝統は、アメリカの英文科全般にいわゆる「テクスト精読[クロース・リーディング]」の義務を定着させた。しかし、テクストだけに密着するといっても、その「読みかた」自体が時代の甚大なる影響を受けていないとはいいきれない。脱構築以後の場合は、なおさらである。修辞的読解は、なるほど過去の作品テクストの死角=無意識を突く。けれども、それと同時に、ポスト構造主義以後の展開があって初めて可能になった同時代的コンテクストの意識をも露呈せざるを得ない。けっきょく我々に読むことができるのは、そのような時代的推移に限られるのだろうか。批評ファッションの変転にほかならないのだろうか。(……)
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、142; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第四章「ディスフィギュレーション宣言 シンシア・チェイス『比喩の解体』を読む」)



  • 一一時前に覚醒。二度寝も回避された。(……)にメールの返信をしなければと思い出したので、寝床に入ったまま携帯をかちかちやる。ガラケーで文を打つのは面倒臭い。しかし二〇二二年の三月末だかまではサービスがかろうじて続くらしいので、それまではスマートフォンを持つ気はない。携帯会社からはたびたび機種変更のすすめが届いているが。心情としてはもはや携帯電話などべつに持ちたくないというか、内面的には必要性を感じていないのだけれど、まあそういうわけにもいかないだろう。
  • 飯に誘われていたが、今年は世相に迎合して家に籠もると伝えておいた。水場に行って黄色い尿を長々放出してきてから瞑想。一七分間。からだはもともとあまり凝り固まっていないような感じ。特に背に重さがない。ゴルフボールでほぐしているのが功を奏している。一七分座れば身体感覚はだいぶなめらかになるが、もうすこし時間を増やしていきたい気はする。
  • 上階へ。うがいをして髪を梳かし、カニチャーハンとサラダで食事。新聞は国際面。インドで二一歳の女子大学生が市長になったと。インド共産党マルクス主義派の候補らしい。バングラデシュのコックスバザールでは、ロヒンギャ難民のキャンプ内で「アラカンロヒンギャ救世軍」の活動が活発化しており、金をゆすりとったり、人員をリクルートしたりして、断った人間には暴行を加えたり殺したりしていると言う。コロナウイルスの感染拡大を防ぐために人の出入りを禁じ、治安維持の人員を減らしたところにARSAが目をつけたらしい。中国ではコロナウイルス発生時に武漢の現地状況をSNSに発信した弁護士が懲役四年を課されたと。たしか張展という名前の人だったはず。もともと弁護士で、武漢入りして、遺族が情報発信しないように当局から圧力を受けたという証言や、病院の混乱などをインターネットで伝えたために共産党から目をつけられたようだ。六月につかまっていらいハンガーストライキを敢行しており、いまは鼻から管を通して流動食を摂取させられている状態だと言う。そのほか米国ではチベット政策支援法案が成立して、中国政府がダライラマの後継者決定に介入するのを妨害し、ドイツではメルケルのあとのCDU党首として三人の候補が挙がっていると。
  • 忘れていたが、昨日の夕刊で、長江での漁業が一〇年間禁止されるという記事も読んだ。流域で漁業をしていた漁師ら三〇万人が失職するとの見込み。当局は乱獲による生態系の破壊を理由としており、実際長江に棲む魚の種類はめちゃくちゃ減っているらしいのだが、専門家らは乱獲よりもむしろダム建設が大きな原因なのではないかと見ていると言う。三峡ダムとかいうのがもうできたかこれからできるかするらしく、共産党政府がすすめる再生可能エネルギー増進の一環として、それを使って水力発電をおこなうとか。再生可能エネルギーの推進というのは一般的に、一面では「環境にやさしい」、「持続可能な」方針と言えると思うが、ここではその導入がべつの面で環境の破壊ならびに人間生活の強制的な転換を招いている。
  • あと米国でコロナウイルス対策の追加経済法案が署名されたという記事も、夕刊だったか朝刊だったか忘れたが読んだ。先のチベット支援法案はこのなかに含まれていたらしい。ひとり最大六〇〇ドルの支援を盛り込んでいると言い、ドナルド・トランプはこれに反対してひとり二〇〇〇ドルにしろと主張していたものの、最終的には署名に応じた。野党民主党がここではドナルド・トランプに同調して支援額の増加をとなえていたのだが、与党共和党が財政規律を重視して応じず、下院での交渉は物別れに終わっていたとのこと。
  • 食事を終えると皿を洗って下階へ。風呂は今日は父親が洗うらしい。年末なので大掃除をするということだろう。それでこちらはさっさとねぐらに帰り、コンピューターを準備してまず昨日の記事を書いた。それからここまで綴って一時半。音読をしたいが、やはりからだがなまっているので先にベッドで肉を和らげたい。
  • 久しぶりにコンピューターをベッドに持ちこんでだらだらしながらからだをほぐした。
  • それからハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を書見。途中ちょっとまどろんだ。第二航海士スタッブが殺した鯨の肉をステーキにして食う章があり、焼き方がなっていないと言って料理人の老黒人を呼んで文句を言うのだが、そこからはじまる一連の流れが面白かった。スタッブが食事を取っている一方、ピークオッド号の船腹に取りつけられている鯨の巨大な死骸には鮫が何匹もやってきてその肉を食い荒らしているのだけれど、それがうるさいからちょっと言いつけて黙らせろとスタッブは黒人に命ずる。黒人はカンテラを持って船縁に寄り、鮫たちを見下ろしながら独特の言葉遣いで「説教」をするのだが、罵言を交えるたびにスタッブに制止され、もっとやさしく言い聞かせろともとめられる。最終的にはスタッブの満足行く「説教」をするのに成功するのだが、鮫たちはむろん言うことを聞かず、暴れて互いに衝突しながら鯨をかじり続ける。最後にせめて祈ってやれと命じられた黒人は、欲深ども、お前らは所詮どうあがいても鮫だ、鮫だから仕方がない、そうやって食い散らかして、腹いっぱいになって、そして死ねや、みたいな一言を残す、という一幕で、漫才みたいな感じで面白かったし、黒人の口調が、いわゆる方言的な訳になってはいるのだけれど、どこの地域のとも決められないような複雑で独特な俚言の感で翻訳も骨折っているような気がする。
  • 五時前で上階へ。鍋をやると言うのでその具を切った。煮るのは母親にまかせて、ほとんどなかったがアイロン掛けをするとはやばやと食事を取った。セブンイレブンの冷凍の炭火焼き鳥をおかずに白米を貪る。ほかには大根の味噌汁と生サラダがあったはず。新聞はこの日か前日から夕刊が休みとなっていたので、朝刊を読む。大和ハウス社長の、たしか芳野だったか芳井という名前の人のインタビューを見た。芳の字が入っていたのは確実なはずだ。神戸支店の営業部長、支店長、東京本店の店長、社長というキャリアの流れだったと思う。もともとは管理職など何が面白いんだと思っていたところが、神戸時代の上司に、それが支店長職だったか上のポストに推薦されて、あまり気は乗らないが世話になった人の顔を立てようと試験を受けたら受かってしまったという。店長時代には部下に本を贈り、面白いから読んでみてとすすめ、ただし二週間後に五行でいいから感想を提出してくれと課題めいたことを課していたとのこと。個々人と対話することで人となりを知り、より良い仕事につなげたいとの試みだが、電話の横に日付と相手の番号を貼っておき、二週間経たないうちに電話をかけて様子はどうかと訊いていたらしい。そういう風にして、あなたのことを忘れずに気にかけているというメッセージを送ろうとしていたという。東京本店の長になったあとは年始の三が日を休みとし、社長就任後はそれを全社にひろげたとのこと。建設業界全体でも来年度中に四週八休というペースを確立しようという目標になっているらしい。ただ、警備員など日給で働いている人は休みが収入低下に直結してしまうので、そこはまたべつの方策を考えていく必要があるとのことだ。
  • あとは珍しく経済面から、もろもろの企業の脱炭素への取り組みを紹介した記事を読んだが、そこでセブン&アイ・ホールディングスが店舗の屋上にソーラーパネルを取りつける試みをすすめていることを知った。たしか全体の四割くらいはもう設置済みとあったか? まったく知らなかったが、そこらへんのセブンイレブンの屋根にもついているのだろうか。
  • ねぐらに帰ると中田考・飯山陽「イスラームの論理と倫理」: 「第一書簡 あるべきイスラーム理解のために」(2019/10/20)(http://s-scrap.com/3393(http://s-scrap.com/3393))を読んだ。この連載は以前は全部公開されていてそれをメモしていたのだが、今回たずねたところ最初の記事と最後の記事だけの公開になっていた。しまった。読むあいだは額とか側頭部とか首とか手の爪とかをめちゃくちゃ揉みまくる。

 1979年にはイラン・イスラーム革命に続き、3月にはソ連アフガニスタンに侵入しムジャーヒディーンによる反ソ連ジハードが始まり、11月にはサウジアラビア王国を打倒しイスラーム国家を樹立しようとする武装勢力によりマッカの聖モスクが占領され、1981年10月にはイスラエルとの単独和平を強行しノーベル平和賞を授与されたエジプトのサダト大統領がスンナ派原理主義」組織ジハード団によって暗殺され、ムスリム世界ではイスラームが現在も大きな影響力を持っていることが外部の人間の目にも疑いの余地なく明らかになりました。

 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

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 イスラームについて理解してもらうためには、先ずイスラームが知るに値すると思わせねばならず、ついでイスラームを理解するためにはそれまでの自分たちの西欧中心主義を見直さなければならないと気付かせる必要がある、と考えるのは、大学の教養課程での教育、一般向けの講演会や啓蒙書のレベルでは現在においてもなお妥当であると私は思っています。そして20世紀終盤から今日にいたるムスリム世界の歴史は、近代化の西欧モデルがムスリム世界では通用しないことを裏書きしてきた、と言うことも出来そうです。
 しかしその結果として、マルクス主義の退潮のせいもあり、かつてのイスラーム軽視の反動として社会経済的要因が蔑ろにされ、ムスリムの行動をすべてイスラームに還元するような説明が横行するという反動が生まれました。西欧近代化モデルがそのままではムスリム社会に通用しないこと、ムスリムに固有の行動パターンがありそうなことが正しいことと、それをイスラームで説明することとは全く別のことです。これは実は複雑な問題なので後で詳しく論ずるとして、もう一つの問題があります。それはイスラーム学者よりむしろイスラーム地域研究者に関わります。
 それは、ムスリム社会を動かしており西欧的偏見を排して客観的に観察すれば合理的に理解できるとされるイスラーム研究者が言うイスラームが、自分が知る現実のムスリムたちの実態と全く違う、という単純素朴な事実です。「穏健」で「寛容」で「平等」で「民主的」な「平和の宗教」など一体どこにあるのか、とは、中東研究者、特にアラブ研究者であれば誰でも思うことでしょう。私自身アラブ、特に私が留学したエジプトは大嫌いで、今思い出しても頭の血管が切れそうになるような体験ばかりの日々だったように思います。あくまでも印象論ですが、総じてアラブ研究者はアラブが嫌い(か大嫌い)、イラン研究者はアンビバレント、トルコ研究者はトルコ大好き(か好き)です。ちなみにムスリムでない中東研究者は例外がいないわけではありませんが概ねイスラームが嫌いです。まぁ、それが自然なわけですが。
 ムスリムでも区別できない者も多いですが、ムスリムでないイスラーム学者、イスラーム地域研究者はイスラームムスリムの言動を区別できないので、彼らにとっては自分たちが見たムスリム社会、ムスリムの言動こそが本当のイスラームであり、イスラーム研究者がこれまで語ってきた「穏健」、「寛容」、「平等」、「民主的」、「平和の宗教」なイスラームは現実と懸け離れた護教論に過ぎないということになります。
 イスラームについての知識がないばかりでなく、そもそも知る価値がない、と思われていた時代に、読者の世界観の枠組を揺さぶりつつ基本的にその枠組の中でポジティブにイスラームを描くというスタイルには時代的必然性があったと思います。しかしある程度そうした共感的理解が広まった段階では、それに対する反動として「イスラームの現実はそんなものではない」という「異議申し立て」が現れるは当然と言えば当然です。
 そしてこうした「異議申し立て」の新潮流の代表が、飯山さんと同じく東大イスラム学科出身の池内恵さんと言えると思います。私も古典イスラーム学者として、イスラームを「穏健」、「寛容」、「平等」、「民主的」、「平和の宗教」のような西欧の植民地支配を蒙る以前には存在しなかった概念に切り詰め歪曲することには違和感を抱いており、またエジプトで学生としてムスリム社会の内部で5年にわたって生活し、2年間のサウジアラビア日本大使館勤務でムスリム国家の外交の一端を垣間見ましたので、ムスリム世界の現実を粉飾することは心情的にとてもできませんでした。
 私はエジプト留学、そして日本大使館勤務当時に発表した「エジプトのジハード団」(1992年)、「ジハード(聖戦)論再考」(1992年)以来、『イスラーム国訪問記』(2019年)まで一貫して、サラフィー・ジハード主義の内在論理と行動を共感的に明らかにする研究を発信し続けており、日本のイスラーム地域研究者の中では例外的にこの「異議申し立て」に与する立場を取っています。
 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

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 (……)ハーバード大学イスラーム研究者W.C.スミスは、「イスラーム」という言葉には(1)個人的なアッラーとの関係、(2)ムスリムの制度化された宗教思想の、(3)歴史的な現実、文化、の三つの意味があると言います。クルアーンハディースの用法は(1)の人間と神との個人的な関係を指していましたが、13世紀頃からムスリムの間でも(2)の制度化された教義の体系の意味で使われ始めます。(3)の歴史的な現実、文化を「イスラーム」と呼ぶのは、最近のことで、非ムスリムイスラーム研究者、いわゆる「オリエンタリスト」が始めたことです。イスラームに(1)個人的なアッラーとの関係、(2)ムスリムの制度化された宗教思想、の二つの意味があることに私も異議はありません。ムスリムによって制度化された宗教思想としての第二の意味の「イスラーム」が、ムスリムにとって規範的な「あるべきイスラーム」であるのは当然でしょう。しかしムスリムにとって本当に重要なのはクルアーンの用法(1)の個々のムスリムアッラーとの個人的関係です。
 このアッラーと個人との関係としての「イスラーム」も言うまでもなく規範的な「あるべきイスラーム」です。アッラーと個人との関係における「あるべきイスラーム」とは、アッラーによって「イスラームと認められたもの」、つまり「それによって来世での楽園の救済に値するムスリムと認められた存在様態」ということです。とはいえ、キリスト教のように、人が神の子になったり、神の子の代理人がいたり、人に神(聖霊)が憑く、といった概念を持たないイスラームにおいては、誰がムスリムかを判断できるのは、神だけであり、神が人間にいちいち「今のあなたはムスリムと認められた」と語りかけるわけではないので、誰にも知ることはできません。それゆえ当の本人は自分の信仰を常に自問し続けるしかありまんが、他人の信仰については関知するところではありません。
 しかしイスラームの教えはアッラーとその使徒ムハンマドを信ずる者にしか課されませんから、共同生活を送るには、ムスリムとそうでない者を区別する必要が生じます。ジハードやイスラーム刑法を持ち出さなくとも、食物規定やドレスコードが違えば共同生活が困難なのは、イスラームに限った話ではありません。そのため本来は判断する必要がない他人の信仰についても、神の御許で誰が本当にムスリムであるかはさておき、この世で暫定的に誰かをムスリムとして扱うかどうか、という問題が生じます。
 ですからある人間の様態がイスラームであるか否か、との問いは、不可知ではあっても、一瞬毎にどう生きるかの決断を迫られるムスリムにとっては、わからないなりに判断を下さざるをえないために、正当化されます。それは日本のサラリーマンが食事をしなければいけない以上、自分で弁当を手作りするか、コンビニ弁当で済ますか、経済的、健康的、時間的に最適解を見出せなくとも、不完全な情報と限られた時間の中で何らかの選択をする決定を下すことを余儀なくされるのと同じです。
 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

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 イスラーム法では、人間の行為を(1)「行わなければ来世での罰に値するもの」、即ち「義務(ファルド、ワージブ)」、(2)「行わなくても来世での罰はないが行われば来世での報奨に値するもの」、即ち「推奨(ムスタハッブ、マンドゥーブ)、(3)「行っても行わなくとも来世での罰も報償もないもの」、即ち合法(ムバーフ)、(4)「行っても来世での罰はないが、行えば来世の報奨に値するもの」、即ち「忌避(マクルーフ)」、(5)「行えば来世での罰に値するもの」、即ち「禁止(ハラーム)」の5つの範疇に分類することは、日本でもイスラーム関係書の読者の間で知られてきたかと思います。しかしイスラーム法はムスリムを対象としているので通常は論じられませんが、実は第6の範疇があります。それは「多神崇拝(シルク)」であり、それを伴えばあらゆる善行が無効になり無条件に来世での永劫の罰を蒙ることになります。言い添えると、ここでいう「多神崇拝(シルク)」は専門用語で「ムスリムでなくなる大多神崇拝(シルク・アクバル・ムフリジュ・ミッラ)」と言われるもので、そこまで重大でなく重罪ではあってもムスリムではあり続ける「小多神崇拝(シルク・アスガル」とは区別されます。またイスラーム法上の来世での罰に値する行為も、未成年や狂人などの責任能力を欠く者の場合や、正当防衛など違法性阻却事由がある場合には免責されることは、日本の法律と同じです。話を第6の範疇、「(ムスリムでなくなる大)多神崇拝」に戻すと、ムスリムの様態を判断するには外面的な行為を見るだけではなく、そもそもその人間が「多神崇拝」を犯していないか、を考慮する必要があります。外面的にいかに熱心に礼拝や斎戒断食に励み、大巡礼(ハッジ)に行き、ジハードを行っても、同時に例えばシバ神や、大日如来や、お稲荷様を拝み、十字架、神社の交通安全のお守り、曼荼羅、贖宥状(免罪符)などを後生大事に身につけていたなら、善行のすべては無効になり、大多神教の罪でムスリムでなくなり、来世での永劫の罰に晒されます。またダールルイスラームを侵略するためにムスリムを装っていたスパイの場合も同じです。
 ですから、イスラームの教義に照らしてムスリムの行動を分析するには、個別の動作の一つ一つをイスラーム法の範疇に当てはめてカズイスティック(決疑論的)に判断するより前に、まずそもそもその人間がムスリムであるかどうか、多神崇拝を犯していないか、を総合的に判断する必要があるのです。
 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

  • 中田考と飯山陽の記事を読んだあと、音読もしたかったが、もう少しものを読みながら爪を揉みほぐそうと思い、(……)さんのブログにアクセス。一二月二四日の記事を読む。"The Grapes of Wrath"が絶賛されていた。ジョン・スタインベックという作家について、その名前と『怒りの葡萄』および『エデンの東』という作品名以外何も知らないし、良い悪いという評価以前にそもそも読んだという話を聞いたことがないのだが、俄然気になる。やはり英語というか外国語でどんどん文学を読みたいなあと思う。日本語も良いけれど。言語というものは本当に面白いというか、冗談でなくこちらはできる限り何か国語も理解できるようになりたい。何語でも良い。この世に存在している言語を、こちらの力の及ぶ限りすべて読めるようになりたい。
  • 七時台後半から九時直前まで「英語」を音読。同時にダンベルを持つ。五キロだが、だんだん楽に持てるようになってきた気がする。音読もわりと明晰にできた。やはり大切なのはゆっくり読むこと、そこに書かれてある言葉のすべてに、そんなに傾注する必要はないがとりあえずは急がずひとつひとつ触れていくことだ。それは音読でも黙読でも変わらない。
  • 入浴へ。湯のなかにからだを落とし脚を伸ばすと、目の前の様子に意識の焦点が合うような感じになった。風呂に入っているあいだの時空など普段たいしてよく見も聞きも感じもしていないが、たまになぜか観察の心になるときがある。湯は入浴剤など入っていないはずだし、浴槽の色もクリームっぽい白なのだが、なぜか液体はかすかな緑色を帯びている。自分の脚がそのなかにゆるく交差しながら伸びているわけだけれど、まったく動かずじっと停まってそれを見つめていると、自分の意思もしくは脳が普段この物体をあやつり動かしているという事態が不思議なものと思われ、肉体がやはり客体めいてきて、水底の流木のイメージも湧く。太腿および脛の地帯には、たぶんそんなに濃くはないだろうがことさらに薄くもなく、そこそこの量の毛が生えて立ち並んでおり、いまは湯に流れがほぼないから揺らぐこともなく、動くとしてもちょっと息を吐くくらいのかそけさだ。肌はあらためて見るといかにも生白く、筋肉もないから皮膚表面のなだらかな平板さが余計にその白さを弱々しく見せているような気がする。
  • 出て、一一時頃から二七日のことを綴りはじめたのだが、手の爪がやや伸びていて打鍵をするのに鬱陶しかったので先にそれを切ることに。ヘッドフォンをつけてThelonious Monk『Thelonious Alone In San Francisco』を聞きながらベッドで処理。Monkのソロピアノは大変に良い。Monkの独奏ってなんというか、どこかつたなさがあるというか、いわゆる「ヘタウマ」とまで言ってしまって良いのかはわからないし、下手くそだとは思わないのだけれど、なんとなくぎこちなさみたいなものが全体に香っていて、全然なめらかに整った演奏ではないと思う。なぜかそれがとても良い。我流感が強く、やっぱりなんというか普通に技術的にうまいピアニストでは、たぶんこういう風には弾けないのだと思う。コードを強く叩くときのアクセントのつけ方、そのタイミングとか独特で、ダイナミクスやフレーズのつなげ方や緩急のつけ方ふくめて音の推移の仕方がかなりごつごつしているというか、いびつとすら言っても良いのかもしれない。喋り方がほかのピアニストとはあきらかに違っている。緊張感をみなぎらせながら演奏を削り整え構築していくという感じではなく、もっと日常的な相としてのピアノがあらわれているような印象で、要するに食事や呼吸とおなじ水準でピアノを弾いているかのような自然さを感じる。自分の生を維持し保つための習慣としてのピアノというか。だから、聞かせるという志向よりはひとりで弾いているような色を感じるのだけれど、だからと言って自分の内面に沈潜してそこから何かを探り出そうというような気配もおぼえず、ただ煙草を吸っているのとおなじ、みたいな印象。そしてそれが、とても良い。特にちょっと甘い味をふくんだバラードの類など絶品というほかはない。
  • この日のことをちょっと記したあと、二七日のことを記述。一時前で完成。たしか二八日分と合わせてすぐに投稿したはず。それからキムチ鍋を夜食にいただくことにして上がると、母親がまだ起きており、テレビには薬師丸ひろ子のコンサートが映っていた。わりと綺麗で伸びやかな声だったように思う。薬師丸ひろ子という人について何も知らないのだけれど、いま検索して画像を見たところでこの人だったのかと同定した。顔はよく見かけたことがある。『セーラー服と機関銃』で主演した人でもあり、この映画の同名主題歌はUAが『KABA』の五曲目でカバーしていて、なぜかけっこう好きなのだ。『セーラー服と機関銃』が相米慎二作品だということをいまさら知った。といって相米慎二という監督も名前を知っているだけだが。
  • キムチ鍋を食ったあとは、翌日がWoolf会なのでTo The Lighthouseの該当箇所を読んでおいた。第一部第四章の"The jacmanna was bright violet;"からはじまる段落。これに続く"the wall staring white"のstaring whiteがまずよくわからない。starringならわかるような気もして、誤植なのか? とも思ったが、二度出てきているし、オーストラリア版Project Gutenbergに載っている原文を見てもstaringである。見つめ、眺めてしまうような、目を奪うような白、ということなのか? 一応、fan-staringといって、ファンの注目を浴びる、みたいな複合表現はあるようだ。岩波文庫だと、「家の壁は陽を受けて白く輝いている」と軽く処理されており、どこにstaringを反映したのかわからない。「輝いている」とあるので、starとしてとらえたのだろうか。ただ、インターネット上の辞典を見ても、starの自動詞には「主演する」の意があるのみで、物理現象としての「輝く」はないのだが。他動詞にも輝き系の意味はなく、星を散りばめるとか、星印をつけるとか、主演させるとかのみ。

Here in Michigan, Whitmer, a Democrat, has issued 192 executive orders, many of which were struck down recently by the state Supreme Court.

The governor got spanked unanimously by the court for flouting a 1976 law, the Emergency Management Act. She extended the state of emergency without the Legislature’s permission. Lawmakers must renew their consent every 28 days. They did that once, through April 30. Whitmer has been in violation of the law ever since.

  • ウェブを見たのち、三時半に消灯。ベッドに移ってからもすこしのあいだは眠らず脚をマッサージし、布団に入ったのは三時四八分だった。目標よりもちょっと遅くなってしまった。またすこしずつ消灯をはやくずらしていきたい。