2021/1/16, Sat.

 助手がどういう人物か知るには数時間接するだけで十分だった。三〇歳で、結婚したばかりで、トリエステ出身だが、祖先はギリシア人で、四ヵ国語に通じ、音楽と、ハクスレイ、イプセンコンラッド、それに私のお気に入りのトーマス・マンを愛していた。物理学も愛していたが、ある目的を持った活動にはすべて疑いを抱いていた。だから気高いまでに怠惰であり、本性からファシズムを嫌悪していた。
 彼の物理学への態度は私を当惑させた。彼は実験室で目の中に浮かべていた、「二次的な無意味な活動である」という考えをはっきりとした言葉で表明して、いささかのためらいもなく、私の最後の幻想のかけらを打ち砕いてしまった。私たちの慎ましい実験だけでなく、物理学全体が、その本性からして、召命において、見せかけの宇宙に規範を与えるよう定められているという意味で、二次的なものである。一方、真実、現実、事物や人間の内奥の本質は他の場所にあり、一枚のベールに、あるいは七枚のベールに被われている(何枚と言ったか、はっきりと思い出せない)。彼は物理学者、正確に言えば宇宙物理学者で、勤勉であり、熱意にあふれているが、幻想は抱いていない。真実ははるか彼方にあり、望遠鏡では近づけない。入会儀礼を受けたものだけが接近可能だ。それは長い道で、彼は苦労しながら、深い驚きと喜びを覚えつつ、その道のりをたどっている。物理学は散文だ。優雅な頭の体操、被創造者の鏡、人間が惑星を支配する鍵だ。だが被創造者の度量、人間、惑星の度量はどれくらいあるのか? 彼の道ははるかに長く、まだ入会儀礼を終えたばかりだ。しかし私は彼の弟子だ。彼に従うべきなのだろうか?
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、89~91; 「5 カリウム」)



  • 「ある目的を持った活動にはすべて疑いを抱いていた。だから気高いまでに怠惰であり、本性からファシズムを嫌悪していた」。
  • 六時のアラームで覚めたと思うのだが、アラームを耳にしたおぼえがないのだ。ただ、たしかに六時には覚めていた。起き上がるにはそれから半頃までかかったが、二度寝をしたわけでもなく、昨晩脚をほぐしたおかげでからだの感じはかなり軽かった。時間がないので瞑想はせずに上階へ。母親に挨拶し、髪を梳かしうがいをしてから焼豚と一緒に卵を焼いた。いつもどおり黄身が固まらないうちに丼の米の上に取り出し、醤油をかけて混ぜて食べる。さっさと食って片づけると下階にもどり、早朝、出勤前にコンピューターを準備したり日記を書いたりしている余裕はないので、それだったら書見しながら足の裏を刺激しようというわけで、ベッド縁でハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読んだ。三〇分。それでわずかに柔軟したあと、着替えてもう出発。腹を軽くしておきたかったのだが、トイレに入って便器の上に腰掛けても腸が動かなかった。母親も今日はちょうどおなじくらいに仕事に出るということで車に乗せてもらうことになっていたのだが、彼女はこちらが上がってきた時点ではモタモタしていたのに、こちらがトイレに入っているうちに支度を済ませて外に出て、車に乗りこんでおり、トイレを出て玄関を開け、鍵をかけていると家の前に停まった車の内から急かすような身振りを見せてきて、こちらが助手席に乗ったあともなんとか文句を漏らした。また、道中、隣から、マスクはとか昼過ぎまでとか訊いてくるのだが、その声が大きく、くわえて矢継ぎ早なのでうるさく、朝時でまだ活力を帯びていない頭にさわるようで、思わず、うるせえよとつぶやいてしまったのだけれど、全然大きな声でなく、荒いトーンでもなく、一粒のかすかなつぶやきという感じの声になっていたので良かった。母親はそうかとこたえてしばらく黙っていたのでそれも良かった。
  • 駅に近い通りの途中で降ろしてもらい、職場へ。今日は日中一八度になるとか言われていたのだが、朝はやはり空気がけっこう冷たいので、つけていなかったマフラーを首に撒いた。空は淡い色の晴れ。(……)そこで保護者とやりとりをするのもわりと疲れる。一応ある程度はまっとうな人間としての社会的な役割をもとめられるので。つまり、声とか口調とか言葉とかを多少装わなければならないので。しかも電話だから身体性が希薄な声と言語のみでそれをやらなければならないし、相手の身体性も見えないので。
  • (……)
  • 天気も良いし、歩いて帰ることに。年金を支払うためにコンビニに寄った。年金もさっさと口座振替にしなければならないのだが、書類を記入して事務的な手続きをするというのがこちらは本当に嫌いというか、マジで何の興味も湧かないというか、そもそも興味うんぬんの問題ではないと思うのだけれど、まったくやる気にならずやろうと思ってもすぐに忘れてしまい、ずっと放置している。しかしそろそろきちんとやらなければならないだろう。(……)
  • 金を支払うと、徒歩で帰った。天気は良い。正午をむかえたばかりの光はまぶしく、一八度まで上がるとかいうのは本当のようで、そのなかにあれば、モッズコートを着ていては暑いくらいで、のちには汗の感触が服の内の肌の上や尻のあたりに発生するのも感じた。疲労感はそこそこにある。そう豊かにも寝ずに朝から働けばそうなりはする。歩いているあいだはおりおり自分をしずかにするよう意識するのだが、気づけばすぐに散漫な物思いのほうに流れている。とはいえやはり歩く時間は取ったほうが良い。ひとにとって必要なのは、ひとりで、ゆっくりと、余裕を持って、しずかに歩くことである。歩行とは、きわめて単純かつ良きこと、太古以来のうつくしきことなのだ。ローベルト・ヴァルザーもそのように書いている。どこで書いているのか? 「散歩」のなかにおいてである。「そう、足で歩いてゆくというのは、この世のこととは思えぬほどに美しきこと、良きこと、太古以来の単純なことなのです。むろん、履いている靴、長靴が整っていればの話ですが」(ローベルト・ヴァルザー/新本史斉、フランツ・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集4』鳥影社、二〇一二年、232)。ヴァルザーの作品集をすべてまた読み返したいし、彼が書いた文章はどれでも、どんなものでもすべて読みたい。ヴァルザーは長距離の散歩をよくしたらしい。そのときには常に、降っていようと晴れていようと、黒い傘をたずさえていったらしい。たしかに背広にそうした装いのヴァルザーを映した写真はインターネットを検索すればいくつか出てくる。彼はまた、ベストの一番上のボタン(だったと思うのだが)をはずしておくということに強いこだわりを持っていたらしい。それを留めてしまうと何か不吉で良くないことが起こりでもするかのように、このボタンはかならずはずしておかなければならないのです、そうでなければならないのです、と言っていたらしい。しかしなぜそうなのか、その理由はわからない。彼は精神病院に入ったあと、小さな紙片に言葉を書きつけているところを目撃されているが、その姿を見られていることに気づくと、まるで恥ずかしいこと、道徳に反することでもしているところを発見されたかのように、すぐに、そそくさと紙片をポケットに隠してしまったらしい。これはゼーバルトが『鄙の宿』のなかで、テレビか何かで見た情報、精神病院でヴァルザーの世話をしていた看護士か誰かの証言として記していたことだ。ところで、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』も読みたいと前から思っているのだが。しかし、ただ、勤務に向かうときだと、どうしてもそのあとに勤務があるという意識が、つまり何時何分までには着かないといけないという意識や、職場に着いたらこういうことをやらなければならないという頭が、自認していなくともかならず心身に侵入しているので、行きよりは労働が終わって、いつまでにかならず帰らなければならないという義務感に支配されず、心身に余裕が生まれる帰路を歩くようにしたほうが良いかもしれない。

 ……そうした過激な手立てを見ていくなかで、私の胸をとりわけ揺さぶったのは、数か月前にフランスのテレビ番組を見たときである。ヨーゼフ・ヴェールレという、スイスのヘリザウの精神病院でヴァルザーの看護人をしていた人の話だった。ヴァルザーは、当時文学は完全に背を向けていたものの、いつもチョッキのポケットにちびた鉛筆と手製の紙片をしのばせていて、ちょくちょくなにかメモをしていた、というのである。ところが、とヨーゼフ・ヴェールレは続けていた、人に見られていると思うや、ヴァルザーはまるで悪いことか恥ずかしいことでも露見したかのように、そそくさと紙片をポケットに押し込んでしまった、と。……
 (W.G. ゼーバルト/鈴木仁子訳『鄙の宿』白水社、2014年、6; 「まえがき」)

  • 白猫はいなかった。街道に出て陽の照る歩道を行き、北側から南側に渡ったところで、そのときこちらの居場所は日蔭だったような気がするのだが、目の前にある一軒の、低い石段の上に生えた草木の取り合わせに光がかかっており、とりわけそのなかの、地表面を埋めている緑色の、髪の毛をちょっとまとめた細い束を集めたような、ゆるいアーチ状の曲線を描いている無数の草たちの、その低い上下運動の線描の軌跡の集合があかるみに触れられて際立っているのが目に留まり、おいおい、マジかよと思った。それから裏道に入っていっても、植物というのはやはりすごいというか、あらためてその色彩とかたちをじっくりと見てみると、いつもびっくりさせられるような、肌をちょっとふるわせられるような具体性をどの一体も、どの部分もそなえている。ガードレールの向こうの斜面下から伸び上がった杉の樹の、その葉の緑色でさえ、ある部分とべつの部分とでは、その色調がかすかに異なっている。(……)さんの家の前、道脇の段上をススキやら何やら草たちが占領して、冬色と複雑怪奇な形相を混淆させているのがすごかった。そのまますすんで下り坂に入ればガードレールの外を交錯している草と木のその隙間は彼方に、川の水が太陽を押しつけられて、もはや銀色ですらなく真白くかがやく金属板となっているのが見え隠れし、その金属板はしかも表面が、色の内がこまかくちらちら泡立つように揺れている。坂の右側、林からいくらか突出してならんでいる葉叢の肌理を見てみても、まいったなというか、植物というものの、やはり複雑さということになるのか、非還元性というか、アメーバ的なところというのか、形がないわけではまったくないのだが、しかしなんの形を成しているとも言えないような要約不能性にはあらためておどろかされる。植物はそのどのひとつを取っても、怪物というか物の怪みたいなところがある。くわえて植物がすばらしいのはそれだけ複雑でありながらやはり意味がないこと、まったくないとは言えないだろうし、ときに積極的に人間領域の性質を帯びることもあるだろうが、しかしすくなくとも押しつけがましくないところで、それは最高だ。それと比べると人間は、どんな人間でもだいたい、存在自体がすでに押しつけがましい。善人だろうが悪人だろうが、何をしていようが、自分だろうが他人だろうが、存在しているだけでもう大方押しつけがましい。本当にまずしくてあさましい生き物だと思う。
  • 帰宅すると手を洗ったりうがいをしたりして、室に帰って書見した。ボールを踏んだり寝転がったり。さすがに眠くなって、途中いくらかまどろむ。一時半で食事へ。母親がつくっておいてくれた五目ご飯を食べる。新聞から何かしらの記事を読んだはずだが。それは国際面だったと思うのだが。しかしどの国について読んだのか、記憶が蘇ってこない。何か別の面を読んだのだったか。いや、そうだ、たしか一面に載っていたと思うが、厚生労働省の諮問委員会みたいな組織で、知事の入院指示を拒否したり、保健所の調査を拒否したりした感染者に罰則を課すという案がおおむね固まったみたいな話があった。委員のなかからは重大な人権侵害だとか罰則の実効性が明確でないとか反対意見も出たというが、厚労省の担当者は、罰則が可能になったとしてもすぐに適用するわけでなく、政府の感染対策の有効性を担保するための措置だ、みたいな説明をしたらしい。罰則は入院拒否がたしか一〇〇万円以下の罰金もしくは二年以下の懲役だったか? 保健所拒否が五〇万円以下の罰金とあったような気がする。
  • 食後、洗濯物を始末。もどって二時半から書き物。昨日の生活を記述。三五分経って三時を回ったところで、からだがかなりこごっていたので調身した。だいぶ丁寧になったようで、一時間使った。それだけやれば相応の効果はある。難しいのは背というか、背面は全体に難しいが、わけてもちょうど肩甲骨の合間あたりの背骨の周辺である。ここはなかなか和らげる方法が見つからないでいたが、のちほど試したところでは、やはりひねりの動きが良いのかもしれない。すこし前から腰や背骨をやわらげるために上体をひねる運動を導入しなければと思っていたが、それが良いような気がする。横方向のストレッチというのはあまりやらないからおろそかになってしまうのだ。しかし、普通に立って、横を向き、そちらにある棚なりなんなりにつかまって姿勢を維持するだけのことだ。
  • 日記をさっさと書きたいところではあったのだが、今日は七時半から職場の会議がオンラインであり、したがって音読をできる時間的領域がすくない。それなので声を出せるうちに先に読んでおくことにした。「英語」を五〇分間。悪くなくて、意味がしっかり、かなり明晰にと言って良いほどに認識できたのだが、ただ読み方自体はややはやくなったり、たびたび噛んだり、うまく発音できなかったりして粗かった。それなのに意味はおのずと頭に入ってくるのだ。
  • 上階へ。五目ご飯と汁物があったのでもうそれで良かろうと。茹でてあったほうれん草のみ絞って切った。母親はフライパンでメカジキか何かをソテーしだしたのだが、火をつけたままどこかに行ってしまうので、それもこちらが焼く。そうしてもう食事。新聞からは、めずらしく政治面を見た。たしか小松なんとかいう名前の九州大学名誉教授だったかが、日本学術会議はやや偏向気味だと批判しているような記事。二〇一七年に学術会議は軍事目的の研究はしないという点を再確認して声明を出したらしく、この人はその検討委員会みたいなものに参加しており、策定の文言の調整などをしたようなのだが、この人の考えでは、軍事目的の研究はしないからと言って自衛にかかわるような研究まで禁じてしまうのは良くないということで、またそもそも最近だと、民生的な研究と軍事にかかわる研究の境が区別しにくくなってきている。衛星技術やネットなどはむろんその例である。また、軍事目的の研究を一律に禁ずるとなると、国産の武器開発などをできなくなるが、現実自衛隊は存在しているわけで、防衛の必要もあるわけで、武器はいる。で、海外産の高価な武器を調達しているともちろんそれだけ費用がかさんでしまうから、国内での武装の研究開発は必要ではないかという立場を提示していた。それで議論の場で、「軍事目的の研究」というのは具体的にはどういうことか、自国防衛にかんする研究も含むのか、そのあたりを議論するべきだと何度か訴えたが、聞き入れられなかったということだった。話し合いのなかで、ある学者に対して、それでは自衛隊はいらないということですか、と訊いたところ、必要ない、すべて話し合いで解決するという返答が来たというエピソードも語っていたが、これが正確な情報なら、さすがにそんなことはあるまいと言わざるをえないだろうと思う。この小松教授の意見では、学術会議は、たぶんとりわけ科学技術系の分野にかんして言っていたと思うが、民間企業で研究をしている人や、大学組織以外の研究者をも含めて代表するような人員選考になっておらず、一部の学者によって意思決定されているのが実情だ、という話だった。だからそのあたり、全国のさまざまな研究者の意思をもっとうまく反映できるような仕組みにするべきだと。
  • 食事を終えて部屋にもどるとまた日記。昨日の記述をすすめ、七時で完成。投稿。会議は七時半過ぎからでもう時間がないので活動を切り上げ、一〇分だけ柔軟をしてから、ビデオを映すと聞いていたので一応服を着替え、ジャージではなくて普通のシャツの姿になり、隣室に移動した。まだ数分あったのでそこにある錆びつきまくったテレキャスターをいじって待ち、時間になると知らされていた番号を入力してZOOMにアクセス。しばらくまた待つようだったが、じきにひとが集まってはじまった。
  • (……)
  • いかに中学三年生を受験が終わって高校に入って以降も通塾させつづけるかというのが毎年の大きな課題なのだけれど、これはもう要するに、その塾、ひいては個々の講師たちに生徒をなつかせるということに尽きると思う。通塾継続もそうなのだが、普通に授業の効果を上げて知識をおぼえさせ、学力をアップさせるという方面にかんしても、(……)さんもよく言っているけれど、こちらになついてもらうということが基盤的に肝要なのだと思う。知識を確実に頭に入れさせるにはたいていの場合は復習をして以前当たったところを繰りかえし扱って何度も触れるしか方法はほぼないと思うのだけれど、生徒たちのほうは当然それは嫌がるわけである。なぜか彼らは、一度やった問題はもう一度やらなくても良いと無条件に思いこんでいることが多いので。しかし、よほど脳細胞のスペックが高い人間でなければ、反復をしなければ知は身につかない。生徒たちが嫌がる反復をスムーズにおこなうには、個人的な信頼関係がその前になければならない、というわけだ。ただ、なんというか、個人的に仲良くなろうとしたとして、無理に近づくというか、成績を上げてもらい塾の業績や経営に資するためというような、ある種の下心のみでそうしたところで、あちらはこたえてこないだろう。邪心はバレる。若くおさない一〇代の子どもであるとはいえ、相手は人間である。そして、人間をなめて軽んじてはいけない。だから、生徒たちの成績を上げてひいては職場の業績や評判をもアップさせるという経営上の目的にいくらかなりとも貢献しようと思ったら、結局は、生徒たちを個々人としてよく見、対峙し、誠意を持った関係を築くということが、おそらくは一番の方法になる。こういう結論に至るあたり、こちらは性根としてやはり優等生だなと思うのだが、こういう風に考えて、ひとりひとりの相手にとって、もちろん全員におなじように力をそそぐことはできないが、自分のできる範囲で良いことを試みようと思うことはままある。同時にときには、もう面倒臭えし人間を相手にする仕事などうんざりだから、公園の植木を世話する仕事にでもうつりたいと思うことも非常によくある。
  • いまこの時間における自分の言葉と行動が、いま目の前にいる相手のこれからを、それほど大きな割合ではなく微小な部分であるにせよ、しかし多少は左右することになるかもしれないということを、きちんと自覚的に意識しつづけながら言葉と行動を決定するというあり方が、曲がりなりにもものを教える人間であるということの意味ではないのか?
  • ちょうど一〇時に会議は終わり、入浴へ。出て(……)さんのブログを見ると一四日がこちらの誕生日だったことに気づいており、何か用意しなくてはとあったので、こちらの誕生日などどうでも良いので『(……)』に傾注してくれと送っておいた。(……)と(……)くんも何か送ってくれるらしくて、ものをもらえること自体はありがたいのだけれど、こちら自身はこちらの誕生日というものにまるで興味が湧かず、本当に心の底からどうでも良いと思っている。三一になったからどうということも特にない。誕生日とはフィクションだ。そして、そのフィクションは現時点では、こちら自身にとってほぼ意味を持っていない。
  • (……)さんのブログの最新記事のタイトルになっている「まどろみを竈門にくべる明日から天気予報はあてにならない」という一首を一読した瞬間、なんかわからんが良いなという感覚が立った。よくわからないのだが、意味と語の結合のあいだの隙間のひろさというか、ひとつひとつの部分のあいだにゆったりと、余裕をもってスペースがはさまれているような感じがあって良かった。それでいてなおかつ、たしかに結合はしているわけである。たぶんこういう余白の手触りというか、手を差しこめるような空隙の感じというのが、散文と対比した場合の詩の特質というものなのだろう。散文というものはことの性質上、もっと緊密に結びついていなければならず、詩に比べれば紋切型として固まっていなければならないので。詩という言語のつらなりがある種の人々を誘いこみ魅惑するのは、そういう風に、語と語のあいだの空白に手を差しこんでそこから色々なものをつかみ取ってこれそうな、そこに何かがひそみ隠れ息づいていそうな予感をもたらすからだろう。それが解釈の誘惑というものなのだろう。
  • 午後一一時。万が一職場に見つからないうちに、過去の日記の読み返し兼検閲をさっさとすすめないといけないなというわけで、二〇二〇年の元日からそこそこ大雑把に読みはじめた。固有名詞や、個人情報にすこしでもつながりそうな事柄はもう基本的に検閲していくつもり。二〇二〇年一月一日は、その一年前、鬱病様態から回復して書き物を再開したばかりの二〇一九年元日に(……)さんに送ったメールを引いていて、それが原点回帰的な内容となっている。

 (……)自分は日記を書くことによって、つまりはこの世界から意味を読み取ることによって、自分の生に意味を与えているのだと思います。絶え間ない生成の差異/ニュアンスを取り込むことによって、生命を活性化させているとも言えるかもしれません。
 ちょうど一年前の日記でも考察したことですが、自分の生の隅々まで隈なく目を配り、それを言語化するということは、こちらにとっては書くことと生きることの往還のなかに自分を投げ込み、それによって、彫刻家が鑿を使って木や石から像を創り上げるように自己を彫琢し、洗練/変容させて行くという意味合いを持つものだと思います。短く言い換えればそれは、自己を芸術作品化して行くということです(ミシェル・フーコーが晩年に追究していた主題です)。それはさらに換言するならば、自己のテクスト的分身を作り、それとのあいだに相互影響関係を築くということですが、要するにテクストそのものになりたいということ[﹅18]、それがこちらの欲望の正体なのかもしれません。

  • 「この世界から意味を読み取ることによって、自分の生に意味を与えている」はそう悪くないが、「絶え間ない生成の差異/ニュアンスを取り込むことによって、生命を活性化させている」はやや胡散臭い気がするし、イメージや考え方としてありがちでもある。「書くことと生きることの往還のなかに自分を投げ込み、それによって、彫刻家が鑿を使って木や石から像を創り上げるように自己を彫琢し、洗練/変容させて行く」は、一応そのとおりだとは思うが、これもありがち。「自己を芸術作品化して行くということ」もわかりやすすぎるが、いまだこちらにとっては一定の魅力を持った定式ではある。「テクストそのものになりたいということ」も安直だが、しかしこの一文のなかではこの一言が、いまだにやはり、どうしても、もっとも心惹かれる言葉かもしれない。
  • 2020/1/2, Thu.も。おのれの死をもっと思い、その厳然たる事実性を引き受け意識しながらいまを生き、今日の行動を決めなければならないと言っている。発想としては実にありふれたものだが、これは要するにハイデガーだろう。いまからしてみるとそのマッチョさがいくらか気に入らないし、そんな風に意気込んだところで、強い意気込みなど人間いつまでも続けられるわけでないのだから、もっと自然な、無理のない状態としての営みを目指していかないと、それは遠からず破綻する。「つまりは、死というものをもっと思わなくてはならない、ということだ。死の方から己の生を見つめるということ。ということは、別に明日死ぬかもしれない、という事柄の、「明日」が本質的な問題ではないということだ。そうではなくて、明日なのか数十年後なのか、いつかは知れないが、いつであろうとも自分はいずれ必ず死ぬ[﹅18]という確定的な事実の、そのリアリティをもっと感じるようにしなければならないということだろう」という部分だけはちょっと面白かったというか、何かしらの手触りのようなものを一抹感じはした。今現在の自分はこういう言説に同意はしないが、しかしむしろいまのほうが、ここで言っている死を思う、とか「死の方から己の生を見つめるということ」を実践できているのではないか? という気もする。なぜそう思うのかはわからないが。ハイデガーがまちがえたというか、彼がナチスに親和してしまったのは、死を思うところから生の本来性に反転して、それを熱情的に、雄々しく追究するという、その反転の、極から極への思考の動態ゆえだったのではないか? 明確な根拠はない、あやふやな印象にすぎないが。死を思うところまでは良かったのではないか。そこから本質主義に一気に走るという論理展開がまずかったような気がする。だから、「死の方から己の生を見つめるということ」の、何かべつのかたちを構想しなければならないのではないか。『存在と時間』も何も、ハイデガーの文章をひとつも読んでいないくせにそんなことを言っていても仕方がないが。

 (……)新聞も読まず、テレビも点けず、一人で黙々と食べながら、もっと鋭さと言うか、徹底性みたいなものを纏わなくてはなるまいなと考えた。昨日読んだ(……)さんのブログの記事にも書いてあったが、自分は明日死ぬかもしれないというありそうもない可能性をほとんど現実的に捉えて現在の行動を決めると言うか、明日死ぬとしたら今自分は何をやるか、という物事の観点をリアルなものとして引き寄せるというか、そういう厳しさが必要だと思ったのだ。だらだらしてはいられない。宮本武蔵が何か似たようなことを言っていなかったか? 坂口安吾が書いた宮本武蔵論のなかに関連するような記述があったような気がする。と思って今、坂口安吾堕落論・日本文化私観 他二十二篇』の書抜きを調べてみたが、それらしい記述は見当たらなかった。この文庫本(岩波文庫)は確か、既に売り払ってしまったはずだ。ともかく、話を戻すと、明日死ぬかもしれないという可能性を、半ば現実のものとして身に引きつけて行動を定めるという話なのだが、これは発想としては非常にありきたりな、誰でも考える類の事柄である。しかし、こうした発想を現実のものとして、リアルなものとして生き、実践できる人間はまずほとんどいないだろう。それに近づかなくてはならない。だからと言ってしかし、生に急いではならない。焦る必要はないのだ。急いだり、焦ったりすることは禁物である。ただ、つまりは、死というものをもっと思わなくてはならない、ということだ。死の方から己の生を見つめるということ。ということは、別に明日死ぬかもしれない、という事柄の、「明日」が本質的な問題ではないということだ。そうではなくて、明日なのか数十年後なのか、いつかは知れないが、いつであろうとも自分はいずれ必ず死ぬ[﹅18]という確定的な事実の、そのリアリティをもっと感じるようにしなければならないということだろう。自分は死ぬ。自分は死ぬのに、今、これで良いのか? ということだ。この実に明快な単純性。そういう思考形式を、リアルなものとしてインストールし、実践していくこと。しかしそれは結局、残された時間というものの有限性の観点から、有益な事柄と無駄な事柄とを峻別して取捨選択する、という行動様式に繋がらないか? いや、俺が目指したいのはそういうことでもないのだよな。そういう効率性の権化みたいなことを目指したいわけではないのだが。ではどういう様態を目指すのか? 有益/無駄の二項対立を解体しながらも、死という現実[﹅2]のリアリティをもっと切に身に引き寄せるということ。ひとまず今はその点に留まっておこう。
 さっと米一杯を平らげると、皿を洗って、続いて風呂も洗った。風呂を洗いながら考えたことに、死を思うという話の続きなのだが、それによってもっと厳しく生きることが実現したとして、それは自分のことのみにひたすら邁進するということではない。他人や、社会や、世の中というものから要求/要請される義務的な事柄も同様に、こなしていかなくてはならない。社会から離反してはならないし、離反することなどおそらくはできない。ただ、外見上/表面上、何と言うか、世間的な価値観から照らしても受け入れられるような人間であること、一面としてはそれが求められる。しかし同時に、ある種訳のわからないと言うか、無償的な存在でもあること。この二面性が肝要だと思われる。イメージで語るならば、仮面をつけるのだが、装うのだが、その仮面を時折りは、自ら〈指差す〉(「外す」のではなく)、敢えて指差してみせる、ということ。〈明晰な狂気〉である、というのは、イメージとしてはそんな感じか。

  • 二つ目の段落に書かれてあることは現在でも同意だし、むしろより賛同するところがある。おのれの特異な営みを粛々と続けながら、同時に、世間一般的な価値基準から見て常識人でなければならないと思う。他者もしくは共同体からの要求や要請を、ある程度、どころかある程度以上高度に、満たしていかなければならないと思う。仮面をみずから指差すというここにあるイメージは、フーコーがどこでだか忘れたがデカルトについて書いていることと、バルトが『零度のエクリチュール』(石川美子訳)の80ページでフローベールについて書いている言葉をもとにしているはず(「フロベールの芸術は自分の仮面を指さしながら前進するからである」)。あと、この頃のこちらは、そのバルトの『声のきめ』などを読んだ影響で、いわゆる現代思想の風味をまぶした「文学的」な表現みたいな語彙を、〈〉という括弧にくくってたびたび使っており、それがわりとうざったい。バルトの訳本を真似して、個人言語というか、あまり一般的でないと思われる自分独自の言葉遣いみたいなものをそのようにして特殊化してあらわすことに気が向いていたようだ。
  • その後零時前からこの日のことを記述した。一時四〇分まで二時間弱。そうしてからだも疲れたので切りとし、翌日が日曜だから気がゆるんだようで久しぶりにだらだらとした夜更かしをしてしまい、消灯が三時五〇分まで後退してしまった。ひとまず三時一五分まで今日(一月一六日)はもどしたいのだが、果たせるかどうか。やはり性質として夜に親和的な心身なのか、深夜の時間が短く終わってしまうのがもったいないというような感覚がある。