(雄牛は、おとりが目の前にぶらさげられると、その赤色を見て怒り狂う。怒りの赤とケープの赤という二つの赤色が合致しているのである。雄牛は、類似性のただなかに、つまり〈想像界のただなかに〉いる。わたしが類似性に抵抗しているとき、じつは想像界に抵抗しているのだ。すなわち、記号の癒着性であり、シニフィアンとシニフィエの相似性であり、イメージの同形性であり、「鏡」の作用であり、人を魅きつけるおとりである。類似に頼るあらゆる学問的解説は――それが多数をしめているのだが――おとりの性質をもっている。それらが「学問」の想像界をかたちづくっている。)
(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、50; 「類似という悪魔(Le démon de l'analogie)」)
- 「雄牛は、類似性のただなかに、つまり〈想像界のただなかに〉いる」というのは、こういうことだろうか。ものそのもの、おそらくラカンが言うところのいわゆる「現実界」の水準で考えれば、個々のものや事象や存在に、類似する点は何もない。それぞれのものは完全に独立し、共通・共有するところを何も持たない、絶対的に自体的かつ唯一的なものとして存在している。本来そのようにしてあるそれらのあいだに類似が見出せるようになるのは、言語によって、すなわち意味論的水準の導入によってである。「怒り」と「ケープ」には、本来共通する要素は何ひとつとしてない。ところが、雄牛にとっては、「赤」という色彩における「類似性」の認識によって、また、その「赤」にふくまれた感情的意味作用によって、それらのあいだが自動的に接続されてしまう。人間の場合にも、複雑性に差はあれ、これとおなじことが起こっている。すなわち、ひとが物事と物事をつなげ、結びつけて認識し、考えることができるのは(ということはつまり、この世界をこの世界として認識論的に成立させることができるのは)、言語と意味のおかげである。「記号の癒着性」という言葉はそのような内容を示している。上の引用を読み返しながら、そういうことを考えたが、正確に合っているのかはわからない。『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読んだ時点ではまだ精神分析理論にほぼ触れておらず、「想像界」とか「現実界」とかいうタームの意味もつかめていなかったと思うが(いまもそう変わってはいないが)、(……)さんのブログを通じてすこしだけそちらの方面の知見に触れてきたので、新しく上のような思考が湧いてきた。
- 一二時四〇分の起床となった。昨晩は三時二〇分に消灯している。久しぶりに九時間以上の滞在になってしまったが、なぜそうなったのか理由はわからない。やはり勤務で疲労していたのにくわえ、Woolf会でコンピューターの前に長時間留まったからなのだろうか。長寝をしたときの頭の重さがいまもあり、頭痛に至らないほどのしこりのような感覚が頭蓋に埋めこまれているが、昔と比べるとほとんど問題にならないくらいの軽さではある。今日は雨降りで、気温が低いことも作用しているのかもしれない。
- 正式に覚醒したのは一二時二〇分頃で、そこから例によってからだや首をほぐしてから起き上がった。上階に行き、パンや大根の味噌汁などで食事。新聞は意外と興味を惹かれるような記事が見つからない。それなので、テレビに映っていた『徹子の部屋』をながめた。三代目J SOUL BROTHERSの岩田剛典というひとが出ている。名古屋出身で、祖父も父親も慶應義塾大学卒、きょうだいなどもそうで、自身も中学からずっと慶應生だった。父親は経営者だと言い、しかも祖父の世代で慶應大ということはけっこうなエリート一家ということなのではないか。そういう家柄だから、自分が大学を出て、就職内定を蹴ってダンスの道に進もうというときには、やはり両親からは反対されたと言う。しかしいまは二人とも篤く応援してくれて、母親などは一番のファンであり、実家に帰ったら写真集が窓辺にずらりと飾られてあったくらいだと。顔は薄めの、柔和な優男という風情の顔貌で、三浦春馬なんかをちょっと連想させるところがあり、声はやや低めに落ち着きながらも暗くはならず、穏やかではっきりとした発語・発声・話しぶりで、なるほどたしかにわりと格好良いなと思った。
- 母親いわく、兄が、うちの出自を知りたいとか言ってきたという。つまり、祖父がどこでどのように働いていたのかとか、昔は何か商売をしていたらしいがそれはどういうものだったのか、先祖はどういう人間だったのか、というようなことだ。なぜこのタイミングでそれを知りたいと思ったのかわからないが、こちらも興味があるにはある。しかし祖父も祖母もそれと同年代の親戚もほぼこの世から消え去ったいま、そのあたりのことを知っているのは(……)さんくらいだろうということで、今日の三時くらいに電話をして聞いてみようかと思っているとのことだった。戦争中の話なども、こちらももちろん興味はある。祖母は一九三〇年だか三一年だか三二年だかの生まれで、子どもの頃にそれを知ったときに、満州事変とほぼおなじ時期だと思った記憶がある。たぶん一九三〇年ではなかったか。祖父はそれよりも、何年かわからないが年上なので、たぶん一九二三年とかそのくらいの生まれではなかったか。昭和とほぼ同時に生まれたような感じだと思う。で、戦時中は呉にいたとかいうことで、それはすなわち海軍に属していたということであり、よくわからないがボートに乗っているときだかに上官だか誰だかに殴られて、三日三晩だか目が覚めなかったみたいな話があるらしいのだが、正確なところは定かではない。知覧にもいたのか、いなかったのかよくわからないが、いつだか祖母とともに旅行をしたことはあるらしい。鹿児島県知覧というのは特攻隊が出撃した地として有名な場所である。スーパーに知覧茶が売っているので、そこで名を目にすることもある。こちらが知覧という土地名をそれとして定かに認知し記憶したのは、さいふうめい・星野泰視『哲也―雀聖と呼ばれた男』という麻雀漫画の、たぶん二九巻目か三〇巻目かそのくらいで、阿佐田哲也(というのは色川武大の別名であり、この漫画も彼の『麻雀放浪記』などをもとにして、彼の若い頃、終戦直後の博徒時代のことを自由に脚色して描いているはずだ)が新宿を出て全国を放浪しているあいだに、本州最果ての地としてその町に至り、特攻隊の生き残りもしくは死にぞこないの男と勝負をするのを読んで以来である。祖父は海軍所属だったらしいからたぶん戦時中にそこにいたことはないのではないかという気がするが、もしかしたら色々話を聞いたりはしていたのかもしれない。
- 食後は皿と風呂を洗い、緑茶を持って帰室。Notionで記事をつくり、今日のことをここまで記した。すると二時四五分。
- 色川武大というひとの作品をひとつも読んだことがないのだけれど、Wikipediaを見ると、泉鏡花文学賞、直木賞、川端賞などを取っている。エピソードとしては、「やがて1950年(昭和25年)頃から各種業界紙を転々と渡り歩くようになる。1953年(昭和28年)には桃園書房に入社。事実上アウトローの世界より引退。『小説倶楽部』誌の編集者として藤原審爾や山田風太郎のサロンに出入りをする。特に、藤原には「人生の師匠」とまで傾倒していた」、「この頃から既に後に病名が判明するナルコレプシーの兆候があり、山田宅や藤原宅で麻雀が催されると自分の番が来るまでに寝てしまい、その度に起こされていたという。なお、麻雀の玄人であったことがばれないよう、トップにはならず「いつも、少しだけ浮く」という麻雀を打っていた。吉行淳之介はその打ち方を見て不審に感じ、のち阿佐田哲也名義で『麻雀放浪記』が刊行された際、「この作者はおそらく色川武大だ」と直感したという」、「1961年(昭和36年)に、父親のことを書き本名で応募した『黒い布』が伊藤整や武田泰淳や三島由紀夫の激賞を受け、第6回中央公論新人賞を受賞。なお、この受賞パーティが野坂昭如の「文壇パーティ・デビュー」の会でもあり、後の野坂の小説『文壇』でその様子が描写されている」、「夏堀正元、井出孫六、黒井千次らと同人誌『層』発刊。また近藤信行、平岡篤頼、古井由吉等の同人誌『白猫』にも参加。有馬頼義主宰の若手作家の文学サロン「石の会」では高井有一、高橋昌男、五木寛之、佃實夫、萩原葉子、室生朝子、中山あい子、後藤明生、森内俊雄、渡辺淳一、梅谷馨一、立松和平らを知る」など。平岡篤頼と古井由吉がともにやっている同人誌とかどんなやねんと思うわ。これは古井の処女作、「木曜日に」が掲載された雑誌らしい。
- その後、書見。ポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)。書見中、雪がほんのすこしだけ降った。ベッドで仰向けになっているとき、白い窓の白さのなかに、鳥の糞のように、あるいは花びらの切れ端のように、明瞭には映らないが質量とかたちを持った粒が、天からあらわれ過ぎていくのを見かけたので。しかしもちろん積もるような勢いではなく、雨粒のいくつかが偶然固まった程度のもので、降雪などとは言えない。
- その後のことはおぼえていないが、メモによれば、この日はもっとしずかに文を書きたいということを思ったようだ。いつも思っているが。語り、とかお喋り、とかではなく、もっと小声の、つぶやきのようなものとして書きたいようだ。微風に触れられた葉が発するかすかな鳴り響きのように、などというありがちなイメージもメモしている。分量からして多弁性はあきらかなので、それは読み手にあたえる印象というよりは、こちら自身がデスクに就いて打鍵し文を書くときの具体的な心構え、という側面が主なのだが。たしかに、もっと声調を落としたいとは思うし、もっとゆっくりというか、やはりしずかに書きたい。行為連鎖や思念の牽引に乗せられず、性急さを排したいというか。あとは不動性? というより、動きの混淆を避けること? というのは、結局は現在の、目の前のことをまず注視するというお馴染みのテーマに尽きるのだろうけれど。それは一種の離脱だが、離脱を通して密着に至るというのが肝要な動きなのではないか。境界線上に立つこと。あるいは、密着までは行かずとも、「隣り合う」こと。「隣り合う」というのは昨日(というのは一月三一日のこと)新たに思いついたテーマ = 語だが、なかなか面白そうな形象ではないか? あと、しずかになりたいなりたいとそればかり言っているけれど、「しずけさ」という概念も練り上げの余地が大いにあるはずだと思う。とりわけ、日本語話者として、ひらがなで書いたときの「しずけさ」。静寂とか静謐とか静穏とかにはないニュアンスとしての。英語のtranquilityは、なぜかわからないけれどそれにわりと近いような気もするのだが。
- 行為のなかで、しずけさに至ること、あるいは、行為を通して、しずけさをはぐくむこと。
- 七時過ぎから八時まで、(……)さんへの返信を作成。以下。
(……)
- 入浴中、「(……)」という言葉からはじまる詩のアイディアを得る。
- 深夜、頭痛がなごっていて、それを溶かそうと思って音楽を聞いた。目をつぶってじっとしていればだいたいからだは落ち着く。Bill Evans Trio, "Some Other Time", "Solar"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#8, #9)に、cero, "大停電の夜に"(『WORLD RECORD』: #9)。あまり大した印象は残っていないが、"Solar"にかんしては、ここではなんとなく、三者が互いのほうを向いているような気がするなと思った。単なる印象に過ぎないが、"All of You"などでは、Bill Evans Trioの三人はまったく互いを見てなどおらず、三人ともおなじ方向を見ながら勝手にやっているという感じを受けるのだ。何が違うのか不明。ただ、"Solar"は、ある種丁々発止というか、互いに多少、挑みに行っているもしくは対峙しているような気がした。Evansのほうはあまりそうでもなく、主にはLaFaroがそうなのかもしれないが。この曲でのLaFaroのソロもわりとおかしいような気がする。ソロの内容とか構成がどうこうというより、こういう弾き方で、ベースとドラムだけで、これだけの長さ、勢いとかペースとか呼吸とかを持続させるか……というような異質感。ほとんど執拗と言いたいようなものをおぼえた。