私はP教授が好きだった。その講義の抑制された厳密さが気に入っていた。試験の時に、定められたファシストのシャツの代わりに、手のひらほどの大きさの、奇妙な黒いよだれ掛けをつけ、侮辱をあらわに示すやり方が面白かった。そのよだれ掛けは彼が不意に体を動かすたびに、上着の襟からはみ出してしまうのだった。私は彼の二冊の教科書を評価していた。それは徹頭徹尾明晰で、簡素で、人類全般と、特になまけ者で愚かな学生に対する、不愛想な侮辱に満ちていた。というのも、すべての学生はその定義からして、なまけもので愚かだったからだ。そして至上の幸運から、そうでないことを示したものは、彼の同輩になり、短いが貴重な賛辞にあずかるという名誉を受けるのだった。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、49; 「3 亜鉛」)
- 意識が復帰して枕横の携帯を見ると、一〇時ぴったりだった。カーテンを開けて陽を顔に浴びるが、いつもどおりなかなか起き上がることができない。それでも二度寝に入ることもなく、だんだんと目をひらいたままに固定する方向に向かってすすんでいき、一〇時四〇分になってようやくからだを起こすことができた。太陽は、はじめのうちは光を顔にもらってもほとんど感触をおぼえず、冬の一〇時だからこんなものなのかと思っていたが、浴びつづけているとやはり熱が溜まってくるのか、一〇時半頃にはわりと頬に温もりが宿っていた。
- 水場に行ってきてから瞑想。一〇時四六分から一一時七分まで二一分。今日も肌をなめらかにした。座って一五分か二〇分くらいするとかなり皮膚が均されておうとつがほぼなくなり、からだのどこでもノイズが除去され、肌表面が未踏の雪原めいてひとつながりに、まっさらな感じになる。
- 上階へ。ジャージに着替える。天気は最上の明晰さを持った快晴である。南窓の先、すぐ近間の瓦屋根は白さをコーティングされているが、ただやはり冬のことなのでかがやくというよりは微光を漏らすといった感が強く、いまは光が凝縮している一所も見られず、屋根の全体に染み入るようにして白光が流れている。風はすくないようで、(……)さんの宅の鮎幟はゆるやかな泳ぎ方、その果ての空はひたすらに青く澄んでおり、山の稜線の微妙な、蟻の歩いた軌跡みたいな上下の揺れがくっきり見られ、雲の粒はひとつも見えず、つるりと剝かれたような、皮を綺麗に剝ぎ取られた肉や内臓みたいになめらかな水色がひろがりひらいている。ハムエッグを焼こうかと思っていたが、冷蔵庫のなかにサンドウィッチがつくられてあった。これを食べて良いのかと母親に訊こうと思い、居間にいなかったので外に出ているのかと玄関に行くと赤いスリッパがそこにあるからやはり外にいるらしく、サンダルを履きかけたところで玄関脇の小窓から車がバックで入ってくるのが見えたから出かけていたのかと判断を更新して台所にもどった。鍋の味噌汁を火にかけ、室内に入ってきた母親にサンドウィッチを訊くと食べて良いと言うのでありがたくいただく。母親はたらこの焼きそばをつくりだして、こちらもあとでちょっともらった。食事中は新聞。ものをまだ取り入れていないからだではやはり寒く、震えて、そこに、一面の編集者小欄でシベリアに抑留された香月泰男という画家が触れられていたものだから、シベリアはマジで、本当に致死的な寒さだったろうと思った。こちらはダウンジャケットを羽織っているわけだが、そのような装備などあったはずもないだろう。肉体労働で発された汗は、肌の上で凍らなかったのだろうか? アウシュヴィッツもそうだっただろう。プリーモ・レーヴィも、『これが人間か』のなかで、自分が書いている「寒さ」や「飢え」という言葉と、読者がイメージするそれとはまったく違うものだと言っていた。言葉の定義が断絶的に変化する場所と環境。
- 新聞記事には米国の件も載っていたが、このときは書評面と、一面の岩手県陸前高田市の復興事業についての記事を読んだ。今年から新たに書評委員になった六人のなかに、柴崎友香と中島隆博の名があった。中島隆博がどのような本を紹介するのかはちょっと気になる。柴崎は今日もさっそく記事を載せていて、岸本佐知子の『死ぬまでに行きたい海』(スイッチ・パブリッシング)というのを取り上げている。その下には梅内美華子という、歌人の肩書を持った人が、ふかわりょうの『世の中と足並みがそろわない』を紹介していて、これが意外と面白そうだった。アイスランドに旅したときのことがひとつには語られているらしいのだが、「人間に改良されて毛が重くなったためか、羊は転倒すると自力で起き上がれず窒息してしまうという。自身の手で助けたことが契機となり、仰向けになってバタバタしている羊を遠くからでも見つけられるようになった」というエピソードがまず面白い。そしてそのあと、「そのまま骨になって地面に吸収されている羊もいました」という、本の原文を短く引いているのだけれど、正直、え、すばらしいじゃん、と思った。
- あと書評ページの入口には、「コロナの時代を読む」と題したシリーズとして、加藤聖文という日本の近現代史を扱う学者が、吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)を取り上げていた。「科学的・合理的な判断」を軽視し、「間違ったらすぐに修正して改善を図る姿勢」が欠けているか、すくなくとも薄いように見える日本のコロナウイルス対策が、集団的情緒を優先し、漠然とした見通しで太平洋戦争に突き進んでいった戦時下の日本と重なるように思える、というような趣旨の記事。
- 陸前高田市の記事は、復興事業の一部がどんどん肥大化していって、住民の声を取り入れないまま、修正できずに進んでしまったというような話で、これも上の内容と重なる部分はある。いわく、最初は一五メートルの防潮堤を計画していたのだが、県からは一二・五メートルにするよう言われた。一方で、高台への宅地造成と、町そのものの高さのかさ上げという計画があって、かさ上げは最初は地震で沈んだ地盤をもとに戻す程度の、すなわち二メートル程度の計画だったのだけれど、国からの補助金を得るとか、住民としても高いほうが安心だろうとかいう思惑からどんどんそれが拡大していき、最終的に一〇メートルだったか、そのくらいまで土地を高くすることに決まって、その事業はこの春で仕舞える予定らしい。ところが、そうして再興された新しい町に、肝心の住民がもどってこず、いま六割ほどが空き地になっているという話だった。市行政側に一応理屈はあるにはあって、低地に通るJR大船渡線とかさ上げした土地の道路を立体交差にしようと考えていたところ、そのためには土地の高さが必要だということがひとつ。また、これは表には出ていなかった話のようだが、高台地区を造成するにあたって生まれた土砂を、国側は運搬費などを考慮してどうするか困っていたところ、それを土地のかさ上げに使えるという活用法に思い至ったという事情があったらしい。ただその後、結局JR線はバスに転換されることが決まったし、町の現況も上のような感じで、これからどうなるかというところだろうが、市の説明会か何かで事業規模に疑問を呈したという住民のひとりによれば、みんな生活を再建し保っていくのに必死で、余裕がなく、市の計画に口を出せるような状況ではなかった、とのことだ。二四面あたりに関連記事が載っていてそこもすこし読んだのだけれど、復興計画委員会みたいな組織に住民代表者もけっこう参加していたのだが、やはり彼らも生活に精一杯で、意思決定は実質、大学教授やコンサルタント会社の人員を含めた行政側の少数者に託されていたらしい。計画に疑問をはさんで見直すとなるとまた手間がかかるし、そうなれば復興はそれだけ遅れるわけで、住民のことを考えると気後れして口を出しにくいという空気もあっただろう。
- 食後、皿と風呂を洗ってからアイロン掛けもした。自分のワイシャツだけとりあえず始末しておき、残りはのちほどとして帰室。歯を磨くあいだだけ、ゴルフボールで足裏を刺激しながらハーマン・メルヴィル/千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読んだあと、Notionを準備して昨日のことを記述。一時一五分で仕上げて投稿。散歩に出る気になっていた。それでその前に脚をほぐそうとベッドにうつって合蹠をはじめると、ベランダにあらわれた母親が干しておいてくれた布団を取りこみはじめたので、協力して寝床を整えた。それからすこしだけ柔軟をして、服を着替えてモッズコートをまとい、散歩へ。
- 玄関を出ると、自治会の用かなんかで出かけていた父親がちょうど帰ってきて階段にかかったところだったので、挨拶して道に出た。空気は思ったよりも寒くはない。大気の質感や気温そのものはさほど冷たくはないようだが、ただやはり、空気が動くと途端に冷感が固まりはする。しかしそれもそこまで強く厚くはない。道脇の林からは、老いた草が風に揺らされる響きと、鳥が草々のなかを動いている音とが重なって聞こえる。歩みは西に向かっている。空間の向こうに見える南の山は、太陽が降らせる光の背面に当たる一面が、明るみの大気をはさんだ先で蔭に沈み、密集して生え揃っている樹々の深緑がそのなかに同じて押し延べたようになっているが、暗さはなく、といって蔭だから淡いとも靄っているとも言いづらく、青いように希薄化している。
- 顔は西向きだから、歩くあいだ太陽はずっと正面にあって、まぶしさが常に瞳にかかり、目の前には単眼鏡のレンズみたいに綺麗にまるい虹色のセロファンが、いくつか小さく貼りついている。小橋にかかって沢のほうを見てみたが、今日は羽虫の数が乏しかった。気温としては先日とおなじくらい暖かいような気がするのだが。坂を上っていくと、左のガードレールの向こうにひろがる斜面の冬草のなかに、何が入っているのか知らないがビニール袋に包まれたゴミがけっこう投棄されているのに気がついた。たぶん比較的最近、草の勢力が衰えてから捨てられたものではないか。
- 空は本当にあさましいまでに明快な青で、skyにあたる語とemptyにあたる語が、日本語もしくは漢語においておなじ文字で表されるのは何かしら示唆的なような気がする。とはいえ、西洋圏にもおなじ発想はあると思うが。空とはすべての言葉とすべての比喩を受け入れ、飲みこみ、包みこみ、吸収する領域です、みたいな文が、マリ・ゲヴェルス『フランドルの四季暦』のなかにもあった。坂を上ってのちの裏路地は西にまっすぐ続いているから全面日向がひろがっていて、途上に浮かんでいる太陽の高さを見てみても、山との距離もまだけっこうあるし、一番近くの電柱の先に刺さるかどうかというところだし、年も明けてだんだんと日が長くなってきているようだ。道の左手は家のあいだに木立や茂みが配されており、その先、見えないものの斜面を下った向こうは川である。なかの一軒の横に草木の集まって枯れた一帯があり、老いた色調のなかに常緑の葉が鈍い光をいくらか溜め、垂れ下がったススキの湾曲した茎もその一部のみそれぞれに白さを強くして際立ち、空間に引っかき傷をつけたようになっており、またべつの緑葉はこまかな光点をやどして雪崩れており、その光の点こそが果実の房であるかのような、つまりたとえばベリー類の実を思わせるような微小な粒が連続して流れているという感覚があった。
- 街道に出て渡ると方角を変えて東を向くのだが、同時にゆるい上りになった裏道に入って、すると道路と家並みの上に空がひろく押し渡り、それがどこまでも切れ目も乱れもなくひとつの青さに染まり尽くしているのがやはり見事で、とりわけ西も東も低みに至ってもほとんど色の濃さに変化がないのがたぶんこの時期の特徴なのだろう。夏とか秋とかは、雲のない快晴でも空が地平線に近くなるにつれて、だんだんと色が淡く、弱くなっていくものだと思う。坂の左側の斜面の上で、機械を操って草を刈っている男性がいた。それを見上げながら過ぎ、また右方に視線をもどせば近間の緑樹の、梢にひろがった枝葉のその隙間にも水色がくまなく染みており、葉の集まりのあいだにその先の空が入りこんで、細片化した小さな空を無数に生み出し、それがこちらの歩みや風に揺らぐ葉の動きに応じてざわめく光景はかなり好きだ。前方には真っ赤なコートを身につけた老女がひとり、ゆるゆると坂を上っていたが、前から来たべつの女性が知り合いだったようで、声をかけられた老女は、下ばかり見ちゃって、などと受け、坂を上るのが大変だよね、あたしも最近はもう一日一回、前は二、三回やってたけど、などと二人で話し合っていた。
- 保育園とそれに接した遊園には今日は誰もいなかった。先日、保育園の敷地がフェンスで画されてこちらの通っていた昔とは違って遊園とのあいだを自由に通行できなくなっているという事実から、もろもろ考えたことを綴ったけれど、あらためて見てみれば遊園はこじんまりとしたもので、児童の世話が行き届かなくなるほどかというのは疑問だし、少子化で園児の数もだいぶ減っているのだろうから、責任とリスクを先回りして回避する時代の趨勢をそこに見たのは穿ちすぎだったかもしれない。というかそれこそ単純に、遊園をひろく使って遊ばせるほどの数の子どもがいなくなったから、小さな区画で事足りるということなのかもしれない。それにしても、フェンスを設けたのはなぜなのかよくわからないが。白いフェンスの内側にはたしかに小さな滑り台などいくつかの遊具が置かれているので、園児たちは実際あそこで遊ぶのだと思う。遊園のほうで遊ぶ時間というのはもうなくなったのだろうか?
- 保育園周辺の裏道では羽虫が多く湧いている。カラスが眠たいような声でやる気なさげに鳴く。日向のなかをすすんでいるとだいぶ暖かい。羽虫たちのなかにこちらのからだに当たったり服にとまったりするものはほとんどなく、こちらの周りをおのおのの自律した描線で遊泳し交錯しながら、向こうから迫ってくる巨大な障害物である人間のからだのすぐ前でなめらかに逸れてうまく回避していく。黒と白の毛の混ざった猫が左の一軒から道を渡って右の一軒の車庫に音もなく駆けこみ、ヒヨドリが電線にとまって声を張っているそのくちばしのひらきが青空に黒く映っている。
- 駅横の広場のベンチは、先日は埋まっていたがこの日曜日には誰もいなかった。街道に出るとフェンス向こうの茂みにまたスズメが集まってガサガサやっている。最近、昼間にここを通ると、葉はくしゃくしゃに萎びてかろうじてぶら下がっているだけになりほぼ枯れた茎だけで構成されているこの茂みに、かならずスズメたちが集まっている。あんなところに餌があるのだろうか? 餌を食べているのでないとしたら、何をやっているのか?
- 街道の北側、日向の多いほうの歩道をのっそり行きながら、山に行きたいなと思った。山に行きたいというか、森に入ってひとりで長時間とどまり過ごしてみたい。木立なら家のすぐ前にもあるし、昔はそこを毎日通って小学校にかよっていたが、身の回りにあってなかに入るのはせいぜい林という程度の木々の集まりに過ぎず、もっと大規模な森のなかに入って時間を過ごしてみたいと思ったのだ。登山を趣味にしている人間も意外と多いけれど、あれはあれでやはり面白いのだろう。山を登るというのも良い。こちらだと体力がおぼつかないが。というか、山まで行かなくとも普通に(……)丘陵にハイキングコースがあるわけで、そこをいずれ歩いてみるのが良いかもしれないと思った。
- 肉屋の横の坂を下って帰っても良かったのだが、なんとなく川の音を聞きたい気がして、そうするともうすこし遠く回らなければならない。それで表道をじりじりすすみ、交差部で裏に入れば、ここにもやはり羽虫は大挙して生まれており、宙をゆるやかに行き交い混ざっており、道脇の段の上にススキが生えて、こちらの場所は日蔭なのだがそこには光がかよって穂を白く光らせているから、その穂の粒が剝がれ落ちて舞っているような、あるいはそこから生まれて吐き出された泡のような具合で、しかしこの舞はいつまで経っても地面に落ちることはない。ところでススキっていまの時期にも穂が実るのかと思って検索してみたが、季節は基本的には秋のはずである。冬や年明け頃にどうなっているのかはよくわからない。ススキではなくてそれに似たべつのものなのかもしれない。
- 下り坂に入りながら、今日は川の音が全然聞こえないなといぶかしく思った。川向こうの集落から、なんだか知らないが機械の音が響いてうなっているのでそれと同化しまぎれているのかと思ったところ、やはりそうで、機械音がやんだときにいくらか水の響きが伝わってきたが、しかしそれも先日の苛烈さはなく、よほどかそけくしずかな音で、耳に入ってくるのは近い周囲の草木が風に触れられた音や、そのなかで鳴く鳥の声ばかりである。坂の下端付近まで来ると下方に川の姿が見えるようになる。水は鈍く落ち着いたエメラルドを深く溜めており、流れはやはりしずまっているようだが、波の白い頭がところどころ、サンタクロースのもののように豊かな白鬚を流したみたいに盛り上がって差しこまれている。
- 帰宅。たぶん四五分くらい歩いていたと思う。相当にゆっくり歩いているのだが、脚を中心にからだがけっこう温まって動いた感がある。むしろゆっくり歩いたほうが疲れるのだろうか? 洗面所で手を洗って出るとちょうど母親が洗濯物を取りこんだところだったので、タオルをたたんで足拭きとともに運んだ。そうして帰室。とりあえず今日のことを書き出す。一時間半書いて四時一〇分に至ったところで、そろそろ身を休めたいと中断。散歩の途中まで記述した。ベッドでハーマン・メルヴィル/千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読んだが、上階で両親がなんとか話しているのが聞こえてくる。言い合いというほどのものではまったくないが、母親が何か言ったことに対して父親がすぐに文句を言う声のトーンになっていて、その文句を言うような声のトーンがこちらは嫌いである。べつに父親に限らず、母親においてもそうだし、たぶんすべての人間においてそうだと思う。文句を言わなければならないときや言いたいときは誰もあるだろうが、ごく小さな、そういうトーンになる必要もないようなことで、すぐにそういう声音を持ち出すのが嫌いである。
- のろのろ歩いただけなのにやはりけっこう疲れていたようで、途中でちょっとうとうとした。五時直前で切って上階へ。ハムエッグを焼いて食おうと思っていた。母親がすでに餃子スープなどを作ってくれていたので、アイロン掛けを済ませたらすぐに食事を取ろうと思っていた。というのも、やはり歩いたためか、腹がかなり減っていたのだ。それでシャツとエプロンの皺を取り、母親が整理片づけのために散らかした葉書やら通知やらの色々な紙類を大きさごとにだいたいまとめて東窓の下の棚の上に置いておき、それで卵を焼こうと思ったところが、父親が下階から上がってきてモツ鍋をつくるとかで台所に入り、そうすると手狭になるので三人もいられない。仕方ないのでしばらく日記を書き足すかと思って部屋にもどり、ここまで記して現在時に追いつくと六時一一分となった。今日は記述がわりとうまく流れる。先ほどの一時間半はちょっと急いだようなときもあったと思うが、この四五分間は落ち着いて、明晰に、しずかな指で書けている。今日は九時から通話。それまでに日記に切りをつけられたのは良い。勤勉と言って良い。
- 上階へ行き、ハムエッグを焼いて米に乗せて食事。モツ煮や餃子入りスープもいただいた。新聞は国際面を覗く。アメリカではドナルド・トランプに対する弾劾の機運が高まっている。下院で(ドナルド・トランプにとっては二度目となる)弾劾訴追が可決されても、解任にまで至る可能性は低いだろうが、民主党としては任期の最終盤に起こった今次の事件を看過せず、最後まで追及を続ける姿勢を示すべきだという思惑があると。同意する。こういう事態にあたっての議員たちおのおのの態度を、記録し、歴史に刻んでおかなければならない。ロイターがおこなった世論調査では五七パーセントがドナルド・トランプの辞任を支持。しかし共和党支持者だと二四パーセントに落ちる。民主党支持層ではたしか八八パーセントだったか。
- ほか、香港で、親中派の警察官や業界人などの個人情報を詳しく載せていたサイトが接続遮断されたと。国家安全維持法にもとづくインターネット規制の最初の例。ネット制限がある大陸側と変わらなくなってきていると懸念の声。
- 食後は帰室して音読。「英語」。悪くない調子。ゆっくり個々の部分の意味を認識しながら読むことがわりとできた。四〇分で切って、八時になる前に調身。これを四〇分もやってしまう。何をそんなにやったのかおぼえていないのだが、気づけば四〇分経っていた。コブラをやるとき、突いた手をちょっと横にずらして上体を曲げるようにすれば、腰の横や脇腹を伸ばすことができる。
- 入浴。温冷浴をやってからだを温めているうちに九時が迫ってしまい、出るともう過ぎていた。部屋にもどってLINEをひらき、遅れてすまんと言ってURLをもらうと隣室へ。ZOOMで通話。(……)
- (……)
- (……)
- すでに一時頃だった。コンピューターを運んで自室にもどり、持ってきてあった魚肉ソーセージを食ったあと、歯を磨いたりインターネットを閲覧したりして、二時から新聞記事を書抜き。それで二時半前には活動を切り上げ、二時三二分に消灯した。そこから柔軟をして二時四六分に就床。最近は、記憶に頼るのが面倒臭くなったので、コンピューターが点いていないとき、すなわち起床時と就床前の日課の時間は手帳にメモするようになった。
- この前日、九日の記事に書くのを忘れていたのだが、その日、労働から帰ってきて昼食を取っているあいだに、例の「ナスD」というディレクターが無人島の岩場で鮫を釣り上げようとする番組の続きを見た。面白かったというか、マジでめちゃくちゃすごいと思った。今回はマジで鮫を一匹獲るところまで行っていて、かかった鮫を仕留めに海中に潜っていくのだけれど、あたりにはほかの鮫も何匹も集まってきていて、しかもそいつらがナスD氏の持っているカメラに向かって体当たりしてくる。これ、このときに食いつかれたら普通に死ぬやん、と思った。まだそこまで大きくない鮫だったから良かったが、これがもっと巨大なやつだったら食いつかれなくても体当たりの衝撃だけでやばかっただろうとのことだ。それでかかっていた鮫のもとに行き、銛を撃って仕留めにかかるのだが、この銛も普通にエラのところにあやまたず見事に撃ちこんでいて、この現代人にあるまじきサバイバル技術の高さはなんなんだよとわけがわからない。その後、鮫を素手で捕まえて岩に打ちつけて弱らせ、抱きかかえたり、馬に乗るごとくその上に乗ったりしながら岸へと運んでいき、最終的に岩の上に引き上げた。そこでナスD氏が語るところによれば、鮫というのは魚のなかでもたぶん珍しい胎生の種で、つまり生殖器で交尾をして卵をからだのなかの胎に発生させる。普通の魚類はメスが産んで卵にオスが精子を撒きかけるわけである。だからめちゃくちゃたくさんの卵を産んで、無数の子どもをつくってその多くは死ぬがいくらかは残るという形で種を存続させていくのだが、鮫はそうではなく、多くても一〇匹くらいしか子どもをつくらない。そのように少数精鋭で手厚く(?)育てるという方式を選んだ魚類で、それでもってもう四億年だか忘れたが、ずっと地球上を生きてきているわけだけれど、近年は人間が増えたことによって数を減らし、五〇〇種類以上いる鮫の種のなかで七割くらいが絶滅危惧種になっているという話だった。あと、魚のなかで鮫とエイだけは軟骨魚類というやつで、背骨以外に骨がないらしい。それでそのあと実際に、七時間もかけて深夜までずっと鮫を捌く映像が流れたのだけれど、骨はたしかに全然ないということだった。鮫の身はとてもなめらかなピンク色で、綺麗な肉だった。