2021/2/3, Wed.

 〈リストに登録されている〉。わたしは、ある(知識人階級の)場所に、(一流とは言わないまでも)特権階級の居住地に、登録され、住所指定されている。そのことに抵抗するには、心の中にひとつの主義をもつしかない。〈アトピア〉主義(漂流する住まい、という主義)だ。アトピアは、ユートピアよりもすぐれている(ユートピアは、反作用的、戦術的、文学的であり、意味から生まれて、意味を作動させてゆくからである)。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、58; 「アトピア(L'atopie)」)



  • 八時四五分の離床に成功。今日は一一時から勤務で、一〇時半頃には出る必要があったので。出るまでのあいだのことは特段におぼえていない。コンピューターをつけはしたものの、Notionで前日の日課記録を完成させることすらせず、書見とボールを踏むことに時間を使った。
  • 出発。天気は良い。道の右側にある林の一番外側の木、そこからちょっとはみ出した枝にヒヨドリが一羽飛んできて、鳴き声を散らす。反対側、左方のどこかでも同種の声が立って、応答のようになる。枝にとまったヒヨドリはすぐにまた離れて、木叢の奥へと去っていった。
  • 天気が良いので坂道の路上にも、右側の段上に生えた木々の、幹も葉も枝もことごとく影になった姿が映し出されるが、足もとの右側からそのように影が生じて伸びているというのは、つまり東からあらわれているということで、時刻からして当然のことだが午前中に陽の下を歩くことがないのでもの珍しい。影は水で溶かしたように輪郭が希薄で、とりわけ葉を映した部分は、いくつもの葉の影が重層化しており、濃い色のまわりに淡くぼやけた余剰が集まって拡散し、ちょうど雲を泳ぐ月の様相と似たような感じで、それらが全体としてふるえ、揺動するから、交雑してさらに淡いようになる。
  • 最寄り駅から電車に乗って移動し、職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)退勤は一時半前だったか。そういえば、六日について、これじゃ飯食う時間もないでしょうから、なんか手伝うことあれば僕臨時で来ますけど、と言ったところ、ちょっと考えてみるとなり、のちほど最後の二つの面談に同席してほしいと来たのだが、それで良いのだろうか。もっと(……)さんが多少でも休憩を取れるようなことができればと思っていたのだが。
  • (……)さんはドーナツとカフェラテをくれた。先日こちらがチョコレートをあげたからそのお返しというわけだろう。彼女は(……)で乗り換えるらしく、そこで本当はミスタードーナツの品を買おうと思っていたところが、乗り換えの時間が思ったよりもなかったかあるいは店がやっていなかったか、なんと言っていたか忘れたけれどともかく買えず、それでやむなくコンビニの品にしたとのことだった。ドーナツは四つ入りのアソート。それで、やった、これ昼飯にしますと感謝を示すと、健康に悪いと相手は笑った。実際、昼食をどうしようか、コンビニでおにぎりでも買って帰るか? と思っていたところだったから、ちょうど食べ物が向こうからやってきてありがたかった。
  • ビニール袋とバッグを提げて、まだ陽が濃くて温かななかを歩いて帰る。夕方からまた労働に出向かなければならないわけだが、そのわりに楽な、拘束のすくないような気分だった。文化センターの裏にある駐車場の向こうで、ヘルメット姿の作業員たちが線路に立ち入って何やらやっている。電線関連の仕事だろうか。そのすぐそばには柿か何かのものか、枝を屈曲させた裸木があるし、ほかにも葉をつけて色を持っている大きな木も立っているから、樹木が電線にひっかかるとか、電車に当たるとか、そういう事情だろうか。不明。そこからすこしだけすすむと林縁に木造の、前時代的な様式の一軒があって、冬の木々が呈する淡色のなかに埋もれるようになっているのだけれど、その屋根が一面赤く、と言って強くなく、樺色といえば良いだろうかそんな色合いで、チョコレートの板のように平らにひろがっているそれが景色のなかによく映えていた。色がそんなに古びていないように見えたが、家自体は古い様式だったはずだから、何年か前に塗り直したのだろうか。
  • 裏通りの家に白猫はいなかった。表に曲がるところで集合住宅を見上げるとその向こうに伸び上がっている森というか丘というか、緑の木々の城壁の、さらにそのあちら側から白い雲が水柱のように何本か盛り上がって空の下端を濁していたが、左に曲がれば南の空は一面ずっと晴れ渡っている。残りの道も急がずたらたらたどって、帰ると手を洗い、自室でさっそくドーナツを食った。四つは食い過ぎだろうと思い、夜の茶菓子として取っておこうと思ったはずが、このとき飲んだ茶とともに結局四つとも食ってしまった。胃のなかが砂糖と甘さでまみれたのではないか。
  • (……)さんのブログを覗いたところ、『(……)』が一段落ついたので合間にライトノベルでも書いて金を稼ぐかとあり、新人賞の情報を引いて受賞者のコメントを罵倒しながらもやる気になっている様子だったのでクソ笑った。『(……)』がマジでひろく注目されて金になると本気で思っていた人間に(いま、この西暦二〇二一年の日本で)ヒットするライトノベルなど書けるわけがあるまいと思うが、一方で、(……)さんだったら普通に難なくやりそうな気もする。最近のライトノベルをひとつも読んだことがないけれど、たぶん地の文はなるべく薄くしてだいたい会話だけで進行するみたいな感じではないかと思うので、わりと脚本に近いような、構造だけを抽出してスピーディーに展開するとともに、そこに多かれ少なかれ定型的なキャラクターの魅力を加味する、という具合なのではないか? (……)さんなら物語的センスというか、範例を運用する力もそこからずらす力も熟達しているので、やろうと思えば普通にできるだろう。こちらは無理だ。売れる物語を書くのはあきらめた。あきらめたというか、自分の書いた文章がヒットするということと、しずかに生きるということとはまるで対極の事態なので、そういう方向性は棄却する。何かべつの生存手段を探そう。一般文芸というか、直木賞的エンターテインメントならまだ行けるような気もしないでもないが、いまのライトノベルはたぶん自分には書けないと思う。中学生の頃はライトノベルを楽しく読んでいた身ではあるが、当時の、ほぼ黎明期と言うべき頃の作品といまのものとではおそらく相当違っているだろう。良くも悪くも当時はまだ中二病中二病としてきちんと成立することができたから、そういう感性をくすぐるような、多少なりとも知的ぶった感じの、気取った装いを凝らした感じのものが、正統なものとして提示されることができた。いまはもう違うだろうと思う。もはやこの社会に中二病の余地はない。中二病は流通し、大衆化し、飽和した。いわゆる萌えとか、そういう方面に回収されて、中和的に取りこまれたと言っても良いかもしれない。で、そのあとに展開されていると思われるいかにも記号的なライトノベルを、本気で書くような感性はもちろんこちらは持ち合わせていないし、たんなる仕事としてやるにしても、そのためには主体性幻想にとらわれすぎている。
  • (……)さんが引いていたMF文庫J新人賞というやつの審査員は、「榎宮祐先生、さがら総先生、志瑞祐先生、鈴木大輔先生」らしいのだが、ひとりも名前を知らない。それぞれのWikipediaを見てみるに、志瑞祐というひとは、「古橋秀之秋山瑞人などの作家を輩出した金原瑞人ゼミの出身である」と言う。金原ひとみの父親であるところの金原瑞人はたしかにジュヴナイル系というのか、そういう方面の作品をめちゃくちゃたくさん訳している。彼のWikipediaによれば、「法政大学社会学部で小説創作ゼミを開講した。このゼミは古橋秀之秋山瑞人早矢塚かつや志瑞祐、瑞嶋カツヒロ、高野小鹿、山岡ミヤらの小説家を輩出し、実娘であるひとみも受講経験を持つ」とのことで、ここに山岡ミヤの名前があるのか、というのはちょっと意外にも思う。秋山瑞人は『イリヤの空、UFOの夏』によって界隈における名声を確立しており、こちらも中学時代には大変面白く楽しみ、電撃文庫全四巻を何度かくり返し読んだ。『猫の地球儀』なんかもそちら方面における名作だという評判をよく聞いた記憶があるし、一応最新作である『DRAGON BUSTER』というのは戦闘における動きの描写が特殊だとか聞いた記憶もあるが、二〇一二年にこれの二巻が出されたところで表舞台での活動は止まっている様子で、いま何をやっているのかはわからない。鈴木大輔というひとは二〇〇四年に『ご愁傷さま二ノ宮くん』でファンタジア長編小説大賞を取ってデビューしており、二〇〇四年はまだギリギリこちらもライトノベルを読んでいたから本屋の書棚におそらくならんでいたはずだが、この名前はまったく記憶に残っていない。富士見ファンタジア文庫といえばこちらにとっては何よりも秋田禎信であり、したがって『魔術師オーフェン』シリーズと『エンジェル・ハウリング』の文庫である。対して、おそらく当時、ライトノベルのレーベルとしては富士見ファンタジアと合わせて双璧だったと思われる電撃文庫は、こちらにとっては『キノの旅』と『イリヤ』の文庫で、富士見ファンタジアのほうはいかにも王道的なファンタジー物語を多く出しており、電撃文庫はもうすこしキャッチーな色合いを持っていた印象がある。いわゆる萌え的なものを先に取りこんでいったのも電撃文庫のほうではなかったかという印象で、要するに表紙のイラストがエロくなっていったのが電撃文庫が先だったような印象が残っていて、それが恥ずかしくてライトノベルを読むのをやめたというのは以前記したところだが、この点は定かな根拠を持っているわけではない。ファンタジア長編小説大賞の入賞作一覧を見てみると、最初の一九八九年から長いあいだ、ああこういう感じねという雰囲気の、実にわかりやすいタイトルがおおむね続くのだけれど、二〇〇八年から二〇一〇年あたりにかけて、明確にトーンが変わっているように観察される。おそらく二〇〇〇年代終盤から二〇一〇年代へ入るとき、というのがやはり、オタク文化や漫画・アニメ・ライトノベル方面にとって、ひとつの画期となるような境だったのではないか。アニメ作品を年別で追ってみると、二〇〇八年には『コードギアス』のR2や有川浩の『図書館戦争』や『夏目友人帳』の一期、『とある魔術の禁書目録』一期などがやっているし、二〇〇九年には『涼宮ハルヒの憂鬱』が再放送されていて(いわゆる「エンドレスエイト」をやったのはこのときだったか?)、『化物語』もあり、そして何よりも『けいおん!』がある。『けいおん!』の影響はやはり圧倒的に大きかったのではないか。あの作品のゆるふわ日常的なやさしい世界、みたいなニュアンスによってアニメ方面の文化が深夜枠から一般社会へと、そしてそれを越えて世界中へと膾炙していったように思う。『涼宮ハルヒ』は主にはわりと王道的なボーイ・ミーツ・ガールとして受け(「長門俺の嫁」などというタームが流行する現象もあったが)、『けいおん!』はいわゆる日常系およびソフト萌え的要素を一般にひろめ、それらに飽き足らず、それこそ中二病的な、よくわからん気取りみたいなものをもとめる層には『化物語』が刺さる、というような感じでだんだん普及していったのではないか? 西尾維新はもともと、代表的なライトノベルとは違うところからの出発だったはずである(「メフィスト」か何かに書いていたのではなかったか?)。大学に通う電車の中吊り広告で、一般文庫とおなじくくりで紹介されており、それでこちらははじめて名前を知ったおぼえがある。
  • 茶を飲むあいだやその後は上の二段落を綴ったのだが、わりとどうでも良いことだったというか、わざわざWikipediaをたどって時間を費やすほどのことではなかった。それでもう三時台終盤にかかってしまったのだ。からだを休めるためにベッドに移ってポール・ド・マン/宮﨑裕助・木内久美子訳『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(月曜社、二〇一二年/叢書・エクリチュールの冒険)を読んだのち、ちょっと眠かったので本を置いてゴロゴロ休み、そうして身支度。スーツに着替えたあと、一〇分だけ「記憶」を音読してから出発した。わずか一〇分であれ、言葉を声に出して読むことは大事だ。
  • わりと余裕を持って出ることができた。午後五時の空はひたすらにまっさらで、青と白の中間に位置する淡い色がすっとどこまでもひらいており、東の果てでは紫色がかすかに生じてもいる。それを背景にして公営住宅の棟の上を黒い片影と化した鳥が一匹飛び渡っていくのが、口を開閉しながら泳いでいく貝のようだった。(……)さんが家の前にいたので挨拶し、少々立ち話をした。脚を止めはしたものの話題が思い当たらなかったので、最近はからだの調子はどうですかと振ってみたのだが、老人に向けるにはあまり良くない話題だったかもしれない。あちらももう九〇を越えているはずなので、調子はやはり良くはないと言い、温かい頃には草取りをしている様子をよく見たし、最近も掃き掃除をしているところに通りかかったが、歩くのはもう前から駄目なのだと言う。脊柱菅狭窄症をやって腰にボルトが二本だか入っているとのことだ。でも最近は日中は温かいですよねとこちらは言った。それは、外に出て日向ぼっこをするよう暗にうながすような意図があったようなのだが、余計な世話だ。(……)さんも話の終わり際で車庫の柵に手を置いて体重をあずけながらちょっと黙って間をはさんでみせたので、自分の健康やからだのことはあまり話したくなかったのかもしれない。
  • 坂を上りながら、あのひとも大方あと何年かのうちに死ぬだろうし、一〇年経てばほぼまちがいなくこの世から消えているだろうと思った。こちらにもそういう可能性はいくらでもあるし、長く生きるとしてもせいぜい数十年の違いにすぎない。死を思いながら、ハイデガーを組み替えるということについて思いを巡らせたが、それにはもちろん、まずはハイデガーを読まなければ話がはじまらない。もうやっているひともたくさんいるのだろうし。
  • 電車に乗ってふたたび職場へ。勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 八時二〇分頃退勤。駅に入る。(……)行きが行ったばかりで、待ち時間が三〇分以上もあった。ホームに上がると待合室に入る。室の扉は取り外されており、常に口が空いているようになっていたが、エアコンも一応点いているし、入ればやはりそれなりに寒気を防げる。今日のことを簡易的に手帳にメモ。それが終わると目を閉じてじっと休んでいたが、すると、メモを取っているあいだは大丈夫だったのに、脚が途端に冷たく感じられてきた。眠ると体温が下がるのとおなじ現象だろうか。電車が来ると乗って、座席でまた瞑目のうちに休み、到着を待つ。
  • 帰路もだいぶ寒かった。久しぶりに、脚をはやめてさっさと家に着きたいという誘惑を感じる夜道だった。空は断片的な雲の染みが見えるくらいに明晰だったおぼえがあるが、月は見られなかったはず。帰ると手を消毒し、マスクにもアルコールをちょっと吹きかけてたたんで始末し、洗面所で手を洗うと帰室。ポール・ド・マンを読みながら休身。
  • 食事へ。テレビは『クローズアップ現代+』。田奈高校という高校の現場がコロナウイルスによってどのように変化したか、どのように苦境を強いられているかという話。父親は台所に立って皿を洗いながらときおりひとり言を漏らしていたが、そのタイミングがテレビに合っていなかったので、たぶんイヤフォンをつけてべつの番組を聞いていたのではないか。この高校は家庭に事情がある生徒を受け入れるような場所らしい。過去に虐待を受けていたひとだったり、金がない環境だったり。コロナウイルスで家の収入が減ったからアルバイトをして家計の足しにしなければならないために学校を長いこと休んでいるとか退学したとかいう生徒が何人か出てきて、それを見ながら、こういうひとびとからすると俺の生活・環境もしくは生き方など、いかにもぬるく、甘ったれたものに見えるだろうなあと思った。べつにそこを比較する必要はないのだと思うし、比較することは自分に対しても彼らに対しても失礼なのかもしれないが、しかしそう思うことは思う。この高校には校内ハローワークというものがあり、相談員みたいなひとがいて、昨年卒業した生徒も、就職した仕事がうまく行かなくて辞めたと言ってまた相談に来ていた。相談員の女性は信頼を得ているようで、女生徒は、親の次くらいに私のことをわかってると思うと言っていた。新聞からミャンマーの記事を読もうと思ったのだが、番組のほうに意識が行ってほとんど読めず。
  • 食後は一〇時半過ぎからWoolf会。今日の箇所は正直かなり難しかった。担当者は(……)さん。以下に当該の原文を引く。

Looking at the far sand hills, William Bankes thought of Ramsay: thought of a road in Westmorland, thought of Ramsay striding along a road by himself hung round with that solitude which seemed to be his natural air. But this was suddenly interrupted, William Bankes remembered (and this must refer to some actual incident), by a hen, straddling her wings out in protection of a covey of little chicks, upon which Ramsay, stopping, pointed his stick and said, "Pretty — pretty," an odd illumination into his heart, Bankes had thought it, which showed his simplicity, his sympathy with humble things; but it seemed to him as if their friendship had ceased, there, on that stretch of road.(……)

  • 難しいのはBut this was suddenly interrupted, William Bankes remembered (and this must refer to some actual incident), by a henのあたり。ここにかんしては長く話し合われた。普通に前から読んでいったときの感覚では、このひとつ目のthisというのはWilliam Bankesの想起的思念のことのように思われるのだけれど、しかしその次に挿入的にWilliam Bankes rememberedと挟まってくるので、どうもここはrememberedの目的語にあたる部分らしいぞと推測され、さらにそのあとにby a henが続くので、この中断されたthisというのはRamsayの歩みのことなのだとわかる、とそういう書き方になっている。そしてまた、括弧のなかに入れてつけくわえられているthis must refer to some actual incidentがどういうことを言っているのかこちらにはよくわからなかったのだが、(……)くんの理解など聞きつつ考えて、納得にいたった。直訳すると「このことはなんらかの実際の出来事を参照しているに違いない」となるわけだけれど、ニュアンスとしてはおそらく、「たしかあのとき何かが起こったのだったがなんだったか」というような感じなのではないか。Bankesは風景を見ながら、Ramsayが生来の孤独を身にまといつつ田舎道を闊歩する過去の情景を思い起こしている。その歩みが突然中断されたということがまず先に思い出され、たしかあのとき何かがあってRamsayは足を止めたのだが……そうだ、雌鶏だ、という風に記憶がつながったその思考の流れを表しているのではないか、という理解で、こちらはこれで納得している。その場合、二度目のthisは、this was suddenly interruptedの部分、Ramsayが足を止めたということ(もしくはその記憶)を指示していると考えられるだろう。あとこまかくて煩雑な部分だが、an odd illumination into his heartのhisがBankesのことなのかRamsayのことなのかも微妙でよくわからない。こちらはBankesのことだと思っていた。Ramsayが雌鶏に対する関心を示すのを目撃して、Bankesの心に光が照射されるわけだが、その光のなかにRamsayのsimplicityやsympathyといった性質がふくまれているようなイメージで、それが直接Bankesの心に触れてまざまざと理解される、というような意味で考えていたのだ。Bankesの心中に光が当たることで曖昧だった思考が晴れてRamsayのことがよくわかった、というようなイメージで、だからこちらはたぶんこのilluminationをBankesに訪れたひらめきのようなものとして理解していたのだと思うが、しかしそういう感じだったらheartではなくてmindとかになるのではないかという気もするし、ここのhisはその次のhisとおなじでRamsayのことと考えたほうがすんなり通る気がしてきた。Ramsayの心の内部に光が照射されて、そこにあったsimplicityやsympathyが照らし出されてよく見えるようになった、ということだ。わかりやすい理屈だし、たぶんこちらが正しいのだろう。ここでheartがBankesのものを指すとしたら、その場合、hisではなくて、theを使うのかもしれない。
  • 今日は『イギリス名詩選』も読んだ。詩を選んだのは(……)さん。Emily Bronteの'Riches I hold in light esteem'(「富は問題にならぬ」)。富も恋も名誉も自分にはもはや不要、人生の終わりも近いいま、ただ心の自由と、生および死を堪え抜いていく力がほしい、というような詩で、性質としてこちらがわりと共感するような内容ではあるのだが、前回こちらがたまたま選んだThomas Campion, 'The Man of Life Upright'にしてもそうだったのだけれど、こいつらなんでみんなこんなにストア派なの? という感じ。しかもEmily Bronteは二三歳のときにこの詩を書いているらしい。彼女は一八四八年に三〇歳で死んでいるので、もしかすると病気がちだったとかで自分の死期を悟ってこのような超然的な気分を育んだのだろうかと思ったが、その場でWikipediaを覗いたかぎりではべつにそういうことはなさそうだった。
  • その他、雑談。(……)くんがFLEXNOTEとかいう品もしくはツールを紹介したところから、文房具類の話が続いた。こちらが、みんなやっぱりけっこうこだわりがあるのかなと思って訊いてみたのだが、文房具が大好きなのは(……)くんくらいで、ほかのひとびとは特段にこだわりというほどのものはない様子だった。こちらもまあ、店で見ればわりと面白く思うが、実際に使っているのは特別な品ではなく、ノートの類はともかくとしてもボールペンは、いまは普通にコンビニで買ったJETSTREAMである。(……)くんはペンも色々そろえているようで、水性ボールペンのVコーンというのが好きなようだ。PILOTの品で、いまホームページを見てみたら普通に一一〇円で安い。こちらもペンにかんしては何かお気に入りの、書き心地が良いようなものを探してみても良いかもしれない。あと、ブックスタンドの類も見せてもらったが、たしかに書抜きをするときなど、いまはべつの本で押さえてページをひらいたままにしながらやっているのだけれど、スタンドに立てたほうが文字も見やすいだろうし良いのかもしれない。図書館で作業をしていたときには、今日はどの本で押さえようかなと棚から巨大な書を選ぶのがちょっと楽しみだったと笑って話した。
  • (……)
  • また、(……)くんがファッションについて、その歴史もふくめて勉強しながらお洒落な服を着たい、ということを言って情報をもとめた流れで、(……)さんによって「SSENSE」というサイトが紹介された。通販および情報提供サイトみたいな感じなのだと思うけれど、そこに載せられているコラムがけっこう面白いという話で、見てみるとBlack Lives Matterにかんする記事がひとつあり(https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/black-lives-matter-a-working-resource-for-mobilizing(https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/black-lives-matter-a-working-resource-for-mobilizing))、サイトもしくは企業としての意思表明の類だが、このページの下部に「参考文献」や「再検討のための読み物」などとしてインターネット上のメディア記事などが多数まとめられていたので、これはありがたいと即座にURLをメモした。
  • 終盤はストレッチをしながらだいたい黙って話を聞いているだけだったが、ベッドでしばらく柔軟をしてからコンピューターの前にもどるともう二時を過ぎていたので、もう二時じゃないですかと言って風呂に行くことを表明し、そうして会は終了となった。その後、入浴してきて、もどると三時。ギリギリ今日中、眠りをはさむ前に前日の日記を終わらせておきたいと思ってがんばり、実際三時四〇分に完成できたが、これはあまりよくなかった。就寝の一時間前にはもうデスクをはなれることを目指すべきだ。