私たちは物理学を一緒に勉強し始めた。私が当時もやもやと暖めていた考えを説明しようとすると、彼はびっくりした。人間が何万年もの間試行錯誤を繰り返して獲得した高貴さとは、物質を支配するところにあり、この高貴さに忠実でありたいからこそ、私は化学学部に入学した。物質に打ち勝つとはそれを理解することであり、物質を理解するには宇宙や我々自身を理解する必要がある。だから、この頃に、骨を折りながら解明しつつあったメンデレーエフの周期律こそが一篇の詩であり、高校で飲みこんできたいかなる詩よりも荘重で高貴なのだった。それによく考えてみれば、韻すら踏んでいた。もし紙に書かれた世界と、実際の事物の世界との間に橋を、失われた輪を探すのなら、遠くで探す必要はなかった。アウテンリースの教科書に、煙でかすんだ実験室に、私たちの将来の仕事の中にあった。
そして最後に、根本的なことがあった。彼は物事にとらわれない正直な青年として、空を汚しているファシスト流の真実が、悪臭を放っているのを感じないだろうか、物事を考えられる人間に、何も考えずに、ひたすら信ずるよう求めるのは恥辱だと思わないだろうか? あらゆる独断、証明のない断言、有無を言わさぬ命令に嫌悪感を覚えないだろうか? 確かにそう思う。それなら、私たちが学んでいることに新たなる威厳や尊厳を感じられないはずはない。生きるのに必要な栄養物以外に、私たちが糧としている化学や物理学が、私たちの探しているファシズムへの対抗物だということが無視できるはずはない。というのも、それは明白明瞭で、一歩一歩が証明可能だからだ。ラジオや新聞のように、虚偽や虚栄で織り上げられたものではないからだ。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、67~68; 「4 鉄」)
- 「物事を考えられる人間に、何も考えずに、ひたすら信ずるよう求めるのは恥辱だと思わないだろうか?」「生きるのに必要な栄養物以外に、私たちが糧としている化学や物理学が、私たちの探しているファシズムへの対抗物だということが無視できるはずはない」。
- 一〇時に覚醒。それから起床するには一〇時半までかかりはしたものの、いつもよりはやくてよろしい。最近、また夜更かしが深くなって消灯時間が後退しており、昨晩は三時半を過ぎたのだったが、この時間に離床できたので滞在は六時間四五分となり、ここ最近では短いほうだ。やはり単純に、脚をほぐして血流を良くしておけばわりと起きられるのではないか。このまま消灯をまたはやくしていきたい。
- 快晴。カーテンを開けて起床をつかむあいだに浴びていた光も、まぶしさと温かさがなかなか強いように感じられた。水場に行ってきてから瞑想である。一〇時四四分から一一時七分。瞑想をする前から身体感覚はかなりなめらかに整っている感じがあった。終えると上階へ。母親がカレーをつくってくれていた。今日は彼女も久しぶりの勤務で、一二時半から六時半。こちらも短いが労働がある。洗面所で髪を整えうがいをしたあと、食事。新聞は国際面に、二〇日にあるジョー・バイデンの大統領就任式に際して、全米で武装集団が抗議デモをおこなう計画(可能性?)があるとFBIが警告したとの記事。首都ワシントンと全米五〇州の州都で、とあったが、そんなに大規模になされるのか。二〇日を待たず一六日からはじまる見込みみたいなことが記されていたので、たぶんFBIは内通したりして計画の存在をつかんでいるのだと思うが。そのすべてが連携しているわけではなく、各地で個々の団体がそれぞれやるという感じなのだとも思うが。なんかマジで、内戦までは行かないけれど、まるで内戦みたいだなあという雰囲気をおぼえる。仮にこの全米の武闘的集団すべてがより緊密に連帯し、それを統括する強力なカリスマ(いままでは一応ドナルド・トランプがそれだったのだろうが、それよりももっと団体側に距離が近く、公的制度の枠内にいない人間)が出てきたら、かなりやばくない? という気がする。米国内に反政府の一大勢力が生まれてしまうじゃん、と。
- あとは一面および二九面あたりの、震災から一〇年を期した東北復興関連の記事。岩手県石巻市相川地区(もとは十三浜町という町だったらしい)では、住民たちがそれぞれの知恵や経験を活かして避難所の環境を快適なものに整備したと。山の源流から水を引いてきたり、ワカメの養殖用タンクみたいなものを風呂にしたり、漁師が冷凍保存していた貝類を供出したり、瓦礫からかまどをつくって米を炊いたり。トイレも昔ながらのボットン便所をこしらえたと。これはちょっとたしかにすごいなと思った。高齢者が当然多いわけだが、ものがいまよりもなかった時代の記憶や、培ってきた経験がものをいったということで、まさしく年の功というわけだ。地震発生後わずか一週間で、二〇〇本だかつなぎ合わせたパイプを通って避難所に水が供給されるようになったというから、仕事がはやい。手仕事の技術というのはこういうものなのだろう。
- 食後は皿と風呂を洗って帰室。今日は空気がかなり暖かい気がする。LINEをひらくと(……)から、住所を教えてくれと入っていたので返信。明日がこちらの誕生日なので何か送ってくれるらしいのだ。(……)くんもこちらと誕生日が一緒なので、本当ならこちらからも何か送るべきだろうが、いずれ飯をおごるということで勘弁してもらいたい。(……)の誕生日もコロナウイルスなどで集まれず終わったので、こちらもいずれ飯をおごるつもりでいる。
- Notionを準備して書き物。一月一一日月曜日。一時間二〇分ほどで完成。時刻は一時一八分にいたった。一一日分には総計で二時間半つかっている。まあ悪くはないだろう。投稿する前に、(……)という人のブログを覗いた。先日読者登録してくれた人で、この人も日記の類を記している。(……)さんのブログでスターをつけているところからたどってこちらもその存在を知っていたのだが、ここであらためてブックマークしておいた。その後、自分のブログの最近の記事をちょっと読み返して時間を使ってしまってから、一一日分を投稿。二時である。
- からだがこごって疲れていたので柔軟に入った。昨日と同様、北川修幹 "弱い心で"をAmazonで流し、合蹠しながら歌う。そのあとおなじく小沢健二 "天使たちのシーン"も。自分ひとりで我が身を養うようになったのちも、週に一回くらいはスタジオに入って歌ったりギターを弾いたりしたいのだが、やはりたぶんその余裕はないだろうなとも思う。金銭的にも、時間としてもないのではないか。
- 二時半にいたって洗濯物を入れにいく。今日はやはりかなり暖かいようで、ベランダに出ても冷気のかたまりがほぼないし、柔軟中もダウンジャケットを羽織っていると暑いので脱いだくらいだった。タオルをたたんでおき、足拭きとともに洗面所に運ぶと、ここでもう出勤前の食事を取ることにした。普段は直前に取るのだが、働きに出る前にまた柔軟をしておきたいというわけで、しかし合蹠や前屈などは腹が圧迫されるので食後すぐはできないから、もう食べてしまってあとで柔軟できるようにしておこうという考えである。それで大根やニンジンや卵をシーチキンとマヨネーズで和えたサラダと、ジャガイモにワカメの味噌汁を用意して自室へ。食いながら授業の予習。(……)のために(……)大学の英語二〇一八年度を確認した。けっこう難しいというか、あまり見ないような表現を選んで出してきているような印象。食後もゴルフボールを踏みながら並べ替え問題まで確認し、疑問点をいくつか調べておいた。それから今日の日記をここまで綴れば、いま四時になっている。基本的にはやはり日記をまず仕上げ、生きればその都度発生して増えていくノルマを片づけて記述をひとまず現在時に追いつけるということを優先するのが良いような気がしてきている。そう言いながら、いまはもう昨日の記事を書き足す意欲が薄れており、それよりも音読をするか音楽を聞くかというほうに気が向いているが。あと、日記もそうだが、とにかく最優先するべきはからだを整えることだ。これはまちがいない。一日のうちのなるべくはやい時点で柔軟とりわけ合蹠をおこない、その後もおりにふれて調身の時間を取ること。
- 予習後、今日の日記をまた書き足した。四時を超えるまで。そうして柔軟。そこそこにして出勤までに音読と音楽鑑賞と両方の時間を取りたかったのだけれど、柔軟中からどうも無理そうだなと感じていた。それでも良い。からだを調えることを優先するべきだ。それで三五分間、肉を伸ばして、スーツに着替えたあとに音楽だけ聞く。Bill Evans Trioの『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から、"announcement and intermission"と、"My Romance (take 1)"を聞いた。"announcement and intermission"は、Evansがいったん休憩に入るみたいなことを言っているのと、そのブレイクのあいだのクラブ内の音声が収録されているだけなので、べつに聞かなくても良いのだけれど、一応きちんと聞いた。Evansの発言があってからまもなくはまだざわめきが薄いのだが、次第に煙が満ちていくようにして話し声や食器の触れ合う金属音や人々の気配が密に充実していき、それが空間をかなり埋めきったところで"My Romance (take 1)"の冒頭、ピアノの和音がいきなり入ってきてはじまる、という流れになっている。"My Romance (take 1)"はEvansがテーマの提示を終えてベースとドラムとが入ってきてから(LaFaroは小節頭よりも一拍はやく、待ちきれないようにして入ってくる)しばらく、最序盤のLaFaroの動き方がなかなか馬鹿げていて、最初からこんなに跳ね回ってしまって良いのか? と思う。"My Romance"は曲のせいか、このライブのほかの曲とはちょっとトーンが違うような印象で、なんとなくより明快なあかるさ、快活さみたいなものがいくらか強い気がする。曲調だけでなく、Evansのピアノもふくめて演奏もそちらに寄っているような気がした。"Alice In Wonderland"に雰囲気として近いように感じないでもないが、あちらは三拍子だし、Motianの気体的な役割がたぶんより濃いし、やはりどこか淡い霞のなかを通る微光というイメージなのだけれど、My Romanceのほうはもっとはっきりとした、光のままの光、というイメージにより近い雰囲気に思う。いま調べてみたところ、作曲はRichard Rodgers、作詞はLorenz Hartの著名なコンビの仕事らしい。あと、気のせいかわからないが、このディスク1の"All of You"までと比べて、"My Romance"に入るとLaFaroの音がより強くなって左方を占領し、存在感を増しているように聞こえる。休憩をはさんだので多少調整を変えたりしたということももしかしたらあるかもしれない。
- それで五時を過ぎたので出発。道に出ても、そこまで寒くはなかった。肉をほぐしてからだを温めたのでコートの裏の肉体の芯まで寒気が侵入してこない。やや大股に行く。南西のほうに見える山やその手前の木々はともに合わさって黒い影の平面であり、その上に無雲でひろがる青い黄昏空もおなじように平面で、黒のほうは青の平面上に貼りつけられたように見えるというか、むしろそのような段もなく二領域ともひとつのおなじ平面上を区切ってそれぞれ占めているだけのように映るのだけれど、黒はともかくとしても青の一面のほうは、表層的平面としか見えないそのなかに視線をどこまでも吸いこみ続ける無限の距離が内蔵されているわけである。木々の黒影から端を発するようにして道の左手には公営住宅の棟がいくつか斜めにひらいてこちらの横までならんでいるが、平面の印象に引きずられたようでその建物にも、紙を折ってかたちづくったペーパークラフトのようなイメージがかぶせられる。近づいていくと、当然だが、黒い一枚の影だった木々も、こまかなところまではもう見えないが、葉の群れの肌理といくらかの量感をそなえはじめる。
- 坂を行けば木の間に余計なものを掃かれたように整った薄縹色が覗いて、五時過ぎでもまだ空に青さが残る日の長さになった。坂道は相変わらず無音である。唯一、左のガードレールの先にひろがる斜面の底から何かガサガサいう音が立っていたので動物がいたようだが、なんとなく、音の間の取り方からして鳥ではないような気がした。
- 最寄り駅に着いて階段にかかりながら見上げれば光を滅しつつある夕刻の空は完全な晴れで、青が頭上のどこをも占めてつつむごとくひらいているが、西の山際にかろうじて微量の赤味がなごっているのが塵のようなプランクトンの粒子のような感じだ。階段を上って東に向きを変えればそちらの空気はもうだいぶ暗く、空間が夜の先触れに沈みはじめており、通りの脇に立っている二軒は両方ともシャッターを閉めていて、道路上をいまは軽自動車が一台、ゆっくりとしたペースで走り過ぎていった。
- ホームを先頭のほうに向かってゆるゆるすすむ。線路の伸びていく先は、すぐ近間の踏切を最後に光が途切れ、その奥、森に面して続いているはずの通路はまるで見えず純然たる黒があるのみで、彼方の丘の影とその下端で融合している。踏切の光は地面上に引かれる横線と左右の枯れ草を宿り場として頼った低い縦線とをつくり、要するにコの字を、そのひらいた口を上に向けて置いたような形でその先の黒を、下部のみ枠づけている。
- 電車に乗ってしばらく瞑目し、降りると職場へ。勤務。(……)これはすべての生徒について言えることだが、やはり以前こちらが当たった箇所を着実に、適切に再確認して復習し、何度も繰りかえしおなじところに触れることによって知識や理解を確実に固めていかなければレベルアップはできない。人間が何かをおぼえたり習得したりしようと思ったらそういうやり方を取らざるを得ないよ、ということをこちらが導きながら実践させ、心身でもって理解させないといけないだろう。つまり、あ、おぼえられた、思い出せる、ということを体感させないといけないだろう。
- (……)それで八時四〇分頃退勤。本当はこれよりも一本はやい電車で帰るつもりだったのだが。駅に入ってホームに上がり、電車のなかを見ると(……)らしき男が一番端の座席に就いているのが見えた。おととい遭遇したばかりである。だから避けたというわけでもないのだが、なんとなく今日は自販機で売っているちいさな菓子でも買うかという気になっており、それでひとまず乗らずにホームの先へすすんで菓子を売っている自販機のところまで行った。チョコレートとグミを買うと、もどらずすぐそこの車両に乗った。それで席に就くと往路のことを思い出して手帳にメモ。日記に書く情報を手帳にメモするのは久しぶりだが、また時を見てはこの手動による記録の時間を取って、それを活用していく必要があるかもしれない。必要があるというか、そういう方策をまた取っていこうかなというかたむきを感じる。手指とペンでもって紙の上に文字を書きつけていくという行為には、たしかに、キーボードで文を打つのとはまた違った身体感覚があってそれは悪くない。
- 最寄りで降りてゆっくり行く。先の男が(……)だとしたら追いついてきて声をかけてくるかなと思ったのだが、階段通路にかかってもうしろに気配は感じるが声はかからない。通路を出て街道に面したところで車の通りをうかがって左右に向くと、背後にいた影が通りをわたらず西へと帰っていくのが見えたが、その影の歩き方がやはり(……)だったようにも見えた。方角もおなじである。本人だとしたら、あちらも面倒臭くて声をかけなかったのかもしれない。こちらは渡って木の間の下り坂に入る。夜空はこのときも晴れ渡っていたはずだが、星を見た記憶がない。帰りながら、以前は冬でも毎回、歩いて出勤帰宅していたのだがと思った。なぜそのようなバイタリティがあったのかわからない。しかも、けっこう寒くなってもコートを着ないという時期すらあったのだ。考えてみればこちらは高校生の頃も、たぶん三年間でほとんど一度もコートを身につけなかったと思う。ずっと標準服のブレザーと兄のお下がりであるPaul Smithの灰色のマフラー(いまも使っている)で通し、冬に駅で電車を待っているあいだなど、吹き過ぎていく寒風に身をぶるぶる震わせていた。なぜなのかわからないが、コートを着ようという気になることがなかったし、そもそも上着としてコートを身につけるという発想自体がほぼなかったようにすら思う。周囲はけっこうダッフルコートなど羽織っていたおぼえがあるのだが。
- 帰宅して、自室でボールをちょっと踏んだあと、カレーなどで食事を取った。夕刊に半藤一利の訃報。九〇歳。編集小欄にも触れられていて、たしかそこに、東京大空襲の体験者だと書かれていた気がする。食後、もう一〇時に至っていたのだが、母親の職場の話をちょっと聞く。例の、自己紹介の文が「改竄」されていたという件である。面倒臭いので詳述はしないが、話を聞くに、職場長のほうはもともと書いてきてもらった紹介文をもとにして自分で文をつくるつもりだったのではないかという気がされた。しかしそうだとしても、そのあたりの説明はまったくなかったし、こういう文にしたけれど良いですかという確認もなかったのは事実なわけで、だから単純に、いわゆる社会人がきちんと身につけるべき基礎として盛んに言われている「報・連・相」、すなわち報告・連絡・相談といったコミュニケーション的手続きができない人なのではないかと思った。性格や能力としてできないということもあるだろうが、なんとなく、話の印象からすると、べつにそんなのは良いだろうという風に高慢に横着して面倒臭がっているような雰囲気を感じる。もしそうだとすると、それは職員たちを人間として軽んじているということになるわけで、そのようなタイプの人が経営者などつとめても普通にうまく行かないのではないかと思うし、実際、職員たちからの評判はすこぶる悪く、みんな蔭ではいつも悪口や文句を言い合っているし、私たちバカだよねえ、と嘆いているという。だからたぶん、この職場はそう長くはないのではないか。本当はそういう劣悪な場からはみんなさっさと撤退して、すなわちどんどん辞めてべつの場所に行き、営業所自体を潰してしまったほうが、つまりこの職場長には経営をやめてもらって何かべつの方法で生きていってもらったほうが、社会として良いとこちらは思うのだけれど、客を放棄してそういうことはできないということもあるだろうし、職員たちにもそれぞれ再就職先を探すのが難しいとか面倒臭いとか、いま辞めると生活が立ち行かなくなるとか、そういう事情もあるだろう。
- それで一〇時を一五分くらい過ぎてしまってから下階にもどって、Woolf会。たぶん第二六回だと思う。To The Lighthouseを、わずかずつではあれ読んで訳していこうという会がすでに二六回も続いているとは、これだけでもうわりと大したことである。今日の箇所は第一部第四章の"The jacmanna was bright violet;"からはじまる段落。翻訳担当は(……)くんで、段落が長かったので半分を越えたあたりまで。例の、starringと見分けづらい"staring white"についてこちらは指摘した。それでその場で(……)くんや(……)さんが調べてくれたところ、staringでけばけばしい、みたいな感じで色彩にも使うようだ。この場面でLily Briscoeは、Mr Paunceforteが来て以来すべてを淡くエレガントに描くのが流行だけれど、私にはこう見えるという定かな視覚像をいじって歪めてしまう(tamper with)のは誠実(honest)なやり方とは思えない、と独白している。尋常の教科書的な理解をするなら、Mr Paunceforteはいわゆる印象派以後の作家、それに対してBriscoeはまあたぶん写実主義をわりと標榜するタイプ、ということになるのではないか。で、このLily BriscoeのスタンスはMrs Ramsayの絵画に対する好みとも相応している。以前、Charles Tansleyと町まで出かけていったとき、波止場かどこかで絵を描いている男性を見かけたおりに、Mrs Ramsayは、やはりPaunceforteの名を挙げながら、それと同時に祖母の友人たちの時代のことを持ち出して、より堅固な表現像を持った絵画への好みをほのめかしているからだ(すくなくとも話相手のCharles Tansleyはそのように解釈している)。だからBriscoeの絵は、"one could not take her painting very seriously"などとMrs Ramsay自身思ってはいるけれど、そこそこ彼女の好みに合う種類の絵なのではないだろうか。それはMrs RamsayがBriscoeに向ける視線や、彼女に対するMrs Ramsayの接し方を考える際に、多少の考慮材料として入ってくることがあるかもしれない。いまのところの理解では、Mrs Ramsayは、女性の主体的・労働的自立性にそれなりに理解を示しながらも、でも女性はやっぱり結婚しないと、結婚して男性を庇護し包みこむのが女性のよろこびというものですよ、だからやっぱり、女がひとりで絵を描いて生きていくなんてとてもできるものではありません、というくらいの考えを持っているようにこちらは理解している。そこに多少は、Lilyの絵は悪くないから本当は応援してあげたいんだけどねえ、みたいなニュアンスがもしかしたらくわわってくるのかもしれない。
- あと、この段落にはto the verge of tearsという表現が出てきており、vergeという語は境とか縁、境界線というような意味と、傾き、そちらに向かう動きというような意味とがあるのだけれど(ちなみにconvergeは一点に向かうことであり、convergenceは意見の一致)、その二種類の意味の語源が違うようだという話が(……)くんからあった。どちらもラテン語起源ではあるのだけれど、境界線をあらわすvergeはもともと「杖」をあらわす語からはじまり、それが古英語とか中期英語とかを経て、まず「竿」にうつり、その後ペニスすなわち男性器の意味にひろがり(日本語でも陰茎のことを「竿」というし、形態的イメージを考えても納得の行く派生だ)、で、そこから、たぶん貴族などにつかえる執事が持っている杖に移行して、その杖が空間的に権威や権力の範囲をあらわす象徴として用いられたあたりから、どうも境界方面の意味が生まれてきたのではないかという話だった。ペニスという卑俗領域から一気に高貴な権力へと反転的に飛躍するのが面白いのだけれど、男性器が権力を象徴するというとらえ方は非常にありふれた、ほとんど普遍的なイメージと言っても良いくらいのものだろうし、精神分析理論においてその方面はめちゃくちゃ研究され探究されているはずだから、(……)くんが言ったように、これめっちゃフロイトが好きそうな言葉ですねというのは同意である。
- この話のなかで、フランス語の辞書にはsens figuratifというのがよく載っていて、象徴的・比喩的な意味の派生がどういう風になされてきたのか、その起源をもとめる系譜学的な情報が記されていると(……)くんは言ったのだが、そういうのをsens figuratifと言うのだなあという点がこちらにはちょっと面白かった。figureの意味論的根幹となる概念は、おそらくは「かたち」だろう。そこから人の姿とか、登場人物とか、人形としてのフィギュアとか、形象とかになるわけだ。だからsens figuratifというのは、意味のかたち、かたちとしての意味、形態的意味、ということになる。英語でもfigureには「比喩」という意味があるようだが、なるほど、比喩というのは(ここでいう比喩とはメタファーのことで、換喩はおそらく省かれるはずだ)かたちとして似ていることやおなじであること、形態的共通性・類似性・同一性を媒介にして発展し派生していくものなのだなあと思った。考えてみればいまさらの、当たり前のことではあるのだろうが、いままでこういう道筋でその点を意識したことはなかったのだ。メタファーにおける「類似性」というのが、とりわけ形態的、ということはおそらく構造的類似性である、ということを明確に認識したことが。ただ、比喩はわかるが、「象徴」にかんしてはまたちょっとべつの要素が入ってくるような気もするのだが。形態的類似性だけでは、象徴というのは導き出されないのではないか。
- Paunceforteにかんしては(……)くんと(……)さんが持っている版には註が付されており、画像を載せてくれたのだが、そこに、St. Ivesには一九世紀末にWhistlerやSickertが移り住んで制作をした、みたいなことが書かれていた。そういう人々の動向を反映した"an invented artist"(という言葉で説明されていたと思うのだが)だということだろう。Whistlerはともかく、Sickertというのは全然知らない名前だったが、Walter Richard Sickertという一八六〇年生まれの画家がいるらしく、いわゆる「切り裂きジャック」事件の真犯人だとする説があって有名だとWikipediaには書かれていた。
- 今日はわりと脱線的で、おりおりTo The Lighthouseからべつの方向に逸れていき、(……)さんなどは、まあ年始ですからねと言い、(……)くんはすぐ連想的にずれていってしまうみずからの性分を反省していた。こちらとしては、脱線してもきちんと流れを整えてやっても、どちらでも良い。本篇が終わったあとは、最近(……)くんがやや嵌まっているというか、そのドキュメンタリーというか番組を見て面白かったというNiziUについて語られた。こちらも、たぶん大晦日だったと思うが、テレビでこの人たちのドキュメンタリーみたいなものがやっているのをちょっとだけ見かけて、そこではじめてNiziUというアイドルグループを知った。NiziUという単語自体はそれまでも目にしたことがあったかもしれないが、それがアイドルグループの名前だということはそこではじめて認識した。J.Y. Parkという韓国のプロデューサーが仕掛け人らしく、それで、ああ、あのテレビで女性らにアドバイスか何かかけていた人かと思い当たった。(……)くんによればこの人はすぐれたプロデューサーだと言い、厳しいことは言うけれど、自分があたる相手をけなしたりおとしめたりすることはまったくなく、いつも良いところを見つけてうまく褒めて、きちんと人を育てるということをやっているらしい。また、本人も歌手として、三〇年だか何年だか毎日一日も欠かさず、音域をひろく使ったボイストレーニングをやっており、歌い手としてのからだを鍛錬しているらしい。で、(……)くんは、各方から良い良いという評判を聞いていたけれど、いやいやアイドルなんて大したことないでしょ、どうせ顔で決まるんでしょ、という偏見を持って皮肉げに見ていたところが、番組を見てみるとプロデューサーもパフォーマー本人たちもマジできちんと訓練し、非常に一生懸命努力していたので、いや俺のほうがこの人たちより全然努力してないんじゃないか、もっとがんばらなきゃ、という気持ちになったという。そこに(……)さんが入ってきて、日本人ってそういう努力の物語がめっちゃ好きだよねと幾許かの批判的な感情を示し、それで(……)くんと彼のあいだで論争がはじまった。この二人はよく論争をしている。このときは(……)くんも、完全に真面目に論争するというよりは、ちょっと大げさにふざけながら、(……)さんの反対者を演じて楽しんでいるような調子があったと思う。こちらはベッドに移ってストレッチをやりながら、(……)さんが好きじゃないのは努力の物語なのかそれとも努力の物語を消費することなのかどっちなんですかとたずねたのだが、そのあたりはあまりはっきりしなかった。ただ、のちの発言からするに、パフォーマンスの高さとか楽曲のクオリティとかを取り上げて語り、賞賛するなり広告するなりすれば良いのに、日本で売るってなるとそういう本人たちが必死に努力する様子をアピールして売るのがなんかなあ、という感じらしい。(……)さんは自分で昔(というのは主に高校生の頃だと思うが)はアイドルオタクだったと言っており、そういう売り出し方はいままでにもう幾度も見てきて使い古されたパターンなので、いまさらそれをやられても、という気持ちになるらしい。釈然としない要因はそれだけではないのだと思うが。とはいえ、やはりひろく売るとなるとどうしても実存のドラマが必要になるのではとこちらは言わずもがなのことを言った。で、それはべつに、おそらくとりわけ日本に限ったことではないと思うのだが。ただ、日本社会におけるそういうドラマの受容のされ方の特殊性とかはもしかしたらあるのかもしれない。
- そういう話と絡めて、また並行して、韓国のポップミュージックの質が最近桁違いに高くなっているという話がなされた。韓国のアイドルは実際マジで人気になっているらしく、たしかにこちらの職場の生徒や講師にも韓国の(主に)男性アイドルのファンだという女性がいくらもいるし、BTSだったかどうか忘れたが、全米マーケットで一位を取るという快挙を成し遂げたものもあるらしい。それはやはり地殻変動的な、時代が変わったというような事件なのだと。で、それを実現するまでには、それまでのここ何十年かの文化的社会的蓄積が当然必要だったわけで、(……)さんも「俺の屍を超えていけみたいな」、と言っていたが、そのあたりの内実が、NiziUの番組でちょっと見えたというのも(……)くんには面白かったようだ。ただ彼が語るに、それを成し遂げたのは高度な訓育システムというか、つまり、ダンスをやるならこう、歌を歌うならこうだという、ひとまずはそれに向かって鍛錬し技術を磨き上げていく共通目標としての型ができあがっていてみんながとりあえずはそれを模範に切磋琢磨するという環境があるからで、ただ一方でそのことがK-POPをどれもわりと似たような、規格化されたような印象をあたえる要因にもなってしまっていて、本当に面白いのはその(かなり急ごしらえではあるかもしれないが)一種の伝統としての型の規範から離反する人々が次々とあらわれはじめるだろうこれからだ、ということだった。まあ文化とか芸術とかいうものはたしかにいつでもそうやって、アンダーグラウンドとメインストリームのあいだを行き来する上下の動きで耕されて進んできたのだとは思う。また、最近のK-POPのクオリティの高さというのは、そういう話にとどまるものではないはずで、しかしその内実の詳細はまだよくわからないという。(……)さんはたぶん、そういうめちゃくちゃ努力して切磋琢磨してというマッチョなシステムの抑圧性が釈然としないのではないか。アイドルっていうと、もうすこしゆるいというか、競争だけではない存在であってほしいというような気持ちがあるのではないか。こちらの想像だが。(……)も最近というかここ一、二年くらいアイドルにやたら嵌まっているようで、Youtubeの音源や映像をよく「(……)」上に紹介しているけれど、彼もいつかの記事に、アイドルっていうくくりなら歌がうまくなくても、ダンスの技術がそんなに高度でなくても、何かひとつでも漠然とした魅力があれば許されて、アイドルとして成り立つというのが良いみたいなことを書いていたおぼえがある。
- あと日本の(主に女性)アイドルと韓国のアイドルの違いという点についても多少話題になって、このときは(……)さんが話にくわわって、日本のアイドルの恋愛禁止っていつなくなるんですかね、人権ないですよねと口をはさんでいた。たしかに馬鹿げた話だと思う。そこから容易に導き出される展開だが、日本ではやっぱりアイドルってなると、乙女性、要するに処女性ですよね、それが重要なんですか、と訊いてみたところ、やはりどうしてもそういうことはあるのだという答えが口々に返ってきた。(……)さんが言うには、日本だと、アイドルがファンの「所有」の対象になっている、結局は仮想的な所有願望の向かう先になっている、と。したがってまあいわゆる「清純さ」とか、性交をしたことがない、誰にも抱かれたことがない、肉体的精神的にけがされていない、恋愛をしない、パートナーがいないという無垢性が重要になってはくるのだろう。アイドルというのは偶像だから多かれ少なかれどこの国でも、どういう場合でもそうだとは思うが、そういう意味で日本においてはとりわけ「キャラクター」になって完璧に演じることをもとめられるのかもしれない。日本だとそういう感じで女性アイドルはどちらかと言えば少女的な雰囲気で演出されるというか、そういう感じの人が多いのに対して、韓国はもうすこし「大人」な感じがする、という話も多少あった。「大人」というのは単純に、性的なエロスを醸しまとっているような感じ、ということだろう。本当にそうなのか、こちらにはよくわからないし、そんなに確かな話でもなさそうだったが。ただ、(……)さんによれば、韓国にはアイドルは恋愛禁止という慣行的原則はないらしい。それで自分のパートナーを公の場に連れてきたりすると言っていたので、それいいっすねとこちらは思わず受けたのだったが、しかしそれはそれで、そのパートナーやその人との関係が広告塔として使われたりとか、苛烈なバッシングの矛先になったりとかして、問題なのだということだった。TwitterやらSNSやらインターネット上でのバッシングの嵐というのは日本でもどこでもすごいと思うが韓国でもやはりそうらしく、(……)さんは、これまでにいったい何人が自殺してきたかと言っていたし、たしかにこちらの耳目の範囲でも、韓国のアイドルや歌手が自殺したという話題は入ってきたことがある。そういう話を聞きながらなんとなく、韓国のアイドルとか芸能業界での醜聞というのは、ハリウッドのスターとかセレブリティ界隈のスキャンダルに近いのかなというイメージをおぼえたが、そのどちらについてもこちらは何も知っていることはない。
- ほか、(……)さんが、カニエ・ウェストと仕事をしていたデザイナーが他人のデザインをパクったのか、それともそのひとがパクられたのかおぼえていないが、黒人間の階層問題にも重なりつつそういう事件があったということを話したり、(……)くんが"Richard Gear"というタイトルのちょっと変な、つまりトラックとラップを合わせに行かず、結合をかなりゆるくして隙間を空け、ビートや音でもって空間をこまかく区切って嵌めこもうとせずに気体的なラップをやっている音源を紹介したりとあったのだが、もう気力がないのでひとまず割愛する。
- あと、(……)さんが再就職についての相談をしたり。(……)
- みんなそれぞれにああしたらこうしたらとアドバイスをしていたのだけれど、こちらは皆の発言にそれぞれうなずくばかりでなんら助言を思いつけず、やはりいままで己の力でもって現代のコンクリート・ジャングルをサヴァイヴしたことがないから、俺はこういう方面にかんしての経験とか発想とかが弱いのだろうなと思った。それで、二時半になって風呂に行くために離席する際に(今日は一時に終えるのが目標、などと(……)くんも言っていたのに、話しているうちに結局このような遅い時刻に深入りしていくわけである)、世間を全然知らないもので、何も言えずにすみませんと言うと、みんな笑って、(……)くんは、卑下しすぎですとこたえていた。
- それで入浴に行って、出ればもう三時なので、今日は柔軟をして瞑想をしてもう寝ようと思った。これは進歩である。以前だったらもったいない気がして、もうすこし夜更かしをして遊ぶなり何かをやるなりしていたところだ。しかし進歩したこちらは三時一五分に粛々と明かりを落とし、一〇分間柔軟運動をしたあと枕の上に尻を乗せて目を閉じ、静止状態に入った。心身の疲労はそこまで強くないようだったし、このまま三〇分くらい座って己をすぐれてしずかにしてから寝ようと目論んでいたのだが、いざ座って目を閉じるとやはりからだと意識の実態が立ちどころにあらわになって、いくらも耐えられなかったので六分程度で切って横になった。本当はやはり、就寝直前でなくてそれよりもはやいうちに一回座っておかなければならない。