2021/1/25, Mon.

 (……)写真は、漠とした夢想のようなものをわたしのなかに起こさせる。夢想の単位は、歯、髪、鼻、瘦身、長靴下をはいた足、などである。それらは、わたしのものではないのだが、しかしわたし以外の誰のものでもない。それゆえ、わたしは不安にみちた親密さという状態におちいる。わたしは主体の裂け目を〈見る〉(その裂け目そのものについて、主体は何も言えない)。その結果、青少年期の写真はきわめて無遠慮なものとなる(下にひそむわたしの身体が、自分を読みとらせようとするからだ)と同時に、たいへん慎みぶかいものでもある(写真は「自己」について語っているのではないからだ)。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、5~6)



  • ちょうど一一時頃覚醒。だいたい七時間で正式な目覚めを得られているわけで、悪くはない。ただ思ったのだけれど、やはり夜半を過ぎてからはもうなるべく完全に書見の時間としてしまって、ベッドでからだをいたわったほうが良いんではないか。特に勤務のあった日はけっこう疲れているわけだし。零時を過ぎてからデスクに就くのはなるべく短くしたほうが良いかもしれない。そんなことを言うなら、本当はもうさっさと寝てしまったほうが良いのだろうが、しかし深夜というのは魅力的な時間だ。書見か、コンピューターで何か読むか、最悪ウェブをぶらぶら回って怠けても良いのだが、いずれにしてもからだをよく休めほぐしてから眠りに向かったほうが普通に良いだろう。
  • ちょっとごろごろ布団のなかにとどまり、首を左右にかたむけて伸ばしたりしてから起き上がった。一一時二六分から五〇分まで瞑想。悪くない。今日は時間も二四分取れた。自分のからだの上もしくはなかに絶えず発生する微細な胞子のような、泡のような感覚の諸片をキャッチしつづけること。それがやはり基本だ。長く座っていると、呼吸もなぜかスムーズに、ひっかかりがすくなくなってくる。あと、呼吸においては吸うときに交感神経が働き、吐くときに副交感神経が働くので、リラックスしたい場合はゆっくり長い時間をかけて吐くのが良いという話が一般に膾炙していると思うけれど、身体の感覚を見てみてもたしかにそんな感じはする。つまり、息を吸うと横隔膜を中心として筋肉がいくらか張るような感じになり、言ってみればからだが構えを取るのに対し、吐くときはそれらが弛緩して構えが解かれるような感じを受ける。
  • 上階に行って納豆などで適当に食事。新聞一面。中国のいわゆる「千人計画」を受けて、科研費申請の際に、海外から研究費をもらっている場合やもらう予定がある場合はそれを明確に報告するよう義務づける方針、とのこと。二〇二一年度からで、二一年度の申請はもう大方終わり、審査がはじまっていると言う。昨年のデータだかいつだか忘れたが、科研費申請はたしか一〇万超の申し込みがあり、そのなかで二万だったか忘れたがそのくらいが認められ、二二〇〇億円ほどがそれらに割り当てられたと書かれてあった気がする。ほか、台湾関連とか、ロシア関連とか、気になる話題はあったものの、まだ読んでいない。
  • 風呂を洗って帰室。LINEを見ると(……)くんが、聞いてみてくれと言ってS.L.A.C.K.のファーストとセカンドのデータを送ってきてくれていた。ダウンロードし、礼を返す。S.L.A.C.K.という名は、名前だけは見たことがあるが、それ以上何も知らない。いまは5lackという表記になっているようだ。
  • 一時過ぎから書見。最初はゴルフボールを踏みつつ、飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)のメモ。メモ書きも、ともかくもなんらかの意味で気になった箇所はチェックしておいて、できれば日記にも、写すだけは写しておいたほうが良いだろうと思っているのだが、まずもって日記を現在に追いつけることすら満足にできていない現状である。本当は現在に追いつけて余裕が生まれたら読んだ本からのメモも写そうという気でいたのだけれど、そういう方針だとたぶんいつまで経ってもそのフェイズに入れない。だからやはり、その日取ったメモはその日の記事に写すようにするほうが良いのだろう。まあべつにそんなにきちんとやらなくたって良いと言えば良いのだけれど。また、コメントというか、気になった言葉から生起した思念を綴っているとそれはまた時間がかかるので、とりあえず気になった言葉を写すだけ、というやり方にとどめたほうが基本的には良いはず。
  • ツェランを途中までやったあとは、ポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)。まあ面白い。フッサールもなんとなくこちらは読みたいというか、重要なのではないかという気がしている。まあそれは、いまのところは単に、ハイデガーと対立し、ナチスにくみしなかったというその一点から来ている関心なのだろうけれど。また、このド・マンの文章のなかでは、みずからが述べている哲学の本来的な自己反省性をみずからに適用することができておらず、哲学という領野で見たときにヨーロッパ地域の特権性・優位性を盲目に前提しているという意味で、否定的な例として取り上げられているのだが。いや、否定的、というのは当たらないかもしれない。そうではなくて、ド・マンがこの本で論じている「盲目と洞察」のまさしく典型的な一例として軽く触れられている、という感じだ。ド・マンが論証しようとしているのは、どうも、言語というもの、言語活動というものが、本質的にそのような構造を招来し、そのようなかたちで成立せざるをえない、ということのようだ。それはたぶん、ゲーデルとかともかかわってくるのではないかと漠然と予想するし、また、ひらたく言えば言行一致の問題(朱子学の用語で言えば知行合一の問題)、すなわち、人間は言うこととおこなうことを(完全に、あるいはそこまでは行かずとも、すくなくとも十分に)一致させることは決してできない(のではないか?)、という話(問い)にも当然つながってくるはずで、つまりは倫理的領野に踏みこんでいくことになるはずで、こちらが一番関心をいだいているのはおそらくその方面なのだと思う。
  • 二時半まで読み、洗濯物を入れに。今日は空気が暖かい。ベランダに出れば風はあったが、冷気が結ばれることもないし、今日は起きた直後から足先も冷えていなかった。ほとんど三月を、春に踏み入る直前を思わせるような陽気。タオルほかをたたんで片づけておくと、おにぎりをつくり、帰室して摂取。それから三時を越えるとここまで今日のことを記述し、三時四二分。
  • 出勤路まで飛ぶ。この日は行きも帰りも徒歩を取った。やはり歩かねば駄目だという断固たる決意を固め、今日は何があろうと行きも帰りも歩くと定めた。電車に乗る気が起こらないように、SUICAも持たなかったくらいだ。それで久しぶりにゆるゆる歩いていく。この夕方はまだ大して寒くなかった。大してというか、寒さの感覚はなかったと言っても良いくらいだったと思う。薄青い夕空にもう月が出ていた気がするのだが、よくおぼえていない。(……)さんの宅のそばの坂には八百屋が来ていて、久しぶりに行き逢ったわけだが、以前よりも坂の上のほうにトラックが停まるようになっており、距離があったので挨拶はせずに過ぎた。街道との交差部でしかし、表に出ずに反対側の裏道に折れる。歩くのは良いのだが、どうせ歩くなら、なるべくしずかにひとりで歩きたい。いつもたどっている街道北側の裏通りは下校する高校生らがよくいてにぎやかだし、表は表で車の風切り音がやはり騒がしい。となると南方面しかない。いくらか遠回りになると思うのだが、今日はそちらを通ってみた。そうすると、もう薄暗く暮れかけた夕方のことでもあるし、人影は全然なく、ガードレールの向こうが深く沈んで大きな木々が何本も並んでいるその横を通りながら(木々の先の下方は川になっているはずだ)、やはり歩くというのはとても良いなと思った。歩くことがすばらしいのは、どんな時間よりもひとりになれるからである。ほかに高度にひとりになれる時間としては、風呂に入っているときと眠っているときがあるが、外を歩いている時間がそのなかでは一番良い。ゆっくり歩いていると、意味の拘束と束縛が、もちろん完全にないわけはないけれど、相当程度ゆるく、弱くなる。つまり、歩行とは自由の運動だ、ということだ。散歩でなく、移動のために歩いていても、そうである。
  • 中学校の横を下っていき、グループホームの類や家々や集合住宅のあいだを通っていく。歩きながら、(……)くんが今月までで退職するということを思い出して、メッセージカードに書く文言を考えていた。(……)グラウンドのそばまで来ると、このあたりは相当久しぶりに来たので不思議ではないが、見慣れないような家の姿が散見される。突然、道の右側から猫が二匹飛び出してきて、左方のガードレールで止まったかと思うと、一匹は間を置かずそのまますぐにもと来たほうに帰っていったのだが、もう一匹はガードレールの下に残っている。近づいて目の前で止まってみると、たぶん人懐っこいタイプのようで、逃げようとせずにこちらを見つめながらミャアミャア鳴き声を出していた。戯れたい気もしたが、時間も気になったのでちょっと見つめただけで先に進む。
  • 街道から下ってくる南北方向の坂に行き当たる前に、名前を忘れたがまだ比較的新しい寺がある。もう何年も前に建っていたはずだが、明確に意識して見るのはこれがはじめてだった。住宅地のなかに新しく建てられているので、敷地としてはさほど大きくなく、塀も高くないものの、なかに構えている堂の姿は、小さめながらになかなかどっしりとしており、軒にあたる屋根の縁のつくりなども立派に見え、ぎゅっと充実して堂々としたたたずまいという感じだ。通り過ぎながら、堂を正面のほうから見ると、寺の本堂というよりも神社の社殿のような印象を持った。
  • 坂道に当たるとちょっと北の方、つまり街道側に上り、東に渡るとまた裏道に入って行く。前からめちゃくちゃうるさい排気音を撒き散らすバイクが高速でやってきて、その音がマジでうるさく圧迫的で、響きを浴びせられて心臓がいくらか動揺するくらいだった。小公園の脇を過ぎ、まだやっているのかわからないが駄菓子屋の前も過ぎ、そのあたりで、歩くことは自由で良いのだが、しかし存在すること自体がそもそも面倒臭いという感じもやっぱりあるよなあ、と思った。それは希死念慮とはたぶん違うもので、強く死にたいとは思わないし、自分や他人や世界を憎むような負の感情でもないのだが、存在していること自体が重く、わずらわしいものに感じられ、疲労感がけっこうあるというか。おそらくは、倦怠、という言葉が当てはまるのだろう。存在、というよりは、主体としてあることの、と言うべきなのだろうが。最近の、しずかになりたいとか、自分がいずれ消去されることを思うと安息感を得るとか、そういう志向はこれに結びつくもので、要するに、存在していることをやめたいという欲望なのだろう。それが、精神分析理論で言うところの死の欲動とおなじものなのかどうかは、死の欲動がどういうものなのかをよく理解していないのでわからない。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • そういう色々のために退勤はかなり遅くなり、一〇時半頃だったはずだ。先述のように、今日は何が何でも歩いて帰ると思い定めていたので、徒歩を実行した。最初のうちは、夜になればやはり寒いは寒いが、からだは大して冷えないし、耳も凍りつくというほどではないから問題ないなと思っていたのだが、一〇分二〇分歩いているとやはり耳がじんじんと、ノイズ的な感触でひりつき痛くなってきて、これでは耳当てがなければ帰路の徒歩はきついわと判断を変えた。しかし耳当てなど使ったことも買ったこともない。昔はそんなものを使わずとも毎夜、冬でも電車に乗らずに歩いて帰っていたのだが、あの頃のこちらの精神はなぜそんなにも鈍感だったのか。耳だけ防げばあとはどうにでもなりそうなので、そのうち入手するのも良いだろう。
  • 帰宅後に大した記憶はない。ポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)をほんのすこしだけ読みすすめた。二時半頃からも読んだのだが、このときはツェランのメモを終えたあと臥位でド・マンに移ると、いつの間にか意識を失っていた。よくおぼえていないが、たぶん三時五〇分頃に復帰したはず。そのまま消灯して眠った。

     *

飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)。

  • この本を読んだなかで一番記憶に残った言葉もしくは比喩は、61の、「けものの乳首のようにきららかに」。これには、遭遇した瞬間、ちょっとビビった。刺されたような感じがあった。
  • あととりわけ印象深いのは、123~124の「心づかい」と、127、144の文句など。
  • 46: 「眠りが/押し寄せて来た。」(「迫奏 [ストレッタ] 」)
  • 48: 「来た、来た。/言葉が来た、来た、/夜闇を縫って来た、」(「迫奏」)
  • 53: 「僕らは/からまりあいを弛めなかった、ただなかに/さらされていた、一つの/気孔体、すると/それは来た、言葉は来た、」「僕らをめざして来た、夜闇を/縫って来た、(……)」(「迫奏」)
  • 54: 「(……)世界は/新たな/時刻との賭のために、/その内奥までをさらけ出した。(……)」(「迫奏」)
  • 61: 「ひとつの目が、彗星のように、/消え絶えたものめざしてくるめきとんだ、/それが燃えつきたところ、峡 [はざま] には、/けものの乳首のようにきららかに、時が立っていた、」(「ぼくらにさしだされた」): 「けものの乳首のようにきららかに」。
  • 101: 「しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来て、しかも、起こったことに対しては一言も発することができないのでした、――しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けて来たのです。抜けて来て、ふたたび明るい所に出ることができました――すべての出来事に「豊かにされて」。」(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」)
  • 「迫奏」にもあらわれているわけだが、パウル・ツェランにとって、(言葉が)「来る」「来た」ということはひとつの大きなテーマなのではないかという気がなんとなくしている。「到来」のテーマ。「到来」を英語にすればadventであり、それは同時にキリストの降臨を意味する。「到来」や「出現」はまた、おそらく、「開示」ともつながるのではないか。「開示」において主語になることが多いのは、「真理」であり、ギリシア語で言えば、アレーテイアである。
  • George Steinerが、Hadrien France-Lanord, Paul Celan et Martin Heideggerという本を書評した記事(https://www.the-tls.co.uk/articles/paul-celan-et-martin-heidegger-book-review-hadrien-france-lanord-george-steiner/(https://www.the-tls.co.uk/articles/paul-celan-et-martin-heidegger-book-review-hadrien-france-lanord-george-steiner/))によれば、"And in the Letter on Humanism, Celan selects for emphasis what could well be the motto of his own poetics: “Language is the illuminating-concealing advent of being itself’."とのこと。ツェランは、ハイデガーの反ユダヤ性やナチズムへの傾斜・加担を明確に認知しながらも、彼の著作を読み、さまざまな部分にアンダーラインを引きながら研究しつづけていたと言う。
  • 102: 「詩はたしかに永遠性を必要とします、しかし、詩はその永遠性に時間を通り抜けて達しようとします。時間を通り抜けて [﹅5] であって、時をとびこえて [﹅5] ではありません」(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」)
  • 103: 「みずからの存在とともに言葉へ赴く者の努力」(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」)
  • 104: 「芸術 [クンスト] 、それは、(……)子供をなさぬ性質のものです〔ビューヒナー作『ダントンの死』第2幕参照〕」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 105: 『レオンスとレーナ』にかんして: 「わたしたちはなにしろ「楽園への逃亡の途上」にあり、「時計とかカレンダーとか」は「すべて」いずれは「叩きこわされる」か「禁止になる」運命なのですから」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 106: 「変幻自在な、いつまでもしたたかに生きのびる、いうなれば永遠の問題」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 109: 「人間的なものの存在を証明する不条理なものの偉大さ」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 110: ビューヒナー『レンツ』より: 「……つくられたものが生命を持っているという感じは、美醜の判断の上に立つものであり、芸術的な事柄における唯一の基準である……」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 111: 『レンツ』にかんして: 「「最もとるにたらないものの生」とか、「こきざみなふるえ」とか、「ほのめかし」とか、「微細なほとんどそれと見分けられない表情」とか(……)」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 112: 『レンツ』より: 「自分は昨日谷に沿って上って行ったが、石の上に二人の娘が座っているのを見た。一人が髪を結い、もう一人がそれを手伝っていた――金色の髪が垂れていた。真摯な蒼白い顔。だがとても若い。それに黒い服装。もう一人は念入りに面倒を見てやっている。最も素晴らしい、最も魂のこもった古代ドイツ派の絵画といえども、このような佇まいのほんのひとかけらをもあらわすことはできまい。このような二人連れを彫刻に変えて人びとに呼びかけるためなら、メドゥーサになってもいいくらいだ」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 116: 「リュシールは言葉を姿、方向、息として感じとります」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 122: 「ラディカルではあっても同時にまた言葉によって画される境界や言葉によってひらかれる可能性を記憶しつづけるところの個人的なしるしを帯びた、解き放たれた言葉」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 123~124: 「詩がおのれに出会うすべてのものに対してはらおうとする心づかいは(……)わたしたちすべての日付を記憶しつづける集中力なのです」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 124: 「「心づかい」――ここにヴァルター・ベンヤミンカフカ論からマールブランシュの言葉を引くことをお許し下さい――「心づかいとは魂のおのずからなる祈りである」」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 上の二項目で述べられている「心づかい」は、おそらく自分にとって非常に重要な概念である(非常に重要な概念にこれからなっていくだろう)。ある種の対象や瞬間に対して「心づかい」をはらうという態度をおそらくいままでそれなりに実行してきたとは思うのだが、そうした態度をこの言葉で考えたことはなかった。ヴァルター・ベンヤミンカフカ論の翻訳にはしかし、この語は記されていない。いわく、「もしカフカが祈らなかったとすれば――実際のことはわれわれに知る術もないが――、それでも彼にはマールブランシュが「魂の自然な祈り」と呼ぶものが最高度に身についていた。すなわち注意深さが。そして彼はそのなかに、聖者が祈りのなかに包みこむように、すべての被造物を包みこんだのである」(ヴァルター・ベンヤミン/西村龍一訳「フランツ・カフカ」、『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(ちくま学芸文庫、一九九六年)、153)。ここで「注意深さ」と訳されている語が、おそらく「心づかい」にあたるのではないか。
  • 127: 「芸術とともにひたすらおまえ自身に固有のせまさのなかへ入れ、そしておまえ自身を解放せよ」(「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)
  • 137: 「やあ、いつも同じこと [イデンティテート] のくりかえし屋さん!」(「エドガー・ジュネと夢のまた夢」)
  • 138: 「過去何世紀にもわたるこの世界の嘘の滓を洗い落した末の初源的な光景」(「エドガー・ジュネと夢のまた夢」)
  • 140~141: 「もっとも隔たった精神の各領域から、さまざまの言語や形姿、さまざまのイメージや身振りが、夢のようにヴェールをかぶって、夢のようにヴェールをぬいで、やって来(end140)ることが願わしいのだった。それらが疾駆のうちに出会い、異なるものが最も異なるものと結婚させられたために世にも不思議な火花が誕生するなら、ぼくはその新たな輝かしさの奥をのぞきこみ、その輝かしさもぼくを不思議そうにのぞきこむだろう」(「エドガー・ジュネと夢のまた夢」)
  • 144: 「一輪の花を一人の人間に贈ることを知る者はいく人もいる。しかしはたして何人が、一人の人間を一輪のカーネーションに贈ることもありうると知っているだろうか?」(「エドガー・ジュネと夢のまた夢」)
  • 147: 「ぼくらはいくたびとなく護衛であることを誓った――何本もの耐えがたい旗の熱い影の下で、一人の知りもしない死神の逆光を一面に浴びて、聖なるものであると宣せられたぼくらの理性の高い祭壇のかたわらで」(「エドガー・ジュネと夢のまた夢」): 「一人の知りもしない死神の逆光」

     *

ポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)。

  • 第Ⅰ章「批評と危機」。
  • 36: 「というのも記号と意味とがけっして一致しえないという言語についての言明は、文学とわれわれが呼ぶ種類の言語においてまさに当然視されていることだからである。文学は日常言語とは異なり、こうした知の反対側で始まる。それは、無媒介の表現という誤謬から解放された唯一の言語形態なのである。われわれは誰もがこのことを知っているが、それを知るのは、それとは反対の主張を望ましく思うという仕方、そのような誤解を招く仕方においてである」
  • → 23: 「ヨーロッパ大陸の批評の傾向は(……)次のように手早く要約することができる。すなわちそれは、詩的ないし文学的意識がなんらかの仕方で特権的な意識だという考え方に対する方法論的に動機づけられた攻撃を表している、と。そうした意識によるなら、文学的な言語使用は、日常の言語使用において当然視されている二義性=二枚舌、混同、虚偽から、ある程度まで免れていると称するのである。周知のように、われわれの社会的言語の全体は、もろもろの欲望の直接的表出から免れるようにできている修辞的な諸装置のひとつの入り組んだ体系である。そもそもそのような欲望は、その言葉の十全な意味において名指しえぬものなのだ――それが倫理的に恥ずべきものだから(だとしたら問題は非常に単純だが)というのではなく、無媒介の表出などというものは哲学的に不可能だからである」
  • → 26: 「人類学の間主観的な解釈行為においては、ひとつの根本的な齟齬によって、観察者はつねにみずからが観察している意識と十全には一致しえなくなる。同様の齟齬は日常言語にも存在しており、実際の表現は、表現されねばならないことと一致しえず、実際の記号は、それが意味しているものと一致しえないのである」
  • → 27: 「日常的なコミュニケーションの言語においては、意味に記号が優先するのか、記号に意味が優先するのか、いかなるアプリオリに特権的な立場も存在しない」
  • → 28: 「(……)次のことを示すことが至上命令になる。すなわち、文学はいかなる例外もなすことはなく、文学言語は、日常言語の形態に対して統一性や真理という観点からけっして特権化しえないのだ、と。とすれば、構造主義の文芸批評家にとっての課題はごく明白なものとなる。つまり彼らは、構成的な主体を抹消するために、記号と意味(シニフィアンシニフィエ)のあいだの齟齬が、日常言語と同じように文学言語にも偏在しているということを示さなければならないのである」
  • → 29: (構造主義の批評家たちによれば)「詩の言語においては記号と意味が合致しうる、あるいは少なくとも、美と呼びうるような自由で調和した均衡のうちに相互が関わり合うことができる、といった信念の誤謬は、ロマン主義特有の幻惑だといわれる」
  • 36: 『イーリアス』のヘレネーについて: 「彼女の美しさは、あらゆる未来の物語 [ナラティヴ] の数々がもつ美を予示しており、その場合この美は、それら自身の虚構的本性を指示するような諸実体として示されるのである」
  • 38: 「ロマン主義的」と呼べる類のテクストにかんして: 「ここでは意識は、なにものかの不在から生じているのではなく、無の現前から成っている。詩的言語は絶えず理解を更新しつつこの虚無を名指すのであり、ルソーの憧憬と同様、けっして倦むことなくくり返しそれを名指し直すのである。この永続的な名指しこそ、文学とわれわれが呼ぶものである」
  • 38: 「しかしフィクションは神話ではない。というのも、それは自身がフィクションであると知っており、フィクションとしてみずからを名指すからである。それは覚醒 = 脱神秘化ではない。それは最初から覚醒 = 脱神秘化しているのである」
  • 39: 「レヴィ = ストロースは、理性を擁護するために主体の概念を放棄しなければならなかった。レヴィ = ストロースによれば、主体とは、実のところ「仮想的な焦点」であり、存在者のふるまいに一貫性を与えようとして学者たちが与えたたんなる仮説にすぎない」
  • 39: 「仮想的な焦点は、自己から独立して存在するプロセスに、合理的な完全性を与えるべく措定された疑似客観的な構造なのである」