2020/12/31, Thu.

 (……)シーバースが展開するのはレトリックを使用してもレトリカルに終わることもなければ政治的[ポリティカル]に走ることもない、あくまで倫理的批評を再考しようとするスタンスと呼べるだろう。
 その姿勢は、古代から倫理的批評の歴史を説きおこす第一章から典型的にみられる。なるほど、プラトンは文学を悪と判定し、続くアリストテレスプラトン的倫理観から逃れようとするあまりに批評と倫理を分割しようと試みながら、けっきょくはふたりとも文学をその暴力性によって判断しようとしていた。対するに、カントは文学をあくまでその自由度によって判断しようと目論んだ。ところが、ここに重大なパラドックスが潜む、と著者はいう。カントによれば、美が美として認識される根拠は人間の美的基準が普遍的であるためである。ここには、徹底して個人的な偏見を排斥し、美学における人間的平等を「自由」の名のもとに理想化する視点がみられる。けれども、個人個人で美的尺度の偏らない[﹅9]世界を指向することそれ自体が、きわめて倫理的に偏った[﹅7]ヴィジョンなのではないか。
 なるほど、文学が自由を目的とする限り、それはあらゆる倫理的要請から逃れなければならないが、その倫理的要請の最たるもの、それは自由以外のものではない。美学と倫理学がほとんど淫らにからみあうスキャンダル。文学が文学であるための倫理的純潔性を保つためには、文学批評はほかならぬ倫理性を駆逐しなければならないという皮肉きわまるパラドックス。倫理は倫理自身と食い違う。かくて、シーバースニーチェに則りつつ、こう断定する。「文学が最終的に倫理から逃れるためには、まさに倫理こそが文学[フィクション]でしかないものと割り引く手段しか残されていない」(三一頁)。(……)
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、147~148; 「第二部「現在批評のカリキュラム」; 第五章「善悪の長い午後 トビン・シーバース『批評の倫理学』を読む」)



  • 一〇時半頃一度覚めて、よし、七時間だと計算してカーテンをひらき、まだ窓ガラスの真ん中あたりに浮かんで輝いている太陽の熱を受けたのだったが、そうしているうちにまた眠ってしまい、結局は正午前にいたるいつもの体たらくである。なかなかうまく行かない。やはり就床前は一時間くらい寝床で脚をほぐしたほうが良いのかなあ、と思う。昨日は寝る前にストレッチをやったので、脚の状態は良かった。柔軟をやってから眠ると起きたときの脚の肉のこごり具合が格段に違う。これはかならずやるべきである。
  • ベッド縁に腰掛けティッシュを鼻に突っこんで滓を掃除したあと、洗面所とトイレに行ってきてから瞑想。とにかくすこしでも時を減速させたい。その一心である。数的分割を施されたあとの静態的時間を離れた充実純粋時への接近もしくは接触を試みること、そしてこの世の絶対的原理である時間の流れと忘却に対する反動的かつ倒錯的で無謀な抵抗、それが瞑想であり日記である。一六分座った。からだの感覚はわりとなめらかになった。深い領域に入ろうなどというのは余計な欲だ。ただ座ってじっとしているだけで良い。能動性はなるべくないほうが良い。
  • 上階へ。ジャージに着替えてうがいをしたあと食事。昨日の炒め物の余りと鮭をおかずにして米を食う。豚汁の残りも。一日経つとコクが出ておいしいと母親は言っていたし、父親も食べ終えたあと、うまい、と力強く漏らしていた。新聞は国際面を読む。弾圧を逃れて台湾に渡ろうとした香港の民主派活動家一二人のうち、一〇人に判決が下されたと。法廷の場所は深圳市にあるなんとか法院みたいなところで、地裁に相当すると書かれてあったと思う。量刑は数か月から最長三年の禁錮刑。罪の内容は国家安全維持法を破ったということではなく、不法越境みたいなこととして記されていた。ほか、ドイツのクランプカレンバウアーみたいな名前の国防相が読売新聞のインタビューにこたえて述べた内容をすこしだけ見た。いわゆるインド太平洋地域への関与と日本との関係の緊密化を目指しているみたいなことだったと思う。左下のほうには韓国で法相が交代させられたという記事があったが、それはまだ読まなかった。
  • 両親の分も合わせて皿洗い。水がめちゃくちゃ冷たく、骨が痺れる。しかしレバーを左に動かして湯を使うほどの気は起こらない。それにしても昔の人間はみんな冬にはこういう切断的な冷水で洗い物をしていたのだからすごいと思った。『おしん』とかちょっと思い出すわ。くまなく雪の積もったなか、川の水で肌着か何かを洗うというシーンがあったはず。『おしん』なんて生まれる前のドラマだし、いつ見たのかわからないが。
  • 風呂も洗ったのち、緑茶を持って帰室。いま茶壺に入っている茶は全然うまくない。あと、茶をそんなに頻々と飲むのではなく、一日一回、質の良い茶葉ときちんとした淹れ方で本当にうまい茶をつくって味わうほうが良いのではないかという気も最近ではしている。いまは淹れ方もクソもないような飲み方をしているので。あまり量を飲みすぎてもやたらトイレに行きたくなったり、緊張したりするので、少量をじっくり楽しむほうが良いのではないかということだ。静岡県の人々とか、平均して一日に五杯くらいは飲むみたいなデータを聞いたことがあるような気がするけれど、彼らにはそういう支障は起こらないのだろうか。
  • コンピューターとNotionを用意すると昨日の記事を二〇分書き足して仕上げた。そのまま投稿。BGMはNina SimoneNina Simone Sings The Blues』の昨日の続き。最後の"Blues For Mama"が良かったが、Wikipedia記事によればこの曲にはSimoneのほかにAbbey Lincolnがクレジットされている。Lincolnもそうだし、Max Roachもそうだし、それで言ったらおそらくCharles Mingusが筆頭なのかもしれないけれど、このあたりの人々は公民権運動とのかかわりも深いはずで、そちらの方面からも学ばなければならない。
  • それからThe John Butler Trio『Sunrise Over Sea』を流しつつ今日のことをここまで記した。二時一九分。眠る前に柔軟をしておくとマジで脚の感じが違う。John Butlerは久しぶりに流したのだけれど、格好良い。アコギでこういう感じのことができればもうこちらは満足。それにはこれから長いあいだ地道に頑張らなければならないが。以前聞いたときよりもかなり良く感じられ、普通にめっちゃ格好良いじゃんと思う。#2 "Peaches & Cream"とかとても良い。この人は実際相当ギターがうまくて、最後のほうに収録されている独奏もすごかったおぼえがある。
  • 書き物に切りがつくと音読をやるべきところだが、先に柔軟。今日は脚が軽いので、臥位で脹脛マッサージをしなくとも活動できる。合蹠・前屈・コブラのセットを二度回し、二〇分でからだを整えた。BGMは音読用にもうThelonious Monk『Solo Monk』にしてしまったのだが、この音源の冒頭、"Dinah (take 2)"はまごうことなき名演だと思う。最初から最後まで、流れが一瞬たりとも動揺せず、よどみを生まず、内在的独立性を高度に維持している。余計な要素が何もない。それでいて取っつきにくい深刻さはまったくない。Bill Evansのそれとは違うが、これはこれで完璧な演奏だと思う。
  • 下半身を和らげると音読へ。英文を読む。脚を引っ張り上げたり腰をひねったりダンベルを持ったりしながら一時間。最後のほうになるとやはりちょっと乱れがちになった。たぶん頭と口が疲れてくるのだろう。語をとらえようとしてもとらえにくくなるし、発音もしづらく、なめらかに読むのが難しくなる。それで四時前で切り、ふたたび一セットだけ調身した。一セットだいたい一〇分で終わる。一〇分で下半身がめちゃくちゃ楽になるのだからやらない手はない。
  • それからThe John Butler TrioにBGMをもどしてここまで記し、さて、何をやろうかな? というところ。
  • 脚を温めても、足先と、膝から下の脛の領域はやはりけっこう冷たさが残る。この部位をもっと温かくする方法を知りたい。単純にやはりマッサージするほかないか?
  • そうなるとやはり脚をほぐしておいたほうが良いかと思って、ベッドで書見。引き続き、ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)。スタッブとかフラスクとかあのあたりの連中の粗野な言葉遣いの訳し方はけっこう好きだ。イシュメールは捕鯨船共同体でフィールドワークしている民俗学者であり、よそ者として自分の姿を消しながら観察している、みたいなことを先日書いたが、そういう風に言うよりも、そもそもが語り手としての特権を得ているというか、つまり話者としてのイシュメールと、船で働いている船員すなわち物語内登場人物としてのイシュメールがおり、この作品ではすくなくとも海に出たあとは後者はほぼ消え、前者の比重が圧倒的に高いのだけれど、船内にいながら言及しないことで自分の姿を消しているだけでなく、もともと特権的な視点位置を彼は持っていると考えたほうがたぶん良い。考えてみれば、己で見たはずもないエイハブの独白とか、その場に立ち会ってはいないはずの色々なシーンを語れることからしてそれはあきらかだったのだ。彼がなぜそれを知っており語れるのかという点が理屈として設定上どうなっているのかわからないが、たぶん何も説明はされていないのではないか。つまり、それはそういうものとして、小説の約束事として疑問なく受け入れられているということだ。で、今日読んだなかにイシュメールのそういう立場(視点の位置づけ)を示す端的な描写があった。165ページに、船の横に吊るされていた鯨の巨大な頭が落下して、その衝撃で船がぐらぐら揺れる場面があるのだが、その段落の冒頭から引くと次のようになっている。「その声が上がるのと巨大な鯨の頭が海中に墜落するのは、ほぼ同時だった。雷鳴が響きわたるような轟音があたりを圧した。ナイアガラの滝壺の張り出し岩が崩落して行く様を彷彿させる光景だった。突然重荷から切り離された船体は、反動で真逆へと揺り返し、銅板を張った船底全体が大気に曝され一瞬きらめいた。続いて高々と水しぶきが上がり、水蒸気が濃霧のように船体を包む」。この部分の後ろから二番目の文で、船底があらわになっているのだが、船に乗っている船員たちの位置からは船底など見えないはずである。この文の描写は、海上に浮かんで船を外から眺めているときのものであるはずだ(したがって、このとき船外で滑車につかまりながら浮遊していたダグーにはこの様子は見えたかもしれない)。この事件が起こった場面やこの章全体を通してイシュメールがどこにいたのかはわからないし、そもそも作中ずっと、船内でのイシュメールの具体的な位置はほぼ明示されないのだけれど、タシュテゴが鯨油を汲んでいる様子や、それに続く彼の落下や鯨の頭の墜落など、この章で語られている事件の目撃者として普通に甲板上のどこかにいたと考えれば、彼に船底は見えない。したがって上の文を語るとき、イシュメールは語り手として完全に船の外部に位置している。そしてここだけが例外ではなく、むしろ全篇に渡ってそうで、内部の一員としてではなく、船を外在的に、そこから(みずから積極的に?)分離された状態でとらえているのがイシュメールの基本的な姿勢だと考えたほうが良いのだろう。そして、外部から俯瞰的にとらえるだけでなく、彼の視点は船内の細部にも入りこんでいく。つまり、イシュメールは偏在者である。ついでに言えば、イシュメールがピークオッド号のまったき仲間として溶けこみ、船員たちから受け入れられ認められているような描写はいまのところない。同僚船員との具体的なかかわりを示す記述はほぼない。たしかスタッブに対して呼びかけるような瞬間がどこかわりとはやい時点であった気がするのと(しかしそれも台詞ではなく地の文だったような気もするから、本当に声に出して呼びかけたかどうかはわからない)、下巻では「72 モンキー・ロープ」の章で鯨の上で作業するクイークェグを索を介して支えているくらいだ。あと上巻では、クイークェグとマットを織る場面があったか。たぶんそれくらいではないか。
  • この小説にはシャンポリオンへの言及がここまでで二度か三度あったはずだ。イシュメールにはなぜかエジプト関連の事柄に対する言及が多く、「ピラミッド」は色々な場面で比喩として登場し、現在のところ七回出てきている。シャンポリオンというのはいわゆるロゼッタ・ストーンヒエログリフを解読した学者だけれど、考えてみればそれはめちゃくちゃすごいというか、普通に頭がおかしいので、そのあたりのことをもっと具体的に知りたい。もうひとり、174にはシャンポリオンとともにウィリアム・ジョーンズ卿という人の名前が出てきており、このイギリスの東洋学者は三〇か国語に通じていたらしいとイシュメールは言っているのだが、こういう連中の頭はいったいどうなっているのか?
  • 五時半前まで読んで上へ。母親が天麩羅を揚げはじめるところだったので担当する。蕎麦にすると言う。隣の(……)さんの息子さんからもらったらしい((……)さんは蕎麦屋をやっている)。それで色々揚げていき、一方で鶏肉もソテーし、また蕎麦も茹でて、と忙しい。母親と二人で台所をうろつき回る。用意できると六時過ぎだったはず。もう食事に。新聞から韓国のチュ・ミエ法相(秋と美まではおぼえているが、「エ」にあたる最後の一文字の漢字が思い出せない)が交替させられた記事とか、アレクセイ・ナワリヌイが詐欺容疑で指名手配されたとかいう記事を読む。ナワリヌイはいまドイツで療養中らしいが、ロシア政府は彼を帰国させないつもりだろうとの観測。
  • 食後、さっさと下階に下りたかったのだけれど、刺し身を切り分けた父親がついでに流し台を片づけはじめたようでゴシゴシ洗い物をやっていたので、眼窩の回りを揉んだりしながらそれが終わるのを待った。その最中に、母親に頼まれて鏡餅のキットを組み立てた。それで帰室するともう七時を回っていた。とりあえず音読。今度は「記憶」。「英語」と「記憶」とそれぞれ一時間ずつでだいたい一日に二時間くらい音読できれば良いかな、という気になってきた。新たなカテゴリとして「詩」を設けて詩を毎日読もうとも思っていたのだけれど、それもなんだか面倒臭くなってきたので、やはり「英語」と「記憶」の二つのみで運用していき、詩だろうが小説だろうがなんだろうが、全部「記憶」にぶちこんでしまえば良いやと定めた。今日読んだなかでは、W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』があったのだけれど、読み返してみると以下の部分の終末感みたいなものはやはりかなり良い。

 ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった。マイケルが運んできてくれたポットのお茶から、玩具の蒸気機関よろしくときどきぽうっと湯気が立ち昇る。動くものはそれだけだった。庭のむこうの草原に立っている柳すら、灰色の葉一枚揺れていない。私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻[イラクサ]の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう。その一方でわれわれは、測りがたさという、じつは生のゆくえを本当にさだめているものをけっして摑めないことを、ぼんやりと承知してはいるのだ。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)

  • 音読は八時まで四七分。その後、日本語及び英語のウェブ記事を読んだ。BBCを久しぶりに見たけれどレイアウトがだいぶ変わっていて、以前Magazineとされていた長めの記事はどうなったのかなと見てみると、それはなくなったようだが、Futureというカテゴリができていて、そのなかにDEEP CIVILISATIONとかいう下位区分があり、宗教とか脳科学とか思想とかそういう系統の記事があってわりと面白そうだったのでいくつかメモした。しかしそのメモと調査に時間がかかる。読んでみたい記事をメモしているとそれだけでめちゃくちゃ時間を使ってしまうので、本当はあまり深入りしないほうが良い。
  • Yasuo Murao「Interview with Lee Lang. イ・ランの、型破りな音楽の作り方。」(https://www.houyhnhnm.jp/feature/83689/(https://www.houyhnhnm.jp/feature/83689/))を読んだ。これはWoolf会でイ・ランの話がちょっと出たときに(……)さんが貼ってくれた記事。ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んだとき、Twitter上で訳者の齋藤真理子が、この作品について書いたイ・ランの感想みたいな文章を紹介していてそこで名前を知ったのだが、もともと音楽をやっていたとは知らなかった。(……)

―前作でも新作でも、アメリカのSF作家、カート・ボネガット・ジュニアの小説の一節を歌詞に引用してますね。ボネガットのシニカルなユーモア・センスは、イ・ランさんの文章とは通じるものあると思います。

イ・ラン:ボネガットの考え方はすごく好き。ボネガットがなぜ、『スローターハウス5』を書いたか、という話がおもしろくて。彼は第二次世界大戦で体験したドレスデンの空襲を小説に書こうと思ったけど、あまりに辛過ぎてなかなか書けなかった。でも、地球の外から見たら、戦争は子供達の遊びに見えるかもしれないということに気付いて、ボネガットはSFコメディとして小説を書きました。戦争とか政治家の争いとか、醜いことや恐いことも、外から見たら子供が遊んでるみたい。いまの韓国も同じです。これまで韓国の人は、とてもしんどい思いをしてきました。生活が苦しいのは自分のせいだと思って、みんな韓国のことを“ヘル朝鮮”と呼んでたんです。でも、大統領のスキャンダルが明らかになって、辛かったのは自分のせいじゃなく、国家のせいだってことがようやくわかった。全部、大統領がバカなことをしてたから。だから、いまみんな笑ってます。バカすぎて。デモに行ってもフェスみたいに盛り上がってた。

―確かにユーモアは、ひとつの武器ですよね。どうにもならない不幸な人生や権力者を笑い飛ばす。

イ・ラン:そうです。私は学校が嫌いで高校もすぐやめました。なんで学校が嫌いだったかというと、自分の意志とは関係なく集められて、そこに何時間もいないといけないから。それって収容所と同じ。だから、そこにいると辛くなる。そんな場所で必要になるのが笑いです。だから、学校は嫌いだけどコメディをやるのは好きで、私は娯楽部長になりました。

―娯楽部長?

イ・ラン:日本にはない? 韓国の学校には必ずあります。先生が疲れた時、「娯楽部長出てきて」って言うと、娯楽部長が出てきて何かおもしろいことをやる。みんなとゲームをしたり、お芝居をしたり、アイドルのダンスを踊ったり。だから、私はすごく忙しかった。

―なるほど。いまも娯楽部長をやってるみたいなものですね。ヘル朝鮮で。

イ・ラン:そうそう(笑)。第二次世界大戦のとき、ナチスユダヤの人をたくさん殺してたでしょ? その収容所のなかで、どんなジョークがウケてたか知りたいんです。いちばん辛い場所で、いちばん強いユーモアが生まれると思うから。

President Donald Trump has revoked a policy set by his predecessor requiring US intelligence officials to publish the number of civilians killed in drone strikes outside of war zones.

The 2016 executive order was brought in by then-President Barack Obama, who was under pressure to be more transparent.

Since the 9/11 terror attack, drone strikes have been increasingly used against terror and military targets.

The Trump administration said the rule was "superfluous" and distracting.

The order applied to the CIA, which has carried out drone strikes in countries such as Afghanistan, Pakistan, and Somalia.

     *

What was the rule?

It required the head of the CIA to release annual summaries of US drone strikes and assess how many died as a result.

Mr Trump's executive order does not overturn reporting requirements on civilian deaths set for the military by Congress.

There have been 2,243 drone strikes in the first two years of the Trump presidency, compared with 1,878 in Mr Obama's eight years in office, according to the Bureau of Investigative Journalism, a UK-based think tank.

2017 was the deadliest year for civilian casualties in Iraq and Syria, with as many as 6,000 people killed in strikes conducted by the U.S.-led coalition, according to the watchdog group Airwars.

That is an increase of more than 200 percent over the previous year.

     *

Eviatar [Daphne Eviatar, a director of Amnesty International USA], and others who monitor these issues, deplore not only the deaths of innocent people but also the government secrecy that has worsened significantly over the past year.

The Pentagon no longer reveals, she said, “even the legal and policy framework the U.S. uses to guide these lethal strikes.”

That makes the role of dogged reporting even more important.

A recent New York Times article revealed that the United States launched eight airstrikes against the Islamic State in Libya, but disclosed only four.

The story noted that military commanders have decided to reveal strikes only if a reporter specifically asked about them — the Pentagon even has a name for this policy: “responses to questions.”

     *

Although aggressive reporting on drone strikes and civilian deaths is relatively rare these days, it can yield impressive results.

A BuzzFeed investigation, for example, led to the U.S. government reversing course and admitting responsibility for the deaths of 36 civilians in Mosul. The follow-up story reported that no condolence payments to the families of the victims had been approved — and, given current policy, probably never will.

And a New York Times Magazine investigation in November — “The Uncounted” — revealed that the vaunted precision of U.S.-led airstrikes is both overestimated and underexplained.

  • 九時半で入浴へ。出ると、紅白歌合戦はちょうど東京事変が演奏しはじめたところだったのでちょっと見た。途中、母親に仏間に花を設置するよう頼まれて目を離したが。べつにそんなに大きな印象を受けはしなかったが、B部だかどこだかのコードワークと、そこでのギターのカッティングのちょっと毒をふくんで強いような感じはわりと良かった。仏間にいたときに耳にしたソロも悪くなかったように思う。ギターの人は、たぶん星野源と仲の良いほうの人だろうか? 眼鏡をかけており、(……)さんに風貌がちょっと似ている。刄田綴色は思いのほかにあまりバカスカやっていなかった気がするが、オープンハイハット(だと思うのだが)を裏拍でやたら鳴らしつづけるのは、たしかわりといつもそういう感じだったはずだ。亀田誠治のベースはあまり聞こえなかったのでわからないし、キーボードも同様。それにしても椎名林檎って、歌い方も声も全然変わらないなあと思った。
  • 一方で昨日の豚汁の残りを温め、持ち帰った。
  • ズッコケ三人組』は、タイトル通り男子の友人三人組が主人公で、なかに「ハカセ」というインテリ役の少年がおり(あとの二人は「ハチベエ」と「モーちゃん」だった気がするが、特に「ハチベエ」のほうは記憶に自信がない)、彼がトイレに入って用を足さないのにわざわざズボンを下ろして便器に座りながら本を読んだり考え事をしたりする、という習慣を持っていたのをおぼえている。そのネタに、当時の同級生だった(……)がよく言及していた記憶もある。彼は兄二人が東京大学に行ったなかひとりだけ筑波大学にすすんで、いま何をやっているのかは知らない。数年前に小説みたいなものを書いているとかいう噂を聞いたおぼえもあるが、書いているとしても普通に正職のかたわらでやっているのだと思う。

乗代:『かいけつゾロリ』のシリーズはたくさん読んでいました。おかべりかさんの『よい子への道』も好きでした。よい子を目指すためにしちゃいけない悪いことが漫画で説明されていて、今だとヨシタケシンスケさんが近いことをやってるのかな。奔放なのにクールで、楽しんで読みましたね。その中の「なす」っていう漫画を「生き方の問題」という小説に出したら、金井美恵子さんから「おかべりかさんがお好きなんですか?」とお手紙をいただきました。金井さんが、ご自身が特集の「早稲田文学」で、おかべさんのことを「追悼にかえて」という副題のエッセイで書いていて、それで亡くなったのを知ったところだったので、驚きましたね。それをきっかけに金井さんとも何度か手紙のやり取りをさせてもらったりして。

     *

5、6年生の頃にたぶん一番読んでいたのは灰谷健次郎さん。その頃まだ完結してなかった『島物語』が好きでした。最初は『兎の眼』から入ったと思うんですけれど。家族で島に引っ越して、自然薯掘ったり、魚採ったりするのに憧れて。それはそれで小学生らしいチョイスで楽しんでたんですが、その一方で、漫画は小学生が読むもんじゃないだろう、みたいなものを...。

――何ですか。

乗代:父親の影響で、家に全巻揃っていた『ナニワ金融道』とか。あと、いがらしみきおさんの『ぼのぼの』が当時アニメでやっていて、それが好きで漫画も揃えていたんです。古本屋が地元に4、5軒あったので、塾の行き帰りにダーッと回って家には「自習してきた」と言ったりする生活だったんですが、いがらしみきおさんの他の作品も読みたいと思って、片っ端から読んでいました。古本屋だとカバーもないので立ち読みでしたが、後で確認したら、この時に出てるものは全部読んでたみたいです。『のぼるくんたち』と『さばおり劇場』が好きでしたね。あと、この古本屋通いでよく読んでたのは山本直樹さん。

――ませてる(笑)。

乗代:『ありがとう』とか、上下の分冊で出てたのを1日で立ち読みして帰った記憶があります。中高生になってから、自分で買いました。事あるごとに読んでると、小学生の時にこれをどう捉えていたのかわからなくなってくるんですけどね。今挙げた3人はずっと読んでいますし、かなり影響を受けました。

――ん、『ナニワ金融道』から受けた影響といいますと。

乗代:これは影響というか、『本物の読書家』の関西弁の男は、完全に『ナニワ金融道』の都沢というエリートの喋り方で書いています。ほぼそのままですね。いちばん読み返している漫画だと思います。

――読み返すのは、どういうところに惹かれてですか。

乗代:人間の強さ弱さと、その模様と。あと、描き込みがすごくて。スーツの柄なんかも手書きで「$」がいっぱい描いてあったりする。そんな柄にしなきゃ描かなくていいのに。一回原画展に行って、生で見たのが忘れられないです。自分も、例えばこの部屋のことを書くんだったら全部書きこむのが理想なので、「やっぱりそういうことだよな」と励まされます。余白なんてないこの世をしっかり見てるぞ、という。

     *

乗代:(……)『元禄御畳奉行の日記』という新書がすごく面白かったので、ずっと読み返しています。役所仕事しかしてない当時の武士の「鸚鵡籠中記」って名前の日記なんですけど、死体斬る訓練で吐いたとか、刀なくしたとかの話が書いてあって。

     *

――リストに戻りますが、このジョン・アーヴィングの『ウォーターメソッドマン』は。

乗代:『ガープの世界』とか他も読んでいるんですが、今でもこれが一番好きです。高校の一時期、帰りのホームルームさぼって誰も乗れない時間のスクールバスで帰ってたんですが、そこで読んで感情移入した思い出があります。でも、絶版なんですよ。

――サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』。乗代さんの小説の中にもサリンジャーは出てきますよね。

乗代:サリンジャーは模範です。書き手としての態度に一番共感するというか、憧れを持っています。最初は文体が好きで読んでいた気がするんですけれど、作家としてどうあるべきか、自分のためにどうすべきか、というのを突き詰めていったところに惹かれていきました。

――『フラニーとゾーイー』とか『大工よ、屋根の梁を高く上げよ―シーモア序章』には線を引いてますが、『ライ麦畑でつかまえて』には線を引いてないですね。

乗代:あ、ライ麦はそんなには...。

――グラース家のサーガのほうが好きだったという。

乗代:サリンジャーが、ライ麦を書いて、それに対する世間の反応を経て、入れ込んでいったという流れを思うと、自分を納得させるための周到な配慮が際立ってきて、すごく考えさせられます。『ナイン・ストーリーズ』だと「対エスキモー戦争の前夜」が好きです。

     *

――あ、「十七八より」の主人公の阿佐美景子を主人公にしたものを、その頃からシリーズ化するつもりだったんですか。先日芥川賞の候補になった「最高の任務」や、『本物の読書家』に収録されている「未熟な同感者」も阿佐美景子の話ですよね。一人の人の人生の長い時間のある時期を切り取る、という書き方をしていきたかったのですか。

乗代:そうですね。あとは、その「ある時期」を著者の現在にするというのが一番、自分としては納得のいく描写ができますから。それはブログのタイトルにも関係するキンクスというバンドの影響かもしれません。レイ・デイヴィスというフロントマンのことが中学生の時からすごく好きで。全部聴いてきて、創作の姿勢とか、世間の見方みたいなものはこの人に学んだと思っています。『エックス・レイ』という自伝は、近未来の老いたレイ・デイヴィスに対して記者がインタビューしながら書いているという形式なんです。未来の人物が過去のことを思い出したことを著者として今書くというのは誠実だと思います。それを読んだのは中高生の頃で、自分が「十七八より」を書き始めた時に「あ、ここに戻ってきたな」と思ったのを憶えています。

     *

――そういえば、デビュー作の「十七八より」では世阿弥に言及されていますが、この膨大な読書リストのどこかにあるんでしょうか。

乗代:どこかにあるはずです。「十七八より」でいうと、浄土真宗の「妙好人」の概念も意識していました。お坊さんでもないし自分で布教したりはしないけれど、麗しい信仰を持っていて後世に残る在野の念仏者ですね。それを紹介している鈴木大拙の『妙好人』という本を大学の頃に読んで。禅に興味のあったサリンジャーからの繋がりですかね。結局、マジでやるというのは、発信して反応を見て、みたいなものじゃないよね、自然にそうならない人が一番偉いよね、と。阿佐美景子の話で、叔母を一番上に置くのは、たぶん、こういう本を読んできたからです。

――ああ、景子の叔母さんはものすごい知識人ですが、自分で何か残すことなく亡くなってしまっている。

乗代:自分で考えた何か確固としたものがあって、でもそれを人に何か言ったり見せたりする時間も考えもない、みたいな人に惹かれるようになったんです。それもあって、小説を書いていても「これを誰かに見せたがってるのか?」って気持ちになっちゃうんですよね。作中の主人公が何か目的をもって書いていないと、僕自身、誰か、不特定多数の読者のために書いているような感覚がついて回ってきて不安になる。

――なるほど。そう考えると、叔母さんというブッキッシュで知的で、でも世の中に何か発信することなく亡くなった存在が先にあり、身近なところでその人を見ていた存在として阿佐美景子が生まれたわけですか。

乗代:そうですね。叔母さんのような、いわば妙好人は何も残さないけれど、何を考えていたのかを自分は知りたいし、それを書きたい。阿佐美景子という近しい第三者の一人称を設定しないと、その不明を知りたい、書きたいという思い自体は描けないような気がします。自分でもまだ分からないことに、読んだり考えたりするなかで近づいていくんだというのは、最初にものを書き始めた時から固まっていました。

――真の主人公は叔母さんなんですね。

乗代:サリンジャーでいうとシーモアですね。書き手の自分よりも上の存在を書きたいけれど、上だということを定めると、下の自分には永久に書けないことになる。そうなった時にどうするのか、という手をあれこれ講じているのかな。

――その時に、阿佐美景子という女性にしたのはどうしてですか。

乗代:男だと自由が効かないというか。自分とのズレ、どうにもならないしわからない部分を設けないと、身動きがとれなくなる気がするんですよね。性別というのはどうでもいいけれど、どうにもならない。文体ではそれを意識したくないけれど、作中の人物としては意識しないわけにはいかない。ということで、書き手である自分は男性で語り手である主人公は女性という形に軟着陸するのかもしれません。山本直樹さんのようなシーンも書きたいし。

――あ、そうか。阿佐美景子って、どの話でも男性から性的な目で見られるというか、ちょっとセクハラに遭いますよね。え、あれは山本直樹さんの影響?

乗代:そういう場面を書きたいという欲は、完全にその影響だと思います。

――青木雄二さんの影響は関西弁のおじさんと先ほど聞きましたが、じゃあ、いがらしみきおさんは?

乗代:ああ、実は全部の話に通底するだろうと思って、今は手に入りづらい本を持ってきたんです。(と、本を取り出す)

――『IMON(イモン)を創る』。いがらしみきお著。アスキーから出ていたんですね。

乗代:当時のことは知りませんけど、「EYE-COM(アイコン)」というパソコン雑誌に連載していたものです。この頃、いがらしさんがパソコン通信にすごくハマっていて。「IMON」は「イモン」と読みますが、日本発のOSであるTRONのパロディですね。人間の生き方を、パソコンやネットワークと関連付けさせながら書いたものです。「IMON」が何かというと、「いつでも」「もっと」「面白く」「ないとな」。そういうふうに生きるにはどうしたらいいか、という内容で、ものすごく影響を受けました。ほとんどの部分を書き写しました。

――(手に取りぱらぱらとめくりながら)1992年11月3日発行なんですね。って、これめちゃくちゃ鉛筆で線を引いてますね。上の角を折っている箇所も多いですが、ちゃんと同じ角度でピシッと折られていますね。

乗代:2冊持っていて、もう1冊は更の状態です。線を引いたり折ったりするのはよくします。最後まで読んでひとつも折った箇所や写すところがなかった本は売ります。

――四コマ漫画も盛り込まれていて、面白そう。ちょっと読みますね。「いや、私はどうでもいいじゃないと批判をしているのではない。大概のことは本当にどうでもいいのだから、それは正しいことなのである。問題は、このままでは世の中はどうでもいいことばかりになってしまうのではないかという、3歳児的な恐怖感である」。なるほど。

乗代:「我々は、作品に対する芸術家のように、熱く、そして醒めながら人間関係に接さねばならないだろう」と書かれたのが約三十年前で。ちょっとすごい本なので、ずっと読み返しています。

     *

――ご自身の小説にもたくさん、先行作品の引用をしますよね。実在の本の名前もたくさん出てくる。影響を受けたものは全部書きたい、という気持ちがあるのですか。

乗代:そうですね。特に自分が書き写している時に、作者が書いている時の感覚みたいなものを、まあ勘違いだと思うんですが、それを味わった時は使いたくなります。自分のものとして、と言ったら傲慢ですが、あんまり区別がつかなくなるんですよね。

――それと、自然描写もよく書きこまれますよね。今日もこの取材の前に人のいない利根川沿いを歩いて、景色を描写してきたそうですが。

乗代:実際にその場所に行って描写を書き込みます。(と、モレスキンのノートを取り出す)月日と時間と場所を書いて、目に見えているものを描写する。ひとつの公園に何度も行って書いたりもしています。季節によって植物も鳥も光も温度も変わるので...。

――あ、「3月〇日11時10分~11時22分」とか書きこまれていますね。「12時27分~13時42分」とあるのは、1時間以上ずっと同じ場所にいて描写していたということですか。

乗代:そのぐらいは全然やります。目につくことを書いている途中で、新しいことも起こるんです。野良猫が来たから野良猫のことを書き始めて、そしたら川面に風が吹いて輝いて「次はそれを書くか」と思っていたら、水鳥が降り立ったり......。それを延々と書いている感じですね。

     *

――今、一日のサイクルはどんな感じですか。

乗代:6時から8時の間に起きて、書き写しをして。書き写しは夜やることもありますが、基本は朝やるんです。最近だと午前中の明るい時間のほうが人もいないので、公園とかに行って、描写して、戻ってきて風呂入って小説を書いたり本を読んだりして。

――その感じだと、生身の人間との接点が希薄になりそうな...。

乗代;もともと人間関係は仕事を除いてほぼ無いので。同級生とかも誰一人、連絡先知らないですし。家族とたまに連絡を取るくらい。

――飲みに行ったりもしないのですか。

乗代:ネットで知り合った、たかたけしっていう、今「週刊ヤングマガジン」で連載をしている人と年に1回だけ会うというのがここ数年ですね。

――たかたけしさんとは気が合うところがあるのですか。

乗代:そうですね。あと、作家デビューする前、ネットでブログを書いている時から何かと気にかけてくれました。ネットで大喜利しているような界隈があるんですけれど、その界隈からも外れているような良くわからない人たちが集まって、「けつのあなカラーボーイ」っていう......

――んん?

乗代:すみません(笑)、そういう団体があったんですね。初めてたかさんに会った時に、それに誘ってもらったんです。よく分からないまま「じゃあやります」って入って、共同のブログにちょこちょこ書いたりもして。僕はあんまり出ていないんですけれど、イベントもやったりしてました。僕の方でも、ずっとコンビニ店員やってるたかさんを心配してたんですが、今は連載して単行本も出しているので安心しています。そういう縁で、年に1回会っていますね、唯一。

  • 上を読んだあと今日のことをここまで書き足せばもう年が変わっていた。どうでも良い。興味がない。歳を取ると暦の感覚が摩耗してなくなっていく。新年になったということは、こちらもあと二週間で三一歳になるということだ。それもどうでも良い。興味がない。
  • 刺し身を今日中に食べるよう言われていたのを思い出して、持ってきて賞味しつつウェブを閲覧し、一時前から書抜きをした。熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)。二五分で三箇所。下半身がほぐれている状態だったら、日記や書抜きなどの打鍵作業は椅子に座らず立ってやったほうが良いかもしれない。座っていると、おそらく知らずして前かがみになりがちだからだと思うが、背中が凝ってくる。
  • その後、Virginia Woolf, To The Lighthouseを翻訳した。冒頭を改稿。今日は三時過ぎには消灯するつもりで、就眠前に一時間ほどはやはり書見しながら脚をほぐしたほうが良いかなと思って、したがって二時頃までで切る予定だったのが、興が乗ったというか深入りしてしまって結局二時四五分まで一時間続けてしまった。原文は以下。

 To her son these words conveyed an extraordinary joy, as if it were settled, the expedition were bound to take place, and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed, was, after a night's darkness and a day's sail, within touch. Since he belonged, even at the age of six, to that great clan which cannot keep this feeling separate from that, but must let future prospects, with their joys and sorrows, cloud what is actually at hand, since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystallise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests, James Ramsay, sitting on the floor cutting out pictures from the illustrated catalogue of the Army and Navy stores, endowed the picture of a refrigerator, as his mother spoke, with heavenly bliss. It was fringed with joy. The wheelbarrow, the lawnmower, the sound of poplar trees, leaves whitening before rain, rooks cawing, brooms knocking, dresses rustling—all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity, with his high forehead and his fierce blue eyes, impeccably candid and pure, frowning slightly at the sight of human frailty, so that his mother, watching him guide his scissors neatly round the refrigerator, imagined him all red and ermine on the Bench or directing a stern and momentous enterprise in some crisis of public affairs.

  • 改稿前と改稿後は以下。最後まではまだ定められていない。

 たったこれだけの言葉が、息子にとってははかりしれない喜びをもたらすことになったのだ。まるで、遠足に行けるということはもう間違いなく決まり、幾星霜もと思われるほど楽しみに待ち焦がれていた魅惑の世界が、あとたった一夜の闇と一日の航海とをくぐり抜けたその先で、手に触れられるのを待っているかのようだった。彼はわずか六歳でありながら、ある気持ちを別の気持ちと切り離しておくことができずに、未来のことを見通してはそこに生まれる喜びや悲しみの影を現にいま手もとに収まっているものにまで投げかけてしまう、あの偉大なる一族に属していたのだが、そういう種類の人々にあっては幼年期のもっともはやいうちから、すこしでも感覚が変転すればただそれだけで、陰影や光輝を宿した瞬間が結晶化して刺しとめられてしまうものなので、床に座りこんで「陸海軍百貨店 [Army and Navy Stores]」のイラスト入りカタログから絵を切り取って遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母親の言葉を耳にしたとき手にしていた冷蔵庫の絵に、まるで天にも昇るかのような無上の喜びを恵み与えたのだった。その絵は、歓喜の縁飾りを授けられたわけである。手押し車や芝刈り機、ポプラの樹々の葉擦れの響きや雨を待つ葉の白っぽい色、それにまたミヤマガラスの鳴き声や、窓をこつこつ叩くエニシダのノック、ドレスが漏らす衣擦れの音――こういったすべてのものたちが彼の心のなかでは鮮やかに彩られ、はっきりと識別されていたので、それはもはや自分だけのひそやかな暗号を、秘密の言語を持っているようなものだった。とはいえ、その秀でた額と激しさを帯びた青い目には妥協をまったく許さぬ厳格さがうかがわれ、人間の弱さを目にすればちょっと眉をひそめてみせるほどに申し分のない率直さと純粋さがこめられてもいたので、鋏をきちんと丁寧に操って冷蔵庫の絵を切り抜いている息子の様子を見まもりながら、母親は思わず、白貂をあしらった真紅の法服をまとって法廷に座ったり、国家的危機のさなかで容赦なく重大な計画を指揮したりする彼の姿を想像してしまうのだった。


(……)それはもはや自分だけのひそやかな暗号を、秘密の言語を持っているようなものだった。しかしまた彼の姿には、純一 [じゅんいつ] で、妥協をまったく許さぬ厳格さがそなわってもいた。その額は高く秀で、荒々しさを帯びた青い目は申し分のないほどに率直、かつ純粋で、人間の持つ弱さを目にするとかすかに眉をひそめてみせるくらいだったので、母親であるラムジー夫人は、鋏をきちんと操って冷蔵庫の絵をきれいに切り抜いている息子の様子を見まもりながら、白貂をあしらった真紅の法服で法廷に座る彼の姿や、国政の危機に際して過酷で重大な事業を指揮する

  • thoughの使い方がよくわからない。辞書的には後ろを取って「~だけれど」だが、ここの部分はthough以下が長すぎるのでそれではうまく行かない。それに、会話などでは、「でもまあ」みたいな感じで前を取った逆接としても使うようだ。いずれにしても、順序はどうであれ前後を逆接で対立的につないでいるはずなので、「しかしまた」という接続にした。そして、今回基本的にまとまりごとに前から訳出するような感じになっているのだが、そうすると"though he appeared the image of stark and uncompromising severity"までで一回切ったほうが良いような気がしたので、そこで一文終えている。それ以下の修飾関係が以前はよくつかめなかったのだが、普通に行くならば、というかこちらの感覚では、impeccably candid and pureもfrowning slightly at the sight of human frailtyも、直接的にはhis fierce blue eyesにつらなっているように思う。その点は以前、frownはもっぱら人を主語にするのではないか? という話が会でも出たけれど、frowning eyesという言い方は普通にあるようだし、日本語にすればそのあたりの主述関係(ジェイムズ自身が主語なのか、それともジェイムズの目が主語なのか)は曖昧になるので問題はないだろう。starkを「純一」としたのは我ながら悪くない気がする。fierceも、「激しさ」よりは「荒々しさ」のほうがニュアンスが出るのではないか。このあとで、ジェイムズは意地悪いことを言ってくる父親をぶち殺すことができればぶち殺しただろうとも書かれているし。
  • それで寝床に移り、メルヴィルを少々読み進めたあと、三時九分で消灯。黒々とした暗闇をストーブの遠赤外線が切り乱すなかで柔軟を二セット。とにかく柔軟は一日中、きちんとやったほうが良い。姿勢を取って停まり、呼吸と肉の収縮に目を寄せているわけなので、これもなかば瞑想みたいなものだ。三時二五分から三八分まで瞑想して就眠。