2021/2/1, Mon.

 『S/Z』のなかで、レクシ(読みとりの断片)は、占い師が杖で切り分ける大空の一片にたとえられている。このイメージを彼は気に入っていた。かつて、占い師がその杖で空のほうを、すなわち指し示すことのできないもののほうを指し示しているすがたは、美しかったにちがいない。しかも、その身ぶりは常軌を逸している。おごそかに境界線をひくのであるが、直接的には〈なにも〉残らず、せいぜい、切り分けたという感覚が頭に残っているぐらいだからだ。そしてその身ぶりは、まったく儀式的に、まったく独断的に、ひとつの意味を生みだす準備に専念しているのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、55; 「占い師の身ぶり(Le geste de l'aruspice)」)



  • 一一時一二分に起床。晴天。いつもどおり、水場に行ってきてから瞑想。一一時三五分まで座る。上階へ。父親が、腰痛のために起きられないのだと言う。それで母親は食事を寝室に持っていく。こちらはジャージに着替える。南窓の向こうでは(……)さんの宅の鮎の幟がからだをやや持ち上げており、空間の奥、川のほうにいくらか希薄化して見える木叢は、よく見ればこまかく震動しているらしい。その近くで光のなかを、風に吹き飛ばされる紙のようにゴミのように、鳥が左から右へ法則のない軌跡で渡っていくのが、ただ白のひらめきとしてのみ見られる。食事は前日の唐揚げや味噌汁ほか。新聞。読売文学賞の発表。坪井秀人というひとの、『二十世紀日本語詩を思い出す』みたいな本に一番興味を惹かれた。岡田利規は、池澤夏樹が編纂した河出書房の日本文学全集の仕事を機に能の可能性を発見し、その構造や作法を取り入れた演劇作品で受賞。小説部門は今回受賞作がなかったらしい。残念。
  • ほか、ロシアでナワリヌイの釈放をもとめる反政権デモが盛り上がっているという話。全土で三〇〇〇人が拘束されたと。それを読んでいる最中、テレビのニュースの声に引かれてそちらを見れば、ミャンマーで軍が非常事態宣言を出し、アウンサン・スー・チーは拘束か、という報道が流れていた。どこも政情不安だ。
  • 皿を洗ったあと、下階に下りて両親の寝室に行き、父親が食べたあとの食器を取り下げて上階に運び、洗った。布団の上にからだを起こしてはいたが、やたら痛いらしく難儀そうな様子だった。あれが老いだ。こちらのからだも、老いまでは行かないが、その発生から三一年経っているから衰えてきたのかもしれないと最近思うことがあった。体感としてはむしろいままでになく安定し、充実しているのだけれど、凝りとか張りとかが気になるようになったのは、そういうことなのではないかと。簡単な話、何年か前までは三時間くらいぶっ続けで打鍵することがけっこうあった気がするのだが、いまは長くても一時間半くらい経つともう休みたくなる。ただそれは、自分自身の身体に対する感覚が鋭敏になったということでもあるのだと思うが。そのせいで、以前だったら自覚なしに、気づかずに無茶をできたところが、いまはそうは行かず、立ち止まらずにはいられなくなったということだろう。
  • 風呂も洗った。母親は勤務へ。こちらは緑茶を用意。本当は勤務のある日は飲まないほうが良いのだと思うが。それで茶葉をすくなめにして、淡く淹れる。帰室するとNotionを準備し、それからボールを踏んで足裏を刺激する。いつもだったら同時に書見をするところだが、今日はなんとなくウェブを閲覧する時間にした。読書をするとそれだけまた日記に写さなければならない文言が見つかってしまって大変だから、ちょっと敬遠したというところだろう。最近はじめたいまのやり方も、これで無理なく持続できるかというと疑問である。瞑想中にもそのあたりは考えたが。無理なく日記習慣を維持していくという点からすると、毎日の読書で気になった箇所を写すというのはあきらかに悪手で、時間がかかって仕方がなく、それだけ記述が現在に追いつくのが遅れてしまい、現にいまも追いつけていないわけだけれど、本の内容理解とか記憶や印象の強化とか、自分のレベルアップという観点からすると、そういう習慣にしたほうが良いような気がする。現状としては、無理があるというのはわかっているのだけれど、しかし欲求として書写を毎日したいというほうに傾いている。瞑想中に折衷案を探ったものの、見つからなかった。とりあえず、これではやはり駄目だという破綻のフェイズに至るまではいまのままで続けてみたい。
  • 上まで記すと二時だったので洗濯物を収めに行った。快晴。ベランダに出れば、西に寄ってはいるがまだ林から離れている太陽の光が頭に心地良い。そのなかにいれば風も冷たく固まらず、涼しく頭蓋を抜けていく。それで吊るされたものを取りこんだあと、日向でちょっと体操した。乾いて軽い空気である。目をつぶって太陽を正面にし、顔に光を浴びていたので、しばらくしてひらくと眼裏へのあかるさの浸食のために風景の明度が変わっていて、あたりの空間がつくりものめいて映った。すぐそこにある白梅の花がもうちらほら咲きはじめている。その梢にヒヨドリらしく、黒っぽくてけっこう大きい鳥が宿っていたが、すぐに隣家の柚子のほうに移った。
  • もどって、二時二〇分から前日の日記。Ambrose Akinmusireの音楽の感想だけ記した。三時を回ってそのまま二八日分へ。三時半で完成。そうするとそろそろ時間もすくない。ポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)を読みながら少々休んだのち、四時で食事へ。どこかのタイミングで(……)くんに返信をした。彼がここで大学卒業・就職とともに職場を辞めるので、世相からして困難ではあるがまあちょっと飯でも、という話になっていた。あちらは二月中はほとんど空いていると言うので、とりあえず二五日の夕方からではどうかと提案しておいた。わりと先の日時に設定しておいて、コロナウイルスの状況変化を見たいという腹である。(……)くんはZOOMではどうかと言ってきていたが、どうせならやはり直接顔を合わせ身体を感知し空間をともにしながら喋りたいし、それに餞別で何か本でも渡そうかとも思っている。まあ、ひとまずZOOMでやっておき、三月にでもふたたび会う時間をつくってもらっても良いが。
  • 食事に何を食ったかは忘れた。新聞から、夫婦別姓についての記事を読む。都道府県や政令指定都市、それに東京二三区を合わせて九〇くらいの自治体に聞き取り調査したところ、二〇一八年から二〇二〇年までの三年間で、夫婦別姓制度の導入や国会での論議をもとめる決議を可決した団体が、二三だったかそのくらいあったと。二〇一〇年、一一年あたりにはむしろ導入などに反対する決議が多数なされていたので、社会的意見や風潮の変化が見て取れるという話。
  • 食事を終えると下階に下りて両親の寝室に行き、父親に声をかけておいた。布団に包まれて仰向けになっているところに茶を飲むかと訊くと、炭酸水があるからいいと言う。そろそろ行くと告げておき、上階にもどると麻婆豆腐をつくった。中村屋の「辛さ、ほとばしる麻婆豆腐」みたいな名前の製品。「辛さ」のあとに読点が確かに入っていたと思うのだが、この読点がどのようなニュアンスを醸し出そうとして付されたものなのか、こちらにはまるで不明である。まずフライパンに付属のソースと豆腐を入れて沸騰させるのだが、ソースだけだと辛そうだったし、量もいくらかすくないように思われたので、多少水をくわえて伸ばしておいた。また、白菜を入れてもそんなに薄くはならなそうだと思われたので(「ならなそう」と「ならなさそう」のどちらが正しいのかいまだにわからない)、野菜も足しておき、しばらく煮たあと、ネギをスライスして混ぜると完成。台所および居間には大層食を誘う香りが立ちこめた。
  • つくり終えると四時四〇分頃だった。下階にもどり、歯磨きや着替えなど身支度をして、五時過ぎに出発。さほどの寒さは感じない夕刻。急がず楽な足取りで行く。(……)さんの宅の車庫のシャッターがひらいていて、通りがかりに視線を向けるとなかの白い明かりのもとに奥さんがいたので挨拶をしたのだが、あちらの様子は妙というか、いかにも元気がなさげで、なんとか言った言葉もまるで聞こえなかったし、病気でもしたのかというような活力のない雰囲気だった。このひとは以前はよく犬の散歩をしていて、出くわすと普通に話しかけてきて、声も大きくてちょっと無遠慮なくらいだったのだが、なぜかこのときはめちゃくちゃ消沈していた。すこし前にちょっと見かけたときもそんな感じだったおぼえがある。だから、やはり何か病気をしたのか、それかコロナウイルスで参って不安のために性格が変わったか、ひとと接することを恐れているかというあたりではないか。
  • (……)さんが家の前で掃き掃除をしており、その音が薄暗さのまじりはじめた道に響いている。暮れの冷気は老骨に染みるだろう。通りがかりに挨拶をかけ、寒いので気をつけてと言っておいた。それから坂道に折れてマスクをずらして上っていき、駅へ。階段から見える西の青空の際にオレンジ色がかすかに、女性の頬に乗せられた白粉のように付され、空の下端のなかほどは森が黒く山型に突出しているからそこではいったんオレンジは隠れて、影との接触面は白く掃かれており、森の影を超えると北側でまた漂流的なオレンジの粒子があらわれている。先に階段の上っていったひとりが頂上で西を向きながらちょっと止まっていたので、そのひとも風景を短いあいだながめたらしい。上りきって方向を東に変えるといま渡ってきた街道の周囲が見えるが、空気の色合いとあかるさがやはり日に日に違ってきていて、暮れがのろくなっているのがはっきりとわかる。ホームに下りるとちょうど電車が来たので乗車。着席して瞑目に休む。
  • 降りてゆっくり出口へ。駅を抜けると正面は南であり、町を越えた果ての空には、そこも暮れの青のなかに他色が混ざっているが、それが紫をふくんで先ほどのオレンジよりも複雑というか、屈折したような精妙な色で、果熟的な色彩とでも言うか。
  • 勤務。(……)
  • (……)一一時の電車になった。ここまで遅くなったのははじめてではないか。六日の土曜日、(……)さんは朝九時から夜の九時か一〇時までまったく切れ目なくぶっ続けで面談が設定されていて、死ぬんじゃないかと笑っていたのだけれど、これはやはりおかしいことだ。そもそも保護者面談の期間がなぜか一週間しかなく、一週間ですべて終えるのは土台無茶なのだから二週間くらい使えば良いのにと思って、多少そういうことを言ったところ、本部から一週間でやれって、みたいな言葉が漏れていたので、そういうのにも本社側の管理計画が適用されているわけだ。もうすこし肉体的精神的余裕を持てる計画にしてほしいところだ。今回の面談は基本的には受験生は除いて新学年に移行する生徒たちの家なのだから、せいぜい学年末テスト前に終われば十分だろう。そんなに急いで一週間で無理やり終わらせる必要はない。こういうことが普通に慣行とされて、すこしも疑問視されずまかり通り、多少疑問視されたとしても、そういうものだよねという諦念とともに話にけりがつけられてしまう世というのは、あきらかに頭がおかしいし狂っているという絶対的な確信をこちらは持っている。多数者の狂気と忘却と諦観と無知によって支えられてギシギシいいながらまわっているのがこの世界だ。と言ってこちらひとりで構造的変革ができるわけでもないし、かわりに保護者面談を担当できるわけでもない。だが一応、水曜日に出勤したときに予定一覧を見て、何かできそうなことがあったら土曜も多少の時間は臨時で出勤して手伝おうかなと思ってはいる。面倒臭いのでやめるかもしれないが。その程度のことはやっても悪くはないだろう。あのスケジュールでは、マジで飯を食う時間もなさそうだし。
  • それでまあ今日も大層疲労しただろうし、心づかいを向けておくかと思って、一一時前に退勤するとそばの自販機に行って温かい飲み物を見分した。ほうじ茶が良いのではないかと思われたが、先に菓子類を買うことにして、駅前の自販機でチョコレートを購入。ついでにこちらの分も、チョコレートとグミを茶菓子として買った。それで道をもどるともう職場の明かりが消えていて(……)さんも出る様子だったので、飲み物はいいかと払って入り口をあけ、そこにいた彼女にチョコレート(「アルフォート」)を一箱あげた。それで駅までともに帰ることに。受験生や先行きがやばそうな生徒などについて話しながらホームに行き、あちらの電車が先だったので乗ってもらい、見送る。席に就いた(……)さんはマジでぐったりしている様子で、表情も鬱滅というか、めちゃくちゃ陰々としたような感じで視線を落としており(携帯を見つめていたのかもしれない)、深い苦悩に襲われているような雰囲気すらあったので、やはりかなりきついのではないか。メンタル的に大丈夫なのか多少疑念が浮かぶ。
  • 電車に乗って最寄りへ。こちらはこちらで疲労が強い。夜空には望を過ぎて右上を翳に沈めた白月が、かなりのすばやさで雲を分けて泳いでいた。夜道を黙々と歩いて帰宅。マスクの始末や手洗いなどを済ませて自室で着替えると、この日は休まずすぐに食事へ。みずからつくった麻婆豆腐や味噌汁の残りなど。麻婆豆腐はたしかに辛く、刺激が強かった。こちらは辛いものが特段好きではないし、舌と口内が未熟なので水を飲みながらでなければ食べられない。夕刊からミャンマーの軍部によるクーデターについて読んだはず。
  • 入浴。浸かりながら考えたのだが、やはりその日の読書で気になった箇所をすべて日記に写しておくという方針はやめることに。昨日の今日で考えをさっと転換しているが。あれはあれでかなり力になると思うのだが(しかしその「力」とはいったいなんの「力」なのか?)、やはりいかんせん時間がかかりすぎてしまって、営みとして無理のないものにならない。優先するべきは、日々書くこと、そして日々を書くことを大きな負担や無理がない状態で続けていけるということだ、という原点に立ち返った。環境や社会方面の分野でここ一〇年ほどのあいだにひろまってきた流行りの用語を使えば、持続可能性こそがこちらの営みにおいては旨である。まずもって、昔と同様に、この一日に前日の記述を完成させることができる、という習慣のペースを決定的に確立させるべきだ。それが継続的にできないような生活様式や書き方は採用するべきではない。とはいえ、気になった文言をきちんと写しておくというプロセスも、大事に違いなく、おそらく何かにあたって有効なものだという確信を得ている。学びとは、書き写すことからはじまるに違いない。となるとやはり、読書ノートを運用して、書見の最中に手書きで写しておくという従前のやり方にもどる案が有力なものとして出てくる。正式な書抜きにかんしては読書の時点からはなれて遅くなってもかまわないし、時間的距離がひらけば書き抜くときに読み返して、一度読んだときにはわからなかった部分がわかったりというたのしみもむしろありうるのだけれど、より断片的・局所的なメモにかんしては、これはやはり読書とほぼ同時に、即時的に記録しなければ意味がないように思う。言葉が気になった瞬間と、それを写す時間とのあいだにあまり距離をつくってはいけない。とすればやはり読んでいる最中に、その場で写すのがベストということになる。手書きだとそれがけっこう面倒臭いのだけれど。あるいは書見のあいだコンピューターを脇に置いておいて打鍵するのもありだが、それはそれでコンピューターを移動させたり姿勢を変えたりということが面倒臭く感じられる。そういうわけで、ひとまずまた読書ノート運用の方針で行くことに決定した。
  • 風呂を出てねぐらに帰ると二九日の記事をいくらか書き、その後だらだらして、三時過ぎから一応本を読もうとしてみたが、疲労が最近ではまれなくらいに極まっていたので、ほとんど読めず仰向けでしばらく休んだあと、三時四〇分で消灯した。