2021/1/9, Sat.

 実験室のガラス器具に私たちは魅せられ、おじけづいた。ガラスは壊れるから、手に触れてはいけないものだった。だが親密に触れてみると、他のものとは違う、特有の、神秘ときまぐれだらけの物質であることが明らかになった。この点では水に似ていたが、同じ属性はなかった。しかし水は日常的な習慣や様々な必要性から、人間に、生命に結びついており、その独特な性格は慣れという衣裳の下に隠れている。だがガラスは人間の作り出したもので、歴史も浅い。そのガラスが私たちの初めての犠牲、あるいは初めての敵になった。実験室には直径の異なった、長短様々の作業用ガラスの管があり、みなほこりをかぶっていた。私たちはブンゼン・バーナーをつけて、作業に取りかかった。
 ガラス管を曲げるのは簡単だった。それを火であぶるだけでよかった。しばらくすると炎が黄色くなり、同時にガラスがかすかに輝き出した。こうなると、ガラスは曲げられた。曲げられた角度は完璧とは言えなかったが、何かが実際に起こったのであり、新しい形、思い通りの形が作りだされたのだった。潜在力は行為となった。これこそアリストテレスが望んだことではなかっただろうか?
 銅や鉛の管も曲げることができた。だがガラス管は独特の性質を持つことがすぐに分かった。柔らかくなった時に素早く両端を引くと、非常に細い繊維になったのだ。それは極端に細くすることができて、バーナーの炎の上昇気流で上空に舞い上げられてしまうほどだった。まるで絹のように細くて柔らかだった。それではガラス塊の持つ無慈悲な固さはどこに消えてしまったのか? 絹や綿も固まりにしたら、ガラスのように堅くなるのか? エンリーコは祖父の故郷で、かいこが大きく成長し、まゆを作りそうになって、木の枝をやみくもにぎこちなく登ってゆくところを、漁師たちがつかまえると話してくれた。つかまえると、二つにちぎり、胴体を引っぱって、粗製の太い丈夫な絹糸を作り、釣り糸にするとのことだった。私はその話を鵜呑みにしたのだが、おぞましいのと同時に魅惑的に思えた。殺し方の残酷さと、自然の奇跡を空費するやり方がおぞましかったが、神話上の創造主が賦与した、先入観にとらわれない、大胆なひらめきの行為が魅惑的だった。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、41~43; 「2 水素」)



  • 六時四〇分の起床になってしまった。本当は六時に起きて瞑想をしたかったのだが。ダウンジャケットを羽織って上階へ行き、前夜のスンドゥブと古い米でこしらえたおじやなどを食べる。食後はすぐに下階にもどってゴルフボールを踏みながらハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読んだ。そうして七時半をむかえると身支度。スーツになってバッグを持って上へ行き、便所。やはり勤務の前にはできれば腸を軽くしておきたい。朝だし寒いし出ないかと思ったが、腹を揉んでいるとおのずと通じるものがあった。臍の左斜めすこし下あたりを揉んでいると出やすいように観察される。
  • 出勤路へ。当然寒い。林からは終始鳥の声が散る。この時点では空はすっきりと晴れていて、太陽も清水色の椀のなか南に浮かんでところどころで光を送りつけてくる。歩調をはやくするではないがやや歩幅を大きめに行った。木の間の坂でも木立のなかで鳥たちが動き回っているのが聞こえる。
  • 最寄りから乗車。ホームではけっこうみんな日陰のなかにいる。寒くないのだろうか。こちらは日向にとどまり、電車に乗ると着座して瞑目。降りてホームをゆるゆる行けば、右手、南東のほうから光が、まだあまり陽が高くないからさほどの厚みも持たず射しこんで、正面、視線の先で、いまこちらが乗ってきた電車の車体の低みに行き当たり、ホームの足もとに淡く気体の溜まりをつくっている。ホーム上を歩くあいだ源はあまりあらわれず、低い屋根と右手に停まっている電車の隙間にときに覗くのみ。電車の横を過ぎれば視界がひろがり、朝の光が浸透した線路上の空間が出現し、線路の伸びていった奥ではおそらくマンションの陰になって空気が青くなっているものの、そこすらも洗われたような清潔さを醸している。ホームに寄らず、支線で待機中の電車も、その側面が全面銀色を帯びてかがやき、ながくからだを伸ばして寝そべった竜のよう。
  • 職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 一二時四五分かそのくらいに退勤したと思う。電車まで間もあったし、徒歩で帰ることに。力を抜いてのろのろ行く。このときは空には雲が多く湧き、結構こびりつくようになっていて、太陽も雲に引っかけられがちで陽射しは弱く、路上に明確な日向の色が生まれる時間と、それが減退してほとんど無色と化して大気に同化してしまう時間とが交替していた。駅前から折れた道を行っていると、前方の突き当たりから子どもらの賑やかな声々が飛んできて、そこを右に曲がって道なりにすすむと小学校があるので下校してきた幼子たちだが、こちらの向かう先、T字路の頭の横棒にあたる路地を、右からランドセルをカタツムリの殻のように背負った低学年の子どもらが、順々と、一〇歳にも満たない子たちのことでいたいけな速度で緩やかに走ってあらわれては左に過ぎていく。こちらもその道に入ると、子どもたちは皆小学校一年か二年かという年少のさまで、大きな声で別れを交わしておのおのの道に帰っていった。こちらがすすむ裏道にも何人かいたが、そのうちひとりの男児がずいぶん先を行っていて、ほかの三、四人はひとかたまりになってその子を遠目にうかがいながら、アパートの陰に隠れたり電柱の脇にひそんだりと尾行観察の真似事をしており、なかのひとりが、俺、「忍び」の修行をしたんだぜとかなんとか言っていたけれど、彼らが一箇所からべつの場所にうつるときは、ランドセルをガチャガチャいわせて揺らしつつ、また楽しげな声を空気のなかに立ち上げながらドタドタ走るものだから、まったく隠れることができていないのは誰の目にも明白でいかにも微笑ましく、先を行く男児もけっこう距離があったけれどそれに容易に気づいているようで、途中でなんとか呼びかけながら道を引き返していた。
  • 道は寒く、とりわけ日が陰ればもちろん正面から顔に触れてくる空気が冷たく、マスクをしていてもそうだし、また風もそこそこ流れて道脇の木が乾いて痩せさらばえたような響きで葉を鳴らしているし、音と流れが生まれると冷気は楽々コートを越えてきて、首に縛りつけたストールのなか、もっとも隠れているはずのうなじの部分にすら触れてくる。この雲と風は、雪の前兆なのだろうか。
  • 白猫の姿はなかった。家が両側に建てこんでいるだけの裏路地を行きつつ、あたりを目にして、視覚にせよ聴覚にせよ知覚が意識せずとも常に、自分のからだの動きとは無関係に働き続けていることを認識して、自分がいま現に生きているということ、存在しているということもなんだか不思議で妙なことだなあという感じがした。たしかに生きてはいるのだろうが、どうもそれが腑に落ちないというか、べつにそれは実感が湧かないとか離人症的な非現実感とかそういうものではなく、不安とか不健康な気配をおぼえる感触ではなかったのだけれど、ただどこか不思議な平板さもしくは平穏とでもいうようなものが身に生じた。とはいえ、こういう光と(というのもそのときはちょうど陽射しがいくらか復活して路地の宙に漂っていたからだが)、こういう一日と、こういう時間とが、こちらがあとどれだけ生きるか知らないが、ひとにあたえられた平均的な時間を死までのあいだに過ごすとすれば、何千回か何万回か繰りかえされることになるのだろうと思い、それはやはりとてもすごいこと、凄まじいことだと思った。しかし思ってみれば、こちらの生の範囲内で見てもすでに何千回もの一日が、ほんのすこしずつだけ違う固有の差異の模様をはらみながら反復されてきたわけだし、こちらの生を離れて人間と星と世界の過去を思えばその数字は誰にも理解などできるはずのない非人間的なものに膨れ上がる。それはどうしたって凄まじいこと、何とも言い表し得ないことだ。人の生の範疇で考えても、その一日一日をすべて、なんらかの形と言葉でもって、ともかくはなるべくすべてを記録しようと、記録しなければならないと考えた者が、いままでこの世にいなかったわけがないのだが、しかし実際にそうした試みを試みた者が、これもいなかったはずがないのだが、いまに伝わらず知られていないのはなぜなのか?
  • 街道に出て行けば左手の間近を車がいくつも風切り音を撒きながら通り過ぎていき、道沿いの右手にはいくつか家が置かれていて、そのなかにひとつ、あれはもう空き家なのかまだ住まれているのかわからないが、こじんまりと古びた木造の家があり、その手前は枯れ草が萎びた色で渦を成すように占めていて鄙の景色、それがそこにあるというただそのことは、どうにもやはりうつくしいと感じてしまうなと思った。と言って、一般に見てうつくしさをはらんでいると言える視覚情報ではないだろうし、かといって殊更にうつくしくなく、汚かったり醜悪だったりするわけでもないから、逆説的な醜のかがやきというものをふくんでいるわけでもない。なんでもないものである。そして、なんでもないものが存在しているということが、やはりどうもうつくしいのだなと思ってしまった。美とは存在である。ものが存在しているということを、それだけをただひたすらに描き、述べ、主張し、訴え、指し示す小説が書けないだろうか? パルメニデス的汎存在論を小説作品に具現化するということ。それはもしかして、フローベールが書簡で述べた有名な言葉とそう遠くないところに位置することになるのではないか? 見たものはただ見たと言い、あったものはただあったと言うこと。ものがかつて存在したこと、いまも存在していることを書きあらわすのが、小説家の、作家の、詩人の、文を書く者の、言語を時空に刻む者の、最終的な、究極的な使命なのではないか。書き手はことごとく、証言者なのではないか。収容所のなかにいたことがなくとも、証言者なのではないか。何の証言者なのかはおのおのあるだろうし、実際のところ、書き手自身にもおそらくわからない。すべての証言者は証言者に固有の、避けがたいアポリアに直面する。すなわち、証言はかならずしなければならない(しかしそれがなぜなのかはわからない)、だが、どうすれば十分に証言することができるのかわからないし、そもそも十分な証言などこの世には存在しない。
  • 上に綴った発想は特段にあたらしいものではなく、昔から繰りかえし言っていることをすこしべつの言い方でまた繰りかえしたにすぎない。つまり、原理的には、書き記すに値しないものなどこの世界には何一つ存在しないという昔ながらのこちらの主義に、「証言」というテーマを横から挿入しただけのことだ。すべてのものとすべての時間は本質的には書くに値する(しかし、なぜそうなのかはわからない)。これがこちらの信仰である。こちらは二〇一三年に文を書きはじめてそう経たない頃からいままでずっと、この言葉をただ繰りかえし、この言葉から導き出されるおこないをただ続けてきただけである。それに根拠はない。信仰というものが強いのは、それに根拠がないからであり、それが根拠を必要としないからだ。
  • なんでもないものがただそこにあることに対してうつくしさを感じる、というときのそのうつくしさのなかには、切なさやはかなさ、一口に言って感傷性の類がふくまれているように思われ、それはやはり存在がすでに消滅と無を仮想的にはらんでいるということ、すくなくともこちらがものを見るときにそういう発想に至ることがままあるということを指しているのだろう。これは実に典型的な「無常」観念に沿った感じ方だが、こちらのなかにもたしかにそういう感性はある。あらゆる事物と時間はいずれ消える。したがって、Eric Dolphyの言葉にもとづけば、この世のあらゆる事物は音楽と、音と、大気の振動と性質を共有している。長期的に見れば、すべてのものは音楽である。生起しては、束の間、かりそめに宙に浮かびとどまって、かえっていくものたち。事物たちと時間たちは単にあらわれては去ることの自動運動を果てしなく永続させているだけで、そこに美だの感傷だの情趣だのをおぼえるのは人間の我執であり迷妄にすぎないが、それを殊更に排斥し、感じないように殺す必要も特にないだろう。ただし、警戒はしなければならない。感傷と感動とヒロイズムには常に警戒しなければならない。
  • あらゆる物々はいずれ記憶へと変わり、そして言語になっていく。言語にならなかったもの、なれなかったもの、なりたくなかったものももちろんあるが、ともかくも、どうせいつかはすべてが言語になってしまうのだ。ひとつの言語が時空から姿を隠し、消えていったそのあとに、またべつの言語が生じて続く。
  • ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)のことを思い出した(と言って、名前を正確には思い出せなかったので、検索に頼って確定させた)。昨年の秋頃だったか夏頃だったか、地元の図書館の新着図書で見かけて興味を持ち、一度借りたのだがまったく読めないうちに返却したのだった。
  • そういったことを考えながら帰宅。マスクを始末し、手を洗い、部屋で着替えた。今日は意外と休息せずとも動けるような余裕がからだに残っている感があった。それで食事へ。煮込みうどん。米国の記事を読んだ。連邦議会議事堂侵入の件の続報だ。警察に撃たれて死んだ女性は三五歳の元空軍兵士でドナルド・トランプ支持者だったと言い、また、騒動のなかで怪我をした警官がひとり亡くなって、死者は合わせて五名になったという。議会警備の体制にも不備があったのではないかという批判の声が出ているとのこと。人員はすくなく及び腰だったり、乱入してきた人間と一緒に写真を撮る警官がいたりもしたと。議事堂内に押し入った人間をとらえた写真が紙面に載っていたのだけれど、防弾チョッキと迷彩服をまとった姿が複数見られ、その写真の人々はたぶん銃を持ってはいなかったと思うがなかには所持者もいたようで、この格好に銃や武装を帯びて入ってきたらそれはもう戦闘である。Gretchen Whitmer誘拐を目論んだ人たちもそうだったけれど、米国の武闘的右派はマジで武力装備を整えていて、物々しい格好で写真にあらわれていることが多く、militia(武装組織、民兵)と呼ばれる。Guardianには以前、militiaという言葉で彼らの実態をごまかすのはやめ、domestic terroristsと呼ぼうという記事が寄稿されていた。
  • 食後は風呂を洗って帰室し、Notionで昨日の習慣記録を埋めると今日の記事を準備する。そのまま昨日の記事を記述。三時半に仕上がった。今日のことも少々記し、それから八日分を投稿。四時を越えてさすがに疲れたので、ベッドに転がってハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)。ゴルフボールを背の下に置きながら、わざわざからだを左右に揺らしてグリグリやらずとも、置いたままで脹脛マッサージをすればその動きで同時に背の肉も刺激できるということに気づいた。
  • 途中、一五分ほど意識を手放しながら、一時間読んで五時二〇分。
  • 昨日の職場の記憶を思い返して思ったのだが、最近は(……)先生と(……)さんの仲が良い。最近というか、けっこう前から頻繁に仲良く話しているが。また、恋愛にまで発展することはおそらくないだろうが。(……)さんが(……)先生によくなついているようだ。年上の、しかしそれほど年齢が離れているわけでもない二〇歳くらいの男性講師に中学生の女子が好意をいだくというのは珍しいことではない。こちら自身にもおぼえがある。近年はさすがに歳が離れすぎてそういったことはまったくないが。何しろ三〇にもなれば、中学生とは一五年ものひらきが生まれる。しかしそう考えると、はじめていまの職場に入ったときからもう一〇年以上経っているわけで、その事実には多少ビビるところはある。もうだいぶベテランである。そろそろべつの労働にうつっても良いだろう。なんか人間でなくて植物や自然の事物を相手にする仕事か、ガスや電気の検針員みたいに外を歩く仕事か、それか以前一度考えていたようにマジでどこかの古本屋でアルバイトさせてもらうか、そのあたりが良い。
  • こちらは正式に文筆業をやるつもりはないので、日記と読み書きとできたら作品制作を続けながら、何かべつの生計の手段を持たなければならない。作品か、なんらかのきちんとした文章をつくって金にしたり、多少文を売ったりすることを目指す可能性が完全にないではないが、日記を金にする気は完全にない。で、コンスタントに十分な量で日記を書き、ものを読む生活を続けるには一日のうちにそう長く働いている暇はなく、労働時間がすくなければすくないほど良いので、いまはのうのうと親元に置いてもらっているが、出たあとは自分ひとりの身を養うに足りるギリギリの貧困生活を送ることになる。で、それは一時的なものではなく、おそらく死ぬまでずっと続く。月に一〇万以下の生計でかつがつ暮らし、病気になったら終わり、と、さしあたってはその路線で行くしかない。こちらの欲求は、死ぬその日まで文を読んで文を書くことを続けたいという、そのことに尽きる。文を金にしたいという気持ちはないし、評判を得たいとも思わないし、影響をあたえたいとも思わないし、なんらかの地位や立場を得たいとも思わないし、むしろどちらかといえば積極的に得たくない。自分なりに作品をつくりたい気持ちはあるし、それが自分ですごいと思える作品だったらより良いが、絶対につくらなければならないわけではない。ただつくったとして、それを出版したいという欲求はない。おのれの望みを虚心に見据えてみると、自分がいまのところやりたいと思うのは、死ぬそのときまで毎日、文を読み文を書く暮らしを続けたいという、その一事だけである。そして、そのことをなんらかの仕事や立場や公共性においておこなうのではなく、単なる一アマチュアというか、一個の個人として、己自身として独学を続けたいという、それだけのことだ。金にならないことは問題ではない。名声を得られないことは問題ではない。影響をあたえられないことは問題ではない。他者に貢献できないことは問題ではない。あとに残る文章をつくれないことは問題ではない。それらすべて、何も問題ではない。問題は、今日を読んで今日を書くことを実際におこない、おこない続けるということのほかにない。やめたくなったらさっさとやめれば良いが、やめたくなるまではそれをやめるつもりはない。ただ現実、そういう生を続けることはなかなか困難だろう。先人に学ばなければならない。そこで、独学者の先人として思い当たるのが、エリック・ホッファーという名前であり、先日久しぶりにこの名を思い出して、彼がどういう風に暮らし生きたのか調べ、参考にできることは参考にせねばなるまいなと思ったのだった。それでとりあえずWikipediaを瞥見して、註に付されていたURLをいくつかメモしておいた。エリック・ホッファーは相当前に、邦訳された自伝を読んだが、これはたしか三〇〇〇円くらいのあまり長くない本で、そんなに大したことは書かれていなかった記憶がある。あと、『波止場日記』も読んで、当時はやはりあまり感銘を受けなかったが、いま読んだらもっと面白いかもしれない。
  • 食事の支度。チンゲン菜やタマネギなどと豚肉を炒める。汁物は母親が準備し、鍋で煮ていた。米もセットしてくれていた。ソテーをこしらえたあとはアイロン掛け。ズボンやエプロン。自分のワイシャツも、どれもノーアイロンタイプのもので、以前はかけなくとも大丈夫な程度皺はすくなかったのだが、最近はどうもくたびれてきたのか皺が明瞭になってきている。しかし明日は休みだし、そう急がなくても良かろうと払って、米が炊けるまでのあいだねぐらに帰還して音読。「英語」。『Solo Monk』をかけてはいるが、なるべく小さな声でつぶやき、ゆっくり読む。主に脚を引っ張り上げて伸ばしながらやった。あとは多少、左右にからだをひねって腰回りや背を和らげた時間も。四五分で切り。今日はなんとなく音読がふるわなかったというか、そんなに長くやらなくとも満足する感じがあった。のちに「記憶」を読んだときも同様。しかしそれでも良いだろう。ともかく二種のノートに毎日触れて読めればそれで良いだろう。はやくもっと英語をガンガン読めるようになって、次の言語に行きたい。
  • 夕食。新聞を多少覗きつつ。しかしあまりきちんと読まなかった。韓国で出た判決がとにかく異例のものだと強調する記事を見たおぼえがある。慰安婦問題を越えて、国家と国家の関係そのものが成り立たなくなるようなものだという外務省官僚の声が紹介されていた。さっさとものを食い、食器を始末すると帰って「記憶」を音読。四〇分で満足した。だいたいロラン・バルト石川美子訳『零度のエクリチュール』からの引用で、長い項目がいくつかあったので。
  • 八時半を越えていた。ジャージのズボンを脱いで股間をさらけだし、ベッド上にティッシュを置いて陰毛を処理した。ペニスの周りの毛が伸びてきてモジャモジャすると特に夏などはけっこう鬱陶しいので、ときおり短く切っている。まず普通の鋏で大雑把に切っていき、そのあと本当は眉を整える用の小さな鋏でこまかい部分を除いていくのだが、当然手もとをちょっと誤れば性器を傷つけかねないわけなので、慎重にゆっくりと手を動かさなければならない。ティッシュの上に集積された縮れ毛の群れは無数に重なり合って、漫画家がひたすら線描を繰りかえしてつくったような不規則かつ非定型な格子模様を呈しており、しかもところどころ層が絡まり合って合一するようで、線が太く黒々となって円を描いている箇所がいくつか見られる。
  • その後、柔軟をしてから入浴へ。温冷浴や指圧や束子健康法をやって、一〇時過ぎに出る。ひとりになって以後も、なんとか毎日自宅で風呂に入ることだけはしたいのだが、やはり貧乏では難しいだろうか。帰室すると歯を磨いてから今日の日記に取り掛かり、ここまで一気に書いた。零時二二分になっている。ちょうど二時間が経った計算。なかなか悪くない、勤勉な仕事ぶりと思う。かなりすらすら書けた。やはり形など大して気にせず、おぼえていること蘇ってくることを順番にひとつひとつ言葉にしていけばそれで良いのだ。形はだいたい、言語変換しているうちに勝手に結ばれる。
  • 豆腐と即席の味噌汁とおにぎりで夜食。その後はけっこうだらけて、特段の活動はしていない。メルヴィルを多少読み足したくらい。本当は音楽を聞きたかったし、部屋に溜まっている新聞の記事の書抜きもしなければならなかった。本も新聞も、書抜きを着々と進めていかないととにかくやばい。二時三五分で消灯。柔軟と瞑想は今日はせず。