貧しさゆえに、彼は〈社会からはずれた〉子どもであったが、階級からはずれていたわけではなかった。彼はどの社会階層にも属していなかった(ブルジョワ的な場所であるB[バイヨンヌ]には、休暇で行くだけだった。〈訪れる〉のであって、演劇の舞台を見に行くようなものだった)。彼はブルジョワジーの価値観に与してはいなかったし、それにたいして憤ることもできなかった。というのは彼の目には、ブルジョワジーの価値観とは、小説的なジャンルに属する言語活動の情景でしかなかったからである。彼は、ブルジョワジーの生活様式だけにかかわっていた(一九七一年のインタビュー「返答」を参照)。その生活様式は、金銭的な危機のさなかでも変わることなく続いた。体験していたのは、みじめさではなく、困窮だった。すなわち、支払い期限の心配であり、休暇や靴や教科書の費用の問題であり、食べ物に困ることさえあった。この〈耐えることのできる〉貧苦(困窮とはいつも耐えられるものだ)から、おそらくひとつのささやかな哲学が生まれたのだろう。自由な代償や、快楽の多元的決定や、〈気楽さ〉(まさに困窮の反意語だ)という哲学が。彼の考えかたを形成した問題とは、おそらくは金銭であり、性ではなかったのである。
(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、51~52; 「金銭(L'argent)」)
- 五時一五分に一度覚めた。尿意が限界というほどに溜まっていたので、さすがにトイレに立って解消。ふたたび寝つく。久しぶりに夢を見た。ひとつは何か試験を受けている最中に抜け出して、おなじ建物の地下にあるスーパーで買い物をするというもの。もうひとつは、殺人マシーンみたいな女性の集団がいて、それに追われるというようなもの。漫画に出てくるキャラクターみたいな感じで超人的な力を持っており、慈悲のかけらもなく、こちらもしくは人間一般を殺すことを快楽的に楽しむひとびとだったと思うのだが、同種の夢は以前にも一度見たおぼえがある。そのときは、殺されるたびに復活するのだけれど、何度復活してもかならずまた殺されるというループのなかに陥っていたような記憶がないでもない。今回おぼえているのは最寄り駅の場面からで、こちらには連れがおそらく二人いた。そのうちのひとりが、逃げずに対峙する選択をしたというか、こちらともうひとりが彼を囮にしたのかそれとも彼が自発的に自殺に走ったのをいいことに逃げたのかわからないが、ともかくひとりが駅の階段通路あたりにとどまっているのを尻目に逃走し、自宅か他人の家かわからないがともかく屋内に至る。しかし結局殺人女性集団はやってきてしまって、この家は狭苦しく急な、裏道か非常経路的な階段通路があり、そこだけ見ると家というより古いビルのようなのだが、そこに追いつめられるようなかたちになる。どちらに行っても結局敵と会うことになり、殺されるという状況。ただ、このときは女性たちと直接遭遇し、その姿を見た記憶はない。声や気配だけでいることが感知されていた。この、狭苦しい階段通路めいた場所に追いこまれて逃げようもなく殺されるという展開は、以前の夢のときに何度もくりかえされたような気がするのだが、今回は殺された記憶はなく、その前に目覚めたようだ。ただ、以前同種の夢を見たという感触はなんとなくあるものの、それが本当かどうかちょっと怪しいようで、自信がなく、「以前同種の夢を見た気がする」という記憶の感覚までふくんだはじめての夢だったのではないかという気もしてくる。
- 一〇時前に覚醒。しばらくゴロゴロしてから一〇時半が迫ったところで離床した。前夜は三時五〇分頃の消灯なので、六時間半強の滞在。よろしい。眠る前は、足裏をほぐすのが一番良いのでは? という気がしている。天気は快晴で、臥位の顔に浴びせられる光が温かく、心地よかった。水場に立ってからもどって瞑想をする。身体内はかなりしずか。悪くない。後頭部の短い毛がダウンジャケットの襟に触れる音すら聞こえる。外ではヒヨドリがときおり鳴き、右方の屋内や上階からは階段下の室で父親が紙をめくったりしている気配や、居間のほうで母親が何か動いている音が伝わってくるが、それらの物音が身にまとわれたしずけさを突き抜けて心身に侵入してくることはない。空になっている腹がおりおり、灰色の横雲みたいに長いうめきをぎゅるぎゅる立てる。一一時直前まで一九分座って、上階へ。
- 母親が天麩羅を揚げていた。おにぎりとそれと昨日の炒め物の残りで食事。新聞は父親が下階に持っていっているらしかったので、前日の夕刊の音楽面を読む。宮沢和史というひとと、船山基紀というひとの話題。どちらも知らないのだが、後者は歌謡曲方面を代表する編曲家で、先般亡くなった筒美京平と多く仕事をしており、ジャニーズのアイドルの音楽など手掛けているらしい。もともとは洋楽が好きで歌謡曲など興味がなかったのだが、筒美京平にそのあたり見透かされたという挿話を語っていた。次第に歌謡曲だからどうという気持ちはなくなり、むしろ自分のほうに引き寄せればいいやとなって、野口五郎のなんとかいう曲("女になって出直しな"だったか?)をつくったときには、Larry Carltonの自宅まで行ってギターソロを弾いてもらったという。宮沢和史というひとはまるで知らなかったのだが、Wikipediaを見たところ、THE BOOMのひとらしい。"島唄"のひとだ。それで沖縄民謡を練習するとか書かれてあったわけだ。
- 食後、皿洗い。母親は蕎麦を茹ではじめていた。洗い桶を掃除して、水を溜めておいてからこちらは風呂洗いへ。浴室の空気は、窓がいくらかひらいていたので、金属の表面のようにまっさらな冷たさがいくらか含まれている。洗って出てくると蕎麦を水に取り出して〆る行程に入りそうなところだったので、こちらもちょっと手伝い、そうして下階へ。Notionを準備し、(……)さんに返信。それから今日のことを書き出したものの、脚が重たるく、やはりからだを和らげてからでないと駄目だと思って、夢の記述を終えたところで書見へ。ポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)。第Ⅴ章「モーリス・ブランショの批評における非人称性」。言っていることはだいたいよくわからん。もっとも大まかな流れとしては、自己読解の不可能性をくり返し明断していたブランショが、しかしマラルメの読解においては自己解釈・自己読解を鍵とした主体の問題に立ち返り、自分自身の作品において自己の解釈学を実行するに至った、みたいな話だと思うのだが。非人称性、すなわち主体の削減とか属性剝奪とか、到達できない理想としての無化とかいうテーマは、最近のこちらの主要な関心だ。
- 「起源としての文学的自己――ジョルジュ・プーレの著作について」にも入る。プーレはド・マンの友人だったらしいが、かなり高く評価されており、その著作活動は「記念碑的」(145)と言われている。ジョルジュ・プーレなんて名前は、日本ではいまはたぶんかなりマイナーなほうで、フランスの文芸批評に興味のある一部のひとしか聞いたことがないのではないかと思うが。しかし、五巻本の『人間的時間の研究』などという著作もものしているらしいし、また、初期にはジョルジュ・ティアレという名前で小説を書いていたらしい(『ガチョウと黄金の卵』、一九二七年)。これはちょっと気にならないでもない。また、『人間的時間の研究』を翻訳しているのは井上究一郎だ! 複数いる訳者のなかにはほかにも、サルトルとボーヴォワールの手紙を訳していた二宮フサ、蓮實重彦の恩師である山田爵、ロラン・バルトなどの研究で知られる篠田浩一郎、マラルメ全集を手掛けた松室三郎などの名が見られる。プーレでこちらが入手して積んであるのは、『円環の変貌』上下巻と、『プルースト的空間』。
- 一時二〇分まで書見。便所に行って糞を排出してきてから、今日のことをここまで書き足して二時。今日は労働で、例によって五時には出る必要がある。それまでに都立高校入試問題の国語過去問を読んでおかなければならない。また、できれば出かける前に米を磨いで味噌汁をつくるくらいはしておきたい。それ以外はとにかく日記を進めなければ。だが、急がずしずかにだ。
- gmailを覗くと兄からの返信が届いていた。(……)さんにも本のお礼を送っておいた。
- そうして、一月二五日を進行。読書中、いまは手帳に、あらゆる意味で気になった箇所のページと行数をメモしており、そのなかから特に重要だと思われる部分は前後もふくめてのちに書き抜くため、書抜き箇所メモ用のノートにも記している。手帳にメモした箇所はその日の日記に写すだけすべて写しておくという方針で行こうと思ったのだが、これが、当然のことではあるけれどめちゃくちゃ時間がかかる。これを毎日分、かならずやるとすると相当な手間になるのでちょっと考えものだ。しかし、それをきちんと勤勉に、確実にこなすことで、よりレベルアップできる予感も大いにあるのだけれど。
- 一月二五日分はあと、ド・マンからそのメモを写しておくだけだった。とりあえずこのときは最後まで終わらないまま二時半に至ったので洗濯物を仕舞いに行った。快くあかるい陽気で、ダウンジャケットを羽織らずにジャージだけの格好でベランダに出てもまるで寒くなく、日光がまだ厚みを残していて心地が良い。日向のなかで何度か屈伸をしてから吊るされてあるものを取り入れた。打鍵中はちょっと焦りの感が拭えなかったが、このあたりからわりと認識と行動がしずかになってきた。取りこんだものをソファの背の上でたたむ。兄のメールは、まだきちんとは読んでいないのだけれど、八年も日々文を書いてきたのは大したものだし、やっぱり何か文章を書いて金を稼ぐ仕事ができたらいいんだが、みたいなことが記されてあった。それでタオルをたたみながらこちらも、やっぱりそれしかねえかなあ、とちょっと思った。大したものでなく、ちょっとした記事をつくる請負仕事みたいな感じでも、多少はやはり、文を売らないと生きていけないかなあと。それはそれで勉強になるだろうし。正直、ちっともやりたくはないが。やるとしても絶対に副業だ。「ライター」などという肩書は絶対に持ちたくない。しかし、最初から金にするための文と決めてつくれば、自分はそこそこ熱心に、良いものをつくろうとする気がする。
- 自室にもどると二五日の日記へのメモを終えて、今日のこともまたここまで記せば三時過ぎ。どうもやはり、椅子に就いてコンピューターと向かい合いながら打鍵をしていると、背が強張ってきて、ひっかかりをおぼえはじめるのがやりづらいのだが、この肩甲骨の合間あたりをうまく恒常的にやわらかくしておく方法は何かないのだろうか? ともあれ、ひとつひとつの瞬間や行動に丁寧に意識をはらい、それにつくこと、あるいは寄り添うこと。それがすなわち、パウル・ツェランが述べていた「心づかい」ということではないのか? 行為を、ますます、小さくしていくこと。
- 都立過去問の国語を予習した。この日読んだのが何年度の問題だったか忘れたが(二〇一七年度だったか?)、國分功一郎『中動態の世界』が取り上げられていた。この本もたしか買ってあったはず。現代日本の第一線で活躍している思想系学者の著作もやはり触れておくべきだろうと思って、千葉雅也と一緒に買ったおぼえがある。しかし、それからずっとベッド脇に置かれてある袋のなかに入ったまま読めていない。
- 四時以後は食事を取り、この日は出勤前に味噌汁か何かもつくっていったのではなかったか。五時過ぎに出発。空気は相当に冷たく、寒いと言うほかない夕刻で、ものを食ったばかりだしまだ夜でもないのに身も震える。激しい、その苛烈さが鮮やかとすら言っても良いような、堂々とした正統的な冷気だった。
- 最寄り駅のホームから見た西北の空では、白さを後ろにして雲が停止しており、しばらくじっと見つめていてもまったく動いているように見えない。
- 駅を移って降り、ホームを行きながら空に視線を放つと、季節がすすんだため五時半でもまだ暗さに落ちきらず、その手前で、夜への敷居を踏み越える直前の最後の反動とでもいうような青さが横溢していた。久しぶりに見た色濃い青の時間。事物の細胞ひとつひとつ、空間の粒子ひとつひとつに青が底まで染みこんだかのような黄昏で、東山魁夷の絵を思い出させるような色調だった。
- 勤務。(……)
- 帰宅後、食事とともに、『ドキュメント72時間』をながめる。この日は福岡だかどこか、九州の市場。番組ホームページをいま見たところ、「旦過市場」という場所だった。「たんがいちば」と言う。福岡県北九州市小倉北区魚町。以前からずっと言っているが、この番組はとても面白い。そこにある事物や人間や風景を、あまり演出を加えずに撮っているたぐいの番組が、テレビでは一番面白い。この番組だと、ある一定の場所にそのとき偶然つどったひとびとがおのおの過去語りを提示して、人生の断片が集積されるのだけれど、それらのあいだにはむろん何の関係もなく、それが並べられることができるのはただそのときおなじ場所にいたという純然たる偶然性のゆえでしかない。提示される人生の断片は、不完全で、そっけなく、構成的に過不足ないかたちに収まらず、物語の切れ端にすぎないし、ひとびとが生を回顧するその言葉自体は表象力に富んだものではなく、カメラが映し続けるのは回想ではなくて、いままさにその回想を語っているひとびとの現在の姿である。そこからおのおのの時間の厚みと蓄積と、それらの集合の、抑制的な豊かさとでもいうようなものが香り立つのだけれど、こういうかたちで提示される生と、存在の感覚というものにこちらはめっぽう弱い。何かがそこにある、あった、という感覚がまざまざと立ちあらわれるとき、こちらはほぼ無条件に感動し、たびたび涙を催してしまうという性質を持っている。この番組はおりおりそういう感覚をもたらしてくれるもののひとつであり、「そこにある事物や人間や風景を、あまり演出を加えずに撮っているたぐいの番組が、テレビでは一番面白い」と上に書いたのも、そういう観点からの評価である。この番組みたいなことを小説でやるとなると、たぶん、ヴァージニア・ウルフが「キュー植物園」でやったことの発展というようなかたちになるのだと思う。そういうものを自分でもいつかやりたいような気はする。というか、『ダロウェイ夫人』がまさしくそういう作品なのではないかという気もする。テレビ番組と比較すると、あれは少々内面に立ち入りすぎではあるが。いわゆる「意識の流れ」、ひらたく言って内面性の描写ではなく、場所と事物と時間と風景を主人公にして、『ダロウェイ夫人』と似たようなことができないか。
- (……)さんから手紙が来た。便箋に手書きでしたためられたものを見て、母親は、おねえさんは本当に、丁寧すぎるね、とてもこんな風にできないよ、とかなんとか、言葉を忘れたが、苦笑のかすかに混ざった称賛と脱帽の表情をしていた。祖母の入っているホームの費用など、経費が示された書面もあったようだが、たしか月(……)くらいだとか言っていたので、意外と安いというか、そんなものなのかと思った。施設というのはどこもだいたいもっとかかるものだと思っていたのだけれど、いわく、医者がいる場所じゃないからとのことだ。特別養護老人ホーム、いわゆる特養ではないということだろうか? そのあたりまったく知らないのだけれど、いまちょっと検索して瞥見した限りでは、むしろ、「一般的に、医療面で充実している分、特養よりも老健のほうが高額になる傾向があります」という文言が出てきた。「特養の医療体制は必要最低限であることが多いので、気管切開やバルーンカテーテル、人工透析などの中高度の医療処置が必要になった場合には対応ができず、より医療設備の整った施設への転居が必要になることがあります」「老健は、医師や看護師などの医療スタッフの人数が特養よりも多く配置されています。また、リハビリの専門職である理学療法士、作業療法士、言語聴覚士いずれか1名以上の設置が義務付けられています」とのこと。しかし、まず老人ホームと呼ばれる施設にどういうカテゴリ分けがあるのかもまるで知らない。
- 「言語的コミュニケーションが不可避的にはらむ本源的傲慢さを忌避するあまり、歌をうたうためにしか声を発さなくなったひと」という形象。