2021/1/30, Sat.

 しばしば心にうかぶイメージ。(光輝く白い)アルゴー船だ。「アルゴー船員たち」がすこしずつそれぞれの部品を交換してゆき、その結果、ついにはまったく新しい船になってしまったが、船の名前と形を変えることはなかった。(……)ひとつの同じ名前のもとでさかんに結合をした結果、〈もとのもの〉はもう何も残っていない。アルゴー船とは、その名前のほかには何の起源ももたず、その形のほかにはいかなる自己同一性ももたない物体なのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、52~53; 「アルゴー船(Le vaisseau Argo)」)



  • 上の引用を読み返しながら思ったのだが、これって人間のことではないか。人間というか、生物はみんなそうなのかもしれないが、細胞の廃棄と新造のくり返しで変成していくわけだから。福岡伸一がどこかで言っていたけれど、三か月だかどのくらいだかスパンを忘れたが、一定期間経つと人体の細胞はすべて入れ替わっていて、だから細胞的にはまったく別人なんです、という話なのだ。
  • 九時直前あたりに一度意識を取りもどした記憶がある。しかしそれだとさすがに短いので、ふたたび眠りへ。一一時二〇分頃に再度の覚醒。それ以前から多少現世にもどっていたようで、このときたしか、両腕を頭の裏まで持ち上げる格好になっていて、それで腕がちょっと痺れて疲れたようになっていた。そういうことはよくある。夢をなにかしら見た。ひとつはなんということもないもので、この起床時にはおぼえていたのだが、どうでも良いようなものだったのでいまはもう忘れてしまっている。もうひとつ、何かの夢を見た気配が、気配だけで残っており、それがもうすこし面白いか、重要か、あるいは深刻というか苦しいような感じのものだったような気がして、寝床で想起を待ったのだが蘇ってこなかった。一一時半を過ぎて離床。天気は今日も快晴だが、空気は前日に続いてけっこう冷たそうだ。やはり足の裏をよくほぐしておくと、体感がかなり違う。
  • 水場に行ってきてから瞑想。座って瞑目しながら、売れる物語を書いて金を稼ぐという皮算用についてまた思いをめぐらせたのだけれど、じゃあそれをやりたいかどうかと言えば、やはりべつにやりたいとは思えない。それなりの経済的安定を持って生きていく手段としてそういう方策しかないというか、そういう方策が有効ならやるしかないのかもしれないが、必要性でそういうことをやっても、あまり良いことにも大したことにもならない気がしてならない。売れる物語をつくるなら、マジで自分がそういうことをやりたいという欲望がやはりないと、めちゃくちゃ面白い物語をつくりたいという気持ちがないと、やっても仕方がないような気が、どうしてもする。古臭いというかなんというか、いかにも主体的というかユートピア的な考え方だが。そして、そういう気持ちをもし養いたければ、そういう方面の作品を色々読んでみて、自分もこういうものを書きたいと思うほどのものと遭遇しなければならない。
  • 売れる物語を書くしかないか、などと考えたのは、やはり年を取った先のことを想定したからで、経済的安定と安心と健康を持って生きていきたければ、いつまでも最低限の労働で日記ばかりに労を注ぐ生活はしていられないだろうという思念によるものだが、ただ現状、まずその前段階である貧困ひとり暮らし生活に乗り出してすらいないわけで、その時点でこのようなことを色々考えていても単なる観念論にしかならないからあまり意味はない。とりあえず、話は実家を出てからだ。それでともかくも暮らしてみて、実際やっていけるかどうか。ギリギリの生でもこのままでいいやと思えばそれで良いし、やはり金を稼がないとどうにもならん、うだうだ言ってないでやるしかねえとなればそのときまた方法を考えれば良いだろう。(……)と会って家を探してくれるよう、話をしなければならない。
  • ありがちな発想というかイメージではあるけれど、瞑想によって心身をしずかにすることで、自身の真実が立ちあらわれてこないかという期待や、それに至りたいというような欲求がないではない。至るというよりは、やはり、来る・あらわれてくる、という感じ(イメージ)なのだろうか。自己の真理の到来=開示。ありがちというか、すくなくともいわゆるヴィパッサナー瞑想にかんして言えば、たぶんもともとまさにそういうものとして提唱されたのだと思うけれど。
  • 正午ぴったりまで瞑想して上階へ。ちょうど父親が帰宅した。母親がカレーをつくってくれたらしく、ストーブの上に鍋がある。その母親は仕事なのか、不在。洗面所でうがいをしてから、前日の味噌汁とともにカレーを温めて食事。新聞から米国と欧州の関係再構築みたいな記事を読む。食後、皿を洗って風呂も。浴槽の蓋を取る際、触れた縁がやたらぬるぬるしていたので、まずそちらを小さなブラシで擦った。それから風呂桶のほうもべつのブラシで洗う。風呂洗いをしながら思ったのだけれど、親 - 子というのはおそらくこの世でもっとも非対称的な関係なのではないか。比喩的に言えば、生産者 - 生産物の関係であり、それが作者 - 作品と重ね合わせて考えられるのは古来お馴染みのところだ。で、子にとって、生産されたということ、自分の存在の起源として親があるということは、それだけでひとつの負い目のようなものとなりうる。親孝行とか育ててもらったことに対する親への感謝とか、そういう世間的道徳観はもろもろあって、こちらもそれに反対するではないのだけれど、ただ、人間が子を成し、そしてその子を育てるという行為は、それだけでもうひとつの借金をあたえることになるのだなと思った。これはべつに目新しい考え方ではないが、というのも、ひとはもちろん、生まれたばかりの時期は独力では何もできず、自力で生命を維持することが不可能だからである。むろん多くの親は、大変なこと、大きな苦労はありつつも多かれ少なかれ我が子を可愛がって育てるし、存在を生み出した責任を真面目にとらえて、子のためにさまざまなことをやってあげ、その健康を保ち、人間主体として形成されるための手助けをするだろう。大まかに言って、愛と呼ばれるものが注がれることが多いだろう。それ自体は価値のあることだと思う。そして、この愛がそれ自体で、もう呪いであり、枷である、ということがあるのだなと思った。親が完璧に真正な善意と純粋に無償の愛で子を育てたとしても、そのこと自体が負い目となり借金となる可能性があるというか、すくなくともそういう風に解釈することは可能だろうと。言ってみれば、親は彼らの欲望でもって子を生み出し、親としての責任感と愛情からその子を多かれ少なかれ手厚く育てるのだけれど、子のほうから見れば、これは、自分が生み出されてまだ何もできない時点で、当然自分の意志とはまるでかかわりのないところで、勝手に負債を負わされた、ととらえることも容易にできる。こちら自身がそのように強く感じているわけではないが、そういう解釈は可能だろうし、実際にそういう風に感じている人間も、いくらもいるだろう。もう一度注意しておきたいが、こういう解釈において、親のほうの善意や愛情の真正さは本質的な問題ではない。その点がまちがいなく完璧で、何不自由なく手厚く育てられたとしても、そのこと自体が構造的に不可避的に負債になるということだ。したがって、ひとは、親への感謝を口にし、親孝行を推奨し、ときにその通念にしたがったり反発したりする。感謝と孝行とは、負債の埋め合わせである。反発とは、負債を蹴り倒すことである。こういう意味において、子を成して育てるというひとの営みは、一面では、それ自体が呪いであり枷であり、一種の悪徳商法的詐術みたいなものだなと思ったのだった。親 - 子関係がこの世で最大の非対称関係だというのはそういう話だ。人間は、生まれた瞬間に、存在論的に借金を課され、今度は自分が他者に対して借金を課すことをくり返して、種を存続してきた(ときに、他者に借金を課すことこそが、そのまま自分の借金を返済するということにもなりうる)。こちらがこの生で子をつくりたいという欲望がまったく起こらないのは、ひとつには、このような非対称関係を否応なく他者に課すということをしたくないからなのだろう。
  • そういうことを考えながら風呂を洗ったあと、緑茶を用意して帰室。Notionを準備してまず今日のことをここまで書いた。足の裏をよくほぐしたためか、椅子に座って打鍵していても負担をそう感じない。ただ、書きぶりはあまりしずかなものとは言えなかった。
  • この日のことはあとは大しておぼえていない。ひとつおぼえているのは、二時頃だったか、洗濯物を入れるか何かのために居間に上がった際、母親が映していたテレビの鉄道番組をちょっと見たこと。ベルギーだかフランスだかそのあたりの高級な鉄道路線で、イタリアのなんとかいう駅に至っていた。旅人として映されるのは六角精児。このひとは『電車男』(あまりにも懐かしい、ほとんどノスタルジックなまでの名詞だが)でのステレオタイプ的なオタク役の印象が強いがゆえに(あとこちらが知っているのは『相棒』での鑑識役くらい)、本人も風貌もあいまってオタク的に見えてしまい、実際鉄道だか何かのマニアだったような気もするが、このとき彼が着ていたのはストライプ柄のシャツで、それもオタク的印象に多少の寄与をくわえないでもない。ただ、色合いは爽やかでけっこう綺麗な、品の良い感じのシャツだったし、典型的なオタクスタイルの印象の一方で、あまり野暮ったくなく、こざっぱりとしたニュアンスもあったが。鉄道が通っていく地帯はおそらくアルプスの近傍だったのだと思うけれど、風光明媚と言うほかないような、あまりにも自然らしい自然がどこまでも続くみたいな土地で、たとえば鉄道のような移動手段や舗道のようなインフラストラクチャーができる前は、人間はみな、いくらかなりと離れたべつの土地に行きたければこういうところを何日もかけててくてく歩いて移動していたわけで、そういう時代の人間たちがいだいていた自然への観念やそのとらえ方や認識様態やそれとの関係は、こちらのような現代のひとびとが持っているものとはやはり全然違うのではないかという気がした。BGMは、母親によれば、オリビア・ニュートン・ジョンの"そよ風のため息"とかいう曲だったらしい。しかし、いま検索してみると、これは"そよ風の誘惑"のまちがいだった。母親の発言段階からしてまちがいだったのか、それともこちらが母親の言葉をまちがえて記憶していたのかがわからない。原題は、"Have You Never Been Mellow"。カバーが「アイザック・ヘイズディオンヌ・ワーウィックの1977年のライブ・アルバム『A Man and a Woman』に収録」とのWikipedia情報。
  • 上階からもどってきたあと音楽を聞くことにして、Bill Evans Trioと、Jesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』の終盤を聞いたのだけれど、後者の最後に入っているライブ音源の"Stablemates"がやばかった。前々からすごい演奏だとは思っていたのだけれど、思っていた以上にすごかった。とんでもないものを聞いた感がある。完全に、ふたつでひとつの恒星になっている。これがジャズであり、音楽だ。ピアノが速弾きしたときの一音一音の輪郭とそれら全体としてのつらなりが綺麗すぎる。閃光的な、鋭いと言って良いほどの明晰さ。これは何度でも聞きたい演奏。あまりにも豊かですばらしい奔流なので、精神が分析的になることができなかった。
  • このとき聞いたのは、Bill Evans Trio, "My Man's Gone Now", "All of You (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#2, #3)とJesse van Ruller & Bert van den Brink, "Good Bait", "Quiet Now", "Stablemates"(『In Pursuit』: #7, #8, #9)。"Good Bait"のBert van den Brinkのソロ以後の流れのつくり方もやはりうまいなと思った記憶がある。しかしとにかく"Stablemates"だ。これにはマジでぶっ飛んだ。