2021/1/11, Mon.

 パンフレットには、初めに読んだ時に見逃がしてしまったある事項が書いてあった。亜鉛は非常に敏感で、繊細で、酸には簡単に屈し、あっという間に解かされてしまうのだが、純度の高い時は大きく違った反応を示すのだった。亜鉛は純粋なら、酸の攻撃にも執拗に抵抗した。このことから、相反する哲学的考察が引き出せた。一つは鎖帷子[かたびら]のように悪から身を守ってくれる純粋性の賛美、もう一つは変化への、つまり生命へのきっかけとなる不純性の賛美だった。私はうんざりするほど教訓的な第一の賛美を拒絶し、はるかにふさわしいと思えた第二の賛美をあれこれと考えてみた。車輪が回り、生命が増殖するためには、不純物が、不純なものの中の不純物が必要である。周知のように、それは耕地にも、もし肥沃であってほしいのなら、必要なのだ。不一致が、相違が、塩やからしの粒が必要なのだ。ファシズムはそれを必要とせずに、禁じている。だからおまえはファシストではないのだ。ファシズムはみなが同じであるように望んでいるが、おまえは同じではない。だが汚点のない美徳など存在しないし、もし存在するなら、忌むべきなのだ。だから試薬びんの中の硫酸銅の溶液を手に取り、硫酸に一滴加え、反応が起こるか見守ってみる。亜鉛は目を覚まし、水素の泡が作る白い膜に身を包まれ始める。そら、始まった。魔法がかかった。もうそのままにしておいて、実験室を歩き回り、他のものたちが何をしているのか、何か目新しいことがあるか、見ることができる。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、54~55; 「3 亜鉛」)



  • ファシズムはみなが同じであるように望んでいるが、おまえは同じではない。だが汚点のない美徳など存在しないし、もし存在するなら、忌むべきなのだ」。
  • 一〇時に覚めた記憶があるが、結局一一時過ぎ。いつもどおり。一応消灯ははやくなっていて、昨日は二時三二分だったのだが、なぜか起床がそれに応じてはやまってこない。したがって滞在は長くなり、ここのところは大抵八時間台で、七時間に収まることがなくなってしまった。からだはよくほぐしていて以前よりもよほどコンディションは良いはずなのに、どういうわけなのか。
  • 今日はあまり晴れ晴れしくない天気で、曇りである。今日の夜から明日にかけて東京でも雪だとかいわれている。トイレで小便を捨ててきてから瞑想をした。一一時二八分から四六分まで。たしかに座っていても、顔の肌に触れる空気の冷たさが強い。今日は最初のうちは動きを止めてしずかにしなければという能動性が漏れていてそれがかえって良くないようだったが、途中から、ただ座って呼吸をしていれば良いのだの意識にほぼ落ち着いた。身体感覚としてはそこまで平滑化しなかったようだが、べつに良い。
  • 上階へ。炒飯とモツ煮。温めて食べはじめると両親が帰宅。墓参りに行っていたのだ。新聞では東浩紀が『ゲンロン戦記』刊行を機に紹介されていた。会社を運営して実社会でのあれこれを経験したために、人間がよりわかるようになったと。具体的にどういうことがあったのかわからないが、この一〇年を通してわかったのは、「ぼくがばかだったということ」と言っていた。面白かったのは、昔、難しい言葉遣いで色々言ったり書いたりしていたのは、あれは一種の「エンタメ」に過ぎなかったと言っていたことだ。学問とか芸術とかの高貴さ偉大さ輝かしさを強く信じている人からはまた叩かれそうな言葉選びだが、哲学思想界隈の文章が主には大向こうに対するパフォーマンスになるという側面はどうしたってあるだろう。ここでいう「エンタメ」とは、ひろく大衆性を獲得したコンテンツというよりは、そういう一部の通人を楽しませるだけで終わってしまうもの、ということだろう。東浩紀はずっとそういうことを、つまり、批評とか思想とかの業界は狭い、その外の世界に届けたりその世界を取りこんだりすることができていない、と、すくなくともある時期からは(それがいつからなのかは知らないが)一貫して言い続けてきていると思う。そういう姿勢と考えはときに俗っぽいものとして現象することもある(あった)ので、その点においては完全に乗り切ることはできないが、しかし彼の言っていることは正論である。で、そこから導き出される順当な展開として、近年のいわゆる「リベラル派知識人」は、上から目線で「説教」をしているだけという風に、すくなくとも世間とか門外漢からは映ってしまう、という懸案が出てくる。この点にかんしてはここ数か月、(……)さんもブログにおりおり書きつけているし、こちらとしても多少考えるところはあるのだけれど、いまはからだが疲れていて面倒臭いので詳述はのちにゆだねる。ただ思うのは、正論を言うだけでは人間は変わらないということ、SNSなどの社会的およびもっぱら言語的な領域ではともかく、個人として人間と関係してその人になにがしかの影響を与えようと思ったら、身体的かつ長期の関係が必要だろうということ、ある意味で「取り入る」ことが必要なのではないかということ、そしてそれはもちろん常に、「取りこまれる」危険性と隣り合わせなのだということ、上から目線で「説教」をされたと感じて反発し、かたくなに硬直化した人々が生み出したものこそがまさしくドナルド・トランプだったのではないかということ、ことには実存と承認がかならずついてまわるのだということ、というあたりだ。
  • 食後、皿と風呂を洗い、帰室。コンピューターを準備して昨日の記事を綴りはじめたのだが、キーボードの上を動いて打つ指が冷たく、固くてあまりうまく動かないので、いったんヒーターの前に行って手首や一本一本の指の筋を引っ張り伸ばした。それでデスクにもどって記述。昨日の分も今日の分も一挙に書いてしまった。打鍵ぶりはなかなか悪くない。というのは、あまり指を急がせず、バタバタせずに書けているということだ。キーボードを使って文章を書くということを、もっと身体的なおこないとして意識していく必要がある。現在二時過ぎ。
  • ベッドでハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を書見。374に、料理人の「羊皮紙色の太鼓腹」。どんな色なのかまったくわからないのだが、どうも色の業界ではパーチメントという語でやや黄緑がかった薄灰色を指すらしい。420には「鹿角精 [アンモニア]」という表記が出てきた。検索すると、hartshornという語に行き当たる。これが雄鹿の角のほか、そこから採取される粗製炭酸アンモニウム、すなわち気付け薬(smelling salts)を指すらしい。439には「水面に波紋を描く同心円が、外へと広がりながらも消えがてに消えて行くのに似て」とあって、「~がてに」というのはどこかで聞いたことがあるがどういう意味なのだろうと思ってメモしておいた。古語で、「~できずに」とか、「~に耐えられず」とか、「~しかねて」というような感じらしい。もともと「かてに」だったのが濁音化し、くわえてのちに「難し」の変化と混同されたという。ここの例だと、消えられずに消えていくというのはどういうことやねんと思うが、消えかねながらもついに消えていくというようなニュアンスだろうか。440には「面差し」が出てきて、べつにいま知った語ではないが、これはなんだか良い言葉だなと思った。顔つきを「差す」という語をつかってあらわすのが良い。
  • 四時前で切り。柔軟をしてから上階へ行って食事。豆腐と味噌汁を食ったはず。母親が送ってくれるというので甘える。音読の時間を確保したかったのだ。それでもどり、歯磨きのあいだ、小出斉『ブルースCDガイド・ブック 2.0』という本を適当にひらいて見ていたのだが、これはすごい仕事だ。非常に価値のある仕事だと思う。このときひらいたのは454ページで、Ted Hawkinsという人を知った。ずっと路上で歌っていた人らしい。アコギ一本だけを伴奏にして歌うというスタイルでやっているすべてのミュージシャンに対する憧れをこちらは持っている。Freddy Robinsonという人も同ページに載っており、ジャズファンク方面で活躍した人らしく、John Mayallのバンドに在籍したこともあるというが、この人の『The Real Thing At Last』も「弾き語りに近」い作らしい。イスラームに回収して以後はAbu Talibを名乗っていたようだ。
  • 「英語」を音読したのち、五時半に出発。宵空は全面曇って灰色に沈んでいたおぼえがある。車の助手席に乗ってしばらく。道の先の建物が、くすんだ空を背景にして黒くかたまっていた。駅前で降車。時刻表をもらってきてくれと言われていたので、駅に入って窓口でもらってから職場へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • そういうもろもろをやっていて退勤は一〇時半とかなり遅くなった。駅に入って電車に乗ると、(……)と遭遇。この日が成人の日だったので、成人式がどうのと雑談を交わす。最寄りでともに降り、雑談を続けながら彼の家のほうから遠回りして帰る。やたら寒かったが。(……)の姉が行方不明になっているという話があった。(……)というのは三丁目に実家がある地元の同級生である。昔、料理人になったとか聞いた気がするが、いま何をやっているのかは知らない。からだの大きなやつで、風貌を裏切らず食べることも大好きな子どもだったので、料理人になったと聞いたときはイメージそのままだなと思った。その姉という人はこちらはよくおぼえておらず、彼の家に遊びに行ったときにちょっと見かけたくらいでないかと思うが、付き合っていた男のところに行ったあと、別れてから連絡がつかないとかいうことらしい。そういうこともある。
  • (……)の家に着いて、新調したという自転車や育てている植物をちょっと見せてもらってから別れて帰宅。(……)のやつもいつもちょっと険しいような、苦いような、疲れたような顔をしているし、仕事行きたくねえとばかり口にしているから、それなりに苦渋を噛み生きづらさのなかに生きているのだろうなあと思いながら夜の坂を下っていった。
  • 帰宅後のことは大しておぼえていない。日付が変わる直前の夕食時に、『世界ふれあい街歩き』をちょっと見た。ローテンブルクというドイツの都市。町並みを見るに、やはり日本、というかこちらの身の回りにあるような町景色とは全然違って、家の建てこみ方が整然としており、通りの両側にきちんと整列しながらおのおのその平面的な顔を内側の道にまっすぐ向けている。建物と建物のあいだの隙間もほとんどないように見られ、ああいう秩序立って揃った感じというのはやはりこちらの周囲にはない。あと、映った範囲では街路樹が全然見当たらなかった。これだとある程度の大きさがある樹木に触れるには、郊外に出なければいけないのではないか、あるいは公園に集めているのか、ヨーロッパだとやはり都市のなかに自然を持ちこむというよりは、自然のなかでそれを排除しながら都市という堡塁をつくるという感じなのだろうか、とか思ったが、あちらの都市に街路樹がないということではないと思う。ローテンブルクの場合は、たぶん昔の町並みをわりとそのまま残して保存しているような感じだと思うので、街路樹をつけくわえる余地がないということではないか。その後実際、一三九九年からあるという家がそこの住人によって紹介されて、六〇〇年以上前、日本でいえば室町時代の一般家屋が普通に残っているというのはないなと計算し、もちろんその都度リフォームは何度も繰りかえされているのだとは思うが、これはやはり石のなせる業なのだろうと思った。実にありがちな話ではあるのだが、木造を基本としてきた日本の場合、木という素材自体にすでに消滅が前提としてふくまれているような印象をおぼえる。石だって風化はしていくわけだし、木だって何もなければひたすら伸びていくのかもしれないが、しかしなんとなく、石材で家をつくってそれが六〇〇年以上前から残っているというヨーロッパにおいては、やはりこれを残していこう、記録していこうという意志が顕著に感じられるような気がするのに対して、木をもっぱら用いることを選んだ日本においては、家などのものがいずれ消えていくことが前提化されていて、べつに消えて良いのだという発想が濃いような気がする。法隆寺などは一応残ってはいるわけだが。で、消えていったもののあいだをつなぐような精神的な(霊的な?)もののほうをむしろ残し、つなげていこう、みたいな? 目に見えるものを目に見えるものとして残していこうとするヨーロッパと、消滅のあとにそれでも残り、続くものを続けていこうとする日本? 仮にそうだとして、それはときには、たとえば「絆」だのなんだのという空疎極まりない概念および言辞として結実してしまう事態をも招きかねないわけだけれど。とはいえこういう整理は世に非常に流通している紋切型のもので、上記は目にした具体的な映像をすでに知っているそういう図式に当てはめ、引きつけて理解しただけのものなので、なんとなくあやしい感じもある。
  • ほか、あとは下の英文記事を読んだくらい。
  • Justin McCurry, "Japan's 'love hotels' accused of anti-gay

discrimination"(2020/10/30)(https://www.theguardian.com/world/2020/oct/30/japans-love-hotels-accused-of-anti-gay-discrimination(https://www.theguardian.com/world/2020/oct/30/japans-love-hotels-accused-of-anti-gay-discrimination))

Despite rising awareness of LGBT rights, Japan is the only G7 country that does not recognise same-sex marriages, and much of the country’s multibillion-dollar love hotel industry accepts only heterosexual couples.

Taiga Ishikawa, Japan’s first openly gay MP, estimated that of 143 love hotels in Tokyo’s Toshima ward, where he began his career as an assembly member, 30 refused entry to same-sex couples.

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Akira Nishiyama, assistant executive director of the Japan Alliance for LGBT Legislation, said hotel rejections of same-sex couples were common, even though it is illegal under a 2018 revision to the hotel business law, which states that hotels “should not reject guests on the basis of their sexual orientation or gender identity”.

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Modern love hotels, so named after the first of their kind – Hotel Love – opened in Osaka in the late 1960s, originally catered to couples desperate to escape their extended families, who traditionally lived under one roof, for a few hours of intimacy.

But a decline in the young population, the rise in single households, and the pre-pandemic boost in international tourism have prompted many to undergo image makeovers to appeal to travellers, including single guests looking for comparatively cheap and comfortable accommodation.

As a result, the number of hotels with an overtly sexual theme has dwindled to less than 10,000 in recent years, compared with around 30,000 two decades ago. Still, every day an estimated 1.4 million Japanese people visit a love hotel, and analysts believe the industry generates between ¥2-3tn (£14.8bn-£22.2bn) a year.

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Japan has not passed an LGBT equality act, and a survey published this week found that 79% of LGBT respondents said they had heard discriminatory remarks about sexual minorities at work or school, although a large proportion – 67% – said social attitudes towards diversity of sexual orientation and gender identity had improved over the past five years.