2021/1/12, Tue.

 化学研究所の壁の外は夜だった。ヨーロッパにはたそがれが訪れていた。チェンバレンミュンヘンでいいようにあしらわれ、ヒトラーは銃弾を一発も撃たずにプラハに入り、フランコバルセロナを屈服させ、マドリッドに腰をすえていた。小悪党でしかないファシズムのイタリアは、アルバニアを占領していた。迫り来る破局の前兆は、家々や、道路や、ひそひそ話や、眠りこんだ良心の上に、ねばりつく露のように凝結していた。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、60; 「4 鉄」)



  • 一一時過ぎに一応覚めたはずだが、例によってすぐに起きられず、だらだらととどまって正午。やはり寒気のために布団から出るのに気後れするところはあるようだ。あと、とにかくまぶたをあける努力をしなければならない。当然の話だが、意識を失わなくとも目を閉じたままでいるとなかなか起き上がる態勢にはならない。
  • ベッド縁に座ってヒーターに当たりつつ、手首や指を伸ばしてから上階へ。瞑想はいったん省いた。雪の予報がいわれていたが、降っていない。とはいえ窓外は曇りの白さを強めている。食事を終えた頃に上がってきた父親が窓に寄って降り出したと言い、それで洗濯物が取りこまれたが、かすかなもので、午後一時現在、続くものはない。
  • ハムエッグを焼いて大根の味噌汁とともに食事。新聞の訃報欄には、宇波彰の名があった。ドゥルーズなどを訳している人だ。八七歳とあったような気がする。ほか、国際面から、ローマ教皇がマスクをつけないことが物議を醸しているという話題。バチカンの一般職員はマスク着用を課せられているのだが、なぜか教皇自身は公の儀典の場などでマスクをつけず、一部で批判の声があるという。若い頃に片肺を摘出しているらしいのでそれが関係しているのではとの憶測もあるが、真相は知れない。バチカンは人口八〇〇人のうち、二六人が感染していて、教皇の側近もそのなかに含まれているという。より深刻なのが東方で、正教会地域では高位の司祭などが感染に倒れ、死んだ者もあると。こまかい職掌は忘れたが、死んだある司祭だか司教だか主教だかの葬式を執りおこなった司祭だか司教だか主教だかが続けてウイルスに倒れ、亡くなり、その二人目の葬儀を仕切ったまたべつの司祭も感染する、というような連鎖が起こっているらしい。彼らはいずれも葬儀のときにマスクをつけず、遺体にキスすることもあったと。まあ実際の感染源は不明だろうが、正教会組織内部で感染がけっこうひろがっているというのは事実のようだ。そして、教会運営側はマスクをつけない事情について何もあきらかにしていないが、一部信徒にはマスク着用は神への冒瀆だという声があるという。いわく、神の加護によって我々はまもられている(したがってマスクをつける必要はなく、着用はむしろ神の力を信じない不敬虔だ、という理屈だろう)、神聖なる教会で感染は起こらない、とのこと。しかし現実に感染は起こっているわけで、この信徒の言い分は、彼らにしてみれば信仰の問題だから切実なのだろうとは思うけれど、とはいえ現象的事実を認めない非明晰主義だと言わざるをえない。現象的事実と照らし合わせる限り、「神聖なる教会で感染は起こらない」という命題は偽である。この一文が偽でないとしたら、「神聖なる教会」だと思われているものが、実は神からは「神聖なる教会」と認められていない、ということになる。
  • 食後、母親と、茶がうまくないと文句を言い合う。いま茶壺に入っている緑茶は母親がメルカリで買ったもので、一二〇〇円のけっこう値が張るものが三つセットで半額、すなわち三六〇〇円が一八〇〇円になっていたもので、メーカーもしくは茶屋が売っていたものらしいのだけれど、それにしてはうまくないなとけなし合う。しかしそれがあと二袋もあまっているわけだ。俺は飲まんぞ、つぎ茶壺が空いたらさっさともっとおいしい茶にうつるぞと宣言しておく。母親もおいしくないという点に同意しており、淹れ方が適当だから悪いのかもしれないが、いましがた飲んでみても、やはり苦味が、なんというのか、粗雑な感じの苦味でまとまりがなく、全然うまくない。飲めないほどまずくもないが、全然うまくはない。それで、うがいのときに使うくらいしかないかと案が挙がったが、どうなるかは不明。どこか他人にあげるのも手だが、自分で飲んでうまくなかったものをひとの家に贈るというのも不義理な話だろう。
  • それでも飲まなければなくならないので、食後に皿と風呂を洗うと用意して帰室。コンピューターを準備し、飲みながらここまで記述すると一時半を過ぎたところだ。
  • Notionを準備している最中に、「あやまちがわたしを生かす地獄から追放されたのちの朝まで」という一首をつくった。
  • 次いでいま、歯を磨きながら、「檻に似たこの時空では夢想しかやることがない生きるためには」、「月よ知れ君に照らせぬ場所があるかの地にて待とう次の宇宙を」という二首をつくった。
  • 歯磨きをしたあと、調身。Thelonious Monk『Solo Monk』とともに。やはり一日のうちでなるべくはやく、さっさと柔軟をしてからだを整えるに限る。このときは三〇分強。合蹠を三度繰りかえしてかなり深いところまでやった。柔軟をしていると思い出すのだけれど、小中学校時代の同級生に(……)という女子がいて、彼女はバレエだか新体操だかを習っていて、小学校時代ですでに左右にまっすぐほぼ一八〇度に開脚しながら上体を前に倒してぺたりと床につけるということができていたおぼえがある。あと、中学のときの同級生には(……)というやつがいて、こいつはなんだかちょっと変な感じのやつで、『天空の城ラピュタ』の台詞を暗記していて全部言えるとか豪語しており、実際に、全部かどうかはわからないがすくなくとも一部は暗唱できたのだけれど、彼もなぜか、柔軟が趣味だったのか、座位前屈でからだをぺたりと倒すことができていた記憶がある。彼らはすごかったんだなあ、身体的エリートだったんだなあと思うものだ。それで言えば数年前、嵐の相葉、なんといったか下の名前を忘れたがあの相葉という人がMCをつとめていた『グッと! スポーツ』とかいうタイトルの、午後一一時頃からやっていたテレビ番組にヨガの世界チャンピオンみたいな女性が出演したことがあって、そのパフォーマンスはすごく、まさしく人間業ではなかった。人間種族としての身体性を完全に超越して、骨のない生物か液体になったかのような動き方だった。あれはマジでめちゃくちゃにすごい。どういう訓練をしたらああなるのか理解できない。
  • 柔軟後、二時半から音楽を聞いた。一日活動したあとだと疲労で意識が濁ってどうしても音がよく見えなくなるので、音楽も聞くなら一日のうちのはやい時間のほうが良い。まず、Bill Evans Trioの『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から、"All of You (take 1)"。Bill Evansの恒常的不動性がこのトリオの基底を敷き、音楽に軸を通して支えているというのは先日書いたとおりである。で、それにもとづいて音楽の加速減速をその都度設定しているのが、すくなくともこの曲ではScott LaFaroである。まあ当たり前と言えばそうだろうが。Paul Motianは相変わらず、あまりよくわからない。Bill Evansはずっと一定なので、LaFaroはかなり自由に、音の配置や長短を調整して、ビートや進行感や拡散/集束の相をあやつることができる。この曲だと、すくなくともMotianがスティックに持ち替えてワンコーラスあと、本格的にフォービートを叩き出してLaFaroもそれに応じて一拍に四つ刻みはじめるまではそうだと思う。で、そこでのLaFaroの調節の仕方は、やはり尋常のベーシストや尋常の音楽にくらべてかなりこまかく聞こえる。そんなに音を多くしたり、脇道に逸脱したりはしておらず、わりと普通に、朴訥気味に置いていると思うのだけれど、ずらし方や休符のつくり方などがこまかく、流体的あるいは流動的である。ここ数年、この"All of You"やこのライブアルバムを聞いてはその都度、ここでのBill Evans Trioの様相をさまざまな言葉や比喩で言い表そうと試みてきたわけだけれど、そのなかでは、固体・液体・気体の物質の三様態にたくしたイメージが、なんとなく一番相応するような気がしないでもない。Evansが宝玉的にかがやかしく不動の堅固な固体、LaFaroがときにすばやくときに緩慢にしかし常によどみなく流れゆく液体、Motianが空間を淡く煙らせながらつつみこむ気体である。ところでベースソロが終わってテーマにもどるとき、たぶん一小節か二小節くらいするとすぐに、LaFaroは急に、ほとんど直角的な動きでもって下方に飛びおりて、バースチェンジでドラムがソロをはさむまであとはずっとシンコペーションを反復するのだけれど、いままで何度も聞いていたここに今日あらためておどろいた。自分のソロが終わって直後に、これなのかと思った。すくなくとも数拍のあいだは、普通に行く気配ではじまっていたのだけれど、数秒すると突然にきっと方向転換して位置を定めるそのクイックネスの高さにちょっとビビった。Motianのソロはやはりキックの入れ方が意味がわからない。
  • 次にFISHMANSの『Oh! Mountain』から"RUNNING MAN"と"夜の想い"。前者は冒頭から、右のギターの音色が気持ち良い。また、キックの打音と合わさったベースの重さ、中身がしっかり詰まっている感じがすばらしい。すくなくとも『Oh! Mountain』に限っても、柏原譲のベースがすばらしくない瞬間など存在しないし、ほかのアルバムにおいてもだいたいそうだと思うが。"夜の想い"にしても、FISHMANSの楽曲全般にしてもそうだが、パターン化されたリズムを反復することの魅惑と快楽に満ちみちている。音楽ってだいたいどれもそうかもしれないが、FISHMANSはとりわけそれを体現している。"夜の想い"は最後の、ラララランララーラ、ラララランララランラララン、の素朴なコーラスの繰りかえしでそのまま終わっていくのが良くて、肌がちょっとふるえた。
  • 最後に、Jesse van Ruller & Bert van den Brink, "Amsterdam", "Good Bait"(『In Pursuit』: #6, 7)。このあいだ聞いたときは眠くてうまく聞けなかったので。"Amsterdam"はたしかvan Rullerのオリジナルで、五拍子の曲。やはりBert van den Brinkのうまさが際立って聞こえる。van Rullerのソロのあいだは、バッキングで彼が完全に流れと展開を先導的に生み出していると思う。ソロにせよバッキングにせよ、そういう構築の仕方がどうしたってうまい。こういうのはやはりピアノとギターではピアノのほうが最高で一〇音鳴らせるし、両手を使うから離れた音域を混ぜやすくて、どうしてもそちらのほうが多彩になるのだろうなと思う。van den Brinkはソロもうまく、"Amsterdam"でもそうで、とにかくセンスが良い。通り一遍の退屈な弾き方を全然しない。van Rullerが大したことのないギタリストであるわけがないが、どうしても聞いているとピアノの巧みさのほうに印象を持っていかれてしまう。
  • "Good Bait"は誰がつくったのかと検索してみると、Tadd DameronCount Basieの曲らしい。四四年に世にあらわれたらしい。John Coltraneがやっているやつしかほかに知らないが、かなり色々なところでやられているようだ。この音源ではvan den Brinkが最低音域でゆっくり這いながらはじまって、そこにギターが茫洋と入ってくる。van Rullerはソロのあいだ、ブルージーな曲なので、けっこう後ノリというか流れをちょっと減速させてゆっくり弾く場面があるのだけれど、やはり端正さと几帳面さが捨てきれないというか全然レイドバックした感じになっておらず、それがちょっと面白かった。しかしひとつらなりの流れの中心部でこまかく動かすフレージングは洒脱で良かった。で、van Rullerを受けてはじまるピアノのソロは左手をしずかにバタバタやって和音をひろげて柔らかく敷くようなアプローチからはじめており、うーん、この流れでこういう風に受けてはじめるのか、というのはやはりうなる。右手のメロディも鮮やかで、歌い上げており、二コーラス目かどこか忘れたけれど、たぶんコーラスの転換部だったか、小節の頭からわりと高いほうで六連符の単位的フレーズを繰りかえすところがあって、前回聞いたときもここは印象に残り、ロックギターでいうところのラン奏法だと書いたところだが、こういう風に飛べるのだなあというのはやはり耳に残る。後半、バースチェンジの途中にも似た展開があって、このバースチェンジはギターもピアノも良かったが、その最中にピアノが上記の箇所よりも出し抜けに連続フレーズに行ったところがあった記憶があるが、よくおぼえていない。このトラックは次回もう一度聞く。
  • 音楽を聞いていたのは二時半から三時四分まで、三四分間なのだが、その感想を綴るのには四時過ぎまで一時間ほど、だいたい倍だけかかっている。どうもそういうものらしい。上記の感想まで記したところで四時を越えて、ふたたび柔軟をおこなった。BGMはまたも『Solo Monk』。合蹠がとにかくすごい。合蹠のポーズで音楽を聞きながら静止しているだけで、太腿や脛まですべて筋肉のなかのほうが呼吸の動きで伸縮するからだろうが、血流がよくなるらしくからだが楽になる。ただ、あまり急いで負荷を高くし、深いところまで行こうとしないほうが良い。つまり、あまり性急に上体を倒しすぎないほうが良い。まずは浅いところできちんと止まって、そこでじっと耐え、その付近の肉からほぐしていくべきだろう。あと、最近心臓のあたり、左胸がたまに痛くなるのも気になる。昨日、号令時にそこそこ強い緊張の訪れもあったし、不安障害パニック障害のなごりがささやかに回帰していて心臓神経症が垣間見えているのかもしれないが、どちらかといえば器質的なもののような気がする。だとすれば、ストレッチをして血流が良くなったときなどに痛むというのは、血管になんらかのダメージがあるのではないか。そのうち死ぬかもしれない。
  • 雪は降らず。雨はいくらか降っていたようだが、柔軟をしているときには、右側からスピーカーが吐き出すMonkの、ちょっとごつごつとした感触の、しかし滋味深い色をしたピアノの和音が聞こえるのに対して(曲はたぶん、"I Hadn't Anyone Till You"だったと思う)、左手の窓外からは鳥の鳴きが入ってきて、あまり雨中でああいう声は聞かない気がするのでもうやんでいたか、降っていてもかすかなものだったのだろうと思う。
  • 四時四〇分で上階へ。アイロン掛けをする。テレビは母親が、録画しておいたなかから適当に選び、たしか『京都音めぐり』とかいう番組を流した。「洛中レトロさんぽ」とか題された会。冒頭、大正時代の蒸気機関車の黒光りするパーツや車体とその周りで体操をする中高年の男性たちの映像からはじまって、なかなか良い雰囲気。どこかの公園で機関車が利用されているらしく、幼稚園の子どもたちが所狭しとそれに乗って楽しげにしている。母親は、昭和記念公園みたいだねと言い、また、あれは何年か前の映像だろうね、いまだったらあんなことできないもんねと続けた。座席に寄り集まっている児童たちが誰もマスクをつけていなかったことについてそう言ったのだ。それから旧明倫小学校という場所にカメラは移り、廊下を映したのだけれど、これがなるほど昭和もしくは大正の、戦前を思わせる雰囲気の、白壁に重い黒茶色の木張りの廊下だった。その学校には大正時代に父兄から寄贈されたチェコ製のピアノが一台あり(Petrofというメーカー)、男性がそれを調律しているさまが映される。忘れ去られて五〇年間、倉庫に眠っていたらしい。その後、舞台は新京極に移り、老舗の鰻屋で寄席がひらかれているところが紹介されて、壁掛け時計がカチカチ鳴っているカットで終了。たしかはじまりも、蒸気機関車よりも前に壁掛け時計が映っていた気がする。そのあと今度は『知ってるワイフ』とかいうドラマが選ばれたのだが、これはいまのところ特に面白い点はない。幼子二人を育てる若い夫婦がそれぞれに苦労や負担やストレスをかかえていがみ合うという導入部までしか見ていない。男性は神木隆之介だろうか? とちょっと思ったのだけれど、違うよう。誰だか知らない。女性は広瀬アリスという人だったと思う。ストレスが溜まると爆発して感情的に怒鳴り散らす女性を演じていて、夫である男性はソクラテスなど引いて「悪妻」と独白しており、たしかにあんな風に怒鳴り散らされたらこちらなどは死んでしまうが、子育てと労働に奮闘する世の女性にしてみればきっと言い分はあって、ああやって怒鳴りたくなるときもあるよねえという感じではないだろうか。
  • アイロン掛けを終えると食事の支度。豚肉があるのでタマネギとそれを炒める。一方で煮込みうどんが食いたかったので用意。ソテーは焼き肉のタレで味つけ。タマネギがどうもしんなりしてしまう。野菜炒めをやるといつもそうで、本当は肉をもっと熱して赤味がもう完全になくなったくらいでタマネギを入れ、野菜はちょっと火を通すだけで調味したほうが良いのかもしれない。しかし単純に、家庭用コンロの火力では不足ということもあるのかもしれない。こちらがソテーとうどんをつくるかたわら、母親はストーブの上で茹でておいた里芋を面倒臭がりながら剝き、固いから駄目だといくつかはじきながら鍋で煮転がしていた。
  • うどんができるとそのまま食事。六時頃だった。夕刊を見る。まず「日本史アップデート」。いわゆる鎖国について。国を完全に閉ざして国際社会から孤立していたという従来の「鎖国」論はもう古く、いわゆる「四つの口」で外交交易を安定的に保っていた江戸時代の日本、というとらえ方が主流になってきていると。「四つの口」はたしかにこちらが高校生のときもすでにそう教えられていたが、七〇年代くらいからだんだんと見直しがはじまり、二〇〇〇年以降、「鎖国」の表現に留保をつける学者が増えてきたらしい。もともと「鎖国」の語は、ケンペルというドイツ人の医師が『日本誌』という著作のなかで「国を閉ざしている日本」と書いたのを、一八〇一年に志筑忠雄という蘭学者が訳した際に「鎖国論」という語をもちいたのが起源らしい。このあたりの知識はたしかに高校日本史の範囲でやったおぼえがある。ケンペルというのは一七世紀末に来日した人で、当時はたぶん五代目の綱吉の時期ではないか。たしか昔、山川出版社から出ている「日本史リブレット」の『徳川綱吉』を読んだとき、本の冒頭付近だった気がするが、ケンペルが将軍に謁見した際に見た江戸城中の様子が紹介されていたような記憶がある。で、「鎖国」の語が一般にひろまったのは明治二〇年代以降、すなわち一九世紀末以降だというが、明治政府が「開国」と対比して江戸時代の日本を「鎖国」と称していくらかおとしめるようなキャンペーンを展開したというのがその要因のようだ。記事下に載っている参考文献をメモしておくと、荒野泰典『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫)、『近世日本と東アジア』(東京大学出版会)、大島明秀『「鎖国」という言説』(ミネルヴァ書房)の三つ。
  • 一面には、朝刊の一面にも載っていたが、ソフトバンクから楽天モバイルに移った四五歳の男性が、いわゆる5Gにかんするソフトバンクの機密情報を持ち出して、不正競争防止法違反で逮捕されたとの報。この人は二〇一九年一二月三一日までソフトバンクの社員で、たしか「伝送エンジニア」とかいう役職をやっていたらしいのだが、その最後の日に社外から私有のパソコンでソフトバンクのサーバーにアクセスし、情報を添付したメールを自分に送ることで盗み出し、翌二〇二〇年一月一日に楽天モバイルに転職したのだという。持ち出された情報は、4Gおよび5Gの基地局の情報や、5Gを構築するネットワークについての情報とか書かれてあったと思うが、それがどういったものなのかはもちろんこちらにはまったく理解できない。
  • 一面にはほか、米下院で民主党ドナルド・トランプに対する弾劾訴追決議案を提出した旨。一三日に採決の見込み。ペンス副大統領に大統領の権限を移譲する手続きをおこなうようもとめる決議もなされる予定らしく、副大統領がそれに応じなかったら弾劾訴追を採決、という流れのようだ。下院議長をつとめている民主党ナンシー・ペロシという女性はたしかもう八〇歳くらいの人で、若々しい人だが、たぶんここ数年ずっと下院議長をやっていて、おそらく民主党にとってはめちゃくちゃ安定的で頼りになる重鎮、みたいな感じではないかと思うのだけれど、その経歴とかはちょっと気になる。
  • 食事を終えると食器を始末し、アイロンをかけた自分のシャツを下階に運び、かわりに急須と湯呑みを持ってきてまたうまくない緑茶を用意する。そのうまくない緑茶を部屋に持ち帰るとうまくないと想いつつ飲みながら日記をここまで書き足し、七時半を越えた。あと、忘れていたが、夕刊の編集小欄みたいなところには鈴木牧之の『北越雪譜』が触れられていて、これも高校日本史で名前を知ったおぼえがあり、たしか川端康成が『雪国』の後半に出てくる村だか小さな町だかの記述の下敷きにしたのがこの本だったような気がする。ちょっと読みたい。高校日本史ではたしか鈴木牧之とおなじくくりでほぼ隣り合って菅江真澄が出てきたようなおぼえもあるのだけれど、これもちょっと読みたい。
  • 食後、八時から半頃まで「英語」を音読。そして入浴。風呂に入っているあいだ、この日だったかこの前日だったか定かでないが、徹底的に防戦的な主体になりたいみたいなことを考えた。つまり以前も記した他人に何かをもとめたくないということの延長線上で、まあ何かをやっていればなんだかんだ言ってくる人はいつもいるし、他人のほうは本質上こちらに何かをもとめてきたり攻撃してきたりする存在なのでそれは良いのだが、自分のほうからはそれに対してなるべく反撃したくない、というような感じだ。周囲から攻撃され続け、無数の傷を負いながらも最終的には倒れず、かといって相手に攻撃を返しもせずにただボロボロに傷つきながらも毅然と立って歩みつづけるというロマンティックなイメージ。それを徹底的に防戦的、という形容で言い表した。まあ実際、反撃はしてしまうし、しなければならないこともあるだろうが、できればそういう主体もしくは存在に近いものになりたいなと夢想した。
  • 黙るということができない、というのが人間の不幸のひとつだと思う。完全に黙る必要はないとしても、すくなくとも、自分の関心ではないことについても黙ることができない、というのが人間の不幸のひとつだと思う。文字として毎日これだけべらべら喋っているこちらが言えたことではないが。
  • 入浴後は「(……)」の三人と通話。(……)
  • (……)
  • それで零時過ぎに終了。終わったあとも、Google Documentに取っていた簡易記録をちょっとのあいだいじっていて、(……)の名に脚注を付して、「9割方はじゃがいも。」などというくだらない文言を付けくわえるおふざけを設置したりしていたのだが、そのうちに、どうせだからなんかエピグラフでも仕込んでおきたいなと思って、記録文書だからなんか記憶とか記録とか歴史にかんするアフォリズムでもないかなと思い、記憶をたどっても思いつかなかったのでネット上を適当に検索しているうちに、記憶っていったらやっぱりプルーストじゃね? と思い、プルーストの名言をまとめた俗っぽいページを閲覧し、なかに、"Time passes, and little by little everything that we have spoken in falsehood becomes true."という一節を発見して、『失われた時を求めて』のなかでこのような文言を読んだ記憶がないし出典はわからないが、これで良いかと決めてドキュメントページに付しておいた。「時は過ぎていき、そしてすこしずつ、我々が口にしてきたすべての嘘は真実となる」と訳しておいた。現実味の欠けた嘘のようにして口にされた夢想が時を経て次第に真実となっていく、という実現物語の意で取ったのだが、プルーストのことだからむしろ、過去の記憶は当てにならないもので、不正確に口にされて当時は虚偽だとわかっていた言葉が時を経ると真実として確定されてしまう、というような意味なのかもしれない。まあどちらにしても記録文書に付すものとしてそれほど悪くはない。それを貼りつけたあたりでこちらのカーソル以外にも画面上にカーソルが生まれ、「nice!」と出たので、(……)がまだ起きているのだなと思って「寝たまえ。」と打っておいてこちらも去った。
  • あとは下の(……)さんのブログを読み、一一日の日記を書き足し、メルヴィルをすこしだけ読み進めたくらい。
  • (……)さんのブログ、一月三日。

「動乱」、「擾乱」、「突然変異」において「考えることは、見ることと話すことのあいだの間隙、分離において行われる」。ゆえにそれはダイアグラムの新たな創出であり、それは賽の一擲、切り札を繰り出す賭博者の「勝負」だ。競争でも利益でもなく、純然たる分娩の、概念の戦いだ。〈外〉の風に曝された、博徒どもの永遠の戦い。その静謐なる擾乱。そう、ブランショは、この外の風が吹きつける案出の時を、「夜」と呼んでいたのだった。彼はこう言っていたのだった。「夜のなかで、獣が他の獣の声を聞くような瞬間が常にあるものだ。それがもうひとつの夜である」。書く-者たちの戦い。その夜の、〈外〉の嵐。永遠の夜戦。確認する。〈外〉は内部の外部だから外なのではない。そのような実体化された外部など全然問題ではない。内部において内部を創り出す者が生きるものこそが〈外〉なのだ。主体は、創造行為の賭博において、〈外〉の襲来の襞となり、かぎ裂きとなる。「かぎ裂きは、もはや、布における偶発事ではなく、外側の布がねじれ、嵌入し、二重化するときの新しい規則となるのである。『随意』の規則、または偶然の放出、賽の一擲だ」。「内とは外の作用であり、それはある主体化である」。そして、われわれは作者となる。われわれは無限の案出の、アントロポスの中空の、歴史の絶対的な終わり無さのなかで「〈外〉の嵌入」として生き続けるのだ。われわれは、作者である。「『もはや作者はいない』などという人々は、……自惚れもいいところです」。
 (佐々木中『定本 夜戦と永遠(下)』p.369-370)

  • 同日。

また、以下のくだりを読んだとき、高校生のころのじぶんがまさしくこのような「暇」に取り憑かれていたことをはっとして思い出した。思い出すと同時に、あれほどまでに悩まされていたものをも失念してしまいかけていたじぶんの愚かさにちょっと薄寒いものをおぼえもした。

熊谷(…)これもやはり以前、上岡さんから教わったエピソードなのですが、いわゆる「非行少年」に、「なぜ薬物を使ったのか?」と聞くと、「暇だったから」と答えることがあるそうです。そうすると多くの大人はどうしても「暇だから薬物をやるなんて!」「とんでもない。けしからん!!」と思ってしまう。でも、大人はしばしば、少年が使う言葉の意味を取り違えます。上岡さんは、「非行少年」は単に悪ぶってそう言うのではなく、「暇」という言葉で、地獄のような苦しみを表現しているのだと。そしてそこから救われようと、いわば祈りの行為として非行に走ったのだ、と言われていました。
 いっぽう國分さんは、『暇と退屈の倫理学』のなかでパスカルを引きつつ、退屈は、人間の苦しみのなかでも最も苦しい苦悩だと書かれていました。「退屈」なんてたいしたことではないと思われているが、それがしのげるのであれば、じつは人間はどんなことでもやるんだと。「退屈」は、それほどたいへんなことなのだと説明されていた。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成ー中動態と当事者研究』 p.124-125)

「暇」というのはまさしく「地獄のような苦しみ」であったし、「人間の苦しみのなかでも最も苦しい苦悩」といいたくなるほどきついものだった。だから「そこから救われようと、いわば祈りの行為として非行に走った」と自分の場合はおそらくいえない、むしろ非行も含めてまた暇であり退屈であったというのが率直なところであるのだが、留年をおどされたのでやむなく試験勉強した倫理の教科書で知ったアパシーという言葉にこれこそいまのじぶんではないかと驚いたのが高校一年生のたしか三学期、以降このアパシーという言葉を呪いのようにずっと持ち運び続けていたのだったし、いまでもはっきりおぼえているのはたぶん高校二年生のときだったと思うが、風呂場に足を踏み入れてシャワーを浴びる直前、鏡の前でたちつくし心臓の上に右手の指先の爪をつきたてながら、いまがどん底だ、これ以上苦しい時期は今後の人生で二度とおとずれない、ここを乗り越えたらおれは今後なにが起きても絶対に生きていける、だから絶対にこの苦しさを忘れてはいけない、忘れようとする動きに絶対に抵抗しなければならないと誓った夜のことで、その苦しさそのものはもう思い出すことができないがそのときの誓いのほとんど狂気じみていた執心はいまでもおぼえている、だからこの本の一節を読んだときに思い出すことができた。

  • メモ: Kassel Jaeger『Swamps/Things』、Sesoneon『Nonadaptation』。ノイズミュージックを全然聞いたことがない。ノイズ以前に、そもそも電子音楽方面を。昔読みまくっていた「(……)」というブログが、Zbigniew KarkowskiとPITA(Peter Rehberg)とRussell Haswellという人々をよく推していたが、まったく聞いたことがない。Megoというレーベルの名前はそこでおぼえた。