2021/1/22, Fri.

 (……)彼は完全なドイツ人ではなかった。だが完全なドイツ人、完全なユダヤ人がいるだろうか? それは単なる抽象概念でしかない。一般的なものから特殊なものに移行する時、常に刺激的な驚きが待ち構えている。輪郭のない、幽霊のような相手が、目の前で、少しずつか、あるいは不意に形を取り始め、厚み、気まぐれ、異常、破格構文を備えた同胞[ミトメンシュ]になる。(……)
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、329; 「20 ヴァナディウム」)



  • 「厚み、気まぐれ、異常、破格構文を備えた同胞」。
  • 正午過ぎに至った。また夜更かしが深くなってきているせいだろう。一時はせっかく二時半まですすめたのに、また消灯が遅くなって四時直前となっている。ふたたびだんだんとはやめていきたい。やはり心身を調えるということが最優先だ。日記など、もろもろのやりたいことやらなければならないことに縛られず、とにかくからだをいたわってしずかにするということを生活の中心に据えたほうが良い。それが習慣化して持続され、心身のコンディションが一層まとまっていくうちに、やりたいことやらなければならないこともおのずと高いパフォーマンスで取り組めるようになるのではないかと期待している。
  • 遅くなったので瞑想は省いた。上階に行くと父親が台所で、四角い卵焼き器を使って卵を焼いていた。半分食うかというのでもらうことに。ジャージに着替えたあと洗面所で丁寧にうがいをする。そうして食事。ものを食べながら新聞からジョー・バイデンの就任演説の和訳全文を読んだが、けっこう長かったし、テレビの音に意識を逸らされてあまりうまく読めなかったので、半分くらいで切った。もちろんスピーチライターがいるのだと思うが、悪くなく良心的という印象。アウグスティヌスを引いて、人間は愛を向ける共通の対象によって特徴づけられると言いつつ、米国民を特徴づける共通の愛の対象とは、尊厳だとか真実だとか言うあたりは、基本的ではありながらも悪くない気がした。キリスト者のひとびとに対するアピールもできるわけだし、実際、バイデンはわりと真面目なキリスト教徒だったと思うので、彼がアウグスティヌスを出しても突飛でわざとらしいという感じはしないのではないか。反対派のひとびとに対して、これからの四年間で私や私たちの言うことに耳を傾けてほしいと呼びかける身振りも、やはり必要で大事なことだろうと思う。私たちを見極めてほしい、その上で意見の相違が残るならそれはそれで構わない、ひとびとの意見が多様に食い違うことは米国の強みにほかならない、ただ、その意見の相違を致命的な分断につなげてはならない、という言い分。わりと悪くない言葉の流れだったように思う。
  • 皿と風呂を洗って帰室すると、Notionで日記を用意したのち、ボールを踏みながら飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)を読んだ。四〇分少々で二時まで。詩全体としてのシニフィアン、すなわち統合的な意味や、そこに提示された言葉が、その外部からであれ内部からであれたくされているはずの思念・思想・心情などはよくわからないことが多いのだが、まずはそこに記されていることをよく見据えて、その射程とかつながりとか断絶とかニュアンスとかを見分け見極めることが第一歩だろうというわけで、文字をじっくりと見つめるように読んだ。詩篇の部は終え、散文の章へ。最初はハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶で、これは例の有名な、あらゆる喪失にもかかわらず言葉だけが残りました、という発言をふくんでいるスピーチだ。おなじくあまりにも有名な、投壜通信の比喩もここにふくまれていた。
  • 二時で洗濯物を入れに上へ。この頃には雲が多く流れて空気は白っぽい色に寄っていたのだが、ベランダの端にはそれでもあかるみの線条が見られたし、首の裏に温もりがほのめく瞬間もある。晴れ晴れしくはないのだけれど空気はあきらかに温かく、穏和で、流れるものの質感もやわらかくほどけたような感じだった。
  • 洗濯物を片づけたあと、便所で糞を垂れているあいだに、「(……)」というタイトルの詩のアイディアを思いついた。アイディアというか、そんなに大したものではなく、ただこちらの性分をイメージにたくして語るだけのものだが。
  • もどってくると今日のことをここまで記述。二時半過ぎ。五時には労働に行かなければならない。今日は音読をきちんとやりたい。あとは先にも書いたように、ストレッチなどをじっくりやってからだをまとめる。それでだいたい時間は尽きるのではないか。日記は二〇日から完成できていないし、兄へのメールも返信できていないのでよろしくはないのだが、明日明後日が休みなのでわりと余裕はある。
  • そのまま間髪入れず調身に入った。合蹠を丁寧にやるのがやはり基本だ。あと今日は腕から肩にかけてもよく伸ばした。プランクも一回か二回。板のポーズすなわちプランクは、合蹠と同様、おりにふれて頻繁にやるのが本当は良いのだろう。しかし、毎日けっこう入念にからだを伸ばしほぐしているはずなのに、一夜通過すると肉がまた固まり、冷えているのはどういうわけなのか。それでも以前より強張り方はよほどマシで、固くなっていてもちょっと伸ばせば簡単にほぐれるようにはなってきていると思うが。左右に開脚して太腿上、ほぼ膝先のあたりに手を置き、やや前傾するようにして力を入れる姿勢も、基本的だが大事だ。要するに力士が四股踏みで足を下ろしたあとの姿勢みたいなやつである。これをやれば、脚の筋もそうだが、肩の筋もけっこう刺激できる。
  • 五〇分ほど柔軟して三時半になったので上階に行き、「どん兵衛」の鴨出汁蕎麦を用意して帰室。ウェブを見ながらそれを食ったあとは音読。「英語」である。本当は「記憶」のほうも読まなければならないのだが、英文のほうが読んでいて面白いので、もしくは気持ちが良いので、そちらばかり読んでしまう。音読もやはり毎日やるべきだ。とりわけ外国語を身につけるとなると肝要だ。さっさと英語の能力を高めるだけ高めて、次の言語に行きたい。ドイツ語をやらなければならないなと思っている。フランスも捨てがたいしいずれやりたいが、ムージルの「合一」の二篇と、ハイデガーと、何よりもローベルト・ヴァルザーのことを考えるとやはりドイツを先にしなければならないだろう。ローベルト・ヴァルザーが書き残した文章はそのすべてを読む。すべてだ。
  • 音読して四時四〇分を越えたので身支度。スーツに着替えて出発へ。居間の食卓灯をつけ、カーテンを閉ざしておく。洗濯物も半端に放置するのでなくすべて片づけたいし、今日だったら勤務に行く前に味噌汁くらいつくっておきたかったのだが、そのためにはもっとはやく起きて時間的余裕を確保しなければならない。家を出る前に便所に入って小便を放っていたが、そのあたりから、やっぱり売れる小説をつくって金を稼ぐしかないのでは? という皮算用がまた脳内を訪れていた。死ぬまで毎日生を記し、文を読んでは文をつくる生活を、いまのところは続けていくつもりでいるわけだけれど、正職に時間を割く気はないから、このまま行けばギリギリの貧困生活で綱渡りを続けていくか、ディオゲネスの末裔たる族 [うから] の一員、すなわちホームレスになるか、死ぬか、(……)で無料提供されているというボロボロの空き家に棲むか、過疎地に行って農業をやるか、実家に寄生しつづけるか、生計をほかの他人に依存しながら生きていくか、だいたいそのうちのどれかになるわけだ。できればギリギリの稼ぎで文章を金にすることなく生きていきたいのだけれど、歳を取って以降もそれを続けるとなると厳しいだろう。こちらがこの浮世を渡っていくためにそなえているたづきと言ってしかし、多くの他人よりもたくさんの文をつくってきたということ、言葉のつらなりを生むことに多少は馴染んでいるというくらいのことしかない。だからやはり、金を稼ぐことを目的としていくつか作品をこしらえるよう目指すほかないのではないか。本当は嫌なのだが。売れる物語をつくるとなったら、ともかくもまずは直木賞を取っている作品をいくつか、もしくはいくつも読まなければならないだろう。あとはいまだったらやはり漫画。人気になって莫大な、とまでは行かずともそれなりの金を作者のもとに届けている漫画作品をたくさん読んで、面白く、人口に膾炙する物語の方法論を学ばなければならない。とりあえず直木賞作品はどれか読んでみようかなとは思う。ちょうど昨日だか一昨日だか、今回の受賞者も発表されていたし。正直あまりやる気にならないが。芥川賞のほうは例の『推し、燃ゆ』というやつだった。
  • そういう皮算用をしながら夕刻路を行く。寒気というほどの冷たさは感じなかった。今日はやはり比較的暖かかったのではないか。坂道に鳥の声は今日もない。わりと猶予があったので、急がずゆっくり歩を踏んで上っていく。最寄り駅に着いて階段にかかると、淡青の西空を背景に近間に立った木の先端が黒く際立ち、常緑樹らしく残っている葉の、不規則にこまかく曲がり折れる輪郭を持った影が、いくらか燃え伸びたまま停まった火の動きの影像と見える。空には雲が塗られているものの、西の下端はきちんと磨かれた墓石の表面みたくまっさらで、一層淡い、白混じりの水色に澄んで清涼、そこから東のほうに向きかえれば、あきらかに日が長くなったことがわかる。駅前の道路や家や宙を包んでいる青味の暗さが先日よりも一見して軽く、大気はまだあまり沈んでいなかったのだ。ホームに入ってベンチに座ればしかし、正面にあたる北の丘の周りはもう宵で、その足もとにある家は二階の窓がヒーターを思わせるオレンジ色に染まっており、そこにすっと人影がひとつ生まれると、電車が入ってきて見えなくなるまで動かなかった。
  • (……)へ。ホームを行く。この数分の間にももう暮れていて停まっている電車の向こうの暗さが濃くなったが、空の青味もまだ強い。駅を出て職場へ。勤務。(……)
  • (……)
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  • 一〇時過ぎに退勤。急いで駅へ。電車に乗り、最寄りに着いて下車。月が頭上、西よりに出ていた。下に弧を向けた三日月、もしくはそれより少々太った月で、雲もあるようでいくらか煙糸に巻かれたようになっていた。駅を抜けて木の間の下り坂を急がず行く。前をさっさと下りていく男性の吸っている煙草のにおいが、マスクをつけていても鼻に入ってくる。それは悪い香りではない。平らな道に出てからふたたび月を見たが、先ほど駅で見上げたときよりもなぜかあきらかにオレンジもしくは朱色の色味が強くなっていた。煙糸に捕らえられて曖昧な光を身のまわりに引っかけているのは同様。
  • 帰宅すると飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)を読みつつ休む。いつもどおりである。その後、食事へ。新聞でジョー・バイデンの就任演説を最後まで読んだが、やはりなかなか悪くないスピーチのように思われた。American Anthemという曲の一節が引かれていた。たゆまぬ「努力と祈り」の無数の積層の上にいまの我々がある、我らもそれを続け、次につなごう、我々の時代が終わったとき、子どもたちは私たちのことを口にし語るだろう、おお、アメリカ、アメリカよ、私は最善を尽くした、みたいな感じの歌詞で、自分にとって特別で、重要な意味を持つ曲であり言葉だとバイデンは言っていたと思う。現在の危機にどのように対応したか、どのように取り組んだか、その解決に向けてどのように努力したかによって、私たちは「裁かれる」ことになる、とも彼は言っていて、この「裁かれる」という言葉選びには、やはり遠く、キリスト教徒としての観念が響いているような気もする。あと、最後のほうで、「歴史の呼び声にこたえる」という言い方を彼はしていて、つまり現在の状況に対してなすべきことをなしていくらかなりとも良い方向に持っていくことに成功すれば、のちのひとびとは私たちを、歴史の呼び声にこたえたのだと語ってくれるだろう、みたいな文脈だったと思うのだけれど、この言い方はちょっと格好良いなと思った。
  • American Anthemについていま検索してみると当然色々話題になっているわけだが、これはGene Scheerというひとが書いたものらしく、Wikipediaによれば、〈American Anthem, written by Scheer in 1998, was first performed by Denyce Graves for President Bill Clinton and Hillary Clinton at the Smithsonian Institution, launching President Clinton's “Save America's Treasures” initiative〉とのことだ。二〇〇三年にはTake 6がやり、二〇〇七年にはNorah Jonesも、Ken Burnsという人が手掛けたThe Warというドキュメンタリーのなかで歌っているらしい。
  • あと、バイデンは、新しいアメリカの物語を語ろう、実現していこうというようなことを呼びかけていて、それは礼節と尊厳の、愛と癒やしの、そして何よりも真実の物語だ、と言っていたのだけれど、このなかではやはり礼節と尊厳という言葉が一番こちらの感性にふれる。特に尊厳。
  • 食後は入浴して帰還。久しぶりに熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)の書抜きができた。当然のことだが、外出して活動して帰ってきたあとは、ストレッチをきちんとやっていても、どうしても脚とか腰とかが疲れていて、デスクの前で椅子に座っていても腰の両側がこごってわだかまっているような感じが湧く。だから本当はやはり、さっさと寝るか、すくなくともベッドに移って書見の時間にしたほうが良いのだろう。立位で打鍵するという手もあるが。この日はそれでも水曜日のこととこの日のことをすこしだけ書き足し、ツェランをほんのすこし読みすすめて三時四六分に消灯。